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倉工ファン Part2

302名無しさん:2021/01/04(月) 12:08:01
☆ 田淵氏が明かす星野仙一さん秘話   入院中に同じ病院内でお見舞い  「弱い星野を見せなかった」



今でもよく夢を見るんだよ。2人でキャッチボールしてるんだ。「監督〜、全然、ボールがきてないよ〜って」。
東京六大学のときから親友でありライバルでもあったんだけど、阪神の監督とコーチになって以降は監督と呼び
“仙ちゃん”と呼ぶのをやめたのよ。

互いに、互いの人生のほとんどを見てきて、知っている。 “三重人格者”だったね。いろいろな顔を持っていた。
阪神監督就任時の久万オーナーにも、読売のナベツネさん(渡辺恒雄)にも気後れすることなく意見していた。


かと思えば18歳のルーキーにも目を見張らせていたし、選手の家族にも気配りしていた。すごい男だった。 
最後まで「星野仙一」のままで、カッコつけていたね。亡くなる3日前の元日に電話で話したんだけど、普通だった。

いや普通を装っていたんだろうね。 親族以外には1年半も病のことを伏せていたのもそう。
私にすら「弱い星野」を見せなかった。17年夏に私が大動脈瘤の手術をした際に見舞い、励ましてくれたんだよ。


「なに情けない顔をしてんだよ!それしきのことで」って…。ええヤツだなあと思っていたら、後から聞いたんだけど
膵臓がんで先に同じ病院に入院していたっていうんだよ。

そんなこといっさい言わずに、ビシッと着替えて私のところにきて、また同じ病院内の自分の部屋に戻って
いったっていうんだから、まいったね、ホントに…。


天国から、今の矢野監督に言いたいことはおそろく「非情にならなアカンときは必ずある」ってことだろうね。
ベテラン選手や外国人選手に2軍降格を告げるとき、それ以上に戦力外を通告しないといけないとき。

どう伝えるか、どうフォローするかは大事だけど、チーム再建のためなら、それがプロ野球の監督の仕事だってことだよね。
きちんと畑を耕して、種をまいて、水をやって、育てる。当たり前のこの手順をきっちりとやってきたのが、星野監督だった。

畑を耕す部分は1999年からの野村克也さんの3年間だったかもしれないが、おだてながら水をやり、怒りながら育てた。
星野仙一みたいな、熱くて、愛情をもって選手を育て、根気よくチームをつくり上げる男が今の時代にも出てきてほしいね。




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