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仏教における仏、成仏とは

1わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/08/01(月) 10:28:57
仏教系宗教のほとんどが信仰することによって得られるとする成仏、この仏とはなんなのでしょう。
そして元来無我を説く仏教が、現代の仏教系宗教のほとんどにおいて、ウパニシャッド思想のアートマン説(有我)を肯定しているように感じる。

ブッダ(仏陀)と呼ばれた釈迦、この仏陀の言葉の意味するところは目覚めた人と訳される。

釈迦在世当時のインドでは、バラモン(ウパニシャッドの思想)が司るの国であった。
ウパニシャッドはアートマンはあるとし、生命の本体はアートマンであり、生命(アートマン)は不老、不滅、不死、安泰であると説く。

第一章 ブッダの背景
仏教の無我説は何もない真空状態の中に突然生まれてきたのではなく、それなりの理由があって生まれてきたはずです。否定の主張にはそれが否定した、ある特定の主張の存在が前提となっているはずだからです。だれも肯定していないところにわざわざ否定の主張をするわけがありません。つまり、アートマン否定の背景にはアートマン肯定説があったはずです。それがまさにバラモン教であり、ウパニシャッドの思想(バラモン教の哲学的展開)です。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_1.html
佐倉哲さんのエッセイ集より

第二章 ブッダの沈黙
しかし、仏教は、たとえば、「アートマンは有る」というウパニシャッドの主張に対して、同じ次元で「アートマンは無い」と単純に言い返したのではありませんでした。仏教の批判は、ウパニシャッド(やその他の宗教各派)の主張が依って立つ土台そのものに向けられた、もっと根本的なものだったからです。つまり、ブッダは、「アートマンは有る(無い)」という主張は間違っていると批判したのではなく、そのような問答は無意味であると批判したのです。ここに仏教のアートマン批判のもっとも顕著な特徴があります。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_2.html
佐倉哲さんのエッセイ集より

第三章 ブッダの主張
人間の知識や経験の届かない、形而上学的問題に関しては、ブッダは「わたしが説かないことは説かないと了解せよ」と沈黙をもって応えましたが、人間の知識や経験の届く範囲に関して、とくに人間存在については、ブッダは「わたしが説くことは説くと了解せよ」と言って、いくつかの重要な主張を残しました。アートマンについても、死後においても生残るなどという形而上学的空想問題としては沈黙を保ちましたが、経験や知覚の世界の問題としてはアートマンに関して明確に無我の主張をしました。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_3.html
佐倉哲さんのエッセイ集より

このようにウパニシャッドのアートマン説(有我)に対し、ブッダは人間が知覚できる範囲として徹底的に否定し、無我(非我=アンアートマン)を説いた。

であるならば、仏教における仏、成仏とは、人間が特別な存在になるのではなく、形而上学的な事柄についての迷妄から、覚めた人のことではあるまいか。

53わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/22(土) 14:24:11
Leoさん、牢獄は広いほうがいいよ。^^

本来の仏教も宇宙的広さがあると思うけど、その”教え”にこだわると途端に窮屈な狭い牢獄になってしまうような気がする。

54Leo:2005/10/22(土) 17:20:30
わめさん

>Leoさん、牢獄は広いほうがいいよ。^^

( ̄  ̄) (_ _)うんうん。

宇宙(そら)は 広いな大きいな
星は輝き 銀河渦巻く
宇宙(そら)は果てない 広大無辺 膨張してどこまで 続くやら
宇宙(そら)に 宇宙船(おふね)を飛ばして
行ってみたいな よその星

(今日はなんか童謡モード?)

>本来の仏教も宇宙的広さがあると思うけど、その”教え”にこだわると途端に窮屈な狭い牢獄になってしまうような気がする。

牢獄のたとえで、わめさんが心配していることがなんかわかった気がしましたです。

55わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/23(日) 02:08:41
Leoさん、何だか楽しそうでわめも(..)(^^)(^。^)(*^o^)(^O^)ウレシーーー!!

> 牢獄のたとえで、わめさんが心配していることがなんかわかった気がしましたです。

これ、分かるも何もモロだと思いますよ。

まずはかなり狭い目の牢獄にいると信じさせて、修行によって1ラック上への牢獄へといった気にさせる。

まぁそんな繰り返しじゃないですか。

でも元々そんな狭い牢獄にいなかっただけのことなのに・・・

人間って何かに拘っちゃうと誰しもそうなっちゃうのかな。ちょっとさびしいっす。

56わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/23(日) 02:52:22
> でも元々そんな狭い牢獄にいなかっただけのことなのに・・・

あ、誤解しないでね、本覚思想じゃないからw汗

57Leo:2005/10/23(日) 03:10:45
わめさん、こんばんは。

> でも元々そんな狭い牢獄にいなかっただけのことなのに・・・

狭い牢獄にいたというのも先入観のひとつでしょうか(^^;

>あ、誤解しないでね、本覚思想じゃないからw汗

大丈夫す(^^;

最近思うこと。

フルナさんの紹介されている初期仏教(上座仏教)の「ヴィパッサナー瞑想」は中国天台の「止観」
と類似性があるように思います。(ルーツが同じなので当然かもしれません)

摩訶止観考
http://www1.ttv.ne.jp/~riko/makasikan.html

ヴィパッサナー瞑想
http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html

智慧にも執着するなという点は示唆的です。
(智慧にも執着しないといってもある宗教団体の一部の方のように最初から智慧を放棄してしまうのは間違いですね...)

〜もうひとつの生き方 I 〜 (1)智慧もサマディも悟りではありません
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi63.html

「智慧があっても、「私には、智慧があるのだ」という状態でいると、そこには、とらわれがある、
 執着があるのです。悟りというのは、無執着の状態であって、私もいないし、私のものもない状態なんですね。」

うーむ。「精神のエネルギー」というものは本当にあるものだろうか。
人間の心のはたらきが言葉や文字(情報)として他の人の記憶に残ったり影響を及ぼすということなら
わかる気がするのですが。

〜因縁の話 6〜 因果を理解すると囚人も自由になれる
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi71.html

「でも消滅変化していく精神のエネルギーは、物質の消滅変化とはずいぶん違う法則で動いているのです。
 あるエネルギーがある場所でなくなったとしても、消えてしまうことはあり得ない、
 どこか別のところに現れるもの、という考え方を、仏教では普通の常識として持っているのです。」

58Leo:2005/10/23(日) 03:15:26
補足

>(智慧にも執着しないといってもある宗教団体の一部の方のように最初から智慧を放棄してしまうのは間違いですね...)

ええとこれはいきなり「仏法は勝負」(ギャンブル?)状態のことです。

59わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/23(日) 03:40:18
Leoさん、難しく考えすぎかもw

牢獄に入っているものは、単に実体のない自分と言う意識だけじゃないかな?

実体のない自分と言う意識も、生体(主に脳)が元になっているだけ。

事実としてはそれだけしかないような・・・

60わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/23(日) 03:43:10
わめは単純にこれだけしかとしか理解してないw(単細胞だな。汗)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1118979037/1

61わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/23(日) 03:49:01
わめの独り言で書いたこっちも同じかな。 これだけなような気がしますが・・・

人である以上、誰もがそうであるように、私もまた自分自身を意識できる。
私はこの意識を自らの生命と感じる。
この肉体が滅んだ時、肉体と共にこの意識は消え去るのであろう。
つまりは生命の死である。

我が意識が肉体と共(少し遅れてだが)に生まれ、この世を知る。
生まれる前も、また死後も、この世の存在は知覚出来ないから推測でしかないが、この世は、私が生まれる前から存在し、私の死後も存在するであろう。

生物としての生体活動を終え、我が肉体は焼かれ煙となり、灰となり土に返り、この世に何かしらの形で残っていく。
我が意識、我が遺物もまた、他者の意識に何かしらの影響を与え、この世に何かしらの形で残っていく。

私の心情は、理性に従う。理性は、真実なるものを指し示す。
心情は、個性の現れであり、個々の心情は広がり続けていくものであろう。
云わば水面に投げ入れた石ころと、そこから広がる波紋のように、理性は波紋の源を探り、心情は波紋が広がるように。

この世とは、云わば人間ブッダの説いた「縁起の法」のようなものである。
仏教において、無我・空・無常と表わされることはあるが、これは皆縁起の思想を指し示す言葉と認識している。
縁起の法とは、すべてのものは依存関係(以下関係性と略す)にあると説く。
個としての存在のように見えるものすべて、この関係性の中でのみ存在していると言えよう。
この関係性の中で私は生まれ死んでいくのである。
否、生まれたのも死んでいくのも私の意識だけなのである。

62わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/23(日) 03:54:04
意識以外は、有機物・無機物との変化はあっても生まれるとか死ぬとかはないような・・・

生まれるとか死ぬとかは、それこそ意識で感じるだけのものじゃないかと。

63わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/23(日) 03:55:35
酔った勢いで乱暴に書いてしまったw汗

寝ますwオ(*゜o゜*)ヤ(*^0^*)ス(*゜▽゜*)ミィ(゜-^*)ノ""マタネ♪

64わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/23(日) 04:07:21
あ、おまけの妄想

高度な人工知能のロボットを、赤ちゃんのように母親(もどき)や周囲の人間が扱うと、そこに意識が芽生えたりして・・・

意識が芽生える=実は生命の誕生、なんて考え方は飛躍しすぎかな?w笑

65Leo:2005/10/23(日) 10:35:25
私は最近「縁起・空・無我」という言葉・思想と「止観」や「ヴィパッサナー瞑想」が同じものを
示しているのではないかと気になっています。
(古畑任三郎モード)

>わめは単純にこれだけしかとしか理解してないw(単細胞だな。汗)
>http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1118979037/1

「またこの意識は、生存中の様々な経験を、脳かあるいは何らかの器官を通じ、
 物質(生化学的)的に記録しているものとおもわれる。これは遺伝的要素として
 子孫にも影響を与えていくものである。」

意識がDNAに作用するということは完全に否定はできないかもしれないですが、
(進化によってDNAが変化するわけですが、DNAに短期間で変化するROMのような可変部分は
あるものでしょうか)
世代を通して情報として伝播されるものの方が多いように思います。

物質を用いずに空間に情報を記録することができれば別ですが...

>高度な人工知能のロボットを、赤ちゃんのように母親(もどき)や周囲の人間が扱うと、そこに意識が芽生えたりして・・・
>意識が芽生える=実は生命の誕生、なんて考え方は飛躍しすぎかな?w笑

アイボなどの玩具ロボットに近いものがありますが、もっとセンサー(五感)が精密になって
プロセッサーの性能が上がりメモリもかなり増えないとだめかもしれません。
多分赤ん坊の方が現在のどんなロボットよりも高度に外界を認識していると思います。

66わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/23(日) 13:27:58
Leoさん、こんにちは。^^

> 私は最近「縁起・空・無我」という言葉・思想と「止観」や「ヴィパッサナー瞑想」が同じものを
> 示しているのではないかと気になっています。

「止観」と「ヴィパッサナー瞑想」、心に対するこだわりまでよく似てる気がします。^^
でも縁起の思想とは、個の方向に向かおうとするところでぴんとこないな・・・

> 意識がDNAに作用するということは完全に否定はできないかもしれないですが、
> (進化によってDNAが変化するわけですが、DNAに短期間で変化するROMのような可変部分は
> あるものでしょうか)
> 世代を通して情報として伝播されるものの方が多いように思います。

進化というよりこれもエントロピーの増大なんじゃないかと思います。
世代を通して情報として伝播=遺伝的要素として子孫にも影響と違うかな?

> アイボなどの玩具ロボットに近いものがありますが、もっとセンサー(五感)が精密になって
> プロセッサーの性能が上がりメモリもかなり増えないとだめかもしれません。

将来的に、意識を持てるほどの人工知能ロボットが作れるのかも疑問ですけど。(^^;;

> 多分赤ん坊の方が現在のどんなロボットよりも高度に外界を認識していると思います。

そういう意味じゃなくて、赤ちゃんの時からまったく他者、他者との会話に関わらせず育てた場合、自意識は目覚めない可能性があるのじゃないかと言いたかったのです。

つまり意識は関係性の中で生まれる(芽生える)のじゃないかと。

意識が芽生えなければロボットと同じ、ロボットに意識が芽生えれば人間と同じ、このようなおばかなことを考えてみたw笑

67Leo:2005/10/24(月) 01:20:51
わめさん、こんばんは。

>進化というよりこれもエントロピーの増大なんじゃないかと思います。
>世代を通して情報として伝播=遺伝的要素として子孫にも影響と違うかな?

エントロピーとは熱力学でのエントロピーを意味して、均一化される(あるいは乱雑になる)という意味でしょうか?
エントロピーとは情報理論でのエントロピーを意味して、情報量が増大するという意味でしょうか?

生物(個体)が生きている間は熱力学的にはエネルギーを消費することによってエントロピーを(逆に)小さく保つのですね。

>そういう意味じゃなくて、赤ちゃんの時からまったく他者、他者との会話に関わらせず育てた場合、自意識は目覚めない可能性があるのじゃないかと言いたかったのです。

会話はできないけどなんらかの自我や自意識は生じるのではないでしょうか。
それは動物に自意識があるかという問題になるかもしれない。
ただヒトはヒトに育てられないとヒトにはなれないようです。

アヴェロンの野生児
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%87%8E%E7%94%9F%E5%85%90

>つまり意識は関係性の中で生まれる(芽生える)のじゃないかと。

うーむ。意識はきわめて哲学的な対象ですね。関係性は関係すると思いますが...

>意識が芽生えなければロボットと同じ、ロボットに意識が芽生えれば人間と同じ、このようなおばかなことを考えてみたw笑

あるテストにパスすれば機械に意識があるという考え方もあるようです。

チューリング・テスト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88

68わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/24(月) 01:53:35
Leoさん来ないと一日が終わった気がしないわめです。^^

> エントロピーとは熱力学でのエントロピーを意味して、均一化される(あるいは乱雑になる)という意味でしょうか?
> エントロピーとは情報理論でのエントロピーを意味して、情報量が増大するという意味でしょうか?

乱雑になる・情報量が増大するの両方の意味かも。

> 生物(個体)が生きている間は熱力学的にはエネルギーを消費することによってエントロピーを(逆に)小さく保つのですね。

メモメモφ(o__o)

> 会話はできないけどなんらかの自我や自意識は生じるのではないでしょうか。
> それは動物に自意識があるかという問題になるかもしれない。

人でも動物でも関係性無しに自我や自意識って芽生えるのかな?
赤ちゃんがどのようにして自我が目覚めるのか、自我の目覚めの前に母親である他者を認め、母親から語り掛けられ、初めて自我が生まれると言うのを、結構以前にWeb上で読んだことがあるのですが、わめはなるほどって納得しちゃいました。

> >つまり意識は関係性の中で生まれる(芽生える)のじゃないかと。
>
> うーむ。意識はきわめて哲学的な対象ですね。関係性は関係すると思いますが...

生命って呼んでるものは、結局意識のことじゃないかと思ったりします。
意識=生命であって、その拠り所とする肉体(機械)は縁起そのものじゃないかと・・・

こう考えるわめなので、意識(生命)以外に死ぬものはないと思えます。

それ以外に何か生命らしきものは事実としてあるのかな・・・?

69Leo:2005/10/24(月) 23:35:28
わめさん、こんばんは。今日の仏法対話(←なんのこっちゃ?!)。

>こう考えるわめなので、意識(生命)以外に死ぬものはないと思えます。
>それ以外に何か生命らしきものは事実としてあるのかな・・・?

生物が無生物から区別される一般的な特徴は、
・自己増殖能力
・エネルギー変換能力
・恒常性(ホメオスタシス)維持能力
だそうです。死は恒常性の破綻、つまりエントロピーを小さく維持できなくなるということなのですね。

生物
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E7%89%A9

>仏教における仏、成仏とは

仏教にエントロピーを適用しようとすると(←?!)、エントロピーが自然には増大していることを恐れることなく、
必要以上に小さくすることに執着することもなく、均衡を保つということでしょうか。
(究極的には自然のエントロピーの増大に「リズム」を合わせるということでしょうか?)

そういえば(あまり関係ないけど思い出す)僕の友人のご宝前(お仏壇の前)エントロピー高かったなー
(ちらかっていた)。

70わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/24(月) 23:45:41
Leoさん、今夜もレスアリガト!(´▽`)

> 生物が無生物から区別される一般的な特徴は、
> ・自己増殖能力
> ・エネルギー変換能力
> ・恒常性(ホメオスタシス)維持能力
> だそうです。死は恒常性の破綻、つまりエントロピーを小さく維持できなくなるということなのですね。

これは >>62 で書いた、「有機物(生物)・無機物(無生物)との変化」とわめはみてます。^^

> >仏教における仏、成仏とは
>
> 仏教にエントロピーを適用しようとすると(←?!)、エントロピーが自然には増大していることを恐れることなく、
> 必要以上に小さくすることに執着することもなく、均衡を保つということでしょうか。
> (究極的には自然のエントロピーの増大に「リズム」を合わせるということでしょうか?)

自然(宇宙)のエントロピーの増大=広がりとして、体は合わせて大きくなりませんからせめて心情でも大きくしていこうかと。笑
でもとりあえず知り得る範囲の基点からの広がりじゃないと、どこに逝っちゃうやら怖いかも?w汗

> そういえば(あまり関係ないけど思い出す)僕の友人のご宝前(お仏壇の前)エントロピー高かったなー
> (ちらかっていた)。

ミ(ノ_ _)ノ=3 ドテッ!!

71わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/24(月) 23:51:41
Leoさんもわめも・・・

> ・自己増殖能力
> ・エネルギー変換能力
> ・恒常性(ホメオスタシス)維持能力

間違いなくこのような生物だと思うけど、これを生命とは呼びたくないな・・・
やっぱり有機物と言う表現が似合うようなw

わめがLeoさんって書く時、そのLeoさんは意識としてのLeoさんを指しているように思うし、そのわめも有機物としてではなく、わめと言う意識が書いているように思います。^^

72わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/24(月) 23:52:57
有機物と言うより生体かw汗

73Leo:2005/10/25(火) 00:12:17
わめさん、どうも。

>わめがLeoさんって書く時、そのLeoさんは意識としてのLeoさんを指しているように思うし、
>そのわめも有機物としてではなく、わめと言う意識が書いているように思います。^^

意識があれば、究極的には体が有機物で構成されていなくてもよいのかもしれません(^^;
(アニメの引用で恐縮ですが、映画「マトリックス」にも影響を与えたという...)

攻殻機動隊
ttp://www.ntv.co.jp/kokaku-s/

実体的な“魂”“霊魂”という存在には懐疑的ですが、意識や関係性によって育てられたことによって
生じた自我として捉えれば、機械と人間の境界がある可能性はあります。(自分的には結論は出てませんが...)
そういえばこのアニメに出てくる草薙素子は子供のときの記憶(回想場面)があります。

義体(サイボーグ)
「 義手、義足等の延長線上にあるもので、失った肉体を補うために作られた人工の肉体のことを義体という。」

アンドロイド
「体は全身サイボーグと同様のもので、サイボーグの脳のかわりに、AIが搭載されている。
 外見は全身義体化したサイボーグと同様で、自律して動くこともできるが、
 人間とはゴーストを持たない点が決定的に異なる点であり、AIの限界でもある。」

ゴースト
「オリジナルと寸分違わぬ肉体を、義体という形で作ることはできるようになっても、
 そこにゴーストは宿ることは無い−−ということから逆説的に存在が証明された
 「個」を限定する因子のことを「ゴースト」と呼んでいる。現在使われている言葉として
 近い意味をもつのは“魂”“霊魂”などである。他人との区別より自己を限定するもの、
 自分を自分として証明する証拠である。」

74わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/25(火) 00:24:37
> 意識があれば、究極的には体が有機物で構成されていなくてもよいのかもしれません(^^;

わめもそう思います。^^

> 意識や関係性によって育てられたことによって生じた自我として捉えれば

わめは意識と言うか自意識と言うかが、自我なんじゃないかと思うのですが・・・

75わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/25(火) 12:09:32
Leoさん、わめです。

>>73 ゴースト

ゴーストですか、これが自意識のような気がします。

そして自意識は他者との関係性の中で芽生えるものと思いますので、だから「オリジナルと寸分違わぬ肉体」を作れても、そこにはゴーストは存在しないのではないかと。

わめ的な考え方すれば、生身の赤ちゃんといえど、他者との関係性がなければそこにゴーストは存在しえないと思うのです。

(自意識じゃない)ゴーストとは生命の尊厳でしょうか?

実体のない(自意識じゃない)ゴーストを生命の尊厳とするのは、それが一概に悪いと言うのではないですが、縁起を超越したものがあるとする、また現実の世界を軽視した考え方のように思います。

76わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/25(火) 12:23:33
自己レスです。(^^;

> わめ的な考え方すれば、生身の赤ちゃんといえど、他者との関係性がなければそこにゴーストは存在しえないと思うのです。

でもこれって今のところ仮説ですね。(^^;;

両親と言う関係性から生まれたのですから、自意識(の種?)が生まれた時から備わっていると言う考え方もできますが・・・

77Leo:2005/10/25(火) 23:21:52
わめさん、こんばんは真夜中のジェットストリーム(←なんのこっちゃ?!)でなく、Leoです。

>でもこれって今のところ仮説ですね。(^^;;
>両親と言う関係性から生まれたのですから、自意識(の種?)が生まれた時から備わっていると言う考え方もできますが・・・

脳には生まれつき顔を認知する機能がある
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000799.html
だそうです(両親から授かったところの...生まれつき備わっている能力の例)。

顔を認知する機能があっても顔が目の前にあらわれなければその能力は発揮できません。
ですので「他者との関係性がなければ」は妥当と思われます。

>仏教における仏、成仏とは

仏性が存在するだけでは成仏できない、ブッダとの関係性がなければ成仏できない。
ブッダとの関係性とはブッダの教えを受持すること。大聖人は題目の五字の受持を説いた。
でしょうか...

(ヴィパッサナー瞑想などもひとつの方法かもしれませんが...)

78Leo:2005/10/25(火) 23:40:24
テーラワーダ仏教
http://www.j-theravada.net/kogi/index.html
の疑問

>法(ダンマ)の六徳
>「実証できる、何時でも、誰にでも体験することができるものです。」
>「普遍性があり、永遠たる教えです。」
>「「どなたでも確かめて、試して見て下さい」と言える確かな教えです」

「科学」・非科学の境界設定の基準として「反証可能性」がありますが、
法(ダンマ)は「反証可能性」があるのでしょうか。

>心療カウンセリング(1)〜仏教は心の科学〜
>「仏教の目的はわかりやすくいえば「超越」することなんですね。心の次元を突き破って、
> 超越すること。それははっきりしているのです。」

>「つまり、人間に戻るのではなく、人間性を超えようということなのです。そこはまず、理解しておいてください。」

>「わかりやすくいえば仏教は、スーパーマンの教えなのです。空を飛ぶとか、壁を突き破るとか、
> そういうスーパーマンではなく、智慧、精神的に、人間の次元を飛び出してしまうということなのです。」

「超越」したら「反証」できなくなり、「科学」でなくなるように思います。
方便(新宗教ノリ)なのだろうか。「壁」や「常識」を「突破」する教えだったらわかるのですが。

>「そのように科学の世界では、自然法則を乗り越えることにトライする。仏教では、心の法則を乗り越えることにトライする。」

「科学」は「自然法則を乗り越える」のでなく、今まで常識とされた「自然法則」が刷新されるのではないでしょうか。

79Leo:2005/10/25(火) 23:58:25
テーラワーダ仏教
http://www.j-theravada.net/kogi/index.html
の疑問 その2

>〜もうひとつの生き方 I 〜 (1)智慧もサマディも悟りではありません
>http://www.j-theravada.net/kogi/kogi63.html

「言葉では、何も言えない」ものの「反証可能性」はあるのだろうか。
「反証可能性」がないとすると「科学」でありえないのではないだろうか。
それとも「悟り」は一種の「思考停止」なのだろうか。

>「そして、尊者はこう説明するのです。智慧ある人、サマディを持ち徹底的な集中力を持つ人はありのまま、
> 現象を観ています。自分の解釈も論理も一切ありません。すべての現象がどのように生まれて
> 消えるかということを観られるのは、この超越した智慧と超越した集中力がある人だけなのです。
> そのような人が超越した智慧と超越した集中力をもって、ありのままにものごとを観ていると
> 「最終解脱は起こるのです」…それが答えでした。」

>「言葉を超えた智慧が生まれても、それは解脱じゃない。すべての現象が無常であり苦であること、
> 無我であることを感じ続けていて、精神的に落ち着いていても、それ自体は悟りということにはならない。
> しかし、このようにものごとを観ていくと、心は何ものにもとらわれない状態を作るようになる。」

>「そもそも、心とは「取る」「とらえる」ものです。「心」という何かがあるのではなく、
> 対象をとらえるのが心であり、瞬間瞬間の作用が心なのです。だから、何ものにもとらわれない心というのは、
> あり得ない話なんです。ですから、仏教では、この状態に、「主語」がないのです。主語なしに『解脱』『涅槃』と呼びます。」

> 「そこには心もないし、とらえるものもないということですから、言葉では、何も言えないんですね。」

80Leo:2005/10/26(水) 00:02:52
テーラワーダ仏教
http://www.j-theravada.net/kogi/index.html
の疑問 その3

テーラワーダ仏教〜テーラワーダ仏教とは
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi10.html

>「皆さんもまたお釈迦さまの教えが時代遅れと思うなら、また科学の法則に照合して矛盾があるならばそれを指摘してください。

ハイ。

> 原始仏教という響きが何となく古くさい印象を与えはしますが、お釈迦さまの教えにしたがっている唯一の仏教であり、
> 2500年間いっさいの改変をしていない真理の教えと言う事実に誇りをもって学んでください。」

「お釈迦さまの教えにしたがっている唯一の仏教」「500年間いっさいの改変をしていない真理の教えと言う事実」
うーん、自己正当化のにおい。

82Leo:2005/10/26(水) 00:10:42
素朴な疑問。

>「お釈迦さまの教えにしたがっている唯一の仏教」

たとえばお釈迦様は仏像を拝んでいたでしょうか?
別にお釈迦様が仏像拝んでいけないといってないし生前は礼拝して挨拶してたから
いいんじゃないかというのかもしれない。

何が「お釈迦さまの教え」か特定できるものでしょうか。
(Libraさんは「お釈迦さまの教え」は「縁起・空・無我」と特定しているのだと思う)

>「2500年間いっさいの改変をしていない真理の教えと言う事実」

どうやって確認できるのでしょうか。
「「2500年間いっさいの改変をしていないから」という答えはナシで。

83Leo:2005/10/26(水) 00:18:33
わめさん

>わめはこのご意見には疑問が一杯です。(^_^;)

>仏性が存在する?

僕的には仏性とはブッダのような人になる可能性と捉えています。

>ブッダとの関係性がなければ成仏できない?

ブッダから教え(情報)を貰わなければブッダ的な成仏はできないのではないでしょうか。
ブッダには直接会わなくとも教えは伝わっていると思います。

>ブッダは何と関係して成仏したのでしょう?

そこに来ますね。
ブッダ自体は誰から教え(情報)を貰ったのでしょうか。古の仙人からか自然からか。
今のところは確証ないです。

>またブッダは成仏して特別な存在になったのでしょうか?
>成仏とは特別な存在になること?

外見は普通の人間で、内面に変化(縁起の法を覚知した)が起こったと思います。

84わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/26(水) 00:19:14
(ノ゜⊿゜)ノあうぅ!! Leoさんの投稿に割り込んじゃったみたいw

ってことで >>81とこれはとりあえず削除します。

あとで再アップしますね。^^

85わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/26(水) 00:21:56
Leoさんの>>83の投稿は、この投稿に対するコメントです。
>>81を削除してしまったごめんw

Leoさんトウジョウ! (・____________________・)ノ" ビローン

> 顔を認知する機能があっても顔が目の前にあらわれなければその能力は発揮できません。
> ですので「他者との関係性がなければ」は妥当と思われます。

結局アンドロイドも人間もその他の生物もその器の違いだけで、特別なゴースト?があるとはわめには思えないのですが・・・

器も関係性から変化(生まれるは使いたくないな)、意識も関係性から芽生えるのではないかと、そして意識は器があってこその意識で、器は時間の流れの中で生体・無機物の変化をしていく。

当然意識は器が無くなればなくなると、こんな単純な考えじゃダメ?w汗

> >仏教における仏、成仏とは
>
> 仏性が存在するだけでは成仏できない、ブッダとの関係性がなければ成仏できない。
> ブッダとの関係性とはブッダの教えを受持すること。大聖人は題目の五字の受持を説いた。
> でしょうか...

わめはこのご意見には疑問が一杯です。(^_^;)

仏性が存在する?
ブッダとの関係性がなければ成仏できない?
ブッダは何と関係して成仏したのでしょう?
またブッダは成仏して特別な存在になったのでしょうか?
成仏とは特別な存在になること?

86Leo:2005/10/26(水) 00:26:33
>結局アンドロイドも人間もその他の生物もその器の違いだけで、特別なゴースト?があるとはわめには思えないのですが・・・

>器も関係性から変化(生まれるは使いたくないな)、意識も関係性から芽生えるのではないかと、
>そして意識は器があってこその意識で、器は時間の流れの中で生体・無機物の変化をしていく。

>当然意識は器が無くなればなくなると、こんな単純な考えじゃダメ?w汗

アニメ「攻殻機動隊」の作者は人間の脳(と同等あるいはそれ以上のもの)は近未来の科学では製作できない、
そして人間の自我や意識をゴーストと呼んでいるのではないでしょうか。

機械にあって生物にないものがあるのか、ないのか、なにか見落としがないのか、自分的には確証が得られてないです。

いずれにせよハードウエアがなくなれば意識もなくなるでしょう。

87Leo:2005/10/26(水) 00:33:04
(自己レス)

>いずれにせよハードウエアがなくなれば意識もなくなるでしょう。

テレビをみていたら物質がなくなって記憶がなくなっても、空間に場として記憶が保持されるという
仮説をみたことがあります。どうも考えにくいのですが。

あと、生物のような細胞がなく、宇宙空間で粒子や電磁場で構成される生命体の仮説もなんかも
テレビでみかけました。

88Leo:2005/10/26(水) 01:21:53
わめさん

>(ノ゜⊿゜)ノあうぅ!! Leoさんの投稿に割り込んじゃったみたいw

あまり気になさらないでください。ケンチャナヨ。

それにしても今日は加速的に書き込みをしてしまった(^^;

89わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/26(水) 12:13:38
>>78>>82

Leoさんがテーラワーダ仏教に疑問を感じるのはよーくわかります。^^

「お釈迦さまの教えにしたがっている唯一の仏教」なんて言ってる時点で、ブッダの教えを固定化してしまって、ブッダの”教え”が不変の真理になって、無常になっていない気がします。(^^;;

わめは、ブッダが指差すものが(暫定)真理であって、教えは法灯明自灯明であり無常ではないかと思います。

90わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/26(水) 12:39:39
>>83

> 僕的には仏性とはブッダのような人になる可能性と捉えています。

仏性と言う言葉は読む方に誤解を招く恐れがあり、否定時以外は使わないほうがいいように思います。(^^;;

わめ的には、Leoさんはすべてではありませんが、既に「ブッダのような人」以上になっている”可能性”があるように思います。

> ブッダから教え(情報)を貰わなければブッダ的な成仏はできないのではないでしょうか。
> ブッダには直接会わなくとも教えは伝わっていると思います。

うーん、ブッダ的な成仏など今となっては分かるすべも無く、教えとしては苦を抜くことを目的としていましたから、涅槃寂静の状態かもしれませんが、ブッダ的な成仏と言うものに拘っていてはブッダ自身が嘆くような気がします。

> ブッダ自体は誰から教え(情報)を貰ったのでしょうか。古の仙人からか自然からか。
> 今のところは確証ないです。

わめは在りのままを在りのままに観ることから、縁起と言う(暫定)真理を知り、その縁起の上から”当時”として、相応しい教えを説いたのではないかと思っています。
ブッダとの関係性は必要ないように思います。

> >またブッダは成仏して特別な存在になったのでしょうか?
> >成仏とは特別な存在になること?
>
> 外見は普通の人間で、内面に変化(縁起の法を覚知した)が起こったと思います。

内面に変化は誰しも起こっていると思いますが、内面に変化(縁起の法を覚知した)が起こったことが成仏なのでしょうか?

わめは仏・成仏って、元々はブッダの言葉ではないと思いますし、人々の願望に応える方便として使われただけではないかと思ったりします。

91わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/26(水) 12:52:45
>>86

> アニメ「攻殻機動隊」の作者は人間の脳(と同等あるいはそれ以上のもの)は近未来の科学では製作できない、

同感です。^^

> そして人間の自我や意識をゴーストと呼んでいるのではないでしょうか。

人が作り出せるものとしてクローンがありますが、そのクローンには意識(自意識・自我)があるように思います。

> 機械にあって生物にないものがあるのか、ないのか、なにか見落としがないのか、自分的には確証が得られてないです。

そうですね、見落としがあるのかもしれません。
ないと断定することは避けるべきでしょうね。
でも、あるとするのはもっと避けるべきだと思います。

>>87

仮説がもしも正しくても、意識の有無までは分からないと思いますし、意識単独での存在は考えにくいと思います。

92わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/26(水) 12:56:19
>>91

自己レスです。(^^;;

> 人が作り出せるものとしてクローンがありますが、そのクローンには意識(自意識・自我)があるように思います。

そのクローンには意識(自意識・自我)の種?がある可能性と、種?の有無に関わらず他者との関係性で意識(自意識・自我)が芽生えそうに思います。

93Leo:2005/10/26(水) 23:22:08
わめさん、こんばんは。

>Leoさんがテーラワーダ仏教に疑問を感じるのはよーくわかります。^^
>「お釈迦さまの教えにしたがっている唯一の仏教」なんて言ってる時点で、ブッダの教えを固定化してしまって、ブッダの”教え”が不変の真理になって、無常になっていない気がします。(^^;;

それはそうすね(^^;
でも正直僕がもっと若くて制約少なかったらテーラワーダ仏教に走ってたかもしれません(^^;
結局あれも違うこれも違うと宗教ジプシーになってしまうかもしれないので宗教団体にお世話になるのは創価学会を最後にしておきます(^^;

>わめは、ブッダが指差すものが(暫定)真理であって、教えは法灯明自灯明であり無常ではないかと思います。

やはり暫定真理かもしれません。竜樹は言葉の表現を戯論といいますし、天台の「摩訶止観」の最終章は「法を破すること遍ねかれ」
となってます。初期仏教ではなおさら...

「常に気づきある者たちが、悪しき諸法(性質)を拒んで〔世を〕歩むなら、まさに、彼らは、束縛が滅尽した覚者たちであり、世における婆羅門である。」
(「ウダーナ」)

「 真髄ならざるものについて「真髄である」と思い、さらには、真髄について「真髄ならず」と見る者たち――誤った〔思慮〕分別を境涯とする彼らは、
 〔法の〕真髄(実:真実・本質)に到達しない。
 しかしながら、真髄を「真髄である」と知って、さらには、真髄ならざるものを「真髄ならず」と〔知って〕、正しい〔思慮〕分別を境涯とする彼らは、
〔法の〕真髄(実:真実・本質)に到達する。」
(「ダンマパダ」)

「〔世尊は答えた〕「モーガラージャンさん、常に気づきある者として、世〔界〕を『空[くう]である』と観察しなさい。
 自己についての誤った見解を取り去って、このように、死を超え渡る者として存するように。
 このように、世〔界〕を観察する者を、死魔の王は見ないのです」〔と〕。」
(「スッタニパータ」)

94Leo:2005/10/26(水) 23:39:07
>わめ的には、Leoさんはすべてではありませんが、既に「ブッダのような人」以上になっている”可能性”があるように思います。

いえいえ(^^; 僕は全然修行が足りません。ブッダ以上のなにかがあるとすると出家していないこと(在家で頑張っていること)ぐらいです。

>うーん、ブッダ的な成仏など今となっては分かるすべも無く、教えとしては苦を抜くことを目的としていましたから、
>涅槃寂静の状態かもしれませんが、ブッダ的な成仏と言うものに拘っていてはブッダ自身が嘆くような気がします。

確かに拘り過ぎはよくないですね。

>わめは在りのままを在りのままに観ることから、縁起と言う(暫定)真理を知り、その縁起の上から”当時”として、相応しい教えを説いたのではないかと思っています。
>ブッダとの関係性は必要ないように思います。

「ブッダとの関係性」というと眷属や師弟のように束縛をイメージされるかもしれませんが、
縁起をいわれたのはブッダであるし、教え(情報)を頂いたという意味での「関係性」です。

もとよりブッダは後世の人間を束縛しようなどと思っていないのではないでしょうか...
(束縛より解放ということで)

> 人が作り出せるものとしてクローンがありますが、そのクローンには意識(自意識・自我)があるように思います。

たとえば一卵性双生児は自然界のクローンの例です。
人工的クローン(があるとして)も双生児と同じように赤ん坊から出発して、オリジナルの方と外見や性格は似ているでしょうが
別の自意識を持つと思われます。(生まれる縁が少し違うだけで親子や兄弟と同様ですね)

95Leo:2005/10/27(木) 22:27:44
>>わめ的には、Leoさんはすべてではありませんが、既に「ブッダのような人」以上になっている”可能性”があるように思います。
>
>いえいえ(^^; 僕は全然修行が足りません。ブッダ以上のなにかがあるとすると出家していないこと(在家で頑張っていること)ぐらいです。

僕はダメダメですが。(修行といっても、学会で身についたことは根性だけ、あとは捨てた、ゼロから出発した)

ひとつの仮説として現代人は科学とか数学とか客観的ものの見方とかあるから無用な拘りの少ない
生き方ができるかもしれない(科学ばかり追求してもヤバイことは歴史が示してますが...)。

96わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/27(木) 22:44:19
Leoさん、こんばんは〜

>>93 >>94

粗方わめと意見の一致をみてるようで、レスは控えます。^^

>>95

> ひとつの仮説として現代人は科学とか数学とか客観的ものの見方とかあるから無用な拘りの少ない
> 生き方ができるかもしれない(科学ばかり追求してもヤバイことは歴史が示してますが...)。

これなんですよ、わめもそう思ってます。^^
『この点からもわめが着目しているのは、本来の仏教も知らない、教えの理解も実践もない人達が、本来の仏教に近い思考だと言うことです。

結局「智慧・理性」があれば、仏教の教えの理解も実践も必要ないのではないかと。 』
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/17142/1094230028/110

97Leo:2005/10/27(木) 22:57:02
わめさん、こんばんは。

>『この点からもわめが着目しているのは、本来の仏教も知らない、教えの理解も実践もない人達が、本来の仏教に近い思考だと言うことです。
>結局「智慧・理性」があれば、仏教の教えの理解も実践も必要ないのではないかと。 』

これが本当の「本有無作の三身」(←と仏教用語を使い)かもしれないです(^^;

98わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/28(金) 02:23:26
日本の場合(他国はあまり知らないのでw)、現代人は何か(宗教等)に心を囚われない限り、大多数(比率は分かんないけど)が悟りの状態にいるような気がします。

ただ、それが悟りの状態なのかまったく自覚していないので、何か(宗教等)に心を囚われてしまうのじゃないかと・・・

と言うか悟りの状態なんて元々自覚できるものじゃないようなw汗

> これが本当の「本有無作の三身」(←と仏教用語を使い)かもしれないです(^^;

ちなみに日蓮の御書で無作という用語は、独歩さんによると、

【無作】 真蹟:未決=0:96
【本覚】 真蹟:未決=1:75

と言うことで、明らかに後世で日蓮仏法に加えられた思想(中古天台本覚思想?)のように思います。

99わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/28(金) 02:31:19
> と言うか悟りの状態なんて元々自覚できるものじゃないようなw汗

あぁ、できたら悟りじゃないですね・・・汗

悟ったと感じるなら有我であり、悟るとは縁起から無我を知ることですから。^^
(断定していいのか?ぉぃw汗)

100Leo:2005/10/28(金) 08:02:15
>日本の場合(他国はあまり知らないのでw)、現代人は何か(宗教等)に心を囚われない限り、
>大多数(比率は分かんないけど)が悟りの状態にいるような気がします。

日本人の多くが無宗教というのは意味あることかもしれないのですね(^^;

悟りとは宗教を含めて何かに心をとらわれた状態からの脱却というのは興味深い仮説です。

それに、聖徳太子以降日本は法華経の潜在的信者であり(和をもって尊しとなすなど)、
現代の法華経教団は反法華経的ともいえます。

江戸時代には日本は仏教に見切りをつけ、仏教はサービス業になった。

うーむ。僕は宗教の逆縁で非宗教を悟ったということなんだろうか?!

そうすると池田氏の西洋一致思想と宗門離脱は意外と宗教開放プログラムになってたりして(^^;
(娑婆の歴史からは遅れてるんだけど)

>と言うことで、明らかに後世で日蓮仏法に加えられた思想(中古天台本覚思想?)のように思います。

す、するどいす。

101Leo:2005/10/28(金) 22:00:20
池田氏は仏教界のモーゼといえましょうか?
そういえばモーゼはイスラエルびとエジプトの支配から開放したけど40年間彷徨って彼自身は約束の地へ
たどりつかなかったんだなぁ。

映画《十戒》に思う
ttp://www.lifelong.pref.akita.jp/family/gakusyu/es171004.htm

「神の命を受けたモーゼが、エジプトの圧政と迫害に苦しむ60万のイスラエル人たち(奴隷)を率いてエジプトを脱出し、
 40年間荒野を彷徨った末に、追っ手との戦いや内輪争い、猜疑、人々の欲望と堕落などの苦難を乗り越えて、
 乳と蜜の流れる約束の地カナン(現在のイスラエル国)にたどり着くまでの話である。」

えーと。彼はたどりつかなかったんです。※1

「灼熱の砂漠を40年も彷徨うというのは、少し長すぎる気がするが、これについては、「モーゼは、奴隷の身分から
 自由人への変化には、人間の根底的な変化(新たな自己意識と再誕意識)が必要であり、いかなる『奇跡』をもって
 しても奴隷を自由人に変ええないことを悟ったのだ。だから彼は、奴隷たちを砂漠に連れ戻して、奴隷の世代が死に絶え、
 砂漠で生まれ育った新しい世代が約束の地に入る準備ができるまで、40年間待ったのである。」という哲学的解釈もあり、
 人間の意識改革の難しさを暗示しており興味深い。」

※1
「モーセはイスラエル人を導いて荒野を通って土地の王たちとの戦いを経つつ、カナンの地へ至った。
しかし、カナンを前に民が神とモーセに不平を言ったため、神はさらに四十年の放浪をイスラエル人たちに課す。」
(『民数記』14章)

「モーセもまたメリバの泉で、水の不足を訴えたイスラエル人に対し、「わたしに水を出させよというのか」と
 神をさしおいた発言をしたため、カナンの地へ入ることを許されなかった。
 40年の期間が満ちたとき、モーセは民に別れのことばを残した」(『申命記』32章)。

「そののちモーセはピスガの山頂で約束の地カナンを目にしながら世を去った。その墓所は伝わっていないとされている。
 享年120。」(『申命記』34:1)

102Leo:2005/10/28(金) 22:17:25
>日本の場合(他国はあまり知らないのでw)、現代人は何か(宗教等)に心を囚われない限り、
>大多数(比率は分かんないけど)が悟りの状態にいるような気がします。

んー、なんかジョン・レノンの「イマジン」を思い出しました。

世界の「宗教もない」って僕には想像しにくいんだけど。

それって僕的には世界の人々が宗教に根ざす争いをせず宗教に拘りすぎず
宗教が習慣や文化の違いのようなものになるってことかな。

「イマジン」ジョン・レノン

Imagine there's no heaven
it's easy if you try
no hell below us
above up only sky
imagine all the people
living for today...

想像してみて、天国はないって
やれば簡単だよ
足元に地獄はなく
頭上には空だけ
想像してみて、みんなが
今日のために生きてるって

Imagine there's no countries
it isn't hard to do
nothing to kill or die for
no religion too
imagine life in peace...

想像してみて、国は存在しないって
難しくないよ
そのために殺したり死ぬことないよ
宗教もない
想像してみて、平和な人生を

103Leo:2005/10/29(土) 02:02:46
文化の違いといえば東京で立派なモスクを見かけて感動した。

東京ジャーミイ・トルコ文化センター
ttp://www.tokyocamii.org/japanese/index.html

ロシアで革命で避難したトルコ人が東京に定住したそうな。

104Leo:2005/10/29(土) 09:13:02
最近はすっかりLeoの独演会状態になってしまったのう(ボソ

年末Libraさんが来るまで風にふかれてみるとするか...

わめさん色々どうも(^^;

105わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/29(土) 12:55:49
Leoさん、こんにちは。^^

> 悟りとは宗教を含めて何かに心をとらわれた状態からの脱却というのは興味深い仮説です。

ブッダの時代を考えてみてください。
みな信仰に心も体(信仰による階級制度)も囚われ、多くの人々は苦を受け入れざるを得ないた時代でした。

その迷妄から人々を覚醒させる教えをブッダは説いたわけで、何ものにも囚われず、在りのまま(法灯明・真理)を、在りのまま(自灯明・理性的)にみる生き方を推奨されたのが仏教だったわけで、それを旧来の宗教から馴染みのある言葉(悟り・解脱・真のバラモン等)で、表現されたのではないかと思います。

現代は逆に信仰に心を囚われた方が少なく(日本の場合ね)、ブッダの教えが必要な方は信仰者であって、心が囚われていない方は目覚めている方(法灯明自灯明の言葉も意味も知らなくても)なのではないかと。


> 最近はすっかりLeoの独演会状態になってしまったのう(ボソ

だって>>101>>103、漠然としててお返事難しいだもんw汗

> 年末Libraさんが来るまで風にふかれてみるとするか...
> わめさん色々どうも(^^;

ダァメ  Xx..(゜ロ゜ 三 ゜ロ゜)..xX  ダァメ

(ノ≧ロ)ノ<嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌

106Leo:2005/10/29(土) 13:26:55
>現代は逆に信仰に心を囚われた方が少なく(日本の場合ね)、ブッダの教えが必要な方は信仰者であって、
>心が囚われていない方は目覚めている方(法灯明自灯明の言葉も意味も知らなくても)なのではないかと。

僕の身内・友人・親戚は皆僕より頭がよく幸福で金持ちです。
だからいくらがんばても折伏されなかったし、というか宗教が必要なかったのかな?ガハハ。

>ダァメ  Xx..(゜ロ゜ 三 ゜ロ゜)..xX  ダァメ
>(ノ≧ロ)ノ<嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌

わめさん、どうも、どうも。

僕がカキコすると素朴な疑問シリーズとか皆さんがカキコしにくくなってしまうと思って。
しばらく旅に出ようと思ったんです(フテーンのLeoさんか木枯らしLeo次郎のノリで)。

なんで、「TV番組全般・映画」スレあたりににsage進行で密かにお邪魔させていただいて、
なんかご指名があった場合に、呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンしますです(^^;

107わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/29(土) 13:41:36
Leoさん

> 僕の身内・友人・親戚は皆僕より頭がよく幸福で金持ちです。
> だからいくらがんばても折伏されなかったし、というか宗教が必要なかったのかな?ガハハ。

まぁお金に囚われている方も、ある程度信仰者と変わりがないかもしれませんが、世法を良く知るという意味ではお金に囚われている方のほうがましかもしれませんね。(^^;;

それと囚われていない方は、囚われている方をピピ〜ンを察知しますので、その当時のLeoさんも察知されてしまったのかもしれませんね。涙


> 僕がカキコすると素朴な疑問シリーズとか皆さんがカキコしにくくなってしまうと思って。
> しばらく旅に出ようと思ったんです(フテーンのLeoさんか木枯らしLeo次郎のノリで)。

た、確かにチャットみたくなってるかもw
でもそれはLeoさんのせいと言うよりわめのせいですからw自爆

> なんで、「TV番組全般・映画」スレあたりににsage進行で密かにお邪魔させていただいて、
> なんかご指名があった場合に、呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンしますです(^^;

よっしゃ、呼びたい時はクシャミしますので、ちゃんと壷から出てきてくださいね。^^

108Leo:2005/10/29(土) 13:55:57
>よっしゃ、呼びたい時はクシャミしますので、ちゃんと壷から出てきてくださいね。^^

ほーい。

>まぁお金に囚われている方も、ある程度信仰者と変わりがないかもしれませんが、
>世法を良く知るという意味ではお金に囚われている方のほうがましかもしれませんね。(^^;;

お金に囚われているというより...宗教に別に頼らずに「理にかなった」方法で商売や財テク頑張れば
儲かるということみたいです。

>それと囚われていない方は、囚われている方をピピ〜ンを察知しますので、
>その当時のLeoさんも察知されてしまったのかもしれませんね。涙

Leoは最近はフツー世界に戻りましたが(ってまだフツーが足りない?)、学会で頑張って皆を折伏しているとき、目が逝ってた(アヤシク光っていた)んだっていわれました。
笑い話です。

109Libra:2005/10/29(土) 16:03:32
> 年末Libraさんが来るまで風にふかれてみるとするか...(Leo さん、>>104

 そうはさせませんぜ(笑)。

> 私は最近「縁起・空・無我」という言葉・思想と「止観」や「ヴィパッサナ
> ー瞑想」が同じものを示しているのではないか(Leo さん、>>65

 後者は前者を「観法の便宜にしたがって、〔中略〕心に約して観ずる立場に
おいて設定されたもの」[*1]だとおもいます。「約心観の立場」[*2]という視
点が重要だとおもいます。

> 仏性とはブッダのような人になる可能性と捉えています。(Leo さん、>>83

 わたしもそのように捉えています[*3]。

> ブッダ自体は誰から教え(情報)を貰ったのでしょうか。(Leo さん、>>83

 当時の既存の教えが反面教師となったのではないでしょうか。

> ブッダ的な成仏と言うものに拘っていてはブッダ自身が嘆く(わめさん、>>90

 何にせよ、拘ること自体が悪であるというような考えは、中村博士がいわれ
る「無立場の立場」[*4]とほとんど同じだとおもいます。

 何がまことであるか、そのことには大いに拘るべきであるとわたしはおもい
ますし、それに拘らなければブッダが嘆くとおもいます。

  ─────────────────────────────────
  一一 まことではないものを、まことであると見なし、まことであるもの
     を、まことではないと見なす人々は、あやまった思いにとらわれて、
     ついに真実に達しない。

  一二 まことであるものを、まことであると知り、まことではないものを、
     まことではないと見なす人々は、正しき思いにしたがって、ついに
     真実に達する。

  (中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』(岩波文庫)、
    岩波書店、1978年、p. 11)
  ─────────────────────────────────

> ちなみに日蓮の御書で無作という用語は、独歩さんによると、
>
> 【無作】 真蹟:未決=0:96
> 【本覚】 真蹟:未決=1:75
>
> と言うことで、明らかに後世で日蓮仏法に加えられた思想(中古天台本覚思
> 想?)のように思います。(わめさん、>>99

 日蓮思想と本覚思想との関係については、上のように単純に解決できるもの
ではないとおもいます[*5]。

  [*1] 一念三千説は発生論を拒否するものである(安藤俊雄)
     http://freett.com/Libra0000/121.html

  [*2] 同上、引用者註1
     http://freett.com/Libra0000/121.html#1

  [*3] http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1120491109/131

  [*4] 仏教解明の方法─中村元説批判(松本史朗)
     http://freett.com/Libra0000/082.htm

  [*5] 勝呂信靜「御遺文の真偽問題−その問題点への私見−」
     http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho32/s32_086.htm

110Libra:2005/10/29(土) 16:42:21
> 現代人は科学とか数学とか客観的ものの見方とかあるから無用な拘りの少な
> い生き方ができるかもしれない(Leo さん、>>95

 本当にそうなんだろうか(汗)。「世界的科学者S氏の入信動機の話」[*1]
を参照。

>  日本の場合〔中略〕、現代人は何か(宗教等)に心を囚われない限り、大
> 多数〔中略〕が悟りの状態にいるような気がします。(わめさん、>>98

 わめさんは、ポパーがいうところの「精神の健全さ」[*2]を「悟りの状態」
といわれているのかもしれません。しかし、わたしは、前者は後者にいたるた
めの必要条件だとおもいますが、十分条件であるとまではおもいません。

 わたしは、わたし自身が「悟りの状態」にないことを確信していますが、少
なくとも狂人ではないつもりです。

 「空という身の事実を理解」[*3]している人は「悟りの状態」にあるのかも
しれませんが、現代人の大多数が「空という身の事実を理解」しているとは、
今のところ、わたしにはおもえません。


  [*1] エゴイズムの昇華(友岡雅弥)
     http://freett.com/Libra0000/013.html

  [*2] 精神の健全さと病気の違い(カール・ポパー)
     http://freett.com/Libra0000/112.html

  [*3] http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1120491109/65-66

111Leo:2005/10/29(土) 18:48:19
Libraさんキター━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━>

お久しぶりです。
Libraさんの掲示板参加の不確定性原理ということで(^^;

>そうはさせませんぜ(笑)。

ガンダムのアムロの「させるかぁ!」のような(ちょっと違うか?)。

>>109-110 うーむ。ちょっと考えてみます。

112わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/29(土) 20:54:30
>>109

Libra師匠来たわ。♪

Leoさんへのコメント部分は取っちゃまずいかw笑

>  何にせよ、拘ること自体が悪であるというような考えは、中村博士がいわれ
> る「無立場の立場」[*4]とほとんど同じだとおもいます。

目的・到達点が同じであれば何でも良いとはわめも思えませんw汗
ひとつことに拘るのも、目的に応じてアリとも思います。

>  何がまことであるか、そのことには大いに拘るべきであるとわたしはおもい
> ますし、それに拘らなければブッダが嘆くとおもいます。

何が真実であるかについては拘るべきだと思います。

ただそれは、何のために拘るかが重要なように思いますし、また単に知識欲求のためであることでもなく、そこにブッダの心(民衆救済・呪縛からの解放)と同種の思いを込めなければ、その拘りが生かせないように思いますし、やっぱりブッダが嘆くのではないかと思います。

また、民衆救済・呪縛からの解放のための他の良き方法があれば、真実を見極める拘りは必要であっても、ブッダ的な成仏というものに、やはり拘る必要もないようにも思います。^^

ブッダ的成仏自体が、わめにはピンときませんが・・・
というか成仏自体が魅力あることに感じないからかもしれませんがw

113わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/29(土) 21:21:53
>>110

> >  日本の場合〔中略〕、現代人は何か(宗教等)に心を囚われない限り、大
> > 多数〔中略〕が悟りの状態にいるような気がします。(わめさん、>>98
>
>  わめさんは、ポパーがいうところの「精神の健全さ」[*2]を「悟りの状態」
> といわれているのかもしれません。しかし、わたしは、前者は後者にいたるた
> めの必要条件だとおもいますが、十分条件であるとまではおもいません。

ポパーがいうところの「精神の健全さ」がしっくりくるように思います。
って言うか、書いた当時から悟りの状態って言うのは変かなって思っておりました。(^^;;
ですが後述するように、漠然とある存在との自己認識は、悟りの状態に通じるものがあるように思います。

>  わたしは、わたし自身が「悟りの状態」にないことを確信していますが、少
> なくとも狂人ではないつもりです。

常時「悟りの状態」では無いという意味では賛同できますが・・・

>  「空という身の事実を理解」[*3]している人は「悟りの状態」にあるのかも
> しれませんが、現代人の大多数が「空という身の事実を理解」しているとは、
> 今のところ、わたしにはおもえません。

理解と言う表現には程遠いかもしれませんが、仮としての存在に近いとは思うのですが、自分がただ漠然(空・無我?)とある存在のように思われている方は結構いるのではないかと思います。

「空という身の事実を理解」している人は「悟りの状態」にあるなら、Libra師匠が『わたし自身が「悟りの状態」にないことを確信しています』と言うことが、わめにはよく分かりません。

114Libra:2005/10/30(日) 02:11:21
> 「空という身の事実を理解」している人は「悟りの状態」にあるなら、
> Libra師匠が『わたし自身が「悟りの状態」にないことを確信しています』と
> 言うことが、わめにはよく分かりません。(わめさん、>>113

 理解にもいろんなレベルがあるとおもいます[*1]。曽我逸郎さんの表現でい
うなら、「合理的理解」のレベルもありますし、「無常=無我=縁起を自分の事
として腹に落ちて納得する」というレベルもあるとおもいます[*2]。

 わたし自身は「空という身の事実」を十分に理解しているとはおもっていま
せん。少なくともわたしにとっては、「空という身の事実」を十分に理解する
ということは、そう生易しいことではないのです(これは、ただ単に、わたし
が無能なだけなのかもしれません)。

 わたしにとって「ブッダ的な成仏」とは「涅槃(ニルヴァーナ)」[*3]です。
これがわたしにとっての目標です。わたしは釈子として、その目標の達成に拘
っているといってもいいでしょう。

 たぶん、これ以上書いても、これまで書いたことの繰り返しになりますし、
理解されることもないようにおもいますので、これくらいにしておきます。

 わめさんには、わたしなんかのいうことに惑わされず、自らの信じる道を歩
んでいってもらいたいなとおもいます。


  [*1] 「理解」のソクラテス的な定義(キルケゴール)
     http://freett.com/Libra0000/095.html

  [*2] …現時点の私の仏教理解の総括…(曽我逸郎)
     http://www.dia.janis.or.jp/~soga/summary.html

  [*3] http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1120491109/130

115わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/30(日) 03:34:45
Libra師匠

>  理解にもいろんなレベルがあるとおもいます[*1]。曽我逸郎さんの表現でい
> うなら、「合理的理解」のレベルもありますし、「無常=無我=縁起を自分の事
> として腹に落ちて納得する」というレベルもあるとおもいます[*2]。

わめなどは、「合理的理解」のレベル(それも怪しいw)+ちょっぴり「無常=無我=縁起を自分の事として腹に落ちて納得する」程度かもしれません。汗

>  わたし自身は「空という身の事実」を十分に理解しているとはおもっていま
> せん。少なくともわたしにとっては、「空という身の事実」を十分に理解する
> ということは、そう生易しいことではないのです

「空という身の事実」を理解ですか、師匠が十分理解できていないとしたら、わめなどは悲しいほど理解できていないことになり、その上生易しいことではないとしたら何だかショボーンですが、理解と身で受け止めることは違うと思うのです。
この「身で受け止める」ことも大事で、その意味において師匠もわめ(わめはある程度)もそれができているのではないかと思ったりするのですが・・・

>  わたしにとって「ブッダ的な成仏」とは「涅槃(ニルヴァーナ)」[*3]です。
> これがわたしにとっての目標です。わたしは釈子として、その目標の達成に拘
> っているといってもいいでしょう。

その拘りはわめにもあると思います。(多分w)

>  たぶん、これ以上書いても、これまで書いたことの繰り返しになりますし、理解されることもないようにおもいますので、これくらいにしておきます。

悔しいですが、わめのレベルではまだ当分理解は苦しいようです。涙
でも、何か少しでも理解が深まったら師匠宛てにコメントを残して生きたいと思っております。

>  わめさんには、わたしなんかのいうことに惑わされず、自らの信じる道を歩んでいってもらいたいなとおもいます。

惑わされてはおりません。
師匠のコメントは、自分に何かが足りないとか、誤りがあるとかを感じさせてくれるもので、これからも沢山意見が頂きたいです。^^

116Leo:2005/10/30(日) 05:02:38
> 現代人は科学とか数学とか客観的ものの見方とかあるから無用な拘りの少な
>> い生き方ができるかもしれない(Leo さん、>>95
>
> 本当にそうなんだろうか(汗)。「世界的科学者S氏の入信動機の話」[*1]
>を参照。

「現代人」や「科学」にとって「エゴイズム」解消を説く「無我」説は有用ということ納得しました。

(余談)

創価学会の指導では「無我」説は強調されて(あるいは指導されて)いないように思います。
(また 無我説=小乗 という認識もあるように思います)

世界的科学者S氏の入信動機が「無我」説というのは違和感があります。
1986年当時のSUAでは「無我」説が強調されていたのかとか、他の仏教団体に入信しなかったのかとか。

「創価学会」自体「無我」説を有効活用(組織過剰自負な「エゴイズム」を解消)するとよいのかもしれない。

117わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/30(日) 16:11:56
>>109

Libra師匠

> > ちなみに日蓮の御書で無作という用語は、独歩さんによると、
> >
> > 【無作】 真蹟:未決=0:96
> > 【本覚】 真蹟:未決=1:75
> >
> > と言うことで、明らかに後世で日蓮仏法に加えられた思想(中古天台本覚思
> > 想?)のように思います。(わめさん、>>99
>
>  日蓮思想と本覚思想との関係については、上のように単純に解決できるもの
> ではないとおもいます[*5]。

[*5]も読ませていただきましたが、今回の無作・本覚の用語について、真偽未決が大多数であるということなのですが、それらを偽書と決め付けているわけではありません。

注目すべきは、真偽未決とされる御書ばかりに、無作・本覚の用語があると言うことです。

師匠の言われる「日蓮思想と本覚思想との”関係”」はよく分かりませんが、元々日蓮思想に”中古天台”本覚思想があったかどうかはこれだけで判断はできないと思いますが、少なくとも後世でそれが強調されだしたことは、この資料で不明瞭ではないと思います。

118わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/30(日) 17:09:50
>>116

> 「現代人」や「科学」にとって「エゴイズム」解消を説く「無我」説は有用ということ納得しました。

Leoさん、最近意識の話をしてましたが、関係性の中で芽生えた意識が我(自意識)だと思うのですが、そんなものはどこにも実体が無いわけで、脳が壊れたら意識は逝っちゃうわけで、自分と思っているものなんてそんなもんだって感じてたら、ある意味無我かもしれないですね。^^

119Leo:2005/10/30(日) 20:50:53
わめさん。

>Leoさん、最近意識の話をしてましたが、関係性の中で芽生えた意識が我(自意識)だと思うのですが、
>そんなものはどこにも実体が無いわけで、脳が壊れたら意識は逝っちゃうわけで、
>自分と思っているものなんてそんなもんだって感じてたら、ある意味無我かもしれないですね。^^

我執は無意味ですし、自分は有限ですが、自分が無意味とは思いませんです。
何か好きなことをやるもよし。考え込むのもよし。悔いのないよう悪あがきをしてみようと思います(^^;

120わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/30(日) 23:47:26
Leoさん、

> 我執は無意味ですし、自分は有限ですが、自分が無意味とは思いませんです。
> 何か好きなことをやるもよし。考え込むのもよし。悔いのないよう悪あがきをしてみようと思います(^^;

それが悪あがきと言うなら、仲間ですね。^^

ただ、そっちばかりじゃなく、外に向かっても、大いに悪あがきしていきましょう。(*´∇`*)

121Leo:2005/11/01(火) 22:15:59
>ただ、そっちばかりじゃなく、外に向かっても、大いに悪あがきしていきましょう。(*´∇`*)

いわゆる外に討って出る戦いですね(^^;

122わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/11/01(火) 23:25:13
> いわゆる外に討って出る戦いですね(^^;

ヽ(・∀・;)ノ アヒャッ!

いえw、これも以前から言ってる心情の広がり・波紋・エントロピーの増大(時間の矢の方向)です。^^

123Leo:2005/11/03(木) 02:00:18
今日は映画関係にちなんで雑談を。
リチャード・ギアーって仏教徒で、チベット仏教やっているそうな。
(映画の役どころにくらべてリチャード・ギアーは意外と真面目のようだし)
トム・クルーズはサイエントロジーという宗教やってて学習障害克服したそうな。
芸能人ってストレス多そうだけどいわゆる心の支えというやつでしょうか。

124Leo:2005/11/03(木) 19:12:23
つまり宗教って需要があるってことじゃないでしょうか。
妄信がなく自立を促すものであれば意外とアリなのかもしれません。

僕が目指すものとは違うんですが、宗教が必要な場合があるってことは認めようかと。

125わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/11/05(土) 16:59:20
Leoさん、こんちは^^

> つまり宗教って需要があるってことじゃないでしょうか。

需要はあるでしょw

> 妄信がなく自立を促すものであれば意外とアリなのかもしれません。

でも自立を促す宗教って少なそうだよ。
わめが危ない宗教しか知らないだけかもしれないけどね。汗
でも本人次第って面もありますから、アリはアリでしょう。^^

> 僕が目指すものとは違うんですが、宗教が必要な場合があるってことは認めようかと。

わめも認めます。

126わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/11/08(火) 16:06:21
Leoさん

kumarinさんの下記の記事では、テーラワーダ仏教では輪廻はあり得ないとのこと。ご参考に。^^
http://d.hatena.ne.jp/kumarin/searchdiary?word=%2a%5bBuddhism%5d

一部抜粋

『スマナサーラ長老の法話、あるいはテーラワーダ仏教協会の ajita さんとの対話の中で僕が知り得たことはテーラワーダ仏教では輪廻する「私」として「とてつもなく大きなエネルギー」としての心は認めるものの輪廻する「私」で有る以上それは永遠不滅なるアートマンでも霊魂でもなく無常にも縁起する無我なる心であるということだ。認識というのは変化しか認識できないからその変化を認識する側も変化し続けなければ認識という働きが成立せず、よって永遠不滅とか常住不変とかいう属性は認識に関わる限りありえないから成立せず、メモリーサーキットを伴う輪廻転生は「私」というフレームを時系列で記憶として遡上していくというあり方以外は「認識」として成立しないから常住不変の認識主体も永遠不滅の輪廻の主体も成立しないのでテーラワーダ仏教が永遠不滅の霊魂ないしアートマンを認めるなどあり得ないことだということになる。またパーリ文献に見られる動植物の霊魂のごときものは動植物にも種の繁栄のための根本的な生存欲が機能しているのであってそれは人間の無明となんら変わるものではないことを言っているのであって霊魂のごときものがあるという意味ではない。』

でも何だか難しいw(^^;;

127Leo:2005/11/08(火) 21:19:51
わめさん、こんばんは。

あれは疑似科学か言い訳の類でしょう(キッパリ)。

永遠不滅なるアートマンでなく無常にも縁起する無我なる心が「とてつもなく大きなエネルギー」として存在して輪廻する。
って永遠不滅でないけど輪廻は認めるということですね。

「メモリーサーキットを伴う輪廻転生」って物質なくして空間に記憶が存在するか(!?)、単に親から子へ
(情報伝達があり)人類が継続するということではないでしょうか。

128わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/11/08(火) 21:36:57
Leoさんこんばんちゃ^^

> あれは疑似科学か言い訳の類でしょう(キッパリ)。

うーん、論理科学とでも名付けましょうか?(^^;

> 永遠不滅なるアートマンでなく無常にも縁起する無我なる心が「とてつもなく大きなエネルギー」として存在して輪廻する。
> って永遠不滅でないけど輪廻は認めるということですね。

『無常にも縁起する無我なる心』は意識で、『「とてつもなく大きなエネルギー」として存在して輪廻する。』は、エントロピーの増大とか波紋の広がりとか、他者への影響とかを指しているんじゃないかな?

そういった意味では死後も影響を与えていくわけだし、輪廻はあるとみていいと思うけどね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1118979037/1

> 「メモリーサーキットを伴う輪廻転生」って物質なくして空間に記憶が存在するか(!?)、単に親から子へ(情報伝達があり)人類が継続するということではないでしょうか。

そこで切っちゃうとまずいよw汗

『メモリーサーキットを伴う輪廻転生は「私」というフレームを時系列で記憶として遡上していくというあり方以外は「認識」として成立しない』だから、私と言う脳内記憶を指しているんじゃない?
だから過去形にしか遡れないというか、未来形は認識できない(有無不明)と。

で、『常住不変の認識主体も永遠不滅の輪廻の主体も成立しないのでテーラワーダ仏教が永遠不滅の霊魂ないしアートマンを認めるなどあり得ないことだということになる。』で、めでたしめでたしと。♪

129Leo:2005/11/08(火) 22:23:28
なんか面白くなってきました(^^;

>『無常にも縁起する無我なる心』は意識で、

意識という捉え方はよいと思います。

>『「とてつもなく大きなエネルギー」として存在して輪廻する。』は、エントロピーの増大とか波紋の広がりとか、他者への影響とかを指しているんじゃないかな?

まず彼らのいう「大きなエネルギー」が意味不明な気がします。

それに「輪廻」が「生あるもの生と死とを繰り返すこと」だとするとあるひとつの「生あるもの」が流転するのだと
思いますが、他者への影響とすると「コピー」が存在することになります。
御書を読むと大聖人の輪廻が大量に発生するのでしょうか。

>『メモリーサーキットを伴う輪廻転生は「私」というフレームを時系列で記憶として遡上していくというあり方以外は「認識」として成立しない』だから、私と言う脳内記憶を指しているんじゃない?
>だから過去形にしか遡れないというか、未来形は認識できない(有無不明)と。

「私」は「脳内記憶」に存在する。よいかもしれません。
輪廻が存在するとすると、携帯電話を買い換える時のように(?)、過去の私の脳内の記憶はどうやって
今の私の脳内の記憶に転送されたのでしょうか。それとも密かに転送期間が存在するのでしょうか。
心のエネルギーは脳が存在しなくとも保持されるのでしょうか。
結構ナゾが多いと思います。

130Leo:2005/11/08(火) 22:54:41
>で、『常住不変の認識主体も永遠不滅の輪廻の主体も成立しないのでテーラワーダ仏教が永遠不滅の霊魂ないし
>アートマンを認めるなどあり得ないことだということになる。』で、めでたしめでたしと。♪

テーラワーダ仏教の方もそういっていただかないとブッダに最も近い伝統の仏教が反故になってしまうと思われ。
参考としては>>1でわめさんが紹介した佐倉哲氏のリンクや、他には、
たとえば、ブッダ曰く、

「1075、「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? 或いはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか? 
 聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。」

 1076、師は答えた、
 「ウパシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。
 かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。
 あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる議論の道はすっかり絶えてしまったのである。」 」

(「七、学生ウパシーヴァの質問」、「第五 彼岸に至る道の章」、「スッタニパータ」)

関係ないけどロシア語でありがとうはスパシーバ。

131Leo:2005/11/09(水) 22:37:39
>「私」は「脳内記憶」に存在する。よいかもしれません。
>輪廻が存在するとすると、携帯電話を買い換える時のように(?)、過去の私の脳内の記憶はどうやって
>今の私の脳内の記憶に転送されたのでしょうか。それとも密かに転送期間が存在するのでしょうか。
>心のエネルギーは脳が存在しなくとも保持されるのでしょうか。
>結構ナゾが多いと思います。

チベット仏教は輪廻を認めるのだそうです。で、高僧になると意識を新たな体に転送できるようです(疑問)。

ダライ・ラマ法王と転生探し
http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/hh_reincarnation.html

「転生探し」は宗教という伝統を重んじる世界で世襲や選挙(多数決が最善の結果でない場合がある)など
時には悪弊となる制度によらずに、賢そうな子供を選んで後継者にするという方便ないし意味のある制度
ではないかと個人的には解釈しているのですが。

133わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/11/11(金) 22:26:48
Leosさん、こんばんは。^^

> まず彼らのいう「大きなエネルギー」が意味不明な気がします。

ですね。なんなのでしょうね? 縁起なら縁起と言うでしょうし・・・

> >で、『常住不変の認識主体も永遠不滅の輪廻の主体も成立しないのでテーラワーダ仏教が永遠不滅の霊魂ないしアートマンを認めるなどあり得ないことだということになる。』で、めでたしめでたしと。♪
>
> テーラワーダ仏教の方もそういっていただかないとブッダに最も近い伝統の仏教が反故になってしまうと思われ。

ちょっと怪しいぞと、kumarinさんはその点を真正面から突くのではなくて、危ないぞと釘を刺したというか・・・

ブッダに最も近いとされるテーラワーダ仏教でもこんなものだということではないでしょうか。

134Leo:2005/11/12(土) 16:30:19
わめさん、こんばんは。

>ちょっと怪しいぞと、kumarinさんはその点を真正面から突くのではなくて、危ないぞと釘を刺したというか・・・
>
>ブッダに最も近いとされるテーラワーダ仏教でもこんなものだということではないでしょうか。

スマナサーラ長老の現代用語の引用部分が方便なのか疑似科学なのかあるいは裏づけがあるのか
とても気になったので、kumarinのところにおじゃましてみました。
(結論がでるかどうかはまだわからないですが...)

135Leo:2005/11/12(土) 22:27:28
訂正
×kumarin
○kumarinさん
呼び捨てにするつもりはないです。手の老化です(^^;

136わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/11/16(水) 01:20:13
ああw Leoさん、ここにくまりんさんのところにお邪魔するって書いてたのねw汗

気が付かなかったわσ(^_^;)アセアセ...


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