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『史実・教義の考察』用スレッド
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天城五兵衛(管理人代理投稿)
:2009/01/09(金) 16:28:36
沖浦氏の所謂「人本仏迹論」を正す−11
名前:天城五兵衛 日付:11月11日(火) 22時21分
*******(ここから「池田会長講義」)
「観心」とは成仏得道の謂
しかしながら、本来、我が身が妙法の当体であるという道理だけでは、成仏にはならない。もし、それだけで成仏であるなら、万物は等しく妙法の当体でありますから、仏と衆生の差別が現実問題としてあるはずがないし、仏道修行も必要なくなるはずです。
問題は、我が身が妙法の当体であることを自身が覚知するか否かにある。この事実のうえでの覚知した仏の境地を明かしたのが本抄であります。そして、覚知したとき成仏といい、それを知らずに迷うのを凡夫、衆生というのであります。これを『諸法実相抄』に「然れども迷悟の不同にして生仏・異なるに依って倶体・倶用の三身と云ふ事をば衆生しらざるなり」(同頁)と述べられていることは、すでにご存じの通りであります。
また『一生成仏抄』にいわく「夫れ無始の生死を留めて此の度決定して無上菩提を証せんと思はばすべからく衆生本有の妙理を観ずべし、衆生本有の妙理とは・妙法蓮華経是なり故に妙法蓮華経と唱へたてまつれば衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり」(同三八三頁)と。
衆生本有の妙理、すなわち、我が身が本来妙法蓮華経であることを観ずることが「無上菩提を証すること」すなわち成仏の本義であります。我が身を妙法と観ずるとは、言い換えれば「観心」でありますから、「観心」とは、すなわち成仏得道の謂にほかならないのであります。
ゆえに「観心の本尊」とは、十界の衆生が、我が身妙法の当体なりと観じて成仏するための本尊であり、十界のいかなる境涯であれ、それを受持するならそのままで、いわゆる即身成仏できる御本尊ということになるわけであります。この「観心の御本尊」を建立された大聖人によって、初めて、あらゆる衆生の成仏の直道が開かれたのであります。
(ここまで「池田会長講義」)*******
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