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上海雑伎団スレ【第五十幕】
942
:
もぎりの名無しさん
:2012/11/30(金) 10:07:40 ID:pNiPNwLsO
観念について、自己流の解釈ですが…。
観念は【念を観る】と書きます。
自分では分からないレベルで、染み付いた信念に気付く視点の事を言うのではないでしょうか。
現実を揺るがない絶対的なものと考えず、すべてが自分の鏡と思って生きながら、観察してみます。
「あぁ、こんな事にムカついてるのか自分は。その理由は何だろう?」
「お。この人は、これが楽しいようだ。自分には理解できんが。何でだろう?」
という小さな事から……いえいえ、小さな事と思ってる点に、実は大きな理由が潜んでいたりします(小さくしてあるから、本人が気にしない)。
これを習慣にしていると、現実は何と素晴らしき鏡かと思います。
自分の色んな角度が見えるからです。
そして観念とは、自分が手放したくない何かが、必ず潜んでいるはずです(だから観念、と)。
それを手放す時は、自分が良いと思っていた事が全否定になるかもしれません。自分が自分でなくなるからイヤでたまりません。
そして世間では、こう言うのです。
「もう観念した」(笑)。
このモガキから抜けるすべは、
「どうやら自分はこの観念が好きらしい」
と敢えて乗ってやる事です。だから持ってんだろ?と。
少なくとも私の場合は、スカッと楽になりました。
「好きで持ってた観念」
というラベルにする事で、自由度が上がったからです。そして、絶対的なはずの観念とやらも、単なる【自分のヤラセ】のようなものに思えてきて(笑)、飽きてきます。
観念を「抱えるか手放すか」という対象物にせず、「あるから仕方ないや」の対象にする。駄々っ子の扱い方です(笑)。
観念=外さなきゃ…が新しい観念になります。
観念も常に更新されていると思います。毎瞬を選ぶとは、そういう事ではないか?と。
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