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雑談スレ 3
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〜旅立ちの朝〜
※バックナンバー
雑談スレ
〜森羅万象の欠片
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1443356926/
雑談スレ 2
〜宇宙プリズムの狭間で
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1452752852/
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わたしも同じく、、
わたしは倒れてました(^_^;)
じゃね〜〜
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混沌さん
もし他の人にはもう用がないようであれば、禅的森田療法スレに移らない?
これも一つの転機にもなりそうな気もするし、混沌さんが立てたスレだし。
わたしはもう他の人に話しかける事にはならなそうだし。
わたしが人を誘導してきてる感があって申し訳ないけど(^_^;)
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どこでも良いよ
ただ2、3日レスできないかも
体調悪くてまいっちんぐ
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暴走してしまった感じで非常に胸が苦しい
いや、明日例の場所予約してしまったせいかも
何も考えたくないと思ってる
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おい海、るみかさんも禅的森田を見てみろっていうつもりか?
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るみちゃん
わたしは誰にも何も義務化した事はないよ。
ご自由にどうぞ。
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ここからここに移動
禅的森田療法
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1443193700/500
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なんか、混沌さんの逆鱗に触れてしまったのかな。
ぼくは、
別に議論のための議論には、
興味ないからなあ。
海さんとやり取りすると、
こっちが言いたい終わらないうちに、
次から次へとテーマが広がっていき、
底なし沼に踏み込んでしまったような気分にさせられるんだよね。
そして、最後には、
「みんな自由で良いんだよ。今の今で、みんな完璧だから」という結論で終わり。脱力。
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>>混沌さん
>>755
>やはり争いを無くすなんて無理なんだよ
争いが嫌なら関わらなければいいだけ、ホットケーだねw
これを言いつつ出来てないのが
私で、混沌さんは出来てるね。
今日の「強制執行」も
何だかんだで場を沈静化させたし。
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>>804
これなにげに素晴らしい
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http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1443193700/713
こういうことを端的に表しているのかもしれないですね〜
深くて単純ですね〜
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海さんお薦めのブログ始めてちら見してみたけど
http://s.ameblo.jp/kimitaroukun/entry-12133693339.html
>“心のブループリント”は、いつか必ず物質世界に投影され現実化されます。皆さんの心の中に描いた理想が、いつか近いうちに現実化されるよう、心より応援させて頂きます。
これって
私が好きな系のスピかも?
そして、犬さんによるところの
「流行っているが亜種、邪道で
影の本流とは違う」スピ?
と燃料投下してしまう人w
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??? 狐につままれた気分です。
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テンテー療法って、こんな感じの解釈で良かったですか?
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1443193700/688〜
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aちゃん
そうでしょ。
だから最初から言ってるけど、ま、いいや。
犬さんにはわからないよ。
この管理人さんとはね、ブログも潰し、何百か何千かわかんないけど、あり得ない量のメールも送りつけまくったりした関係を通って、数年前から繋がってて、途中ゴタゴタして、今はね、たま〜にメールするくらいで、いつもの通りにボチボチとやってくれたまえとか言われてる。
ネット卒業と共にこのブログも離れてくのかなぁ。
この管理人さんとの価値観のズレはハッキリあるけど、とにかく応援されてる。
今はね、わたしの生き方を認めてくれてる唯一の人かな。
引きこもりに対しての認識変わったんだよ。
弱者とかいった偏見がなくなった感じ。
食べさせて貰ってる分際は口を慎めとか言われてきたけど、ここを通過した。
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テンテーの小説話に乗る人はいなかったな・・
小説読まないんだよね
アメトークの読書芸人で
芥川又吉やオードリー若林が絶賛してた
『教団X』っていうのは読むつもり。
カルトだの宗教だの出てきて
常識や価値観を揺さぶるような
面白い話なんだって。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1443193700/781
わたしもそう思うよ。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1443193700/836
少なくとも斎藤はんの言うような
無意識→善、自然、任せればおK
意識→暴走するもの、不自然
ってのは違うかなあと。
無意識にも自我はまたがっていて、無意識が迷妄するから
人間は変わりにくいのだと思う。
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結局此処に戻ってきたのか。
この掲示板、上のほうから海のうんこの臭いが臭ってくるからヤだな。
それが嫌で、当人の海自身がよそに逃げたんだと思ってたがな。
やっぱり自分のウンチの臭いが恋しいらしい。。。!?
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もうこないよ。
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改心しました。海さんにしたがいます。
これでどうかな?
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テンテー療法の説明は?
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>>863
可愛いw
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ちょっとプリズンブレイク観てた。
アメリカのドラマの完成度の高さは、感動するね^^
るみかさんに、
「神経症を治すには、禅も仏教も必要ない」と言われて、
「なるほど」と納得してからは、
俗世間的な楽しみにも浸るようになってきた。
藤沢周平って、読んだことないなあ。
ぼくも読書恐怖じゃなかったら、
小説もバリバリ読みたいと思ってる。
でも、本の感想を読んだりするのは、結構好きだから、
何かおススメの本があったら紹介してちょうだい。
「だから仏教は面白い!」を読み終わったら、
「仏教思想のゼロポイント」も面白いよ。
仏教というのは、
本来お釈迦さまの教えのはずなんだけど、
なぜか日本では、お釈迦さまの教えを書いた初期仏典は、
軽視されてきたということで、
それには、ぼくも同感。
ぼくが森田療法に対して、批判的なのは、
そのベースが禅宗だからなんだよね。
だからそこには、人間的な弱さに対する同情や、慰めや、励ましが一切ない。
どんなに辛くても、
ただ目の前、目の前ということに終始するだけだから、
森田療法には、人間的な血が通っていない気がしてならないんだ。これはたぶん、るみかさんも同意見だと思ってる。
森田療法が、禅ではなく、初期仏典をベースにしていたら、
どんなに良かっただろうと思ってるんだ。
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何かよくわからんが
森田療法に一石を投じる
深い分析なのかもしれない...
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>>856
aさん
そうそう。
スピ系の指導者の人の多くは、
大抵、そこで留まってるよね。
なぜかというと、
物質的豊かさを約束する引き寄せの法則的な本のほうが、
売れるからなんだよね。
最近出た、
パムグラウト『こうして思考は現実になる』という本は、
日本でもベストセラーになって、早速『こうして思考は現実になる2』がでたんだけど、
この本の著者パムさんも奇跡のコースの教師なんだけど、
物質的な豊かさを引き寄せるということを主張している点、やっぱり、本来の奇跡のコースの教えからは、ずれてしまっているんだよね。
ブッダもキリストも、
物質的、肉体的なものへの執着を断ち切って、
涅槃の境地に至ることを教えているから、
「心が変わったから、豊かになった。わ〜い」
と言うのでは、
結局は、物質的なものに振り回される人生になるから、
やっぱり、邪道なんだよね。
その点、ほんとの奇跡のコースの教えは、すごく地味で、つまらないといっちゃあ、つまらないw
-
>森田療法には、人間的な血が通っていない気がしてならないんだ。これはたぶん、るみかさんも同意見だと思ってる。
テンテー療法も
「人間的な血(優しさ、思いやりとか)が通っていないこと、世界観」
(とにかく金!強さ!人に使われるな!使え!)
を評価してるのだが、
その中にあって、
「森田療法では弱者に甘んじる側になってしまう。
本物の教えは、とにかく世俗的強者になることだ!」
なんでしょう。
-
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1443193700/836
るみかさんのこれ、面白い洞察!
無意識は胃や腸の働き同様、
自律神経のようなものということだけど、
仏教の教えに沿って、
もっと言っちゃうと、
人の思考も、胃や腸の働き同様の、自律神経のようなものなんだよね。
だから、人の思考も、胃や腸の働き同様、放っておくしかない。自分のものではない。
仏教の無我の教えというのは、
物事をコントロールしている中心としての『我』が無いということ。
般若心経には、『転倒夢想』というのがあって、
世の中の人が信じている、転倒している逆さまの考え、夢の中の思いのことを指している。
この転倒夢想には、4種類あって、
それが、『常楽我浄』の4つ。
3番目の『我』が、
『人々は、我という中心を認め、それが物事をコントロールしている主体であると信じている』
という、逆さまで、夢の中の思いを抱いているということね。
神経症というのは、
本当は存在しない我の存在を意識し、
その我によって、物事をコントロールしようとしすぎることで、
発症するんだよね。
だから、宇佐療法では、『心に対しては無責任』『自分で自分をコントロールしない』ということが言われる。
-
テンテー療法も
「人間的な血(優しさ、思いやりとか)が通っていないこと、世界観」
(とにかく金!強さ!人に使われるな!使え!)
を評価してるのだが、
→ 話がそれるが、これは違う。
るみか療法はそのような無機的で血が通わないものではない。
『朗らかさ』『精神衛生になるべく悪くいことはしない』ことが重要。
際限ない金儲けとか、意味のない他人の酷使とかはダメ。
当人が『周囲から目の敵にされる』なども当然ダメ。
少々都合がいいかもしれないが、それだけに
『バカはムリ』『知性と洞察力』が必要ということなのだ!!
-
神経症というのは、
本来、アンタッチャブルなものに、タッチして、コントロールしようとしすぎたことが原因で生じるから、
その原因を取り除く、
つまち、
アンタッチャブルなものに、タッチするのをやめれば、
自然と改善、治癒していくんだよね。
この点、一休さんの症例は、
すごく興味深い。
向上心や自分にプラスになることをしている限り、
日常の雑用をすることができないというのは、まさしくその通りだと思う。
向上心や自分にプラスになることをする=自分で自分をコントロールしようとすることだから、
それをしている限り、
日々の雑用に催される、日々の雑用に追われる生活、
つまり、
雑用に自分をコントロールされる生活をしていくことはできない。
自分で自分をコントロールして雑用することはできるけど、
それには無理が生じてしまっているから、長くは続かない。
-
ま、そのあたり少々『斉○』と似ているかも。
『とりわけ意識せずに、朗らかな気持ちで毎日の活動をする』
という部分については。
-
要は
テンテーがカイジの利根川のようなことを書きまくってたのは、
何か自己の反動とか投影であり、
るみか療法自体は
けっこう普通なものなのね
-
『森田ワールド』と『るみか療法』との違いは
『東洋思想に基づいていない』こと。
(『森田原法』も『斉○療法とやら』も『禅』に基づいている)
『るみか療法』はむしろ『合理精神』に基づいている。
上記の『常に朗らかに無理なく生きる』には、
他者と同等以上の『知性や洞察力(体力等もないよりあったほうがいい)』
が必要なので、それなりの素質と向上心も必要になる。
-
>『朗らかさ』『精神衛生になるべく悪くいことはしない』ことが重要。
これには、ぼくも同感だし、
確かに、無為療法だねw
勝ち負けの世界に生きていると、『頃合い』、『良い塩梅』というのを忘れて、
ついつい執着して、やりすぎちゃうんだよね。
この手の掲示板のやり取りでも、
最初は楽しく、書いていたつもりが、
ついつい、熱くなって、精神のバランスを崩してしまうことが、ぼくにはあるから、
これには、ほんと気を付けたいと思ってる。
精神のバランスが崩れてきたと思ったら、
心が落ち着くような本を読んだり、くだらないテレビでも見たほうが、
経験上、よっぽど良いと思う。
この点、森田療法では、
精神的に苦しくなってきても、やるべきことをやれだもんね。まいっちんぐまちこ先生だよ。
-
事故愛
多発地帯
-
あいつまたぶっ倒れてそのままか?
出てこないけど。
『ふふふ』とかいってた、掲示板の陰の支配者な奴。
-
「森田療法が駄目」とか
海さんの言う
「常識や世俗的価値観に囚われ
本来の自分じゃなくなる」とか
やっぱ「部分」なんだろうと思う。
結局「正しさ」って
「『それぞれの人の立場』からの『バランス化の方向性』」
常識を排せ!のような指針が
バランス化になる人もいるし、
もう少し常識にトレースしよう!
がバランス化になる人もいる
森田療法がバランス化に役立つ人もいるし、
逆になる人もいる
そして、各自の指針によりバランス化が成されたのなら、
もうその教えは捨ててもいいと。
だから全体的万人的な答えなんて「ゼロ」だったりする。
-
『要は
テンテーがカイジの利根川のようなことを書きまくってたのは、
何か自己の反動とか投影であり、』
→ 読んで(みて?)ないからわからない。
しかし何か『引き下がるとソン』なこと『嫌な仕打ち』などされるると、
それに対抗するのは、きわめて自然な反応なのでは?
大抵の人が『やられたらやり返せ』とか考えるし、
(※もちろん、何かリスクがあったり、大したことでなければ『無視か静観』する人も多そう)
以前ブームになった『倍返し』(現実社会で土下座を強要、逮捕された人が続出したのは笑ったけど)
も、そういった極めて一般的な心理ではないか?
-
>精神のバランスが崩れてきたと思ったら、
心が落ち着くような本を読んだり、くだらないテレビでも見たほうが、
経験上、よっぽど良いと思う。
>この点、森田療法では、
精神的に苦しくなってきても、やるべきことをやれだもんね。まいっちんぐまちこ先生だよ。
これは「正しい」んだろう。
これがまったくもって
正しい観点に思える人がいる。
一方で
心が落ち着くような本を読んだり、くだらないテレビでも見てるだけ。
精神的にちょっとでも嫌なことは、やるべきことでもやらないまま
これでバランス崩すことだってあり得るってこと。
-
aさん
>>881
なるほど。その通りかもしれないね。
aさんは、
中庸思想の実践者なのかも。
『中庸』
ちゅうよう
mesotēs; mean
倫理学上の主要概念の一つ。ギリシア哲学において対立項の中点に立つ調和的存在を初めて考えたのはピタゴラスとされているが,これを倫理学的領域に導入したのはプラトンである。
しかしプラトンにおいてはまだ数学的ないし医学的色彩の強いものであった。
-
>>880
だからもうこない、こんなとこ。
-
上記の話でついでに思い出したので書くが、
あの『半沢なんとか』のドラマの原作本、池井戸潤の『俺たちバブル入行組』
を、ドラマがあるより数年前に読んだことがあるが、
途中まではハラハラドキドキで読んだが、クライマックスの土下座と、
そのあとの悪者部長との取引で、一気に『がくっ』と脱力した。
リアリティがなさすぎる。
あの取引が成立すると、主人公のやってることが一番『ワルで悪質』、
またそれは確実に周囲からバレてしまう性質のものだ。
あんなので感動できる人が理解できない。
(アマゾンのレビューで私と同じ感想だった人が数人だけというのが寂しかった)
池井戸潤って、それまで読んでなかったが、期待して読んだが、
こんなチープなピカレスクロマンかいてる人なのか!?とがっかり。
その後2度と彼の本は手に取っていない。
-
斎藤さんが
鈴木知準のところに入院してた時
「作業の支持を無視して
隠れて酒を飲んでいた」
それが今では
「動け動け!とにかくザツヨーだ!神経症者はとにかく動かないから駄目だね、クズだね」
それぞれ、
その時その時においては
「バランス化の指針」として
正しいのだろう
それを、
「森田療法は駄目」
「無為療法だけはノーベル賞」
などと
「普遍的な正しさ」にしようとするから矛盾する。
その時その時により、
また人それぞれの立場によって
「正しさ」なんてたくさんある
そしてそれは「諸行無常」
流れていくもの
海さんの過去の前提に縛られるな
と言葉はその通り
-
>>884
るみかさんのレビューって、面白いね。
ちなみに、
るみかさんが、読み始めから読み終わりまで、
最後まで一気に読めた本って何?
ぼくは、宮部みゆきの『火車』、伊坂幸太郎の『ゴールデンスランバー』、吉田修一の『横道世之介』と『悪人』かなあ?
あと、シドニーシェルンダンなんかも好きだった。
-
>>885
ううむ。深く納得。
これぞ、知性と洞察力なのかもしれないなあ。
-
ちなみに、
るみかさんが、読み始めから読み終わりまで、
最後まで一気に読めた本って何?
→ 沢山ありすぎて、此処にはとてもかけません。
それから、宮部みゆきの『火車』、数年前に買って、
ずっと『ツンドク状態』なまま(残念)。
(長い本って、読みだす決心がなかなかつかなかったりするんだよね)
あの本、東野圭吾の『白夜行』とよく比較されてるけど、
犬さんがもしそちらも読んでたら、どっちが面白くて感銘を受けたか、
教えてもらえれば参考になるなぁ。
(じつは『白夜行』もほぼ同時期に買って『ツンドク』状態(笑))
ははは。
-
海さんの
「常識や世俗的価値観に囚われ
本来の自分じゃなくなる。そういうのは手放していこう。それがゼロ化だ」
これも部分の正しさだろう。
海さんは実際の生活として、
世俗を廃した(バランス化した)わけなのに、
なんで今でもそれを連呼してるのだろうね。
それは自己の中に葛藤があるからであり、
その葛藤を『世俗的価値観を捨てよう捨てよう』と念じ続けることで無くそうとしてる感じか。
それは、「ゼロ化」なのか?
『常識を排せ』はまさに『過去の前提(バランス化の指針)』 であり、それ自体に絶対的な価値などない。
今の自分の中で『葛藤』、つまり
『常識に少しトレースしたほうが良いかも』という声が出るのは
一つの『自然』なんじゃないかな。
-
『888 :るみか:2016/03/13(日) 19:29:11 ID:cNkFpWvc0ちなみに、
るみかさんが、読み始めから読み終わりまで、
最後まで一気に読めた本って何?』
→ 一冊くらい挙げとかないと失礼かな?
アガサ・クリスティ 『七つの時計』
なんといっても『天地がひっくり返るような戦慄』だったなぁ!!
(そんな怖い話じゃないって(笑))
-
そういえば、『白夜行』も面白かったなあ。
最初から終わりまで、始終ハラハラドキドキしっぱなしだった。一気に読んじゃった記憶がある。
火車と甲乙つけがたいかも。模倣犯も面白いけど、ぼく的にはやっぱり、火車の方が面白かった。
ただ、火車も古いし、るみかさんは、ぼくよりも何十倍も読んでいるだろうから、
ぼくは当時、すごく新鮮に面白かったけど、いまのるみかさんが読んでどう思うかは、微妙かも。
あと、書いてて思い出したけど、
桐野夏生の『東京島』も、最高に面白かった。
あと、原りょうのハードボイルドシリーズは好きで、全部読んだ。
すげー面白かった。
あと、ススキノ探偵シリーズも好きだったし、池袋ウエストパークシリーズも最初の3,4冊くらい読んで、面白かったな。
るみかさんの、
これを読まずに死んじゃうのはもったいない、
そう思える本を知りたいな。
-
>>890
アガサクリスティー!
なんか古いねw
名作と言われる、
『そして誰も居なくなった』は読んだけど、
思ったよりも、自分的には面白いと思わなかったから、
それ以降、アガサクリスティからは遠ざかってしまった。
七つの時計、機会があったら読んでみる。
-
アガサ・クリスティに親しみづらい人には『終りなき夜に生まれつく』がおすすめ。
こちらもなかなか面白い。犬さんならこちらのほうが楽しめるんじゃないかな?
-
『海』は今日は『青天井』状態かいな?
『青天井』=いわずとしれた『青い顔して天井を眺めた状態』
-
るみかさん
相当な、アガサのファンみたいだねw
機会があったら読んでみるよ。
-
HNさんは斎藤はんと
喧嘩を続けて、
まさに「精神交互作用」、
悪循環になってるよね。
「症状を治そうしない、相手取らない生活態度」が
基本主張なのに。
症状=斎藤一派(の言葉を不快に感じる心)
-
森田療法と無為療法の違いのなかで、
一番大きい違い、かつ、一番重要な違いだとぼくが思うのは、
神経症の症状を正常と考えるか、狂いと考えるかの違いだと思ってるんだ。
ぼくは、この点に関しては、
斎藤さんと同意見。
というか、
人は生まれながらにして、
狂ってるんだよね。
それが、ブッダの教えでもあり、キリストの教えでもある。
老子も、自分の心の中には愚かな心が存在すると言ってるし、
親鸞聖人は、自分は極悪人だと言い、
良寛さんも、自分のことを大愚と呼んでる。
エックハルトトールは、
誰もが普遍的に持っているこの心の中の狂いを、
機能不全と呼んでる。
そんなわけで、
自分が狂っているという自覚を持つというのは、
神経症の治癒過程において、すごく大切だと思ってるんだけど、
ただ、斎藤さんが間違っているのは、
その狂いは、脳の狂いではなくて、心の狂いだということ。
脳に狂いが生じているように見えるのは、
心の状態が肉体に反映されるからなんだよね。
-
森田療法が、いま消えゆく運命にあるというのも、
初期仏典に書かれているような、
誰もの心の中にある狂いについての洞察が、
ほとんど見られないことだと思ってる。
というより、
狂いを正常と判断し、それがその人の本来性として、
その狂いを押し進めることを良しとしまっているところがあるから、
森田療法を実践すればするほど、
神経症が悪化していくようなことにもなる。
もちろん、森田療法の良い面だけを
取り上げれば、
それは、神経症の治癒に役に立つとは思うけど、
間違いと正解が両方共存している療法は、
どうしたって、混乱を引き起こすよね。
間違いと正解が両方共存しているということが、
森田療法家同士の争いの元にもなってると思う。
-
あと、この誰の心の中にある、狂った部分というのは、
争いを求める心。
だから、争いを求めない人なんて、誰もいない。
争いを求める心をエゴとも言うんだけど、
奇跡のコースでは、
エゴは狂気でもあり、殺人者でもあるとまで、
言い切っているんだ。
エゴは殺人者とは言っても、
誰もがみんな本当の殺人を犯すわけではなくて、
そのバリエーションは、
本当の殺人から、他人に対する批判や悪口までと幅広い。
またエゴが自分に向かえば、
最悪、自殺することになるし、
また、自分を責めてひどい罪悪感を覚えることになる。
-
うーん
正直何言ってんのか
自分にはよくわからないな
単純に
犬さんの状態、立場にとって
森田療法はバランス化にならないものだった(逆効果な部分があった)
斎藤さんの森田療法批判や説明の言葉の部分部分に
バランス化を見いだした
と。
やはり普遍的な事柄、解釈にしようとすると
よくわからなくなる感じ。
まあ自分が原始仏教とか全然わからないのもあるけどね。
-
>>899 この文章だけで言えば
自分も同意出来る
-
諸行無常で移り変わる自己の感覚世界において、
「森田療法(無為療法)(禅、仏教)は絶対的に正しい、
これを覚えて従おう」
とか固定化するのが良くないのだろうね。
だからと言って逆に
「全ての教え、概念を捨てよう!捨てるべきだ!」
なんてふうにしても
人間ホメオスタシスによって変わらないものだし、
つまみ食いしたり、
流し読みしたりして
試していく感じでいいと思う。
-
テンテーのこの文章、
これ自体は白黒論なのだが、
http://526.teacup.com/masahi/bbs?page=126
「拒否反応、あるいは意味不明でスルーすべき内容だということがわかる」
ここポイントだよね。
これを白黒ではなく、
いいところは参考にしつつ、
感覚的に頭に心に入ってこないようなところはスルーする と。
斎藤はんとかは
それを白黒論にして
「全て捨てろ!」というところに行ったわけだ
それも人それぞれのバランス化だ
でもそれもまた
ただの他人の思考、視点、指標であり
「つまみ食いやスルー」する文章や概念の一つに過ぎないね
一休さんとかは
斎藤さん視点、白黒視点を妄信してしまっているってわけだ
-
まあ一応付け加えるなら・・
そのスルーしたりする
自分の感覚もまた
絶対化してはいけないのかもしれない。
-
ていうか
斎藤はんの
「療法や概念は全て捨てろ!」
みたいなのって
実は、自分と言ってること同じなのかもねw
>>879
>そして、各自の指針によりバランス化が成されたのなら、
もうその教えは捨ててもいいと。
(斎藤はんは
捨てよ捨てよ!と言いつつ
しかんたざ(漢字出ない・・)
だの
治りは一瞬
だの
かなり信奉してるよね。
それが彼のバランスか。
もっと捨てられるかもね・・
あるいはもっと取り入れられるかもね・・)
-
>感覚的に頭に心に入ってこないようなところはスルーする と。
>それもまた
ただの他人の思考、視点、指標であり
「つまみ食いやスルー」する文章や概念の一つに過ぎないね
斎藤はんの文章、
やはり客観的、論理的に見ていくとやはり矛盾がかなりある。
また、「事故愛」により出ている恣意的で不快な文章、論理も多い。
しかし、それをいちいち
細かく指摘するのなんてほんと不毛なことだったわけね。
「つまみ食いやスルー」
すればいいだけ。
自分にとってプラスになるような
読み方をすればいいだけ。
だね。
-
aさん
正しさということだけど、
「何を目的にしての正しさなのか」
という視点がないと、
混乱してしまうと思う。
仏教の正しさということで言えば、
仏教は何を目的としていて、その目的に仏教が提供する手段は正しいのかという視点ね。
そして、
仏教が目的としているのは、
涅槃の境地。
管理人さんの言葉で言えば、絶対的安心であり、
奇跡のコースの言葉で言えば、永遠の心の平安。
仏教は、涅槃の境地を目的としていて、
そのための手段も書かれているけど、
その手段が、涅槃の境地に達するために、正しいのか?
こういう観点から言えば、
ぼくは、仏教は正しいと思ってるよ。
でも、涅槃に達するための手段は、
仏教によれば、この世界には何万とあるみたいだし、
何の手段に頼らずに、
ひとりでに涅槃の境地に達する人が存在するというのも、
仏教は認めているみたい。
-
面白いなと思うのは、
「だから仏教は面白い!」も含めて、
いま、ブッダの教えに忠実な、原始仏教関連の本が、
よく売れてるみたいで、
仏教ブームが来てるとも言われているんだよね。
こんなに、日本で、
仏教系の本が売れるという現象は、初めてみたい。
2500年前の人なのに、凄いなと思う。
一方で、
森田療法関連の本は、
近年、ほとんど売れてない。
-
無我さんもやはり
そのような超越的な平安、悟りの世界を言ってるね。
しかし仏教は一般論としても参考になるような形、概念がないかと言えば
そんなことはないよね。
鬼和尚の言葉なんかまさにそう。
普通の人が普通に理解出来る言葉で語っている。
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】50 [無断転載禁止]���2ch.net
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1451898344/
ちなみに
無我さんは鬼和尚を評価していて、
「私は小悟ですが、鬼和尚は大悟でしょう」と言ってる。
説明や道が何千通りもあるというだけではなく、
その意味、目的自体も多様でいいということでしょう。
-
わたしとしては
そもそも超越的な平安とか悟り、
苦しみや悩みからの超越的な解放などは求めてないのだよね。
それがわたしの立場であり見方。
犬さんには犬さんの見方がある。
だからこれもそれぞれの見方であり、バランス化や指標は違っていいし違って当たり前ってことだ。
-
仏教を学ぶ目的は、
人それぞれ自由でいいとは思うけど、
でも、
仏教の教えを説いたお釈迦様が目的としたのは、
涅槃だよ。
-
ちなみに、
奇跡のコースでも、
「このコースを学ぶ唯一の動機は、心の平安である」
と書かれている。
でも、そうじゃない人、
例えば、引き寄せ系の人たちも多いけどね。
-
aさんが、
涅槃を目的に学んでいないというのは、
それはそれでいいと思うし、
ぼくは否定しないよ。
というより、
aさんは、涅槃を目的にしないほうがいいんじゃないかなって、
思ってる。
というのも、
aさんは、まだ若いから、
この物質世界を楽しんだほうがいいと思うんだよね。
じゃなきゃ、
物質世界に根ざした欲望を手放すことなんて、できないから。
奇跡のコースで、
一番有名な教師も、
若い人が学ぶには、適していないと言ってる。
じつは、
ぼく自身も、自分にはまだ早いと思ってる。
まだ、物質世界の娯楽を楽しみたいんだよね。
-
>日本で、
仏教系の本が売れるという現象は、初めてみたい。
2500年前の人なのに、凄いなと思う。
一方で、
森田療法関連の本は、
近年、ほとんど売れてない。
これは森田療法自体に「常識、世俗、努力、社会的向上」みたいな概念が含まれているから
そもそも読む必要がないみたいこともあるのかもね。
一方でそういう仏教の本が売れてるのは、そういう常識とは違う見方を知りたいっていうニーズだと思う。
まさにバランス化の指標だよね。
(そこで超越的な平安とか、常識の全否定とかに行くというよりかは、そういう違う見方を知ってバランスを取りたいとか、癒されたいみたいな人が多いと思う)
つまり本が売れてるのもまたバランス化であり、「常識はだめ、森田療法はだめ」
「超越的悟りの世界こそ統一的正解」みたいなことの証明なんてことにはならない。
あと森田療法=常識
というほど単純でもないから、
なにか新しい視点を求める感じで、
森田療法の本が売れる可能性もあると思うよ。
アドラーなんてものが
100年ごしにヒットしたりしてるからね。
あと森田療法は「療法」であり、基本、神経症というくくりだから一般的に売れないのは当然。
-
「このコースを学ぶ唯一の動機は、心の平安である」
心の平安ってのもいろいろでしょう。
鬼和尚の言葉にあるような
超越的なレベルではない
心の平安ってのも
それはそれで大事と思ってる。
斎藤はんに何故かやたらと粘着しないこととかねw
-
>>913 これはおっしゃるとおり。
-
無我さんのスレってのもあるよ。
【不安障害治癒】「無我」の教え【仏教】 [無断転載禁止]���2ch.net
http://wktk.2ch.net/test/read.cgi/mental/1450077984/
-
ぼくは勝手に、
aさんのことを同士だと思ってるんだよねえ。
すごく誠実に、
知恵やら真理やらを求めてるような気がするんだ。
ぼくもまだまだ分からないことは、
たくさんあると思ってるから、aさんが書いてることは、
すごく勉強になったりしてる。
ちなみに、
aさんは、アドラー心理学の本を読んだことあるの?
ぼくは、嫌われる勇気を読んで、面白かったから、
最近でた、続編の幸せになる勇気をよんでる。これまた面白い。
アドラー心理学も、
涅槃に至る手段のひとつのような気がしてる。
-
aさん
情報ありがとう!
無我さん、鬼和尚のスレ、
あとで読んでみるね。
ぼくはこれから、
しくじり先生を見る。これ好きなんだあ。
-
しくじり先生w
いいね
最近見てないけど
若林とかいいリアクション
-
aさんも見て、
あとで、感想を言いあわない?(笑)
-
無我さんのスレは
隔離スレという意味合いで
ダレカが立てたんだよね
途中ダレカが
猛烈に論破をしかけてたりするんだけどね・・ハハ
-
無我さんが
他のスレに降り立つと
十中八九荒れるのあれなんだろな
とにかくきれやすくて
プライドが高い
「属性」なんて幻だ、本体ではない
が主張なのに、
「属性」で猛烈に怒ってるっていう。
主張と在り方が真逆に感じる。
属性の幻性に気付き、対人恐怖という不安が解消したのに、
何故怒りはそのままなのか?
悟り、見性とは属性や理知の領域で起こるものではない
なら何故そのような違いが生まれるのか?
その疑問に全然、彼答えてないのも超越論を懐疑してる理由。
私は他を知らないから
超越的悟り論=無我さんだしね。
まあ怒ったのはにちゃんに慣れてなかったのかもだけど。
-
「悟りとは
理知領域におけることではない」
のに
何故理知的な突っ込みにそんなにキレるのか?
それは無我さんが実は「理知的に信じているから」ではないか?
結局私なんかと
ガミガミやりあうというところで感じるのは、
そういう領域にある人なんだろなあ
ということ。
ほんとに超越してるの?・・
っていう
-
>無我さん
6 優しい名無しさん sage 2015/12/15(火) 16:16:01.40 ID:MI1wxDhY
これらのサイトは 「原始仏教の悟り」 を学ぶ為の大変良いサイトです。
↓
鬼和尚の仏教勉強会
http://onioshyou.blog122.fc2.com/
鬼の説法集(悟りへの道)
http://ameblo.jp/oniosho/entry-11958236275.html
-
無我さんの表現がそもそも理知的
(余談です
(人それぞれ自由にいろんな教え(自己の内の教えも)を参考にすればよし
-
しくじり先生、面白かった(^◇^)
でもさ、
aさんは、何のために、
無我さんとやり取りしてるの?
無我さんに対して、
イライラするのなら、
そういう人とやり取りするというのは、
ほんと、もったいないと思うんだ。
るみかさんも、言っていたけど、
精神のバランスを崩されるような人とは、
ぼくは、できるだけ関わらないようにしてる。
-
無我さんとはもう結構前からやり取りしてないよ
>精神のバランスを崩されるような人とは、
ぼくは、できるだけ関わらないようにしてる。
うん
ホットケー だの
君子危うきに近寄らず だの書いてるように
自分も自覚してる
まあ
全く関わらないとか見ないとかが一番シンプルだけど、
あとは >>906
-
>>243
>>247
>>251-255
-
何かそういう一連の
集団的自己愛暴走、他者執着、喧嘩、議論の類いって、
気分的なところが
ゼロサムゲームでさえなくて、
「頂点がゼロ」でそこからマイナスをいかに相手に押し付けるかの戦いという感じ
・言われたらムカつく
(こちらに「気分マイナスボール」が来る)
・言い返すことで、自分のマイナスボールを解消しようとする
・相手にマイナスボールが行く
・相手返してくる ・・・
というドッジボール
しかも悪循環でお互い(集団的に)マイナスボールは出かくなる一方・・
そのマイナスボールなんて
突き詰めればただの気分であり、
そもそもあってないようなもの、蜃気楼やホログラムなのに
っていう
-
苦心して頂点をつかんだとしても、
それってぼけーとお茶でも飲んで
(別に飲まなくてもいいが)
落ち着いている時の心、
気分のマイナスボールのない状態と同じ(いやそれ以下か)
っていう
-
>>906
ほんと、その通りだね〜。
ぼくも、偉そうなこと言っているけど、
aさんと同じような資質を持ってる。
たぶん、気がついてると思うけど。
ホットケーしたいのに、
ホットケーできなかったり。
依存症というのは、
やりたい、やりたくないという、
二つの心の葛藤があって、
初めて依存症になるみたい。
ギャンブルも、お酒も、
やめようなんてまったく思わず、
やりたくてやってる人は、依存症とは言わないみたい。
人間の心の中には、
自分が苦しむことが分かっているのに、
それを止められないという心があるんだよね。
苦しみを求める心が。
-
自分は
「見なければいい、
関わらなければいい」
は上手く行かなかったな。
やはり
>>906
のような形のほうがいいのかもね
なにげにむずいけど、
ようやく出来るようになってきたかなあ
-
そういう意味では
ホットケー
君子危うきに近寄らず
不問
もわりと白黒論だよね
不問!と言って
無視するだけではなく
何事も柔軟なのがいいのかもね
-
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/39195/1443515440/27
あのw無我さんの
意外wな名言
-
aさん
否定されたら、
仕返ししたくなるというのは、
ぼくも一緒。
というか、誰だって一緒だよね。
否定されて、
気分が良くなる人なんていないから、
人を否定しないように気をつけたいとは思ってる。
それに、
他人を否定することは、
自分を否定していることに他ならないし。
-
>>932
その「ホットケーしたい」と
それが出来ない、
やりたくないと
やりたい
ってのも、解決するのは
「断固として不問」
ということだけではなく
前述したような柔軟な
在り方、人との関わり方、人の文章の読み方、受け取り方 >>906
なんだろうね
それにはいい方向で使うような
知性も必要なのかも
議論=悪でもないしね
-
>>937
激しく同意!
ホットケーしたいのに、それができない、
ついつい依存してしまうというとき、
じつは、そこに学ぶべきレッスンが隠されていることが多いんだよね。
だから、
「自分はここから何が学べるんだろう」
そう自問してみて、
自分なりの答えを発見すると、
不思議なことに、
すーっと、執着心が消えていったりする。
それが、
aさんの、プラスになることをつまみ食いする、
ということなんだろうね。
-
無我さんの名言いいね(^^)
-
なんか、aさんとは、
普通に対話が出来て嬉しいな。
奇跡のコースでは、
仲間というのを、大事にしてるんだよ。
なぜかと言えば、
同じ考えを共有することで、
その考えを自分の中で強固にすることができるし、
それに、
人間は、良い言葉でもすぐに忘れてしまうけど、
でも、仲間のおかげで、
それを思い出しやすくなる。
悟りに至るための手段には、
いろいろあって、
例えば、瞑想、座禅、念仏、懺悔などがあったりするけど、
奇跡のコースの場合は、
人間関係を使って、悟りへの道に至る教えでもあるんだよね。
この点、
「人間の全ての悩みは対人関係である」といった、
アドラー心理学は、
奇跡のコースとすごく親和性が高いんだ。
ぼくの場合、
そんなこと知らずに、
なんか流行ってるからという理由で、
アドラー心理学に手を出したんだけど、
それが、奇跡のコースを深く理解できるようになるとは、
思いもしなかった。
-
それこそ戦争とかも
類似の人間心理があるのかもね
「徹底的にやっつけて
この怒りを発散させる!そのゴールに行くぞ!」
みたいな。悪循環の連鎖。
-
斎藤はんやらとの
森田療法論争
平和w
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>>940
嫌われる勇気は
自分も読んだよ
感想はまた明日にでも
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ほーい。
また明日ね。
おやすみ。
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