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二・二六事件の日

1呟き尾形:2006/02/26(日) 18:54:09
二・二六事件の日

 1936年(昭和11)年2月26日。
 二・二六事件が発生しました。
 二・二六事件は、日本において、陸軍青年将校ら1483名が「昭和維新」「尊皇討奸」をスローガンに起こしたクーデター未遂事件です。
 この事件は、陸軍の青年将校の一部が、政治腐敗・不況等の現状を打破する必要性が声高に叫ばれるなか、陸軍将校としての地位を利用して下士官兵を用いて、元老・
重臣らを殺害する計画を立てたものだといわれています。
 つまり、陸軍の皇道派の青年将校が、対立していた統制派の打倒と国家改造を目指したものだったといえます。 
 二・二六事件に参加した一部青年将校らは、当時、主に歩兵第1連隊及び歩兵第3連隊に属していたそうです。
 そのような中、第1師団の満州への派遣が内定します。
 第1師団が渡満する前、つまり、自分たちが多くの軍隊を持っているうちに、決起することを決断したそうです。
 そして、1483名名の部隊を率いて首相官邸等を襲撃となったそうです。
 二・二六事件は、の始まりは、夜明け前の出来ごとだといわれています。そして、重臣、朝日新聞社を襲撃します。
 襲撃先の抵抗を抑えるため、圧倒的な兵力や機関銃を動員しており、概ね抵抗を受けることなく襲撃に成功しました。
 しかし、首相官邸などでは、警備の警察官又は憲兵の激しい抵抗を受け、これらの警察官又は憲兵を殺害したそうです。
 この襲撃によって、大臣であった斉藤実、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎教育総監等を殺害し、時の侍従長鈴木貫太郎に重傷を負わせました。
 更に当時、総理大臣であった岡田啓介、前内務大臣の牧野伸顕は襲撃されたが幸いにして助かり、元老であった西園寺公望もぶじにこの難から逃れることができました。
 この決起の大義名分は、「・・内外重大危機の際、元老、重臣、財閥、官僚、政党の国体破壊の元凶を芟除し以て大義を正し、国体を擁護開顕せんとするに在り」(陸軍省発表)ということでした。
 この事件によって、一時、永田町一帯が占拠されました。
 政府はあまりのできごとに動揺、どう対処していいか分からずに右往左往したそうです。
 そのなさけなさに、めったに政治的な問題で意見を言わない昭和天皇が「彼らは賊軍である」と断定、「反乱軍をただちに鎮圧せよ。お前達にできないなら自分が近衛部隊を率いて鎮定に当たる」と激怒の言葉を発します。

>>2 へ続く

白い時計塔のある村
http://homepage2.nifty.com/SON/index.htm


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