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日蓮考察
1
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/07/21(木) 11:10:24
このスレッドでは、日本では馴染みの深い、日蓮をテーマに議論していきたいと思います。
日蓮の呼称は、大聖人とか、聖人とか大菩薩など様々ですので、敢えてスレタイは日蓮とさせていただきました。
わめもここでは配慮して、日蓮と書く場合が多いかもしれませんが、配慮以外の他意はないことを予めお断りしておきます。
皆さんは馴染みある呼び方でも、日蓮とだけでも自由にお書きください。
それとわめの掲示板での議論のルールを説明します。
ネチケット尊守は当然して、ここではポパーが提唱する「可謬性」をお互いが認知し、「批判的合理主義」に則って議論をし、互いの知識を高めあっていこう、互いの誤謬を発見し合い、喜びとしようとするものです。
なので、自らの論の正当性を、訴えることに終始したり、他者からの批判を、攻撃されているように受け止めることは避けてください。
それと皆さん限られた時間の中での書き込みになるかと思いますので、レスを催促したりすることは避けてください。レスはむしろテキストエディター等で作成し、何度も読み返す&時間をおいて書き込む等を心掛けてください。
またテーマに関する範囲でその自己認識を提出し、誤謬がないかを指摘してもらうのもいいかもしれません。
ということでよろしくお願いいたします。ぺこ <(_ _)>
最後に「可謬性」及び「批判的合理主義」の簡単な解説を載せておきます。
「可謬性」とは、ポパーが用いた用語で、われわれの知識が完全に真理に到達したかどうかは確証できず、常に誤っている可能性があるということ。
「批判的合理主義」とは、「私は間違っているかもしれない、あなたが間違っているかもしれない、そしてお互いに批判的に検討しあえば、よりよい真理に到達できるかもしれない」とする見解をいう。
2
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/07/21(木) 11:53:47
わめはまず自分の認識に誤謬がないかの確認のため、日蓮久遠本仏論についての意見を提出します。
日蓮久遠本仏論とは、日蓮の本地が自受用報身如来であり、この世界が出来たときからの仏とする見解です。
現在では日蓮正宗のみの見解となっておりますが、創価学会でも以前はこの見解を支持しておりました。
現在の創価学会では日蓮久遠本仏論の見解を非公式に否定したものと受け止めております。
その証左として、発刊年数は西暦1990年代前半としか記憶にありませんが、発刊当時東洋哲学研究所欧州研究部長・ドイツSGI文化本部長・松戸行雄氏が試論として「日蓮久遠本仏論批判」を著作し、日蓮久遠本仏論を批判しております。
創価学会に詳しくない方のための補足になりますが、東洋哲学研究所とは創価学会系の仏教研究団体であり、そこからの著作物は当然創価学会の認可が必要と思われます。
また日蓮正宗においても、日蓮久遠本仏論は第9世日有上人からの見解で、日蓮・日興〜第8世上人までにはなく、第26世日寛上人により、当時宗内が釈迦本仏とする傾向が高くそれを憂い、日蓮久遠本仏論を宣揚されだしたとのことです。
わめも日蓮久遠本仏論の見解をずっと信じておりましたが、1年ほど前よりそれが誤りであると認知しました。
皆様からのご批判、ご意見をお待ちします。ぺこ <(_ _)>
3
:
葉末
:2005/07/21(木) 15:37:41
こんにちは(^^♪
よろしくお願いします。
私も今は日蓮久遠本仏論を信じておりません。
(日蓮正宗の根本教義を信じていないということです。)
子供のころ、日蓮大聖人様は末法の御本仏と教えられていました。
でも学校の社会の教科書に載っているのは「日蓮上人」。
そして日蓮宗の開祖くらいにしか書いていなかったですよね。
日蓮さんて二人いるの?見たいな感覚でした。
不思議に思い、帰って母に聞いた記憶があります。
そのとき、母から納得のいく答えはなかったと思います。
私が日蓮さんについて、勉強してみようかなと思ったのが
宗門問題がおきた後、沸き起こった不信がきっかけでした。
創価学会以外の仏教学者によって書かれた「日蓮」についての本を
読んでみました。これがきっかけでいろんな呪縛が解けはじめました。
日蓮さんのことは、ただひたすら法華経に帰依した方ととらえています。
私は日蓮さんにあまり親近感がありません<(_ _)>
4
:
フルナ
:2005/07/21(木) 19:59:54
こんばんは。
>現在の創価学会では日蓮久遠本仏論の見解を非公式に否定したものと
わめさんのご意見は正しいと思います。ただ、どうして「非公式」なのでしょう?日蓮本仏論と言えば、学会教義の根幹をなす重要なものだと認識しているのですが。そういう重要な教義が、いつのまにか変更されている──学会には多いと思いませんか?その結果、同じ学会員でも年代によって異なる教義を信じる人達が混在するという、異様な状態が生まれていますね。
ぼくは、日蓮聖人を法華経普及の功労者として評価しています。しかし、後世になって他宗攻撃のマイナス面が強調されるなど、真意はどうあれやり方に問題があったことも事実です。結果、法華経までもが排他的な経典とのイメージを持たれるようになってしまいました。
わめさんとは意見の分かれるところですが、ぼくは法華経を寛容な経典と理解しています。
5
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/07/21(木) 20:52:55
フルナさん皆さんこんばんは^^
とりあえず、日蓮久遠本仏論を否定しながら、創価学会が組織内において何故非公式なのか?についてレスします。
> >現在の創価学会では日蓮久遠本仏論の見解を非公式に否定したものと
> わめさんのご意見は正しいと思います。ただ、どうして「非公式」なのでしょう?日蓮本仏論と言えば、学会教義の根幹をなす重要なものだと認識しているのですが。そういう重要な教義が、いつのまにか変更されている──学会には多いと思いませんか?その結果、同じ学会員でも年代によって異なる教義を信じる人達が混在するという、異様な状態が生まれていますね。
わめは「非公式にしよう」と決めた場に残念ながらいなかったわけですから、本当のところは分かりませんw汗
ですのでわめの推論になりますが、公にするのは都合が悪いことがあるからだと思います。
で、推論のいくつかを書いてみます。
・日蓮久遠本仏論を理論付け宣揚した第26世日寛上人書写の御本尊を、現在の学会では複製し、各学会員の家庭の御本尊としている。
日蓮久遠本仏論が誤りであると宣言することは、この第26世日寛上人の誤りを指摘することになり、第26世日寛上人書写の御本尊をも否定しなければならなくなる可能性が出てくる。これは学会員にとって重大問題です。
・古くからの学会員から、不信の声が上がる。
古い教義は、日蓮は久遠実成の釈迦よりもっと以前からの仏、無始無終の仏であると教えられ、真の仏とされてきたわけですが、これが崩れると草創からの学会員は不信・混乱を起こす可能性が非常に高いと言うことです。
逆に何故今更日蓮久遠本仏論を否定するのかについては、
・以前から(おそらく昭和50年以前より)日蓮正宗教義の日蓮久遠本仏論はおかしいと感じていた。
・日蓮正宗の唯一一人血脈相承を否定するため。
・世界宗教を目指す上で、海外では仏教と言えば釈迦(ブッダ)との認識が強く、日蓮本仏では布教が進まない。
日蓮本仏は日本仏教的象徴として捉え、本来は釈迦が本仏であると海外で宣揚するため。
PS
わめはゆっくりいきますね。<(_ _)>
と、フルナさんとわめとは以前から話し合ってきましたので、ある程度は理解できますが、その他の方にも分かるように、法華経を寛容な経典と理解する理由を提出していただけると、他の皆さんからもレスがもらえやすいと思います。^^
6
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/07/21(木) 21:06:23
あ、少々混同されやすいところがありますねw汗
わめの書き方が悪いかったのか誤解があるといけませんので・・・w
日蓮久遠本仏論と日蓮本仏論とはまったく別のこととまでは言えませんが別個のことです。
日蓮本仏論は、末法の御本仏と言う意味です。
日蓮久遠本仏論は、日蓮が実(本地)は久遠元初自受用報身如来という世界の始まりから仏であったと言う説です。(かなり密教色が濃いですw汗)
7
:
フルナ
:2005/07/22(金) 20:12:02
>>6
こんばんは。思いっきり混同していました。正直、その違いがよくわかりません。学会員でも、わかっている人は少ないのでは?
8
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/07/22(金) 20:54:56
フルナさん、皆さんこんばんは^^
> こんばんは。思いっきり混同していました。正直、その違いがよくわかりません。学会員でも、わかっている人は少ないのでは?
これって理論的?には繋がっちゃうのですけどね(^^;;
わめにはよく分かってなくて説明が難しいのですが、日蓮正宗教義として(過去の創価学会も)は、久遠実成の釈迦(五百塵点劫の昔に仏と成ったとされる釈迦)は、誰にこの法を教わった(下種)のか?、実は久遠元初の自受用報身如来の日蓮(久遠元初の元からの仏である日蓮)に、直接乃至間接的にこの法を教わった。
まぁ例えれば鶏(仏としての釈迦)がいるのは、卵(元からの仏の日蓮)があったからだ。
うーん、あまりいい例えではないなw
独自の因果論と言えばいいのか、結果(悟りを開いた釈迦=仏)を出すには、原因(元々の仏の日蓮)があるって感じかな。
まぁこのように教わってきたのです。^^
でも日寛上人の説では、最終的に釈迦と日蓮は同一人物(仏)ってこと(一世界「この宇宙ね」一仏の仏説から逸脱しないためか・・・)になってしまうようですが、ここまでは学会では教えていませんでした。
でこのようなわけで日蓮正宗(多くの学会員も)は、釈迦より日蓮が偉い、だから本仏(真仏)とするわけです。
あと、日蓮御書の上野殿御返事の「末法に入りぬれば余経も法華経も詮なし但南無妙法蓮華経なるべし」との切り文で、法華経も末法には役立たずと誤った解釈を用いて、同じことを言ってますw(^^;;
この臨終まじかな上野さんに日蓮が言いたかったのは、汚れた命の末法の衆生は法華経も余経も同じように見て区別が付かない(詮なし)、唯一法華経こそが大事(但南無妙法蓮華経なるべし)です。最後(臨終の時)まで南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。と読むべきで、その文だけ切り文にして、詮なしの詮を処方箋の”せん”と同一とする無茶な解釈をするな!って言うのが、日蓮宗各派(日蓮正宗以外の日蓮宗諸々)の統一見解(多分w)で、そうじゃなきゃ死に向かう上野さんに、何を教えたかったのよ?って言いたいみたいw
ご批判、ご意見お待ちします。<(_ _)>
9
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/07/22(金) 21:16:14
あ 肝心な疑問にちゃんと答えてないかもw汗
> 独自の因果論と言えばいいのか、結果(悟りを開いた釈迦=仏)を出すには、原因(元々の仏の日蓮)があるって感じかな。
> まぁこのように教わってきたのです。^^
これが日蓮久遠本仏論ね。
> でこのようなわけで日蓮正宗(多くの学会員も)は、釈迦より日蓮が偉い、だから本仏(真仏)とするわけです。
これが日蓮本仏論です。
10
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/07/22(金) 22:35:33
あ フルナさんをびっくりさせるのにもう一点w
日蓮正宗や創価学会で唱える題目、つまり南無妙法蓮華経は、法華経の正式経典名?(妙法蓮華経)として唱えているわけじゃないのです。
妙法蓮華経如来寿量品第十六の、文の底に秘し沈められた、「三大秘法の南無妙法蓮華経」とするのです。
日蓮正宗や創価学会では、末法に法華経は功徳無しとして、三大秘法の南無妙法蓮華経(法華経じゃない妙法蓮華経)こそが末法の衆生を救うと説かれます。
日蓮は果たしてどちらの意味で、(南無)妙法蓮華経と唱えられていたのでしょうか?
わめにはわからないですw汗
11
:
フルナ
:2005/07/23(土) 19:13:14
わめさん、こんばんは。
日蓮本仏論の解説、ありがとうございました。
ただ、
>これって理論的?には繋がっちゃうのですけどね(^^;;
ぼくもそう感じていたので、結局違いがわからなかったんです。でも、あまり深く追求する気もありません。
>日蓮は果たしてどちらの意味で、(南無)妙法蓮華経と唱えられていたのでしょうか?
素直に解釈していいのでは?つまり、法華経に帰依するという意味しかないと思いますが・・・。
日蓮正宗は、印象として仏教をことさら神秘的なものにしている感じがします。釈尊が最も排したものが、宗門や学会の根幹をなしているということです。
12
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/07/23(土) 19:59:22
フルナさん、こんばんは^^
> 日蓮本仏論の解説、ありがとうございました。
> ただ、
> >これって理論的?には繋がっちゃうのですけどね(^^;;
> ぼくもそう感じていたので、結局違いがわからなかったんです。でも、あまり深く追求する気もありません。
日蓮久遠本仏論批判を非公式にしないと、日蓮本仏論も怪しくなっちゃう可能性大ですね。
> >日蓮は果たしてどちらの意味で、(南無)妙法蓮華経と唱えられていたのでしょうか?
> 素直に解釈していいのでは?つまり、法華経に帰依するという意味しかないと思いますが・・・。
ごく普通に考えるとそうなりますよね・・・
それに法華経と切り離すならわざわざ紛らわしく妙法蓮華経とすること自体変な気がしますし、御書(日蓮のお手紙)のそこかしこに間違わないようにとの説明があってしかる可しですよね・・・
> 日蓮正宗は、印象として仏教をことさら神秘的なものにしている感じがします。釈尊が最も排したものが、宗門や学会の根幹をなしているということです。
が故に末法に釈迦仏法は役に立たないと嫌ったのかもしれませんね。
でもこれで終わっちゃうとお茶の間話、単なる推測の域をでませんので、何か資料があれば書き込んでくださいね。^^ わめも調べてみます。
と、皆さんのご意見も伺いたいな。^^
13
:
青空
:2005/08/12(金) 17:27:20
大御本尊って 二処三会の儀式、令法久住の人を定めんが為の儀式でもあるその状況を形として顕わしている。
14
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/08/12(金) 23:48:19
> 大御本尊って 二処三会の儀式、令法久住の人を定めんが為の儀式でもあるその状況を形として顕わしている。
誰が仏教に似せて書いたものかは分かりませんが、その法華経に書かれてある創作仏教説話を元に、日蓮が御本尊を相貌されたってことかな。
(Libra師匠、わめは罰当たりですねw汗)
16
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/08/30(火) 17:51:03
えっと、ちょっと整理して・・・ ここまでの皆さん共々の意見としては、
日蓮は法華経に帰依し、法華経を宣揚した人。
日蓮(久遠)本仏論は、わけわからんミジンコ新興宗教等を除くと、日蓮正宗のみである。
創価学会は、非公式ながら日蓮(久遠)本仏論を否定した。
てな感じじゃないでしょうか。
17
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/08/30(火) 17:54:52
あ、もう一個追加
創価学会では、末法の御本仏としての日蓮は、否定されていないように思います。
18
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/08/30(火) 18:04:01
顕正会も日蓮(久遠)本仏だったw汗
19
:
ほしのしずく☆
◆85qvGhCCNc
:2005/09/01(木) 21:17:25
こんばんは。
>12
>>> >日蓮は果たしてどちらの意味で、(南無)妙法蓮華経と唱えられていたのでしょうか?
> 素直に解釈していいのでは?つまり、法華経に帰依するという意味しかないと思いますが・・・。
>ごく普通に考えるとそうなりますよね・・・
それに法華経と切り離すならわざわざ紛らわしく妙法蓮華経とすること自体変な気がしますし、御書(日蓮のお手紙)のそこかしこに間違わないようにとの説明があってしかる可しですよね・・・
うーん・・・。
Very法華経のイメージがあるなあ、私には。
20
:
みれい
:2005/09/08(木) 13:47:04
単純に日蓮宗だとかなり寛容的です。日蓮さんの扱いも本尊の扱いも日蓮宗と日蓮正宗とでは大きく違います。
日興さんが日蓮正宗を立てたと思うのですが、
そのあたりはどうなのでしょう?
http://www.nichiren.or.jp/index.html
「日蓮宗HP」
ちなみにお坊さんの修行は各宗派の中でもきついほうと聞きました。遠くに聞こえるよう大声で何時間もお題目だそうです。だから日蓮系のお坊さんはしゃがれ声の方が多いそうです。
日蓮さんといい、鍋かぶり上人(南無妙法蓮華経を唱えたら焼いた鉄鍋をかぶせるぞと言われ、かぶらされても唱えて相手を参らせたという方)といい、
日蓮系には「根性」と言う言葉が似合う気がします。
当時の病気も飢えも天災もはびこる中、日蓮さんの強気な存在はとても頼もしく思えたでしょうね。
スーパースターに救われた方も多いと思います。
他宗でも法華経は勉強しますが(他宗は例えば一つの経典を拠り所にするとしても、普通に他の経典も勉強して取り入れるんですよね。当たり前なのですが、これが初め意外でした)
「法華経は数ある経典の中でも王様的存在なだけに、扱いも慎重」と話していました。
法華経はそんな元気をくれるユンケル的経典かもしれませんがw(?)、取り扱いを誤るといけないドラッグ的経典になるのかも・・・
21
:
みれい
:2005/09/09(金) 00:51:59
http://kibounokaze.hp.infoseek.co.jp/nichiren.html
春田の蛙さんのサイトより。
いったいどれだけ勉強したらこんなに書けるのだ?というくらい膨大な情報量。
すばらしいです。
22
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/09/09(金) 01:19:53
> 春田の蛙さんのサイトより。
> いったいどれだけ勉強したらこんなに書けるのだ?というくらい膨大な情報量。
> すばらしいです。
ホント、すごいですよね。
わめもこのサイトは以前より読ませていただいてます。^^
ついでにトップページも紹介しちゃおっと♪
カルト問題啓蒙サイト『希望の風』
http://kibounokaze.hp.infoseek.co.jp/
23
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/09/09(金) 01:23:10
>>22
リンク♪スレに貼ればよかったかw汗
せっかくみれいしゃんが、このスレタイに相応しいURLを貼ってくれたのにw<(_ _)>
24
:
みれい
:2005/09/10(土) 02:21:45
いえいえ、逆に私がすべてのものも貼るべきでした。
お気遣いありがとうございます<(_ _)>
それにしても、何百年も先に自分の名前が語られているなんて、日蓮さんは想像したかしら?w
日蓮さんを知ったついでに、法然さん、親鸞さん、道元さん、空海さん最澄さん、栄西さん、一休さんあたりをみていっても面白いです。
くせものばかりで(^^)このアクの強さがまた(^^)
親鸞さんの息子さんはグレちゃったみたいですね。
25
:
地接
:2005/10/19(水) 18:12:38
このスレで良いのか、迷ったのですが・・・
はじめまして。
男子部を経験せずに、壮年部に入会して、数年が過ぎました。
年齢はわめさんと同じぐらいと思います。
活動のこと等、いろいろと、尋ねたいことがあるのですが、
今回は、御書での質問をさせて下さい。
上野殿御返事の「余経も法華経も詮なし」について疑問が、あったのですが
このスレにて納得できました。 そして、今、もうひとつ疑問あるのです。
法華取要抄で、「広略を捨てて、肝要を好む」と、ありますが、
どのように解釈すれば良いのでしょう?
この場合の“広略”とは、「法華経」の全てのことではないのでしょうか?
26
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/19(水) 19:25:06
地接さん、始めましてなわめです。^^
> このスレで良いのか、迷ったのですが・・・
すいません、よく似たスレが乱立してまして迷わせてしまったようですね。(^^;;
ここで問題ないです。
> 男子部を経験せずに、壮年部に入会して、数年が過ぎました。
> 年齢はわめさんと同じぐらいと思います。
> 活動のこと等、いろいろと、尋ねたいことがあるのですが、
> 今回は、御書での質問をさせて下さい。
☆^∇゜) ニパッ!!
わめが答えられることは限られているとは思いますが、御書に明るい方もおられますので、ご遠慮なくどうぞ。^^
> 法華取要抄で、「広略を捨てて、肝要を好む」と、ありますが、
> どのように解釈すれば良いのでしょう?
これは法華経の肝要、妙法蓮華経の五字を指しているのでしょうね。^^
『疑つて云く何ぞ広略を捨て要を取るや、答えて曰く玄奘三蔵は略を捨てて広を好み四十巻の大品経を六百巻と成す羅什三蔵は広を捨て略を好む千巻の大論を百巻と成せり、日蓮は広略を捨てて肝要を好む所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり』(「法華取要抄」、全集、p. 336)
『日蓮は広略を捨てて肝要を好む』
http://freett.com/Libra0000/z002.html
『続・日蓮は広略を捨てて肝要を好む』
http://freett.com/Libra0000/z003.html
> この場合の“広略”とは、「法華経」の全てのことではないのでしょうか?
「法華経」を含む、釈尊一代聖教の”広略”かも。
27
:
Leo
:2005/10/20(木) 00:20:20
>これが日蓮本仏論です。
実は大聖人は釈尊本仏論(釈子)、初期興門教学は「宗祖=上行再誕」とのこと。
初期興門教学には「大石寺流宗祖本仏思想」はなかった(Libraさん)
http://freett.com/Libra0000/z008.htm
また『富士宗学要集』の「本尊三度相伝」(
http://nakanihon.net/nb/yousyuu//yousyuu1_2.htm)
には
「釈迦と申すは天照太神西天に釈迦と顕はれ諸仏の本誓妙法蓮華経を説き一切衆生悉く是れ吾が子なりと宣ふ、
日本に又大明神と顕はれ正直に方便を捨つる本願の誓に酬て正直の頭に宿る、
末法濁世の時は日蓮聖人と顕はれ諸仏の本意を顕はす」
釈迦=天照太神=日蓮聖人 とあって、
(場所と時代の違いで顕われが異なる)
釈迦 < 日蓮聖人 でないですね。
「釈迦より日蓮が偉い」と最初に言い出した人(学会や正宗の教学部の人、折伏教典書いた人など)が
そもそも間違いの始まりだったのですね。
28
:
わめ</b> ◆TJ9qoWuqvA<b>[TRACKBACK]
:2005/10/20(木) 00:44:00
Leoさん、こんばんは〜
>>27
もしかしてこれですかね。^^
『でも日寛上人の説では、最終的に釈迦と日蓮は同一人物(仏)ってこと(一世界「この宇宙ね」一仏の仏説から逸脱しないためか・・・)になってしまうようですが、ここまでは学会では教えていませんでした。』
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1121911824/r8
29
:
地接
:2005/10/20(木) 01:19:51
>>26
わめさん、レスありがとうございます。
・・・私の理解力が無いのでしょうが、「よくわからない」が本音です。
この御文だけで考えると「唱題だけで良い」と解釈してしまうのですが・・・
(「そうでは、無い」と理解しているつもりなのですが。)
30
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/20(木) 02:38:29
地接さん、こんばんは〜^^
> ・・・私の理解力が無いのでしょうが、「よくわからない」が本音です。
いえ、地接さんはよく理解されてると思います。
> この御文だけで考えると「唱題だけで良い」と解釈してしまうのですが・・・
>
> (「そうでは、無い」と理解しているつもりなのですが。)
その上で理性と心情とが相反されているようですね。
わめからすれば、その「唱題」さえ必要ないとなってしまいます。
31
:
地接
:2005/10/20(木) 18:41:25
こんばんは
>理性と心情とが相反されているよう
そ、そんなに、大袈裟さものでは無いのですが・・・
>その「唱題」さえ必要ないとなってしまいます。
(うふっ、
「親鸞さんの『念仏をとなえなくても阿弥陀仏への信心だけで救われる』と
同じなのかな?」と、思ってしまいました。)
このことの、わめさんのお考えを、聞かせてもらえたら嬉しいです。
32
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/20(木) 23:53:59
地接さん、こんばんはなわめです。^^
> >その「唱題」さえ必要ないとなってしまいます。
> (うふっ、
> 「親鸞さんの『念仏をとなえなくても阿弥陀仏への信心だけで救われる』と
> 同じなのかな?」と、思ってしまいました。)
わめには信心も必要ないようなw汗 って言うかむしろ邪魔と言うかw
> このことの、わめさんのお考えを、聞かせてもらえたら嬉しいです。
う〜ん、信仰する目的は、救われるとか、悟りを開くとか、成仏するってことだと思うのだけど、結局目的を果たせたらいいと思うわけで、わめは信仰心がその目的を見にくくしているように思うし、教法とか行法も目的達成の邪魔をしているように感じてしまうのです。
だから、一般的な目的達成(冷静・沈着・分析・計画・根性!等々)の手段のほうが、有効な手段ではないかと思っていたりしてw
33
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/20(木) 23:56:18
> だから、一般的な目的達成(冷静・沈着・計画性・先見性等々)の手段のほうが、有効な手段ではないかと思っていたりしてw
これも変かな・・・
(教えの)指差す方向を見る・知る・生かすかな。^^
34
:
みれい
:2005/10/21(金) 01:30:01
横レスすみません。
日蓮考察でなくて、日蓮正宗考察(日蓮本仏考察)を発見したので貼っていきます。
http://d.hatena.ne.jp/kumarin/20050920
#p1
35
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/21(金) 01:40:38
>>34
みれいしゃん、貼り付けアリガト!(´▽`)
見たらkumarinさんのブログだったわ♪
わめはコメントしてないけど、リンク先が似てることもありたまに覗いてます。(^-^)
36
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/21(金) 02:18:39
あ、みれいしゃんのリンク先は別館だったw汗
読み応えあったわ。データベースに追加♪
わめが覗いてたのは本館だったw
http://ngp-mac.com/kumarin/
37
:
地接
:2005/10/21(金) 07:52:12
>>32
>>33
わめさんのいわれることにわかる気もするのですが、
それだと、大聖人の意と違う気もするのです。
もう少し、自分で、考えたり、調べてみます。
ありがとうございました。
38
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/10/21(金) 12:43:51
地接さん、こんにちは。^^
> わめさんのいわれることにわかる気もするのですが、
> それだと、大聖人の意と違う気もするのです。
わめは、人々を救いたいと言うのが大聖人の本意であり、それにはブッダの教え以外にないと思われたのではないかと思うのです。
> もう少し、自分で、考えたり、調べてみます。
自分で考えることは大切ですね。
大聖人の仏法は、理にかなうかどうかがポイントではないかと思います。
>>34
でみれいしゃんが貼り付けてくれたkumarinさんのブログなど、大変参考になるかと思いますので、よかったら見てください。
> ありがとうございました。
いえいえ、またいつでも書き込んでください。(*´∇`*)
39
:
マターリ
:2005/11/12(土) 10:36:27
日蓮大聖人の御文について色々考えています。↓この御文を殺人教唆と言う
アンチもいます。しかし私は、「謗法をしてはいけない」という事を強調して
言っておられるのでは?と良い方に解釈したいと思っています。
しかし、この御書を何度も拝読すると、法華経の敵に対する「怒り・憎しみ」
という感情も同時に込められていることを完全否定できません。
>不殺生戒と申すは、是の如き重戒なれども、「法華経の敵になれば、
此れを害するは第一の功徳と説き給う」。・・・ 故に仙予国王は五百人
の法師を殺し・覚徳比丘は無量の謗法の者を殺し・阿育大王は十万八千の
外道を殺し給いき、此等の国王・比丘等は閻浮第一の賢王・持戒第一の
智者なり、仙予国王は釈迦仏・覚徳比丘は迦葉仏・阿育大王は得道の仁
なり(秋元御書P1075、15行目〜)
この御文から考えると、謗法の者や、外道の者は殺してもかまわない、
とも解釈できるので、困ってしまいます。
他にも考えさせられる文があります。↓
建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が 寺塔
をば焼きはらいて彼等が頚(くび)を由比ヶ浜にて切らずば、
日本国必ず滅ぶべしと申し候了ぬ。−撰時抄・真翰存在(P287、13行目〜)
この御文では、大聖人が実際に言った事実として書いてありますので、
秋元御書よりも、更に過激なお言葉だと思っています。慈悲をもって
書かれた言葉だと思っていましたが、何度くりかえして拝読しても
念仏者・禅僧に対する憎しみの心が伺えるのです。
40
:
Leo
:2005/11/12(土) 22:21:11
マターリさん、こんばんは。
>この御文から考えると、謗法の者や、外道の者は殺してもかまわない、
>とも解釈できるので、困ってしまいます。
「富士門流の掲示板」見ていたら、御書のそのような部分は涅槃経をもととする「ポア」思想とのことです。
現代、原理主義的に(完全に)「御書根本」「大聖人直結」でそのような部分を用いるとそれこそ大変なことになってしまいます。
現代人は「自分の頭で考えて」取捨選択すべきでないでしょうか。大聖人は言います、
「師なりとも誤ある者をば捨つべし又捨てざる義も有るべし世間仏法の道理によるべきなり」
(「曾谷殿御返事」)
41
:
マターリ
:2005/11/12(土) 22:35:47
>Leoさん、レスありがとうございます。自分の頭で取捨選択するよう
努めてみます。m(__)m
42
:
Leo
:2005/11/12(土) 22:44:17
A) 大聖人の教え一字一句(原理主義的に)まもる。
B) 大聖人は仏教を復興しようとしていたのだから現代知りうる情報に照らし合わせてそれを試みる。
一瞬A)の方が尊いように思えるでしょう。しかしB)の方が大聖人の意にかなっているように思えるのです。
A)は静(死)の信心、B)は動(生)の信心といえましょうか。
43
:
Leo
:2005/11/12(土) 22:53:59
マターリさん。
人間誰しも間違いはあって、私の考えにも間違いは多々あるでしょう。
重要なことは各人が自分の頭で考え各人が自分の選択を行うことだと思います。
色々なことで納得いかないのに従うということはよくないことだと思います。
各人が自分の頭で考え各人が自分の選択を行えば(自然なことかもしれませんが)、
個人だって、宗教団体だってだんだんよくなっていくと思います。
44
:
Leo
:2005/11/12(土) 23:08:24
連続投稿になってしまいますが...
宗教団体や宗教というと、一般的には、自分で考えるのが限界だから(自分で考えるのはやめて)、
超越的存在や指導者におまかせしようという面があります。
ですので私の言ったことは矛盾です。なのにどうして矛盾することを言うのかというと、
超越的存在や指導者は直接的にはなーんもしてくれないからです(少なくとも私の知っている範囲では)。
で各自自分でなんとかしなければならない。ということでそういう発言をしました。
45
:
マターリ
:2005/11/13(日) 21:05:08
あるメールマガジンからの転記です。↓
日蓮より先の時代、天台の源信(942〜1017)の書物に「南無妙法蓮華経」
との題目が見られる。
この「南無妙法蓮華経」の題目を、ひたすら唱える事を勧めたのが日蓮で
ある。
これが本当だとすると、日蓮大聖人が「南無妙法蓮華経」を発明したという
説がくつがえされてしまうのですが、皆さんの見解はいかがでしょうか?
46
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/11/13(日) 21:24:52
>>45
マターリさん、南無妙法蓮華経は鳩摩羅什が法華経の題号とされたのが最初じゃないかな?
『題目は呪文ではない』
http://freett.com/Libra0000/z024.html
『題目論メモ』
http://freett.com/Libra0000/z019.html
47
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/11/13(日) 21:26:50
>>46
鳩摩羅什が訳した法華経の題号は妙法蓮華経ですね。(南無なし)(^^;;
48
:
湛寂
:2005/11/13(日) 22:27:43
>>45
「南無妙法蓮華経」を広く他にも勧める、このことを初めてしたのが日蓮であるという主張はされているが、
「南無妙法蓮華経」を日蓮が発明したという説はそもそも最初から存在していない。
49
:
マターリ
:2005/11/14(月) 18:14:02
>わめさん、湛寂さん、レスありがとうございます。湛寂さんは、他の
掲示板での「湛寂の潭に溺死さん」でしょうか?
>わめさん、HPを拝見しました。「南無妙法蓮華経」は、釈尊の教えの
エッセンスが凝縮されている、とのことでした。しかし、法華経自体が
釈尊滅後、500年経過してから作られた創作文学である、ということの
ようです。また、日本に入ってきた仏教は、大乗経のみで、釈尊直伝の
小乗経が全く日本へは入って来なかったとのことです。
これらの事を考慮に入れた場合、「南無妙法蓮華経」の有効性をどのよ
うに考えたら宜しいのでしょうか?私としては、「南無妙法蓮華経」を
より確信をもって唱えたいと思っています。
50
:
わめ
◆TJ9qoWuqvA
:2005/11/15(火) 04:16:09
マターリさん、おはようかこんばんはか悩む時間のレスですw(^^;;
ボリュームがあるかもしれませんが、『法華経について』スレを、リンク先をも含め一度目を通して頂くのがいいかもしれないと思います。m(_ _"m)ペコリ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1120491109/
51
:
湛寂
:2005/11/16(水) 01:28:03
>>49
湛寂の潭に溺死です。
どうにも長いのと、誤解を生みやすいため省略することにしました。
>日本に入ってきた仏教は、大乗経のみで、釈尊直伝の
>小乗経が全く日本へは入って来なかったとのことです。
阿含経が最初期から伝わってきていますので大乗経のみということはありません。
また小乗も部派の洗礼を受けており、直説と捉える見方には飛躍があります。
スッタニパータは近年になってからようやく伝わったようです。
52
:
マターリ
:2005/11/16(水) 23:46:51
>湛寂さん、レスありがとうございます。阿含経は伝わっていたんですか。
小乗経が直説でないということですが、そうしますとスッタニバータが
直説と考えて宜しいのでしょうか?またスッタニバータとは、漢字では
何経と読むのでしょうか?
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