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池田名誉会長vs創価学会

1わめ@管理人 ◆TJ9qoWuqvA:2005/07/01(金) 17:27:16
私がスレタイのようにvsと書いたのは、池田名誉会長と創価学会の思想が一致していないと思うからである。
それは池田先生の対外的な講演・提言(SGI提言を含む)の内容と、聖教新聞に書かれている内向け記事とに大きなギャップを感じるからである。

参考資料 http://www.sokagakkai.or.jp/peace/teigen/index.html

もちろん聖教新聞紙上に、池田先生のSGI提言などは掲載されるわけではあるが、そのSGI提言の解説や、提言を受けての学会員に対しての指導などは掲載されない。
地域組織においても、これらを通しての指導などは皆無である。
池田名誉会長が提言で強調されていることは人間主義である。個々の人間において主体者はその人間であり、宗教や思想・政治イデオロギーなどは、この人間主義の基盤が絶対的前提条件であると。
このことはまたときには、人間主義の欠落による宗教の功罪の罪の部分、ドグマに陥ることへの警鐘も鳴らされている。
余談になるかもしれないが、池田名誉会長の種々の提言内容が、池田名誉会長お一人で作られたものではなく、側近幹部や東洋哲学研究所等の研究員の論が反映されているものと思いますが、その論を池田名誉会長自らの意思で採択されていることは間違いないのではないかと思う。

続きは後日

2わめ@管理人 ◆TJ9qoWuqvA:2005/07/01(金) 17:50:42
おっと
読み返してみると私が池田名誉会長を正しく思って、これ以後創価学会が間違ってると書くと予想されそうw
まぁ創価学会が間違ってると書こうとは思っているのだけど、「池田名誉会長は正しい」とも思っていない。

そこで補足

池田名誉会長の同中での発言の中には、「勝つことが正義・断じて勝利すること」などの発言も目立ちます。
これは内外に分けて発言内容を使い分けているように感じる。
私には池田名誉会長の本心がどっちにあるのか分からない(どっちも本心?)。
なので私としては、池田名誉会長の対外的な講演・提言の内容には共感し、内向けの発言(勝つことが正義・断じて勝利すること等)には遺憾である。

以上補足でしたw

3わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/07/05(火) 14:05:19
ペガサス師匠の掲示板から、わめの書き込みを転載
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投稿者 : わめです 投稿日時 : 2005/07/05 12:57
○○さん、お久しぶりです^^

>たとえば法華経を「ファンタジーだ」と、頭で一度置き換えて信じることと、
>法華経をそのまま本当の真実して信じることに、
>差異があるのかなぁ、と考えたことがあります。

わめ的にはある意味法華経は詐欺行為であるように思えますが。(^^;;
日蓮大聖人も真実を知れば騙されたと思うだろうし、もっと広い視野で仏教を知ることができてたのではないかと思います。
私の法華経についてのコメント
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1120491109/

>「盲信的であっても本人が幸せなら、
>それを他人がとやかく言うことは出来ないわなぁ」
>というような考えに変わりました。

いい悪いは別にして、わめも男子部時代は、先輩幹部に「お前は信心が足りない」とかとやかく言われながら育ってきました。
逆縁的ではありますが、とやかく言われなかったら今のわめはありませんし、その先輩幹部には今も感謝の気持ちを持っております。

>創価学会には確かに、盲信的な方もたくさんいらっしゃると思う。
>古くからのおばちゃんとかは、そうだと思います。
>でも、そういう人って悪なのかなぁ?
>そういう人に対しては「大人になれる方が譲ってやろうぜ」くらいに思います。

これは他人と捉えるか、身内と捉えるかで変わってくるのではないでしょうか?
相手をまったくの他人と捉えれば、わめも○○さんと変わりませんね^^
わめは盲信はもちろんのこと、信じるということさえ良いことだと思っておりません。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1109570758/

○○さんのお気持ちはわめにも分かるような気がします。
どちらかといえばわめは暴走列車、○○さんは各駅停車の普通電車で、乗客はそれぞれの思いを持ち、各々目的の駅までの間、景色を見たり、新聞・雑誌を読んだり、子供が泣いてたり、その子をほほえましく見てる人がいたり、ありきたりではありますがそこには平穏があると思います。
わめもそのような各駅停車の普通電車が大好きですし、そう在りたいと思います。
でもそのためにもわめは、その乗客たちには最低限のモラルを持ってもらいたいし、誤りを吹聴する方、誤りを信じる方にはなって欲しくないとの思いがあります。

これ以降内容が変わってくると思いますので、とりあえずここまでで書き込みます。<(_ _)>
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4わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/07/05(火) 14:07:17
ペガサス師匠の掲示板から、わめの書き込みを転載
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投稿者 : わめです 投稿日時 : 2005/07/05 13:36
○○さん、続きを書きます。^^

>現在の創価学会は、方向性としては「盲信的」な信仰を廃そうと、
>努力しているように、僕には見えます。
○○さんと表現は違いますが、わめも同じようなことを感じております。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6071/1120338128/4-n

>地方や、担当幹部によって、指導性というのは違ってくるとは思いますが、
>宗門と決別したことにより、日蓮正宗の針金教的ドグマから、
>脱却しようとしているとは思うんですよね。
>
>おおざっぱに言えばですけれど、
>現在、学会には「若い学会員」と「古い学会員」というのが存在するように思います。

またここも○○さんの「若い学会員」と「古い学会員」とは表現は違いますが、わめもそのように思っております。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6071/1120278137/31-n

>創価学会が「師弟」を強調するのは、
>良心のシンボルとしての池田大作(池田大作自体がファンタジー装置なのですが)
>を手本とすることで、従来の日蓮正宗的ドグマから、
>末端を離れさせようという意図があるように見えます。
この師弟によりドグマから末端を離れさせようとの意図があるかは分かりませんが、
>日蓮絶対主義とも言うべきものからの脱却を図ろうとしているとさえ思う。

学会総体(首脳部)と池田名誉会長とに温度差は感じますが、わめもよく似た感じ方をしています。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6071/1120338128/4-n
↑の5と9
またこちらに書いていこうと思ってます。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1120206436/

>創価学会は、ある日を境にしてズバッと日蓮正宗的なものを
>切り替えるようなことは出来なかった。
>アンチが不誠実だと指摘しますが、だんだんと教義や指導性を変えていった。
>創価学会にとっては、教義なんてどうでもいいと思っていて、
>創価学会は学会員の一人ひとりが、生き生きと生きられればいいと思っている。

教義がどうでもいいとは思ってないと思いますし、また、創価学会がでもないと思いますが、池田先生は「学会員の一人ひとりが、生き生きと生きられればいいと思っている。」というより、人類全体に対してそう思ってられるように思います。

そのために苦渋ではあるが、日蓮仏法からの離脱をも視野にいれておられるんじゃないかと思います。
今年のSGI提言などでも、釈迦の直説(わめはそう思う)の縁起の法を採り上げられたり、仏教とは釈尊との思いが見え隠れしているように思います。

これは世界宗教を目指すなら当然のことで、日蓮仏法は日本特有と定義し、釈迦仏教を宣揚して行こうとの試みが感じられます。

もしそうだとすると、少なくとも現状より良い方向に向かっていると感じますが、果たしてこれら(わめの勝手な推測の)が実現できるのかはわめには予測できません。

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5ノンパラ:2005/07/09(土) 22:18:33
わめさん、ノンパラです。私も名誉会長のSGIの日の提言その他の論文と聖教紙上の座談会、そして名誉会長自身の本部幹部会
でのスピーチとの違いに唖然としています。提言その他は、今の名誉会長というより学会の知的水準(最も教養のある人らが作った作文)を示しているのでしょうが、
これはあくまで対外的な飾りというか、外部の有識者に対して学会を「良識」を知らしめるための材料として使っているのでしょう。

ただ、名誉会長VS創価学会という図式ではなく、名誉会長の指示に会長以下が従順に従って、あのような下劣な紙面を作っているのではないかと思っています。
「徹して悪を攻め抜け」とか、名誉会長はよく言いますが、その線に沿って、学会の仇敵である竹入氏等が何度も何度もやり玉に挙げられているのでしょう。

6ノンパラ:2005/07/09(土) 22:22:05
外部の有識者に対して学会を「良識」を知らしめるための
→外部の有識者に対して学会の「良識」を知らしめるための
の間違いです。

7わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/07/10(日) 00:32:22
ノンパラさん、いらっしゃいませ♪のわめです。^^

聖教紙上の座談会や本部幹部会でのスピーチ、また種々の学会内での会合での発言は、ノンパラさんの言うように名誉会長VS創価学会という図式ではないでしょうね。

また提言等が名誉会長の本心かと言えば、これはわめにはわからない。
ノンパラさんの言うように、「外部の有識者に対して学会の「良識」を知らしめるための」と言うのも十分考えられると思います。

ただ、老い先の短い名誉会長ですので、最後の総仕上げを強く考えられておられるように思うのです。
それは世界広布、SGIの発展に思いを強く募らせていること、この点はノンパラさんの視座にない要素かもしれません。
老い先の短い名誉会長との認識は、学会首脳陣にももちろんありますが、そこから導き出される答えは、名誉会長亡き後も創価学会が、現在と変わらず存続し続けられることだと思います。
学会職員などは公務員並み(もしくは以上に)に高所得で厚生面もかなり厚く、まして学会首脳となるとそれはもう・・・。
学会首脳にとって、創価学会は自分達が経営する会社であり、その重役であるわけです。学会職員にとっては自らが勤務する会社です。
この者達の会社である創価学会は、学会関連企業や一流企業と深い繋がりがあり、自身の身内の就職先となり、その身内も含め、その者たちは明るい未来が約束されたものとなっております。

老い先の短い名誉会長は最後の総仕上げを目指し、学会首脳は創価学会の存続を願う。
そこに創価学会に対する温度差が生じているとわめは見ています。

推測の域を出ない話はこの辺にして、いずれにしてもわめには、創価学会が今後発展・維持されていくとは思えません。いずれ衰退・分裂・崩壊していくことは間違いないことだと思っております。

ノンパラさん、ご意見ありがとうございました。

8フルナ:2005/07/10(日) 09:58:58
わめさん、おはようございます。

「あちら」で、池田氏を叩き過ぎて自分が叩かれてしまったフルナです。そんな訳で、ちょっと落ち込んでいます。すみません、ただの愚痴で・・・。

9フルナ:2005/07/10(日) 10:10:19
独り言です。

自分は池田氏など何とも思っていないと言う。池田氏を神格化していないから脱会できたのだと言う。それでも、池田氏を否定されると、自分の人格が否定されたような錯覚に陥る。

本人が気づいていないだけで、未だに池田氏の呪縛から開放されていないんですよね。ぼくは、そんな人に向かって、これ以上何も言ってあげることができない。無力感を覚えます。

10わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/07/10(日) 10:34:28
フルナさん、追い討ちをかけるわめです。ヽ(・∀・)ノ アヒャッ!!

MCが残る人には、フルナさんの池田氏叩きは精神的にダメージが大きいように感じます。
MCを受ける環境から離れた人には、自然にMCが解けていくのを待つことがいいのかもしれませんね。^^

また、過剰な池田氏叩きはどこぞの紙上座談会のように、MCにかかってる人や、学会にそんな問題を感じていない人にとっては、叩いてる側の良識を疑われることにもなりかねません。
MCが解けた?と思ってるわめから見ても、そう感じちゃうことがあったりします。(^^;;

フルナさんも法華経の寛容さについて議論なさってた時、わめに失望したと書かれましたよね。
法華経の寛容さを池田氏に置き換えてみるといいかもしれません。

追い討ちかけて申し訳ありませんが、建設的な追い討ちですので、何卒ご容赦ください。m(_ _"m)ペコリ

11フルナ:2005/07/10(日) 11:00:52
よくわかりました。貴重なアドバイスありがとうございました。

12わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/07/10(日) 11:23:31
フルナさん、過剰な追い討ちをかけてしまったわめです。ヾ(_ _。)ハンセイ…

フルナさんには、MCにかかり、仏教を間違って捉えて返って不幸になっていく方を、見過ごせないとの強い意志を感じます。
わめも、そのフルナさんの強い意志には、大同小異はありますが共感を覚える者です。

フルナさんの強い意志の上からも、MCが解けていく環境にある方を暖かく見守ってあげることは、その意志に反することでないと思いますので、元気を出してこれからもその意志を貫いていってください。

~~~ヾ(〃^∇^)o キャー!ファイトォー!!

13フルナ:2005/07/10(日) 11:30:52
>>12

わめさん、ありがとうございます。
そうですね、こういうときにこそ、「巧みな手だて」が必要なのかもしれません。

14きょうこ:2005/07/21(木) 00:28:48
あ…
フルナさんがこんなところで落ち込んでいたとは…
ごめんなさい。
MC解除委員長のきょうことしては、
フルナさんの書き込みはとっても助かったんです。

BBSって、相手がいないと書けないですし。
そして、どんな書き込みにも、
きっと後で共感するヒトがいると思うんです。
フルナさんと同じように思っている人は本当はたくさんいると思います。
ただ、私もいまだに、
批判意見を書き込むだけで心臓がバクバク言うんです。
これは、頭でどう思っていようと、体が反応しちゃうんですよね。
高所恐怖症とか、そういう感じで。
ですから、あの時はMC解除前の人達の身になって書きました。
(今はブログなんてやっちゃってますから、
 もう早死に覚悟です(笑)心臓との戦い。)

フルナさん、ご覧になっているといいけど…
とにかく、申しわけありませんでした。

15フルナ:2005/07/23(土) 21:02:45
>>14

きょうこさん、こんばんは。

きょうこさんに指摘されるまで、MC問題の難しさに気づかなかったのは事実です。ですから、どうか気になさらないでください。むしろ、いろいろと勉強させてもらって感謝しています。

池田氏が、このMCの手法を意識的に実行してきたのか否かはわかりませんが、もし計画的だとしたら本当に許せないですね。

ともあれ、学会被害者をこれ以上出したくないという思いは共通ですよね。これからも協力していきたいものです。

17Leo:2005/10/17(月) 01:11:59
恩師(戸田氏)の二十三回忌に思う -- 池田氏
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/ikeda_toda23.html

「第67世日顕上人猊下への変わらぬ赤誠の御奉公を、お誓い申し上げる」
「永遠に代々の御法主上人猊下を仏法の師と仰ぎ奉り」
「もとより日蓮正宗総本山を離れて、創価学会は、永久にありえないのであります」

こんな引用して別に正宗の擁護をしようとするわけではありません。
正宗の法主は法主で教学部長時代(シアトル事件じゃなくて)
http://page.freett.com/Libra0000/102.html
「大石寺の教学部長の某師がその反論を書かれたが」(昭和51年当時)
「この某師の論調は全体がこのような責任のない無根拠の小児的主張にのみ始終している」
のように日蓮宗の学者から「小児的」といわれてしまっている。
(日蓮宗の学者を買いかぶるわけではないけど学会以外の批判例なので)
教学部長が次の法主になる慣習や、第二次宗門問題以前、特に第一次宗門問題以前は
法主は学会寄りの姿勢だったとのことだし、第一次宗門問題では学会を
利用して正信会を切った(正信会は正信会で主張は正論かもしれなかったが週刊誌を引用したり
不寛容でやり方がまずく学会のトラウマとなっただけだった)。
で、恩師の二十三回忌に「猊下へ赤誠の御奉公」ですよ。
その後の第二次宗門問題では法主と名誉会長が喧嘩したとかで、名誉会長が会合で法主を
非難しはじめて、その後破門となった(どっちも大人のやることなのか?どうも腑に落ちません、
小児と喧嘩するのは小児だからどっちも小児ということ?)。
こんなことではイカンザキですよ。

それにしても永久とか永遠とは一瞬なんですね。

18Leo:2005/10/17(月) 01:30:49
最近思うこと

学会指導(文字)で「幸福」という言葉が目に付く。

「絶対的幸福」とはMC理論でいえば「思考停止」じゃないかとか。
学会員って、男子部を思い浮かべると皆悩み抱えていて苦労しながら頑張っていた。
安易に「幸福」という言葉用いていいのかい。それとも、
運転手付外車の後部座席に乗車し、専用の料理人付き、会員から歓呼、世界の要人と対話
してるのが「幸福」っていうのかい。

(注: 私は特定の人物に別に「嫉妬」しているのではなく「幸福」という言葉の学会指導での
安易な使用に怒っているのである)

苦労を乗り越えるのが幸福だっていうのだったらわかる。ガンジーは半裸でガリガリで
糸をつむぎながらインドの独立を勝ち取った。キング牧師は公衆の面前で演説したり行進したり
して公民権運動を叫んだ。どちらの方も最後は倒れたが人の心に永遠に残った。
どっかで勘違いしている人がいるのかなー(展示会やれば偉人のお仲間になれるのかなー)。

19青空(男):2005/10/17(月) 13:18:20
細かく幸福って何かを説明する事は難しい・・・。

人それぞれの幸福・・・幸福や夢や希望を忘れるな!という意味合いがあるのかな?

苦難を乗り越えて掴んだ幸福って、何時までも心に残るんですよね。

20Leo:2005/10/17(月) 23:44:10
青空(男) さん、こんばんは。

>細かく幸福って何かを説明する事は難しい・・・。

あとでLibra師匠に教わった資料を紹介してみます。

>人それぞれの幸福・・・幸福や夢や希望を忘れるな!という意味合いがあるのかな?

幸福って個人ひとりひとりのものかもしれないですね。

>苦難を乗り越えて掴んだ幸福って、何時までも心に残るんですよね。

やはり「法華経を信ずる人は冬のごとし」「冬は必ず春となる」でしょうか。

21Leo:2005/10/17(月) 23:57:44
幸福についての説明ではないですが、幸福とは何か考えさせられるものなので、Libraさんに教わった一節を紹介してみます。

(宗教団体も同様に)世界の人々(他人)を幸福にしようとすることはしばしば反対の結果を招くものであって
(押し付けであり不寛容を導き宗教戦争にいたる)
むしろ必要なのは「救助を必要とする人びとを助けること」とのこと。

「ポパーの念頭にある倫理は、基本的には、より高い価値を鼓吹するものではなく、
 もろもろの悪に対して直接的な手段で緊急に闘うべきことを教えるものである。
 道に病で倒れた人がいるならば、ただちに治療にあたるよきサマリア人の行動こそが彼の胸中にある倫理であろう。」
(小河原誠 『ポパー─批判的合理主義』 講談社)

「さて幸福の追求が私事の領域に属するのだとすれば、公的課題となるのは避けることのできる苦しみ(suffering)の最小化である。
 ポパーはこれを語るとき、人びとは何が善であるかについては容易に意見の一致をみることはないが、
 何が悪であるかについては比較的容易に意見の一致をみるという状況を念頭においている。
 たしかに、大災害のもとで苦しんでいる人たちをみれば、まず被害者の苦痛を取りのぞかねばならないという点で人びとは容易に一致するであろう。」
(同上)

「人びとを幸福にしようとすることは、「われわれの『より高級な』価値尺度を他人に押しつけ、
 そして彼らにわれわれにとって最大に意義をもっているものを彼らの幸福だと思わせ、そしていわば彼の魂を救済するという企てを不可避的に招く。
 それはユートピア主義とロマンチシズムとにいたる。われわれのうちの誰にせよ、あらゆる人々がわれわれの夢の美しい完璧な共同体で幸福になるだろう、
 と確信している。そして、疑いもなく、われわれのすべてが相互に愛し合えるならば、地上に天国が出現するであろう。
 だが、……地上に天国を作ろうとする企ては不可避的に地獄を産みだす。その企ては不寛容を導く。
 その企ては宗教戦争にいたり、そして、魂の救済を異端審問をつうじて行うにいたる。
 そして、私見によれば、その企てはわれわれの道徳的義務の完全な誤解にもとづいているのだ。
 われわれの義務はわれわれの救助を必要とする人びとを助けることであって、他人を幸福にすることはわれわれの義務ではない。
 なぜなら、他人を幸福にすることはわれわれの義務ではありえないし、
 それはまたしばしば、われわれがそのような心やさしい意図を向ける人びとのプライバシーを侵害することでしかないであろうから」。」
(同上)

22青空(男):2005/10/18(火) 13:32:19
>道に病で倒れた人がいるならば、ただちに治療にあたるよきサマリア人・・・

この文は 聖書で読んだ事があります。
倒れている病人の前を、いろんな人(聖職者等・・)が通り過ぎるのだけど、皆、前を通り過ぎて行ってしまう・・・唯一、その病人を助けたのは、皆に嫌われている人(民族?)で、その病人を介抱し、お金まで渡して、最後までキチンと面倒を見るんだですよね。

で、話が前後するんだけど、良き隣人とは誰かと聞いたラビに対して、どちらが良き隣人ですか?とイエスが問いかけるんですよね・・・だったかな?
聖職者や金持ち(宗教や権力者等の権威等)が素通りしていく中を、皆が世間で爪弾きしている人が行った行動を例に取ったイエス・・・

信仰とは、心を豊かにするものでありたいですね。

キリスト教を信じる人が天国に行くのではない、心や豊かな人々の住むところが、即ち天国にいるという事なのだと思います。
教団の存在を考えると、決して他者を幸福にする為にではなく、互いに頑張っていく仲間のいる学校・・・というような所なのかもしれません。

仏法では、菩薩は自らは仏になる為に切磋琢磨して、その間に得た智慧で衆生に利益を与えると言います。
仏は、何経だったかな? 衆生の願いに応じて、仏が現れる。と言ってますね。
要請無しには現れないのですよね。
よし、幸福にしてやるぞ と現れるのは、仏法を知らない、自分の力を過信した驕慢謗法の魔仏という事だと思います。

23Leo:2005/10/19(水) 00:16:28
>この文は 聖書で読んだ事があります。

[10:29] しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。
[10:30] イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。
追いはぎはその人の服をはぎ取り、 殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。
[10:31] ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
[10:32] 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
[10:33] ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、
[10:34] 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
[10:35] そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。
『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』
[10:36] さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
(ルカによる福音書 www.fsinet.or.jp/~yoyoue/bible/luk.htm)

ですね。イエスも尊極の衆生であり菩薩の行動なのですね。

>キリスト教を信じる人が天国に行くのではない、心や豊かな人々の住むところが、即ち天国にいるという事なのだと思います。

天国は心の中にあり心や豊かな人々の住むところが天国となるということですね。

>教団の存在を考えると、決して他者を幸福にする為にではなく、互いに頑張っていく仲間のいる学校・・・というような所なのかもしれません。

学校で習うことが社会でそのまま通用するわけではないがよき仲間がいる。学校であればいつかは卒業するという感じでしょうか。

>仏は、何経だったかな? 衆生の願いに応じて、仏が現れる。と言ってますね。

聖書でも同様に「求めなさい。」とのこと。

[11:09] そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
[11:10] だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
(ルカによる福音書 www.fsinet.or.jp/~yoyoue/bible/luk.htm)

今日は聖書の話になってしまった...

24青空(男):2005/10/19(水) 00:31:40
Leoさん、ありがとう。

最近の自分は、何か心がスッキリしなくて・・・。

考えすぎて、物凄いおかしな自分がいたり、自分に素直になれない時があったり。

自分を見失っていそうで、怖くなったり・・・。

でも、そんな未熟な私に、目を留めて、優しく諭してくれました。

ホントにありがとう。

25Leo:2006/01/29(日) 01:40:30
わめさん、こんばんは。

今年も池田氏の「SGIの日記念提言」が発表されましたね。
いつも「SGIの日記念提言」はまあまあよいこと書いているという意識しか
なかったのですが、以前あるアンチの方が「SGIの日記念提言」から創価学会の基本方針
が読めると仰っていたので創価学会を批判的に思う方々にとっても意味があるのではないで
しょうか。

まず「欲望をむき出しにした裸形の個人」についてですが、少なくとも私の周りでは
創価学会員の方もそうでない方も「欲望をむき出しにした裸形の個人」に該当するような方は
いないように思います。「欲望をむき出しにした裸形の個人」に該当する方が誰かいないかと
考えると名誉博士号などを収集している方とかあるいは最近ニュースをにぎわせている方など
が「欲望をむき出しにした裸形の個人」なのかなというメッセージが浮かび上がって来る
ようにも思います(彼らは結構な贅沢をしている(た)といわれているという意味で、
私の勘違いであればよいのですが)。

「人間の尊厳を国連強化の柱に」「日本は環境立国の道を」うーむ。なんだかあたりまえすぎる
ような。で最後の方に「日中友好」「韓日友好」「北朝鮮の核開発問題の解決を」そうかそうか
やはりそうなんだと(現状の中国や韓国の反日教育や反日感情をどうするんじゃい?)。
で最後に「目覚めた民衆の連帯で平和の文化を時代精神に」ですか。
何に目覚めているのかようわからん。日本って戦争に負けて「目覚めて」「平和の文化」
だったんじゃないでしょうか。すでにそうだったものをディレイをもって今やるって
懐メロやリバイバルのような価値なんでしょうか。わかるようなわからないような。

少なくとも「平和」について考えてみるのはよいかもしれません。
現役の創価学会員の方に色々説明して貰えないかなあ?

26Leo:2006/01/29(日) 01:53:39
...ですが引用されている
「ミレニアム生態系アセスメント」
「京都メカニズム」
「世界の子どもたちの平和の文化と非暴力のための国際10年」
は注目ですね。

28愛と平和:2006/03/17(金) 10:43:36
 はじめまして、投稿させて貰います。
池田名誉会長=創価学会なのでしょう。何故なら、池田名誉会長は、「創価学会の永遠の指導者」
です。従って、池田名誉会長の人間性を研究すれば、創価学会も理解出来ます。
「池田名誉会長の人間性」は、「宗教の永遠の指導者」ではありません。
その証拠に、池田名誉会長は、自分のせがれを創価学会の後継者にしようとしています。
この時点で、創価学会は池田名誉会長の個人教なのです。

29青空(男):2006/03/18(土) 15:29:16
はじめまして、青空と申します。

イケダセンセーの人間性を知るとは?

どの様な情報を基として、自他共に認めることの出来る正しい情報としますか?

また、せがれを後継者とはどういうことですか?

私は学会に不信を抱くものですが、学会の何をあなたは知っているのですか?

できれば、あなたの立場を明確にして、何故 その様に思うか話してください。

30愛と平和:2006/04/06(木) 17:31:40
  創価学会とは、池田大作の個人教です。
その証拠に、創価学会は何処の宗派にも所属していません。
以前に、日蓮正宗から破門されました。

 その池田創価学会は、仏法上の夫婦関係をあみだしてしまいました。
本当に乱れてしまいました。これも池田創価学会の特徴です。

32よこ:2006/05/23(火) 07:27:54
日蓮大聖人の教えを根本にした初代牧口先生、2代戸田先生の指導を
忠実に守っているのが、池田先生です。
池田先生が勝手に言っているのではありません。
池田先生のスピーチや著作を読めば、すばらしさがわかると思います!


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