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昇鶴の舞

1スイフト:2009/07/06(月) 02:06:43
許す・許しは許しを求める者が相手を同じ人として人権・尊厳を認めたうえで、相手に対して自分の犯した罪を認め許しを請う(または償う)事により、出口が無く苦しんでいた被害者の魂が開放された(尊重されたと感じた)とき初めて許されるものだと考えている。が
これは、親子・親友など魂が接近しょうとする者同士の間の事と考える。加害者の真摯な態度により、新しく加害者への信頼が被害者の中に生まれる。このとき・この後も加害者が卑屈になる必要は無く、加害者・被害者共に人としての尊厳は保たれるべきだし、其の方がその後の両者の関係がより良く発展的なものに進みやすいと息子と自分との関係で考えたものだが、この物語のように加害者の被害者に対する本質は変わらないが、加害者が表層的な許しを請う気持ちを示せば、その集団・その人間関係が持つ目的(この物語では良き国創り)と被害者の目的が同じならば、この事はお互いの人の習性・今後の学びとして胸に収め、許し共に目的のため励むとした方が良いのだな。と家庭の経験と此の物語を合わせて考えました。

2呟き尾形:2009/07/06(月) 06:20:19
>>1 スイフトさんへ

>出口が無く苦しんでいた被害者の魂が開放された(尊重されたと感じた)とき初めて
>許されるものだと考えている。
 そうした許しの形はあると思います。
 とくに、スイフトさんが
>親子・親友など魂が接近しょうとする者同士の間の事と考える。
 とおっしゃるように、親密な関係において、何らかの過ちがあった場合特にそう
だとおもいます。

>この事はお互いの人の習性・今後の学びとして胸に収め、許し共に目的のため
>励むとした方が良いのだな。
 こうしたことは、理想的なことだと思います。
 こうしたことを、昇鶴の舞という物語から読み取っていただき、ありがとうございます。


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