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献血供給事業団なんでもコーナーⅡ

1河原:2008/12/31(水) 15:37:19
続きはこちらに投稿願います。
事業団の存続を真剣に考えた方が良いみたいですね。

18日下 一男:2009/01/16(金) 18:08:12
追記します。武蔵野には4月半ばから入江良雄氏(木村氏と同じで学生献血運動をした入江忠雄氏の弟)が専従職員として行ってるので、これも派出所と呼ぶべきです。彼の勤務期間は僅か3年程ですが、影の功労者として残すべき人物です。創立時には日赤中央血液センター(渋谷区)と東京都血液センター(武蔵野市)の2つしか存在してませんので。

19日下 一男:2009/01/18(日) 17:40:48
昨日、息子が来て深夜まで話をしました。その中で「お父さんが書く事は正しい。しかし自分のブログにならないように」と、指摘されたので、今後は特別な事がなければ回答しないし、皆様が御自由に投稿して下さい。
 ただ、どうしても伝えたい事があるので、以下長文になりますが最後まで読んで頂ければ幸いです。
1)1963(昭和38)年、11月に東海道線の鶴見で二重衝突があり死者161名、負傷者多数の事故が発生し、日本赤十字社は大変な活躍をしてます。しかし輸血に用いられたのはほとんど買血でした。国民は献血と言う言葉すら知らなかったのです。この時期前にすでに学生が献血運動を始めています。木村氏や青木氏、藤田氏・・・など十名ほどで全国を巡る献血キャンペーンキャラバン隊を作り車で。同じ11月に米大統領ケネデイ氏が暗殺されてます。彼の演説はオバマ氏より素晴らしいです。日米同時中継がされる予定でした。彼はヴェトナム戦争を終結宣言する予定でした。また12月にプロレスの力道山がヤクザに刺され重傷です。木村氏はプロレスが大好きでした。
2)1964(昭和39)年、この年は書き切れない事が沢山あります。9月に「献血の閣議決定」がされました。マスコミも献血について大きく取り上げました。代表的なのは読売新聞社の記者本田靖春氏が書いた「黄色い血」の連載記事です。これにより国民は献血に対しての理解を深めていったのです。勿論他紙も連載記事を掲載してます。外国との交渉も沢山ありますが、日本のみ記します。大きなものは6月に新潟大地震が起きてます。10月1日に東京〜新大阪間(約4時間)の新幹線が開業、10月10日に第18回東京オリンピックが開催されました。11月に公明党の結成大会が開かれています。「貧乏人は麦飯を食え」で有名な池田内閣が総辞職し、後継者は後にノーベル平和賞を授与された佐藤栄作氏です。話を飛ばします。
3)笹川堯氏が血液事業=献血に関与し始めたのは「通りすがりの関係者」さんの御指摘のように、1962(昭和37)年に日本赤十字社の格県支部で起きた手形事件が発端です。この事件はマスコミでも取り上げられています。御自身の著作「日本のドンを乗り越えろ」:昭和61年刊行・桐原書店、にもかいてます。参考までに述べますが、父君の笹川良一氏と以前書いた内藤良一氏とは深い親交関係です。世界でベストセラーになった「血液の物語」著者ダグラス・スター、翻訳・山下篤子:河出書房新社に詳細に書かれてます。この本に登場する日本人は僅か数名、村上省三氏や木村雅是氏など。
4)献血供給事業団の発起人と理事とは多少違いはありますが、初代理事長は吉田孝雄氏(富士重工会長、勲一等叙勲、在任期間は12年の長きに渡り、無給)、山口修秀専務理事(代議士政策秘書、有給)、笹川堯専務理事(日本トータ会社社長、無給)、村上省三理事(肩書き多く、主なものは日赤中央血液センター所長、東大教授、東京女子医大教授など、無給)、島田信勝理事(慶応大医学部教授、北里大教授など、無給)、木村雅是理事(献血運動の重鎮、有給)、日本赤十字社から外山良造理事(初代血液事業部長、無給)、東京都からの理事や日本医師会からの理事(いずれも無給)など錚々たるメンバーです。発足時の局長は理事でなく竹田武夫氏(人事院出身)で勿論有給です。つまり役員は2名の有給者のみです。1970(昭和45)年に入団された竹内氏が理事兼務局長が有給で職務をするのが、それからの慣行になりました。この年に忘れる事の出来ない事件がありました。葛飾出張所を視察したいと言う事で本部に御迎えに行き同乗して三宅坂付近で、ラジオから三島由紀夫が「盾の会」会員4名と市ヶ谷の自衛隊に突入した、というニュースが流れました。本部に引き返しました。当時の自衛隊の最高幹部が竹内氏の親友でした。三島由紀夫は部下の森と割腹自殺をしましたが。竹内氏は富士学校長の時、盾の会に実弾訓練を許可した事をその後、ず〜っと悔やんでおりました。
5)どうしても皆様にお伝えしたい事は、松永信夫氏が大田血液センター所長の折、無償で、当時、分離して捨てられていた濃厚赤血球を東邦医大大森病院に提供し、どの程度の分量があれば「患者さん」に有効であるか、試験してもらってました。東邦医大もこれに協力、約80%の赤血球があれば有効であるとの結論になりました。献血一本化になった直後です。改めて松永氏の血液事業に対する熱意に敬服します。

20いらっしゃいませさん:2009/01/18(日) 17:46:55
念願の初体験。しかもその相手はすでに嫁いだ実の姉。
用事で帰ってきたときになんとなくそういう雰囲気になったのだ。

新婚の姉はさすがに夫と毎晩のように楽しんでいるので、
その相手の弟である俺が初体験だと知って
少し余裕をもって、手をもってリードしながらやり方を教えてくれる。

「ここからが本番よ」という姉の声に促されて
いざ二人で始めると姉はいきなり俺の耳元でささやく。
「あ、右、左。そこはいやーん」
「あ。いっちゃうかな、いくいく。」
そして彼女も積極的に攻めてくる。
俺も必死に我慢する。我慢と緊張の連続。

しかし俺はとうとう待ちきれなくなり、
まっすぐな長い棒を下の方の深い谷間に挿入することを試みる。
初めてだったが、うまく入った。
快感で思わず「よし」とつぶやく。
すると彼女は「いやん・・・。それだけはダメなのに。」と叫ぶ。

動きがだんだん速くなる。
「いやん。そんなに早いと私、もうダメ・・・」
そしてついにフィニッシュを迎える。
姉が俺にささやく。
「初めてなのに上手だったわ」


俺は、初めてのテトリスで姉に勝利したのだ。

21物見遊山:2009/01/19(月) 04:20:02
う〜ん、興味のある、はなしぶか〜いものですな!
と、すると兄は日本赤十字社で嫁はんは
血液センター。俺は献血供給事業団。

近くに創立記念日があるとか。
たんまり姉さんからお小遣いを
もらうんでしょう。
そ〜んな生活、いや性活してみたい。

22ドナー:2009/01/19(月) 07:20:29
赤十字も信用できないや

23業団 ひとり:2009/01/19(月) 09:58:13
読めば読むほどスルメのような
味わいがありますよ。

兄嫁が青木で、俺が五代にすれば、
いろんな様子が分りやすい。

五代があんな悪さをしてるのに
青木は知らぬふり。
五代が営業で分画製剤の病院口座を
次から次と失ったのに。

そうか、青木が五代を傍に置いたのは
女と金だ。類は類を呼ぶもんね。
お金は日赤からたんまりだもんね。

創立パーテイに参加する連中も
同様なもんだろう!

24日下 一男:2009/01/20(火) 22:41:31
 No13杉田公三氏、投稿で指摘した「論談・目安箱」からの引用した記事について、回答する前に貴君の信じる宗教は何ですか、とお聞きしたい。
 
 多分、公明党=創価学会ではないですか?
 では、記事について回答します。結論はほとんど捏造です。当時の大槻忠男氏や平久江昭氏、東邦大学大森病院の輸血部担当者から詳細に聞きました。輸血部には患者さんの適合血液はまだありました。また、病院との口裏あわせなど全くなく、むしろ病院の担当医師が事業団に対し好意的です。都血液センター供給課長の田口が過剰に反応したとしときます。田口は昭和56年7月15日に出来た都駒込血液センターに採用された職員です。初代所長は松永信夫氏、事業団の初代所長は私です。田口は問題人物で現在、血液事業から離れています。
 大槻忠男の結婚式には事業団の代表と主賓で挨拶してます。大槻は勉強家で平久江も同様すし、いわば私の教え子のような存在です。長尾の件は大槻が人事に関し関係はないです。権限は当時の局長五代和夫が握ってました。今は退職してます。余談だが私が武蔵野支所長の時に一時期係長をしてますが仕事振りは全く駄目です。
 杉田公三氏、ここでもよいが「論談・目安箱」でどうですか。以前、エイズ問題の時に「目安箱」で櫻井よしこに真犯人が誰かをよく調べるよう注意した。安部英はむしろ被害者ですよ。それから桜井氏は血液事業についての本を出版してません。

25日下 一男:2009/01/20(火) 22:55:56
忘れるところでした。本日の「論談・目安箱」の投稿No19「re朝鮮宗教様のおかげです」投稿者:幼卒、さんの記事に注目です。クリックする手間がいりますが。

26業団 ひとり:2009/01/24(土) 16:59:25
事業団の臍帯血事業について
あまり書かないのはどうして?
あんなに苦労して立ち上げたのに。

青木からなんか圧力でも。
また歴史が歪められるよ。

27日下 一男:2009/01/24(土) 18:05:25
 いいえ、圧力なんか何も有りません。青木は私が怒ると怖い事を知ってるから。ただ、昨日青木と電話で話しました。なんか臍帯血事業についての本を書いて事業団にあると。それを読んでないのでコメントのしようが無いです。
 でも、現在、東京臍帯血バンク部には部長の幸道先生や平久江課長、小縣係長などの優秀な人材(人財)がいますし、私の後任になった北田がノイローゼ気味になり、初代企画課長として幹部研修を行った時に、部下の本橋係長の悪口を述べたので、青木と相談して部下を取り替えた。その時に入れ替えたのが林茂次君と島野明美さん。林君はそれ以来同じ部所にいるので、様子は分ると思う。事実や真実はいずれ分ると思ってます。心配なのは歪められたものが、後世に残るとしたら残念ですが。
 因みに、世界で最も信用されてる歴史書は中国の本。理由は王朝が倒れた後、二世代後に立派な学者が10名程で議論し、一致した記録ですから。日本の歴史書は信用されてません。当時の覇者が自分に取って都合の良い事を書いてますから。参考までに。
 ついでに問題を出しときます。日光東照宮には何故、徳川家の葵の紋以外に明智光秀の紋の桔梗があるのでしょうか。

28事業団職員:2009/01/24(土) 19:36:00
本当に北田のノイローゼには参ったね。
それを信用して任せた青木も問題だ。嘘ばっかりついて、部下を
振り回した北田はどうするの?

29日下 一男:2009/01/25(日) 10:04:33
 「事業団職員」様、良く覚えていますね。感謝します。今ではそのまま本橋喜代一と斉藤良治を北田の部下にしとけば良かった、と思う。北田は後に私にこう言った。「臍帯血事業に関して何もしなかった」と。部下を使いこなせない程度の能力しかないのだ。青木も同罪。初代臍帯血事業課長に任命の時の部下は国友真也。脳溢血で半身不随です。青木が本当に臍帯血事業を考慮してたなら前記したような人事は有り得ない。それでも私は全力を尽くし軌道にのせた。全ては有田美智世さんが知ってる。最初の幹細胞学会(現在:造血幹細胞学会)には私や有田さん、東大医科研の高橋先生も出席してる(会場は東京)。有田さんは献血や骨髄バンク、臍帯血バンクなど全てに関与してる。臍帯血バンクの設立に関する厚生省の委員会委員にもなってる。委員長は高久文麿。その他委員は主な人は、浅野氏や原氏、青木など。
 話を戻す。ある事件の時、北田は笹川氏の秘書をしてた(給料は事業団から)。その時北田は新聞記者に対し「事業団には戻らない」と述べた。だが笹川事務所所長の岩永米人(政策秘書)氏は「彼は使い物にならない」と言って事業団に戻した。その程度の男。以前にも書いたが、五代や北田を重用した青木の責任は重大だ。
 青木に電話したのは、まだ臍帯血バンクの設立以前や以後について知る人達がまだいるから、せめて重要人物の記録を残すように。ところが「お金が無い」と言った。これは何を意味するのか?

30日下 一男:2009/01/25(日) 12:11:59
追記:臍帯血事業にはあらゆる分野の人達の協力により成り立っています。カトリック信者の集まり「子羊の会:代表多田信子(犬養毅の孫)」、東大医科研の人達、特に浅野茂隆先生や高橋教授、須郷美智子さん、長山先生(臍帯血移植の腕前は超一流)、中畑龍俊先生(現:京大教授でiPS細胞研究センター副センター長。センター長は有名な山中氏)など。臍帯血採取の始めは浜田病院。院長が熱心だった。次が千葉の山口病院や都立墨田産院など。搬送は事業団職員や創価学会員のボランテア。また、移植先の病院搬送についてはANAやJAL、JRの乗務員に御願いしてました。到着先で血液センターや病院関係者が受け取り病院に届ける。これの話は纏る寸前だった。しかし、東京は血液センターとは別の組織を事業団が創った為に、これが大きな難点だった。だから以前に血液センターとの統合または連携について記した。当時は原先生のおられる兵庫医大と一番交流がありました。

学会には名古屋で開催した折、大槻忠男を連れて参加した。血液事業と臍帯血事業の違いを勉強させる為に。

兎に角、青木の電話の話は気になる。彼は島根県出身。島根といえば「どじょうすくいの踊り」が有名。まさかその様な姿でお金と掬ってドロンを目論んでいるのではないだろうな。

話は職員についてだが、定年延長について考えて欲しい。幹部にはすまないが、そのままの就業規則であれば、私も去年まで勤務してるのですよ。
確かに青木の人事はなってない。桑田が供給部長で三根が課長?更には私が退団した直後に規則を変え、柏木の役職停年を延長したと。無様すぎる。

ついでに記すが、木村氏と青木の軋轢があった時、幼馴染みの刑事部の人に、青木は「木村の素行調査を頼む」と言った。青木と別れてから彼はこう言った。「一男ちゃん、彼は哀れな人だ。私も警察のプロだ。顔や話言葉で全て分る」と。公安部にも友人がいるが、お互いに身分を知らない。

31いらっしゃいませさん:2009/01/25(日) 12:13:58
あまり過去に拘っていても、しょうがないと思います。

今いらっしゃる先生方、職員の方々が最高の人材なのだから
仮にそうでないと思う人がいても、これからみんなで
協力をして良い方向へ展開すべきと思います。
もっ視点を広くして、前向きに考えましょう。

32事業団職員2:2009/01/25(日) 17:25:00
>>31
一般論的にはそうだけど、尾を引いている奴をそのままに放置している
青木がおかしいね。今でもそうじゃないか。
臍帯血は赤十字とも連携する部分もあるではないでしょうか?独自性も
良いけどね。確かに過去の事をうだうだ言ってもしょうがないけど、
尾を引いたいる奴をそのまま継続させてもいい仕事できないよ。

あと、ここの掲示板を読んだり書き込んだりしないようにと言う
馬鹿馬鹿しい通達はやめた方が良いと思う。出所は青木→北田
なのは分かってるからさ。

しかし、日下殿の話は過去の副産物を確認するのには大変必要な
情報でです。これからもビシバシ投稿して下さい。

33通過人:2009/01/26(月) 23:58:25
事業団にもこういう堂々とした人が居たんだ。何でも臭い物には蓋を
するような今の体質を何とかしないとだめだね。

34日下 一男:2009/01/27(火) 11:01:55
 以前、書いたように組織には必ず良い人財がいます。この様な危機的状況にならばなるほど、異端児とも言える人が必要で、その様な人達の話に青木は耳を立て聴く事が求められます。私は事業団にはこの様な人達が多くいると信じております。幹部の中にもいると思います。しかし青木のいる本部にはそのような人は、白戸氏を含め全く居ません。白戸氏は五代程の権限は持たないでしょうが、退職させられた山口明弥のような役目をしてるのが実情です。青木は全て身の回りを、私からみればとんでもない幹部で固めているのです。難攻不落と思う職員もいるとは思いますがそうでもないですよ。
 「いらっしゃいませさん」、心配無用です。私の手帳にはその年の思いを最初に上書きしてます。昭和61年「散りぬべき ときしりてこそ 世の中は 花も花なれ 人も人なれ」昭和62年「常に前向きに いつも奥ゆかしさを」総和63年「気力の源は 感謝の気持であり 心である」。この年に天皇陛下が御病気になり毎日のように輸血を必要とし、事業団の車両で搬送したので、私は赤十字の車両で搬送すべきと主張した事は以前に書いてますよ。
 また、事業団創立前後からの血液事業に対する思いは、木村氏、青木氏、私は全く変化してません。青木も後年エイズ問題の時、大活躍してます。私達3人の心と絆は深いのです。だからお互い電話でも話が出来ます。ただ、何故、青木が変心したのか問うているのです。

35日下 一男:2009/01/27(火) 12:30:19
追記:木村氏とお会いした時、彼はこう述べました「青木を潰すのは簡単だ。しかし職員には家族もいる。全てを犠牲には出来ない」と。私も同意見。だが私が「事業団の歴史に問題がある。その為に戦後からの血液事業に携り、更に献血について努力された人達の事を3冊のノートに記し彼に渡した」。彼曰く「日下ちゃん、分るだろう。彼の能力は。だから大事な事柄は君と一緒にいつもしたんだ。酒好きでない僕がいつもクラブや料理屋で話をしたのはそれだけの意味があったのだ」。
 今、考えると確かに彼と私で事業団に残した仕事や財産は沢山あります。仕事では血漿分画製剤の販売や職員教育、その他。財産は土地や建物など。そして非常に職員を大事にし、利益は職員に出来るだけ還元しました。一周年記念品、二周年記念品、三周年記念品、・・・・。今でも愛用してる工具もある。それども利益が余ると職員に革ジャンパーなどプレゼントしたし、赤十字にも寄附をしました。買血業者を亡くし献血一本化になれば当然そうなります。これの経緯については「回顧録」として書いてます。
 どうですか青木氏、この機会に死ぬ思いでアメリカその他の国で取材したエイズ問題になった血漿の裏側の話をすれば。
 青木の良心を信じてますよ。

36検査課 双葉:2009/01/27(火) 14:22:05
事業団には様々な曰く付きがあるんですね。何れにせよ、とんでもない
幹部で固めているんでしたら、解体しないと物事改善しませんね。
どんなに優秀な人材がいても、武装集団で固めておいたら、言いた
いこともいえないだろね。

37日下 一男:2009/01/31(土) 09:52:28
 「双葉」さん、投稿有難う。「言いたいこともいえない」、確かにそうかもしれませんが、職員には投稿してる人達もおりますし、私が何故親睦会に理事の木村氏を会長にせず、職員が自由に運営するようにしたのか理由があります。それは青木も知ってますが、同じ会社で社員研修後に彼は東京支店、私は大阪支店に配属されました。上場企業です。会社には労働組合がありません。当時そのような会社のほとんどが労働組合をもってました。そこで私は大阪支店独自に組合を結成し書記長をしました。普段どうりの仕事を終えてから仲間達と打ち合わせたり、休日には署名活動したり。結成後には地方版記事になるほど賃金アップをしました。その経験から「もし、献血供給事業団が職員を大事にしない組織なら」と考えてそのようにしたのです。でも全くそんな心配はありませんでした。当時の山口専務理事や木村理事は青木や私と職員の待遇についてもより良い事はないか、と常に相談し、吉田理事長の許可を得てました。
 私は個人的に他人の住まいには行きませんが、山口専務の家には三度ほど伺ってます。それは血液がその年にどれだけ必要があるかを数理統計を用いて準備するためです。まだまだ買血業者が多かった時期です。業者は病院の検査室に社員を派遣し「交差試験」もしてたので、赤十字に献血の増加を求める資料を作成するために。五周年記念誌の第1部にはそれらのグラフも記しています。第2部は当時の血液事業関係者の座談会の記事です。
 話は戻しますが、親睦会はいつでも労働組合に変えられる仕組みにしてたのです。しかしその必要性がない事は以前書いてますし、今の記載でも分るでしょう。
 それだけ幹部は職員を大事にしてたのです。
 付け加えますが、制度面では2級主任と1級主任の試験があり、1級を得て始めて係長になるようにしてました。

38物見遊山:2009/01/31(土) 15:20:36
自慢なの?それとも
職員の教育のことなの?

39日下 一男:2009/02/01(日) 01:28:24
 当然、職員教育についての話です。首尾一貫してますが時には皮肉も入れてます。創立時には局長の下に総務課と業務課しかありませんでした。供給課などありません。職員が血液事業について充分勉強しなければ係長などになれない仕組みになってたのです。だから制度面に触れたのです。この制度が活用されてれば今のような人事は無いのです。無能集団がふんぞり返っていられないでしょう。
 私が過去について記したのは、自信を持って職員が血液センターの人達と論議が出来る事を望んでいましたから。実際に職員もそれなりに行動しましたので、別のスレッドで山口血液センターにいる田辺秀一氏(なべちゃん)に連絡してます。彼も熊本血液センターに一緒に行き樽見所長にもお会いしてます。彼も立派だし、また仔細について証言者ともなります。
 とにもかくにも、青木理事長がこのスレで滅茶苦茶に書かれるのは自業自得と認識しなければいけません。
 もう遅い時間ですから改めて、この場で彼に思いを伝えます。

40おおつ:2009/02/01(日) 08:41:35
自分語りするのなら、短歌や交友関係よりも自身の献血の事がよろしいかと

41日下 一男:2009/02/01(日) 10:54:34
献血については、すでに昭和44年1月17日に日本赤十字社に特別社員としての特別社員証書を頂いてます。それ以来も数え切れないほど献血もしてるし、仕事柄献血と呼べない血液の提供もし、すでに書いてる病院からも事業団に対しての感謝状もあります。ですからここに投稿される人達にもっと「献血供給事業団」についての知識を持って対処されるよう希望しているのです。日本赤十字社では戦後間もない時期にすでに当時の日赤病院内に血液センターの前身とも言える血液銀行が設置されてます。
 現在私自身は年齢的な制限で献血に協力できないですし、過去の過度な血液提供によるのか原因は定かでないが赤血球数も400にも満たないです。
 「おおつ」さんもいろんな所でお目に掛かりますから、私の投稿全てにお読みになって是非とも私達の意思を受け継いで下さい。
 少なくとも「献血供給事業団」の存在が無ければ売買血を追放し、「献血一元化」は難しかった、と誇りを私達は持っています。日赤では一時期買血しようとしたのです。それをしてればアメリカのような状況になっていたでしょう。私達が目指したのは英国並びに英国系の国々が導入した「国が責任を持って血液事業を行う」ということです。
 このような国々の赤十字職員の地位(給料でなく)は日本より遥かに高いです。尊敬もされます。

42おおつ:2009/02/01(日) 11:11:16
>>41
> 私の投稿全てにお読みになって

これハードル高いです
勘弁して下さい

43日下 一男:2009/02/01(日) 13:19:44
「おおつ」さん、勝手な解釈ですが、「好意」を持っての投稿と受け感謝をします。
政治的な発言はあまりしたく無いのですが、諸外国でNHKは国営放送と見做されています。英国のBBCと同じです。BBCは王室に対しても政府に対しても圧力に屈する事など無く、常に自由に、また公平な視点で報道をする事で世界で有名です。そのBBCが英国民に対し「世界で最も尊敬する皇族は誰ですか」というアンケートを求め調査結果を発表しました。その結果は第一位が日本の天皇陛下、第二位がローマ法王、第三位がエリザベス女王です。日本赤十字社は皇室と代々深い関りがあります。現在の日本赤十字社の名誉総裁は美智子皇后、副総裁は皇太子御夫妻を始め皇族が多数おります。そして日本赤十字社社長は近衛忠輝氏(公家のトップ近衛家の当主)です。平安時代には近衛家は京都御所のすぐ前に屋敷があり、朝廷を守る事に専念したのです。だから近衛は「近くで衛(まもる)」に由来してる、とも言われてます。
天皇は戦後に国民の象徴とおなりになり、大変な御仕事をなされております。昨年などは特に政治については公務が2倍近く増え、天皇誕生日には極めて異例とも思われる御言葉を述べられました。御自身の健康や御病気について話され、また皇太子妃雅子様の御病気についても御配慮されておられました。これが御家庭や御家族の「心と絆」である、と私は深い感銘を受けました。
これは献血供給事業団の会長である笹川堯代議士の奥様が御亡くなりになられた時の「愛の篭った」文章に反映されてると考えております。
青木理事長はどのように受け止めておりますか。また何故事業団の歴史について沢山話をしてるのか必ず追求します。

44日下 一男:2009/02/01(日) 14:50:11
追記:青木理事長、貴方が友達と私に話した現宮内庁長官の羽毛田氏(旧厚生省からの天下り:頭がつるつるなので自分で禿田と言ってる)ですが、昨年当初に天皇陛下御夫妻と皇太子御夫妻との事について発言したのを覚えていますか?彼は皇太子御夫妻を批判してます。年末に記者団に対し「出すぎた事」をしたと弁明してますが、こんな長官は即刻辞職するか罷免すべきと私は考えますが、青木からも忠告されては。雅子妃は元宮内庁長官で日本赤十字社の特別顧問の藤森昭一氏を側近とし、また良き相談相手にして一時期公務に戻られました。しかし羽毛田氏になってから病状はむしろ重くなり現在に至っているではないですか。青木にその権限は無いですが貴方が常に傘にしてる笹川氏なら自民党の総務会長ですから場合によっては可能でしょう。
更に今年の参賀に際し、天皇陛下は「国民の生活状況」に言及してます。戦前なら麻生総理は辞職ですが、そこに頭が回らないのか、天皇陛下の御言葉に何の反応もしてません。
麻生総理の態度は今の青木理事長と重なります。幾ら周りを固めてもすでに貴方は「裸の王」です。職務に励む職員に同情します。創立記念日に休み何をしてたのですか。せめて各部所を回り励ましの言葉を述べたら随分違うでしょう。事業団にお金が無いと電話で言ったが、それならあれだけの給料なら今月からでも無給にすれば良い。役員は無給、局長以下は%を決め減給すれば良い。それが経費削減に苦しんでいる日赤の血液事業にも寄与する。民間企業は正社員の賃金を下げたり、雇用解雇までしてるのですよ。
いずれ分ります。事業団の歴史が必要かを。ヒントは「血液事業のあゆみ:日本赤十字社」

45蝦夷っ子:2009/02/01(日) 15:26:25
北海道赤十字血液センターの霜山先生の件についても
お願いします

46日下 一男:2009/02/01(日) 17:59:14
 回答になるか分りませんが、一応知ってるのみ御返事します。本人とはお話した事はないです。但し、昭和52年に発足した「日本赤十字社血液事業学会(後の血液事業学会)」にはよく論文も投稿されてますし、また本も出版されてますから立派な学者であると認識してますが。何か問題でも?現在もいるかどうか分りませんが、種埼健(当時は総務課長)氏が知人(今は連絡取ってません)なので様子を御聞きになれば、と思います。
 補足しますが、初代所長の浜中氏は先見性があり、全国でも当時から道内の各血液センターは札幌で一元化してました。次の所長の関口氏は東京まで車椅子でお越しになり、会合に出席されてました。また、臍帯血事業を事業団がやるようになった時に東大医科研の高橋教授(理学博士)は関口先生の部下です。高橋教授にはお世話になりました。現在は海外にいます。関口先生の時代に私は退職してます。

47日下 一男:2009/02/02(月) 10:37:07
 当面は青木理事長の個人の話には触れないようにします。
 公益法人としての「財団法人 献血供給事業団」が後世に残す事があります。この仕事は難しいものではありません。企画課またはそれをやるのに相応しい人を任命し、私が略語辞典を作った時のように、製本用紙を購入し、それを表裏にコピーして、製本専門業者に依頼すれば「貴重な資料」になります。出来ればハードカバーにして。つまり事業団創立の折に佐藤忠司氏が3冊寄附してくれた「新聞記事」の事です。
 私が4年に渡り国会図書館で集めた新聞記事、これは昭和元年から医療関係に関するものです。当時、貴方が購入してくれたキャノンの機械に20以上の分類をして、昭和元年から昭和5年まで打ち込んだdiskがあります。それ以降は臍帯血事業に忙しく、昭和6年以降の新聞記事はそのままにして事業団に有る筈です。記憶には昭和42年ぐらいまで。その中から「日本赤十字社」「献血供給事業団」関係だけの記事を年月日順に整理すれば「重要な資料」になります。部数は製本業者と貴方が相談すればよろしいかと。事業団だけにすれば3冊は必要です。貸し出し用に1冊、あとの2冊は事業団に残すように。
 これを真面目に考えて。費用はそんなにかからないのでは。
 あとは前に書いた「血液事業のあゆみ 日本赤十字社」ですが、私は非常に怒ってます。通常は「誰が、いつ、何の為に、どのような目的で、何をした」と記載されます。それが全く抜けてます。巻末にある人達をみれば分りますが、編集委員長、委員、幹事、執筆者はほとんど知ってる人達です。その中に、幹事・執筆者として白戸恒勝氏がいます。このような人が事業団の専務理事・局長として存在してるとは。更に不思議なのは昭和60〜61年頃には完成してると思われます。文を読めば。でも出版は平成3年8月31日です。
 私は都センターで退職のために荷物を整理してる松永信夫所長にお会いしてます。この時に「血液事業のあゆみ」を読んでいたら、おそらく松永氏に信意を聴くでしょう。以後、その本は封印してました。
 だから青木理事長に何度も事業団独自の記念誌を書くように伝えたのです。このままでは日本赤十字社に事業団の記録は残りません。
 青木理事長の決断に期待します。このままでは血液事業から消えてしまいます。
 同じような事が臍帯血事業にも及ぶかもしれません。当時、厚生省は財)骨髄移植推進財団を創っています。役人のする事は分るでしょう。出来の悪い子でも可愛いものです。いつ統合するか企んでいるはずです。だから今の内に記録を残すように。

48蝦夷っ子:2009/02/02(月) 21:46:55
>>46
霜山先生が北海道赤十字血液センターともめてるんですよ
霜山先生が悪いとは思えないですけど
plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/200804050003/

49日下 一男:2009/02/03(火) 10:44:52
「蝦夷っ子」さん、私は文を読んでも理解出来ないです。示してくれたものも消去されてます。霜山先生は現在どのような立場で、センターと揉めてるのか、また論点がどうなのか、も分らないですし、貴方の身分もどういう立場なのかも分りませんので、返答は無理です。ましてや私は部外者です。
 北海道について全く知らない事とは言えませんが。学生時代に旭岳に登山してるし、近くの天人峡に宿泊したり。叔父の勤務してた三菱鉱業の美唄炭鉱にも行ってます。また学会で何度も行ってますので、旭川センターや函館センターにも知人がいます。更に事業団の旅行や仕事でも行ってます。ですから非常に馴染みが深いです。
 私は調べようと思えばほとんど把握出来ます。例えば、警察庁は大きく分けて刑事部と公安部で長官は公安部からが慣例になってました。現在はテロ対策部があり、今後はここが実権を握ると思います。
 北海道は平成19年でも献血率が全国でトップです。日赤では毎年表紙の色を変えて「血液事業の現状」を出してます。年度でなく年で。
 北海道の社会情勢は非常に厳しいですね。大手デパートの丸井今井も馴染みがありましたが、破産したし、夕張始め危険な市町村も多いのに、「献血に協力されてる道民」には頭が下がります。本当に心の暖かい人達に感激してます。
 話を戻しますが、以上の事を頭において再度連絡して下さい。

50くまっ子:2009/02/03(火) 12:18:19
plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/200804050003/

北海道赤十字センターの醜聞 その2
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 労働基準法73条では行政機関の認定を受けてからの即時解雇は有効だが、日赤側はこの手順を踏んでいなかったことも法廷論争のひとつのポイントになりそう。
 さらに霜山医師がテルモ社のフィルター事件を告発した事実が解雇の背景にあるとするなら、これは「公益通報者保護法第3条」に抵触する。
 霜山医師は日赤が準備書面で提出している職員の証言についても「個別に聴取し、私の悪口を誘導して書かせたもの。さらに裁判になってからは血液センターは、職員や出入り業者に対し、もし私からコンタクトがあった場合は逐一報告させるように指示を出している。私は元の職場の人間に連絡をとるようなことはしていないが、先般、ある印刷業者から『霜山先生の印刷物は受けないように』と言われたと連絡があった。そこまで姑息なことはするな、と私は申し上げたい」

 そんな矢先のことだった。この霜山医師が、UHBの朝のワイド番組「のりゆきのトークで北海道」に出演した。この日のテーマはメタボリック症候群。厚労省が習慣性の成人病予防のために一定の基準を示し、健康診断を義務化する方向であることから、いま、大きな波紋を広げている。この日の番組では現在セカンドオピニオンを開いている霜山医師がゲストコメンテーターとして出演を依頼された。
 ところがこの番組が終了して間もなくのことだった。UHBの視聴者相談室に数本の電話が入ったというのだ。内容はしめし合わせたように「あんな医師を何でテレビに出すのだ」というクレーム。しかもはっきりした理由もいわず、いずれも匿名の電話。UHB側もその真意が分からず戸惑いを隠せないが、霜山医師自身は「そういう電話をいっせいにかけてくるところは大体想像がつく」と語っている。
 匿名の電話やメール、これほど無責任なものはないし、たとえ、いま霜山医師が解雇をめぐって民事裁判で係争中であっても、メタボをテーマにしたテレビ番組に出演したとしても何ら関係のないこと。(以下略)


 この記事の中に、日赤血液センター職員(恐らく札幌血液センターのこと)による違法行為の一覧表が掲載されている。これには呆れる。例を挙げると、
●所長 公用車で帰宅しているのに通勤手当を満額受領
    学会のたびにオリンパス社やダイナボット社から供応を受けた
 部長 ススキノでホステスにセンターのチケットをばらまいた
 課長 新札幌出張所長時代、看護婦と不倫関係になり、職場を二人で牛耳った
    ガールフレンドを入社させようと上司を二人で接待した
 係長 献血者用テレホンカード横領

 上に引用したのはほんのごく一部。もしこれが「虚偽」なら、この雑誌の出版社は日赤に訴えられるだろうが、日赤が恐らくそうはしないということは、何らかの「証拠」を、出版社側が握っているからなのだろうとしか考えられない。
 ということで、この組織はどうなっているのだろうかと、ヨソゴトながら嘆息してしまった。


 恐らく、この先生がアップしているブログがここでしょう。
http://simo-ryu.cocolog-nifty.com/blog/

PS 以下は、上に紹介したサイトからの引用。
● 2008年4月29日 (火)
Cherryblossum
 昨日キリンビール園で花見をした。日本人にとって桜には散る美しさがある。侍精神であろう。私自身はさように情緒的ではないが。さて、参加者はバラエティに富み、途中から鈴木宗男夫妻が参加した。

かれは人気があり、いっしょに写メをとりたい人が続出し、ひと段落すると政治談議に花が咲いた。奥さんとは中川事務所であり、中川一郎の進めで結婚したとのこと、一男二女で、末娘さんが政治向きなのは皆さんご承知のところで、後継者と目されている。

 個人的な収穫としては、松山千春のコンサートチケットを手配してもらったことと、東京での訴訟に備えて、弘中淳一郎弁護士に紹介してくれること、さらに次期○○選挙で、新党大地公認を約束してもらったことだ。というのもあのとんでも弁護士を換えるためには移送しかないということだ。(引用終わり)

 ということで、私は鈴木宗男や松山千春や佐藤優をウンザリする連中だと思っているけれども、鈴木宗男は外務省経由で日本のエスタブリッシュメント(川島裕・緒方貞子・三井財閥)にも繋がっている実力者である。この「実力系譜」を後ろ盾(?)にして、赤十字と闘うこの先生の裁判結果がどうなるのか、興味深いものである。(4月29日)

Last updated 2008.04.29 19:17:45

51日下 一男:2009/02/03(火) 22:06:32
 正直に言うと全て読むのに疲れました。しかし、霜山先生に対する思いは充分分りましたし、関口先生もおそらく高橋先生を庇うために、敢えて手放したのでしょう。別のスレッドでも道内センターの事が沢山投稿されてるのも納得です。何か中国の詩人「春望」の景色です。時間がないので詳細は省きますが、霜山先生や御家族の人はくれぐれも身辺に留意されるように祈念します。
 比較するのも変ですが、事業団の会長笹川氏が遥かに立派です。逃げ隠れしません。昔、幹部会の忘年会で幹事をした時、会費を払わず帰ろうとしたので理由を述べ会費を貰いました。また御自分で庶子であるのも話されてます。私の故郷の宮城・松島に疎開されたのも、双子の男が誕生された際も「まいった」の一言。実に人情味があり、武士道のある人です。多分、父上の笹川良一氏の血を受け継いだのでしょう。戦後、同じ右翼として笹川良一氏と児玉誉士夫氏が同列に扱う人もいますが、全く違います。笹川代議士も話してますが、父に対しては常に直立不動の姿勢で児玉氏も同様です。闇の世界=ヤクザについても沢山知ってますが、いずれも親分はしっかりしてます。本当に怖い世界があります。これについては別の日に伝えます。明日は診療とナイトケアがあるので。
 本論に戻ります。霜山先生が血液事業から離れるのは絶対に駄目です。日赤にとっても献血者にとってもマイナスです。もう訴訟になってるので結果を待つしかないです。最高裁までいくなら亡くなられた遠藤誠氏が最も適任者でした。彼は右翼から左翼まで頼りにされてましたから。また高校の先輩で、貧乏な家庭でしたが、母の父(私にとってはおじいちゃん)がお金を出し東大を卒業しました。所謂社会派の弁護士で、仏教界の大御所で著作も沢山あります。先輩には今NHKの大河ドラマに出演してる宍戸錠や弟(奥様は千秋なおみ)など他にも多くいます。また大学の時同級生に浜田光男がいて「愛と死をみつめて」のロケに来てた浜田光夫と吉永小百合の4人で一晩飲みましたが、両浜田はダウン、結局は吉永小百合と二人、彼女は未成年、でも酒豪です。呆れてマスターが鍵を置いて帰りました。
 余談になりましたが、霜山先生には是非血液事業の世界に残って欲しいですね。必ず勝訴すると思います。
 今日は節分、貴方は道センターに向けて「鬼は外、鬼は外」と豆を投げて下さい。私に投稿したのはNo983からの投稿全て読んだ上での事と思い、応援します。尚、パワハラは立証しやすいですが、セクハラは難しいです。女相手なので同じ行動でも良い印象を持つ、逆に嫌な印象にとられる事もあります。実際に入院中に患者さんが看護師にそう受け取られ医者に説教されてます。経過の報告を待ってます。

なられた遠藤

52日下 一男:2009/02/05(木) 20:38:23
 青木理事長、昨日、論談に吹浦氏から投稿があり、それを読み私の思いを論談で伝えました。誹謗中傷との事は「事実は事実」と伝えました。
 以前から伝えていますが、No47の投稿を是非とも実現されるよう願ってます。
 次にこのスレで投稿するようになってから、真面目な投稿が多くなった、と感じていますが、貴方はどう感じていますか?私は時として皮肉も書いてるが、事業団に対する思いは強く、むしろ貴方をある面において擁護してます。全て述べれば大変な事になります。とにもかくにも血液事業から事業団の名が消えて欲しくないです。
 改めて伝えます。血液事業に事業団の名を残されるよう切望します。

53採血課:2009/02/06(金) 02:06:35
別に事業団の名が残っても別に良いと思います。
誹謗中傷されるのは、そういう事をするからされるんでしょう。
中身をそっくり入れ替えれば、よいことじゃないでしょうか?
多くの人の期待に応えられない方は辞めてもらった方が良いでしょう。
日下殿がいくらここで叫んでも、本人の自覚が無くてはどうしようも
ないことでしょう。

54日下 一男:2009/02/07(土) 17:32:37
「採血課」さん有難う。「本人の自覚が無い」のであれば仕方無いです。諦めましょうか?でもそれではNo983から投稿したのが無駄になります。折角なので次の事をお伝えします。
 今日、木村氏と「論談」の件で電話で話しました。それから再度「論談」に、吹浦氏に対し投稿しました。
 木村氏は私に対し「好きなようにして構わない」と。いわゆる「お墨付き」です。でも私と同じように「職員が無事に退職される事を望む」と。お互いに詳細に話をした上での事です。
 何とか青木理事長に創立の原点の心を取り戻して欲しいものです。論談には月曜日に掲載されるでしょう。

55物見遊山:2009/02/08(日) 11:46:34
青木理事長の反応に
注目ですね。
またスルーですかね?
論談も期待!

56余裕あり:2009/02/08(日) 17:08:45
俺は何を書かれても
平気だよ。
沢山お金も有るし。
これが青木の心だ。

57関西人:2009/02/08(日) 18:17:18
桃山学院大卒だもん

58日下 一男:2009/02/08(日) 23:03:12
 そうです。しかし青木を含め会社の試験を100人以上の受験者から10人程合格したのです。上智大や立教大などの人達と。当時、私は私大は早稲田大と慶応大ぐらいしか知りません。国立大なので面接しかしてません。案内してくれた人に聞いたら「採用試験だ」と。
 なので、彼は優秀だと思う。大阪支店に配属された事は以前に記したが、元来、織田信長の時代に商道は堺で楽市や楽座ですでに日本の基礎は出来てる。欧州では戦争で忙しい時期に。
 でも、関西だから、と言うのはちょっと気の毒。要は心の問題、真心だと思います。昨日木村氏と1年振りに電話で話が出来るのはこの心があるからだと思います。恐らく青木はこれが出来ないと思う。木村氏の話の内容から。
 私はこの「献血ちゃんねる」が好きなので、知人が「止めた方が良い」と言うが、投稿は続けます。あの超有名人で人脈の広い吹浦忠正氏が何と言おうとも。
 投稿された貴方の他に「おおつ」さんや「わさび」さんにも感謝してます。この人達はいろんなスレで投稿を読みますが本当に「献血」を理解してると思う。
 私は土曜のフアン・ジニと日曜の天地人(どちらもNHK)が好きで,今見終えて、書いてます。前作は「一流になる為の物語」、後作はほぼ史実に近い直江兼続の大河ドラマ。
青木にこの人の爪の垢でも煎じて飲ませたい。徳川家康から120万石から30万石に減封された上杉家だが、主人公の直江は一人も首切りせず、生きる方法を家老として職務を果たした。
 私はこの米沢で2年半工学部の高分子工学(今は機能高分子工学で、充実度は全国大学で4位にランク:河合塾調査)を専攻しました。このランクも先輩や後輩の努力によるものと感謝してます。同級生もここの教授をしてたが腰を痛めて任期途中で辞めたが。
 とにかく青木は自分の事ばかりでなく職員を大事にして。木村さんはそれを一番心配してました。
 外国旅行しなくても日本には素晴らしい所が沢山あり、それぞれの文化を持ち、八百万の神もおり、違う母語を持っても、世界にも無い綺麗な日本語があります。青木も経験したと思うが日本語ほど難しい言語はないです。縦書きや横書き、平仮名やカタカナ、更に英語の略語も入るし、主語が無くても話が出来る。
 他にも沢山あるが「木村さんの言葉(言霊と思えば良い)」は確実に伝えました。

59リーマン高杉:2009/02/09(月) 00:30:00
たしかに青木は職員を大事にしないね。チルチルミチルは
便利だから上手く使うのも一つの手ですか。
またそれにぶら下がっている部下がウジョウジョ居ることも
大きな問題だね。事業団=日和見集団とでも言いましょうか。
日下様の投稿は大いに意義があるでしょう。あと監事・幹事
は違うと言ってた方もいらしたようですが、これこそ世間一
般ので言う屁理屈も理屈の一つだと言うことと全く一緒で
しょう。

60日下 一男:2009/02/09(月) 06:40:01
投稿有難う。中学からの習慣で3〜4時には起きています。これは事業団に在籍してた時も今も変わりません。
事業団=日和見集団ですか。武士道のある人もいると思ってましたが。剣道がオリンピックの種目にならなくて良かったと思います。礼に始まり礼で終わる。この伝統は守りたいですね。柔道はオーストラリア人によって大きく変化し、見苦しい競技となりました。昨日飽く迄古来からの柔道に拘る内柴さんが優勝したが、拍手したいです。兎に角、日本が強い種目だったものは白人により全てルールが変更される。バレーボールもネットが高久なるし、札幌オリンピックのスキージャンプで1〜3位まで日本が独占したらまたルールを変更、身長の30センチ以上のスキー板は使用禁止になる。これでは身長の短い日本人は不利になります。
青木はこれと同じような事をしてる。私が退職したら4月から規則を変えた。く
厚顔無恥とはこれを指す。
私の大学では教養課程から総合数学は英語の原書。代数学や幾何学、数理統計学などは日本語だが。工学部は独語が必修なので教養課程で基礎を勉強、専門課程になると有機化学と化学実験は独語の原書。且つ、試験は出席日数が3分の2以上でないと受けられない。凄く厳しかった。クラスは40人だが4人は卒業出来なかった。
私は以前、主任には2級と1級があり1級を取らなければ係長になれない事を書いた。この制度は廃止されてない筈だ。これを活用すれば良い。
いつも言ってるが人は財産です。血の滲むほど努力が必要。創立時には寝ないようなもの。残業時間も130時間は超えてる。それを一緒にやったではないですか。残業時間は当時の労働法により、70時間分の給料でしたが。
何度も言うが無能な幹部は辞めさせなさい。高い給料を払うなんて日赤に申し訳ないと思わないのか。青木や白戸氏は初代理事長や笹川専務のように無給で良い。
「リーマン高杉」さん、吹浦氏について触れてくれて有難う。彼は秋田で私は宮城、同じ東北だから話は分ると思う。

61日下 一男:2009/02/09(月) 09:20:36
ついでながら「縁」とは不思議なものだ。社会人になった時3月半ばから会社の研修があった。その時に担当したのが武富氏。これを叔父とする職員が事業団にいる。彼に言っとけ。研修後に高卒の女子達が私だけ横浜の中華街に招待してくれた。これを武富が問題視して2名の有能な新卒女子が会社を辞めた。私は武富を憎む。企画課長の時、北田がノイローゼ状態の時に講師に来たのがこの会社の当時、名古屋支店長の内海氏。面識がなかったが懐かしかった。次は結婚まで考えた長谷川浩子。三越新宿店に勤務してた。デートの時に北村悦子さんが新宿の犬屋で犬を眺めているのを見てる(北村さんは忘れてる)。その後、歌舞伎町にあった王城(1階が喫茶店、地下がパブ)で彼女とデートで地下のパブに入った。しばらくしたらマスターが「あちらのお客様から」と言ってカクテルを私と彼女に置いて行った。しばらくしてから御礼に行きました。「どなたさんですか」と聞くと「事業団の日下さんですよね」と言われたので「全く心当たりがないのですが」と答えたら「相互ブラッドバンクから都日赤センターの検査課に入った相河です。今日は太田で勉強会があり、一緒に出席した女性とここに来ました」。それが相河氏との交際の始まりです。また池袋で池上幸尚氏の弟(NECに勤務し優秀な人で発明品で報奨金も貰ってる、飲んだスナックの常連客)と3人で飲んで「澄子」と言うママと話してたら段々田舎に近くなり「姓」と聞くと「西山」と答えたので「私の同級生で西山文子と言うのがいるが」と言ったらママは「文子の妹です」と言った。吃驚した。また事業団の話ですが、私の妹に「悦子」がいる。北村さんもそうだが、小懸悦子さんも同じ。しかも小懸さんの御主人は私の叔父の息子と同じ東京薬科大を卒業してる。今でも交流があるとか。
このように人は必ず何処かで繋がりがあります。また桜井よしこさんは小川茂君の先輩で、彼女を見てテニス部に入った、と彼は話してる。前に吉永小百合について書いたのは青木がさも親しいような話を私にしたから。
青木理事長、人は必ず「縁」があります。忘れないように。いずれ、木村氏や初鹿野氏についても青木との関係について書く日が来ると思う。

62日下 一男:2009/02/10(火) 10:34:19
サイトの「管理人」さんに迷惑と思いますが、事業団にとっても「歴史」に重要な事柄がありますので暫く投稿する事を許して下さい。尚、掲載不能と判断されれば連絡願います。
1976(昭和51)年5月に業務部が沿革どうりに間違いありません。この年は世界にとっても事業団にとっても重要な事柄が多いです。6月22日ロッキード事件で全日空丸紅から初の逮捕者、7月8日東京地検が外為法違反で全日空の若狭社長を逮捕、7月13日同容疑で檜山丸紅前社長を逮捕、7月27日田中角栄前首相を逮捕、その後佐藤孝行や橋本登三郎など同事件での逮捕者あいつぐ。7月3日ベトナム社会主義共和国発足。7月20日米国の火星探査機が火星軟着陸に成功。9月9日中国の毛沢東主席死去。
献血供給事業団の大きな変化は組織機構の改編による新体制であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
業務連絡会議(昭和51年4月12日午後2:00〜)
司会 竹内局長 (出席者)木村業務課長、菅野総務課長、青木武蔵野支所長、日下業務課長補佐、西林葛飾出張所長、山本城北出張所)
 議題 1 組織機構について
    1 それに伴う部内人事について
    これについては次のとおりとする。
 業務課を業務部とする。
 事務局ー業務部ー業務第一課、業務第二課、検査室 に改組する。
 業務担当について
          続く

63日下 一男:2009/02/10(火) 12:09:37
 業務第一課(1)輸血用血液の業務全般に関すること
      (2)輸血用血液の需給調整に関すること
      (3)輸血用血液の器具販売に関すること
 業務第二課(1)血漿分画製剤販売に関すること
      (2)その他医薬品に関すること
      (3)前二項に付随すること
 検査室 従来どおりとする
現在事業団職員は局長以下64名(女子10名)である。
 改組による人事異動は次のとおりとする。
業務部長兼務業務第二課長 木村雅是 業務第一課長 青木繁之
武蔵野支所長 日下一男 葛飾出張所長 西林靖紘 城北出張所長 山本嘉八
業務第一係長 五代和夫 業務第二係長 秋葉要明 武蔵野係長 児玉政夫
葛飾係長 唐田忠司 城北係長 本橋喜代一 業務第二係長 中沢政夫
 職員の異動について
古川繁治 総務課ー一課 紀平和美 業務ー総務課 山田善恵 業務ー葛飾
斉藤秀之 業務ー武蔵野 千葉敏明 葛飾ー一課 斉藤薫 武蔵野ー城北
山内功 城北ー武蔵野
 以上 人事異動の発令は5月1日付とする。
 その他議題
 1 本部事務所建設(地下一階、地上三階)
 1 車両整備
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 以上なことで新体制が発足した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 課長会議 (昭和51年6月4日)
司会 竹内局長 (出席者 木村部長 青木課長 菅野課長 日下武蔵野所長)
 議題 1賞与の件( 守秘義務により省略します)
    1建築の件(本部建物)
    110周年記念行事について
    1コンプータ導入の件
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 このように課長会議と業務連絡会議は厳然と区分された。つまり管理職会議とは課長会議である。
 これが私の以前に書いた自伝記の事です。

64日下 一男:2009/02/10(火) 15:14:50
追記:上記した6月4日の課長会議に藤田賢二郎氏がオブザーバーとして出席してるので、肩書きが無いですが何らかの重要な位置にいるか、単なる書記なのかハッキリしません。その翌年1997(昭和52)年の業務会議の事が記されています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 業務連絡会議 (昭和52年5月13日午前10:30〜)
司会 竹内局長 (出席者)木村総務部長、青木業務部長、末綱総務課長、日下武蔵野支所長、西林葛飾出張所長、山本城北出張所長 藤田(肩書き不明)
局長から話が始まり次のような要点。
1.田中血液事業部長の就任に伴って招集された日赤の血液センター部長会議に私もオブザーバーとして出席したので、その一端を紹介する。
(1)現在日本国内で使用されている分画製剤に占める日赤の献血によっての原料血は20%足らずで残りは外国からの輸入である。
(2)血液事業学会を設立する。
(3)5か年計画で献血本数の引き上げを年々5%以上とする。
(4)全国的な供給体制の整備を行う。
(5)供給手数料について
日赤が委託している業者では東京都が一番安い。卸売連合会500円、岡山・徳島500円、事業団450円。
(6)海外研修について今年は9月25日からの二週間とする。52年アメリカ53年オーストラリア54年アメリカ・カナダの予定。
(7)51年度の血液センターの財政事情、全国センターの内で32〜33センターが赤字である。
続いて事業団についての討議に入る。
 以下に議題があげられ討議が続き、午後から課長会議が始まる。

65物見遊山:2009/02/10(火) 18:13:12
何のために一杯
書いたの?
いっぱい
飲まなきゃ。
青木はどうするの?

66ベンジャミン:2009/02/10(火) 23:04:34
しかし、献血供給事業団にもこんな立派な人がいたんですね。
それに比べて、今の青木軍団は何やってるんだろね。作業室
よりどでかい総務室を作って、この期にも及んでも、スペース
的にも制約がある中、役員室作って反っくり返っているんだから
救いようがない。日下殿、一度辰巳に来て事業団のレイアウト
見てやって下さい。どう見ても変だよ。

67日下 一男:2009/02/11(水) 00:19:44
訂正があります。昭和52年5月13日の中で木村氏が総務部長は業務部長、青木業務部長は業務第一課長が正しいです。申し訳ありません。この体制は昭和53年9月8日の会議まで続いております。また出張所長はどちらも「心得」が付いています。
更に昭和51年4月12日の会議での係長の件ですが中沢政夫と本橋喜代一については「暫定」がついてます。
改めて御詫びいたします。
藤田賢二郎氏の肩書きについては推測ですが、太田出張所長と考えられます。と、言いますのは彼の奥様は太田血液センターに勤務していましたので。

68日下 一男:2009/02/11(水) 01:57:37
「ベンジャミン」さん、投稿有難う御座います。いずれ、いずれと言いつつも、相変わらずの病院通いが続いています。
私は「献血供給事業団」の「歴史」正しいものになるのを希望しているのです。別のスレッドの書いてますが、今の献血制度になった論文は私が書いたのが「基本」になってます。この時の業務会議の事を参考に書きますが余りにも多すぎるので大事な項目のみ記します。大事な項目は{1}{2}{3}{4}{5}{6}{7}になっており、それぞれの項目はまた(1)(2)(3)・・・・というように沢山あります。この日の会議は午前10:00から始まっていますが終わっているのが午後の6時になってます。
この時の事に、私事について書いてますが、それは別にしてもそれが無いと読む相手に伝わりませんので原文のまま書きます。
「これが事業団での最後の会議参加であった。と言うのは、この時点で退職の決意が固まっており、9月に入って間もなく、10月31日付の退職願いをだしたからである。この事は竹内専務の預りで、9月15日まで青木克巳克巳局長以下幹部のしらぬ事であった。この頃、先に作り上げた血液事業関係の論文を印刷、製本する事が決まって、私にとっては記念誌となるものだった。3部作のものを一冊の本に纏める作業が急速に進められた。この時は紀平さん始め総務課の人達が頑張ってくれた。そして出来上がった。「輸血用血液の需給の現状と将来予測(全国と東京都について」というものでA5判もので108ページのもの。巻頭言は竹内専務理事が自ら書いてくださった。非常に嬉しかった。その後、日本輸血学会の村上省三会長が「世界の血液事情と日本の血液事情:献血供給事業団11月1日刊行*私の論文を引用」として、学会誌に発表され、大きな反響を呼び、昭和61年4月からの新献血制度になりました。

69日下 一男:2009/02/11(水) 02:23:39
またまた補充になります。「この時の業務会議」とは「昭和57年8月25日の業務連絡会議の事であり、出席者は竹内専務、青木克巳理事兼務局長、木村理事兼務総務部長、青木繁之業務部長、末綱、西林、藤田、山本、日下
オブザーバー五代」の事です。

70ベンジャミン:2009/02/11(水) 23:38:32
日下様お体大切に。
しかし、今の事業団の業務会議はくだらないよ。
こないだも、あまりにもくだらなすぎて、居眠り
扱いちゃいました。ここの投稿の事を語った奴
は犯人だとか・・まぁ、金玉のちっちゃぃ連中
ばかりだね。

71日下 一男:2009/02/12(木) 09:03:43
「ベンジャミン」さん有難う。病気克服に努力します。しかし、業務会議というのは、各部所においての業務報告やそれに対しての反省や良い事があればそれを取り入れるなどの会議であり、前向きな姿勢が望まれる場である、と思います。犯人捜しなどの会議でない筈ですが。
ところで、私が今まで書いた中に「沿革」についてのヒントを沢山記載してます。
創立以来、業務(血液供給)が優先されいろんな規則は、後回しの状態でした。以前、青木理事長に創立直後の就業規則についても不備がありそれについての加筆修正した書類を渡してますが、その書類は事業団にとって貴重なものである、と思われるので個人で持つために渡したものでは有りません。
この様な状況ですから、備蓄病院や派出所、出張所などの区分についても規則が整備されたのは、だいぶ後の事です。
ですから、今までの投稿で間違いなど指摘してます。また「沿革」には総務部の設立について記載されてませんが、私が武蔵野支所長から本部の業務課長兼務城北支所長として戻った昭和55年3月10日には、総務部長は木村氏、業務部長は青木氏ですので、これ以前に総務部がすでにあった筈です。昭和54年4月19日の課長会議には肩書きなしで記入されてますが、出席者は司会が竹内局長、以下、木村氏、青木氏、末綱氏、日下、西林氏、藤田氏になってます。それ以降の記載を読むとまだ木村氏は業務部長の立場なので、多分総務部は、昭和55年2月25日の課長会議で「組織及び職制に関する規則の改正」が議題の一つになってます。
この会議について、次に書きます。

72日下 一男:2009/02/12(木) 10:13:52
 課長会議 (昭和55年2月25日午前10:30〜)出席者は上記してる
議題1)組織及び職制に関する規則の改正
    総務部を設けその下に庶務課と経理課を置く。
  2)当直体制のとる所は支所とする。
    昼間のみ運用の所は出張所とする。
  3)幹部人事異動の件及び異動時期について
総務部長木村雅是、業務部長兼務業務第二課長青木繁之、業務第一課長兼務城北市所長日下一男、庶務課長藤田賢二郎、経理課長末綱忠雄、武蔵野支所長西林靖紘、葛飾支所長山本嘉八、尚、辞令は3月10日付とする。事務引継ぎについては速やかに行う。
4)係長昇格の件、南公文を係長として異動する。5)新入職員の配置について及び教育関係について、期間は4月1日〜13日までとする。6)八王子支所開設の件、5〜6月とする。7)寮借用は三鷹に一つ。8)旅費規定は改定を要す。9)交際費は残り少なく極力抑える。10)コンピュータ導入で日赤はストップする立場だが当団としては早い時期に行う。11)制服については部長以下に支給する。12)輸送バッグは25本入り15本入り二種の個数確認をする。
 以上

73日下 一男:2009/02/12(木) 10:43:20
どうですか?青木理事長、白戸専務や北田総務部長以下部長や職員の皆様、私はこのように克明に記録を残しているのですよ。これで総務部がいつ出来たか「沿革」に記入出来るでしょう。私は前から書いてるように事業団に対して愛着心があるので教えました。だから青木理事長に何度も「事業団の歴史」について話かけたのです。貴方はこのように克明な記録を残してますか?私に対しては大酒飲み程度に思っているんでしょうね。青木の性癖についても記載してますよ。でもそれには直接には触れてませんよ。
人は財産という事を再度考え、職員を大事にして下さい。

74日下 一男:2009/02/12(木) 14:16:01
再度「沿革」について。昭和42年10月の葛飾出張所開設は無く昭和44年6月1日が正しく、この時から宿日直をしてるし、先に書いたように葛飾支所は昭和55年3月と明記すべき。昭和43年10月の城北出張所は日大板橋病院内が正しい。都立豊島病院内に城北出張所を開設した時期について調べてみるが、今のところ記載事項がない。比較的早い時期少なくとも昭和50年前だと思う。また、都立駒込病院内の派出所は昭和47年頃で期間が短くすぐに備蓄病院になった。太田出張所については全く記載がなく、申し訳ない。だが、城北出張所を支所と呼称するのは昭和55年3月から(都立豊島病院内の出張所から)。これが独自に土地を氷川台に購入し、建物をつくり移転した城北支所に結びつく。あとは指摘する事はないです。

75当時を知る関係者:2009/02/13(金) 14:58:27
大筋について、分るが
当時は供給が優先され
整理は難しい筈。
買血時代の全盛
時代。

76断言はどうか?:2009/02/13(金) 22:59:47
再度調査されては
如何ですか?
何事にも完璧な
ものは無いです。
人の記憶も薄れて
しまいますし。
ノートに転記ミスも
有りうると。

77日下 一男:2009/02/14(土) 00:17:21
確かにそのような事もあると思います。昭和42年の記載にたった一行ですが次のような事が書いてありました。「夏に都立豊島病院に行きカルテ保存室を見た」。場合によってはこの記述が重要なものかも。出来るだけ当時の事を思い出し、また当時の事を知る人もいますのでそのような人達にも確認します。
問題なのは、去年の父の十三回忌の時に、五周年記念誌を始め重要と考えた書類など全て田舎に置いてきたので確認が取れません。また自伝記とも言えるノートを書いてから手帳やメモなどは焼却処分してるので、今のところ何も言えません。
もし間違いなどがあれば御詫びし、訂正箇所も正確に記します。もう少し時間を下さい。当時は確かに忙しくいろんな事をやってましたから。とにかく青木理事長にも何度も伝えたように、事業団の「歴史」を正しくする事を自分自身でもしなければならない、と考えて、ある意味で反省を込めて先に記述したものを訂正するかもしれません。

78日下 一男:2009/02/14(土) 22:09:18
全て分りましたので、御詫びして訂正します。No74の葛飾については自分の事であり、辞令は葛飾出張所(心得)です。実際は9月半ばに準備の為に行き、血液センターの人達と同室で女子事務員と一緒に作業しながら男子職員と血液の供給をし、一室を借用して運用したのが10月1日です。ですから「沿革」どうりです。次は私の記憶違いです。結論は「沿革」どうりです。これについてはポケベルが重要な武器になってます。更には各都道府県の「各血液センターの独立採算=採血区域=献血者数」が大きな要素を占めています。区域の詳細は省きます。結論は城北派出所は存在してません。日大板橋病院は大規模な備蓄病院で、都立豊島病院も同様です。本部からのルートは2とうりです。1つは新宿ー豊島ー板橋ー練馬、もう1つは杉並ー中野ー板橋ー練馬の病院を対象に。緊急を要する時はどちらかの病院から持ち出し供給します。ですから纏める前に当時の課長青木氏に都立豊島病院に城北出張所の件を報告し、彼が後は交渉したと思います。
後は太田です。これは2つになります。最初は蒲田にあり、児玉氏と山崎氏、大森赤十字病院の横に新しく作られた血液センター(昭和44年11月)での時は藤田氏、土本氏です。派出所といっても直勤は少なく本部から品川ー太田、目黒ー太田経由で太田派出所に行き、他県から空輸される血液を羽田空港まで受け取りに行き帰りも似たようなルートで血液供給しながら本部に戻る、これが多かった、という事です。人も少なく職員は最大に働き、また宿直や日直もし、また翌日も勤務する日々でした。何処の部所も同じです。理事長以下全て「献血一元化」に向けて邁進したのです。
献血者の皆様、「献血供給事業団」の創立後について再度考えて、投稿されるよう希望します。尚、現在の事業団の姿勢に異論があれば誰かが投稿したように「ビシバシ」指摘して下さい。青木理事長以下読んでる筈です。

79投稿しても:2009/02/14(土) 23:15:41
無駄でしょう。
腐れ東京赤十字がこんな団体に何年も運搬頼んでるだぜ。
献血者が投稿したってどうにもならんよ。

そうでしょ、青木理事長。
反論があるなら行動で示して頂戴。

80日下 一男:2009/02/15(日) 08:25:15
追補:この昭和32年10月から供給基地は4箇所になり、本部は業務課長青木繁之、武蔵野支所は支所長(理事の木村氏を除く)、葛飾出張所長心得日下一男、城北出張所心得五代和夫らを含め4基地で当直体制が出来ました。大型備蓄病院用の冷蔵庫は当時事業団基地が発注してた株)エバラ(後の荏原)が製作したものより小型化したものでです。更には山口専務と都産婦人科医師会と話し合いより小型化した冷蔵庫を10箇所ほど置きました。これの費用は医師会からの寄附です。これの特長は緊急時に近辺の産婦人科病院が使用可能になり、それでも不足の時は基地からの供給です。事業団独自に設置した病院もあります。
上記投稿された人への回答はいずれかの時機に必ずします。
この時代の買血業者の廃止年を記します。昭和43年千葉血清研究所、同44年(株)ミドリ十字東京支店、、北里研究所血液銀行、(株)ニチヤク王子、葛飾血液銀行の2つ、同45年富士臓器製薬(株)預血センター、同46年トーヤク(株)血液銀行、同47年(株)相互ブラッド預血センター、同48年(株)血漿研究所預血センター、合計9箇所を5年かけて東京から無くしたのです。これは短いようですが私達にはとっても長い時間です。この間に赤十字にも協力、前に書いた緊急時の新鮮血の駅前での呼びかけ、渋谷駅前から血液センターまでの献血者搬送など。この当時の献血の仕方は3とうり。1つは血液センターでの献血(これが母体献血),2つめは移動採血車による献血、3つめは大きな会社や団体での集団献血です。
今は以前書きましたが立川駅での献血ルームの設置により、この献血ルームでの献血がほとんど占有してますね。今後とも献血に御協力を御願いします。
私はNo78に投稿するため、いろんな人の話も聴きました。何十年ぶりの人、憎い人、暫くぶりの人、みんなそれぞれの感想は違いますね。正直にいうと青木理事長に好意を持ってる人は少なく、いわば麻生総理以下の支持率と思えばよろしいのでは。
青木理事長、「職員やその家族達、また事業団を退団した人達も注視してます」、これらの人達は事業団を誇りとしてるのです。
理事長の職務は逃げる事ではなく、難局を乗り切るために人材を活用しなければならないのです。でも私が一番最初に投稿した文の締めくくりは「人材教育を忘れた」でしたね。

81日下 一男:2009/02/15(日) 08:44:20
ごめん、書き出しの件、昭和32年でなく、昭和43年です。訂正です。
ついでに、青木理事長や専務理事兼務局長の白戸氏はもう無給でも充分生活出来る、また引退後の年金も充分でしょう。私みたいに苦しくない、と思いますが。個人としては給料も退職金も少額で、年金額も少ないです。でも何とか生きてます。何か私に木村さんが約束してくれた家も売ったとか。
お金は死んでからもつかえるのかな〜?

82しりたい:2009/02/16(月) 05:33:41
別のスレでエイズ問題の
委員会の委員に
青木がなぜ委員に?

83日下 一男:2009/02/16(月) 10:59:59
これについては詳細について分りません。投稿された人は出勤される前に書かれたのでしょう。
投稿の文を前にして何から書いていけば良いのか悩んでます。全ての人には長所と短所があり完璧と言える人はいないと思います。
青木氏が委員になったのは、彼が米国や南米での血漿の買血調査を命を懸けてやった、と後日に本人や知人から聞きました。この時期は私は事業団に在籍してないのです。でも彼の努力により完全な法律とはいえませんが、笹川会長を始めとする人達によって「エイズ事業法」が出来た事は間違いないでしょう。彼の話では米国で調査後、中南米のベリーナで飛行機に乗って飛び立とうとした時にゲリラから銃撃を受け、ちょっと離れた席にいた白人が直撃されて亡くなられた、という事です。すぐに離陸したので彼は無事に帰国し、その実態(買血血漿についての危険性)を知っている事により厚生省の委員に任命された、と聞きました。
私は以前昭和57年10月31日に退職した事について書いてますがそれに至る経緯は書いてません。先程も書きましたが私も同様に欠点も沢山あります。
私は武蔵野支所長から業務第一課長兼務城北支所長として本部に戻ったのが昭和55年3月1日です。その間に日赤の供給課長会議から外されていた事は前に書いてます。この会議に復帰するまでの経緯について少し触れます。これには当時の中央血液センター供給課長松村氏が深く関りがあります。その部分を記したのがありますがノートですぐに見つからないので後にします。
またエイズの件に戻ります。昭和55年の夏頃と記憶してますが、村上省三教授が事業団に来られ「何か変な病気が米国で出てる」と業務部長の青木氏と私に話されました。間仕切りした部長室で。その後、私が在籍してる間は青木氏が米国に行ってないので、調査に行ったのは昭和58年になってからだと思います。この様に彼は日本や日赤、事業団のために立派な仕事もしてます。
私事については事業団の歴史について記すときに必ず出ますし、また山口専務の退任や木村理事の事など出るでしょう。
突然だが、藤田氏が総務係長の時に書いた辞令(五代氏の懲戒免職)を木村氏が翌日に破棄。謎です。更に事業団に戻った昭和61年、藤田、西林両部長が散々病院の口座を無くしていった五代氏(当時課長?係長?)が彼等の上司になるとは?これも謎です。私はまるで分りません。これを知る人はいないですかね。

84日下 一男:2009/02/16(月) 14:37:52
有りました。血液センター供給課長会議への参加の件。先に実名を記した藤田氏や西林氏、松村氏など他にも沢山おりますのでこの場でお許し下さい。問題があれば電話でも投稿でも構いませんので指摘して下さい。
さて、記した内容です。{昭和55年の暮れも押し詰まろうというのに、日赤への都内供給担当課長会議への参加は以前として駄目だった。12月5日(金)に竹内専務理事と個人的に会って、どうしてこんなに冷え切ってしまったのかいろいろ分析しあった。そして次の事柄で合意したと言うか確認しあった。(1)都内供給担当課長会議の件については全て日下の判断及び決定に任せる。(2)東京都センターとの協調について:特に相河課長と五代支所長の犬猿で:竹内専務「日下君と相河課長は親友なので安心してるが、どうも五代君とは上手くいってないのではないか?五代君からの報告と日下君の話とでは相河課長に対する評価がかなり違っている。五代君はさておいて、日下君の方で何とかカバーしてくれないか。何としても対立的感情にはしたくない」。私は「業務課並びに城北支所を指揮してる。それに加えて武蔵野支所の前任者とはいえ、それをカバーしろとは五代君の為に宜しくない。お断りします。ただ都センターとは城北支所との絡みで繋がりがあるし、また個人的にも相河課長と友達なので何らかの形で協力は出来ます」。竹内専務「それで結構」。それから後の12月10日(水)朝に「都内供給担当課長会議が午後2時開催」というニュースを掴んだので、即刻都支部の若松課長に電話して、会議への参加(オブザーバーでも良い)を御願いした。渋っていたが折り返し電話が来てO・Kの返事だった。実はこの事を知らせてくれたのは松村課長であり「日下さんが都支部へ電話すれば、必ず支部は僕のところに相談するだろうから、その時に止むを得ないだろうと返事します」。と言う事で参加した。松村課長有難う。今までの流れから一気に参加は難しかったのだろう。その後は都センターでの会議になるが、やはり同じ様に松村課長が都センターの松永所長に根回しをしてくれていた}
以上が記されたものです。松村さん今でも感謝してますよ。
ハッキリ言って青木理事長、この会議から外されたのは貴方の時ですよ。私が武蔵野の支所長になる前はこの会議に事業団は参加してますから。

85善意者かな?:2009/02/19(木) 18:09:41
この事業団には
本当の侍はいない。
何も言っても無駄
だと思う。
誰かが書いたように
日和見の人ばかり。

86日下 一男:2009/02/21(土) 09:23:29
「おおつ」さんに御詫びします。勉強不足で、献血制度の変更により、現在は69歳迄でした。「献血は出来るが病気により現在は出来ない」と記すべきでした。次に杉田公三氏に対する文の中に「あってはならないこと」という役人用語ですが、当時の新聞記事ではこの用語の意味は「自分達に責任はなく、責任は他人にある」と解説されてました。言葉は時代の流れにより変化しますが昨今のマスコミにおいても頻繁に使用されるようになり、正しい日本語を伝えていたNHKまでが使用するようになって残念に思ってます。責任の所在が明確でなくなってしまいました。早急は「さっきゅう」と教えられましたが「そうきゅう」が多く使用されてます。唯一NHKでは「さっきゅう」と読んでいますが。以前にも記しましたが綺麗な美しい日本語を残したいです。
No79の「投稿しても」さんの意見は当然だと思います。しかし、青木理事長の性格を知るのに貴重なものがあります。私達は会社が借用してた家で、一階が久山人事課長一家に住み、二階が寮として六人が一緒でした。その中に青木もいました。五月のある日に誘いがありました。「これから初台のストリプ劇場に行こう」と。私は余り気乗りはしなかったが一緒に出かけた。面白いと思わないので途中で寝ていたら突然スピーカで「そこのお客さんテーブルを叩かないで」、目を開けたら青木が踊り場を叩いていた。劇場を出てから一人で「柊」というスナックで飲んだ。流れていた曲がバーブ佐竹の「骨まで愛して」だった。六月になり高校卒の女子を含め大卒達に会社の命令により「高分子工学」の講義をした。当時は高分子工学は珍しいものでアメリカのナイロン、日本のビニロン程度だった。講義内容は「高分子工学の利便性と危険性」だった。この世に存在しない物質を創るのだから。これはC(炭素)を用いていろんな物質を作る。今では住宅で80%ぐらいは使用されてるし、車や携帯電話、それ以外にも沢山使用されてる。逆に病気を含め公害も数多い。
七月にお酒を飲みすぎ吐血した。日曜で寮に誰もいず、たまたま久山さんの奥さんの妹が来ていて気づき世話をしてくれ、久山課長の厚意により増山外科に入院し、慢性盲腸炎を切り取った。腕の良い医者で横隔膜を横に切り傷跡はほとんど無い。事業団創立間もなく増山外科から緊急要請で血液を運んだ。先生は私を覚えていて「飲兵衛元気で何より」と声をかけてくれた。大阪支店に配属されてからの事については、東京で青木が犯罪的行為をした事は別の機会に書く。

87日下 一男:2009/02/21(土) 11:49:08
続きを書きます。八月になり、いろんな勉強を教えて貰い「有難うございます」と言う事で高卒の女子職員が横浜中華街に招待してくれた事については以前に記しましたが、その為に最も勉強熱心だったのが二人の彼女達でした。武富さんは後にかなりの地位まで得てますので正に悪い人でないと出世しないのですね。
さて大阪支店に配属されてから暮れに「フミちゃん」から電話があった。「フミちゃん」とは入社後の十一月に渋谷の道玄坂にある「バー紫」で働いていた女の人です。住まいは三軒茶屋と聞いた事があるが。電話の内容は以下のとうり「どうしても話さなければならないわ。実はね。日下さんが大阪に行ってから話し合える人も無いもんだから淋しかった。ところがああ言う人(青木を指す)って話が上手いのね。親切に見せかせて店で酔った振りして「遅くなり、寮に帰るのも何だから一晩泊めてくれる。そうしてくれたら嬉しい」フミちゃん「いいわよ。日下さんのお友達だから」。ところがアパートに入ったら青木が「やらせろ。男と女だ」。それがフミちゃんにとっては最大の侮辱であった。「冗談もいい加減にしなさい。日下さんの事を思って泊めたのに」。「あんな奴の事を考えて無い」。「
そこで乗っかろうとしたので思いっきり首を絞めた」。諦めて帰った。「日下さんどうする?警察に届ける?」。私はしばらく考えて「そこまでする事はしないで、友達だから」。こう記している。青木理事長、以前にも「縁」について書いたが何処かで必ず繋がりがあります。拉致された田口八重子さんにも私は「縁」があります。池袋のキャバレーハリウッドで。高校の学年でクラスが違うが、今は彼は常務取締役になってる。
それからNo85に投稿された人へ。事業団にも立派な幹部もいるし職員にもいます。「
歴史」の真実を確認する為に沢山の人に電話したし、今までの投稿を読んで感想を述べた人もいます。現役の人は「あまり理事長の悪口を書かないで、意見があれば自分で言う」別の人は「意見具申は必ずする」など。
傑作だったのは五代氏だが、「これから事業団はどうなるだろう」と聞いたら「あの理事長では長く持たない」だと。多分このサイトを知らないのだろう。それから今はボランチアをしてる人だが「日下さんや青木さんの為なら何でも協力します」と言ってくれた。彼女は事業団に同窓会があると信じている。私はそれ以上の話は出来なかった。同窓会とは住所が分る人全てにそれなりの案内があるものだと思う。貴方が「辰己に来て」といっても正式な移転の案内状は届いていません。幾人かの人達もそう話しています。
改めて伝えます。剣道の事を記したのはそれとなく、理事長に礼儀を弁えて欲しいと希望したのです。

88検証者:2009/02/22(日) 22:35:05
日下様は去年から投稿なさってますが、応援したいのですが心事を述べて下さい。
「1」事業団の歴史について「2」礼儀や心について「3」就業規則の改正について「4」青木の性格について「5」幹部の問題について「6」赤十字との関係について「7」五代の問題について「8」紀平の問題について「9」財)日本血液研究所の存在について「10」皇族と宮内庁について「11」臍帯血事業について「12」在宅医療について「13」血液事業のあゆみについて「14」論談に投稿された記事(大槻と平久江)について「15」松永所長の関係について「16」有田美智世について「17」木村との関係について「18」退職と復帰について「19」清水勝との関係について「20」浅野茂隆との関係について「21」藤田と西林らとの関係について「22」芸能界との関係について「23」小川茂との関係について「24」恨みについて「25」松村との関係について「26」人脈について「27」酒について「28」守秘義務について「29」情報網について「30」尊敬する人物について
その他、思い出や反省、宗教戦争などについても記してるが、現在の心境を知りたいと同時に真実を述べて戴ければ検証できると思う。

89日下 一男:2009/02/22(日) 23:13:33
一度に沢山の書き込みに吃驚してます。頭の中を整理してから回答します。時間を下さい。別のスレッドでも途中なのです。いろんな思いは沢山ありますが、私の望みは、事業団に対しての愛着心から出てますので理事長を始めとして職員の皆様が誇りを持って職務に精進される事です。

90日下 一男:2009/02/23(月) 13:52:22
考えました。「検証者」さんはあまりにも詳細な事まで記していますし、古い話も多く、これらを知るのは数少ないです。
個人名を上げられた人達に心から御詫びします。
貴方は御自分の身分を述べず、沢山の質問をされてますがこれが「正しく礼儀を欠く」と言う事です。敵か味方か分りませんが、応援など必要ないです。これからも自分で思っている事を記します。多分、貴方が望んでいる部分もあると思います。投稿についてはメモしたので、順不同で触れていきます。
「献血供給事業団」が日赤と共存共栄する針路は1995(平成7)年に提言した「在宅医療に関する供給サービス(これはB4判で現状や将来予測も含むもので手書きのかなりの分量:青木理事長も持ってる筈)」しか選択の余地はなかった、と今でも思ってます。どこで羅針盤が狂ったのでしょう。職員の定年延長や幹部の役職停年もこれが「基本」になってます。無料で患者さんに届け、日赤の血漿分画製剤を販売出来て、IVH(高カロリー輸液)も届け、更には日赤の医師や看護師が患者さんの「心のケア」をする、廃棄物は持ち帰り日赤に御願いする、壮大な構想だったと思います。
青木理事長そう考えませんでしたか?セコムやワタキューセイモアなども血友病患者さんやIVH患者さんの名簿まで提供してくれたのに。通院で行く度にこの事業は事業団がやってたものだと落ち込んでいます。

91日下 一男:2009/02/23(月) 15:37:36
追捕:私が事業団に復帰したのが昭和61年3月ですが、この前後に、論談にも投稿してるが、日本政府は大きな方針の誤りをしています。1985(昭和60)年は日本は絶頂期にあり、米国は恐れていました。これにより経済面での日米戦争が始まっています。政府の誤りは大きく分けて(1)トロン計画、(2)放送網のデジタル化、(3)NTTの分割、です。いずれも検索すれば分ります。(1)(2)を推進し、(3)を中止してれば、現状の日本にはなっていません。いずれも大変重要なものでした。テレビを見る度にアナログの表示が出て不愉快です。トロン計画は当時東大助手の阪村健さんが研究していて、マイクロソフトのパソコンより千倍も早く立ち上げ可能な技術でした。経緯は検索で分ると思います。事業団でも大きな誤りをしています。木村氏が退職せざるを得ない事情が隠されています。また日赤とも軋轢が生じています。
   今日は皇太子殿下の誕生日ですね。雅子様や愛子様との一緒のお姿を拝見し、大変嬉しく思いました。
ところで、米国では国旗や国歌に対し非常に素晴らしい態度を示しますが、日本では法律があっても守る人は少ないですね。国旗はどこで手に入れるのでしょう。オリンピックでも国旗が掲げられる時に選手が国歌を歌う姿はあまり見かけません。この様な国は日本だけでしょう。
早く礼儀を弁えて欲しいです。事業団でも以前は団歌が流れていましたが。これも職員にとって大切な事ではありませんか。

92日下 一男:2009/02/28(土) 02:15:19
霜山先生の許可を得ましたので引用させていただきます。
帝京大ルート判決に思う:霜山龍志:
 いわゆる薬害エイズ事件の三大ルートのうち、安部英元帝京大学副学長が起訴されていた事件の東京地裁の判決があった。一般の予想に反して判決は無罪であった。
 以下に論点を整理して、この判決とそれに至る事実について論じてみたい。
*起訴事実
 本件起訴事実は、唱和五十五年に帝京大病院外来に来院した血友病患者に対して当直医が非加熱製剤を投与したものであり、安部被告はその「指導責任」を問われた。
 本件注射によりHIV感染が起きたことは、たまたま以前の患者血清が残っていたために、遡及的に調査した結果、注射の前後でHIV抗体の陽転が起こったことで証明された。HIV感染がその後のエイズ発症と死亡の原因であることに争いはない。
 したがって、本件は血友病患者一三四二人が感染し、今日までそのうち五O五人が死亡したとされる薬害エイズ事件の中の一症例にすぎず、安部被告の指導的医師として責任を法社会学的に問うための試金石ともいうべき訴訟であった。
 しかし、残念というべきか、それは方法論的には稚拙であり、唯一筋がよかったのは、非加熱製剤の注射とHIV感染の因果関係だけであって、安部被告の指導責任(いわゆる業務性の問題)と非加熱製剤注射によるエイズ発症の予見可能性の問題については、困難が横たわっていることは当初から予想された。
*判決の構造
 業務上過失致死罪における業務というからには、被告がその業務を直接・間接に実行したものであることが構成要件であるから、安部被告が当該救急患者の非加熱製剤注射に対して、直接の指示をしたことが明らかでないにもかかわらず、その業務性を肯定するとすれば、帝京大学病院として血友病患者には非加熱製剤を注射しなければならないという事実上の内規が安部被告の独断によって制定されていたことを証明しなければならなかった。判決は、この点についてよりゆるやかな疎明でよいとし、証人らの証言から業務性を肯定している。
 一方、予見可能性については、医療の水準論の問題になるが、最高裁判例(昭和六十一年など)は、医師のなすべき注意義務はは民法上の善良な管理者としての注意義務を超え、人命をあずかるという高邁な職責に照らして、危険防止のため実験上要求される最善の注意義務でなければならないとし、その水準は当時の臨床医学の実践における水準であるとしている。
 この観点からみると、判決は当時多くの医師が血友病患者に非加熱製剤を投与していたのであるから、安部被告がいかに血友病治療の第一人者であっても、その行為を指弾することはできないとしている。この論理構成自体はまっとうなものであると考える。
 しかし、問題は原告側も指摘しているように、HIV研究班班長であり、止血血栓の権威といわれた医師による”非加熱製剤問題なし”という判断が全国の医療レベルを制約していたことは確かであり、この点に”原因において自由な行為”にも似た新たな論点の定立を認めるべきではなかったか。
 (まだ続く)

93日下 一男:2009/02/28(土) 10:38:07
 一方、そうした権威者としての責任を問うとしても、現実に非加熱製剤以外の選択肢があったかという問題は、特に民事訴訟であれば問題になろう。この場合は加熱製剤が承認されていなかったことが致命的であり、その原因にも被告自身が関与しているらしいという複雑な要因が垣見られる。さらに、安全と考えられるクリオ製剤の無視については録画テープまであって、被告がこれに積極的に関与したことは事実であり、この点における被告の責任は無視できないところである。
 判決は以上の点の多くに言及したが、特に治療の選択肢に関する被告の責任についての被告部下医師らの証言を「後日の供述」として退けた。そして予見可能性の程度については低いとし、注意義務違反を認定しなかった。判決の論理構成には破綻がなく、いくつかの複雑な法的技術論が残るというしかない。
*責任論
 大阪地裁でのミドリ十字三社長の実刑判決との落差に憤る方もおられるであろうが、本件は当初から複雑な問題を抱え込んでおり、それは通常なら患者側に立つはずの東大の本田医師グループ(脳死移植で医師らを殺人罪で告発)や弘中弁護士が安部被告側に立ったことでも明らかである。
 それは安部被告本人が、「自分は医師として努力はしたが、能力が足りなかったかもしれない。しかしそれについては謝罪することはできない」と言っていることにも窺われる。つまり、HIVというような新しい感染症の出現にあたって、果たして止血血栓の大家が正しい判断をすることができたであろうか。感染症学やウイルス学の大家こそ、それに責任を持って答えを出すべきでなかったかということである。事実、研究班にはウイルス学の大家が二人(注:多分、安部英教授と塩川優一教授だと私は思う)もいたのである。
 研究の初期には全貌は見えないものである。確かに一九八五年の時点で、帝京大の血友病症例四三例中二八例に陽性反応は出ていたが(ギャロ博士への依頼検査)、これがいわゆる非特異反応でないという証拠はなかった。安部被告が感染率や発症率を低く見積もっていたのは故意ではなく、結果的な予見能力の欠如というしかない。
 ことほど現代の常識から過去を裁くことはやさしいが、その常識そのものが、HIVと苦闘してきた患者や医師および多くの人々の努力によって得られたことを忘れてはならないと思う。
 確かに阿部被告には、製薬会社との関係で怪しい点はみられるけれども、われわれは人の内心にまで立ち入ってその非を鳴らすことは控えなければならない。結果としての行為が故意であるか過失であるか、はたまた能力の欠如による過誤であるのかの問題に尽きるからである。
(まだ続く)

94日下 一男:2009/02/28(土) 13:22:16
*結語
 この事件後、厚生省の裏庭に薬害防止の碑が建てられたという。顧みれば、HIV研究班に提出された帝京大の血友病症例が、わが国のエイズ第一例に認定されなかったことに薬害エイズ事件の暗い胚胎があったと思われる。このことが、当初はあれほど血友病患者のHIV感染を心配していた安部被告の心に闇をもたらしたような気がしてならない。
 一審は無罪であったが、法論理構成はいかようにも変えられるので、上級審これを堅持するという保証はない。被告にとっても被害者にとっても、長い戦いが続くのであろう。
 一方、薬害エイズ事件がとりわけ血液製剤の安全性に対する関心を惹起し、今日血液製剤のウイルススクリーニングは核酸増幅検査という最先端の技術を応用するまでに至った。しかしながら、医療に限らずこの世の行為は、常にその効果と危険の比較衡量の上に行われているのであり、100%の安全や100%の無謬を期待することは誤りであろう。医療従事者、患者そしてその家族がこのことを十分認識して医療行為を選択する時代に入ったといえる。
                      (日本医事法学会会員)
これが日本医事新報No4020(2001年5月12日)に掲載された霜山先生の論文です。
 論評については後日にします。と、言うのも別の本「AIDS−その現況と対策ー順天堂大学医学部内科講師松本孝夫、高橋浩文 共著 ライフ・サイエンス発刊 1987年」に当時の厚生省AIDS対策専門家会議委員長(順天堂大学名誉教授)塩川優一氏が「発刊に寄せて」と最初のページに一面全部を使って書いてます。年月日は1987年3月15日付です。
 しかし、この年月日には私は疑問を感じます。これが正しいとすれば事業団の現理事長の青木氏が委員になるのは難しいと思います。少なくとも私が退職したのが昭和57年10月31日ですから、その直後に海外に調査に行っても帰って来るまで、時間的に委員になるのが可能なのか、米国やベリーズなどでの調査はそんな短期間では無理だと思います。空白なので、青木がいつからいつまで出かけていたのか、事業団関係者で分る人達が読んでいたら教えてください。

95日下 一男:2009/03/02(月) 00:04:39
HIVやエイズについて凡そ分りました。それでは「AIDS−その現況と対策」の「発刊に寄せて」を記します。
 今や、AIDSは世界的に大きな問題になっている。ところが、わが国では、最初、患者が男性同性愛者、血友病患者などの間に発生したこともあって、他人事のように受け取られる傾向があった。ところが、今年1月、神戸で女子のAIDSの症例が報告され、さらに高知において抗体陽性女子の出産があるなど、AIDS問題は俄かに身近に迫って来た感がある。
 著者らは、私とともに、すでに1983年という、日本としては非常に早い時期からAIDSの問題に取組み、1985年には、わが国のAIDS第1例を診断、厚生省に報告した。すなわち、わが国のAIDS学の草分けであり、今後の活躍が期待されている。今般、AIDSに関する著書を発刊されるというので拝見したが、最新のAIDSの知識を図解で示し、さらに自己の豊富な臨床経験を交えて記し、誠に立派な本であると感心した。
 この本によって、AIDSの正しい知識が広まり、また、臨床医家の日常のAIDSの診療の役に立つことを大いに期待するものである。以上、推薦の言葉とする。
             1987年3月15日
   厚生省AIDS対策専門家会議 委員長
   順天堂大学名誉教授 塩 川 優 一
以上が塩川先生の文章です。皆さんどの様に読まれましたか。ここでは論評はしません。
シオヤマ先生のスレで帰します。ここは事業団について投稿するところですから。でも多少は青木理事長も小委員会の委員として活躍してますね。

96日下 一男:2009/03/03(火) 16:33:34
以前に記したdisk・floppyの分類表が見つかりました。当時の国会図書館でのコピー代は高く、新聞紙からの記事は一枚で20円、マイクロフイルムからの記事は一枚で70円でした。午前であれば当日、午後になれば翌日に受け取りが可能でした。
分類は次のとうりです。1)血液2)輸血3)買(売)血4)献血(輸血の申し出・美談など含む)5)血清・ワクチン6)日本赤十字社(関連する皇族・医師・看護婦・人事、一般行事、外国の赤十字)7)医大・医専など8)病院(診療所、療養所)9)診療(無料診療、移動診療)10)医師(学位授与、医学士、医学博士、事件、死亡、自殺)11)薬剤師(前記に項目に同じ)12)看護婦(夫)(事件、死亡、自殺など含む)13)産婆(助産婦)(前記項目に同じ)14)人物・学者(ノーベル賞や表彰など、著名人・下記余白参照)15)学会・学術関連(医学会、医師会、学術会議、発明・発見報告など)16)法律・規則(健康保険法、救護法、衛生組合法)17)保健1(保健所、栄養・栄養調査)18保健2(育児・赤ちゃん表彰、健康優良児、乳幼児・児童)19保健3細民(貧民・カード階級)、欠食児童、飢餓)20衛生1(食中毒、ガス中毒、寄生虫、毒ガス、防疫関連、ハエ取り)21衛生2(大気汚染、海洋汚染、騒音、上・下水道、し尿処理)衛生3(理髪、浴場、氷菓子、牛乳、食肉、禁酒)人口1(国勢調査、人口調査・問題)人口2(産児制限、優生相談、結婚、遺伝)人口3(乳幼児死亡率、長寿、高齢者、寿命・生と死)26臓器移植27犯罪(麻薬密輸、偽医者、堕胎事件、狂言、誇大広告)28療法のQandA(投書によるもの)29漢方薬(一般野草を含む)30医薬品(合成薬、ビタミン、ホルモン)31コレラ(法定伝染病の1つ、コロリともいう)32赤痢・疫痢(法定伝染病の1つ、細菌性とアメーバ赤痢がある)33ペスト(法定伝染病の1つ、黒死病ともいう)34チフス(法定伝染病の1つ、腸チフス・パラチフス・リケッチア)35しょう紅熱(法定伝染病の1つ、小児に多く赤い発心)36天然とう(法定伝染病の1つ、仮とうも含む。とうそう・ほうそう)37ジフテリア(法定伝染病の1つ38脳脊髄膜炎(法定伝染病の1つ、髄膜炎・脳膜炎)39日本脳炎(法定伝染病の1つ40結核(結核予防法・1951年公布による処置)41届出伝染病(インフルエンザ、狂犬病、たんそ、伝染性下痢症、百日咳、黄熱、麻疹、急性灰白髄炎、破傷風、マラリア、フィラリア病、回帰熱)42一般の伝染病(レプラ・ハンセン病・らい病、デング熱、トラホーム・トラコーマ)43がん(癌)44糖尿病45その他の病気(眠り病・嗜眠性脳炎・アフリカ嗜眠病など、おうむ病、職業病、日射病、肺炎、風邪)46奇病・奇形(航空病、角男、原因不明)47動物の病気(豚コレラ・ペスト、おうむ病)48歯科関連49発行物(医薬新聞・雑誌など)50その他
以上の50に分類してます。ですから事業団の項目は有りません。

97日下 一男:2009/03/07(土) 09:02:42
上記のフロッピーは、昭和元年から昭和5年までのものですから、献血供給事業団の分類項目がないのは当然のことです。
輸血と言う項目があるのは当り前の事ですが、すでに「献血」という言葉があるのには驚きです。記憶にあるのは軍隊内での事故の時や、政治家の暗殺に絡んだ輸血の際に国民が「献血」をした事実や、その他病院での「患者さん」の為に「血液の提供=献血」などです。
昭和6年以降は事業団に記事が必ずあるはずです。記事のコピー代や私の給与を含めれば多額の金額になります。
青木理事長を始め、職員の皆様、いや国民にとっても貴重な資料です。是非ともこれらの記事を分類して事業団が残すよう強く希望します。赤十字社といえどもこれからこの作業をするのは難しいでしょう。
それだけの貴重なものと思ってます。編纂して下さい。

98物見遊山:2009/03/09(月) 15:34:27
事業団関係者からの
話がまるでない。
なぜ?

99日下 一男:2009/03/12(木) 12:50:24
 青木理事長へ。「献血供給事業団何でもコーナー」が消えたと思って安心するのは早い。これから記す文章を読んで当時の事を思い出してもらいたい。
 1986(昭和61)年3月18日(火)に城北支所の私の部屋に中澤業務第二課長補佐が来室した。内容は血漿分画製剤の販売についてだが、昭和55年から56年当時の貴方の指示により、ミドリ十字のフィブリノーゲンやその他の製剤についての話です。随分酷い指示をしていたのですね。
 貴方は最後に村上先生まで裏切ったが、村上先生は常にフィブリノーゲンの危険性について話していたではないですか。私も同様に聞いてますよ。コーン分画で抽出される一番早い凝固因子であるのを。それを知りながらノルマを強要するとは。ここで全文を書いてもよいが、それでは貴方の品位に傷が付く。じっくり反省してもらいたい。
 思い出せないなら全文を書いても良い、と私は考えている。勿論一番問題なのは行政にあるが。

100日下 一男:2009/03/12(木) 13:12:45
付記しておきます。当然ですが彼の話だけではいけないので、当時業務二課に所属していた職員からも(数人)裏付けは取っています。

101日下 一男:2009/03/13(金) 07:56:49
このスレも過去や現在、未来について、更には司法や立法、行政についても論じるのに是非とも必要です。

102シモヤマ:2009/03/13(金) 09:27:04
エイズ薬害は血液事業の喉に刺さったとげのようなものですね。でも、これを適切に乗り越えていかないといけません。

103日下 一男:2009/03/13(金) 13:17:10
この件については近い内に必ず調査した内容を先生の立ち上げたスレに投稿します。小委員会の委員になった青木の私に話した内容が余りにも違いすぎるので。青木は私にこう話していたのです。「心配ない。これで非加熱製剤は使用出来なくなる」と。

104日下 一男:2009/03/19(木) 19:29:25
 青木理事長いや青木に読ませたい本がある。(財)日本血液研究所にいた時に山本峯章氏が私に贈呈してくれた『「NO」と言える日本』への反論、という本がある。
 その表紙に「友情」と「国威」の欠如が日本の致命的なウイークポイントになる!と書いてある。これを今の事業団に置き換えて考えてみたら。
 この本の「はじめに」と「あとがき」の文章がある。1990年 八月 盛夏のマニラにて 
こう後書きしている。出版社は大陸書房である。この人については検索出来る。その「はじめに」でこう書き出している。それを引用するのでじっくりと考えて。
 一九八九年の四月、西ドイツのシュミット前首相はニューズウイーク誌のインタビューに応じ、こう述べている。
 「国際社会において日本は真の友人を持っていない」
 シュミット前首相の口から「友人」という言葉が飛びだしたのを、このとき大方の日本人は意外な思いで受けとめた。
 友人を持たない国家ー日本人の心胆を寒からしめるおそるべき指摘。
 しかし大多数の日本人は、この発言の「意味の重大さ」にすこしも気がついていない。
 そこが国際オンチ日本人の、国際オンチたるゆえんである。・・・・・以下は省略する。
 これが事業団や青木の存在によく似ている。反論したくても出来ないだろう。

105日下 一男:2009/03/27(金) 14:16:22
青木理事長、全く返事がないのはどういう事だ。貴方は木村さんが心臓手術をした時に仲間と喜んで酒を飲み「乾杯」までしたと聞いたが、貴方は人間失格者だと思うが。
もう許せない。霜山先生に出来るだけの書類を送るつもりでいる。そしたらその中から青木の悪行について書くかもしれない。
事業団を擁護してきたが、職員からも定年延長の御礼の書き込みもない。全く礼儀知らずの連中だ。こんな組織は正に日赤の寄生虫だ。

106いらっしゃいませさん:2009/03/29(日) 15:43:59
>>101
日下様言うとおりでしょう。
日和見主義の固まりみたいな物だね。
たとえ、悪い事が発覚しても、見て見ぬふりをする者が正しく、それを
改めようとする者を徹底的にいたぶる体質があるね。
それで関係のない者が何人も辞めさせられた話も聞いてるし。
日下様の言うとおり、正に日赤の寄生虫ですね。

107暮川:2009/03/30(月) 00:42:31
おそらく、事業団の連中は書き込みはしないでしょう。
もし、そんなことをしてばれたら村八分どころじゃ済まされないでしょう。
そう言う思いをした奴はウジョウジョいるからね。センターの人間がよく
そう言う話を聞くけどね。日赤が全部やればいいんだよ。それが出来ない
のだったら、病院みたいに民間に委託したらどうだい。

108日下 一男:2009/03/30(月) 14:05:50
 その通りでしょう。もう事業団の役目は、昭和天皇が御病気になり輸血の血液を日赤の車でなく事業団の車を使用した時点で終えたと思います。
 しかし、日赤も大変でしょうがやはり供給は日赤がやるべきでしょう。
 先週の水曜日に病院に行ったら偶然、田辺三菱のプロパーに会ったが遺伝子組み換えのアルブミンの話をしたが、データ改ざんとは関係なく医療機関では薬価の点で外国製品を圧倒的に使用してると。半額で済む事が理由です。だから日赤も事業団も太刀打ち出来ないでしょう。
 この様な状態では血漿分画製剤の販売は事業団は赤字だと思う。当然日赤も。これで青木が退職金を貰うなら泥棒呼ばわりされても仕方ないと思う。青木は十分給料を取った筈だ。「心」があるなら今からでも無給にして、退職金も辞退すべき。

109日下 一男:2009/03/31(火) 12:35:27
今日、退職される人達がいると思いますが、厳しい中で事業団の為に尽力されました事に「感謝の心」を述べます。
本当にご苦労様でした。皆様の今後の活躍も期待してますし、健康にも充分留意されますように。
また、今後も在籍される職員の皆様の健康を祈念します。

110シモヤマ:2009/04/01(水) 03:36:31
供給を事業団が担当したのは経済的可塑性の観点もあると思いますよ
Hセンターでも大八因子国内自給の平成2年に供給課の半分は嘱託職員になりましたから
つまり供給にはたいしたスキルはいらないと思われているんですよ。
もっとも昨今のGMP
というのが手順さえあればだれでも作業ができるというのですから何をかいわんやです。

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112日下 一男:2009/04/02(木) 15:36:16
 就業規則を改正する前は「出向」について条文が入って無かった。事業団が笹川会長の事務所で秘書をしていた北田靖則の給料を支払い続けていました。
 これを最初に記事にしたのが、1995年(平成7年)8月30日(水曜日)の毎日新聞だった。この時の一問一答で北田は「笹川議員が落選しても事業団に戻るつもりはない。」と回答してる。
 更に1995年(平成7年)9月19日(火曜日)毎日新聞(夕刊)で「笹川議員の選挙も応援」「献血供給事業団:カラ出張で費用ねん出」「72年から運動員派遣」と報道してる。この間にいろんな報道機関が報じています。
 本来なら北田は逮捕されてる。

113日下 一男:2009/04/03(金) 07:36:36
これに先立つ1993(平成5年)4月19日に三通の木村雅是専務理事についての怪文書が毎日新聞に匿名で届いています。
これの裏づけを取るために尾崎記者がのりだした。
1つは=木村雅是専務理事の行動について=
1、公金の引き出しに関して
 平成3年9月以降、数回に亘り最高額3千4百万円の公金を経理課長に無理を言って引き出させ、理事長に無断で使途不明の使用をしていた。
 そして本年3月末に決算のため経理課長が返済を迫り、残額2千万円を返済した。が、4月5日に再度2ケ月間出金するよう経理課長に命令したので、経理課長は出納責任者である局長、理事長の許可を得なければ出金できないと拒否、木村専務は局長、理事長に申し出たが拒否され、出金されなかった。
2、裏金づくりに関して
 平成2年11月13日の起案により、職員社宅借入の架空の賃貸契約(月30万円で2年間)を作成させ、決裁を受けるため田中理事長にいろいろな説明をしたが、十分な説明になっていないため更に説明を求めたところ、最後には『笹川会長の世話をするための裏金である』旨を説明したが、理事長は「その必要があれば正式に支出しよう」と、これを拒否し廃案とした。
2−木村雅是専務理事の役員としてふさわしくない行為ー
1、部下、役・職員の進言を一切聞き入れない独裁的な姿勢である。特に、不動産等、大型物品購入にあたり、全て自分の先決事項として他の介入を許さなかったこと。
2、公用車(センチュリー)を個人の専用車として使用し、修理代、ガソリン代など全て事業団に負担させた上、通勤手当てを要求し受給していること。この自動車は平成元年5月〜6月に、渡辺喜美氏及び伊吹文明氏より3千4百万円の寄付を受けた直後に購入するよう命令し、反対を押し切って平成元年8月購入した。
3、永年に亘り、出社時刻が極めて遅いこと。(常時10時30分以降)
4、昭和62年8月25日より現在に至るまで、引き続いて低利で公費を借入していること。(1千5百万円・決裁あり)
5、複数の職員から借金をしていること。一部未だ返済していない。
6、建物、自動車などの損害保険を全て自分の経営する木村保険事務所の扱いにするように命じていること。
7、交際費の使用が極めて不透明であること。
8、専務理事室に専用電話を設置させ、個人的な使用に供していること。
9、反社会的な行為の疑いが持たれていること。(韓国・セイユウ開発元社長ミン氏から1億円を騙しとり、返済を求められているらしい)。
 同じ日付でもう一部あるが急用が出来たのでそれについては後日にします。但しこの三部とも当時事業団が使用していた東芝製のワープロで書かれている。私は工学部出身、どこの製品かぐらいはわかる。製品は会社により特徴があります。この怪文書は東芝のワープロで書かれたのは間違いない。大学の同期に2名の仲間が社員で勤務してたし、財)日本血液研究所で略語の辞書を作成する時もこの仲間の人からワープロを借りて専門家に記してもらった。

114日下 一男:2009/04/03(金) 22:55:12
 では、怪文書の続きを書きます。日付は同じ平成5年4月19日です。
   木村雅是専務理事の行動について
1、軽井沢保養所取得に関して
 当該土地が国税及び都税の差押え物件であることを知りながら、団内には無傷の物件であると偽り、取得について理事会の承認を受け、昭和62年6月12日、他の役職員の立ち合いを避け自ら直接売買に当たった。購入代金2千5百万円の現金を準備させ、そのうち5百万円をリベートとして相手方から受けとり、着服したと思われる。
 売買成立後、登記書類の提出が無いので竹内理事長が登記書類の提出を再三求めた結果、後日になり差押え物件である事が判明した。差押え解除について木村専務理事が責任をもって行う旨約束しているが、現在も解除されておらず、不審に思って調査したところ木村専務理事がリベートを受け取っているらしいことが明らかになった。
2、財団法人 日本血液研究所に関して
 当該財団は、前・田仲基宏理事長(横浜市・田仲病院院長)の後を受け木村氏が理事長を引き受け、事業団の第二財団として活用しようと目論み、木村氏が竹内理事長を説得し、城北支所建物の一部を無償貸与するなど、便宜を計ってきたものである。
①木村氏の友人・初鹿野裕氏に事務局長就任を条件に、1千万円を要求したが、初鹿野裕氏は当時、経営していた会社が倒産したため財政状態が悪かったので、立て替えた兄・初鹿野誠氏から昭和62年11月20日に受領、着服し、事務局長に任命した。
②初鹿野裕氏が兄の借入金の金利支払いもままならないと窮状を訴えたところ、昭和63年1月から平成4年6月まで初鹿野裕氏を事業団嘱託として採用し、月額25万円〜28万円の給料を支払った。一方、平成3年5月より平成5年2月までの間、初鹿野氏に月額15万円を提供するよう要求し、木村雅是名義の第一勧業銀行六本木支店普通預金口座、口座番号1701151に振り込ませ、計3百45万円を着服した。
③平成4年3月26日、研究所理事会に諮らず竹内実孝理事を退任させ、歯科医・橋本康司氏を理事に就任させ、自らは理事長を退き橋本氏を理事長に就任させた。これは、平成4年3月7日、大阪・日航ホテルで、木村・橋本会談を行い、1億円で木村氏が橋本氏に財団法人 日本血液研究所を譲渡する交渉が纏ったことによる。
 平成4年3月13日、事業団専務理事室に橋本氏代理人松下氏が訪ね、財団譲渡の覚書きを調印し、第一回目の2千万円の現金が手渡された。第2回目は4月24日2百万円、第三回目は7月31日3千5百万円、第4回目は8月31日1千5百万円と現在までに合計7千2百万円が専務理事室において現金で渡され、木村氏が着服した。
 残金2千8百万円の支払いについて、連日のように木村氏から電話による催促があるが、当初の売り込みの時の話と異なる部分が出ているようで、目下のところ支払いが停止されている。
以上です。この文を読んだ皆様はどんな感想をお持ちですか。これだけ綿密に書けるのはただ一人だけです。はっきり言います。青木理事長以外にはいません。
青木自身が認めているのですから日赤は遠慮せず、賃貸料を貰ってもよろしいのでは。それとも何らかの便宜をしないと駄目なのですか。

115日下 一男:2009/04/04(土) 10:21:44
 この怪文書が事業団内部で問題になり、暫くしてから木村さんから城北支所で仕事をしていた私に電話連絡がありました。
 これに対して1993年5月5日付で木村さんに返事の手紙を書いています。次のようにです。
 この度の件について、木村さんより電話を頂くまで、どのようなことが事業団内部起こっていたのか、私には詳細な事は分りませんでした。ですからその後、何度も繰り返し考えてみたのですが、釈然としないものがあることも事実です。
 5月1日(土)に元理事長の竹内さんへ電話をしまして、ある程度の様子は理解できました。連休明けには初鹿野さんにも話を聞こうと思っております。
 私自身、ここ数年来事業団の職員の人達とは深い交際もありませんでしたし、知ることと言えば、書類上のものや、事務連絡的なものが大半です。また私の事務所となっている3階を訪れる人もほとんど無かったのです。ときたま部屋に来たのは藤野さえちゃんで何かを伝えたかったようですが、結局はさえちゃんが京都が好きらしく、その話をしてましたが部屋を出る時の後姿は寂しそうでした。手首には傷跡がありました。
 初鹿野さんのことについても、今ふりかえってみますと、仕事や家庭、そして木村さんや事業団に対する見方、考え方など、こころから話し合っていたような記憶がほとんどありません。
 以上のようなことから、木村さんの望まれる事柄が含まれているかどうか分りかねますが、記憶にあること、並びに私の思うことを記します。
 事業団創設以前からの仲間同士が何故このようなことになったのか、ただただ涙も枯れる思いです。大黒柱として、事業団の指針や理想、そして血液事業やそれに関する諸問題等に熱情を示された木村さん、そしてそのことをよく理解し、協力し合った青木部長が、現状のようなことになったのか、全くもって不思議なことですし、私にとって事業団にいなかった空白の時間が、より事態の把握を困難にしているようです。
 ただ竹内さんが話していた「青木君は職員採用の際、君達を全く違う評価をするので何か問題がある」と言ったことは忘れません。また、事業団に戻った時に木村さんが話した「日下君を事業団に戻す時に最も反対したのは青木だ」という言葉も忘れては居ません。
「初鹿野さんについて」
 城北の事務所で同室になったのは昭和62年の初めのように記憶しておりますが、それ以来数年間のつきあいになります。
 日血研のことに関しては、職務上なのか、秘密主義的な要素があまりにも多く、満足に理解出来てるものは皆無といってよいでしょう。
 当初からお客さんが相当数事務所に出入りし、又100人以上からの名刺も私自身所持しておりますが、その後、つながりがある人は少人数のようです。
 日血研の経理状況については、更に深いヴェールの奥で、神奈川県に出す書類も誰か(多分、松沢さん)に作成させていたようです。
 長い間共通の話題になったのは、センサーテクノスの島村先生の仕事の進み具合などで、それ以外の話題はあまりありません。
 通常、城北の事務所にくるのは午前10:30〜11:00で、午後からはほとんどおりませんでした。
 木村さんのことについては、20年来のつき合いということで、”彼の事情もあるので、協力しなければ”というのが日頃の口グセでした。私には、裏で何かしているようでそのようには感じませんでしたが。
 ただ昨年の秋頃からあまり事務所にも来なくなり、たまに来ても考え込んでいる様子でした。私の仕事もその頃から国会図書館で行うことが多かったので、最近ではほとんど対話もありませんでした。又最近まで電話の問い合わせに対しても、日血研の理事長は木村、事務局長は初鹿野と答えるが、私にとっては普通のことでした。
 私からみた初鹿野さんは、人づき合いは良いと思うし、少々義理堅いところがあるようです。ただ細心さに欠けるところもあるようなので時として困ることもありました。
「2」青木部長について
 事務官吏としての姿が頭に浮かびますので、是々非々の判断はなかなか示さないようです。逆に言えば煮え切らない。余りアクの強さがないので一般職員には受けが良いと思います。(時として学歴コンプレックスと感じるのですが)卒業大学に対する各職員に示す態度には、奇異と感じることもありました。
以上が木村さんに対する私の手紙の内容です。

116日下 一男:2009/04/05(日) 08:09:34
付記しておかなければならない書類があります。この三通の怪文書が匿名で毎日新聞に送付された翌日、つまり平成5年4月20日付けで、田中理事長宛に木村雅是氏が誓約書を提出するよう求めた文書があります。
木村氏の住所は当時の住居:大田区千鳥で、本人欄は空白(ここに本人が署名するよう)、連帯保証人(住所と氏名は空欄で木村氏との続柄)。
誓約書 私は、誠意をもって下記の6項目の約束を果たすことを誓約いたします。
記 1、下記物件が競売に付された時には、その競売金額を私がお支払い致します。財団法人献血供給事業団には一切ご迷惑はお掛け致しません。①土地 長野県軽井沢町大字発地字本富沢517−287 337.12平方メートル 2、平成5年5月31日までに、現在、財団法人献血供給事業団から借用している1千5百万円を返済致します。また、事業団職員から借用している借入金についても同日までに返済致します。 3、今後、財団法人献血供給事業団に損害を与えている事項が発見された場合、その損害に対し全額を弁償致します。 4、上記の支払いの担保の証として、次の土地・建物について貴事業団での抵当権の設定を承諾致します。①土地 東京都大田区千鳥・・・・・・の宅地・・・・・平方メートル②建物 同上敷地に建つ木造2階建て 2棟③  ④  ⑤  ⑥  5、上記の支払いの担保の証として、私・木村雅是の役員退職金の全額を財団法人献血供給事業団理事長に預託致します。 6、上記の誓約を遵守しない場合には、貴・財団法人献血供給事業団から特別背任、業務上横領などの刑事告発を受けても当然のことと覚悟致します。 以上 添付すべき書類 1、本人、連帯保証人の印鑑証明書。2、担保に付すべき不動産の登記に要する一切の書類。

以上ですが、私からみればこのような処置がなされるなら、長尾義光の件はどうなのか、あまりにも翌日とは早すぎる、現在の隠蔽体質はどうなのか、などの疑問が沢山あります。
かつて、事業団は山口商店とか木村商店などと言われましたが、言論の自由はあったし、良いものは採用する、人材教育はする、などがありましたが、今の青木商店はどうなのですか。

117日下 一男:2009/04/06(月) 21:08:55
1994(平成6)12月8日(木)付で、青木の一日に亘る詳細な書類がある。
以前にも書いたが藤田部長が会議で問題とする件について。
昨年木村さんに会った時、大変興味を示した。「コピーして
尾崎さんに送りたい」と話していました。その折に出た話が
上記してきた怪文書のこと。
それに関連してる。木村さんは「通帳は青木が管理してた」と
話していた。当然だろう。木村さんは大雑把な性格だから。


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