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献血供給事業団なんでもコーナーⅡ

1河原:2008/12/31(水) 15:37:19
続きはこちらに投稿願います。
事業団の存続を真剣に考えた方が良いみたいですね。

53採血課:2009/02/06(金) 02:06:35
別に事業団の名が残っても別に良いと思います。
誹謗中傷されるのは、そういう事をするからされるんでしょう。
中身をそっくり入れ替えれば、よいことじゃないでしょうか?
多くの人の期待に応えられない方は辞めてもらった方が良いでしょう。
日下殿がいくらここで叫んでも、本人の自覚が無くてはどうしようも
ないことでしょう。

54日下 一男:2009/02/07(土) 17:32:37
「採血課」さん有難う。「本人の自覚が無い」のであれば仕方無いです。諦めましょうか?でもそれではNo983から投稿したのが無駄になります。折角なので次の事をお伝えします。
 今日、木村氏と「論談」の件で電話で話しました。それから再度「論談」に、吹浦氏に対し投稿しました。
 木村氏は私に対し「好きなようにして構わない」と。いわゆる「お墨付き」です。でも私と同じように「職員が無事に退職される事を望む」と。お互いに詳細に話をした上での事です。
 何とか青木理事長に創立の原点の心を取り戻して欲しいものです。論談には月曜日に掲載されるでしょう。

55物見遊山:2009/02/08(日) 11:46:34
青木理事長の反応に
注目ですね。
またスルーですかね?
論談も期待!

56余裕あり:2009/02/08(日) 17:08:45
俺は何を書かれても
平気だよ。
沢山お金も有るし。
これが青木の心だ。

57関西人:2009/02/08(日) 18:17:18
桃山学院大卒だもん

58日下 一男:2009/02/08(日) 23:03:12
 そうです。しかし青木を含め会社の試験を100人以上の受験者から10人程合格したのです。上智大や立教大などの人達と。当時、私は私大は早稲田大と慶応大ぐらいしか知りません。国立大なので面接しかしてません。案内してくれた人に聞いたら「採用試験だ」と。
 なので、彼は優秀だと思う。大阪支店に配属された事は以前に記したが、元来、織田信長の時代に商道は堺で楽市や楽座ですでに日本の基礎は出来てる。欧州では戦争で忙しい時期に。
 でも、関西だから、と言うのはちょっと気の毒。要は心の問題、真心だと思います。昨日木村氏と1年振りに電話で話が出来るのはこの心があるからだと思います。恐らく青木はこれが出来ないと思う。木村氏の話の内容から。
 私はこの「献血ちゃんねる」が好きなので、知人が「止めた方が良い」と言うが、投稿は続けます。あの超有名人で人脈の広い吹浦忠正氏が何と言おうとも。
 投稿された貴方の他に「おおつ」さんや「わさび」さんにも感謝してます。この人達はいろんなスレで投稿を読みますが本当に「献血」を理解してると思う。
 私は土曜のフアン・ジニと日曜の天地人(どちらもNHK)が好きで,今見終えて、書いてます。前作は「一流になる為の物語」、後作はほぼ史実に近い直江兼続の大河ドラマ。
青木にこの人の爪の垢でも煎じて飲ませたい。徳川家康から120万石から30万石に減封された上杉家だが、主人公の直江は一人も首切りせず、生きる方法を家老として職務を果たした。
 私はこの米沢で2年半工学部の高分子工学(今は機能高分子工学で、充実度は全国大学で4位にランク:河合塾調査)を専攻しました。このランクも先輩や後輩の努力によるものと感謝してます。同級生もここの教授をしてたが腰を痛めて任期途中で辞めたが。
 とにかく青木は自分の事ばかりでなく職員を大事にして。木村さんはそれを一番心配してました。
 外国旅行しなくても日本には素晴らしい所が沢山あり、それぞれの文化を持ち、八百万の神もおり、違う母語を持っても、世界にも無い綺麗な日本語があります。青木も経験したと思うが日本語ほど難しい言語はないです。縦書きや横書き、平仮名やカタカナ、更に英語の略語も入るし、主語が無くても話が出来る。
 他にも沢山あるが「木村さんの言葉(言霊と思えば良い)」は確実に伝えました。

59リーマン高杉:2009/02/09(月) 00:30:00
たしかに青木は職員を大事にしないね。チルチルミチルは
便利だから上手く使うのも一つの手ですか。
またそれにぶら下がっている部下がウジョウジョ居ることも
大きな問題だね。事業団=日和見集団とでも言いましょうか。
日下様の投稿は大いに意義があるでしょう。あと監事・幹事
は違うと言ってた方もいらしたようですが、これこそ世間一
般ので言う屁理屈も理屈の一つだと言うことと全く一緒で
しょう。

60日下 一男:2009/02/09(月) 06:40:01
投稿有難う。中学からの習慣で3〜4時には起きています。これは事業団に在籍してた時も今も変わりません。
事業団=日和見集団ですか。武士道のある人もいると思ってましたが。剣道がオリンピックの種目にならなくて良かったと思います。礼に始まり礼で終わる。この伝統は守りたいですね。柔道はオーストラリア人によって大きく変化し、見苦しい競技となりました。昨日飽く迄古来からの柔道に拘る内柴さんが優勝したが、拍手したいです。兎に角、日本が強い種目だったものは白人により全てルールが変更される。バレーボールもネットが高久なるし、札幌オリンピックのスキージャンプで1〜3位まで日本が独占したらまたルールを変更、身長の30センチ以上のスキー板は使用禁止になる。これでは身長の短い日本人は不利になります。
青木はこれと同じような事をしてる。私が退職したら4月から規則を変えた。く
厚顔無恥とはこれを指す。
私の大学では教養課程から総合数学は英語の原書。代数学や幾何学、数理統計学などは日本語だが。工学部は独語が必修なので教養課程で基礎を勉強、専門課程になると有機化学と化学実験は独語の原書。且つ、試験は出席日数が3分の2以上でないと受けられない。凄く厳しかった。クラスは40人だが4人は卒業出来なかった。
私は以前、主任には2級と1級があり1級を取らなければ係長になれない事を書いた。この制度は廃止されてない筈だ。これを活用すれば良い。
いつも言ってるが人は財産です。血の滲むほど努力が必要。創立時には寝ないようなもの。残業時間も130時間は超えてる。それを一緒にやったではないですか。残業時間は当時の労働法により、70時間分の給料でしたが。
何度も言うが無能な幹部は辞めさせなさい。高い給料を払うなんて日赤に申し訳ないと思わないのか。青木や白戸氏は初代理事長や笹川専務のように無給で良い。
「リーマン高杉」さん、吹浦氏について触れてくれて有難う。彼は秋田で私は宮城、同じ東北だから話は分ると思う。

61日下 一男:2009/02/09(月) 09:20:36
ついでながら「縁」とは不思議なものだ。社会人になった時3月半ばから会社の研修があった。その時に担当したのが武富氏。これを叔父とする職員が事業団にいる。彼に言っとけ。研修後に高卒の女子達が私だけ横浜の中華街に招待してくれた。これを武富が問題視して2名の有能な新卒女子が会社を辞めた。私は武富を憎む。企画課長の時、北田がノイローゼ状態の時に講師に来たのがこの会社の当時、名古屋支店長の内海氏。面識がなかったが懐かしかった。次は結婚まで考えた長谷川浩子。三越新宿店に勤務してた。デートの時に北村悦子さんが新宿の犬屋で犬を眺めているのを見てる(北村さんは忘れてる)。その後、歌舞伎町にあった王城(1階が喫茶店、地下がパブ)で彼女とデートで地下のパブに入った。しばらくしたらマスターが「あちらのお客様から」と言ってカクテルを私と彼女に置いて行った。しばらくしてから御礼に行きました。「どなたさんですか」と聞くと「事業団の日下さんですよね」と言われたので「全く心当たりがないのですが」と答えたら「相互ブラッドバンクから都日赤センターの検査課に入った相河です。今日は太田で勉強会があり、一緒に出席した女性とここに来ました」。それが相河氏との交際の始まりです。また池袋で池上幸尚氏の弟(NECに勤務し優秀な人で発明品で報奨金も貰ってる、飲んだスナックの常連客)と3人で飲んで「澄子」と言うママと話してたら段々田舎に近くなり「姓」と聞くと「西山」と答えたので「私の同級生で西山文子と言うのがいるが」と言ったらママは「文子の妹です」と言った。吃驚した。また事業団の話ですが、私の妹に「悦子」がいる。北村さんもそうだが、小懸悦子さんも同じ。しかも小懸さんの御主人は私の叔父の息子と同じ東京薬科大を卒業してる。今でも交流があるとか。
このように人は必ず何処かで繋がりがあります。また桜井よしこさんは小川茂君の先輩で、彼女を見てテニス部に入った、と彼は話してる。前に吉永小百合について書いたのは青木がさも親しいような話を私にしたから。
青木理事長、人は必ず「縁」があります。忘れないように。いずれ、木村氏や初鹿野氏についても青木との関係について書く日が来ると思う。

62日下 一男:2009/02/10(火) 10:34:19
サイトの「管理人」さんに迷惑と思いますが、事業団にとっても「歴史」に重要な事柄がありますので暫く投稿する事を許して下さい。尚、掲載不能と判断されれば連絡願います。
1976(昭和51)年5月に業務部が沿革どうりに間違いありません。この年は世界にとっても事業団にとっても重要な事柄が多いです。6月22日ロッキード事件で全日空丸紅から初の逮捕者、7月8日東京地検が外為法違反で全日空の若狭社長を逮捕、7月13日同容疑で檜山丸紅前社長を逮捕、7月27日田中角栄前首相を逮捕、その後佐藤孝行や橋本登三郎など同事件での逮捕者あいつぐ。7月3日ベトナム社会主義共和国発足。7月20日米国の火星探査機が火星軟着陸に成功。9月9日中国の毛沢東主席死去。
献血供給事業団の大きな変化は組織機構の改編による新体制であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
業務連絡会議(昭和51年4月12日午後2:00〜)
司会 竹内局長 (出席者)木村業務課長、菅野総務課長、青木武蔵野支所長、日下業務課長補佐、西林葛飾出張所長、山本城北出張所)
 議題 1 組織機構について
    1 それに伴う部内人事について
    これについては次のとおりとする。
 業務課を業務部とする。
 事務局ー業務部ー業務第一課、業務第二課、検査室 に改組する。
 業務担当について
          続く

63日下 一男:2009/02/10(火) 12:09:37
 業務第一課(1)輸血用血液の業務全般に関すること
      (2)輸血用血液の需給調整に関すること
      (3)輸血用血液の器具販売に関すること
 業務第二課(1)血漿分画製剤販売に関すること
      (2)その他医薬品に関すること
      (3)前二項に付随すること
 検査室 従来どおりとする
現在事業団職員は局長以下64名(女子10名)である。
 改組による人事異動は次のとおりとする。
業務部長兼務業務第二課長 木村雅是 業務第一課長 青木繁之
武蔵野支所長 日下一男 葛飾出張所長 西林靖紘 城北出張所長 山本嘉八
業務第一係長 五代和夫 業務第二係長 秋葉要明 武蔵野係長 児玉政夫
葛飾係長 唐田忠司 城北係長 本橋喜代一 業務第二係長 中沢政夫
 職員の異動について
古川繁治 総務課ー一課 紀平和美 業務ー総務課 山田善恵 業務ー葛飾
斉藤秀之 業務ー武蔵野 千葉敏明 葛飾ー一課 斉藤薫 武蔵野ー城北
山内功 城北ー武蔵野
 以上 人事異動の発令は5月1日付とする。
 その他議題
 1 本部事務所建設(地下一階、地上三階)
 1 車両整備
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 以上なことで新体制が発足した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 課長会議 (昭和51年6月4日)
司会 竹内局長 (出席者 木村部長 青木課長 菅野課長 日下武蔵野所長)
 議題 1賞与の件( 守秘義務により省略します)
    1建築の件(本部建物)
    110周年記念行事について
    1コンプータ導入の件
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 このように課長会議と業務連絡会議は厳然と区分された。つまり管理職会議とは課長会議である。
 これが私の以前に書いた自伝記の事です。

64日下 一男:2009/02/10(火) 15:14:50
追記:上記した6月4日の課長会議に藤田賢二郎氏がオブザーバーとして出席してるので、肩書きが無いですが何らかの重要な位置にいるか、単なる書記なのかハッキリしません。その翌年1997(昭和52)年の業務会議の事が記されています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 業務連絡会議 (昭和52年5月13日午前10:30〜)
司会 竹内局長 (出席者)木村総務部長、青木業務部長、末綱総務課長、日下武蔵野支所長、西林葛飾出張所長、山本城北出張所長 藤田(肩書き不明)
局長から話が始まり次のような要点。
1.田中血液事業部長の就任に伴って招集された日赤の血液センター部長会議に私もオブザーバーとして出席したので、その一端を紹介する。
(1)現在日本国内で使用されている分画製剤に占める日赤の献血によっての原料血は20%足らずで残りは外国からの輸入である。
(2)血液事業学会を設立する。
(3)5か年計画で献血本数の引き上げを年々5%以上とする。
(4)全国的な供給体制の整備を行う。
(5)供給手数料について
日赤が委託している業者では東京都が一番安い。卸売連合会500円、岡山・徳島500円、事業団450円。
(6)海外研修について今年は9月25日からの二週間とする。52年アメリカ53年オーストラリア54年アメリカ・カナダの予定。
(7)51年度の血液センターの財政事情、全国センターの内で32〜33センターが赤字である。
続いて事業団についての討議に入る。
 以下に議題があげられ討議が続き、午後から課長会議が始まる。

65物見遊山:2009/02/10(火) 18:13:12
何のために一杯
書いたの?
いっぱい
飲まなきゃ。
青木はどうするの?

66ベンジャミン:2009/02/10(火) 23:04:34
しかし、献血供給事業団にもこんな立派な人がいたんですね。
それに比べて、今の青木軍団は何やってるんだろね。作業室
よりどでかい総務室を作って、この期にも及んでも、スペース
的にも制約がある中、役員室作って反っくり返っているんだから
救いようがない。日下殿、一度辰巳に来て事業団のレイアウト
見てやって下さい。どう見ても変だよ。

67日下 一男:2009/02/11(水) 00:19:44
訂正があります。昭和52年5月13日の中で木村氏が総務部長は業務部長、青木業務部長は業務第一課長が正しいです。申し訳ありません。この体制は昭和53年9月8日の会議まで続いております。また出張所長はどちらも「心得」が付いています。
更に昭和51年4月12日の会議での係長の件ですが中沢政夫と本橋喜代一については「暫定」がついてます。
改めて御詫びいたします。
藤田賢二郎氏の肩書きについては推測ですが、太田出張所長と考えられます。と、言いますのは彼の奥様は太田血液センターに勤務していましたので。

68日下 一男:2009/02/11(水) 01:57:37
「ベンジャミン」さん、投稿有難う御座います。いずれ、いずれと言いつつも、相変わらずの病院通いが続いています。
私は「献血供給事業団」の「歴史」正しいものになるのを希望しているのです。別のスレッドの書いてますが、今の献血制度になった論文は私が書いたのが「基本」になってます。この時の業務会議の事を参考に書きますが余りにも多すぎるので大事な項目のみ記します。大事な項目は{1}{2}{3}{4}{5}{6}{7}になっており、それぞれの項目はまた(1)(2)(3)・・・・というように沢山あります。この日の会議は午前10:00から始まっていますが終わっているのが午後の6時になってます。
この時の事に、私事について書いてますが、それは別にしてもそれが無いと読む相手に伝わりませんので原文のまま書きます。
「これが事業団での最後の会議参加であった。と言うのは、この時点で退職の決意が固まっており、9月に入って間もなく、10月31日付の退職願いをだしたからである。この事は竹内専務の預りで、9月15日まで青木克巳克巳局長以下幹部のしらぬ事であった。この頃、先に作り上げた血液事業関係の論文を印刷、製本する事が決まって、私にとっては記念誌となるものだった。3部作のものを一冊の本に纏める作業が急速に進められた。この時は紀平さん始め総務課の人達が頑張ってくれた。そして出来上がった。「輸血用血液の需給の現状と将来予測(全国と東京都について」というものでA5判もので108ページのもの。巻頭言は竹内専務理事が自ら書いてくださった。非常に嬉しかった。その後、日本輸血学会の村上省三会長が「世界の血液事情と日本の血液事情:献血供給事業団11月1日刊行*私の論文を引用」として、学会誌に発表され、大きな反響を呼び、昭和61年4月からの新献血制度になりました。

69日下 一男:2009/02/11(水) 02:23:39
またまた補充になります。「この時の業務会議」とは「昭和57年8月25日の業務連絡会議の事であり、出席者は竹内専務、青木克巳理事兼務局長、木村理事兼務総務部長、青木繁之業務部長、末綱、西林、藤田、山本、日下
オブザーバー五代」の事です。

70ベンジャミン:2009/02/11(水) 23:38:32
日下様お体大切に。
しかし、今の事業団の業務会議はくだらないよ。
こないだも、あまりにもくだらなすぎて、居眠り
扱いちゃいました。ここの投稿の事を語った奴
は犯人だとか・・まぁ、金玉のちっちゃぃ連中
ばかりだね。

71日下 一男:2009/02/12(木) 09:03:43
「ベンジャミン」さん有難う。病気克服に努力します。しかし、業務会議というのは、各部所においての業務報告やそれに対しての反省や良い事があればそれを取り入れるなどの会議であり、前向きな姿勢が望まれる場である、と思います。犯人捜しなどの会議でない筈ですが。
ところで、私が今まで書いた中に「沿革」についてのヒントを沢山記載してます。
創立以来、業務(血液供給)が優先されいろんな規則は、後回しの状態でした。以前、青木理事長に創立直後の就業規則についても不備がありそれについての加筆修正した書類を渡してますが、その書類は事業団にとって貴重なものである、と思われるので個人で持つために渡したものでは有りません。
この様な状況ですから、備蓄病院や派出所、出張所などの区分についても規則が整備されたのは、だいぶ後の事です。
ですから、今までの投稿で間違いなど指摘してます。また「沿革」には総務部の設立について記載されてませんが、私が武蔵野支所長から本部の業務課長兼務城北支所長として戻った昭和55年3月10日には、総務部長は木村氏、業務部長は青木氏ですので、これ以前に総務部がすでにあった筈です。昭和54年4月19日の課長会議には肩書きなしで記入されてますが、出席者は司会が竹内局長、以下、木村氏、青木氏、末綱氏、日下、西林氏、藤田氏になってます。それ以降の記載を読むとまだ木村氏は業務部長の立場なので、多分総務部は、昭和55年2月25日の課長会議で「組織及び職制に関する規則の改正」が議題の一つになってます。
この会議について、次に書きます。

72日下 一男:2009/02/12(木) 10:13:52
 課長会議 (昭和55年2月25日午前10:30〜)出席者は上記してる
議題1)組織及び職制に関する規則の改正
    総務部を設けその下に庶務課と経理課を置く。
  2)当直体制のとる所は支所とする。
    昼間のみ運用の所は出張所とする。
  3)幹部人事異動の件及び異動時期について
総務部長木村雅是、業務部長兼務業務第二課長青木繁之、業務第一課長兼務城北市所長日下一男、庶務課長藤田賢二郎、経理課長末綱忠雄、武蔵野支所長西林靖紘、葛飾支所長山本嘉八、尚、辞令は3月10日付とする。事務引継ぎについては速やかに行う。
4)係長昇格の件、南公文を係長として異動する。5)新入職員の配置について及び教育関係について、期間は4月1日〜13日までとする。6)八王子支所開設の件、5〜6月とする。7)寮借用は三鷹に一つ。8)旅費規定は改定を要す。9)交際費は残り少なく極力抑える。10)コンピュータ導入で日赤はストップする立場だが当団としては早い時期に行う。11)制服については部長以下に支給する。12)輸送バッグは25本入り15本入り二種の個数確認をする。
 以上

73日下 一男:2009/02/12(木) 10:43:20
どうですか?青木理事長、白戸専務や北田総務部長以下部長や職員の皆様、私はこのように克明に記録を残しているのですよ。これで総務部がいつ出来たか「沿革」に記入出来るでしょう。私は前から書いてるように事業団に対して愛着心があるので教えました。だから青木理事長に何度も「事業団の歴史」について話かけたのです。貴方はこのように克明な記録を残してますか?私に対しては大酒飲み程度に思っているんでしょうね。青木の性癖についても記載してますよ。でもそれには直接には触れてませんよ。
人は財産という事を再度考え、職員を大事にして下さい。

74日下 一男:2009/02/12(木) 14:16:01
再度「沿革」について。昭和42年10月の葛飾出張所開設は無く昭和44年6月1日が正しく、この時から宿日直をしてるし、先に書いたように葛飾支所は昭和55年3月と明記すべき。昭和43年10月の城北出張所は日大板橋病院内が正しい。都立豊島病院内に城北出張所を開設した時期について調べてみるが、今のところ記載事項がない。比較的早い時期少なくとも昭和50年前だと思う。また、都立駒込病院内の派出所は昭和47年頃で期間が短くすぐに備蓄病院になった。太田出張所については全く記載がなく、申し訳ない。だが、城北出張所を支所と呼称するのは昭和55年3月から(都立豊島病院内の出張所から)。これが独自に土地を氷川台に購入し、建物をつくり移転した城北支所に結びつく。あとは指摘する事はないです。

75当時を知る関係者:2009/02/13(金) 14:58:27
大筋について、分るが
当時は供給が優先され
整理は難しい筈。
買血時代の全盛
時代。

76断言はどうか?:2009/02/13(金) 22:59:47
再度調査されては
如何ですか?
何事にも完璧な
ものは無いです。
人の記憶も薄れて
しまいますし。
ノートに転記ミスも
有りうると。

77日下 一男:2009/02/14(土) 00:17:21
確かにそのような事もあると思います。昭和42年の記載にたった一行ですが次のような事が書いてありました。「夏に都立豊島病院に行きカルテ保存室を見た」。場合によってはこの記述が重要なものかも。出来るだけ当時の事を思い出し、また当時の事を知る人もいますのでそのような人達にも確認します。
問題なのは、去年の父の十三回忌の時に、五周年記念誌を始め重要と考えた書類など全て田舎に置いてきたので確認が取れません。また自伝記とも言えるノートを書いてから手帳やメモなどは焼却処分してるので、今のところ何も言えません。
もし間違いなどがあれば御詫びし、訂正箇所も正確に記します。もう少し時間を下さい。当時は確かに忙しくいろんな事をやってましたから。とにかく青木理事長にも何度も伝えたように、事業団の「歴史」を正しくする事を自分自身でもしなければならない、と考えて、ある意味で反省を込めて先に記述したものを訂正するかもしれません。

78日下 一男:2009/02/14(土) 22:09:18
全て分りましたので、御詫びして訂正します。No74の葛飾については自分の事であり、辞令は葛飾出張所(心得)です。実際は9月半ばに準備の為に行き、血液センターの人達と同室で女子事務員と一緒に作業しながら男子職員と血液の供給をし、一室を借用して運用したのが10月1日です。ですから「沿革」どうりです。次は私の記憶違いです。結論は「沿革」どうりです。これについてはポケベルが重要な武器になってます。更には各都道府県の「各血液センターの独立採算=採血区域=献血者数」が大きな要素を占めています。区域の詳細は省きます。結論は城北派出所は存在してません。日大板橋病院は大規模な備蓄病院で、都立豊島病院も同様です。本部からのルートは2とうりです。1つは新宿ー豊島ー板橋ー練馬、もう1つは杉並ー中野ー板橋ー練馬の病院を対象に。緊急を要する時はどちらかの病院から持ち出し供給します。ですから纏める前に当時の課長青木氏に都立豊島病院に城北出張所の件を報告し、彼が後は交渉したと思います。
後は太田です。これは2つになります。最初は蒲田にあり、児玉氏と山崎氏、大森赤十字病院の横に新しく作られた血液センター(昭和44年11月)での時は藤田氏、土本氏です。派出所といっても直勤は少なく本部から品川ー太田、目黒ー太田経由で太田派出所に行き、他県から空輸される血液を羽田空港まで受け取りに行き帰りも似たようなルートで血液供給しながら本部に戻る、これが多かった、という事です。人も少なく職員は最大に働き、また宿直や日直もし、また翌日も勤務する日々でした。何処の部所も同じです。理事長以下全て「献血一元化」に向けて邁進したのです。
献血者の皆様、「献血供給事業団」の創立後について再度考えて、投稿されるよう希望します。尚、現在の事業団の姿勢に異論があれば誰かが投稿したように「ビシバシ」指摘して下さい。青木理事長以下読んでる筈です。

79投稿しても:2009/02/14(土) 23:15:41
無駄でしょう。
腐れ東京赤十字がこんな団体に何年も運搬頼んでるだぜ。
献血者が投稿したってどうにもならんよ。

そうでしょ、青木理事長。
反論があるなら行動で示して頂戴。

80日下 一男:2009/02/15(日) 08:25:15
追補:この昭和32年10月から供給基地は4箇所になり、本部は業務課長青木繁之、武蔵野支所は支所長(理事の木村氏を除く)、葛飾出張所長心得日下一男、城北出張所心得五代和夫らを含め4基地で当直体制が出来ました。大型備蓄病院用の冷蔵庫は当時事業団基地が発注してた株)エバラ(後の荏原)が製作したものより小型化したものでです。更には山口専務と都産婦人科医師会と話し合いより小型化した冷蔵庫を10箇所ほど置きました。これの費用は医師会からの寄附です。これの特長は緊急時に近辺の産婦人科病院が使用可能になり、それでも不足の時は基地からの供給です。事業団独自に設置した病院もあります。
上記投稿された人への回答はいずれかの時機に必ずします。
この時代の買血業者の廃止年を記します。昭和43年千葉血清研究所、同44年(株)ミドリ十字東京支店、、北里研究所血液銀行、(株)ニチヤク王子、葛飾血液銀行の2つ、同45年富士臓器製薬(株)預血センター、同46年トーヤク(株)血液銀行、同47年(株)相互ブラッド預血センター、同48年(株)血漿研究所預血センター、合計9箇所を5年かけて東京から無くしたのです。これは短いようですが私達にはとっても長い時間です。この間に赤十字にも協力、前に書いた緊急時の新鮮血の駅前での呼びかけ、渋谷駅前から血液センターまでの献血者搬送など。この当時の献血の仕方は3とうり。1つは血液センターでの献血(これが母体献血),2つめは移動採血車による献血、3つめは大きな会社や団体での集団献血です。
今は以前書きましたが立川駅での献血ルームの設置により、この献血ルームでの献血がほとんど占有してますね。今後とも献血に御協力を御願いします。
私はNo78に投稿するため、いろんな人の話も聴きました。何十年ぶりの人、憎い人、暫くぶりの人、みんなそれぞれの感想は違いますね。正直にいうと青木理事長に好意を持ってる人は少なく、いわば麻生総理以下の支持率と思えばよろしいのでは。
青木理事長、「職員やその家族達、また事業団を退団した人達も注視してます」、これらの人達は事業団を誇りとしてるのです。
理事長の職務は逃げる事ではなく、難局を乗り切るために人材を活用しなければならないのです。でも私が一番最初に投稿した文の締めくくりは「人材教育を忘れた」でしたね。

81日下 一男:2009/02/15(日) 08:44:20
ごめん、書き出しの件、昭和32年でなく、昭和43年です。訂正です。
ついでに、青木理事長や専務理事兼務局長の白戸氏はもう無給でも充分生活出来る、また引退後の年金も充分でしょう。私みたいに苦しくない、と思いますが。個人としては給料も退職金も少額で、年金額も少ないです。でも何とか生きてます。何か私に木村さんが約束してくれた家も売ったとか。
お金は死んでからもつかえるのかな〜?

82しりたい:2009/02/16(月) 05:33:41
別のスレでエイズ問題の
委員会の委員に
青木がなぜ委員に?

83日下 一男:2009/02/16(月) 10:59:59
これについては詳細について分りません。投稿された人は出勤される前に書かれたのでしょう。
投稿の文を前にして何から書いていけば良いのか悩んでます。全ての人には長所と短所があり完璧と言える人はいないと思います。
青木氏が委員になったのは、彼が米国や南米での血漿の買血調査を命を懸けてやった、と後日に本人や知人から聞きました。この時期は私は事業団に在籍してないのです。でも彼の努力により完全な法律とはいえませんが、笹川会長を始めとする人達によって「エイズ事業法」が出来た事は間違いないでしょう。彼の話では米国で調査後、中南米のベリーナで飛行機に乗って飛び立とうとした時にゲリラから銃撃を受け、ちょっと離れた席にいた白人が直撃されて亡くなられた、という事です。すぐに離陸したので彼は無事に帰国し、その実態(買血血漿についての危険性)を知っている事により厚生省の委員に任命された、と聞きました。
私は以前昭和57年10月31日に退職した事について書いてますがそれに至る経緯は書いてません。先程も書きましたが私も同様に欠点も沢山あります。
私は武蔵野支所長から業務第一課長兼務城北支所長として本部に戻ったのが昭和55年3月1日です。その間に日赤の供給課長会議から外されていた事は前に書いてます。この会議に復帰するまでの経緯について少し触れます。これには当時の中央血液センター供給課長松村氏が深く関りがあります。その部分を記したのがありますがノートですぐに見つからないので後にします。
またエイズの件に戻ります。昭和55年の夏頃と記憶してますが、村上省三教授が事業団に来られ「何か変な病気が米国で出てる」と業務部長の青木氏と私に話されました。間仕切りした部長室で。その後、私が在籍してる間は青木氏が米国に行ってないので、調査に行ったのは昭和58年になってからだと思います。この様に彼は日本や日赤、事業団のために立派な仕事もしてます。
私事については事業団の歴史について記すときに必ず出ますし、また山口専務の退任や木村理事の事など出るでしょう。
突然だが、藤田氏が総務係長の時に書いた辞令(五代氏の懲戒免職)を木村氏が翌日に破棄。謎です。更に事業団に戻った昭和61年、藤田、西林両部長が散々病院の口座を無くしていった五代氏(当時課長?係長?)が彼等の上司になるとは?これも謎です。私はまるで分りません。これを知る人はいないですかね。

84日下 一男:2009/02/16(月) 14:37:52
有りました。血液センター供給課長会議への参加の件。先に実名を記した藤田氏や西林氏、松村氏など他にも沢山おりますのでこの場でお許し下さい。問題があれば電話でも投稿でも構いませんので指摘して下さい。
さて、記した内容です。{昭和55年の暮れも押し詰まろうというのに、日赤への都内供給担当課長会議への参加は以前として駄目だった。12月5日(金)に竹内専務理事と個人的に会って、どうしてこんなに冷え切ってしまったのかいろいろ分析しあった。そして次の事柄で合意したと言うか確認しあった。(1)都内供給担当課長会議の件については全て日下の判断及び決定に任せる。(2)東京都センターとの協調について:特に相河課長と五代支所長の犬猿で:竹内専務「日下君と相河課長は親友なので安心してるが、どうも五代君とは上手くいってないのではないか?五代君からの報告と日下君の話とでは相河課長に対する評価がかなり違っている。五代君はさておいて、日下君の方で何とかカバーしてくれないか。何としても対立的感情にはしたくない」。私は「業務課並びに城北支所を指揮してる。それに加えて武蔵野支所の前任者とはいえ、それをカバーしろとは五代君の為に宜しくない。お断りします。ただ都センターとは城北支所との絡みで繋がりがあるし、また個人的にも相河課長と友達なので何らかの形で協力は出来ます」。竹内専務「それで結構」。それから後の12月10日(水)朝に「都内供給担当課長会議が午後2時開催」というニュースを掴んだので、即刻都支部の若松課長に電話して、会議への参加(オブザーバーでも良い)を御願いした。渋っていたが折り返し電話が来てO・Kの返事だった。実はこの事を知らせてくれたのは松村課長であり「日下さんが都支部へ電話すれば、必ず支部は僕のところに相談するだろうから、その時に止むを得ないだろうと返事します」。と言う事で参加した。松村課長有難う。今までの流れから一気に参加は難しかったのだろう。その後は都センターでの会議になるが、やはり同じ様に松村課長が都センターの松永所長に根回しをしてくれていた}
以上が記されたものです。松村さん今でも感謝してますよ。
ハッキリ言って青木理事長、この会議から外されたのは貴方の時ですよ。私が武蔵野の支所長になる前はこの会議に事業団は参加してますから。

85善意者かな?:2009/02/19(木) 18:09:41
この事業団には
本当の侍はいない。
何も言っても無駄
だと思う。
誰かが書いたように
日和見の人ばかり。

86日下 一男:2009/02/21(土) 09:23:29
「おおつ」さんに御詫びします。勉強不足で、献血制度の変更により、現在は69歳迄でした。「献血は出来るが病気により現在は出来ない」と記すべきでした。次に杉田公三氏に対する文の中に「あってはならないこと」という役人用語ですが、当時の新聞記事ではこの用語の意味は「自分達に責任はなく、責任は他人にある」と解説されてました。言葉は時代の流れにより変化しますが昨今のマスコミにおいても頻繁に使用されるようになり、正しい日本語を伝えていたNHKまでが使用するようになって残念に思ってます。責任の所在が明確でなくなってしまいました。早急は「さっきゅう」と教えられましたが「そうきゅう」が多く使用されてます。唯一NHKでは「さっきゅう」と読んでいますが。以前にも記しましたが綺麗な美しい日本語を残したいです。
No79の「投稿しても」さんの意見は当然だと思います。しかし、青木理事長の性格を知るのに貴重なものがあります。私達は会社が借用してた家で、一階が久山人事課長一家に住み、二階が寮として六人が一緒でした。その中に青木もいました。五月のある日に誘いがありました。「これから初台のストリプ劇場に行こう」と。私は余り気乗りはしなかったが一緒に出かけた。面白いと思わないので途中で寝ていたら突然スピーカで「そこのお客さんテーブルを叩かないで」、目を開けたら青木が踊り場を叩いていた。劇場を出てから一人で「柊」というスナックで飲んだ。流れていた曲がバーブ佐竹の「骨まで愛して」だった。六月になり高校卒の女子を含め大卒達に会社の命令により「高分子工学」の講義をした。当時は高分子工学は珍しいものでアメリカのナイロン、日本のビニロン程度だった。講義内容は「高分子工学の利便性と危険性」だった。この世に存在しない物質を創るのだから。これはC(炭素)を用いていろんな物質を作る。今では住宅で80%ぐらいは使用されてるし、車や携帯電話、それ以外にも沢山使用されてる。逆に病気を含め公害も数多い。
七月にお酒を飲みすぎ吐血した。日曜で寮に誰もいず、たまたま久山さんの奥さんの妹が来ていて気づき世話をしてくれ、久山課長の厚意により増山外科に入院し、慢性盲腸炎を切り取った。腕の良い医者で横隔膜を横に切り傷跡はほとんど無い。事業団創立間もなく増山外科から緊急要請で血液を運んだ。先生は私を覚えていて「飲兵衛元気で何より」と声をかけてくれた。大阪支店に配属されてからの事については、東京で青木が犯罪的行為をした事は別の機会に書く。

87日下 一男:2009/02/21(土) 11:49:08
続きを書きます。八月になり、いろんな勉強を教えて貰い「有難うございます」と言う事で高卒の女子職員が横浜中華街に招待してくれた事については以前に記しましたが、その為に最も勉強熱心だったのが二人の彼女達でした。武富さんは後にかなりの地位まで得てますので正に悪い人でないと出世しないのですね。
さて大阪支店に配属されてから暮れに「フミちゃん」から電話があった。「フミちゃん」とは入社後の十一月に渋谷の道玄坂にある「バー紫」で働いていた女の人です。住まいは三軒茶屋と聞いた事があるが。電話の内容は以下のとうり「どうしても話さなければならないわ。実はね。日下さんが大阪に行ってから話し合える人も無いもんだから淋しかった。ところがああ言う人(青木を指す)って話が上手いのね。親切に見せかせて店で酔った振りして「遅くなり、寮に帰るのも何だから一晩泊めてくれる。そうしてくれたら嬉しい」フミちゃん「いいわよ。日下さんのお友達だから」。ところがアパートに入ったら青木が「やらせろ。男と女だ」。それがフミちゃんにとっては最大の侮辱であった。「冗談もいい加減にしなさい。日下さんの事を思って泊めたのに」。「あんな奴の事を考えて無い」。「
そこで乗っかろうとしたので思いっきり首を絞めた」。諦めて帰った。「日下さんどうする?警察に届ける?」。私はしばらく考えて「そこまでする事はしないで、友達だから」。こう記している。青木理事長、以前にも「縁」について書いたが何処かで必ず繋がりがあります。拉致された田口八重子さんにも私は「縁」があります。池袋のキャバレーハリウッドで。高校の学年でクラスが違うが、今は彼は常務取締役になってる。
それからNo85に投稿された人へ。事業団にも立派な幹部もいるし職員にもいます。「
歴史」の真実を確認する為に沢山の人に電話したし、今までの投稿を読んで感想を述べた人もいます。現役の人は「あまり理事長の悪口を書かないで、意見があれば自分で言う」別の人は「意見具申は必ずする」など。
傑作だったのは五代氏だが、「これから事業団はどうなるだろう」と聞いたら「あの理事長では長く持たない」だと。多分このサイトを知らないのだろう。それから今はボランチアをしてる人だが「日下さんや青木さんの為なら何でも協力します」と言ってくれた。彼女は事業団に同窓会があると信じている。私はそれ以上の話は出来なかった。同窓会とは住所が分る人全てにそれなりの案内があるものだと思う。貴方が「辰己に来て」といっても正式な移転の案内状は届いていません。幾人かの人達もそう話しています。
改めて伝えます。剣道の事を記したのはそれとなく、理事長に礼儀を弁えて欲しいと希望したのです。

88検証者:2009/02/22(日) 22:35:05
日下様は去年から投稿なさってますが、応援したいのですが心事を述べて下さい。
「1」事業団の歴史について「2」礼儀や心について「3」就業規則の改正について「4」青木の性格について「5」幹部の問題について「6」赤十字との関係について「7」五代の問題について「8」紀平の問題について「9」財)日本血液研究所の存在について「10」皇族と宮内庁について「11」臍帯血事業について「12」在宅医療について「13」血液事業のあゆみについて「14」論談に投稿された記事(大槻と平久江)について「15」松永所長の関係について「16」有田美智世について「17」木村との関係について「18」退職と復帰について「19」清水勝との関係について「20」浅野茂隆との関係について「21」藤田と西林らとの関係について「22」芸能界との関係について「23」小川茂との関係について「24」恨みについて「25」松村との関係について「26」人脈について「27」酒について「28」守秘義務について「29」情報網について「30」尊敬する人物について
その他、思い出や反省、宗教戦争などについても記してるが、現在の心境を知りたいと同時に真実を述べて戴ければ検証できると思う。

89日下 一男:2009/02/22(日) 23:13:33
一度に沢山の書き込みに吃驚してます。頭の中を整理してから回答します。時間を下さい。別のスレッドでも途中なのです。いろんな思いは沢山ありますが、私の望みは、事業団に対しての愛着心から出てますので理事長を始めとして職員の皆様が誇りを持って職務に精進される事です。

90日下 一男:2009/02/23(月) 13:52:22
考えました。「検証者」さんはあまりにも詳細な事まで記していますし、古い話も多く、これらを知るのは数少ないです。
個人名を上げられた人達に心から御詫びします。
貴方は御自分の身分を述べず、沢山の質問をされてますがこれが「正しく礼儀を欠く」と言う事です。敵か味方か分りませんが、応援など必要ないです。これからも自分で思っている事を記します。多分、貴方が望んでいる部分もあると思います。投稿についてはメモしたので、順不同で触れていきます。
「献血供給事業団」が日赤と共存共栄する針路は1995(平成7)年に提言した「在宅医療に関する供給サービス(これはB4判で現状や将来予測も含むもので手書きのかなりの分量:青木理事長も持ってる筈)」しか選択の余地はなかった、と今でも思ってます。どこで羅針盤が狂ったのでしょう。職員の定年延長や幹部の役職停年もこれが「基本」になってます。無料で患者さんに届け、日赤の血漿分画製剤を販売出来て、IVH(高カロリー輸液)も届け、更には日赤の医師や看護師が患者さんの「心のケア」をする、廃棄物は持ち帰り日赤に御願いする、壮大な構想だったと思います。
青木理事長そう考えませんでしたか?セコムやワタキューセイモアなども血友病患者さんやIVH患者さんの名簿まで提供してくれたのに。通院で行く度にこの事業は事業団がやってたものだと落ち込んでいます。

91日下 一男:2009/02/23(月) 15:37:36
追捕:私が事業団に復帰したのが昭和61年3月ですが、この前後に、論談にも投稿してるが、日本政府は大きな方針の誤りをしています。1985(昭和60)年は日本は絶頂期にあり、米国は恐れていました。これにより経済面での日米戦争が始まっています。政府の誤りは大きく分けて(1)トロン計画、(2)放送網のデジタル化、(3)NTTの分割、です。いずれも検索すれば分ります。(1)(2)を推進し、(3)を中止してれば、現状の日本にはなっていません。いずれも大変重要なものでした。テレビを見る度にアナログの表示が出て不愉快です。トロン計画は当時東大助手の阪村健さんが研究していて、マイクロソフトのパソコンより千倍も早く立ち上げ可能な技術でした。経緯は検索で分ると思います。事業団でも大きな誤りをしています。木村氏が退職せざるを得ない事情が隠されています。また日赤とも軋轢が生じています。
   今日は皇太子殿下の誕生日ですね。雅子様や愛子様との一緒のお姿を拝見し、大変嬉しく思いました。
ところで、米国では国旗や国歌に対し非常に素晴らしい態度を示しますが、日本では法律があっても守る人は少ないですね。国旗はどこで手に入れるのでしょう。オリンピックでも国旗が掲げられる時に選手が国歌を歌う姿はあまり見かけません。この様な国は日本だけでしょう。
早く礼儀を弁えて欲しいです。事業団でも以前は団歌が流れていましたが。これも職員にとって大切な事ではありませんか。

92日下 一男:2009/02/28(土) 02:15:19
霜山先生の許可を得ましたので引用させていただきます。
帝京大ルート判決に思う:霜山龍志:
 いわゆる薬害エイズ事件の三大ルートのうち、安部英元帝京大学副学長が起訴されていた事件の東京地裁の判決があった。一般の予想に反して判決は無罪であった。
 以下に論点を整理して、この判決とそれに至る事実について論じてみたい。
*起訴事実
 本件起訴事実は、唱和五十五年に帝京大病院外来に来院した血友病患者に対して当直医が非加熱製剤を投与したものであり、安部被告はその「指導責任」を問われた。
 本件注射によりHIV感染が起きたことは、たまたま以前の患者血清が残っていたために、遡及的に調査した結果、注射の前後でHIV抗体の陽転が起こったことで証明された。HIV感染がその後のエイズ発症と死亡の原因であることに争いはない。
 したがって、本件は血友病患者一三四二人が感染し、今日までそのうち五O五人が死亡したとされる薬害エイズ事件の中の一症例にすぎず、安部被告の指導的医師として責任を法社会学的に問うための試金石ともいうべき訴訟であった。
 しかし、残念というべきか、それは方法論的には稚拙であり、唯一筋がよかったのは、非加熱製剤の注射とHIV感染の因果関係だけであって、安部被告の指導責任(いわゆる業務性の問題)と非加熱製剤注射によるエイズ発症の予見可能性の問題については、困難が横たわっていることは当初から予想された。
*判決の構造
 業務上過失致死罪における業務というからには、被告がその業務を直接・間接に実行したものであることが構成要件であるから、安部被告が当該救急患者の非加熱製剤注射に対して、直接の指示をしたことが明らかでないにもかかわらず、その業務性を肯定するとすれば、帝京大学病院として血友病患者には非加熱製剤を注射しなければならないという事実上の内規が安部被告の独断によって制定されていたことを証明しなければならなかった。判決は、この点についてよりゆるやかな疎明でよいとし、証人らの証言から業務性を肯定している。
 一方、予見可能性については、医療の水準論の問題になるが、最高裁判例(昭和六十一年など)は、医師のなすべき注意義務はは民法上の善良な管理者としての注意義務を超え、人命をあずかるという高邁な職責に照らして、危険防止のため実験上要求される最善の注意義務でなければならないとし、その水準は当時の臨床医学の実践における水準であるとしている。
 この観点からみると、判決は当時多くの医師が血友病患者に非加熱製剤を投与していたのであるから、安部被告がいかに血友病治療の第一人者であっても、その行為を指弾することはできないとしている。この論理構成自体はまっとうなものであると考える。
 しかし、問題は原告側も指摘しているように、HIV研究班班長であり、止血血栓の権威といわれた医師による”非加熱製剤問題なし”という判断が全国の医療レベルを制約していたことは確かであり、この点に”原因において自由な行為”にも似た新たな論点の定立を認めるべきではなかったか。
 (まだ続く)

93日下 一男:2009/02/28(土) 10:38:07
 一方、そうした権威者としての責任を問うとしても、現実に非加熱製剤以外の選択肢があったかという問題は、特に民事訴訟であれば問題になろう。この場合は加熱製剤が承認されていなかったことが致命的であり、その原因にも被告自身が関与しているらしいという複雑な要因が垣見られる。さらに、安全と考えられるクリオ製剤の無視については録画テープまであって、被告がこれに積極的に関与したことは事実であり、この点における被告の責任は無視できないところである。
 判決は以上の点の多くに言及したが、特に治療の選択肢に関する被告の責任についての被告部下医師らの証言を「後日の供述」として退けた。そして予見可能性の程度については低いとし、注意義務違反を認定しなかった。判決の論理構成には破綻がなく、いくつかの複雑な法的技術論が残るというしかない。
*責任論
 大阪地裁でのミドリ十字三社長の実刑判決との落差に憤る方もおられるであろうが、本件は当初から複雑な問題を抱え込んでおり、それは通常なら患者側に立つはずの東大の本田医師グループ(脳死移植で医師らを殺人罪で告発)や弘中弁護士が安部被告側に立ったことでも明らかである。
 それは安部被告本人が、「自分は医師として努力はしたが、能力が足りなかったかもしれない。しかしそれについては謝罪することはできない」と言っていることにも窺われる。つまり、HIVというような新しい感染症の出現にあたって、果たして止血血栓の大家が正しい判断をすることができたであろうか。感染症学やウイルス学の大家こそ、それに責任を持って答えを出すべきでなかったかということである。事実、研究班にはウイルス学の大家が二人(注:多分、安部英教授と塩川優一教授だと私は思う)もいたのである。
 研究の初期には全貌は見えないものである。確かに一九八五年の時点で、帝京大の血友病症例四三例中二八例に陽性反応は出ていたが(ギャロ博士への依頼検査)、これがいわゆる非特異反応でないという証拠はなかった。安部被告が感染率や発症率を低く見積もっていたのは故意ではなく、結果的な予見能力の欠如というしかない。
 ことほど現代の常識から過去を裁くことはやさしいが、その常識そのものが、HIVと苦闘してきた患者や医師および多くの人々の努力によって得られたことを忘れてはならないと思う。
 確かに阿部被告には、製薬会社との関係で怪しい点はみられるけれども、われわれは人の内心にまで立ち入ってその非を鳴らすことは控えなければならない。結果としての行為が故意であるか過失であるか、はたまた能力の欠如による過誤であるのかの問題に尽きるからである。
(まだ続く)

94日下 一男:2009/02/28(土) 13:22:16
*結語
 この事件後、厚生省の裏庭に薬害防止の碑が建てられたという。顧みれば、HIV研究班に提出された帝京大の血友病症例が、わが国のエイズ第一例に認定されなかったことに薬害エイズ事件の暗い胚胎があったと思われる。このことが、当初はあれほど血友病患者のHIV感染を心配していた安部被告の心に闇をもたらしたような気がしてならない。
 一審は無罪であったが、法論理構成はいかようにも変えられるので、上級審これを堅持するという保証はない。被告にとっても被害者にとっても、長い戦いが続くのであろう。
 一方、薬害エイズ事件がとりわけ血液製剤の安全性に対する関心を惹起し、今日血液製剤のウイルススクリーニングは核酸増幅検査という最先端の技術を応用するまでに至った。しかしながら、医療に限らずこの世の行為は、常にその効果と危険の比較衡量の上に行われているのであり、100%の安全や100%の無謬を期待することは誤りであろう。医療従事者、患者そしてその家族がこのことを十分認識して医療行為を選択する時代に入ったといえる。
                      (日本医事法学会会員)
これが日本医事新報No4020(2001年5月12日)に掲載された霜山先生の論文です。
 論評については後日にします。と、言うのも別の本「AIDS−その現況と対策ー順天堂大学医学部内科講師松本孝夫、高橋浩文 共著 ライフ・サイエンス発刊 1987年」に当時の厚生省AIDS対策専門家会議委員長(順天堂大学名誉教授)塩川優一氏が「発刊に寄せて」と最初のページに一面全部を使って書いてます。年月日は1987年3月15日付です。
 しかし、この年月日には私は疑問を感じます。これが正しいとすれば事業団の現理事長の青木氏が委員になるのは難しいと思います。少なくとも私が退職したのが昭和57年10月31日ですから、その直後に海外に調査に行っても帰って来るまで、時間的に委員になるのが可能なのか、米国やベリーズなどでの調査はそんな短期間では無理だと思います。空白なので、青木がいつからいつまで出かけていたのか、事業団関係者で分る人達が読んでいたら教えてください。

95日下 一男:2009/03/02(月) 00:04:39
HIVやエイズについて凡そ分りました。それでは「AIDS−その現況と対策」の「発刊に寄せて」を記します。
 今や、AIDSは世界的に大きな問題になっている。ところが、わが国では、最初、患者が男性同性愛者、血友病患者などの間に発生したこともあって、他人事のように受け取られる傾向があった。ところが、今年1月、神戸で女子のAIDSの症例が報告され、さらに高知において抗体陽性女子の出産があるなど、AIDS問題は俄かに身近に迫って来た感がある。
 著者らは、私とともに、すでに1983年という、日本としては非常に早い時期からAIDSの問題に取組み、1985年には、わが国のAIDS第1例を診断、厚生省に報告した。すなわち、わが国のAIDS学の草分けであり、今後の活躍が期待されている。今般、AIDSに関する著書を発刊されるというので拝見したが、最新のAIDSの知識を図解で示し、さらに自己の豊富な臨床経験を交えて記し、誠に立派な本であると感心した。
 この本によって、AIDSの正しい知識が広まり、また、臨床医家の日常のAIDSの診療の役に立つことを大いに期待するものである。以上、推薦の言葉とする。
             1987年3月15日
   厚生省AIDS対策専門家会議 委員長
   順天堂大学名誉教授 塩 川 優 一
以上が塩川先生の文章です。皆さんどの様に読まれましたか。ここでは論評はしません。
シオヤマ先生のスレで帰します。ここは事業団について投稿するところですから。でも多少は青木理事長も小委員会の委員として活躍してますね。

96日下 一男:2009/03/03(火) 16:33:34
以前に記したdisk・floppyの分類表が見つかりました。当時の国会図書館でのコピー代は高く、新聞紙からの記事は一枚で20円、マイクロフイルムからの記事は一枚で70円でした。午前であれば当日、午後になれば翌日に受け取りが可能でした。
分類は次のとうりです。1)血液2)輸血3)買(売)血4)献血(輸血の申し出・美談など含む)5)血清・ワクチン6)日本赤十字社(関連する皇族・医師・看護婦・人事、一般行事、外国の赤十字)7)医大・医専など8)病院(診療所、療養所)9)診療(無料診療、移動診療)10)医師(学位授与、医学士、医学博士、事件、死亡、自殺)11)薬剤師(前記に項目に同じ)12)看護婦(夫)(事件、死亡、自殺など含む)13)産婆(助産婦)(前記項目に同じ)14)人物・学者(ノーベル賞や表彰など、著名人・下記余白参照)15)学会・学術関連(医学会、医師会、学術会議、発明・発見報告など)16)法律・規則(健康保険法、救護法、衛生組合法)17)保健1(保健所、栄養・栄養調査)18保健2(育児・赤ちゃん表彰、健康優良児、乳幼児・児童)19保健3細民(貧民・カード階級)、欠食児童、飢餓)20衛生1(食中毒、ガス中毒、寄生虫、毒ガス、防疫関連、ハエ取り)21衛生2(大気汚染、海洋汚染、騒音、上・下水道、し尿処理)衛生3(理髪、浴場、氷菓子、牛乳、食肉、禁酒)人口1(国勢調査、人口調査・問題)人口2(産児制限、優生相談、結婚、遺伝)人口3(乳幼児死亡率、長寿、高齢者、寿命・生と死)26臓器移植27犯罪(麻薬密輸、偽医者、堕胎事件、狂言、誇大広告)28療法のQandA(投書によるもの)29漢方薬(一般野草を含む)30医薬品(合成薬、ビタミン、ホルモン)31コレラ(法定伝染病の1つ、コロリともいう)32赤痢・疫痢(法定伝染病の1つ、細菌性とアメーバ赤痢がある)33ペスト(法定伝染病の1つ、黒死病ともいう)34チフス(法定伝染病の1つ、腸チフス・パラチフス・リケッチア)35しょう紅熱(法定伝染病の1つ、小児に多く赤い発心)36天然とう(法定伝染病の1つ、仮とうも含む。とうそう・ほうそう)37ジフテリア(法定伝染病の1つ38脳脊髄膜炎(法定伝染病の1つ、髄膜炎・脳膜炎)39日本脳炎(法定伝染病の1つ40結核(結核予防法・1951年公布による処置)41届出伝染病(インフルエンザ、狂犬病、たんそ、伝染性下痢症、百日咳、黄熱、麻疹、急性灰白髄炎、破傷風、マラリア、フィラリア病、回帰熱)42一般の伝染病(レプラ・ハンセン病・らい病、デング熱、トラホーム・トラコーマ)43がん(癌)44糖尿病45その他の病気(眠り病・嗜眠性脳炎・アフリカ嗜眠病など、おうむ病、職業病、日射病、肺炎、風邪)46奇病・奇形(航空病、角男、原因不明)47動物の病気(豚コレラ・ペスト、おうむ病)48歯科関連49発行物(医薬新聞・雑誌など)50その他
以上の50に分類してます。ですから事業団の項目は有りません。

97日下 一男:2009/03/07(土) 09:02:42
上記のフロッピーは、昭和元年から昭和5年までのものですから、献血供給事業団の分類項目がないのは当然のことです。
輸血と言う項目があるのは当り前の事ですが、すでに「献血」という言葉があるのには驚きです。記憶にあるのは軍隊内での事故の時や、政治家の暗殺に絡んだ輸血の際に国民が「献血」をした事実や、その他病院での「患者さん」の為に「血液の提供=献血」などです。
昭和6年以降は事業団に記事が必ずあるはずです。記事のコピー代や私の給与を含めれば多額の金額になります。
青木理事長を始め、職員の皆様、いや国民にとっても貴重な資料です。是非ともこれらの記事を分類して事業団が残すよう強く希望します。赤十字社といえどもこれからこの作業をするのは難しいでしょう。
それだけの貴重なものと思ってます。編纂して下さい。

98物見遊山:2009/03/09(月) 15:34:27
事業団関係者からの
話がまるでない。
なぜ?

99日下 一男:2009/03/12(木) 12:50:24
 青木理事長へ。「献血供給事業団何でもコーナー」が消えたと思って安心するのは早い。これから記す文章を読んで当時の事を思い出してもらいたい。
 1986(昭和61)年3月18日(火)に城北支所の私の部屋に中澤業務第二課長補佐が来室した。内容は血漿分画製剤の販売についてだが、昭和55年から56年当時の貴方の指示により、ミドリ十字のフィブリノーゲンやその他の製剤についての話です。随分酷い指示をしていたのですね。
 貴方は最後に村上先生まで裏切ったが、村上先生は常にフィブリノーゲンの危険性について話していたではないですか。私も同様に聞いてますよ。コーン分画で抽出される一番早い凝固因子であるのを。それを知りながらノルマを強要するとは。ここで全文を書いてもよいが、それでは貴方の品位に傷が付く。じっくり反省してもらいたい。
 思い出せないなら全文を書いても良い、と私は考えている。勿論一番問題なのは行政にあるが。

100日下 一男:2009/03/12(木) 13:12:45
付記しておきます。当然ですが彼の話だけではいけないので、当時業務二課に所属していた職員からも(数人)裏付けは取っています。

101日下 一男:2009/03/13(金) 07:56:49
このスレも過去や現在、未来について、更には司法や立法、行政についても論じるのに是非とも必要です。

102シモヤマ:2009/03/13(金) 09:27:04
エイズ薬害は血液事業の喉に刺さったとげのようなものですね。でも、これを適切に乗り越えていかないといけません。

103日下 一男:2009/03/13(金) 13:17:10
この件については近い内に必ず調査した内容を先生の立ち上げたスレに投稿します。小委員会の委員になった青木の私に話した内容が余りにも違いすぎるので。青木は私にこう話していたのです。「心配ない。これで非加熱製剤は使用出来なくなる」と。

104日下 一男:2009/03/19(木) 19:29:25
 青木理事長いや青木に読ませたい本がある。(財)日本血液研究所にいた時に山本峯章氏が私に贈呈してくれた『「NO」と言える日本』への反論、という本がある。
 その表紙に「友情」と「国威」の欠如が日本の致命的なウイークポイントになる!と書いてある。これを今の事業団に置き換えて考えてみたら。
 この本の「はじめに」と「あとがき」の文章がある。1990年 八月 盛夏のマニラにて 
こう後書きしている。出版社は大陸書房である。この人については検索出来る。その「はじめに」でこう書き出している。それを引用するのでじっくりと考えて。
 一九八九年の四月、西ドイツのシュミット前首相はニューズウイーク誌のインタビューに応じ、こう述べている。
 「国際社会において日本は真の友人を持っていない」
 シュミット前首相の口から「友人」という言葉が飛びだしたのを、このとき大方の日本人は意外な思いで受けとめた。
 友人を持たない国家ー日本人の心胆を寒からしめるおそるべき指摘。
 しかし大多数の日本人は、この発言の「意味の重大さ」にすこしも気がついていない。
 そこが国際オンチ日本人の、国際オンチたるゆえんである。・・・・・以下は省略する。
 これが事業団や青木の存在によく似ている。反論したくても出来ないだろう。

105日下 一男:2009/03/27(金) 14:16:22
青木理事長、全く返事がないのはどういう事だ。貴方は木村さんが心臓手術をした時に仲間と喜んで酒を飲み「乾杯」までしたと聞いたが、貴方は人間失格者だと思うが。
もう許せない。霜山先生に出来るだけの書類を送るつもりでいる。そしたらその中から青木の悪行について書くかもしれない。
事業団を擁護してきたが、職員からも定年延長の御礼の書き込みもない。全く礼儀知らずの連中だ。こんな組織は正に日赤の寄生虫だ。

106いらっしゃいませさん:2009/03/29(日) 15:43:59
>>101
日下様言うとおりでしょう。
日和見主義の固まりみたいな物だね。
たとえ、悪い事が発覚しても、見て見ぬふりをする者が正しく、それを
改めようとする者を徹底的にいたぶる体質があるね。
それで関係のない者が何人も辞めさせられた話も聞いてるし。
日下様の言うとおり、正に日赤の寄生虫ですね。

107暮川:2009/03/30(月) 00:42:31
おそらく、事業団の連中は書き込みはしないでしょう。
もし、そんなことをしてばれたら村八分どころじゃ済まされないでしょう。
そう言う思いをした奴はウジョウジョいるからね。センターの人間がよく
そう言う話を聞くけどね。日赤が全部やればいいんだよ。それが出来ない
のだったら、病院みたいに民間に委託したらどうだい。

108日下 一男:2009/03/30(月) 14:05:50
 その通りでしょう。もう事業団の役目は、昭和天皇が御病気になり輸血の血液を日赤の車でなく事業団の車を使用した時点で終えたと思います。
 しかし、日赤も大変でしょうがやはり供給は日赤がやるべきでしょう。
 先週の水曜日に病院に行ったら偶然、田辺三菱のプロパーに会ったが遺伝子組み換えのアルブミンの話をしたが、データ改ざんとは関係なく医療機関では薬価の点で外国製品を圧倒的に使用してると。半額で済む事が理由です。だから日赤も事業団も太刀打ち出来ないでしょう。
 この様な状態では血漿分画製剤の販売は事業団は赤字だと思う。当然日赤も。これで青木が退職金を貰うなら泥棒呼ばわりされても仕方ないと思う。青木は十分給料を取った筈だ。「心」があるなら今からでも無給にして、退職金も辞退すべき。

109日下 一男:2009/03/31(火) 12:35:27
今日、退職される人達がいると思いますが、厳しい中で事業団の為に尽力されました事に「感謝の心」を述べます。
本当にご苦労様でした。皆様の今後の活躍も期待してますし、健康にも充分留意されますように。
また、今後も在籍される職員の皆様の健康を祈念します。

110シモヤマ:2009/04/01(水) 03:36:31
供給を事業団が担当したのは経済的可塑性の観点もあると思いますよ
Hセンターでも大八因子国内自給の平成2年に供給課の半分は嘱託職員になりましたから
つまり供給にはたいしたスキルはいらないと思われているんですよ。
もっとも昨今のGMP
というのが手順さえあればだれでも作業ができるというのですから何をかいわんやです。

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112日下 一男:2009/04/02(木) 15:36:16
 就業規則を改正する前は「出向」について条文が入って無かった。事業団が笹川会長の事務所で秘書をしていた北田靖則の給料を支払い続けていました。
 これを最初に記事にしたのが、1995年(平成7年)8月30日(水曜日)の毎日新聞だった。この時の一問一答で北田は「笹川議員が落選しても事業団に戻るつもりはない。」と回答してる。
 更に1995年(平成7年)9月19日(火曜日)毎日新聞(夕刊)で「笹川議員の選挙も応援」「献血供給事業団:カラ出張で費用ねん出」「72年から運動員派遣」と報道してる。この間にいろんな報道機関が報じています。
 本来なら北田は逮捕されてる。

113日下 一男:2009/04/03(金) 07:36:36
これに先立つ1993(平成5年)4月19日に三通の木村雅是専務理事についての怪文書が毎日新聞に匿名で届いています。
これの裏づけを取るために尾崎記者がのりだした。
1つは=木村雅是専務理事の行動について=
1、公金の引き出しに関して
 平成3年9月以降、数回に亘り最高額3千4百万円の公金を経理課長に無理を言って引き出させ、理事長に無断で使途不明の使用をしていた。
 そして本年3月末に決算のため経理課長が返済を迫り、残額2千万円を返済した。が、4月5日に再度2ケ月間出金するよう経理課長に命令したので、経理課長は出納責任者である局長、理事長の許可を得なければ出金できないと拒否、木村専務は局長、理事長に申し出たが拒否され、出金されなかった。
2、裏金づくりに関して
 平成2年11月13日の起案により、職員社宅借入の架空の賃貸契約(月30万円で2年間)を作成させ、決裁を受けるため田中理事長にいろいろな説明をしたが、十分な説明になっていないため更に説明を求めたところ、最後には『笹川会長の世話をするための裏金である』旨を説明したが、理事長は「その必要があれば正式に支出しよう」と、これを拒否し廃案とした。
2−木村雅是専務理事の役員としてふさわしくない行為ー
1、部下、役・職員の進言を一切聞き入れない独裁的な姿勢である。特に、不動産等、大型物品購入にあたり、全て自分の先決事項として他の介入を許さなかったこと。
2、公用車(センチュリー)を個人の専用車として使用し、修理代、ガソリン代など全て事業団に負担させた上、通勤手当てを要求し受給していること。この自動車は平成元年5月〜6月に、渡辺喜美氏及び伊吹文明氏より3千4百万円の寄付を受けた直後に購入するよう命令し、反対を押し切って平成元年8月購入した。
3、永年に亘り、出社時刻が極めて遅いこと。(常時10時30分以降)
4、昭和62年8月25日より現在に至るまで、引き続いて低利で公費を借入していること。(1千5百万円・決裁あり)
5、複数の職員から借金をしていること。一部未だ返済していない。
6、建物、自動車などの損害保険を全て自分の経営する木村保険事務所の扱いにするように命じていること。
7、交際費の使用が極めて不透明であること。
8、専務理事室に専用電話を設置させ、個人的な使用に供していること。
9、反社会的な行為の疑いが持たれていること。(韓国・セイユウ開発元社長ミン氏から1億円を騙しとり、返済を求められているらしい)。
 同じ日付でもう一部あるが急用が出来たのでそれについては後日にします。但しこの三部とも当時事業団が使用していた東芝製のワープロで書かれている。私は工学部出身、どこの製品かぐらいはわかる。製品は会社により特徴があります。この怪文書は東芝のワープロで書かれたのは間違いない。大学の同期に2名の仲間が社員で勤務してたし、財)日本血液研究所で略語の辞書を作成する時もこの仲間の人からワープロを借りて専門家に記してもらった。

114日下 一男:2009/04/03(金) 22:55:12
 では、怪文書の続きを書きます。日付は同じ平成5年4月19日です。
   木村雅是専務理事の行動について
1、軽井沢保養所取得に関して
 当該土地が国税及び都税の差押え物件であることを知りながら、団内には無傷の物件であると偽り、取得について理事会の承認を受け、昭和62年6月12日、他の役職員の立ち合いを避け自ら直接売買に当たった。購入代金2千5百万円の現金を準備させ、そのうち5百万円をリベートとして相手方から受けとり、着服したと思われる。
 売買成立後、登記書類の提出が無いので竹内理事長が登記書類の提出を再三求めた結果、後日になり差押え物件である事が判明した。差押え解除について木村専務理事が責任をもって行う旨約束しているが、現在も解除されておらず、不審に思って調査したところ木村専務理事がリベートを受け取っているらしいことが明らかになった。
2、財団法人 日本血液研究所に関して
 当該財団は、前・田仲基宏理事長(横浜市・田仲病院院長)の後を受け木村氏が理事長を引き受け、事業団の第二財団として活用しようと目論み、木村氏が竹内理事長を説得し、城北支所建物の一部を無償貸与するなど、便宜を計ってきたものである。
①木村氏の友人・初鹿野裕氏に事務局長就任を条件に、1千万円を要求したが、初鹿野裕氏は当時、経営していた会社が倒産したため財政状態が悪かったので、立て替えた兄・初鹿野誠氏から昭和62年11月20日に受領、着服し、事務局長に任命した。
②初鹿野裕氏が兄の借入金の金利支払いもままならないと窮状を訴えたところ、昭和63年1月から平成4年6月まで初鹿野裕氏を事業団嘱託として採用し、月額25万円〜28万円の給料を支払った。一方、平成3年5月より平成5年2月までの間、初鹿野氏に月額15万円を提供するよう要求し、木村雅是名義の第一勧業銀行六本木支店普通預金口座、口座番号1701151に振り込ませ、計3百45万円を着服した。
③平成4年3月26日、研究所理事会に諮らず竹内実孝理事を退任させ、歯科医・橋本康司氏を理事に就任させ、自らは理事長を退き橋本氏を理事長に就任させた。これは、平成4年3月7日、大阪・日航ホテルで、木村・橋本会談を行い、1億円で木村氏が橋本氏に財団法人 日本血液研究所を譲渡する交渉が纏ったことによる。
 平成4年3月13日、事業団専務理事室に橋本氏代理人松下氏が訪ね、財団譲渡の覚書きを調印し、第一回目の2千万円の現金が手渡された。第2回目は4月24日2百万円、第三回目は7月31日3千5百万円、第4回目は8月31日1千5百万円と現在までに合計7千2百万円が専務理事室において現金で渡され、木村氏が着服した。
 残金2千8百万円の支払いについて、連日のように木村氏から電話による催促があるが、当初の売り込みの時の話と異なる部分が出ているようで、目下のところ支払いが停止されている。
以上です。この文を読んだ皆様はどんな感想をお持ちですか。これだけ綿密に書けるのはただ一人だけです。はっきり言います。青木理事長以外にはいません。
青木自身が認めているのですから日赤は遠慮せず、賃貸料を貰ってもよろしいのでは。それとも何らかの便宜をしないと駄目なのですか。

115日下 一男:2009/04/04(土) 10:21:44
 この怪文書が事業団内部で問題になり、暫くしてから木村さんから城北支所で仕事をしていた私に電話連絡がありました。
 これに対して1993年5月5日付で木村さんに返事の手紙を書いています。次のようにです。
 この度の件について、木村さんより電話を頂くまで、どのようなことが事業団内部起こっていたのか、私には詳細な事は分りませんでした。ですからその後、何度も繰り返し考えてみたのですが、釈然としないものがあることも事実です。
 5月1日(土)に元理事長の竹内さんへ電話をしまして、ある程度の様子は理解できました。連休明けには初鹿野さんにも話を聞こうと思っております。
 私自身、ここ数年来事業団の職員の人達とは深い交際もありませんでしたし、知ることと言えば、書類上のものや、事務連絡的なものが大半です。また私の事務所となっている3階を訪れる人もほとんど無かったのです。ときたま部屋に来たのは藤野さえちゃんで何かを伝えたかったようですが、結局はさえちゃんが京都が好きらしく、その話をしてましたが部屋を出る時の後姿は寂しそうでした。手首には傷跡がありました。
 初鹿野さんのことについても、今ふりかえってみますと、仕事や家庭、そして木村さんや事業団に対する見方、考え方など、こころから話し合っていたような記憶がほとんどありません。
 以上のようなことから、木村さんの望まれる事柄が含まれているかどうか分りかねますが、記憶にあること、並びに私の思うことを記します。
 事業団創設以前からの仲間同士が何故このようなことになったのか、ただただ涙も枯れる思いです。大黒柱として、事業団の指針や理想、そして血液事業やそれに関する諸問題等に熱情を示された木村さん、そしてそのことをよく理解し、協力し合った青木部長が、現状のようなことになったのか、全くもって不思議なことですし、私にとって事業団にいなかった空白の時間が、より事態の把握を困難にしているようです。
 ただ竹内さんが話していた「青木君は職員採用の際、君達を全く違う評価をするので何か問題がある」と言ったことは忘れません。また、事業団に戻った時に木村さんが話した「日下君を事業団に戻す時に最も反対したのは青木だ」という言葉も忘れては居ません。
「初鹿野さんについて」
 城北の事務所で同室になったのは昭和62年の初めのように記憶しておりますが、それ以来数年間のつきあいになります。
 日血研のことに関しては、職務上なのか、秘密主義的な要素があまりにも多く、満足に理解出来てるものは皆無といってよいでしょう。
 当初からお客さんが相当数事務所に出入りし、又100人以上からの名刺も私自身所持しておりますが、その後、つながりがある人は少人数のようです。
 日血研の経理状況については、更に深いヴェールの奥で、神奈川県に出す書類も誰か(多分、松沢さん)に作成させていたようです。
 長い間共通の話題になったのは、センサーテクノスの島村先生の仕事の進み具合などで、それ以外の話題はあまりありません。
 通常、城北の事務所にくるのは午前10:30〜11:00で、午後からはほとんどおりませんでした。
 木村さんのことについては、20年来のつき合いということで、”彼の事情もあるので、協力しなければ”というのが日頃の口グセでした。私には、裏で何かしているようでそのようには感じませんでしたが。
 ただ昨年の秋頃からあまり事務所にも来なくなり、たまに来ても考え込んでいる様子でした。私の仕事もその頃から国会図書館で行うことが多かったので、最近ではほとんど対話もありませんでした。又最近まで電話の問い合わせに対しても、日血研の理事長は木村、事務局長は初鹿野と答えるが、私にとっては普通のことでした。
 私からみた初鹿野さんは、人づき合いは良いと思うし、少々義理堅いところがあるようです。ただ細心さに欠けるところもあるようなので時として困ることもありました。
「2」青木部長について
 事務官吏としての姿が頭に浮かびますので、是々非々の判断はなかなか示さないようです。逆に言えば煮え切らない。余りアクの強さがないので一般職員には受けが良いと思います。(時として学歴コンプレックスと感じるのですが)卒業大学に対する各職員に示す態度には、奇異と感じることもありました。
以上が木村さんに対する私の手紙の内容です。

116日下 一男:2009/04/05(日) 08:09:34
付記しておかなければならない書類があります。この三通の怪文書が匿名で毎日新聞に送付された翌日、つまり平成5年4月20日付けで、田中理事長宛に木村雅是氏が誓約書を提出するよう求めた文書があります。
木村氏の住所は当時の住居:大田区千鳥で、本人欄は空白(ここに本人が署名するよう)、連帯保証人(住所と氏名は空欄で木村氏との続柄)。
誓約書 私は、誠意をもって下記の6項目の約束を果たすことを誓約いたします。
記 1、下記物件が競売に付された時には、その競売金額を私がお支払い致します。財団法人献血供給事業団には一切ご迷惑はお掛け致しません。①土地 長野県軽井沢町大字発地字本富沢517−287 337.12平方メートル 2、平成5年5月31日までに、現在、財団法人献血供給事業団から借用している1千5百万円を返済致します。また、事業団職員から借用している借入金についても同日までに返済致します。 3、今後、財団法人献血供給事業団に損害を与えている事項が発見された場合、その損害に対し全額を弁償致します。 4、上記の支払いの担保の証として、次の土地・建物について貴事業団での抵当権の設定を承諾致します。①土地 東京都大田区千鳥・・・・・・の宅地・・・・・平方メートル②建物 同上敷地に建つ木造2階建て 2棟③  ④  ⑤  ⑥  5、上記の支払いの担保の証として、私・木村雅是の役員退職金の全額を財団法人献血供給事業団理事長に預託致します。 6、上記の誓約を遵守しない場合には、貴・財団法人献血供給事業団から特別背任、業務上横領などの刑事告発を受けても当然のことと覚悟致します。 以上 添付すべき書類 1、本人、連帯保証人の印鑑証明書。2、担保に付すべき不動産の登記に要する一切の書類。

以上ですが、私からみればこのような処置がなされるなら、長尾義光の件はどうなのか、あまりにも翌日とは早すぎる、現在の隠蔽体質はどうなのか、などの疑問が沢山あります。
かつて、事業団は山口商店とか木村商店などと言われましたが、言論の自由はあったし、良いものは採用する、人材教育はする、などがありましたが、今の青木商店はどうなのですか。

117日下 一男:2009/04/06(月) 21:08:55
1994(平成6)12月8日(木)付で、青木の一日に亘る詳細な書類がある。
以前にも書いたが藤田部長が会議で問題とする件について。
昨年木村さんに会った時、大変興味を示した。「コピーして
尾崎さんに送りたい」と話していました。その折に出た話が
上記してきた怪文書のこと。
それに関連してる。木村さんは「通帳は青木が管理してた」と
話していた。当然だろう。木村さんは大雑把な性格だから。

118日下 一男:2009/04/07(火) 07:12:33
これまで書いてきた文章の流れからでは、理解出来ない人達もいるでしょうからもっと具体的に書きます。
木村さんは、田中理事長に誓約書を提出後に責任をとって非常勤顧問になりました。
1994(平成6)年3月29日(火)に理事会が開催されて、木村さんを含めて4名の非常勤顧問が全て解任されました。
この時、村上省三先生は理事を辞し、二の宮景光先生を入れ替わりに理事にしました。また事業団の将来を考えて藤田賢二郎部長と西林靖紘部長を理事に推挙しました。
村上先生は長年付き合った木村さんが事業団を去る事を是とせず、行動を共にしたのです。青木は村上先生を邪険にしたからです。これに対し村上先生もせめてもの抵抗と二の宮先生を理事にしたのです。
青木はすでに事業団を辞した木村さんに対する内部告発を、1994年12月初めに毎日新聞に匿名で投稿したのです。藤田部長が問題にしたものがこれです。
青木の執念深さは目にあまります。以前に書いたような性格異常者です。これを見抜けなかった笹川会長がその後に新聞記事になるとは思わなかったでしょう。青木は木村さんを追い詰めようとして、笹川会長の事務所の件が出てきたのです。正に墓穴を掘ったのです。

119花粉症:2009/04/09(木) 22:12:56
>>118
日下氏の言うとおり、青木は恩を仇で返すことが平気な身勝手な
人間だと言う事ですね。現に事業団ないでも、青木に尽くして
捨てられた輩は大勢いるようなので。

120日下 一男:2009/04/10(金) 12:40:54
もう少し回想録を調査しないといけないのですが、とんでも人物が浮上しました。
その人物とはズバリ中澤政夫です。どうも彼が青木のスパイとしての役割をしていたようです。
彼は五代と同じ相互ブラッドバンクから入団してます。木村さんが業務課長時代に血漿分画製剤販売に関っていたし、今職員が夏に利用している施設を紹介したのも彼で、また財)日血研の問題にも深く関っている。
熱心に日赤の製剤の販売をしてた小川茂の上司の部長になったのは、青木からの論功行賞ですね。五代が強大な実権を持ったのには、これで納得出来ますね。
詳細については後日に記しますが、初鹿野のような詐欺師と深い関係が当時ありました。さくら薬局の館野さんを紹介してるし、館野さんは私に「初鹿野さんから資金提供の話があった」と相談しています。私はこう答えています。「そんな危ない話は断るように」でも後に館野さんは50万円を出した、と言ってましたが結局お金は返金されませんでした。
青木は正に異常者です。犠牲者は沢山います。

121日下 一男:2009/04/10(金) 21:54:21
回顧録を読んでたらもう一人の重要な人物がいました。彼は西林靖紘です。天皇陛下の輸血に際しての部長会で「事業団の車を使用する。日赤の車は絶対に使用しない」と発言してます。
彼は部下に対して傲慢な態度だったので木村さんから怒られた事もあります。彼は確かに優秀でしたが、総務部長には適してなかった、と思います。むしろ学生時代から木村さんと献血運動をした藤田賢二郎氏が総務の経験もあるので適任者だったと思います。
余談になるが西林は事業部長時代に何らの実績を残さなかった五代を厳しく管理したので、五代はストレスで頭に丸禿げが出来ました。

122辰巳橋:2009/04/11(土) 21:15:58
>>120
中澤政夫といえば、肝炎で木村さんにさんざん世話になって、
今度は青木に乗り換えて・・こういう奴って何処にでもいるん
だよね。こういう奴に媚び売られてだまされる奴の方が悪い
な。事業団で木村の退治に一躍腕を貸した者を、愚か者と
して一斉削除された大馬鹿どもの方がもっと可愛そうかも。
私も、青木は異常者だと思う。

123日下 一男:2009/04/12(日) 11:48:35
「辰巳橋」さんに対する反論を、私は持っていないです。ですから自分にも責任はあります。これは率直に認めなけばなりません。
しかし木村さんの退治に腕を貸しては居ません。これは木村さんと昨年お会いした時にこう話しました。「青木の巧妙な策略に日下君は見事に引っかかったのだ。余りにも人を信じる心を利用されたのだ」と。
ですから間接的に私にも責任があります。
要するに、退職してから復帰するまでの空白の時期に事業団で何が起きたのか今でも把から無いのです。
退職する時点では笹川氏は事業団の運営には全く関っていません。復帰した時には会長として絶大な権限を持っていたのです。
既に記してますが「木村さんが理事長になるべき」と当時の竹内理事長に抗議したのも事実です。それも3回も。
次期の理事長になった田中明氏を甘く考えていたのです。私がその折に話した事の重大さをもっと深く考えなければならなかったのです。
復帰してからの親睦会の旅行でも私は一度も青木部長と呼びかけた事もなく、青木と呼び捨てにしたので職員から苦言も出た事もあります。
職場においては常に「○さん」と話しかければ良いのでは、青木に話したのですが採用されませんでした。
また事業団が日赤と共同共存する道は「在宅医療の分野」であった事は今でもその信念に変化はないです。
この纏めた文書は部長会に提出しないで、青木が隠したと思われます。木村専務理事や田中理事長から一度もこの文書について話題になった事はないです。あるいは田中理事長は知ってるのに、木村さんを追い落とすのに夢中だったので、木村さんに話していなかった、と思います。
財)日本血液研究所が軌道に乗って、業績が上がる事を妨害したしか考えられません。木村さんは本当に職員の事を考えていましたから。その思いが私にも理解出来たので、最高とも言える文書をかいたのです。
この「在宅医療」の論文は実現すれば、全国展開出来ろものでした。勿論、日赤にとっても事業団にとってもメリットは沢山ありました。
当時、副社長の近衛さんも青木が持参した別の綿密な文書を読んで驚いていた、話してますので。全ての血液センターも黒字の文書です。
田中ー青木(克)−青木(繁)のラインには驚くばかりです。

124日下 一男:2009/04/15(水) 23:30:07
回顧録は詳細な一部と簡略化された一部と計二部構成になってます。
簡略化された回顧録のノートにはこう記していました。木村さんは「中澤政夫は信用できない。軽井沢の件では東京女子医大の教授とグルになって僕を騙した。あんなに抵当権のある物件を知らぬ振りして紹介した。俺にも責任があるので何とかしなければ事業団に迷惑をかける」。
これで最初から中澤政夫は木村さんから信頼されていなかったのです。
私が相河さんから初めて会って聴いた話を木村さんは覚えていたのです。ですから「相互ブラッドバンク」から入団した職員を警戒していたのです。
これは私の推測ですが、中澤政夫も警戒されていたのです。木村さんは当初から彼を可愛がったりはしていません。

125日下 一男:2009/04/16(木) 10:49:34
りょう管理人さんに回答御願いします。「いらっしゃいませさん」は使用禁止になってるののですが、この人物は「誰」なのですか。
友達からは匿名不明者が多いと聞いているのですが、そうでもなさそうです。
難しい質問かも答えられる部分だけでも教えて頂けないでしょうか。

126日下 一男:2009/04/17(金) 10:37:39
回顧録を読み返す程に青木の異常な行動が出てきます。財)日血研について、横浜まで行って役員名簿を確認したり、大田区では木村さんの土地や建物の登記簿(前に住んでた千鳥町)を確認したり。
帰ってから、「てっきり破産してると思ったのに」。彼の頭の中には苦労して立ち上げた組織の仲間に対する意識はないのだろうか。
笹川堯さんも衆議院の立候補で選挙の応援を支持したのは木村さんでした。
私は、公益法人が特定の人を応援するのは問題ではないですか、と話したのですが、彼は笹川さんが当選するまで職員を応援に出したのです。
その中に青木や五代、吉田また北田の奥様の実家が選挙区なので北田も応援に行ってます。
青木は笹川さんに木村さんの行動を伝えず自分の手柄にしたのだろう。
私は以前、笹川さんの後援会に連絡してるので、読んでいるなら木村さんの行動を必ず笹川代議士に伝えて。
今まで私が書き込んだのは事実なので。青木の非情さは目にあまる。
青木は、笹川代議士と一緒に行って日赤社長を脅した、と私に自慢して話したがとんでもない事をした、と私が言ったら、平然としてた。
青木は木村さんの心を知らないのだ。どんな思いで当時笹川さんを応援したのか。
マスコミに取り上げられてもそれなりの覚悟はしていたのです。

127無駄遣い:2009/04/17(金) 13:29:17
管理人は忙しいから携帯に電話するかメールしたほうが早いよ
裏チャットによると海外出張中らしいし

128おおつ:2009/04/17(金) 21:28:31
裏チャット言うな

129年金族:2009/04/18(土) 05:50:25
事業団アオキは大阪の底辺大学
ピンクマウンテン大学卒業でしたか

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136事情通:2009/04/18(土) 08:35:58
献血センターにも阪大出た暗い医者がいたな

137部外者:2009/04/18(土) 08:43:52
学歴は関係ないんじゃないのか。
東大や北大にも変な奴はいるし中卒でも立派な人はいるよ

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1412418:2009/04/18(土) 12:31:06
宮廷最低ランクの北大より、飯台文系が上なのは明らか

俺の最終学歴はスンダイだけどね

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143日下 一男:2009/04/18(土) 17:20:42
卒業大学の話はこの辺で終りにしましょう。
以前、怪文書について書きましたがこれについての面白い記事があります。
毎日新聞(夕刊)2005年(平成17年)1月29日(土曜日)のコラム「憂楽帳」で「内部告発」と題して次のように書いてます。
 特殊法人や公益法人をめぐる問題を取材していた時のこと。「悪質な財団の売買があるので調べてほしい」という匿名の投書が送られてきた。ある医療関連の公益法人の理事らが、休眠状態の財団を買収して脱税に悪用しているという内部告発だった。
 取材を始めて1週間後、驚いたことに、その法人の別の理事が「私が書きました。もう取材しないで」と告発文を取り戻しに来た。名指しされた理事に会うと、書かれた中身はほとんど創作だった。ライバルの追い落としに新聞を利用しようとしたが、騒ぎが大きくなると思ったのだろう。危うく記事にするところだった。
 雪印食品の偽装牛肉や三菱自動車のリコール隠しなど、内部告発で発覚して企業犯罪は多い。取材の端緒にもなるが、組織内の争いに利用されないような慎重さが必要だ。
 番組に政治介入があったのかをめぐってNHKと朝日新聞が対立している。NHKプロデユーサーの職を賭した告発がどう生かされるのか。行方を見守りたい。【尾崎敦】
以上のような内容です。文中の別の理事とは「青木繁之」、名指しされた理事とは「木村雅是」さん。
この取り戻しの日、青木の一日の行動を書いた文書を私が持っているのです。

144これはヒドイ:2009/04/19(日) 16:34:46
北海道を悪くしているのは北大卒の権力者ども
これを忘れるな

145Deleted:Deleted
Deleted

146器用貧乏:2009/04/19(日) 18:29:59
>>115 不倫する暇もあるのにね

147日下 一男:2009/04/19(日) 22:03:57
私も貴方と同じ「器用貧乏」です。

148さすがにピンクは:2009/04/19(日) 22:24:07
地底MARCH閑々同率までだね
ピンクマウンテン大学にやりたい放題されたら
周りは引くさ

149日下 一男:2009/04/19(日) 23:01:35
城北支所が完成する前から勤務場所は三階の広い部屋でした。完成してからの歴代所長は山本氏、紀平氏、五代の順です。
彼女が部屋に来たのは五代の時代です。八王子支所でも一緒だったのです。
それらについて、相談に来たのだと考えています。
当時は二人ついてきた子供達を育てるのに懸命でした。更に独身ですから「不倫」にはなりません。
青木や五代なら「不倫」と言えるでしょう。本当は事実を知ってます。
ついでに述べれば道をはさんで向こうにマンションがありました。その部屋に住んでた学生が武蔵野音大でした。
男を連れ込んで明かりも消さずに行為をしてました。呆れていたのですが、一月もしないで引っ越しました。
大家さんに追い出されたのでしょう。学生の本分は勉強ですから。
以上に書いた中にヒントがあります。青木が五代を重用したことに。

150さっぱりわかりません:2009/04/20(月) 02:53:00
山本
紀平
五代
彼女
学生


どういう関係かはっきりしてくれ
学生と男が行為するのと事業団はどういう関係なんだ
事業団の連中がマンションの行為覗いてニヤニヤしてたってわけ?

151オーディオ&ビジュアル:2009/04/20(月) 06:38:46
>男を連れ込んで明かりも消さずに行為をしてました。
>呆れていたのですが、
でも見ていたんですね

152日下 一男:2009/04/20(月) 06:47:00
山本氏や紀平氏は関係有りません。両者とも愛妻家で有名なので。
向かいの件は私が帰った後に当直者が見ていたのでしょう。
当時、城北では電話で変な使用の仕方がありチェックが
有りましたので、その時に見たのだと思います。
ある職員がそう話してますので。
変な推測は禁止とします。確実性は無いと
思いたいです。


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