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人物ウォッチング

117korou:2019/09/12(木) 17:48:17
宇野弘蔵氏について。

本当は県立図書館で「資本論に学ぶ」(ちくま学芸文庫)を借りて
読了後に「本スレ」に感想を書く予定だったが
(ある意味では予想通り)内容が難解で
読み通すには相当のエネルギーが必要に思えたので
最初の「資本論に学ぶ」と巻末の「小説を必要とする人間(河盛好蔵氏との対談)」の
2つだけを読み、さらに白井聡氏のあとがきを参考にして
宇野氏の仕事を表面だけ触るだけにとどめた。

倉敷出身で高梁中の卒業生である。
そこから六高、東大と進み、戦後には東大経済学部の中心人物となったらしい。
書いてあったことをここに要約できるほど内容が理解できているわけではないが
たしかに自分の大学時代にまで続いていた大学でのマル経中心の講義というものを思い起こせば
こうしたマルクス経済学の教授が
世間から注目され、高い評価を受けていたことは感覚として理解できる。

まあ、なかなか何も知らない人にこういう人の功績を説明するのは難しいわけで
自分もこれで何となくでも分かったと断言もできないところが痛し痒しで
そのうち、郷土の先覚といえども、忘れられてしまうのだろうなとも思ったりする。
(そういうことで、せめて人物スレにでも書いておこうと思い記した)

118korou:2019/09/13(金) 11:24:58
植村甲午郎氏の「履歴書」を読んでいると
同氏の企画院次長の後任が小畑忠良君だったので安心した、という記述があり
小畑忠良とは何者かとWikiで調べたのだが
その娘婿が長野士郎と知り、さすがに驚いた。
(忠良の兄弟は小畑英良、小畑信良ともに軍人だが
 小畑敏四郎とは無関係のようだ)
さらに長野の他にも娘婿として穂積七郎という人も居て
例の穂積一家関係かと思いきや、これも無関係だった。

穂積七郎は衆院議員8回当選の政治家。
ところが、ここから思わぬ事実を知った。
七郎の息子の亮次は学生運動の中心人物で
なんと岡大北津寮襲撃事件の首謀者として
実刑判決(傷害致死)を受けていながら
今現在、愛知県新城市の現役の市長を務めているのである(しかも四選までして)。
殺人までして、市長になれるのが不可思議だ。
新城市民は事情を知っていて支持しているのだろうか?

長野士郎と北津寮がいきなり出てきたので
思わずここに書くことにした。
なかなか「閨閥」へ書き込む場所もないので。

119korou:2019/09/26(木) 20:51:03
「巨人軍「闇」の深層」を読んでいて、清原和博のエピソードに注目。
2004年の暮れに清原に最初に引導を渡したのが
当時巨人とは無関係な立場だった巨人軍OB、という記述があったのだが
Wikiで調べると、そのOBというのは長嶋一茂と判明した。
なぜ、一茂?

想像するに、本当は巨人軍首脳としては
清原を巨人に誘った張本人である長嶋茂雄氏に引導を渡してもらい
自分たちに清原の憎悪が向くのを防ごうとしていたのだろう。
早々と清原を切ることは決定済みで、あとは無難に乗り切ろうということのはずが
その年の3月に突然脳梗塞で倒れるという想定外の出来事があり
他の対応を検討することもなく
むしろ、ここは一茂を利用して清原に暴れてもらおうという悪巧みにすり替わった。
一茂には、あくまでも父親の代理だから
でも代理としてであれ、権限は与えておいて
清原の進退は一茂に任せるというズルい策略。
案の定、清原は激怒する。
なぜ一茂ごときに、ということもあるが
それ以上に巨人と無関係な人物にそんな重要な事項を委任する球団の姿勢に激怒したのだ。
清原は、まさに思うツボで、球団へ直訴談判を始める。
それは巨人軍の規律を乱す行為であり
その翌年、あっさりと清原を放出する口実にもなった。

巨人ってきたねえなあ。

120korou:2019/09/26(木) 21:01:16
もう一つ、気になるのが原辰徳のエピソード。

2006年に、現役プロ野球選手の父親から連絡があり
ホテルに出向いた原は
小指のないいかがわしい男2名と対面することになり
面倒なことを解決するために1億円を要求されたが
原は、明らかに反社会的人物であると推察されたにもかかわらず
球団にも警察にも連絡せず
そのまま極秘に1億円を支払った。
現役プロ野球選手というのは
駒大卒で巨人在籍もしていたということで
河原隆一が一番怪しいが、決め手はない。
そして、河原父と原の間を仲介したのが
中畑清であることも広く知られている事実である。

球団は、2012年にまでもつれこんだこのスキャンダルを
あくまでも反社会的人物との交渉ではないという理屈で
やり過ごそうとする。
警察も、原を反社会的勢力撲滅のポスターに起用した手前
甘い捜査に終始。
週刊文春だけが、独自の取材で、原の応対は反社への対応として間違っていると主張し
結局裁判で最高裁まで持ち込まれ、結局勝訴している。

121korou:2019/09/26(木) 21:01:56
裁判で
原は、暴力団関係者に
自分自身のスキャンダルになりそうな案件のもみ消しを依頼したという事実が確定した以上
普通なら球界追放の処分を受けてもおかしくないはずだが
一昨日も監督復帰初年での優勝で胴上げの歓喜に浸っている有様だ。

なかなか徹底しないコンプライアンス。
というより、コンプライアンスなんて誰も信じていないし
そのことばかり考え続ける誠実さなど誰も持ち合わせていないのだ。
都合のよいときだけ取り上げられる概念としてのコンプライアンス。

122korou:2019/10/06(日) 21:38:09
金田正一氏死去。

現役の最後の5年間を巨人で過ごしたが
その間だけリアルタイムで記憶に残っている(国鉄時代は全く分からない)

昭和44年か43年か42年か定かではないが
金田が好投していたサンケイアトムズ戦でのこと。
試合後半になって、やっと金田を攻略し始めたサンケイは
代打に、もはや選手生活最晩年だった豊田泰光を起用すべく
ネクストバッターボックスに豊田を出して素振りをさせた。
それを見た金田は、なぜか超ベテランらしからぬ動揺を見せ
次の投球が大暴投になるという大失態を演じた。
印象的な場面だった。

その年の10月10日(わが誕生日)
金田は400勝を達成して引退。
ただし、その前日に正力松太郎が死去していたので
巨人軍の選手はその快挙を手放しで喜べなかったというのも
記憶に残っている。

伝説の大投手がまた一人去った。

123korou:2019/10/06(日) 21:46:57
宮地暢夫先生も先日亡くなられた。
たった今、ネットで検索したら
その情報が全く出てこない。
30年前の県教育長の死去のニュースは
ネットでは無いものとして扱われるわけか・・・

宮地先生の記憶は
書けばいろいろと書けるのだが
また次の機会に。

124korou:2019/11/26(火) 20:36:21
薬物逮捕知名人リスト
https://matome.naver.jp/odai/2140980630203853901

(覚せい剤)
高知東生、高部あい、ASKA,酒井法子、槇原敬之、小向美奈子、岩城晃一、
中村耕一(J-WALK)、赤坂晃、大森隆志(サザン)、加勢大周、西川隆宏(ドリカム)、
岡村靖幸、尾崎豊、ミッキー吉野、清水健太郎(大麻逮捕歴も)、田代まさし(別薬物も)
江夏豊、清原和博
(大麻)
田中聖(KAT-TUN)、高樹沙耶、内田裕也、萩原健一、桑名正博、長渕剛、錦野旦、
井上陽水、研ナオコ、美川憲一
(LSD)
いしだ壱成、
(MDMA)
押尾学
(コカイン)
勝新太郎

125korou:2020/02/11(火) 21:26:05
野村克也氏死去。

これで、もう昭和30年代の南海黄金時代を語れる人は
誰一人として居なくなった。
80歳前後で数人生存されているだろうが
誰もそんなことを聞きにいかないし
野村さんのように注目されつつ、本人もそのつもりで語るというタイプの人など
誰一人として居ない。
ということは・・・同時に鶴岡監督の存在も
ほぼ消滅といってよいでのはないか。

野村さんは、それなりに存在感を示していたと思う、
2020年の現在において、それは金田氏のそれも上回っていたし
ある意味、存在感のない最近のプロ野球選手OBよりも
有名人だったのではないか。
その点、鶴岡さんは気の毒で
後継者選びを間違えた代償は大きい。
野村さんにしても、鶴岡さんを語ることは難しかったわけで
やはり、南海ホークス時代のフロントが杉浦さんをバックアップしなかった罪状は
野球史に残るヒドさではないかと思う。
ソフトバンクを語る上で鶴岡さんは居ないも同然なのだから。
杉浦さんならそんなことはさせなかっただろう。
そして、それは野村さんにとっても面倒な話だったはずなのだ。

まあ、そんな古い時代のことは、今の野球ファンにはどうでもいいことかもしれないだろうけど。

126korou:2021/02/14(日) 23:10:28
佐野眞一「唐牛伝(かろうじでん)」を読んでいて
今里広記氏のエピソードに感動したので以下にまとめて記す。

日本精工会長だった今里氏は
全学連委員長の唐牛健次郎について
自社の社員になった篠原浩一郎を通じて知り合い
たちまち肝胆相許す仲となった。
1984年、唐牛はガンにより死去。
親友だった篠原は、通夜、密葬などの手配を中心になって進めて
遺族が安心して葬儀に臨めるよう最大限の配慮を尽くした。
ただし、肝心の密葬の当日
営業課長だった篠原は
全国営業所会議の責任者として大阪に出張せねばならず
密葬に出ることができなかった。
後日、会社に出社すると、会長の今里から「篠原、ちょっと来い」と言われた。
「君は親友の葬式にも顔を出せない男だったのか。そんな見下げた男だとは思わなかった。
 お前の顔なんか二度と見たくない」
今里からそう叱られ、篠原は
その唐牛を思う熱い思いに涙が出たという。

今里は、篠原が長靴姿で魚を入れたトロ箱を持って
近代的な本社ビルに乗り込んでくるのを全く嫌がらず
それどころか大歓迎で、すぐにウイスキーを出して一緒に本社内で飲み明かしたと言う。
今、こんな財界人は絶対に居ない。
いくら1980年代の話とはいえ、これは本当に豪傑だ。


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