[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
上海雑伎団スレ【第五十幕】
1129
:
もぎりの名無しさん
:2012/12/17(月) 11:21:44 ID:pNiPNwLsO
【既にある】を第三者に説明する為に言葉にするのはデリケートな事と思っとりまして。悟った…と思った時点で悟れてないみたいなパラドックスな考えを持っておりまして。過去の記事の熟読や、私の実践・体験を手掛かりに「こういう事なんじゃないの?」的なニュアンスで書きますが、
【願望が湧いたら叶っている】
【全て自分が決定している】
【信じたものを考え、見てるだけ】
言い方はそれぞれありますが、同じ事で、私達は何を得るか?何にナルか?ではなく【得たという実感に歓び】、【なりたいものにナッた実感に歓び】しているのではないでしょうか。いわゆる、何を感じるかだけが実際で、重要なのはそこだけではないか?と。
上手く説明できませんが、私の願望はチケット世界と出会って以降、結果論的に実現(現象化)しているのです。
実現しようと思わないから実現できた。
死んでも構わん、どうでもいい、自分なんて錯覚と思い、ただただ今掴まえられる「今」という意識、状況をしっかり楽しむと後からついてきた感じです。
ただし。
ここなんですが、「そうすれば何でも得られる」と作戦立てる思考を持ったり、【既にある】のが理屈なら、ないとおかしいと逆説な不満を抱いたり、定義化しようと企んだら無効になる気もします(「そうはいかないぜ」といった現象を観る)。
なりたい、得たいという思いが全てで、
「それは頭の中だけで、現実にないじゃないか」
「○○すれば実現、○○してないから叶わない」
「アイツにはあるけど、俺にはない」
「以前はあったが、現在はない」
「あると思いたいけど実際ない」
などといった思考や言葉で形にしようとしたら、すり抜ける傾向があります。
だから議論にすると果てしなくなる。何というか真実は頑としてあるが、議論に持っていくと嘲笑うように逃げる特性がある、と。スピのブログ書いてる人や達人さんの意見を突き詰めると矛盾が出てきたり、煙に巻かれたような気になるのもそこです(本当に煙に巻いてる人もいるでしょうが(^^))。
得るか、得られないかを判断の起点にすると皮肉にも得られない。
納得いかない叶い方をする(笑)。でも【ある】事には違いないから文句あるまい?と【Bの領域】は微笑みかける(笑)。
自分の手柄と思っていた事が与えられたプレゼントにすぎず、運が良かったんだと冷めた評価をしていた事が、自分の力だったりする……そんな不思議な感触です。
ですから、苦しんでる方に私の実体験のサンプル意見として言わせて頂くと、望みたい事は何でも望んでいいと思う。でも叶うとか叶わないとかのステージに持ち込まないのが肝要です、と。興味が本願以外に移る可能性が高い、ループの罠みたいなものに転じてしまいかねません。
「だったら、叶えようと思っても叶わないじゃないか!!」
そうです。いえ、そう思うくらいで良いです。
実現しようと、するまいと自分はこれを望む、これが好きだという悔いのない思い、これだけ抱き締めて生きればいいじゃん、と。……これが、もしかしたら自愛とかいう状態かもしれませんが。
精神論というよりは、願望とかいうモヤモヤしたヤツの、私達ニンゲンの
特色と言うべきかもしれません。いっそ…いっそですが、すべて自分と思ってみる。憧れの人も、空飛ぶ飛行機も、水槽の金魚も、自分という意識世界の住人、自分のパーツ。
あるいは、自分なんていないと思ってみる。
道の石ころや、100億のお金も、学生が漕いでる自転車も、自分の意識さえも同格で意味のないもの。【自分は自分だ】と思っている大切な意識すら、ラジオのノイズみたいなもの、風景の一つ。何も重要性などない。
思うなら徹底的に、どちらかに徹する。もしくは矛盾をも丸のみして居直る。
現実(肉体)とスピリチュアル、叶う叶わないのループから脱出し、違う世界が見えてくるかもしれません。
それは地面がないのに、しっかり立っているような気持ちに近いかもです。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板