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上海雑伎団スレ【第六幕】

156もぎりの名無しさん:2009/10/18(日) 11:13:07 ID:8znTe7Jk0
<昔はみんな必要なだけ働いて、余ったら人にやったものだ。
巡礼や物乞いがくればパンを裂き、葡萄酒を分け与えた。
だが、必要以上には働かなかった。生活に要るものだけで満足した。


だから時間もたっぷりあった。親切な気持ちも残っていた。
現代(いま)は違う。みんなが無茶苦茶に働く。
必要か必要でないか分からぬまま、精根尽き果てるまで働く。


その挙句、金銭(かね)を手に入れる。それはパンでもなく、布地でもない。
食べられもせぬ単なる紙切れである。紙切れに書かれた数字である。
この数字はいくらでも増えてゆく。数字が数字を生みだしてさえいく。


しかし...人間の一生なんて限定(きま)っている。
人間が一日に食べられるものだってきまっている。
一日分のパンと肉と葡萄酒と、それだけあればいいじゃないか。


それだけ手に入れるためだけ働き、あとは鳥の囀りを聞いたり、
友達とお喋りしたり、愛し合ったり、海を見ていたりすべきじゃないだろうか。


昔は、働けば、その報酬にパンや葡萄酒や布地で支払ったものだ。
だから、どれだけ働けばそれでいいか、分かったのだ。


現代(いま)は金銭(かね)だ。つまり数字さ。
数字には限界(きまり)ってものがない。
これでいいっていう量がきまっていないんだ。
だから、みんな狂気のように数字を増やそうとする。
何でもかんでも数字に変えてしまう。


でもなあ...人間の一生がきまっていて、
一日に食べるものきまっているなら、
それ以上働くなんてばかげていやしないか。


だって生きるってことは楽しむってことだもの...。>
 
辻邦生 「国境の白い山」より。


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