したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

雑談スレ 3

1優しい名無しさん:2016/03/04(金) 14:35:25 ID:coV1cfYg0
〜旅立ちの朝〜



※バックナンバー

雑談スレ
〜森羅万象の欠片
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1443356926/

雑談スレ 2
〜宇宙プリズムの狭間で
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1452752852/

973:2016/03/17(木) 02:37:01 ID:RcFyNhuU0
aさん

ぼくの書き込みは、
適当に読み流してくれればいいよ。
ぼくも、頭に浮かんだことを、
適当に書かせてもらってるだけだから。

森田療法と共同作業ということだけど、
森田療法では、
心の状態がどうあれ、
生活に必要なやるべきことをやるということが強調されるだけで、
他者との協力が大切ということは、
ほとんど言われないんだ。
少なくとも、ぼくは聞いたことがない。

だから、
もし森田療法が、他者との協力、チームとしての働きということを取り入れてくれていたら、
ぼくの神経症人生も変わったのではないかと思ってる。

この世界は、
競争原理で動いているように見えるけど、
実際には、協力の原理で動いてるんだよね。

ただ、誰もが、
小さい頃から、競争原理を教え込まれ、
人に勝つことが幸せだと信じるようになる。

自我意識は特別性を求める意識のことだから、
他者とは違う自分を求める競争意識でもある。

でも、競争意識を持っている限り、
人は幸せにはなれないんだよね。

つねに何かを追い求めることになっちゃうから、
欲望は際限なくなる。

森田療法は、
競争意識に従って努力をすることが奨励されるから、
森田療法を真面目にやればやるほど、疲弊していってしまう。

神経症というのは、
人から認められたい、人から好かれたい、人よりも優れていたいという、
特別性を強く求めることが原因で発症するから、
他者と協力し、全体のなかの一部になることで、
一体感という喜びを感じられるようになり、神経症の症状は和らいでいくことになるんだ。

つまり、
ぼくたち神経症者が目標とすべきは、
特別性を求めることをやめ、
凡庸性を獲得していくということになる。

アドラー心理学でいえば、
自分は共同体の一部であるという、
共同体感覚を育んでいくということになるかな。

ちょっと、まとまりのない文章になったかもしれない。

じつは、いま、すこし酔っ払ってる(笑)。

974:2016/03/17(木) 02:42:29 ID:RcFyNhuU0
一休さんが、
向上心を捨てたことで、神経症から解放されたというのも、
同じことかな。

向上心というのは、
他者とは違う特別な自分を求める心でもあったりするから。

975:2016/03/17(木) 02:51:13 ID:RcFyNhuU0
ブッダやイエスが好きというと、
宗教にハマって洗脳されてしまった人、
そんなことを言う人は多いけど、
でも、実際は逆なんだよね。

誰もがみんな、
生まれてから成長していく過程で、
競争意識などの、間違った考え方を植え付けられる。

他人に勝つことや、
欲望を多く満たすことが、
幸せなことだと思い込むようになる。

でも、実際には、
このような生き方は苦しいんだ。

だから、
そのような洗脳から、
人を解き放つために、
ブッダやイエスは、教えを説いているんだよ。

976a:2016/03/17(木) 16:18:40 ID:coV1cfYg0
実際の森田療法での入院生活は、
他者と過ごし一緒に作業する感じ感覚が良かったが、
本とかに書いてる説明や概念としては、そういうところが抜けてる感じがするってことか。
あとは、世俗的な努力や向上などの部分でバランスの悪さを感じたと。

やはり森田療法には
良いとこも悪いとこもある。
そしてそれは、人によっても置かれた立場や感じ方、バランス感覚は違うから森田療法に対する評価も様々ってことだね。

白だ!黒だ!って妄信しないで、
「スルーとつまみ食い」でいいのだろう。

977a:2016/03/17(木) 16:29:15 ID:coV1cfYg0
犬さんと一休さん(斎藤さん)
は、
その「世俗的向上心や努力、競争意識ってマイナスだよね、バランス悪いよね」
というような部分で
共通した感覚、考えがあるんだね。

一方で、斎藤さんたちは
「一人雑用」にこだわり
人と一緒に過ごし作業することを評価しないよね。
そこは犬さんと違うところ。
もし、そのようなこと
「一人でやらないで、人と一緒に過ごし、作業をするのがいい。それが人間の自然だ」
をもっと森田療法が示していたのなら
斎藤さんなら
「そんなものこそ強迫観念なのだ!不安は避けて一人で雑用するべきだ!」って言うよね。

ほんと白黒じゃない、
人それぞれのバランスだなって思う。

978a:2016/03/17(木) 16:37:57 ID:coV1cfYg0
でも諸行無常で流れていくのが、人の感覚世界であって、

一人雑用にこだわり、
仕事や人と一緒に作業することを
「強迫観念だ、だめだ」と言ってやたらと排他的に捉えるその二分思考は

もう少し変化してもいいんじゃないかっていう・・

ほんと犬さんが
「森田療法入院中は人と一緒に作業するのが良かったです」みたいに書き込んだら

「狂いだ!!!!
神経症だ!!!
強迫観念だ!!!!」

だろうな・・

ほんと無為療法っていびつな部分があるから

「スルーとつまみ食い」は大事だな。

979a:2016/03/17(木) 16:55:31 ID:coV1cfYg0
というか
一人で過ごし作業をすることと、
人と一緒に過ごしたり作業や仕事をすることを、
やたらと二分論で捉え
一方に排他的になってるのって

まさに
神経症的な感覚世界だよねっていう・・

犬さんも言ってる
自意識過剰で共同体感覚が欠如しそれに排他的になってる状態

森田療法と無為療法って
「努力はだめ、いい」が大きな違いかっていったら違う。

一人雑用に関しては
「やれやれやれ!
とにかくやれ!
動かないんじゃくずですね!
動くしかないでしょう!」
だからね。それってやはりその部分では努力しろって言ってるわけ。

『一人雑用、動きは「自然、無為」だから努力じゃないんだ』
が正当化の論理だろうけど、

それを言うなら
犬さんも言ってるように
『人と一緒に過ごし、作業をするのが社会的生物である人の
「自然、無為」だよね』
もまた真なりになる。

だから結局つきつめれば、
森田療法と無為療法の違いって、
「一人(雑用)主義」と、
「ヒトと一緒(に作業)主義」
の違いだけだったりする。

そして、それをやたらと二分してる無為療法、斎藤さんの視点、感覚って「まさに神経症の症状なんじゃないの」っていう。

まあその二分だけではなく「社会的向上や努力」ってところで
もう少し丁寧に判断すべきではあるのだろうけど。

980a:2016/03/17(木) 17:05:57 ID:coV1cfYg0
正直わたしは、
斎藤さんは発達障害とかアスペルガーがある可能性が結構高いと思ってる。

「人と一緒に過ごし、コミュニケーションを取る」って部分で、
神経症ということだけでは捉えられない、不都合とか不自然さ、困難さがあるのが発達障害。
それに関しては、別の視点とか対策も必要だったりする。

(テキトーな論理でいつも「神経症者は動かないからくずだね」的な発言ばかりの氏なのだから、別にこういう指摘は相対的に言っても何ら失礼ではない。
ここでは直接言ってないしね。


981a:2016/03/17(木) 17:06:59 ID:coV1cfYg0
一休さんは自分で発達障害があるみたいなことを言ってた気もする。

982a:2016/03/17(木) 17:11:17 ID:coV1cfYg0
他に発達障害の特徴としては
・過度の頑固さ
・特定の分野に対する継続的な強いこだわり、集中力
・人の意見を聞き入れられない
・主観ばかりが強く、客観的に物事を捉えられない
・自分の考えを否定出来ない

などがある
全部該当する

983:2016/03/17(木) 21:24:48 ID:T9XnACMQ0
鬼和尚すごいね。
今日、初めてブログを見た。
じつは、以前、aさんが鬼和尚の言葉を紹介してくれたとき、
「胡散臭そうな人だなあ」って思っただけで、
鬼和尚のスレを見ようだなんて思わなかったんだ。

aさんって、
無我さんもそうだけど、
人材を発掘してくるよね〜。素晴らしいw

aさんと縁があってから、
早くも半年か。早い。

奇跡コースには、こんな言葉があるんだ。

『神の声があなたをきわめて具体的に導くであろう。あなたが知らねばならぬことは、すべて告げられるであろう』

ぼくは、
このことをいつも、ひしひしと感じているよ。

自然Yukikoさんが以前、言っていたように、
本来、全ての人は、ひとりではなくて、仏との二人旅なのに、
自我意識が、そのことを認識させづらくさせてるんだ。

学びというのは、本来、『変化』を意味しているのだけど、
自我は変化を嫌うから、なかなか学ぼうとせずに、学びの邪魔をしてくる。

救いがないところに、救いを求めるようにしむけてくる。

だからこそ、常に、
「なんのために学んでいるのか?」という目的を忘れてはいけないんだよね。

奇跡のコースには、

「自我が恐れている質問がある。それは、『なんのために?』という質問だ」

ということが書かれているんだ。

984:2016/03/17(木) 22:15:31 ID:T9XnACMQ0
ぼくも、aさんと同じように、
ブログやら、2ちゃんやらを巡り、
いろいろな人から教えてもらってきたんだけど、
その中で、
一番、印象に残っている言葉がある。

その人には、
奇跡のコースのスレで出会い、
いろいろと教えてもらっていたんだけど、
同じ時期に、倉田百三の『出家とその弟子』をぼくは読んで、
涙がでるほど感動したんだよ。

『出家とその弟子』の内容が、奇跡のコースにも通じるものがあって、
その奇跡のコースの人にも、読んでもらったんだ。

そして、
その感想が、こうだった。

「この本の中には、
現在、日本で出版されている奇跡のコースの解説書には書かれていない、
重要なことが書いてあった」とのこと。

ぼくが、「それはなんですか?」と聞くと、

「教えに対する誠実さ。
そして、自分をごまかさない態度」と言った。

ぼくは、この言葉に、むちゃくちゃ感動したんだよね。

世の中には、
悟りなどについて、学んでいる人は多いけど、
でも、誠実に学んでいる人は、すごく少ない。

多くの人が、枝葉末節の取るに足らないことで正解を競い合ったり、
自分の心の中のエゴと向き合わずに、愛だのワンネスだのと偉そうに語っている。

この手の人は、
精神世界を学んでいる人たちの中には、大勢いる。もちろん、自分も含めて。

どんなに、教えの内容が素晴らしくても、
その教えに対する誠実さがなかったり、自分をごまかしてばかりいたら、
それは砂漠に水を撒くようなもので、
自分の幸せにはほとんど役立たないものになってしまう。

これは、自分自身に対する戒めとして、語ってみました。

985:2016/03/17(木) 22:33:02 ID:T9XnACMQ0
結局のところ、
神経症が良くなる人と、良くならない人との差というものは、
「何を学ぶか」というより、
「どのような態度で学ぶか」にあるのだと思う。

森田療法と無為療法、
その他あまたの精神療法などの中で、
どれが正しいかなんていうのは、
じつは、それほど重要なものではないのかもしれない。

そんなことより、
誠実に学ぶということが、
最も、病気を治癒させる効果があるように思うんだ。

管理人さんにしろ、斎藤さんにしろ、走る男さんにしろ、一休さんにしろ、
無我さんにしろ、2号さんにしろ、
神経症が良くなった人というのは、教えに対して、とても誠実だったような気がする。

986:2016/03/17(木) 23:02:36 ID:T9XnACMQ0
http://wktk.2ch.net/test/read.cgi/mental/1450077984/74

無我さんは、
ここですごく良いこと書いてるね。

>この 「悟った人の言葉に常に触れ続ける」 ことの重要性を私に教えて下さったのは浄土真宗の高僧
でしたが、私はそのアドバイスに今でも非常に感謝しているのです。
(悟りを開いた人の言葉だけが、悟っていない人の意識の奥にある真実の意識体を呼び覚ます力を
持っているのです。ですから、悟ってもいない素人が頭で考えて書いたような
仏教の本を読んでも役には立ちません。悟りを開いた本物の仏教者が書いた本を沢山読み続ける
>ことが何よりも大切なことです。)

『悟りを開いた人の言葉だけが、悟っていない人の意識の奥にある真実の意識体を呼び覚ます力を
持っているのです。』

これは、本当のことだと思う。

書かれている内容もさることながら、
悟った人というのは、
例外なく誠実な人だから、
その誠実さが持つ力が、こちらにも作用してくるのだと思う。

最近、
ウ・ジョーティカ『ゆるす』という本を読んだけど、
この本にも、そのような力を感じた。

逆に、
不誠実な人が書いた文章を読むと、
イライラしたり、気分が悪くなったりするということもあると思う。

987a:2016/03/17(木) 23:13:05 ID:coV1cfYg0
大意は同意。
そもそもの目的を見失わないことだね。
変なところにそれて執着したりしないということ。

ただ教えに誠実って言っても、
斎藤さんとか一休さんって・・

「森田療法を妄信して
何十年無駄した〜、
それで反転して
間違いだ〜の執着で何十年」

これはさすがに誠実でいいねー
とは思わない。

もう少しいい意味でラフでいいかと。
「スルーとつまみ食い(うまければじっくり食すも良し)」。

どんな教え(人)だって
間違ったとこ、微妙なとこ、自分にとってバランスが悪いとこ、
自分にとってそんな長い説明いらないなというとこ
あるもんね。

988a:2016/03/17(木) 23:23:30 ID:coV1cfYg0
テンテーも言ってたけど
どうにも頭に入らないとか、しっくりこない、違和感があるような
文章や概念まで
しっかり読むことないんだよね。

989:2016/03/17(木) 23:33:15 ID:T9XnACMQ0
斎藤さんや一休さんだけど、
教えに対して誠実ということで、
斎藤さん、一休さんが誠実な人柄だといったわけではないよ。

誠実ということで、
aさんのほうが、よっぽど誠実だと思う。

aさんの『知』に対する誠実さは、本当に素晴らしいと思う。安易に分かったフリをしないしね。

奇跡のコースでは、

『完全なる心の平和に達するまで、自分が理解したとは思ってはならない』と、

安易に理解したと思い込むことをいましめているよ。

この点、
管理人さん、斎藤さんが良い例だと思う。

二人とも悟りを理解したと思い込んでいるから、
他人のアドバイスや意見を受け入れることができないし、
もうこれ以上の進歩は見込めないような気がする。

反面教師だね。

990a:2016/03/17(木) 23:36:36 ID:coV1cfYg0
『悟りを開いた人の言葉だけが、悟っていない人の意識の奥にある真実の意識体を呼び覚ます力を持っているのです。』

これは既存の思考、感覚のフレームを変えていくというより、
新しい+αのバリューパックを追加する感じなのかなあと。
まあよくわからんが。

それは超越的なことを想定してるが、
無駄な争いや執着やめようとか
綺麗な意識でいることがけっこう大事とか

一般論のフレームだっていいのかなあともね。

鬼和尚の言葉ってほんとそういうとこある。

991:2016/03/17(木) 23:37:52 ID:T9XnACMQ0
>>988

そうだね。
無理に理解しようとするのは、
肩に力が入ることになり、
理解することから逆に遠ざかってしまったり、進歩を遅くてしまうと思う。

無理なく、理解できること、腑に落ちることだけをつまみ食いだね。

992:2016/03/18(金) 00:03:03 ID:T9XnACMQ0
>>990

>これは既存の思考、感覚のフレームを変えていくというより、
>新しい+αのバリューパックを追加する感じなのかなあと。

というよりも、
既存の思考や考え方を利用して、
意識状態をシフトさせるという感じかな。

ある意味では、比喩に似ていると思う。

誰かに、その人が知らないことを説明するのに、
その人がすでに知っている単語や表現を利用することで、
理解してもらうという感じ。

ブッダやイエスが、比喩を多用していたことは、よく知られていることだよね。

>それは超越的なことを想定してるが、
>無駄な争いや執着やめようとか
>綺麗な意識でいることがけっこう大事とか
>一般論のフレームだっていいのかなあともね。

超越的なことと、一般的に受け入れられている道徳は、決してお互いに対立するものではないから。

というより、
超越的なこと、つまり、仏の意識からは、仏の意識に沿った考え方しか生まれてこないし、
自我の意識からは、自我の意識に沿った考え方しか生まれてこない。

このことをイエスは、次のように表現した。

『ブドウは茨からは収穫できないし、イチジクはあざみからは取れない』

この場合の、茨、あざみというのは自我意識のことで、
ブドウ、イチジクというのは、仏の考え方という感じかな。

993a:2016/03/18(金) 00:13:35 ID:coV1cfYg0
無我さんも
無我の体得により楽になったという部分と、世俗的な自分の部分両方あるみたい。

http://wktk.2ch.net/test/read.cgi/mental/1450077984/74
> 私は悟りを開いて覚者になった訳ではありませんから、
常に個人性のない意識で生活している訳ではなくて通常は以前と同じ感覚なのですが、必要に
応じて、その<個人性のない意識>が 「自分の本体」 であることを自覚出来るようになったのです。
そうすると、①の大地震の家の話と同じで、神経症というものは意味を失って消えてしまうのです。

994a:2016/03/18(金) 00:16:24 ID:coV1cfYg0
世俗的な楽しみや視点を放棄しなきゃいけないわけではなく、
けっこういいとこどりの
無我さん(「小悟」らしい)

995a:2016/03/18(金) 00:18:58 ID:coV1cfYg0
http://wktk.2ch.net/test/read.cgi/mental/1450077984/222

これに関しては
一般論として解釈できるもの

996:2016/03/18(金) 00:24:04 ID:T9XnACMQ0
>>993

常に個人性のない意識で存在できている人なんて、
世界には、ほとんどいないみたい。

ただ、鬼和尚さんは、そのひとりみたいだね。
あと、大和田菜穂さんという人も、最近、スピ界隈では、そのひとりだと言われている。

あとの人は、
指導的な役割を担っている人でも、
自我意識と仏の意識をいったりきたりしている。

997a:2016/03/18(金) 00:26:49 ID:coV1cfYg0
とりあえず

・普通の感覚世界としては全く未知の超越的なことなのか

・実は>>995 とか、あとは
自意識過剰状態から共同体感覚に親和した状態へ
みたいな
一般論レベルのことなのか

・「スライド」(それまでの世界観、フレームを結構捨てる部分がある)
なのか、「+αのバリューパック」なのか

・・・
「私はわからない 」
ことが
「わかる」

そしてそれで今は別にいいなあ
と。

「スルーとつまみ食い」

998a:2016/03/18(金) 00:30:23 ID:coV1cfYg0
というか
終わりが近かったのね

とりま

雑談スレ 4
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1458228574/

999a:2016/03/18(金) 00:32:57 ID:coV1cfYg0
>>996

世俗的な楽しみ捨てられないよね
w
無我さんも小悟で
いいとこどり。
おる意味強欲!?
苦悩は解消させて、
世俗も楽しむんだから。

1000a:2016/03/18(金) 14:40:34 ID:coV1cfYg0
せんす おぶ わんだー




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板