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献血供給事業団なんでもコーナーⅡ

94日下 一男:2009/02/28(土) 13:22:16
*結語
 この事件後、厚生省の裏庭に薬害防止の碑が建てられたという。顧みれば、HIV研究班に提出された帝京大の血友病症例が、わが国のエイズ第一例に認定されなかったことに薬害エイズ事件の暗い胚胎があったと思われる。このことが、当初はあれほど血友病患者のHIV感染を心配していた安部被告の心に闇をもたらしたような気がしてならない。
 一審は無罪であったが、法論理構成はいかようにも変えられるので、上級審これを堅持するという保証はない。被告にとっても被害者にとっても、長い戦いが続くのであろう。
 一方、薬害エイズ事件がとりわけ血液製剤の安全性に対する関心を惹起し、今日血液製剤のウイルススクリーニングは核酸増幅検査という最先端の技術を応用するまでに至った。しかしながら、医療に限らずこの世の行為は、常にその効果と危険の比較衡量の上に行われているのであり、100%の安全や100%の無謬を期待することは誤りであろう。医療従事者、患者そしてその家族がこのことを十分認識して医療行為を選択する時代に入ったといえる。
                      (日本医事法学会会員)
これが日本医事新報No4020(2001年5月12日)に掲載された霜山先生の論文です。
 論評については後日にします。と、言うのも別の本「AIDS−その現況と対策ー順天堂大学医学部内科講師松本孝夫、高橋浩文 共著 ライフ・サイエンス発刊 1987年」に当時の厚生省AIDS対策専門家会議委員長(順天堂大学名誉教授)塩川優一氏が「発刊に寄せて」と最初のページに一面全部を使って書いてます。年月日は1987年3月15日付です。
 しかし、この年月日には私は疑問を感じます。これが正しいとすれば事業団の現理事長の青木氏が委員になるのは難しいと思います。少なくとも私が退職したのが昭和57年10月31日ですから、その直後に海外に調査に行っても帰って来るまで、時間的に委員になるのが可能なのか、米国やベリーズなどでの調査はそんな短期間では無理だと思います。空白なので、青木がいつからいつまで出かけていたのか、事業団関係者で分る人達が読んでいたら教えてください。


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