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スタッカート!
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「荒木飛呂彦の漫画術」でも、ギャップについて語られているけど。
たとえばジョナサンジョースターに対してディオは明らかにギャップとして意識されている。
でも、それは決して「かませ犬」じゃない。
むしろ好きな人にとっては、ジョジョ以上にハマってしまうカリスマ性のあるキャラとして「ディオ」という悪を描いている。
それでありながら、やっぱりそれは許されない悪で、その否定へと物語は行くけれど。
ディオと言うキャラは、「悪」として成長するように書いている。
最初はちょっとした嫌な奴のように見えた彼が、物語が進むと、スピードワゴンに「ゲロ以下の匂いがプンプンするぜー」ってやられちゃうけれど。
それは字面だけを追えばsageだけど、ディオの魅力ある特徴が開花したと思えばageだよね。
それはキャラを作る時のギャップのつけ方とか、一番作りやすいギャップとして。
良いところのあるキャラにも、弱みを作るというのがあるけれど。
そこを下手な人は、だれがどう見てもダメな部分として描写してしまうけど、たとえばこのキャラに明確な欠点を創ろうとか。
でも、以前書いたジョウノスケなんて「金にがめつい」なんてヒーローとしてはかなり悪癖に近いものだけど、それが彼への親しみやすさを作る特徴になっているし、
それを克服すべき改善すべき欠点として進行して書かないで、「これはこれでイイんだよ。かれには良いところがあるんだから」っていう視点を最後まで貫いた作者の優しさみたいなもの。
「ここが悪い、だから変えなさい」ってのは、あのHOW TO漫画の話を進める動力源だけど。
怒らない優しい人と歌いながらね。
他に2部のジョースターはアメリカン人っぽい軽いところはあって、スピードワゴンとかシーザーとかはそれをダメなところって最初は言うけれど、その裏にある人間味ある感じ、
そこと表裏一体にある魅力とかに気づいて、それにひきつけられて徐々に好感を持っていくし。
「逃げるんだよー」っていうのは、ヒーローにとってはマイナスに見えて、それを言えるのが彼の良さなんだよね。
ってのに、読者も気付いていく。
この漫画術って本で、物語は常に上に向かないといけない、下げちゃいけない、「アゲアゲ」でって荒木先生は言うけれど。
ジョジョの、花京院の死とか、シゲチーの死とか、どう見てもサゲじゃないの、ってちょっと思ったりしたんだけど。
それは無意味な死じゃなくて。
悪役としてのDIOの魅力とかキラークイーンの魅力とか、強さとか、そういうものから受ける読者のインプレッションは確かにAGEAGEだし、
花京院だってシゲチーだって死んだからこそ、後まで語りたくなるくらいの魅力を持つような、キャラとしてAGEられ、引き立った。
なんだろう。そのキャラの長所だったりその人をAGEる時に、相手や弱点を終始SAGE描写で書いてギャップをつけるのは違うんだろうね。
主人公とは別のところにある魅力を作って、その対比としてギャップを作るような、そのぶつかり合いでギャップを作っていくようなそういうスタンス。
たとえ誰が見ても、ずるくて駄目な雑魚っぽい敵キャラでも、そのずるくて駄目でどーしようもないところに人によっては人間味のような親しみや愛着を持てるような感じに。
そういう風に荒木さんは描いてるよね。
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