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上海雑伎団スレ【第二十六幕】

476 ◆DAZEwQAkb.:2010/06/10(木) 20:32:41 ID:JQ/auSvg0
>>473
ほう、そこをつっこむとは( ̄ー ̄)ニヤリ
これはおそらく「思考」というのがどのレベルのコトを指しているのかというのがポイントなのだぜ。

わしが考えるのはこうなのだぜ。
まずまぁとりあえず出来事というモノがあるとするわけだぜ。
例えば誰かが亡くなったとするわけだぜ。
まずこの時点ではこれは宇宙の中におけるひとつの中立的な出来事なわけだぜ。
自然のサイクルの一環であると言ってもイイわけだぜ。

さて、ではここにそいつと親しかったおまい、そいつを恨んでいたおまい、そして3歳児のおまいが
いるとするわけだぜ。
親しかったおまいは「悲しい」という感情が、恨んでいたおまいはちょとドス黒い嘲笑のような感情が、
そして3歳児のおまいは「天国に行ったんだね♪」なんつってむしろ楽しそうな感情が出てきたとするのだぜ。

ハテ、なぜこの3人のおまいは出てくる感情が異なるんだろうか?
それはおまいが日常的に行っている思考、つまり「観念」のレベルで「訃報」を思考し経験しているからだぜ。
まず「悲しい」と思ったおまいは、その親しかった友人に対して「可哀想だ・もっと生きて欲しかった」という
思考を訃報を聞いた瞬間に発しているわけだぜ。
そしてこれを「支える思考」というのがあって、それが「死は悪いものだ」という思考(観念)なわけだぜ。

恨んでいたおまいもまたこれと同様の「死は悪いものだ」という支える思考からスタートしているのだが、
そこから「こいつは悪いやつだ」+「悪いやつに悪いことが起きた」=「当然の報いだ」みたいな
思考の連鎖が観念レベルで反応して、「ざまぁみろ」的な感情が出てくるわけだぜ。

一方の3歳児のおまいはまだそんな観念を持ち合わせておらんわけだぜ。
死に対してもせいぜい「死んだら天国に行くんだよ」ぐらいの情報しかなく、「その人と二度と会えない」
という情報もないから、大人のおまいよりも悲しむような感情が出てこなかったわけだぜ。
(もちろんそこまでに与えられた情報や個人の個性的なモノもあるので必ずこうだというわけではないが)

で、それから「行動」に出るわけだぜ。
例えば「悲しい」場合は泣こうとするわけだぜ。
そこで何の思考の介入も入らなければ、ダイレクトに涙が出てくるわけだぜ。
ところが人はココでも思考を使うわけだぜ。
おまいが言ってる思考というのは恐らくこの顕在意識上のいわゆるマインドとかいう部分での思考だと
思うわけだが、例えば「今悲しくて超泣きたいけど、周りに人が沢山いるので、恥ずかしいし
迷惑かもしれないから泣くのをこらえよう」なんて考えるわけだぜw
あるいは嘲笑している場合は「ホントは超笑ってやりたいけど、社会的正義においては人の死を
笑うなんてことはよくないからとりあえず悲しんだフリをしておこう」なんて考えるわけだぜw
そして3歳児のおまいは、そんなマインド(あるいはエゴ)なんてものをあまり使わないので、
ダイレクトに行動をするわけだぜw

まぁ図にすれば「出来事」→『観念レベルでの思考(反応)』→「感情」→(「(感情に対する)思考」)→
(それに基づく感情)→「行動」→(「(行動に対する)思考」)→『経験』とまぁこんな感じでどうだろうか?

でだ、大切なのはこの「(感情に対する)思考」だと思うわけだぜ。
もしそこにネガティブな感情があるとしたら、『観念レベルでの思考(反応)』部分が本来の自分に
あまり相応しくないコトを信じている、というコトになるわけだぜ。
だから思考を調整して(それに基づく感情)の部分がなるだけポジティブになるようにしてから
「行動」に移すとイイ、とエイブラハムなんかは言っている気がするわけだが、だからって
ここまで複雑にして考えるコトはないわけだぜwww


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