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★貧困者に必要な支援
1
:
名無しさん
:2019/07/27(土) 23:18:02
貧困者にとって「望ましい支援」とは何なのか
専門性を持つ支援者が相互協力すべきだ
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鈴木 大介 : ルポライター
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2016/10/06 6:00
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養育者が養育者として機能していない世帯の子どもに必要なケアとは?
メジャーメディアの的外れな貧困報道に異議を唱えるところから始まった本連載も、第10回の今回で終わる。最終回は、当事者取材のみを続けてきた筆者の目線から、貧困の当事者にとってどんな支援が好ましいのかを提案させていただこう。
稚拙な案も含むが、憂慮すべきは支援者と当事者の距離感。現状では貧困当事者側から手を振り払われてしまう支援が多いという事実だ。ということで、提案の根拠は、なにより当事者のQOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活や人生の質)とする。
育児放棄された子どもは餓死する
まずは子ども、それも未就学と義務教育世代について。ここは各論に入る前に大前提の見直しをしたい。
この連載の一覧はこちら
「6人に1人の子どもが貧困」という数字の根拠が、親権者養育者の相対的貧困率だったために、先だっての貧困女子高生騒動などでも「そもそも先進国日本の相対的貧困は貧困なのか」とか、日本に餓死する子どもはいないといった言説も流れるが、この論はちょっと噴飯ものだ。
考えればわかることだが、親がどれほど高所得でも立派な仕事に就いていても、育児を放棄し食事を用意せずに家から追い出せば(自ら出て行くしかないほど劣悪な家庭にしてしまえば)、自力で稼ぎ食物を得ることができない子どもはほんの数日で絶対的貧困のレベル、餓死のレベルにまで追い込まれてしまう。
これが育児放棄の恐ろしさ。僕自身がメディアの取材などを受ける中で、暴力を伴う虐待よりも育児放棄を軽視するような雰囲気を担当記者から感じたことが少なからずあるが、育児の放棄とは暴力とまったく同じ程度に子どもを傷つけ、そして絶対的貧困レベルの苦痛を子どもに与えることになる。
2
:
名無しさん
:2019/07/27(土) 23:18:51
なので、まず子どもの貧困については「相対的貧困」という指標は一部分を意味するものにすぎない。支援すべきは相対的貧困線を割った世帯の親子のみならず、養育者が養育者として機能していない世帯の子どもすべてだろう。それが子どもの貧困当事者でもあるし、将来の貧困予備軍でもあるから。
これが見直したい大前提だ。
この前提のうえで、未就学からローティーン世代の子どもの支援として提言できるのは、「利用したくなる居場所ケア」だ。居場所ケアについては政策サイドでも地域単位でもその必要性が高らかに言われているが、ちょっとしたズレを感じているところでもある。
僕自身もこれまでの著書で子どもの貧困に居場所ケアは必要と訴えてきたが、それはすでに家出生活の中で売春やセックスワークの中に生きるようになった少女たちへの取材の中で、「子どもの頃に欲しかったものは何か」という質問に「24時間やってる学童」「ゲーセンみたいな学童」といった返答があったのが端緒だった。
すでに非行まっしぐらの少女らの口から「学童」という言葉が出てきたのが意外だったが、実際、親の育児放棄や貧困があって非行化した子どもも、小学校低学年まではそれぞれの生育地域の学童保育(的なサービス)を利用していたケースはかなりある。
そして彼らに共通の記憶が、「なんで学童、夜開いてねーんだよ」だ。
複数の取材対象者に共通のエピソードが、こんなものだ。
小学校が終わって放課後に友達と遊ぶ。親が家にいる子は夕飯の時間までに帰るが、帰っても親がいない家の子は、腹を減らして家に帰って親を待つ。お菓子ぐらいはあることが多いようだが(一方でレトルト食品やカップ麺が段ボール箱単位であって食べ放題というのも定番エピソードだが)、独り小腹を満たして親を待つ。
低所得世帯の親の帰宅は、遅い
低所得世帯の親の帰宅はまずもって遅い。働かないから貧困ではなく、働いても稼げなくて貧困な親の世帯ほど問題が深い。低所得者ほど長時間労働だったりダブルワーカー、トリプルワーカーなのは各種データのとおりだが、夜9時10時となって帰宅して、子どもに当たり散らしたり、夫婦間のいさかいが始まったり。これが虐待のゴールデンタイムだ。そんな状況に、幼い彼ら彼女らは耐えられずに家を飛び出したり、追い出されたりする。
どこに行こう、向かう先が、夕方までいた学童保育だったり児童館だ。だけど、暗い夜道を歩いてたどり着いた学童は門が閉ざされ電気も落とされ、静まり返った施設を前に、子どもは絶望し立ちすくむ。
これが「24時間やってる学童」が欲しい理由。行き場がなくなったときにちょっと立ち寄って、親から距離を置いたり、空腹を満たすことができたり、親が落ち着いて迎えに来るのを待てるような場所だ。
一方で「ゲーセンみたいな学童」は、彼ら彼女らが小学校高学年以上になって求めるもの。上記のような家庭環境の少年少女らだが、そうした環境が継続する中で年を重ねると、それなりに居場所を得ていくことになる。それが、遅くまでいても文句を言われないゲーセン(2000年代中盤の条例改正でほぼなくなったが)、育児放棄状態で親は帰宅しないがカネと食べ物だけは用意してある地元の友達の家、そしてもうひとつが「コンビニとファミレスの駐車場」だ。
こうした場所を転々としながら、ほかの育児放棄だけどカネは渡されているという子どもにタカったり、渡されたカネを譲り合ったりで飢えをしのぐというのもまた、取材で聞き取れる定番ケース。そこで知り合った「悪い先輩」たちの影響で売春や盗みの世界に入っていくというのも、これまた定番ケースだ。
3
:
名無しさん
:2019/07/27(土) 23:21:11
そうして触法を重ね、補導を重ねるうちに、彼ら彼女らは地元の児童福祉に敵対感情を持つようになり、支援者につながりづらくなり、濃厚な貧困リスクを抱えたままで年を重ねていくことになる。
そんな彼らにとって、欲しかったのはゲーセンや漫画喫茶に食事ケアや簡易的な宿泊施設がついたもの。そこに住むのではなく、決められて通うのでもなく、居場所がなくなったときに立ち寄って利用できる、したくなるような居場所ケアというわけだ。
さて、随分と昨今議論されている居場所ケアとは毛色が違う。子ども食堂的な食事ケアはすばらしいが、一方で拡充が検討されている学童は、あくまで「学校の延長線上」であり、「ちゃんとできる子」向けである。だが、親が「ちゃんとしなさい」の「ちゃんと」の枠の中にハマる教育すら受けさせられないから、それを子どもに与える時間すらないから、貧困なのだ。放課後になってまで机に向かっての勉強タイムがあったり、持ち込む私物によっては没収があったりするような学校的な学童よりは、子どもは友人宅やゲーセン的な場所を選ぶ。
禅問答のようだが、支援者の支援の枠にハマる子どもだけが支援されるなんて支援は、支援じゃない。
「発達の機会を失った子ども」に必要なケア
このようにして、まずは子どもの利用したい形での「安全な居場所の提供」ができたなら、ここで加えたいのが「療育ケア」だ。本連載では、十分な時間と手間を与えられない貧困世帯や虐待家庭などに育つことで、子どもに非定型発達(発達遅延)が表れ、それがその後の人生の貧困リスクを高めることや、そのことが世代間を連鎖する貧困の正体のひとつなのだと指摘した。
現状で療育と言えば、幼児期に発達障害と判断された子どもに対して作業療法や言語療法などリハビリテーションの技能で発達支援をする現場を指すが、そもそも子どもが発達障害と診断されて療育センターに子どもを通わせている親は、きちんと子どもをケアしているし見ている(決して楽だとか貧困じゃないとか言っているわけじゃない)。だが療育の現場に従事するセラピストたちの技能は、上記のような「発達の機会を失った」子どもたちにこそ、いっそう必要になるケアである。ケアの効果が見込めるのは、不登校児、保健室通学児童、そして児童養護施設や児童自立支援施設、少年院で過ごす子どもたちに対してだって、その能力は大きく機能するはずだ。
苦言を呈せば、現状、この療育の専門性を発揮できるはずのリハビリテーションのセラピストたちは、その多くが高齢者のためのサービスに従事している。特に脳卒中後の高齢者がそのまま寝たきりとなって病院に居続けて医療費を増大させないための、家庭復帰を目指すためのリハビリに、最もその人材が集中しているのが現状だ。
批判覚悟で言うならば、ケアしてもすでに生産の現場には戻らない高齢者と、今後の日本の生産活動を支える子どもと、どちらを優先すればいいのかは一目瞭然ではないか。
ということで、居場所ケアと療育(発達支援)ケアは、必ず連係・両立してほしい。療育については現状、圧倒的に人的資本が足りない(というか高齢者ケアに集中している)うえに、専門医がその子どもを発達障害と診断しないかぎりサービスを受けられないので、医師の診断を必要とする法的根拠そのものに斬り込むと同時に人件費の財源確保という大問題も立ちふさがる。本音を言えば「子どもの貧困対策法」を根拠にざっくり財源確保してほしいとも思うのだが……。
4
:
名無しさん
:2019/07/27(土) 23:22:11
現状の子どもの貧困ケア改革でどうしても外せない最後の一要素、これが非常に提案しづらい部分だ。ざっくり言えば「義務教育世代から始める、就業ベースの教育」である。
昨今、子どもの貧困に対してさまざまな社会的な動きが活発化して、たいへんありがたいと思うが、その一方でちょっと無視できない論が流布しつつあるように感じている。まず現行の「子どもの貧困対策法」の大綱は、教育支援、生活支援、保護者の就労支援、経済的支援だったはずだが、予算がついたのはほとんど「貧困世帯の子どもの遅れがちな学習を取り戻す」、つまり教育支援に限定されていたように思う。
子どもの貧困=学力の低下=国の産業・生産力の低下=国家リスク。だからどんな子どもにも「勉学と進学の支援をすべき」という論。その論自体は全然間違っていないし、教育の機会均等は僕自身も随分著作内で主張してきた部分でもある。が、少々前言撤回だ。
なぜなら第一に、教育政策で救えるのは勉強が得意な子だけで、そこに集中した支援は結局「知の格差」を広げることにもつながりかねない。加えてそれ以上に主張したいのは、昨今この論は、子どもの貧困というキーワードをビジネスソースにしようとしている産業に利用されているように思えてならないということだ。
「教育産業」の食い物にされてはならない
そもそも現在の日本は、4大を卒業しても貧困リスクから免れるとはとても言えない状況にある。いわゆるFランク大学の卒業生への取材で驚いたのが、意外にも中堅大学と比較して就職率が高いように感じたこと。だが憂慮すべきは、その就職先が以前であれば高卒で就業していたような職種ばかりだということだ。
「指導講師が頑張って就職先を探してくれたんです!」
と目を輝かせる「情報処理系大学」の卒業生の就職先が、パチンコ屋のホールスタッフと聞いて、ちょっと愕然とした。
そして何より耐えがたいのが、Fランク大学に通っていた間の学費や生活費を「親がどこかに借りている」「最終的に自分で返す」という感覚が新卒者の中で当たり前の感覚になっていることだった。
そもそも彼らが大学4年間で払ったカネは、必要だったのだろうか? 数百万円の学費を借り入れて福祉系の学科を卒業した後に、月収15万円に満たない、生活保護の受給額とさほど変わらない低賃金の介護職に就く若者。その大学生活4年間は、何だったのか。そう考えたときに、猛烈な喪失感を感じざるをえないのだ。
昨今の子どもの貧困支援の中で大きな潮流である「教育改革=進学ベースの教育支援」は、間違っても「教育産業」の食い物にされてはならない。
必要なのは、進学ベースだけではなく「就業ベースでの教育支援」ではないか。責任重大なのは、小中学校と高校の教員。彼らには、単に子どもにより高い学力をつけることだけでなく、その子どもが将来、どんな職業で活躍する可能性があるのかの適性判断をし、そのビジョンに従ってコースをアドバイスしていく専門性が求められる。
5
:
名無しさん
:2019/07/27(土) 23:22:52
「教育学部を出て社会経験もなく新卒採用」された学校教員にそれは無理だという意見もあるし、子どもの貧困取材の中で学校教員に失望し切っている僕は、その声に賛同せざるをえない。だが、適性判断のガイドラインぐらいは作れるだろうし、教員にその子の将来に責任を持つ意識を抱かせるぐらいはできる。小中高の教員が、それぞれ担当した子どもの職業適性について「進級進学時の申し送り」をすることぐらいできるだろう。
これまでの著作でも僕は、セックスワーカーの女性や特殊詐欺犯罪の現場で働く男の子に突出した才能やセンスをもった子が時たまいて、この子がほかの職業に就いていたらどれほど活躍しただろうという猛烈な喪失感を感じたと書いてきた。あの無駄こそが、徒労こそが、日本の貧困なのだと思う。
続いて、成人後の貧困者支援についてだ。まず成人前、それもできればローティーン時に支援につながることが何よりなのだが、その後の貧困については、まず貧困リスクの高い層をあらかじめ捕捉し、予防線を張ることが望ましい。
「明日の生活への不安」という暴力
明日の生活への不安や日々の迫り来る支払いという大きなストレスに追われることは、いわば見えない暴力や恫喝に耐え続けるようなもので、その間が長ければ長いほど、貧困の「困」が深まり、脳にダメージを負っていく。そのダメージが深まってからでは、生活保護などの支援・扶助にたどり着いた後に、再び働「ける」ようになるまで大幅な休養(というよりは治癒)の期間が必要になってしまう。ようやく生活保護にたどり着いた時点では、もうズタボロ。
この状態はいわば、「病院がめちゃ遠い」状態だ。ケガをして病院に歩いて向かうが、その病院が遠くて、乗せて行ってくれる車もなくて、自力で歩いているうちにどんどん悪化し、全治までの時間が当初のケガよりも大幅に伸びてしまったような。これがおそらく、現状の生活保護と貧困者の最大の距離感と感じている。
ならば、このように傷を深める前に支援の手につなげるようなポイントを考えるべきだと思うのだ。
貧困リスクの高い層の捕捉は、それほど難しい話ではない。
たとえば失業保険受給者に、「万が一、生活保護を受ける際のわかりやすいガイドライン」を手渡す。ハローワークにもそうした相談部署があってしかるべきだ。精神科と貧困支援の窓口が併設されていないのは、どう考えても大きすぎる手落ちだ。
こうした捕捉のポイントは、これまでさんざん見世物コンテンツとして消費されてきた貧困当事者のケースワークからでも容易に考えつく。貧困転落リスクが高い者の特徴は、再三コンテンツ化されてきているからだ。
たとえば未婚で妊婦検診を受ける女性、DV被害から離婚を選んだ女性、過去に虐待や育児放棄環境で育ったエピソードを持つ若者。学校で給食費などの滞納や学用品の購入困難がある家庭、医療の窓口で支払い困難がある者、各種税の滞納者。
こうしたポイントで捕捉できた者たちに「いざ困ったときにはこうしたらいいですよ」と伝えることが、逆に差別的であるとか失礼なおせっかいのように言われるなら、その時点で貧困者を差別する社会から脱却できていないと自認すべきだ。
6
:
名無しさん
:2019/07/27(土) 23:23:26
足にケガをした子供をみて「あんたケガして転びやすいんだから気をつけなさいよ」と親が手を握ってあげて、それを責める者はいるだろうか。先ほどの病院が遠い例と同じで、これは甘やかしではない。そこで転んでケガを深めたら、余計に回復、つまり社会に復帰して生産人口として社会に貢献することが遅れるならば、それは個人ではなく社会全体の損失だからだ。
最後に、結果としてすでに貧困に陥り、生活保護受給などにたどり着いた成人について。
現状の制度やアウトリーチ(積極的に当事者へアプローチする支援)のレベルでは、そもそも公的扶助の受給にたどり着いた時点で、もうしばらく立ち上がれません、働「け」ませんというケースが大半であり、ここはまず、就業支援より「休養」だ。さらにこの休養とは、単なる現金の給付と心の痛みの緩和的、対症療法的な精神科通院と薬の処方だけではなく、貧困の過大なストレスでダメージを負った脳のケア、つまり子どもの療育ケアで提言したようなリハビリ的なケアにつなげたい。
現状で医療として受けられるのは認知行動療法ぐらいだし、精神科作業療法という分野もあるが、これはかなり重い精神障害以外では活用されていない。こうした医療を貧困者支援へと拡大していく可能性や、各所のプロをつないでいくことについては、僕をはじめとしてメディアの人間も動く必要があるだろう。
受給者の共通点、パチンコ、スマホゲーム
加えてこうした支援を邪魔するものを規制したい。
これはかなり物議を醸しかねない論だが、取材活動の中で出会った生活保護受給者(ほとんどは非行少年少女の親や祖父母)の中には、確かに働「ける」状態なのに働かない人たちがいた。安っぽいステレオタイプを補強するようで慎重に発言したいが、そうした働かない受給者の多くの共通点が、パチンコ屋通いか、若い親であればスマホのゲームアプリに1日のうちの長時間を割いていたことだった。
組織売春の現場で働いていた少女の取材の中で、売春業者があまりのひどさを見かねて、親のところに「いい加減にしろ」と怒鳴り込んだという信じがたいケースに2件行き当たったが、そのうちの1例の親(母親)もまた、生活保護受給者のパチンコ狂だった。僕自身もこの母親と話をしたが、その際の母親の言葉が、最近になってようやくわかってきた気がする。その言葉とは、「パチンコ屋に行くと、勝っても負けても安心するんだよね」。
正直、濃厚な殺意が湧いた。中学を卒業したばかりの娘が売春をしつつホストの売掛問題で大トラブルを起こし、その連絡を受けても「今パチンコ中だから後でかけなおして」と、よりによって娘に売春客を斡旋している業者相手にガチャ切りをかます母親だ。その母親の「安心する」は、働かずに昼からパチンコをしに行って、「同じ状況にある他人がいることに安心する」なのだと思った当時の僕には殺意しか湧かなかったが、最近になってその安心にはもうひとつの意味があるのだとようやくわかってきた
7
:
名無しさん
:2019/07/27(土) 23:24:15
その意味を理解するのに必要なキーワードは、「脳の報酬系」だ。人間(動物)は何かの作業をして、それによって報酬を得ることで脳の報酬系と呼ばれる神経系が「快」の感覚を得るようにできている。実は生活保護受給者も「働いて評価や報酬を得たい」という欲求は持っているし、生活保護費をもらって家で寝ているだけという生活を長期間続けると、その何もしない=報酬系が刺激されない生活に、不満や苦痛を感じるようになる。この「働かないことがつらくなってくる」というのも、当事者取材で何度も聞き取ったことだった。彼ら彼女らは働きたがっていたのだ。
だがここでパチンコやスマホのゲームといった、短期間に報酬系が刺激される行為をすることで、本来なら働いて得るはずの報酬が代替されてしまい、結果として働かない状態に「耐えることができてしまう」。これが、彼らの言う「安心する」の正体だが、そこに至るまでの喪失の大きさや就業の難易度を考えれば、ここに代替を求めてしまうことも自己責任では絶対に片付けられない。
パチンコは巨大な産業だし、そもそもスマホのゲームアプリなどはほとんどが無料であるし、これほど普及しているものを規制するのもまた難しいことかもしれない。だが、少なくとも生活保護受給中の貧困者には、こうした「社会復帰以外で安易に報酬系を刺激できてしまうもの」を規制するのも致し方ないのではないか。規制しても罰則があってもやめられないのであれば、それは立派な依存症=病気であるから、あらためて医療の対象としてケアすべきだ。
こればかりは当事者のその場のQOLには反していることだが、少なくとも生活保護受給者とパチンコ狂という「ずるい怠け者」のステレオタイプは、ここで打破できるものと思う。
専門性を持つ支援者が相互協力すべき
もはや論が広がりすぎ、そのほとんどは現状では理想論にすぎない域もあるが、本稿をもって、そもそも日本に貧困があるのかないのかとか、当事者を知りもせずに投げかけられる自己責任論とかといったレベルの議論は、いい加減、卒業にしたい。
日本を食い潰す貧困問題は、正しく当事者の像を見据え、当事者のQOLを何より優先し、その救済そのものをビジネスにしようとする人々を規制し、各所に散らばる専門性を持つ支援者がきちんと手を結んでアウトリーチし、本当の意味でのセーフティ「ネット」を広く張り巡らせることで、ようやく実現できるものだ。
これまで取材をしてきた貧困当事者たちの顔がまざまざと目に浮かぶ。彼らの貧困は決して「現象」なんかじゃなかったけど、かといって個別の事案、個人で解決できたり自己責任をその理由に求められるような困窮ではなかった。それが社会の損失であろうとなかろうと、その当事者の苦しみを無視してはならないとも思う。願わくば本連載が、貧困問題についての初めての生産的な1歩に結び付き、当事者が苦しいと声を上げる一助になればと思う。苦しさを抱えた人ほど苦しさが押し付けられる残酷には、もううんざりなのだ。
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