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雑談スレ2

76名無しさん@速読練習中:2007/02/01(木) 00:41:49 ID:nPG/P6/k
人間はどんなことが起こっても,自由自在に対応出来る適応力を不断に養わなければいけない。
それには絶えず自力を養成しなければならぬ。

修養のしかたによっては、人間にはいかなる能力があるかわからぬほど貴い。
研究すればするほど、人間の美質は発見せられ能力が発揮せられるのである。
学校の成績は平均点が三十点でも四十点でも、それで己は駄目だと考えてはいけない。
大いに有為有能の人材となる大理想を持ち大努力をせねばならぬ。
大努力をなすには、当然自ら苦しまねばならぬ。
苦しんで開拓したものでなければ本物ではない。
人並みの努力をしたのでは秀れた者にはなれない。

己を知る。そこに気がつけば、人のことなど苦にならなくなる。

寸陰を惜しむ。こういう心がけを持てば、
どんな境地にあっても勉強のできないことはありません。

読書して疲れるようではまだ本当でない。疲れた時読書して救われるようにならねばならぬ。

秀れた者となるためには、人の数倍の努力と苦労をしなければならない。
人の寝るところは半分にし、人の食うところは半分くらいにしても、
努力するところは人の十倍も二十倍もやるだけの元気がなければならぬ。
二十歳前後や三十歳前後は、いくら力めても疲労などするものではない。
心身ともに旺盛な時である。まかり間違って病気になったり死んだりすれば、
その時は天命と諦めるのである。学徒が学問のために死ぬのは本望ではないか。

大器晩成という言葉があるが、人は自然が晩成した大器だ。
(高等動物の中で)一番後で作ることに成功した。まあ、大器といってよい。
まさに大器晩成で、大自然という偉大な創造者が何十億年もかかってやっと作ったもの。
だから、自然の法則は人間においても同じく、人間は、早成する、
早く物になるというほど危ないことはない。人間もなるべく晩成がよい。
まあ、死ぬ頃なんとか物になるというくらいの覚悟でぼつぼつやるがよい。

明の李二曲は“黙養”の修行をした。べらべら口をきかない、
ついには「三年軽々しく一語を発せざる」に至るという。
黙するということは内に力を蓄えることだ。かくして発せられた言は
人を信服させるに足る。自然においては静寂、人においては沈黙がよいものだ。


私は数えで六十四歳だが、七歳のときに四書――『大学』『中庸』『論語』『孟子』の素読を始めてから、
もう五十七年も本を読んでいるわけだ。そうすると思想的な書物、精神的な書物は、
手に取って見ると、この本はいいとか、この本はだめだということを直覚する。
読んでみてから、いい本だなと思うようでは、そもそも話にならない。勘が鈍い。

学問は人間を変える。人間を変えるような学問でなければ学問ではない。
その人間とは他人のことではなくて自分のことである。
他人を変えようと思ったならば、先ず自分を変えることである。


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