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池田名誉会長vs創価学会

21Leo:2005/10/17(月) 23:57:44
幸福についての説明ではないですが、幸福とは何か考えさせられるものなので、Libraさんに教わった一節を紹介してみます。

(宗教団体も同様に)世界の人々(他人)を幸福にしようとすることはしばしば反対の結果を招くものであって
(押し付けであり不寛容を導き宗教戦争にいたる)
むしろ必要なのは「救助を必要とする人びとを助けること」とのこと。

「ポパーの念頭にある倫理は、基本的には、より高い価値を鼓吹するものではなく、
 もろもろの悪に対して直接的な手段で緊急に闘うべきことを教えるものである。
 道に病で倒れた人がいるならば、ただちに治療にあたるよきサマリア人の行動こそが彼の胸中にある倫理であろう。」
(小河原誠 『ポパー─批判的合理主義』 講談社)

「さて幸福の追求が私事の領域に属するのだとすれば、公的課題となるのは避けることのできる苦しみ(suffering)の最小化である。
 ポパーはこれを語るとき、人びとは何が善であるかについては容易に意見の一致をみることはないが、
 何が悪であるかについては比較的容易に意見の一致をみるという状況を念頭においている。
 たしかに、大災害のもとで苦しんでいる人たちをみれば、まず被害者の苦痛を取りのぞかねばならないという点で人びとは容易に一致するであろう。」
(同上)

「人びとを幸福にしようとすることは、「われわれの『より高級な』価値尺度を他人に押しつけ、
 そして彼らにわれわれにとって最大に意義をもっているものを彼らの幸福だと思わせ、そしていわば彼の魂を救済するという企てを不可避的に招く。
 それはユートピア主義とロマンチシズムとにいたる。われわれのうちの誰にせよ、あらゆる人々がわれわれの夢の美しい完璧な共同体で幸福になるだろう、
 と確信している。そして、疑いもなく、われわれのすべてが相互に愛し合えるならば、地上に天国が出現するであろう。
 だが、……地上に天国を作ろうとする企ては不可避的に地獄を産みだす。その企ては不寛容を導く。
 その企ては宗教戦争にいたり、そして、魂の救済を異端審問をつうじて行うにいたる。
 そして、私見によれば、その企てはわれわれの道徳的義務の完全な誤解にもとづいているのだ。
 われわれの義務はわれわれの救助を必要とする人びとを助けることであって、他人を幸福にすることはわれわれの義務ではない。
 なぜなら、他人を幸福にすることはわれわれの義務ではありえないし、
 それはまたしばしば、われわれがそのような心やさしい意図を向ける人びとのプライバシーを侵害することでしかないであろうから」。」
(同上)


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