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スタッカート!
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スタッカート!
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テーマソング
【Silent Siren】「KAKUMEI」MUSIC VIDEO FULL ver. 【サイレント サイレン】
ttps://www.youtube.com/watch?v=crGzlCuaTGg
金曜:21:00
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臭い話を創って感動させようとわたしは思いましたが、思いっきり名前を間違えているという薄っぺらさにより、台無しに。
底が見えたな。そこそこ。
あー、でも、コムという名前はユニークだけど、少年誌らしいカッコよくてそれでいて優しい人柄も伝わるネーミングだったら、もっと受けたかもしれない。
トムコムコンビとか、そういうの好きなんだけど、そこらへんは、わかりやすさ、という点では損をしているかも。
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漆原友紀「蟲師」長文感想
狩房文庫異譚
ttp://shira-yawa.sakura.ne.jp/tyoubun/mushishi-karibusabunkoitan.html
ほんとうは分析なんて言ってたから、これくらい濃く語りたいんだよな。
でも、それは自分は無理だよね。
丹念に丹念に読めば作者の世界観のマクロも一コマ一コマの演出のミクロも読み取れる、
それがあってはじめて皆に通じる言葉が生まれる。
そしてそこにその人の持つ漫画知識や社会通念を織り交ぜながら、所感を述べていく。
その素晴らしさがある分析だし、実際に蟲師を合わせて読んでも違和感がないことから、2回3回のような自分のような浅い繰り返しじゃない、
読みに支えられているのが分かる。
たぶんアプローチとして漫画批評として正しいこの人は絵を見れて、自分はストーリーとか妄想を脳内で膨らませて思い込んで書いているという違いはあるものの、
自分もこれくらいしっかりと読めば、もう、こんなに恥ずかしい思いはしないと思うのだけど、
けっきょくのところその漫画を読んでいて楽しいとか勉強になるとかのと、感想を書いている自分に酔って浸る感じを両立するのが一番な、趣味というか自慰の文章しか、
描けないと言う感じで。
七つの海の感想は、もうちょっと引いたクールな分析であったまいいなーって言われそうなものになったらとかもくろんだんだけど、
こういうファンレターになるというのが、
たぶん自分の見方で、
そのキモさが読み手を遠ざけ、一歩も二歩もひかせ、過疎山形成の儀というか、そう思うならこういう自分語りは止め―って感じなのに、
ためらいなく描き込めてしまうのは、無責任な名無しさん万歳な、にちゃんの悪いところしか影響を受けていない自分というものなんだろう。何言ってんだか。
これは推敲してませんので、ここらへんが自然な感じの文として、あんまり上の感想と変わんないというのは、そんだけしっかりと感想を描けない人なんでしょうね。ねねねねねんええんええn。
終わりゅ
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クレープ漫画……アナ雪……そっか。
エッセイ的な作品を描く人は、作者への信頼ってのは土台のベースの味だから、そこは敏感になんないと危ういのかな。
あっ、はい。すいません。
黙っていたことがあります。
「七つの海」レビューは無料でネットで観させていただき、セルフアピールで書かせていただきました。
深く反省しています。
わたしを応援してくれる方々や、「七つの海」をはじめ岩泉舞ファンの方々の気持ちを、わたしの認識の甘さにより踏みにじってしまいすいません。
そしてまんが図書館Zさんへ。頂いた図書券でエロ本を大量購入してしまいすいません。、
本当にごめんなさい。
また皆様に楽しんでいただけるように、これまで以上に努力してたまるか!
いーかげんに、低燃費に、他の趣味やりながら、遊びながらヤッテ、ダイヤの指輪を貢いでもらって、がははと笑いたい。
そういうことを言いながら、「こいつ真理ついている、深いこと言ってるな」とか一方的に尊敬されて、「わたしそんなつもりないのに」って一方的にアイデンティティークライシスに陥って思春期のラッタッタ女子みたいに浮かれ悩み甘く浸りたい! DEATH!
ああ、こんなこと書いてもここは超過疎で誰も見てないんで、炎上どころか、ホッカイロにもなんないんだろう。
孤独は辛いよ。
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クリスマス会 告知 でっす
12/25日 午後あたりから深夜までを目安に
AAや動画をお楽しみ会っぽく、発表する予定 でっす。
たぶん、はるか以外はやる夫短編板に投稿すると思うんですけど、でも、なんとなく、ギコ連合での活動のひとまとめ的な。
現時点でのスケジュール
AA しな蕎麦 こうや
AA 夢うつつ
AA あなたと東武動物公園で
AA はるか(北村薫の短編をAA化)
モナカラ動画①②
こまごまとした補助動画たち
プラスアルファ
現在書いてる、AA短編集
(クリスマスが終わる前に間に合わんかったら、小説の形で)
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ネコのAA集(動作集?)をまとめてみました。
ttp://a0014028.html.xdomain.jp/nekonoaasyuu.html
と言っても、「夏への扉」と「猫のいる生活」だけからしか、採取できなかったのだけど。
他に良さげな猫ものがあったら、教えていただければ。
(しぃ総合スレで山奥さんがネコもの書いてた記憶があるのだけど、どこにあるんだろう。今はそこを探しきるまで手が回らない)
つーても、ネコを使うAAって、マニアックだけど。
使い方としては、夏への扉みたいにふつうのAAを使ってもいいだろうし(でもあれはテクとして人を使う時に服を着せて差異を際立たせている)、
猫のいる生活みたいに八頭身と併用すると、猫の小ささみたいなのがリアルになって見えるかもしれない。
その頭身の差を使ってペットと飼い主の人間を表現するというのは、「モナーを飼いたいのですが」系の発想だと思うのだけど。
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深夜便り。
すごくぼやぼやしてるんだけど。この話、けっきょくマニアックな自分語りなるんで、読む価値なしです。
キャラクタの死ってどうなんだろう?
大きな流れは、人は死んでも生き返るピースな世界のドラゴンボールがあって、ダイの大冒険があって。
その前に旧キャラがどんどん復活するキン肉マン、男塾あたり。
そんで多分バトルロワイヤルの映画、小説の、人をばったんばったん殺す一つの流れが出来て。
それが黄金時代編のベルセルク、キメラアント編のハンタあたりから、サバイバルな話が生まれてきて。
そのはざま辺りに不殺の「るろうに剣心」があって。
そこを殺すことに葛藤があった作品で。
殺さない主人公、戦うカウンセラーの前半のるろ剣の良さはあるけど、物語が盛り上がったのは、殺し屋志々雄が大暗躍するところで。
やっぱり殺しからは逃れられない。
そこを何とか脱皮したかと思ったら、過去回想編で、剣心の殺しシーンがどんどん入ってきて、そこもサムライエックスとして海外を中心に人気があるところ。
あと、蒼紫というキャラが人気出たが、あれはお庭番衆、皆殺しというのがあって、復讐の鬼になってから。あのルックスは神だけどね。
不殺というテーマながら、けっこう人は死んでいる。
でも肝心な人は殺せなかったのは、賛否両論のジンチュウ編の薫。
これ、殺した方がテーマは確かに引き立つし、名作になりうるけど、あれを殺さないのが「和」月の剣「心」なんだよなっていう想いがあって。
勝手ながらの一読者の独断さえ出来ない本当に迷ってしまう。
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その「剣心」を、自分も自作AAで、けっこう大事な見方役に使った。
なんか無意識ながら自分の中であったのだろう。
スタッカートなんだけど。
あれは絶対に設定に負けた作品で。
ジョンRというよりも、人の命を奪ってエレキをチャージするエレキギター。
という強すぎる設定だよ。
これがあったら、人が死なないと物語は進まないし、でも使いようによっては物凄く面白い。
この設定を使ったスピンオフとかどんどん浮かぶもん。
主人公に持たせて、仲間と死のバランスを作ったり。
悪役にしても超弱い奴が、これと出会って、殺人を経験して、どんどん壊れていくストーリーとか。
浮かぶっしょ。
たぶん、どっかの漫画とかで使われていると思うんだよねー。
一番近い影響を受けたのが、タクティクスオウガのNルートに出て来るネクロマンサー?
でも、これ人が死なないと進まないから、のほほんと書こうとした自分にはとことん相性が悪かった。
だから、それと対になる、主人公たちにさ、「助けて、不殺の剣心さんー」って悲鳴を上げたのかな。自分は。わからん。
スタッカートは中断したのもあって、途中から感想がつかなくなったのも、つまんなかったんでしょうね。自分が思ってたような手応えなんて幻想で。
だから自分が描いても生きるもんじゃなかったんだろう。
それこそ、虐殺AAとか、葬式の話とか死刑囚の話とか、アスキーアートって死ぬ話ってものすごく良い傑作ってあるからな。自分はそんなに読んでないけど。
それでも波及効果として、「送る」「鳴き声」あたりでシリアスに間接的でも死を書けたのは、収穫なんだろう。
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でも、憧れるのは大きな社会とか文化の創作物での「死の傾向」を受けつつ、敢然と信念をもって、
そのトレンドとかじゃなくて、なんか、ストーリーとかそういう必然として死を描きつつ、
なんか舞台によってその性質を変えるような。
吸血鬼編では大虐殺が起こるし、ロードムービーでは比較的穏やかに生き返りも許しつつ、日常系では毎日に潜む殺人鬼を描き、
マフィア編ではまた人がどんどん殺し合うとか。
そういうさ、第一部から主人公を殺してしまい、騒然とさせつつ、信念をもってそれを描いていく、荒木神みたいな。
そういうのに憧れます。
でも、和月的な葛藤ってどうなったんだって言うと、そのアシスタント系譜で織田信長の「ワンピース」があるけど、
あれは不殺を徹底しつつ、稀代の名シーンは「エースの死」だったり、大量に増えすぎた仲間とか歪みだしたし。
でも、ジャンプの大きな流れは、あれだーな、ハンタのタイタニック編が、おそらくこれから10年くらいかけて大虐殺を起こすと思うんで、
そこでまた殺伐派が息を吹き返すような。
そういう流れを影響を受けるんだろうけど、それも含めてそういうの意識過ぎないで書きたいものを書きたいし、
その時にあるていど死というのは避けられない要素だってわかったし。
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今のモナギコ界隈は、ひじょーに平和な空気が流れてるけど。
ほんとに人が死ぬAAって少なくなって。
AAって死にまくるじゃん。虐殺AAが一ジャンルになってたし、制服モララーだってベスの死がピークだし、
ほのぼのの顔が濃い山奥アトリエさんだって、ひじょーにキツイ死のものをしぃ総で描いてた覚えがあるし、
のんきな一人暮らしの1さんだって「意味なしちょうちょ」とか、ものすごくキッツイ死を描くんだよね。
そういう人を殺さないまたーり派はたぶん自分はそうなんだろうけど、決してメジャーじゃなかったのだけど、全体的に今はまたーりしている。
だから、「袂を分かつとき」だっけ? あの妖怪の話で濃い死を語られるとギャラリーに衝撃が走る。
いや実際名作だけど、死に飢えているような空気って、今あると思うんだよ。
ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/3246/1560064977/37
で、残念ながらそれをぶち壊す力はないし、作品も書かないけど、書きたくないけど、
人が増えまくっている「ホーリー愛」だって、それを一つ曲げれば大虐殺だってありうるだろうし、ラスボスの緊張感もそこにあると思うけど、
この二つが爆発するにはもう少し時間がかかるだろうし、
ほんとうに、逆に、死の無い極致を描けたら、そっちの方が衝撃的にさえ思える感じだけど。
と今のところの死の爆発のフラストレーションはあると思うんだけど、やっぱりAA関連の死は自分の中ではめっちゃハードル高いんで、
ほんとに「意味なしちょうちょ」をAAツールにコピペして見てくれよー。
こんなん書ける人、プロの人だってそんなにいるかー?
「意味なしちょうちょ」
ttp://dechi.xrea.jp/library/log/D8honey2/009.html#R8
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いやー、意味なしちょうちょは鬱だわー。
あれハッピーエンドにも出来たけど、逆に悲劇としてドラマチックにも書けたよね。
もうさ、主人公をもうちょっとカッコよく書いたり、優しい人として書いたりして、
殺すのを彼じゃなくて事故とかにすれば、
タイタニックじゃん。
でも、そういうのすら許さない、この人はふつーに意味のないしょーもない人で、殺しつつそれでも生きていくけど、やっぱ彼には意味がないよねっていう、
そのドライすぎる視点というか、
もちろんハニーさんはそこまで割り切れる人じゃないのはなんとなく思うんだけど、
こと創作モードに置いてはそこを徹底して書ききれるそういう上手さ、
2chやすげーマニアックなところだと許されないからこそ輝く上手さ、
みたいなものは。
自分にはなくて。憧れたけど。手に入らないもの。
これと双璧をなす鬱ストーリーが。
【 we can fly リアルで。 】
ttp://dechi.xrea.jp/library/log/D8honey2/011.html#R37
(\ /
\\ /) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
((\\ /)″ | 自分の翼を用意すれば |
( (_ヾヽ /)″ .| 幸福は約束すると言ったのに 、 |
( ( ヾ ) ⊂⊃ /ヾ) \_____________/
し し//∧_∧ノヾヾ
し///ヽ( ・∀・)ヾ″
し(////( )`″
(/(/ノ ノ ノ ″
(_,ノ_ノ
(\ /
\\ /) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
((\\ /)″ | 残念なことにそれは君の翼ではない、 |
( (_ヾヽ /)″ .| 私の翼から落ちたゴミに過ぎないのだよ。 |
( ( ヾ ) ⊂⊃ /ヾ) \__________________/
し し//∧_∧ノヾヾ
し///ヽ( =∀=)ヾ″
し(////( )`″
(/(/ノ ノ ノ ″
(_,ノ_ノ
(\ /
\\ /) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
((\\ /)″ | 『強い信心』? |
( (_ヾヽ /)″ .| そんなモノは弱い人間が持ったところで |
( ( ヾ ) ⊂⊃ /ヾ) | ただの依存心にしかならず受けて喜べるモノでもない。. |
し し//∧_∧ノヾヾ | 同族の人間からすら愛や感謝を受けられなかった者が |
し///ヽ( -∀- )ヾ″. | 何の根拠を持って私の特別な慈愛を得られると考える? |
し(////( )`″ \_______________________/
(/(/ノ ノ ノ ″
(_,ノ_ノ
今の自分には刺さるわー。honey神様、ホームレスゴミ漁りな自分も飛んで逝って良いですかー。
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なんか深夜に衝動的に書いても、思考も文章もしっちゃかめっちゃかでダメだね。
でも、誰もつっこまない。
しょーじき、クリスマス会だって、後から見るよって人を最大級見積もって5人、リアタイじゃおそらくノーメンバー。
いやー、そんな寂しいシチュエーションでも、なんとなく「きっと君は来なーい」みたいに自己陶酔して書けるのは才能かしら。←哀しすぎる才能だよな。
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クリスマス会 告知 でっす
12/25日 16:00あたりから深夜までを目安に
AAや動画をお楽しみ会っぽく、発表する予定 でっす。
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みんなにシカトサレル僕の感想文。せんべい食べたい。
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鹿踊りのはじまり
◇前置き
鹿踊りは、岩手の伝統芸能らしく、それは宮沢賢治もそのファンというか、親しみがあって、この作品を書いたのだと思う。
今だとyoutubeにいっぱいそういう動画があるので、観るとまたイメージが広がっていく。
いろいろあるみたいけど、自分はこれを見て、リズミカルで動きがきびきびしていて、
なんか盆踊り的なものを思ってたのが、変わっていくね。
ttps://www.youtube.com/watch?v=rIE_RLWiSfI
やっぱり今の時代は良いなっ。
この小説自体も青空文庫で、読めますし。
ttps://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/43760_17902.html
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◇描写
宮沢賢治の情景が浮かぶ、その筆運びのタッチは美しい。
すすきが一面に生えていてちょっと光るようなそういう銀の感じの、なんか、それが風に揺れている感じ。
鹿だってコミカルに動いて、鹿っぽい姿が、動きの描写の連続から、自然と浮かんでくる。
そういう、すすきと鹿がそれぞれ浮かぶ描写を積み重ねて、それを最後に掛け合わせた
このシーンはやっぱり鮮明に浮かぶというか、なんか絵として良いよね。
鹿はおどろいて一度に竿のように立ちあがり、
それからはやてに吹かれた木の葉のように、からだを斜めにして逃げ出しました。
銀のすすきの波をわけ、かがやく夕陽の流れをみだしてはるかにはるかに遁げて行き、
そのとおったあとのすすきは静かな湖の水脈のようにいつまでもぎらぎら光って居りました。
ここ、凄く上手いよな。
こう、すすきを、竿、波、流れ、湖と、水と関連付けて描写して、そこをこうかき分けるように、波紋を残して、
さっと男の向こう岸に行ってしまうような、そういう感覚とか。
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◇解釈
これは鹿がコミカルに、コントみたいに手ぬぐいを大げさに怖がってつんつんするところから始まり、
何時の間にか、鹿のあの高く澄んだ声で聞こえてきそうな歌の、なんか揺さぶるシーンに移っていく。
鹿の鳴き声もまたyoutubeで聞けるので、今の時代の方が却って、都会っ子には分かりやすい作品なのかもしれない。
ttps://www.youtube.com/watch?v=VrRpFr2II68
それで自分もそれに加わろうとすると、鹿が逃げちゃって、その前述の鹿とすすきのシーンで、終わっちゃう。
それを自然と人の断固としてある境目を描いている、という解釈も見つけたのだけど。
自分的には、なんだっけな、こっちの解説にある説を推したいです。
新潮文庫「注文の多い料理店 P405より
……鹿たちの感動的なパフォーマンスを目撃し、ほとんど自分も同化して踊りに加わろうとした若者は、
鹿たちの去ったあと、「ちょっと苦笑いをしながら」その場を立ち去ったまでが語られている。
つまり、このあと嘉十が家族や近所の人たちにしたであろう目撃談から、
鹿たちの行動を模した「踊り」が発生するまでの敬意や過程が、
私たちの茫漠とした想像のすぐ向こうに、ぼおっと煙ったまま残される。
もちろん、人は鹿に交わることが出来ないが、拒絶されてもなお、彼の情熱は消えない。苦笑いしつつ語るんだろうね。
それが話として伝わり、やがてそのように踊ろうとするものが生まれ、それが伝統となり、宮沢賢治の心をとらえ、
この小説を風の語りとして書かせて、宮沢の小説は新潮文庫にも広がり、ここで一読者の自分と出会い、
そして自分もまたあなたに出会わせようとする、そのナウシカ、
その鹿踊りは現在まで生き続け、youtubeで、自分の目の前にもあなたの前にも映し出される。
行ってリアルで観たいとすら思わせる。
自然に焦がれるという見方をもう少し広げるのは、暴論だろうか。
何でもいい、何かに焦がれるその情熱が、人を動かすし、たとえそれと一体となることが叶わなくても、
語り継ぐことは出来るし、それが魅力的ならば周りにも伝播するだろうし、
それはまたもっと大きな祭りのような動きになるかもしれない。
そういう風に伝統も作られるし、未来も開かれる、そんな爽やかな余韻を、風の語りかけの締めのモノローグに感じた。
ごめんなさいポエムです。
この小説自体も、その鹿踊り的なものへの愛のようなのを感じるし、
鹿を擬人化して人間臭くコミカルに描くこと自体、
なんとか鹿というものを鹿踊りや人の方に手繰り寄せようとする、情熱の力学みたいなのを感じる。
やっぱポエムだな。
こういう風のは、いろいろと読者ひとりひとりが好きな形に妄想するのが楽しいんだよね。たぶん。
そういう文章は、好きなんだよな。やっぱ、そこは再確認するな。
自分が書くとワケワカメになっちゃったり、これみたいに野暮ったくなっちゃうんだけどさ。
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三解のフェイスレスの、「三解」
分解
溶解
理解
ってものすごく、使える技な気がするな。
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分解
一つの創作物、人生の体験を、一つ一つのパーツに分ける。
そこから分析を行う。
ここで止まると、こいつマニアックなオタクだなーとか。言われがち?
これは要するに自分というものの、レビューとか感想の傾向。
だけど、多くの人はここで勉強を終えるんじゃないの。義務教育とかそうじゃん? 違う?
溶解
それらの各パーツを溶かす。
そして溶けたそれらがまた、どろどろ一つの形に纏まっていく。
これは溶かすのには熱が要る。
ここがすげーとか、ここがムカつくとか、情熱とか。単純に勉強欲とか。
熱を与え続ける時間とか。
応用
Aという創作物、Bという創作物、Cという個人的体験、Dという誰かの体験を、
各パーツに分解し、分析し、
そこから使うパーツを選び抜いて、
それをまた溶かしていく。
するとまた何か他の形のものになる。
たいてい、オリジナル信仰だと無から作り出す才能とか言われるけど、そういうの自分はないので、
こっち方向でやっている気がする。
熱が足りないと、分解したパーツが溶けきれないで、ちょっと武骨になるかも。
理解
そのどろどろになった一つの形に「理」(ことわり)を入れて、なんらかの認識物へと再構築する。
理は、理論でもあるし、物理であろうし、自然法則でもあろうし、なんだろうね。
その「理」は誰か賢人の教えを学んで、そのエッセンス汲んだ使い方をしたり、
数個の「理」を上手いこと組み合わせたりする。
一番いいのは、その素材にあった「理」を自分なりに「解答」を見つけて、それを使うことだけど。
そこまでの胆力は、自分には無いけど、それを真似したい気がする。
創作物Aに「理」Aがついていて、それを分解し創作物パーツAを置く。
創作物Bについている「理」Bを学んで、スキル「理」Bを学ぶ。
創作物パーツAを中心に、いくつかの素材を溶解して、「理」B+自分なりの理を混ぜたもので、再構築すれば、
それなりのものが出来る気がする。
電波でごめんね。なんとなく、はったりを言いたくなったのよ。
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AAで言えば。
先人の書いたAAがある。それを。
ストーリー。
せりふ。
キャラ。
背景。
世界観。
と分解する。
それで、ストーリーなら、なんだ、大使閣下の料理人のあのエピソード、虐殺系で流行ったあのエピソードの派生、自分の夏休み日記。
キャラAAは、EVIEEYEを中心とした、バトル系AAから、動作AAを分解して、取り出して、用意する。
猫AAは、夏への扉から取り出す。
背景AAは、山奥のしぃ先生から。
小物AAは、AAMZから。
それらを組み合わせて、溶かして、一つの絵にする。
それだけで、一つの作品にはなる。
理解については、AAで、原作への理解だったり、そこからのアレンジとかパロディーとかね。
さまざまに寄り集まって、ごちゃ混ぜになりそうなところに、一つの「理」を置いて、読み手にも「理解」を共有させようとするとかね。
いろいろと浮かぶけど、自分なりにそれこそ「理解」できてない領分なので、
中途半端に終わる。
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理解の「理」は、
料理が近いかもしれない。調理か。
素材を集めて、熱を加えて一つにするとして、
その素材のバランスとか、火加減の調整とか、フライパンさばきとかを支えるもの。
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妄想の続き。
分解と理解は、実は他の人もやってくれるし、それを吸収するという形で蓄積できる。
だから初心者の時はそこが他の人と比べてまだまだだーって凹むけれど、それでも追いつこうと向かうことが出来る。
分解は、その分解した素材をAAMZをはじめ、色んな人が置いてくれるし。
ゲームに触れてなくても、ゲーム音楽という形なら、youtubeに誰かが分解しておいてくれたりするように。
理解についても、料理のようなものの、レシピはいろんなことから習うことが出来る、それらは実践をしないと身に付きにくいものが合ったりするけど、
不器用なりにレパートリーを増やす勉強もできるし。
自分はここのレシピ習得がひじょーに下手で、絵心は一向に良くならないし、文章ももう限界が見えている。
だからそれをカバーしようと、
自分なりにレシピ集をまとめていたりして、教えるというわけでもなく、確認という意味で、ここでテクニックとしてレシピみたいなのを置いているんだろう。
でも、やっぱりレシピというには余りに癖があって、役立たないものだよな。
話を戻して。
でも、溶解は、それにかかる熱は、ここが肝なんだろう。
初心者の頃に燃え立っていた熱は、なかなか、どうするか。
一番熱を貰えるのはやっぱり感想なんだろうけど、感想だけで言ったら、AAよりも文章の実の方がもらえるのかなー。うーん。
じゃあ、感想とか誰かのリアクション以外で、熱を持ち続けるには、どうすればいいんだ?
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そうなると熱に関しては、情熱という形で、「大使閣下の料理人」があったね。
ttp://a0014028.html.xdomain.jp/taisikakkalast.html
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 何かに熱中するためには
| 自分をどんどん焚きつける必要があります
\__ ______________
∨
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| どんどん薪をくべなくちゃ
| 僕の情熱なんてすぐに消えちゃいますよ
\__ ______________
∨
∧∧
(,,゚Д)
ヽノ , `l
29
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| とにかく僕は料理を作るという決断をしたんです
| あとは料理が好きであり続けるよう努力しなくちゃいけない
\__ ______________
∨
∧∧
(,,゚Д゚)
ヽノ , `l
情熱というのは消えていくから、薪を炊かなきゃいけない。
でも、その薪について書いてないじゃんって思ってたんだけど。
やっぱり書いてたわ。
ベトナムの「パインぺオ」が並行されて、語られたけれど。
その時、その場所でしか取れない素材、小麦粉をGETするような。
そういう分解の果てでの、とってもユニークで使えそうな素材との出会い。
そして、その料理のレシピ、それはその土地だけにいる異国人のおばちゃんの秘伝のレシピ。
それをなんとかGETしようとする、その料理法のレシピとそれを譲り受けたい人との出会い。
それは「ベトナムというものへの」理解への挑戦。
その分解と、理解が、溶解する情熱の元になっている。
更にはそれを食べてくれて「うめーっす」って言ってくれる古さんとの出会い。
その料理をどうしても味わってほしい人との出会い。
だから分解、溶解、理解で、溶解だけで止まってしまってエターナルということは過去の自分にあって、
その熱こそがAA職人のなんというか消えていくようものかなとか思うけど、
それは溶解だけでうんうん唸るんじゃなくて、何か素材を探しに分解の旅に出たり、レシピを見つけて、
「この素材で料理を作りてー」「このレシピを実践して料理してー、マスターして―」とかね。
そういうのは何も凝ったものじゃなくて良いし、ほんとうに素朴な小麦粉でもその土地にあるものならなんか素晴らしいものだったりするかもしれないし、
究極のフレンチレシピじゃなくても、家庭料理でも、時短料理やレンジでチンでも良いのかな。
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大使閣下の料理人のここだけ抜き出しても伝わらないところがあって。
それはここまでのところで、この漫画は料理の魅力の様々な面を写していて。
会話を弾ませるツールとしての料理、コミュニケーションの元の料理、想い出の素材、受け継がれていくレシピ、
限られた調理環境での創意工夫、栄養としての料理、とか。
そういう様々な料理の魅力を伝えていて、それにふれているからこそ、料理が好きであり続ける大沢の言葉なんだろうし。
この大沢だって、料理からは逃げなかったけど、行き詰った時に、日本からベトナムに行って、またベトナムから日本にって感じで、
それ自体が熱を持ち続ける旅なんだろう。
どんなにベトナムの小麦粉に情熱を感じても、やっぱりね、倉木さんとかさ、日本の家族への気持ちとか、そっちの熱を与える薪を選ぶ。
自分もAAでいきづまりゃ、別の道で行けばいいんだよね。っつーても、文章とかそういうのも既にあるよな。逃げ道はある。動画も最近やったりするし。
やる夫、行っても良いよね。
そう言う感じで、山奥さんもhoneyさんも、熱が消えたんじゃなくて、どっかで燃やしてるだろうって。それは祈りだけど。
ああ、でも、なかなか、そう上手くはいかないか。
この言葉を受けた古さんが情熱を持ち続けたいと思ったもの、好きと思ったものはやっぱり。ってことは、そこは大使閣下の料理人のステマってことで。
自分は一方的な思い込みかもしれないけれど、その情熱をぶつけて、ほんと焼き殺したいような殺意のようなものもあるんだろう、
そういう人がいる筈で、それは神かもしれないけれど。
-
っつーこーって、自分のここ最近の熱を、今、形にしてるところ。
以前よりも低温かなって自覚はあるけど、ボリュームのあるAAにはなってきた。
えっ?
宣伝ですか? ステマですか?
ってことで。
12月25日
クリスマス会
3部構成でっす
第一部 (16:00〜)
モナカラ動画「クリスマスが終わる前に」
AA「しなそば こうや」
AA「夢うつつ」
AA「あなたと東武動物公園で」
第二部(19::00〜)
モナカラ動画「遥かなるクリスマス」
AA「はるか」
第三部(22:00〜深夜)
お楽しみプラスアルファ
AA「小さなランタンたち」(全3話+プロローグ、エピローグ)
*
ちょっと、今、急遽、投下にかかる時間も考えないで並べてみたんで、予定が変わるかもしれないけど。
暫定スケジュールでっす。
今年、スタッカートで最終話を投下するだけでも、けっこうキツカッタんだけど。そのボリュームはかなり超えてる。
けっこうヤバいカモね。
深夜ってのも、なんか25日中に終わるかって言うとビミョー。
ぶっちゃけると最後のAAはまだ終わりあたりを作ってないんで、そこ自体も怪しいし。あくまで目安で柔軟に。
その25日というのも延期するかもしれないし。(えーw)
あの、そういう予定を立てて、晒すのも、熱になったりするし、それ自体が楽しいので。
フツーの人は恥ずかしくて晒さないんだろうけど、わたしゃ人間として終わってるので。
-
すいません。
クリスマス会の予定変更します。
コマ数を確認したら、総数500コマオーバーは確実になってしまい、
それに動画でも30分以上時間をとりそうなので。
そうなると一日で詰め込むと殺人的なスケジュールになってしまい、
当初もくろんでいたわびしい中でのまたーりとは遠くなりすぎてしまいそうで。
しょーじき、投下するスタミナを考えると、自分はしんどくてやになってしまったのが一番の事情。
なので、二日に分けます。
24日 18:00〜
第一部 第二部
25日 18:00〜
第三部
にしようと思います。
それでもしんどいかなって気がするけど、AAを殺してしまう投下速度とは思うのですけど。
うん、二日開催にします。
なんだろうね、自分の中で憧れというか2chにどっぷりはまるきっかけになったのが、Flash紅白ってFlash板の動画イベントで、その第一回みたいな感じを出したいんですよねー。
いや、観客がぜんぜんいないのはわかるんだけど。なんかさ、劣化フォロワーイベントとして。
実は去年12/23日にクリスマスを意識したかしないか、1作、投下したんだけど、そういうのがなんというか理想の形の、何時も見ていてくれると(脳内で妄想している方への)プレゼントだと思うんだよ。
今回は自己満足ありきで、とにかくボリュームがあり過ぎてしまい、このイベントはリアルタイムで追うとかは考えないで、なんか後でさ、お弁当みたいにつまんでくだされば嬉しいです。
自分が読者だったら、たぶん、第二部あたりで、振り切られると思う。
その前にハードルが高すぎるか。クリスマス二日、フリーの人ってなかなかねー。それも含めてクレイジーなイベントをします。
現在のAA到達度は95%
明日、明後日をめどに終わらせる。余力があったら、1週間でもう一個おまけをつくる。
そんで、金曜日に詳しいスケジュールガイドを出して、正式な告知というか招待状を出します。
あと、その時にこのスタッカートスレも、1000が見えてきたんで、告知・雑談を中心としたスレッドを立てます。
とか言っちゃって。
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◇信頼を得る文章
相手を言い負かすという形で、勝ち負けのための文章を書くんじゃなくて、
相手の信頼を勝ち取るための文章や、その周りにいる人たちの信頼を少しでもおまけできる文章を書いていきたいです。
自分は詭弁のレトリックとして、話を自分の得意分野にスライドさせてそこで勝とうとする傾向があって、いやたぶんそれもあるが自分の考えに夢中になり過ぎて話から逸れすぎるのも含め、
そういうのはあからさま過ぎたりして、
けっこう「なに、関係ないこと言ってんの?」な反応になることが多いかな。
ちょっとここの意識を変えないと、いけないなって。
信用を得る文章を書く
ttps://copywriting-arts.net/150.html
信頼を得る文章を書く
ttps://copywriting-arts.net/161.html
これは自分があれこれ悩んでレトリックを変えるだけじゃなくて、相手をしっかり見て相手の今の気持ちやこれから求めるものを察せるように見方を変えてよーって類のものなので、
そこらへんはこのスレでファンを勝ち取れなかった自分にはほんとに苦手な文やなんだろう。
信頼をもらって、それが続いてまた次の文章を信頼して読んでくれるようなファンになってくれて、相手もこちらに信頼して欲しい目的で書いた文章をくれたりするようになって。
そういうのは夢だけど。
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☆ 告知
今年のクリスマス24、25日にクリスマス発表会を行います。
この日のためのいくつかの短編AA、動画、特別企画などを楽しんでいただければ。レバニラ―。
∧_∧
(*´∀`) よろしくおながいします!
クリスマス会スケジュール
12/24(火)
18:00〜 モナカラAA動画 「クリスマスが終わる前に」
18:30〜 AA 「志那そば屋 こうや」
おまけ動画 「マイベストラーメン こうやのワンタンメン」
19:30〜 AA 「夢うつつ」
おまけ動画 「本棚の上のネコ」
20:30〜 AA 「あなたと東武動物公園で」
おまけ動画 「東武動物公園 探訪記」
おまけ動画 「春日部駅の発車メロディ」
21:30〜 モナカラAA動画 「遥かなるクリスマス」
22:00〜 AA 「はるか」(北村薫「水に眠る」より)
12/25(水)
18:00〜 お楽しみ企画
おまけ動画 「ZAKUROらんぷ家 モザイクランプ製作体験」
19:00〜 短編AA集 「小さなランタンたち」
プロローグ
1 雪のランタン
2 猫のランタン
3 アカデミーのランタン
エピローグ+おまけ
(各話の間に30分くらい休憩を入れたいです、でもここらへんはテキトーに)
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あー、おまけ動画になるものは全部、動画として発表済みです。
なんで、今から見ても、そこまでネタバレにならないし、大丈夫かなって感じですけど。
でもねー、わざわざ、こんなヤマナシオチナシの素人動画を見る人って、いるんだろうかなー。
FC2動画
ttps://video.fc2.com/account/31087092/content
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AAの発表は、
たぶん、やる夫系のこの板になると思います。
やる夫系雑談・避難・投下板(緊急避難用)
ttps://jbbs.shitaraba.net/internet/3408/
ただ、はるかという短編は、小説の文章のコピペし杉で、ここまでまるまるの著作権とかそっちではどうなるのかわからないし、ギコ連の方が趣があると感じる雰囲気なので、
それはここの「ヒッキーの野菜棚」での発表となると思います。
著作権とか、自分わかんないんだよなー。そこはリサーチ不足。
やる夫系の方が人が多いというのもあるけれど、投稿間隔の時間制限がこっちの方が短く、大量に投下するときの時間コストが、やる夫じゃないとムリポっぽいなと判断したのもあって。
そうしようと思います。
うーん、いや、やっぱり、自分のモナギコをやる夫にぶつけて玉砕してみたい気もあるんだろうな。
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まだ確定はしてないんですけど、このクリスマスを機に、やる夫の短編板に自分用の作品発表スレッドを立てようかと思ってます。
地下スレ的に、乗っ取るのもアリかなって気もするけど。
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と、その前に、雑談なのかわからないけれど、何でも書き込んじゃうような、このスレッドが1000超えちゃいそうなんで。
次スレです。
【へたれ】ジャジャジャジャーンク【雑談】
ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/3246/1576832126/
基本的にこのスレッドとやることは変わんないと思うです。
そんで、クリスマス会の作品リンクとか、発表場所もそこにしようと思います。
わざわざ専用スレとか建てると大げさになっちゃうし、生まれたてでピカピカの新スレだから、イケルかなって思って。
いじょー、告知でしたー。
ではではー。
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これがこのスレ最後の感想文になるかいな
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ウィッシュルーム 天使の記憶
◇アメリカ場末のモーテル感
大きな何にもない荒野な高速道路にぽつんとあるホテル。
そこに集まった数人のお客のそれぞれのドラマと、もう一つ主人公の探している謎の物語。
舞台はなんだか寂れたところだから、観光名所のような目の見はるものも、大きな出来事も起きない。
ミステリタッチで元刑事の物語なのに、暴力的なシーンはほとんどなく、殺人なんてちょっとした例外を除いて起こらない。
ゲームプレイ中は、ホテルのお客さんと話したり、時に尋問チックに踏み込むときもあれば、
でも奥の奥に踏み込みきれない感じもある。
そういうジレッタイ空気、なんかそのパッとしない空気というのは、エンタメとしては異端だけど、
でも、体験してみると、そういう雰囲気って自分はなんとなく好きです。
とても好きというわけじゃないけど、他の好きとも違う、独特の匂いがなんか良いなって。
グラフィックも写真とCGを合わせたのかな、ホテルの存在感があるし、
キャラの線を中心とした絵もまた、今どきのアニメ路線とも違った、でも、なんだか洒落ていて、凄く好み。
妙に現実感があるグラフィックで、特にメリッサなんて生意気な感じで可愛いし、
電話番さんの私情を控えてビジネスに徹する感じもまた可愛い。
キャラというのは絵の上手さと会話とか、なんかわからんが、ムードみたいなのが出ていて、佇んでいる感じ。生きている感じがする。
そういう意味で、異国アメリカのちょっと過去の出来事のはずなのに、なんだか親しみを感じる近さな作品です。
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◇かなり贔屓が入ってると思うけど。
繰り返すように、自分の好きなこの味はエンタメとしてありなのか判断しきれず。
人によってはもっと派手に動いてほしい、ドラマチックに物語が脈づいてほしい、この伏線をこうしてわかりやすく。
そういう文句を言いたい人には駄作になるのもわかるけれど。
自分には、この作品は名作かは分からないけれど、とても心に残る作品。
なんかホテルに行った―って言う感じと、良い意味で退屈な旅を楽しんだ感じと、
そんなに深い仲になってないけれど、だからこそか、ホテルを去り別れていく際のキャラとのなんとも言えない寂しさ。
もう、会えないんだろうな、この人とかさ。そういう感じの。
初期DSの作の為、無理やりタッチスクリーンを使い切ろうとしている感じがするし、
それが操作性をこなしきれず、悪くしていて。
ちょっと思ったように動かないところがある。
音楽もどことなくお洒落に徹せれないで、チープな感じは残る。派手ムービーでの、見せ場がないので視覚的には平坦。
でも、そういうのもサービスが良くなくても、なんとか一宿の安らぎを提供しようとしている、
見た目が古びたホテルダスクの雰囲気、ムードへの演出としたならば、
凄くイイ味にはなっているよな。
でも、時折ある謎解き要素やゲームオーバー要素はこなれてなくて、ゲームが止まったりいらいらするかもしれない。
ムズカシイというよりも、不親切な感じで詰まっちゃうのかな。
その時は無理せず、wikiでも攻略サイトをチラ見しながらでも良いんじゃないのー?
あと、脂身の少なそうなアメリカンステーキ、美味しそうだった。
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振り返ると。
紹介したものはマイナーなものが多いなー.
自分が好みだったり、良くも悪くも印象に残るものを紹介しているのだけど。
そこらへんが偏ってるんだろうな。
あと、なんとなく消えてしまいそうなものは、掘り出し物か分からんけれど、見て見て―っていうようなそういう贔屓アピールは入ってるのは確か。
だからこれはオススメ集としてはあんまり良くないと思うんだー。
でも、んー、これは自分の思い出記録帳のような日記として書いてる感じだから、それでいっかー。
そんじゃー、また、次スレで会いましょー。
ばばばーい。
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はるか
◇北村薫的な本屋レクイエム
水に眠る、が発刊されたのが1997年。
今では英造が営むような個人による書店ってもうどんどん減っていってて、
(昔は古本屋とか、おばあちゃんが営むような本当に小さな店とかあったんだよね。昔の中古ゲームショップみたいに)
それどころか彼らを駆逐したチェーンの書店さえも、電子書籍やネット通販によって、危ういのが今なのだろう。
恐らくこの先、彼ら英造たちの本屋は潰れてしまい、
英造がリアルに居たら、かなり悲しい晩年を過ごしたのが、今からだと見えてしまう。
古本を愛し、神保町を愛し、アンソロジーを編んでいる、北村薫の本ラブがいかんなく発揮されたエピソードだが、
やはり消えてしまうことへのちょっとした、もの悲しいニュアンスがある。
コンピュータによってデータ管理する、そんなコミカルな笑いのタネは、
実はその先のネット通販やamazonを予見した上での笑いだよね。
そしてクリスマスで流れる、「星に願いを」「きよしこの夜」の切なさよ。
何だか、その音で、店の中は余計静かになるようだった。
だが、太刀打ち出来なくとも、わたしはわたしでやっているという、そのわびしさは、決して悪いものではなかった。
正に消えてしまう本屋のさびしさ、静かさ、わびしさ。
祈りの声すらも、わびしく聞こえていく、そのレクイエムのような。
でも北村薫は、それを「わたしはわたしでやっている」「悪いものではない」と肯定してくれる。
その終わりが見えていながらも、そこへ向こうものへの暖かい目線。
それは、はるか、が、人によってはイラっと来るだろうトラブルや凡ミスに店長は「おいおい」と肩をすくめながら、
その成長を歩みを温かく見守り、また逆に何か、若さなのか、ときめきなのか、何かをもらっているよと言える。
その主人公の店長の目線。その文体全体の北村薫の目線。
それは取りも直さず、本屋への深い愛情と、創出したはるかというキャラへの深い愛情(セルフ萌え)にあると思う。
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もちろん、本作は本屋に限定するという見方は正しくないだろう。
それは滅びゆく愛おしき何かへの想いの告白、エールともいえるレクイエムとして、大きな普遍性を持っている。
実際に自分がアスキーアートでパクるとなると、
どうしても終わりが見えてしまうモナギコAAへのなにかしらの想いが、どうしても書いている内に溢れてきた。
それがAAに色を添えていれば、ここでパクる意味があったと思うが、そこは自分では分からない。
んー、脱線してしまいすいません。
そういう意味であらゆる終わるものへの愛着の一つの姿勢として、
まさに「きよしこの夜」のような祈りの作と位置付けるのが適切だと思うけれど、
ほんとうに、しゃれにならなく終わりそうな、町の本屋へのレクイエムとして本作を紹介したかった。
でも多くの読者はクリスマスに、そんなしんみりとしたムードを味わいつつ。
最後の最後に「あら?」と笑いというよりも「あっけらかんと、半ば呆然とした余韻」を最後の一節で味わうと思う。
御子と巫女を「ミコ」でかけている。オヤジギャグw
ただ、それは最後にドタバタ本屋ストーリーとして明るく終えたいという以上に、
はるかの視点を「本屋」に狭めないで、彼女には無限の未来がある、
それこそ巫女さんみたいなとんでもないバイトや人生を経験するだろうし、
はちゃめちゃな日本の未来の先を霊感ヨロシク、先取りしていき、乗り切っていくのかもしれない。
空の星のように何か変わらない輝きを放ち続ける人になるのかもしれない。
英造の本屋は滅びる、というのは自分にはやはり分かってしまうが(思い込みだとしても)、
はるかの未来は、読めないし、どうなるかという広がりのような、それに呆然と振り回される店長モードも含めて、
その余韻には、やはり祈りがあると思う。しんみりとしたものじゃないけれど。
はるかは、厳しい冬の中のクリスマスの夜に、春の香を告げる春香というよりも、遥か未来を歩もうとしている。
だから原題のはるかの漢字名は明かされていないが、「遥」であってほしいなと思いつつ、妄想を閉じたい。
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ってーこって、
1000GETズサー!
と、このスレも役目を終えたのです。
ありがとね。
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