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歓喜の泉(体験談・活動報告スレッド)

4公爵(旧ハンネ):2009/01/11(日) 18:08:48
鈴木さんへ

 はじめまして。拙い文章ですがよろしくお願いします。
 ネットは初心のようで。しかし、創価学会の基本活動は地元の組織での「ライン活動」と「指導主義」であります。ネットでは、地元組織から「信心指導」を真面目に受けない学会員も大勢いますので、一人一人をよく見極めた上でネットに参加された方がいいです。私も一時、信心指導をおろそかにした時期で、ネットで結構失敗しています。現在は反省していますが、基本はやはり現実での闘いが一番大事ですね。

 また、沖浦騒動でもあるように、これから現場での活動しないネット参加者に対して、厳しくなるかと思われます。どうか注意してくださいね。

さて、鈴木さんもデール・カーネギーの本を活用されているようですね。私は読書中で全部はまだ読んでいません。しかし、役に立つことがたくさんあります。
デールが「議論に勝つには議論を避けた方が勝つ」とあるように、友人との対話には、難しい議論は必要ありません。相手にとって創価学会の信心が、自分に必要だと「納得してもらう」ことが大事なのです。

例えば、同じ創価学会員で、同じ御本尊に向かって、同じ題目を唱える人の中でも、「成長できる人とそうでない人」がいます。さて、根本的に何が違うのか?
「そうでない人」「成長できない人」の信心とは、「題目をたくさんあげればよい」とか「題目さえあげれば大丈夫・何とかなる」といったような、「他力本願寄り」の信心をしている傾向があります。観念の信心ですね。
それとは対照的に、「成長できる人」の信心とは、現実のあらゆる問題や、人々の苦しみを我が苦しみのように「同苦」し、解決してゆく信心と行動という両方が備わっています。「現実の変革」こそ、創価仏法の最大の特徴だともいえます。ところが、沖浦教祖はその「現実変革」を軽視したため、堕ちてしまったのです。「慈悲心」がないということです。

折伏とは、あくまで慈悲の修行ですので、先ほど申し上げた「議論はハヤクヤレ」「議論に勝つには議論を避ける」に基づけば、「慈悲を第一にするならば、議論はできればしない方がいい」ということになるのです。そこが、ネット参加者の学会員の中で、実に90パーセント以上の人がわかっていない。ここを注意しなくてはならないのです。

もちろん、自分にとって信頼できる同志の方と、互いの信心を高めあっていける議論ならば、いくらでもやっていいのです。ただ、仏法の到達点はあくまで「慈悲」だということを忘れてはならない、ということなのです。

簡単ですが、挨拶がわりとさせていただきます。


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