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スタッカート!

637名無しのAA書きさん:2019/02/18(月) 02:37:45
□ペルソナ5における大衆 と ゼノブレイド2黄金の国イーラ における民衆(ネタバレ)


ペルソナ5はやりました。
ゲーム部分は楽しかったです。グラフィック、難易度、ステルス要素のあるマップ、コマンドバトルの進化系としての答え。
どれも高水準です。

でも、おススメしません。

それは「大衆」の描き方が、イカンと思うからです。

ペルソナ5は必死に大衆を描こうとします。
通勤するモブの噂話の描写が所どころに挟まり、主人公たちパーティへの大衆の支持率(世論調査的な)は常に意識されます。
サブイベントも民草を使うし、そして大衆と言うテーマは物語の根幹にも使われます。

ただ、どうも、その大衆の使い方に違和感があります。

・主人公らバトルメンバー
・彼らを支持するサブイベントメンバー
・大衆
・サブイベントに出てくる愚かな人

と分けすぎちゃってるんです。

物語の大筋としては、とにかく主人公たちが大衆を目覚めさせるような、ちょっと変えよう的な、そういうプチレボリューションを目指すところから。
その大衆に支持され、反発を受け、そして救おうとするまで描かれる。

そこにあるのは少数のエリートと仲間、友達たち。
熱しやすく冷めやすく移ろいやすい大衆たち。

その二つに完全に別れちゃってます。
要するに大衆を描いてどうするかというと、変身ヒーロー的な、「僕たちは特別だ」「世間に認められよう(認めてくれない)」「仲間って最高」って話を書いてきやがります。

この視点は物凄く偏見を感じて、
「主人公たち一人一人も大衆の一部」
「大衆ってのは仲間たちや身近な人たちも含めて、そこから知人やちょっとした顔見知り、その広がりのずっとずっと延長されたものがそうだよ」
って視点が欠けてます。

これをやると、「世間って大衆心理って怖いよねー、そのくせ無力で愚かでだらしないよね」って言うものをベースにした「僕って特別なんだ、ぼくたちは凄いんだ、仲間を大切にしよう」という
物凄く閉じた感覚を植え付けられそうになります。

だからお勧めしません。
無批判に摂取すると、ゲーム部分が凄いだけに、ある種のリアリティがあるだけに、厨二病が進行しそうです。
暴力ゲームよりも、性質が悪いかも。お洒落でポップで無害な形を装うので。




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