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『史実・教義の考察』用スレッド

7天城五兵衛(管理人代理投稿):2009/01/09(金) 16:20:11
沖浦氏の所謂「人本仏迹論」を正す−6

名前:天城五兵衛 日付:11月10日(月) 23時59分

*******(ここから「沖浦説」)
仏法は人間のための教えである。(略)仏法が人間のためなら、人間が本。仏法が迹。
(「沖浦説」ここまで)*******

昭和52年に聖教新聞者から発刊された「『諸法実相抄』の池田会長講義」では、下記の講義がなされている(34頁から35頁)。

*******(ここから「池田会長講義」)

 仏法の限から見るならば、宇宙の一切の運行の、その真実の相は妙法蓮華経であります。凡夫の眼には、木々が揺れ動いているのみであっても、仏の眼には、妙法の妙なる旋律であり、太陽の輝きも、生命をはぐくむ妙法のハーモニーであります。

 したがって、私ども一人一人の生命も、一切、妙法によって構成され、妙法のリズムに従って活動しているといってよい。ただし、そのことのみにとどまれば、まだ理であり、それを知らず、妙法に冥合することを知らない人は、あたかも、万有引力の法則を知らずに、空を飛ぼうとして落ちる人のごとく、不幸から不幸へと、暗きから暗きへとおもむくのみでありましょう。

 また、たとえ諸法実相の哲理を知ったとしても、たんなる観照の哲学に終われば、それも理の範疇にとどまる。

 それを希望の方向へと向け、価値創造し、幸福へと蘇生させていく方法として、日蓮大聖人は御本尊を顕されたのであります。すなわち、諸法は実相であるとの方程式を、日蓮大聖人の魂魄をとどめて御本尊という価値創造の当体のうえに具現化したのであります。それは、もはや諸法実相という哲学ではない。日蓮大聖人の御本仏の生命それ自体の諸法実相であります。御本尊を「事の一念三千」と申し上げるゆえんは、ここにあるのであります。

(ここまで「池田会長講義」)*******

仏法は人間が創ったものではなく、宇宙根源の法である。
この法に則って生きるか、逆らって生きるかは、その人の問題である。
本迹にこだわる事自体が、無意味な考え方である。


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