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108以外質疑応答【7】
386
:
ID:Si5wlr9o0
:2012/01/30(月) 18:59:11 ID:I1MFdWNA0
「自分がやりたいようにやる」
これは正しいようで正しくない。
余計な混乱を招くだけだ。
>>383
さんの意見はもっとも。
そもそも「やること」はない。
「やること」を推している人が「やること」でたどり着くだろうと思っているゴールは、今ここさえあれば気づけるもの。
まあそれは置いといて、メソッドについて書く。
メソッドを「受け入れるために」始めることは、心の奥では「受け入れ」ていない。
自愛で例えれば、「愛している」と唱えることで、苦しい感情を抑えようとしている。これは受け入れることとは真逆。
「抑えるつもりはない!」
では、何のために突然「愛している」と唱えるのか、それは「苦しみを無くすため」。
「苦しみから脱するため」。
愛していると唱えることへの違和感、猜疑感を味わったことがあるはずだ。やってみた人は分かることと思う。
何故色々とメソッドがあちこちに溢れているのか。
そもそもメソッドは、創始者であるただ一人の人が、自分のためだけの自然な流れで出来上がったもの。
「自然な流れ」が肝。
彼は「やった」のではない、"後から気づけば"、そのように「やっていた」、だ。
が、人に伝えるとそれはまるで「公式なメソッド」として確立する。
公式であるから「ルール」ができ、またそれは「自然」ではない。
だから違和感を感じる。
メソッドをやっていて一時的に気分がよくなるかもしれないが、気分が落ち込んでしまうと、あわてふためく。
これは多くの人が分かることだろうと思う。
また、メソッドをやったことへの「見返り」を求めてしまう。
これだけやれば達人が言うように効果があるだろう、などと言う。
メソッドの創始者は「結果→メソッドに気づく」であるのに、追従者は「メソッド→結果」だ。
「やらなければならない、やらなければ変わらない」という思考はここから生まれるわけだ。
ただ全て流せば良いのに、わざわざ「流し方」を持ってくる必要はない。止めなければ勝手に流れる。
「苦しい感情」からも逃げない。流れていくのを味わい、見る。
それだけ。
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