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大学昇格100年。

1専大党:2022/11/17(木) 20:00:24
専大ホームページを見て
知りました。
所謂、国家の大学令により、
官立の帝国大と同様に、
私学も「私立大学」へ棚上げされた時代。
1922年、大正12年と聞けば大昔ですが
当方の様に創立100年の節目に専大生となった
身からすれば、創立40年ほどの
時の経過は、長くもあり短く思えます。

私立大学として、
早慶、明中日法国などの後塵拝しながらも
往時の「専大生」が、躍起となり
大学昇格運動を起こした史実知れば、感無量です。
旧制大学の誇り。

戦後の大学認可問題でも
当時の熱い専修人が、
法曹界の偉人OBを動かし、
生田キャンパス誕生。

豊かな時代の今、
専大OB陣がリード発展する母校の偉容ですが、
草の根の
熱い母校愛は、角界に必要と存じます。

神田五大学の一角として、
専大躍進を祈ります、

2同期のちから:2022/11/18(金) 21:16:05
専大党さんの数年後に、専大の後輩に成れて嬉しかったです!
武道館の入学式の時頂いたカセットテープに、校歌、スター専修と共に
“鳳は今日も羽ばたく”も収録されてました。歌詞に“100年”が有りますね。
百合の咲く丘生まれ、小田急文化と共に育った自分は生田キャンパスへの思い入れ
は凄く深いです!
専大の大躍進、自分も祈ります。

3専大党:2022/11/19(土) 16:43:22
>>2
同期のちからさん、
創立100年記念の専大カセットテープ
懐かしいですね。
民家園の近くの友人の下宿で、よく
デューク・エイセスの重みある歌唱を
堪能したものです。専大北海道短大の校歌
好きでした。「大雪に続く嶺、背に立ちて、理想は高し、我等が大学、」
あの時代でも、専大の校歌とかボリューム上げて聞いていた学生は稀有の存在でした。

故郷離れ、始めて乗った
小田急線、大学受験の試験場下見に、
小雪混じりの車窓の景色。

生田へ向かう線路脇の土手に
無作法にも、堂々と
掲げられていた「専修大学」の
トタン看板が、専大との出会いでした。

4OBBB:2022/11/19(土) 23:30:13
生田へ向かう線路脇のトタン看板は忘れていたけど思い出しました。存在は主張していたけど
土手に無作法でプラスなのかマイナスなのか。通るたびに考えていました。
でも、就職して職場の先輩に小田急線で看板見たことあると言われたとき看板のダサさで
なんか気恥ずかしかったです。

5名無しさん:2022/11/19(土) 23:31:34
生田へ向かう線路脇のトタン看板は忘れていたけど思い出しました。存在は主張していたけど
土手に無作法でプラスなのかマイナスなのか。通るたびに考えていました。
でも、就職して職場の先輩に小田急線で看板見たことあると言われたとき看板のダサさで
なんか気恥ずかしかったです。

6同期のちから:2022/11/20(日) 07:24:20
向ヶ丘遊園から百合ヶ丘に帰る時、小田急線の右側の窓から見えましたね。
“専修大学”というあの線路脇のトタン看板、自分は好きでした!
あれは、いつ頃無くなったんですか。小田急線から専大の存在を確認出来る広告、
また出して欲しいですね!


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