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仙道,密教,ヨガその他修行法で離脱を目指すスレ
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ラー文書という本にクンダリーニについて記述があったから引用する。
“質問者:クンダリーニを正しく目覚めさせるためには、どんなプロセスが推奨されますか?
また、それにはどういった価値がありますか?
ラー:私はラー。あなたがたがこの現象を考慮する際には、「上へと呼ばれたとぐろを巻いたヘビ」の比喩が非常に重宝されており、探求もそれにならいます。しかし、すでに述べたように、この比喩と目標追求の性質には大きな誤解があります。私たちはこれを一般化して、あなたがたにある事実を理解してもらわなくてはなりません。それは、これが事実においては、私たちが分かち合っているものに比べてきわめて有用性に乏しいということです。それでも、存在者は一人ひとりユニークです。あなたがたの可能な限りの啓発を目的とした交信において一般論を回避できないのは、私たちの宿命なのかもしれません。
私たちは二つのタイプのエネルギーを有しています。私たちはこのオクターブのどの真の色の存在者であっても、内なる性質と外なる性質の出合う場所を、エネルギー中枢に沿ってさらに上昇させて先へ進ませようとしています。それに分別をもって取り組む方法は二つあります。まずは、存在者がS極を通って引き寄せられた体験を自己のなかで座に着かせることです。それぞれの体験は観察され、体験され、バランスをとられ、受け入れられ、そしてその個人のなかで落ち着く必要があるのです。存在者が成長して自己の受容と触媒に関する気づきが高まると、そうした体験が快適に落ち着ける位置が新たな真の色の存在者のレベルに上昇します。
いかなる体験も赤色光線で座に着き、その生命存続のための意義などについて考慮されます。
それぞれの体験は、成長と探求の途上にある心/身体/霊複合体によって、次の順番で理解されていきます。
まずは生き延びることの観点から、次に個人のアイデンティティの観点から、次に社会的関係の観点から、次に普遍的な愛の観点から、次に体験はどのようにして自由なコミュニケーションを生みだすかという観点から、次に体験がどのようにして普遍的エネルギーに結びつくかという観点から、そしてようやく、それぞれの体験の神聖な性質の観点から理解されるのです。
そのあいだも、「創造主」は存在者の内に存在しています。N極では、存在者はすでに頭頂に王冠を載せており潜在的には神なる存在です。このエネルギーは、それを信頼し謙虚に受け入れる姿勢と、自己と「創造主」を熟考し瞑想することによって生み出されます。
それらのエネルギーが出合う場所が、つまりヘビが上昇して達した身の丈(体長)になります。とぐろを解かれたエネルギーが、普遍的な愛と光を放つ在り方にせまるとき、存在者は収穫に値する状態に近くのです。”
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