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雑談スレ 3

1優しい名無しさん:2016/03/04(金) 14:35:25 ID:coV1cfYg0
〜旅立ちの朝〜



※バックナンバー

雑談スレ
〜森羅万象の欠片
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1443356926/

雑談スレ 2
〜宇宙プリズムの狭間で
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1452752852/

882:2016/03/13(日) 19:11:11 ID:T9XnACMQ0
aさん

>>881

なるほど。その通りかもしれないね。

aさんは、
中庸思想の実践者なのかも。

『中庸』
ちゅうよう
mesotēs; mean
倫理学上の主要概念の一つ。ギリシア哲学において対立項の中点に立つ調和的存在を初めて考えたのはピタゴラスとされているが,これを倫理学的領域に導入したのはプラトンである。
しかしプラトンにおいてはまだ数学的ないし医学的色彩の強いものであった。

883三久:2016/03/13(日) 19:13:54 ID:AQ.9n7LEO
>>880

だからもうこない、こんなとこ。

884るみか:2016/03/13(日) 19:16:38 ID:cNkFpWvc0
上記の話でついでに思い出したので書くが、
あの『半沢なんとか』のドラマの原作本、池井戸潤の『俺たちバブル入行組』
を、ドラマがあるより数年前に読んだことがあるが、
途中まではハラハラドキドキで読んだが、クライマックスの土下座と、
そのあとの悪者部長との取引で、一気に『がくっ』と脱力した。

リアリティがなさすぎる。
あの取引が成立すると、主人公のやってることが一番『ワルで悪質』、
またそれは確実に周囲からバレてしまう性質のものだ。
あんなので感動できる人が理解できない。
(アマゾンのレビューで私と同じ感想だった人が数人だけというのが寂しかった)
池井戸潤って、それまで読んでなかったが、期待して読んだが、
こんなチープなピカレスクロマンかいてる人なのか!?とがっかり。
その後2度と彼の本は手に取っていない。

885a:2016/03/13(日) 19:18:24 ID:coV1cfYg0
斎藤さんが
鈴木知準のところに入院してた時

「作業の支持を無視して
隠れて酒を飲んでいた」

それが今では
「動け動け!とにかくザツヨーだ!神経症者はとにかく動かないから駄目だね、クズだね」

それぞれ、
その時その時においては
「バランス化の指針」として
正しいのだろう

それを、
「森田療法は駄目」
「無為療法だけはノーベル賞」
などと
「普遍的な正しさ」にしようとするから矛盾する。

その時その時により、
また人それぞれの立場によって

「正しさ」なんてたくさんある

そしてそれは「諸行無常」
流れていくもの

海さんの過去の前提に縛られるな
と言葉はその通り

886:2016/03/13(日) 19:24:32 ID:T9XnACMQ0
>>884

るみかさんのレビューって、面白いね。

ちなみに、
るみかさんが、読み始めから読み終わりまで、
最後まで一気に読めた本って何?

ぼくは、宮部みゆきの『火車』、伊坂幸太郎の『ゴールデンスランバー』、吉田修一の『横道世之介』と『悪人』かなあ?

あと、シドニーシェルンダンなんかも好きだった。

887:2016/03/13(日) 19:27:16 ID:T9XnACMQ0
>>885

ううむ。深く納得。

これぞ、知性と洞察力なのかもしれないなあ。

888るみか:2016/03/13(日) 19:29:11 ID:cNkFpWvc0
ちなみに、
るみかさんが、読み始めから読み終わりまで、
最後まで一気に読めた本って何?

→ 沢山ありすぎて、此処にはとてもかけません。
それから、宮部みゆきの『火車』、数年前に買って、
ずっと『ツンドク状態』なまま(残念)。
(長い本って、読みだす決心がなかなかつかなかったりするんだよね)

あの本、東野圭吾の『白夜行』とよく比較されてるけど、
犬さんがもしそちらも読んでたら、どっちが面白くて感銘を受けたか、
教えてもらえれば参考になるなぁ。
(じつは『白夜行』もほぼ同時期に買って『ツンドク』状態(笑))
ははは。

889a:2016/03/13(日) 19:33:48 ID:coV1cfYg0
海さんの
「常識や世俗的価値観に囚われ
本来の自分じゃなくなる。そういうのは手放していこう。それがゼロ化だ」

これも部分の正しさだろう。

海さんは実際の生活として、
世俗を廃した(バランス化した)わけなのに、
なんで今でもそれを連呼してるのだろうね。

それは自己の中に葛藤があるからであり、
その葛藤を『世俗的価値観を捨てよう捨てよう』と念じ続けることで無くそうとしてる感じか。
それは、「ゼロ化」なのか?

『常識を排せ』はまさに『過去の前提(バランス化の指針)』 であり、それ自体に絶対的な価値などない。
今の自分の中で『葛藤』、つまり
『常識に少しトレースしたほうが良いかも』という声が出るのは
一つの『自然』なんじゃないかな。

890るみか:2016/03/13(日) 19:39:24 ID:cNkFpWvc0
『888 :るみか:2016/03/13(日) 19:29:11 ID:cNkFpWvc0ちなみに、
るみかさんが、読み始めから読み終わりまで、
最後まで一気に読めた本って何?』

→ 一冊くらい挙げとかないと失礼かな?

アガサ・クリスティ 『七つの時計』

なんといっても『天地がひっくり返るような戦慄』だったなぁ!!
(そんな怖い話じゃないって(笑))

891:2016/03/13(日) 19:51:26 ID:T9XnACMQ0
そういえば、『白夜行』も面白かったなあ。

最初から終わりまで、始終ハラハラドキドキしっぱなしだった。一気に読んじゃった記憶がある。

火車と甲乙つけがたいかも。模倣犯も面白いけど、ぼく的にはやっぱり、火車の方が面白かった。

ただ、火車も古いし、るみかさんは、ぼくよりも何十倍も読んでいるだろうから、
ぼくは当時、すごく新鮮に面白かったけど、いまのるみかさんが読んでどう思うかは、微妙かも。

あと、書いてて思い出したけど、
桐野夏生の『東京島』も、最高に面白かった。

あと、原りょうのハードボイルドシリーズは好きで、全部読んだ。
すげー面白かった。

あと、ススキノ探偵シリーズも好きだったし、池袋ウエストパークシリーズも最初の3,4冊くらい読んで、面白かったな。

るみかさんの、
これを読まずに死んじゃうのはもったいない、
そう思える本を知りたいな。

892:2016/03/13(日) 19:57:57 ID:T9XnACMQ0
>>890

アガサクリスティー!

なんか古いねw

名作と言われる、
『そして誰も居なくなった』は読んだけど、
思ったよりも、自分的には面白いと思わなかったから、
それ以降、アガサクリスティからは遠ざかってしまった。

七つの時計、機会があったら読んでみる。

893るみか:2016/03/13(日) 20:06:01 ID:cNkFpWvc0
アガサ・クリスティに親しみづらい人には『終りなき夜に生まれつく』がおすすめ。
こちらもなかなか面白い。犬さんならこちらのほうが楽しめるんじゃないかな?

894るみか:2016/03/13(日) 20:11:04 ID:cNkFpWvc0
『海』は今日は『青天井』状態かいな?

『青天井』=いわずとしれた『青い顔して天井を眺めた状態』

895:2016/03/13(日) 20:35:16 ID:T9XnACMQ0
るみかさん

相当な、アガサのファンみたいだねw

機会があったら読んでみるよ。

896a:2016/03/13(日) 20:55:29 ID:coV1cfYg0
HNさんは斎藤はんと
喧嘩を続けて、
まさに「精神交互作用」、
悪循環になってるよね。

「症状を治そうしない、相手取らない生活態度」が
基本主張なのに。

症状=斎藤一派(の言葉を不快に感じる心)

897:2016/03/14(月) 14:07:52 ID:IC5tj3Ls0
森田療法と無為療法の違いのなかで、
一番大きい違い、かつ、一番重要な違いだとぼくが思うのは、
神経症の症状を正常と考えるか、狂いと考えるかの違いだと思ってるんだ。

ぼくは、この点に関しては、
斎藤さんと同意見。

というか、
人は生まれながらにして、
狂ってるんだよね。

それが、ブッダの教えでもあり、キリストの教えでもある。

老子も、自分の心の中には愚かな心が存在すると言ってるし、
親鸞聖人は、自分は極悪人だと言い、
良寛さんも、自分のことを大愚と呼んでる。

エックハルトトールは、
誰もが普遍的に持っているこの心の中の狂いを、
機能不全と呼んでる。

そんなわけで、
自分が狂っているという自覚を持つというのは、
神経症の治癒過程において、すごく大切だと思ってるんだけど、
ただ、斎藤さんが間違っているのは、
その狂いは、脳の狂いではなくて、心の狂いだということ。

脳に狂いが生じているように見えるのは、
心の状態が肉体に反映されるからなんだよね。

898:2016/03/14(月) 14:33:27 ID:IC5tj3Ls0
森田療法が、いま消えゆく運命にあるというのも、
初期仏典に書かれているような、
誰もの心の中にある狂いについての洞察が、
ほとんど見られないことだと思ってる。

というより、
狂いを正常と判断し、それがその人の本来性として、
その狂いを押し進めることを良しとしまっているところがあるから、
森田療法を実践すればするほど、
神経症が悪化していくようなことにもなる。

もちろん、森田療法の良い面だけを
取り上げれば、
それは、神経症の治癒に役に立つとは思うけど、
間違いと正解が両方共存している療法は、
どうしたって、混乱を引き起こすよね。

間違いと正解が両方共存しているということが、
森田療法家同士の争いの元にもなってると思う。

899:2016/03/14(月) 15:36:09 ID:IC5tj3Ls0
あと、この誰の心の中にある、狂った部分というのは、
争いを求める心。

だから、争いを求めない人なんて、誰もいない。

争いを求める心をエゴとも言うんだけど、
奇跡のコースでは、
エゴは狂気でもあり、殺人者でもあるとまで、
言い切っているんだ。

エゴは殺人者とは言っても、
誰もがみんな本当の殺人を犯すわけではなくて、
そのバリエーションは、
本当の殺人から、他人に対する批判や悪口までと幅広い。

またエゴが自分に向かえば、
最悪、自殺することになるし、
また、自分を責めてひどい罪悪感を覚えることになる。

900a:2016/03/14(月) 15:41:48 ID:coV1cfYg0
うーん
正直何言ってんのか
自分にはよくわからないな

単純に
犬さんの状態、立場にとって
森田療法はバランス化にならないものだった(逆効果な部分があった)
斎藤さんの森田療法批判や説明の言葉の部分部分に
バランス化を見いだした

と。

やはり普遍的な事柄、解釈にしようとすると
よくわからなくなる感じ。

まあ自分が原始仏教とか全然わからないのもあるけどね。

901a:2016/03/14(月) 15:43:12 ID:coV1cfYg0
>>899 この文章だけで言えば
自分も同意出来る

902a:2016/03/14(月) 15:55:54 ID:coV1cfYg0
諸行無常で移り変わる自己の感覚世界において、

「森田療法(無為療法)(禅、仏教)は絶対的に正しい、
これを覚えて従おう」
とか固定化するのが良くないのだろうね。

だからと言って逆に
「全ての教え、概念を捨てよう!捨てるべきだ!」
なんてふうにしても
人間ホメオスタシスによって変わらないものだし、
つまみ食いしたり、
流し読みしたりして
試していく感じでいいと思う。

903a:2016/03/14(月) 16:09:06 ID:coV1cfYg0
テンテーのこの文章、
これ自体は白黒論なのだが、

http://526.teacup.com/masahi/bbs?page=126

「拒否反応、あるいは意味不明でスルーすべき内容だということがわかる」

ここポイントだよね。
これを白黒ではなく、
いいところは参考にしつつ、
感覚的に頭に心に入ってこないようなところはスルーする と。

斎藤はんとかは
それを白黒論にして
「全て捨てろ!」というところに行ったわけだ

それも人それぞれのバランス化だ

でもそれもまた
ただの他人の思考、視点、指標であり

「つまみ食いやスルー」する文章や概念の一つに過ぎないね

一休さんとかは
斎藤さん視点、白黒視点を妄信してしまっているってわけだ

904a:2016/03/14(月) 16:15:08 ID:coV1cfYg0
まあ一応付け加えるなら・・

そのスルーしたりする
自分の感覚もまた
絶対化してはいけないのかもしれない。

905a:2016/03/14(月) 16:21:07 ID:coV1cfYg0
ていうか
斎藤はんの
「療法や概念は全て捨てろ!」
みたいなのって

実は、自分と言ってること同じなのかもねw

>>879
>そして、各自の指針によりバランス化が成されたのなら、
もうその教えは捨ててもいいと。

(斎藤はんは
捨てよ捨てよ!と言いつつ

しかんたざ(漢字出ない・・)
だの
治りは一瞬
だの
かなり信奉してるよね。
それが彼のバランスか。
もっと捨てられるかもね・・
あるいはもっと取り入れられるかもね・・)

906a:2016/03/14(月) 16:29:51 ID:coV1cfYg0
>感覚的に頭に心に入ってこないようなところはスルーする と。

>それもまた
ただの他人の思考、視点、指標であり
「つまみ食いやスルー」する文章や概念の一つに過ぎないね

斎藤はんの文章、
やはり客観的、論理的に見ていくとやはり矛盾がかなりある。
また、「事故愛」により出ている恣意的で不快な文章、論理も多い。

しかし、それをいちいち
細かく指摘するのなんてほんと不毛なことだったわけね。

「つまみ食いやスルー」
すればいいだけ。
自分にとってプラスになるような
読み方をすればいいだけ。

だね。

907:2016/03/14(月) 17:54:46 ID:IC5tj3Ls0
aさん

正しさということだけど、
「何を目的にしての正しさなのか」
という視点がないと、
混乱してしまうと思う。

仏教の正しさということで言えば、
仏教は何を目的としていて、その目的に仏教が提供する手段は正しいのかという視点ね。

そして、
仏教が目的としているのは、
涅槃の境地。
管理人さんの言葉で言えば、絶対的安心であり、
奇跡のコースの言葉で言えば、永遠の心の平安。

仏教は、涅槃の境地を目的としていて、
そのための手段も書かれているけど、
その手段が、涅槃の境地に達するために、正しいのか?

こういう観点から言えば、
ぼくは、仏教は正しいと思ってるよ。

でも、涅槃に達するための手段は、
仏教によれば、この世界には何万とあるみたいだし、
何の手段に頼らずに、
ひとりでに涅槃の境地に達する人が存在するというのも、
仏教は認めているみたい。

908:2016/03/14(月) 18:11:26 ID:IC5tj3Ls0
面白いなと思うのは、
「だから仏教は面白い!」も含めて、
いま、ブッダの教えに忠実な、原始仏教関連の本が、
よく売れてるみたいで、
仏教ブームが来てるとも言われているんだよね。

こんなに、日本で、
仏教系の本が売れるという現象は、初めてみたい。

2500年前の人なのに、凄いなと思う。

一方で、
森田療法関連の本は、
近年、ほとんど売れてない。

909a:2016/03/14(月) 18:13:45 ID:coV1cfYg0
無我さんもやはり
そのような超越的な平安、悟りの世界を言ってるね。

しかし仏教は一般論としても参考になるような形、概念がないかと言えば
そんなことはないよね。

鬼和尚の言葉なんかまさにそう。
普通の人が普通に理解出来る言葉で語っている。

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】50 [無断転載禁止]���2ch.net
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1451898344/

ちなみに
無我さんは鬼和尚を評価していて、
「私は小悟ですが、鬼和尚は大悟でしょう」と言ってる。

説明や道が何千通りもあるというだけではなく、
その意味、目的自体も多様でいいということでしょう。

910a:2016/03/14(月) 18:18:49 ID:coV1cfYg0
わたしとしては
そもそも超越的な平安とか悟り、
苦しみや悩みからの超越的な解放などは求めてないのだよね。

それがわたしの立場であり見方。
犬さんには犬さんの見方がある。

だからこれもそれぞれの見方であり、バランス化や指標は違っていいし違って当たり前ってことだ。

911:2016/03/14(月) 18:19:43 ID:IC5tj3Ls0
仏教を学ぶ目的は、
人それぞれ自由でいいとは思うけど、
でも、
仏教の教えを説いたお釈迦様が目的としたのは、
涅槃だよ。

912:2016/03/14(月) 18:23:34 ID:IC5tj3Ls0
ちなみに、
奇跡のコースでも、
「このコースを学ぶ唯一の動機は、心の平安である」
と書かれている。

でも、そうじゃない人、
例えば、引き寄せ系の人たちも多いけどね。

913:2016/03/14(月) 18:31:28 ID:IC5tj3Ls0
aさんが、
涅槃を目的に学んでいないというのは、
それはそれでいいと思うし、
ぼくは否定しないよ。

というより、
aさんは、涅槃を目的にしないほうがいいんじゃないかなって、
思ってる。

というのも、
aさんは、まだ若いから、
この物質世界を楽しんだほうがいいと思うんだよね。

じゃなきゃ、
物質世界に根ざした欲望を手放すことなんて、できないから。

奇跡のコースで、
一番有名な教師も、
若い人が学ぶには、適していないと言ってる。

じつは、
ぼく自身も、自分にはまだ早いと思ってる。

まだ、物質世界の娯楽を楽しみたいんだよね。

914a:2016/03/14(月) 18:35:08 ID:coV1cfYg0
>日本で、
仏教系の本が売れるという現象は、初めてみたい。
2500年前の人なのに、凄いなと思う。
一方で、
森田療法関連の本は、
近年、ほとんど売れてない。

これは森田療法自体に「常識、世俗、努力、社会的向上」みたいな概念が含まれているから
そもそも読む必要がないみたいこともあるのかもね。

一方でそういう仏教の本が売れてるのは、そういう常識とは違う見方を知りたいっていうニーズだと思う。
まさにバランス化の指標だよね。
(そこで超越的な平安とか、常識の全否定とかに行くというよりかは、そういう違う見方を知ってバランスを取りたいとか、癒されたいみたいな人が多いと思う)

つまり本が売れてるのもまたバランス化であり、「常識はだめ、森田療法はだめ」
「超越的悟りの世界こそ統一的正解」みたいなことの証明なんてことにはならない。

あと森田療法=常識
というほど単純でもないから、
なにか新しい視点を求める感じで、
森田療法の本が売れる可能性もあると思うよ。

アドラーなんてものが
100年ごしにヒットしたりしてるからね。

あと森田療法は「療法」であり、基本、神経症というくくりだから一般的に売れないのは当然。

915a:2016/03/14(月) 18:39:46 ID:coV1cfYg0
「このコースを学ぶ唯一の動機は、心の平安である」

心の平安ってのもいろいろでしょう。
鬼和尚の言葉にあるような
超越的なレベルではない
心の平安ってのも
それはそれで大事と思ってる。

斎藤はんに何故かやたらと粘着しないこととかねw

916a:2016/03/14(月) 18:40:26 ID:coV1cfYg0
>>913 これはおっしゃるとおり。

917a:2016/03/14(月) 18:46:42 ID:coV1cfYg0
無我さんのスレってのもあるよ。

【不安障害治癒】「無我」の教え【仏教】 [無断転載禁止]���2ch.net
http://wktk.2ch.net/test/read.cgi/mental/1450077984/

918:2016/03/14(月) 18:54:48 ID:IC5tj3Ls0
ぼくは勝手に、
aさんのことを同士だと思ってるんだよねえ。

すごく誠実に、
知恵やら真理やらを求めてるような気がするんだ。

ぼくもまだまだ分からないことは、
たくさんあると思ってるから、aさんが書いてることは、
すごく勉強になったりしてる。

ちなみに、
aさんは、アドラー心理学の本を読んだことあるの?

ぼくは、嫌われる勇気を読んで、面白かったから、
最近でた、続編の幸せになる勇気をよんでる。これまた面白い。

アドラー心理学も、
涅槃に至る手段のひとつのような気がしてる。

919:2016/03/14(月) 18:57:09 ID:IC5tj3Ls0
aさん

情報ありがとう!

無我さん、鬼和尚のスレ、
あとで読んでみるね。

ぼくはこれから、
しくじり先生を見る。これ好きなんだあ。

920a:2016/03/14(月) 18:59:36 ID:coV1cfYg0
しくじり先生w
いいね
最近見てないけど
若林とかいいリアクション

921:2016/03/14(月) 19:00:39 ID:IC5tj3Ls0
aさんも見て、
あとで、感想を言いあわない?(笑)

922a:2016/03/14(月) 19:01:33 ID:coV1cfYg0
無我さんのスレは
隔離スレという意味合いで
ダレカが立てたんだよね

途中ダレカが
猛烈に論破をしかけてたりするんだけどね・・ハハ

923a:2016/03/14(月) 19:11:36 ID:coV1cfYg0
無我さんが
他のスレに降り立つと
十中八九荒れるのあれなんだろな

とにかくきれやすくて
プライドが高い

「属性」なんて幻だ、本体ではない
が主張なのに、
「属性」で猛烈に怒ってるっていう。
主張と在り方が真逆に感じる。

属性の幻性に気付き、対人恐怖という不安が解消したのに、
何故怒りはそのままなのか?
悟り、見性とは属性や理知の領域で起こるものではない
なら何故そのような違いが生まれるのか?

その疑問に全然、彼答えてないのも超越論を懐疑してる理由。
私は他を知らないから
超越的悟り論=無我さんだしね。

まあ怒ったのはにちゃんに慣れてなかったのかもだけど。

924a:2016/03/14(月) 19:17:54 ID:coV1cfYg0
「悟りとは
理知領域におけることではない」
のに
何故理知的な突っ込みにそんなにキレるのか?

それは無我さんが実は「理知的に信じているから」ではないか?

結局私なんかと
ガミガミやりあうというところで感じるのは、
そういう領域にある人なんだろなあ
ということ。
ほんとに超越してるの?・・
っていう

925a:2016/03/14(月) 19:20:44 ID:coV1cfYg0
>無我さん
6 優しい名無しさん sage 2015/12/15(火) 16:16:01.40 ID:MI1wxDhY
これらのサイトは 「原始仏教の悟り」 を学ぶ為の大変良いサイトです。
     ↓
鬼和尚の仏教勉強会
http://onioshyou.blog122.fc2.com/

鬼の説法集(悟りへの道)
http://ameblo.jp/oniosho/entry-11958236275.html

926a:2016/03/14(月) 19:30:06 ID:coV1cfYg0
無我さんの表現がそもそも理知的

(余談です
(人それぞれ自由にいろんな教え(自己の内の教えも)を参考にすればよし

927:2016/03/14(月) 22:00:15 ID:IC5tj3Ls0
しくじり先生、面白かった(^◇^)

でもさ、
aさんは、何のために、
無我さんとやり取りしてるの?

無我さんに対して、
イライラするのなら、
そういう人とやり取りするというのは、
ほんと、もったいないと思うんだ。

るみかさんも、言っていたけど、
精神のバランスを崩されるような人とは、
ぼくは、できるだけ関わらないようにしてる。

928a:2016/03/14(月) 22:21:17 ID:coV1cfYg0
無我さんとはもう結構前からやり取りしてないよ

>精神のバランスを崩されるような人とは、
ぼくは、できるだけ関わらないようにしてる。

うん
ホットケー だの
君子危うきに近寄らず だの書いてるように
自分も自覚してる

まあ
全く関わらないとか見ないとかが一番シンプルだけど、
あとは >>906

929a:2016/03/14(月) 22:25:08 ID:coV1cfYg0
>>243
>>247
>>251-255

930a:2016/03/14(月) 22:41:40 ID:coV1cfYg0
何かそういう一連の
集団的自己愛暴走、他者執着、喧嘩、議論の類いって、

気分的なところが
ゼロサムゲームでさえなくて、
「頂点がゼロ」でそこからマイナスをいかに相手に押し付けるかの戦いという感じ

・言われたらムカつく
(こちらに「気分マイナスボール」が来る)
・言い返すことで、自分のマイナスボールを解消しようとする
・相手にマイナスボールが行く
・相手返してくる ・・・

というドッジボール

しかも悪循環でお互い(集団的に)マイナスボールは出かくなる一方・・

そのマイナスボールなんて
突き詰めればただの気分であり、
そもそもあってないようなもの、蜃気楼やホログラムなのに
っていう

931a:2016/03/14(月) 22:45:20 ID:coV1cfYg0
苦心して頂点をつかんだとしても、
それってぼけーとお茶でも飲んで
(別に飲まなくてもいいが)
落ち着いている時の心、
気分のマイナスボールのない状態と同じ(いやそれ以下か)
っていう

932:2016/03/14(月) 22:45:38 ID:IC5tj3Ls0
>>906

ほんと、その通りだね〜。

ぼくも、偉そうなこと言っているけど、
aさんと同じような資質を持ってる。
たぶん、気がついてると思うけど。

ホットケーしたいのに、
ホットケーできなかったり。

依存症というのは、
やりたい、やりたくないという、
二つの心の葛藤があって、
初めて依存症になるみたい。

ギャンブルも、お酒も、
やめようなんてまったく思わず、
やりたくてやってる人は、依存症とは言わないみたい。

人間の心の中には、
自分が苦しむことが分かっているのに、
それを止められないという心があるんだよね。

苦しみを求める心が。

933a:2016/03/14(月) 22:50:18 ID:coV1cfYg0
自分は
「見なければいい、
関わらなければいい」
は上手く行かなかったな。

やはり
>>906
のような形のほうがいいのかもね

なにげにむずいけど、
ようやく出来るようになってきたかなあ

934a:2016/03/14(月) 22:52:32 ID:coV1cfYg0
そういう意味では

ホットケー
君子危うきに近寄らず
不問

もわりと白黒論だよね
不問!と言って
無視するだけではなく

何事も柔軟なのがいいのかもね

935a:2016/03/14(月) 22:56:38 ID:coV1cfYg0
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1443515440/27

あのw無我さんの
意外wな名言

936:2016/03/14(月) 23:03:40 ID:IC5tj3Ls0
aさん

否定されたら、
仕返ししたくなるというのは、
ぼくも一緒。
というか、誰だって一緒だよね。

否定されて、
気分が良くなる人なんていないから、
人を否定しないように気をつけたいとは思ってる。

それに、
他人を否定することは、
自分を否定していることに他ならないし。

937a:2016/03/14(月) 23:05:49 ID:coV1cfYg0
>>932

その「ホットケーしたい」と
それが出来ない、
やりたくないと
やりたい

ってのも、解決するのは
「断固として不問」
ということだけではなく

前述したような柔軟な
在り方、人との関わり方、人の文章の読み方、受け取り方 >>906
なんだろうね

それにはいい方向で使うような
知性も必要なのかも

議論=悪でもないしね

938:2016/03/14(月) 23:12:02 ID:IC5tj3Ls0
>>937

激しく同意!

ホットケーしたいのに、それができない、
ついつい依存してしまうというとき、
じつは、そこに学ぶべきレッスンが隠されていることが多いんだよね。

だから、

「自分はここから何が学べるんだろう」

そう自問してみて、
自分なりの答えを発見すると、
不思議なことに、
すーっと、執着心が消えていったりする。

それが、
aさんの、プラスになることをつまみ食いする、
ということなんだろうね。

939:2016/03/14(月) 23:13:37 ID:IC5tj3Ls0
無我さんの名言いいね(^^)

940:2016/03/14(月) 23:23:44 ID:IC5tj3Ls0
なんか、aさんとは、
普通に対話が出来て嬉しいな。

奇跡のコースでは、
仲間というのを、大事にしてるんだよ。

なぜかと言えば、
同じ考えを共有することで、
その考えを自分の中で強固にすることができるし、
それに、
人間は、良い言葉でもすぐに忘れてしまうけど、
でも、仲間のおかげで、
それを思い出しやすくなる。

悟りに至るための手段には、
いろいろあって、
例えば、瞑想、座禅、念仏、懺悔などがあったりするけど、
奇跡のコースの場合は、
人間関係を使って、悟りへの道に至る教えでもあるんだよね。

この点、
「人間の全ての悩みは対人関係である」といった、
アドラー心理学は、
奇跡のコースとすごく親和性が高いんだ。

ぼくの場合、
そんなこと知らずに、
なんか流行ってるからという理由で、
アドラー心理学に手を出したんだけど、
それが、奇跡のコースを深く理解できるようになるとは、
思いもしなかった。

941a:2016/03/14(月) 23:24:39 ID:coV1cfYg0
それこそ戦争とかも
類似の人間心理があるのかもね

「徹底的にやっつけて
この怒りを発散させる!そのゴールに行くぞ!」

みたいな。悪循環の連鎖。

942a:2016/03/14(月) 23:26:01 ID:coV1cfYg0
斎藤はんやらとの
森田療法論争

平和w

943a:2016/03/14(月) 23:35:58 ID:coV1cfYg0
>>940

嫌われる勇気は
自分も読んだよ

感想はまた明日にでも

944:2016/03/14(月) 23:45:38 ID:IC5tj3Ls0
ほーい。

また明日ね。

おやすみ。

945:2016/03/15(火) 12:55:51 ID:RcFyNhuU0
>>941

そうそう。
まったくその通りだと思う。

奇跡のコースによれば、
エゴというのは、攻撃こそ救済だと思ってるとのこと。

他者を攻撃すれば、
自分が楽になれると思ってるんだよね。

あと、奇跡のコースでは、
他人の悪口や国家間の戦争との間にある、
攻撃性の規模の大きさを問題にしないんだよね。

どんなに、規模の大きさに違いがあるように見えても、
それは、エゴの間違いという幻想だから。

幻想というのは、
実在しないから、
大きな幻想も小さな幻想も、等しくただ存在していない。

もちろん、この存在しないというのは、
物質世界の観点からではなく、
形而上的観点からのこと。

一元論を学び始めのときは、
この点の誤解を必ず経験することになる。

幻想だから、
別に気にしなくて、いいんだよねー、みたいに。

物質世界は幻想というのが、
ブッダやイエスの教えだけど、
でも、肉体が存在している限りは、
やはり、物質世界は現実だから。

この辺の誤解や誤りを、
奇跡のコースでは、レベルの混同といって、
学び始めのときは、
誰もが必ず経験するんだ。

946:2016/03/15(火) 13:20:47 ID:RcFyNhuU0
あと、奇跡のコースを語ってるけど、
ぼくなんか、奇跡のコースの学習者の中では、
まだまだ、ひよっこだよ。
テキストもまだ全部読めたことないし、
一年365日で終えるワークブックも、終わらせたことない。
ある意味、落ちこぼれ。

だから、もし、
もっと詳しいことが知りたくなったら、
奇跡のコーススレに行くといいと思う。
ぼくなんかよりも詳しい人がゴロゴロいるから。

でも、あそこもしょっちゅう荒れるけどねw

あと、奇跡のコースというのは、
aさんみたく、知的レベルが高い人が、
悟りを得るために出来た本なんだ。

知的レベルが高い人は、その高い知的レベルが邪魔して、
悟りを得るのが難しいんだよね。

なんでも、理詰めで考えないと、
なかなか納得しないから。

947a:2016/03/15(火) 19:33:33 ID:coV1cfYg0
>>945

無我さんも
そんなこと言ってるね

http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1441362934/138

( これと同一IDね。
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1441362934/156

その後は・・
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1441362934/158

何かよくわからんが突っ込まれて
またキレてるw )

948a:2016/03/15(火) 19:42:40 ID:coV1cfYg0
まあよくわからんが
ある意味、

自意識過剰の状態から
良い意味で集団的意識と親和しているような状態。
あるいは自然環境の一部として親和して
自我が薄れているような状態。

ってことの気もする。

まあ無我さんなら
違う!と言うだろうが。

949a:2016/03/15(火) 19:56:11 ID:coV1cfYg0
無我さんは
「説明は、意識状態を変容させるためのものであって
説明それ自体が真実なわけではない」
なんて言ってるね。

科学的、物質的に
(量子力学がどうの)
解明することってよりかは、
意識・感覚の在り方のことでいいっていう感じかな。

現代科学を元にする思考のフレームの在り方ってせいぜい数百年ぐらい?で、
生命の歴史は数十億年あるわけだから、
現代科学以外のフレームでの意識の在り方が、人間には備わっているとしてもおかしくない

→っていうのが科学的だったりもする

と考えてみるテスト

950a:2016/03/15(火) 20:02:59 ID:coV1cfYg0
現代科学、常識、西洋思想でのフレームの思考だと
人は、自意識過剰や利己的な意識になりやすいという傾向があるのかもしれない

それは長い生命、人類の歴史・進化として人間一人一人の内部に宿る「自然」とはちょっとずれてるのかも

「科学的じゃないからだめじゃん」

は浅はかってことか。

951:2016/03/15(火) 23:50:43 ID:RcFyNhuU0
aさん

>無我さんは
「説明は、意識状態を変容させるためのものであって
説明それ自体が真実なわけではない」
なんて言ってるね。


そうそう。
これに尽きる。
これが本物の教え。
ぼくは、そう思ってる。

奇跡のコースでは、
「このコースは、心を変えるためのコースである」
そう言われてるし、
ニューアースの冒頭でも、
「この本は、あなたに新たな概念や知識を授けるために書かれているのではない。
ただ、意識を変容させるために書かれた」
というような、言葉で始まってる。確か。

本物の教えは、
心が焦点になってるんだけど、
でも、
ぼくが邪道と呼んだ、スピ系の多くは、
目の前の現実の変化に焦点が当たってるんだよね。

奇跡のコースは、
「このコースは、原因のコースであり、結果のコースではない」
ということが言われるんだけど、
これも同じことなんだ。

心が原因で、その原因である心の投影が、
目の前にある物質世界で、これが結果。

引き寄せ系などは結果のコースということだね。

952:2016/03/16(水) 01:46:09 ID:RcFyNhuU0
>自意識過剰の状態から
良い意味で集団的意識と親和しているような状態。
あるいは自然環境の一部として親和して
自我が薄れているような状態。

そうそう。
まさしくその通りだね〜。

意識の状態というのは、
2種類しかなくて、両方同時に存在することもできない。

自我意識状態か集団的意識と親和している状態か。

そして、普通の人は、
この二つの意識を行ったり来たりしている。

そして、神経症に悩む人は、
起きているほとんどの間、
自我意識状態にいる。だから、苦しいんだよね。

そこで、
意識状態を変える必要があって、
その方法は、たくさんある。

瞑想だったり、無の雑用だったり、座禅だったり。

で、その中でも、
ぼくが一番簡単に意識を変える方法だと思うのが、
誰かと協力して、何かをすること。

これは、残念ながら、
森田療法や禅では、
ほとんど重視されていないような気がする。

誰かと協力して何かをしよう、
そう思うだけで、自分という自我意識から解放されて、
気分が楽になるんだけどね。

結局、「自分のために」という、
自我意識をこじらせてしまったのが、
神経症ということだね。

953:2016/03/16(水) 12:19:15 ID:RcFyNhuU0
ぼくが森田療法に批判的なのも、
他者との協力という考え方が欠如してるからなんだ。

だから、
神経症を克服する道のりも、
孤独なものになるし、
運良く、神経症を克服するできたとしても、
その人の人生からは、
人間関係からくる喜びが欠如してしまうケースもある。

ただ、ぼくは鈴木診療所に二カ月入院していたけど、
そのときは、毎日が楽しくて仕方なかった。
それは、ぼくの人生でも、幸せなひとときだった。

いま、思えば、
それは、他者との協力の日々だったからなんだと思う。

朝起きてから、夜寝るまで、
共同作業の連続だったんだよね。

みんなと一緒に、掃除をしたり、ごはんを作ったり、
後片付けをしたり、犬の散歩をしたり、
夜は百人一首をしたりという具合に。

でも、家に帰ってからは、
パタリと雑用が出来なくなった(笑)。

そういう意味で、
神経症とは、家での雑用ができないというより、
他者と協力して何かをすることができない、
という言い方もできると思う。

954:2016/03/16(水) 12:36:05 ID:RcFyNhuU0
当時は、どうして、
診療所ではあれだけ動けたのに、
家に帰ってから出来なくなったのかまったく分からなかったんだけど、
いま、思えば、ひとりでやろうとしたから、苦しくて続かなかったんだよね。

母親の家事のお手伝いという感覚でやれば、
雑用も楽だったし、母親も喜んでくれたろうに。

だから、いまは、
たまに、実家に帰ると、
母親と一緒に料理を作ったりしてる。

これが、なぜか楽しいんだよね。

母親も喜んでくれるし。

955:2016/03/16(水) 12:58:10 ID:RcFyNhuU0
仏教では、
帰依仏、帰依法、帰依僧ということが言われ、
仏に帰依する、法に帰依する、僧に帰依するという、
帰依する三つの対象がある。

この最後の僧は、
僧侶という意味ではなく、仲間という意味みたい。

そして、
この三つの帰依する対象は、
対象こそ違えど、その目的は同じで、
自我意識を薄めていくためのものなんだよ。

956:2016/03/16(水) 13:30:39 ID:RcFyNhuU0
自分の外側には救いはないというのは、
本当にその通りで、
救いは、自分の内側にしかない。

奇跡のコースにしろ、仏教にしろ、ほかのスピ系の教えにしろ、
それらはただ、救いは自分の内側にしかないということを気づかせるツールでしかないんだよね。

そんなこともあって、
本当の一休さんは、冬の暖をとる為に、
木像の仏像を燃やしてしまったり、
白隠禅師のあるお弟子さんは、
経典でお尻を拭いた、そんな逸話もある。

仏像や経典をありがたがったりしても仕方がないということ。

これらは、ある意味、自転車の補助輪みたいなものかな。

補助輪は、自転車を乗りこなすために、
最初役に立つけど、自転車に乗れるようになったら、
ただの邪魔にしかならないよね。

957:2016/03/16(水) 14:01:41 ID:RcFyNhuU0
心の中の闇ということだけど、
仏教でも、奇跡のコースでも、
ニューアースのような、
本物の教えでは、
心の中の闇を、価値判断をしないで、
しっかりと眺めることは、
涅槃に至るために、不可欠なことだとされてる。

心の中の闇とは、自我意識のことで、
健康の人も、神経症の人も、普通の人は、
自我意識と自分を同一化させてしまっている。

これが苦しみの元なんだよね。

そして、心の中の闇である自我意識を消すには、
光が必要であり、全体意識とか、仏とか色々な呼び名があるけど、これがその光。

闇を消すには、ただそこに光が入り込めば闇は自動的に消え去る。

だから、自分で自我意識という闇をどうこうしなくても、
仏の意識につながることができれば、
自我意識は自動的に消え去るんだよね。

神経症に苦しんだ人の中で、
このことを経験したことがない人はいない。

心がムシャクシャしていたのに、
なぜか、ふとしたことで、そんなムシャクシャした気分が消え去り、
どうして、自分がそんな考えに囚われていたのかと、
夢から覚めたようか、狐につままれたような気分を経験したことがない人は、たぶんいないよね。

このとき、無意識のうちに、
仏の意識と繋がっていたんだよね。

958:2016/03/16(水) 14:13:35 ID:RcFyNhuU0
また自分の中の闇の部分である自我意識は、
弱さでもある。

だから、自我意識状態につながっているときは、
些細なことで、
心が動揺し、怒りの感情が沸き起こってきたりする。

そして、大抵、
ほとんどの人は自我意識状態にあるから、
弱い状態にある。

だからこそ、
涅槃に至るためには、
自分は弱いという自覚から、始めないといけないんだよね。

でも、もちろん、
ここで終わりではないから、
自分は弱い、自分は自分に対して無力であると認めることで、
強さの源泉である他力が、
心の中に流れてくる土台が作られるようになるんだ。

自分で自分を強くしようとする試みは、
必ずうまくいかない。

959:2016/03/16(水) 14:18:18 ID:RcFyNhuU0
また、自我意識は、狂いでもあるから、
狂いの自覚も同様に必要になる。

昔、斎藤さんが掲示板に、
「自分は狂っているんだ、狂っているんだ。
そう言い聞かして、雑用に励んでいた」というような書き込みがあったけど、
これは、ぼくの心にすごく響いたなあ。

960:2016/03/16(水) 14:44:20 ID:RcFyNhuU0
あと、
ぼくがなぜ、
努力を否定するかといえば、
努力という言葉が出てくること自体、
心の中の葛藤が前提になっているからなんだ。

好きなことを一生懸命やっているときには、
他人はそれが努力と映っても、
本人の内心には、葛藤がなく、たた楽しいだけだから、
努力というような感覚はないと思う。

961:2016/03/16(水) 15:54:19 ID:RcFyNhuU0
あれこれ書いてしまっているけど、
ぼくたちがすべきことは、たったのひとつだけなんだよね。

それは、自我を解体していくこと。
これだけ。
めちゃくちシンプル。

だから、奇跡のコースでは、
「救済とは解体である」ということが、言われているんだ。

ぼくたちの本来性は、仏なんだけど、
でも、その自覚を邪魔しているものがある。
それが自我。
だから、
自我を少しづつ解体していきそれを取り除けば、
あとに残るのは、仏ということになる。

これを聖徳太子は、
「世間虚仮 唯仏是真」
と表現している。

本来存在しているのは、仏だけであり、
その他は幻想に過ぎないということね。


でも、エゴが残っている状態で、
こんなことを言ってもあまり意味がない。

スピ系の世界では、
エゴの解体ということをあまり言わず、
ただ、
あなたの本質は愛なのですとか、
いまこの時点であなたは完璧な存在なのですとか、
いま、この瞬間しか存在してませんとか言うけれど、
でもこれは、
無意味とまではいかないけど、
ほとんど意味がない。

オリンピックを目指している人が、
普段の練習をおろそかにして、

「オリンピックで優勝すると、
金のメダルを貰えるんだよ」

と言っているようなもの。

金メダルを獲得するには、
地道な練習が必要だよね。

だから、ぼくたちは、
毎日、毎日、来る日も来る日も、
せこせこエゴを解体していかなきゃいけない。

本当の教えというのは、
こんな風に、すごく地味なんだよね。

決して、仏の導きに従っていたら、
お金持ちになれました、
みたいな、派手なものではない。

エゴの解体というのは、
発掘作業とも言える。

本来誰もが、
心の奥底に、宝を持っているのだけど、
土砂が邪魔して、それが自覚できなくなっている。

それを自覚するには、
毎日、毎日、土砂を取り除くという、
地道な作業が必要になる。

962:2016/03/16(水) 16:32:31 ID:RcFyNhuU0
ぼくたちがすべきことは、エゴを解体するという、
ただこの一点なのに、
どうして、世の中には、
無数とも呼べるほどに、色々な教えがあるかといえば、
それは、エゴを解体するための手段が、
たくさんあるからなんだよね。

だから、本来、
各自が、自分にあったエゴを解体する方法をそれぞれ選べばいいだけなのに、
自分の方法が一番良いと主張したりすることで、
争いが起きることになってしまう。

宗教とは、本来、
争いを求めるエゴの心を解体し、
心の中の争いをなくすためのものなのに、
この方法が唯一絶対の方法だと主張することで、
争いをなくすためのものが、争いの原因になってしまう。

奇跡のコースの原題は、
a course in miracles なんだけど、
ここでいう、miracleというのは、
一般的にいう奇跡的な現象という意味ではなく、
エゴの意識から、仏の意識にシフトすることを、奇跡と呼んでいるんだよね。

そして、意識を変える方法、つまり、miraclesは、
複数形になっているように、たくさんあって、
奇跡のコースは、その中のひとつ、a course にすぎないということが、
原題にもうすでに、表現されているんだよね。

また、奇跡のコースには、
こんなことが書いてある。

「普遍的な神学は不可能だが、
普遍的な体験というのは、可能なだけでなく、不可欠である」と。

真理を表現する、普遍的な表現なんてものは存在しないけど、
普遍的な体験というのは、存在するということだね。

だから、
「それぞれ違う道を辿ってきたものでも、真理に到達すれば、お互いに喜び合うだろう」
ということまで、書いてあるんだ。

963:2016/03/16(水) 16:52:13 ID:RcFyNhuU0
ぼくが、
宇佐療法の不識さんに、
批判的なのも、この点にあるんだ。

不識さんが言っていることも、
意識を変えるためのひとつの方法だと、
ぼくは思ってるけど、
でも、不識さんは、その他の方法のほとんどに、
ダメだしをするんだよね。

お釈迦様自身が、
意識を変える方法は、何万とあると言ってるし、
しかも、世の中には、どんな方法にも頼らずに、
自分の力だけで、涅槃の境地に到達する人がいることを、
仏教は認めているらしい。

なのに、不識さんは、
自分の表現方法以外は、認めないところがあるから、
不識さんが言っていることが絶対だと洗脳されてしまうと、
その方法がじつは自分に合っていないのかもしれないのに、
そこから、なかなか抜け出せなくなってしまう。

でも、この点に関しては、
無我さんも、同じような過ちをおかしてしまっているみたいだね。

西洋の思想は、
カントが最高峰だと信じて疑わないみたいだし。

鈴木大拙にしろ、鈴木大拙の親友である西田幾太郎も、
すごく熱心に、キリスト教を勉強したみたいなんだけどね。

仏教徒の中でも、キリストの教えを学んでいる人もいるし、
その逆もしかり。

964a:2016/03/16(水) 17:15:28 ID:coV1cfYg0
無我さんは
「西洋思想、宗教はだめ」だもんね。
心理学、認知行動療法などにもかなりの低評価。(「軽症者には効くかもしれません」程度)

まあそれこそ
「スルーとつまみ食い」でおけだね。

965a:2016/03/16(水) 17:19:55 ID:coV1cfYg0
西洋にも
トランスパーソナル心理学
とか
「ハイアーセルフ」
とかあるよねっていう

まあ西洋の思想や概念は「自我」「私は私(一人)」
みたいなフレームでのものが基本だから駄目なのだ、
っていうところなんだろうね

966a:2016/03/16(水) 17:26:36 ID:coV1cfYg0
あとは
インディアンの教えとか?
いろいろ各宗教や思想には
いいところがあると思うね。

さすがに東洋思想=正しい
西洋思想=浅い、だめ

って捉え方こそ浅いよねっていう

まあ養老たけしが
インタビューで、
『最近ヨーロッパで「エゴ・トンネル」って本が売れてる。
ようやく「無我」っていう東洋思想が流行りだした』みたいに言ってたな

(無我さんは以前、
養老たけしを見下してた気もする・・)

967:2016/03/16(水) 18:25:04 ID:RcFyNhuU0
aさん

そうそう、そうなんだよねー。

奇跡のコースによれば、
世界のどこに生まれても、
真実の教えに出会うことはできる、
ということが、書かれてるんだ。

aさんは、
無我さんなどが書いている内容ではなくて、
これが一番だという、独善的な態度に対して、
反感しちゃうんだろうね。

世の中には、
そうやって、他人がやってることを否定する人は多いけど、
ぼく自身は、そうならないように気をつけたいなって思ってる。

968:2016/03/16(水) 18:55:41 ID:RcFyNhuU0
あと、ぼくは、
ホ オポノポノ も好き。

「ごめんなさい」

「ゆるしてください」

というやつ。

969a:2016/03/17(木) 00:33:02 ID:coV1cfYg0
無我さんに質問してみてる

【不安障害治癒】「無我」の教え【仏教】 [無断転載禁止]���2ch.net
http://wktk.2ch.net/test/read.cgi/mental/1450077984/

970a:2016/03/17(木) 00:42:18 ID:coV1cfYg0
あと無我さんは
悟りや無我の体得は
エゴや欲を捨てることではない
って言ってるね

確かに悟りってのが体感的で超越的なことだとすると、
別にそれまでの世界観やエゴ・欲を捨てなくてもいいことになるよね
「結果的に」
欲やエゴに変化はあっても。

科学的物質的な世界観の
先にあるわけではなく、
それとは地平が違う
それまでになかった超越的な体感、体得の世界なわけだから

逆に「科学的世界観やエゴ、欲を
捨てる」ということではないし、
それをしても(必ずしも)悟り、無我の体得はやってこない
ってことかなあ

まあ無我さんとの話も終わってないけど。

971a:2016/03/17(木) 00:49:41 ID:coV1cfYg0
「科学的な視点や世界観、エゴ・欲を捨てよう、変えよう」
ってのは、
結局そういうふうに考えること自体、
そこでのフレームの思考でやってるわけで。

そのフレームの中で、
理知的に悟りの世界を考えて、
そのフレームの中で、
エゴや欲を捨てても

それはそのフレームの中でやってるだけで。

(ただの仮設、論考

972a:2016/03/17(木) 01:03:17 ID:coV1cfYg0
後、犬さん他にもたくさん書いてたのも読んだよ
正直そんなに返信したい感にならなかったので返信は少な目で、
自分の書きたいこと書いてるけど。

ひとつだけ
気になったのは、

>>952
>ぼくが一番簡単に意識を変える方法だと思うのが、
誰かと協力して、何かをすること。
これは、残念ながら、
森田療法や禅では、
ほとんど重視されていないような気がする。
誰かと協力して何かをしよう、
そう思うだけで、自分という自我意識から解放されて、
気分が楽になるんだけどね。
>>953
> ぼくが森田療法に批判的なのも、
他者との協力という考え方が欠如してるからなんだ。

でも >>953
実際の森田療法の入院生活では
まさに他者と一緒に生活し作業をして、それが良かったと書いてる。

???

というか一休さんたちの言ってることの逆だよね

「一人で雑用」ばかり言ってる
斎藤さんたちにまさに一石を投じる観点だと思う

(そういえば一休さんはデイケアに行ってるようだが

973:2016/03/17(木) 02:37:01 ID:RcFyNhuU0
aさん

ぼくの書き込みは、
適当に読み流してくれればいいよ。
ぼくも、頭に浮かんだことを、
適当に書かせてもらってるだけだから。

森田療法と共同作業ということだけど、
森田療法では、
心の状態がどうあれ、
生活に必要なやるべきことをやるということが強調されるだけで、
他者との協力が大切ということは、
ほとんど言われないんだ。
少なくとも、ぼくは聞いたことがない。

だから、
もし森田療法が、他者との協力、チームとしての働きということを取り入れてくれていたら、
ぼくの神経症人生も変わったのではないかと思ってる。

この世界は、
競争原理で動いているように見えるけど、
実際には、協力の原理で動いてるんだよね。

ただ、誰もが、
小さい頃から、競争原理を教え込まれ、
人に勝つことが幸せだと信じるようになる。

自我意識は特別性を求める意識のことだから、
他者とは違う自分を求める競争意識でもある。

でも、競争意識を持っている限り、
人は幸せにはなれないんだよね。

つねに何かを追い求めることになっちゃうから、
欲望は際限なくなる。

森田療法は、
競争意識に従って努力をすることが奨励されるから、
森田療法を真面目にやればやるほど、疲弊していってしまう。

神経症というのは、
人から認められたい、人から好かれたい、人よりも優れていたいという、
特別性を強く求めることが原因で発症するから、
他者と協力し、全体のなかの一部になることで、
一体感という喜びを感じられるようになり、神経症の症状は和らいでいくことになるんだ。

つまり、
ぼくたち神経症者が目標とすべきは、
特別性を求めることをやめ、
凡庸性を獲得していくということになる。

アドラー心理学でいえば、
自分は共同体の一部であるという、
共同体感覚を育んでいくということになるかな。

ちょっと、まとまりのない文章になったかもしれない。

じつは、いま、すこし酔っ払ってる(笑)。

974:2016/03/17(木) 02:42:29 ID:RcFyNhuU0
一休さんが、
向上心を捨てたことで、神経症から解放されたというのも、
同じことかな。

向上心というのは、
他者とは違う特別な自分を求める心でもあったりするから。

975:2016/03/17(木) 02:51:13 ID:RcFyNhuU0
ブッダやイエスが好きというと、
宗教にハマって洗脳されてしまった人、
そんなことを言う人は多いけど、
でも、実際は逆なんだよね。

誰もがみんな、
生まれてから成長していく過程で、
競争意識などの、間違った考え方を植え付けられる。

他人に勝つことや、
欲望を多く満たすことが、
幸せなことだと思い込むようになる。

でも、実際には、
このような生き方は苦しいんだ。

だから、
そのような洗脳から、
人を解き放つために、
ブッダやイエスは、教えを説いているんだよ。

976a:2016/03/17(木) 16:18:40 ID:coV1cfYg0
実際の森田療法での入院生活は、
他者と過ごし一緒に作業する感じ感覚が良かったが、
本とかに書いてる説明や概念としては、そういうところが抜けてる感じがするってことか。
あとは、世俗的な努力や向上などの部分でバランスの悪さを感じたと。

やはり森田療法には
良いとこも悪いとこもある。
そしてそれは、人によっても置かれた立場や感じ方、バランス感覚は違うから森田療法に対する評価も様々ってことだね。

白だ!黒だ!って妄信しないで、
「スルーとつまみ食い」でいいのだろう。

977a:2016/03/17(木) 16:29:15 ID:coV1cfYg0
犬さんと一休さん(斎藤さん)
は、
その「世俗的向上心や努力、競争意識ってマイナスだよね、バランス悪いよね」
というような部分で
共通した感覚、考えがあるんだね。

一方で、斎藤さんたちは
「一人雑用」にこだわり
人と一緒に過ごし作業することを評価しないよね。
そこは犬さんと違うところ。
もし、そのようなこと
「一人でやらないで、人と一緒に過ごし、作業をするのがいい。それが人間の自然だ」
をもっと森田療法が示していたのなら
斎藤さんなら
「そんなものこそ強迫観念なのだ!不安は避けて一人で雑用するべきだ!」って言うよね。

ほんと白黒じゃない、
人それぞれのバランスだなって思う。

978a:2016/03/17(木) 16:37:57 ID:coV1cfYg0
でも諸行無常で流れていくのが、人の感覚世界であって、

一人雑用にこだわり、
仕事や人と一緒に作業することを
「強迫観念だ、だめだ」と言ってやたらと排他的に捉えるその二分思考は

もう少し変化してもいいんじゃないかっていう・・

ほんと犬さんが
「森田療法入院中は人と一緒に作業するのが良かったです」みたいに書き込んだら

「狂いだ!!!!
神経症だ!!!
強迫観念だ!!!!」

だろうな・・

ほんと無為療法っていびつな部分があるから

「スルーとつまみ食い」は大事だな。

979a:2016/03/17(木) 16:55:31 ID:coV1cfYg0
というか
一人で過ごし作業をすることと、
人と一緒に過ごしたり作業や仕事をすることを、
やたらと二分論で捉え
一方に排他的になってるのって

まさに
神経症的な感覚世界だよねっていう・・

犬さんも言ってる
自意識過剰で共同体感覚が欠如しそれに排他的になってる状態

森田療法と無為療法って
「努力はだめ、いい」が大きな違いかっていったら違う。

一人雑用に関しては
「やれやれやれ!
とにかくやれ!
動かないんじゃくずですね!
動くしかないでしょう!」
だからね。それってやはりその部分では努力しろって言ってるわけ。

『一人雑用、動きは「自然、無為」だから努力じゃないんだ』
が正当化の論理だろうけど、

それを言うなら
犬さんも言ってるように
『人と一緒に過ごし、作業をするのが社会的生物である人の
「自然、無為」だよね』
もまた真なりになる。

だから結局つきつめれば、
森田療法と無為療法の違いって、
「一人(雑用)主義」と、
「ヒトと一緒(に作業)主義」
の違いだけだったりする。

そして、それをやたらと二分してる無為療法、斎藤さんの視点、感覚って「まさに神経症の症状なんじゃないの」っていう。

まあその二分だけではなく「社会的向上や努力」ってところで
もう少し丁寧に判断すべきではあるのだろうけど。

980a:2016/03/17(木) 17:05:57 ID:coV1cfYg0
正直わたしは、
斎藤さんは発達障害とかアスペルガーがある可能性が結構高いと思ってる。

「人と一緒に過ごし、コミュニケーションを取る」って部分で、
神経症ということだけでは捉えられない、不都合とか不自然さ、困難さがあるのが発達障害。
それに関しては、別の視点とか対策も必要だったりする。

(テキトーな論理でいつも「神経症者は動かないからくずだね」的な発言ばかりの氏なのだから、別にこういう指摘は相対的に言っても何ら失礼ではない。
ここでは直接言ってないしね。


981a:2016/03/17(木) 17:06:59 ID:coV1cfYg0
一休さんは自分で発達障害があるみたいなことを言ってた気もする。




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