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スタッカート!
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◇散りばめられた唸る表現。
1
ちょっと口にしたことを、さきちゃんが覚えていてくれていたのです。
お母さんは、温かいお風呂に入ったような気持ちになりました。
本当のお風呂に入った時も、連れて行きました。
さきちゃんと一緒に泳がせてみると、やっぱりうまく行きません。
でも、そんなことはたいしたことではありません。
これ、上手いよね。最後の一文で、心から喜んでいることを、婉曲的にでも心にダイレクトに伝わる表現で書いている。
比喩にしたって。
温かいお風呂に入る → 皮膚感覚の温かいから心を連想 → 心があったまる
は良く使われる表現だけど。
心が温まってお風呂に入ったよう → 心の温かさからお風呂を連想 → 実際にお風呂に入る
という逆ルートは新鮮だし、少しメルヘンに陥る危険のある比喩な言葉遊びから、実際の行動に描写を移す。というところにたまらない生活感というかなー、二人の生活のリアリティと言うかなー。
そんなのを感じる。
もちろんエピソード全体で、この暖かさは、オチの状況での外の風吹く冷たさとのギャップ、対比としても効果的に配置されている。
だけじゃなく、親子で心が通い合う暖かな場面と、オチの親子でも叶わない娘の純な想いと母の見る現実というギャップ、にも使われてるのかな、とも思う。ああ!
2
見ると、ちょっと先の垣根の前を、白い猫が、のんびり歩いています。
のんきそうな足取りです。
思ったより大きな猫でした。
「……にゃあ、にゃあ!」
と言ったのは、猫ではなくさきちゃんです。
ここの見せ方も、ひたすらに上手い。
文脈から「にゃあ」は猫の鳴き声に思わせといて、それをすらっと逆転させて文章全体に驚きと遊びを加える。
それをテクとして強調しすぎず、さらっと効果だけを読者に伝える謙虚さ。
ここからのさきちゃんとのやり取りが、本当に和やかで嬉しそうで、だから別れの切なさが倍加する。
「猫が飼いたい」というタイトルが切に迫ってくる描写。
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