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日本大学学祖・山田顕義伯爵
1
:
百万桜
:2009/05/10(日) 22:29:21
日本近代法の父。日本大学の創立者。
常に率先陣頭指揮。人に対して懇切丁寧な山田顕義を語ろう。
183
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2024/12/11(水) 08:12:15
関東大震災(1923/09) 高等工学校(1920) 佐野利器(としかた)校長
三崎町から駿河台校舎(1922)へ移り授業開始。直ぐに関東大震災発生、
しかし、2か月後に仮校舎で授業再開。佐野氏は帝都復興計画に参画し、
復興事業に集中した結果、高等工学校OBが各地で活躍して評判を呼び、
入学希望者が殺到。1926年に学部認可され工学部設置(1928)
184
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2024/12/11(水) 08:21:51
高等工学校(1920/現理工) 関東大震災(1923/09) 「構造の日大」誕生
何故、日大は関東大震災の二か月後に授業再開できたか、
佐野校長が教授を集め工業教育を施し、高等工OBが躍動、
彼等が一丸となって仮校舎を建てたからに他ならない、
皮肉にも関東大震災は「構造の日大」をしろ示した、
もはや理工抜きで日本の都市計画、建設界を語れない、
185
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2024/12/25(水) 01:35:02
日本法律学校 山田顕義氏が創立者を名乗れなかった理由
現職の司法大臣が設立する法律学校に、世間と他の認可校は厳しい目を向け、
専修、東京専門、和仏、明治法律、東京法学院は大不平を抱き、
神田錦町重の井で、設立反対集会を開きたるよし Y新聞(明23年4/11)
186
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2024/12/28(土) 08:31:07
山田顕義公は武官から文官に路線変更して日本法律学校を作りました、
日本大学も体育第一から文へ、生まれ変わる時ではないでしょうか
187
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/01/12(日) 10:26:52
勘違いしてる輩が居るので釘指しとく、
山田顕義公、松岡初代総長、山岡萬之助総長(三代)など、彼等が目指したのは総合大、
拡散・拡大路線ではない。戦後の古田氏が運動部主導で横暴を働いた、それを田中まで引き継いだ、
日大の悪政は 古田(柔道)に始まり 田中(相撲)で終わる
188
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/01/18(土) 17:25:01
>>187
終わってない
田中の残党あたり残っているから終わらせたいなら徹底してやらないと
189
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/01/18(土) 20:33:02
山田顕義先生や松岡校長、山岡萬之助総長(三代)が血道をあげて作ってくれた学校
市ヶ谷から本部を移転させる事からすべてが始まる。学生の居るとこヘな
190
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/01/25(土) 14:05:21
佐野利器(としかた)校長 高等工校・初代校長 家屋耐震構造論→構造の日大
佐野氏は設立に於いて、様々な条件を日本大学へ課したが、その中に
「当時の経済は大不況にあり、中等学校から上に進学できない若者の受け皿としたい」、
「真面目に実地で仕事してる人を優先的に入学させる」や「駿河台校地」などを提案、
日大理事会は佐野先生の要請に応え、大正9年6/1に遂に高等工学校が認可される、
191
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/01/25(土) 14:10:56
佐野利器(としかた)校長 高等工校・初代校長 家屋耐震構造論→構造の日大
佐野氏は高等工学校認可されると、有能な人材を多数招致、
内田祥三氏(安田講堂)、武藤清氏(霞が関ビル)、二見秀雄氏、谷口吉郎氏、高橋貞太郎氏と、
当時の新進気鋭な構造技術者が高等工学校講師へ、他校が羨む人材の宝庫となった、
佐野利器先生の鶴の一声で、これだけの陣容が集まったのである、
192
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/01/25(土) 14:26:51
佐野利器(としかた)校長 高等工校・初代校長 家屋耐震構造論→構造の日大
1920年認可の高等工学校(夜間)は、神田三崎町で講義(法文商と一緒)
関東大震災(1923)の際に、全焼したので駿河台に仮校舎建築、
駿河台&三崎町経験したのは、高等工学校(理工)しか存在しない、
193
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/02/01(土) 09:05:55
山田顕義先生は皇典講究所設置の年(明15)に国文研究、国法研究に加え、
法律学校を作る構想を既に語っていた。講究所内の説得にあたり7〜8年も掛けた、
195
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/02/25(火) 12:59:32
不平等条約
・一方的な最恵国条項(為替レート含む)
・関税自主権の否定
・領事裁判権の容認
日本は公的な裁判所が無かった、
外国人犯罪を日本で裁けなかった、
旧裁判所構成法を制定して職務規定、
裁判官の身分照会で三権分立を進め、
領事裁判権撤廃に山田先生は貢献した、
196
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/03/03(月) 00:20:30
醫明博愛(いみょう・はくあい) 額田氏ー八田氏ー比企(ヒキ)氏ー梅津氏(歴代医科長)
この言葉は、患者さんに真摯に向き合い「光」を当てることを言います、
戦前から医学部昇格まで尽力なさった、歴代医科長たちに深謝致します、
旧医専から始まり、今年2025年に日大医は100周年となります、
197
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/03/11(火) 17:35:29
戸水寛人(とみず ひろんど) 高等師範(文理)設立者 通称バイカル博士
戸水氏は逡巡(しゅんじゅん)した。法に続き中等(中学+高校)教員養成を睨み、
高等師範を各法律学校へ設置計画したが、全く協議が進まなかった、
よって日本法律学校のみに、高等師範科(教員養成)を設置する事に決めた、
これが日本大学文理学部であり、私学最古の教員養成科である、
198
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/03/11(火) 17:39:43
戸水寛人(とみず ひろんど) 高等師範(文理)設立者 通称バイカル博士
戸水氏は反芻(はんすう)した。法学の前に中等教育を国民に行き渡らせなければ・・
初等教育は4割以上無資格でやれても、中等教育となると一定の水準が必要、
“現存する法律学校に教員養成してもらわねば”と考え、高等師範を日本法律学校へ設置
199
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/03/11(火) 17:52:20
戸水寛人(とみず ひろんど) 高等師範(1901文理)設立者 通称バイカル博士
日本法律学校は法に続き、教員養成科もある唯一無二の私学へ、
師範科は世田谷予科として、日大教養課程を全収容する象徴に、
中高教員数1位を誇り、国への貢献度が高い文理学部へと変貌、
人文+社会+理学を揃えた日大文理は、1学部で中堅他大を凌駕、
200
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/03/11(火) 19:10:57
文理は高等師範(=教員養成)で、法の次に出来ました、
1901年と大学令公布(1920)や、専門学校令(1903)より前です、
201
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/03/11(火) 19:52:56
創立の法(日本法律)
戦前の文(高等師範)
戦前の理(高等工学校)
志願者数が多く実績も良好、
文理と理工をトリにしました、
まだありますが大体は出来た、
202
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/03/12(水) 09:10:41
三崎町は法文商工農、設置順で秀逸
法範商工農でもいいが変換し辛い
203
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/03/14(金) 23:34:15
山田顕義(アキヨシ)学祖や、松岡康毅(ヤスコワ)総長、山岡萬之助総裁、
彼等の日本法律学校〜日本大学に報いるには、司法試験の復活しかない、
204
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/03/15(土) 16:37:22
旧制・高等師範(現文理1901) 世田谷予科
旧制中→旧制高(3年)→帝大
旧制中→予科(1年)→私立大
私学は予科1年やる行程で専門部歯科、医科も通った、
世田谷予科は桜上水キャンパス。ここに本部がベスト、
205
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/03/15(土) 17:23:09
社会科 円谷弘氏(つむらや ひろし) 初代理事長
大学令交付(1920)で私学初の社会科設立、
1937年に世田谷予科落成で予科長を兼務、
穏健左派だが左派に偏りがちな大正を牽制、
「円谷先生が呼ぶなら・・」と右派も講師へ、
206
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/03/23(日) 10:42:50
旧制は高等師範学校、高等工学校、専門部医科校と、
大学というより大学の中にある別学校と言った印象、
207
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/04/02(水) 14:20:04
山田顕義公(アキヨシ) 初代司法大臣(内務卿、工部卿、司法卿を歴任)
皇典講究所(1882)
国史+国典→國學院
国法+日本→日本法律
廃校となった大学本校(国学)の系譜を、
この二つが継いだと言って差し支えない、
208
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/04/05(土) 12:15:05
学校→大学校→大学本校(+東校、+南校)
東校+南校→東京大→東京帝国大→東京大
大学本校→廃校→皇典講究所→國學院(国学)、日本法律(国法)
うちらが主流で、あちらが傍流(ぼうりゅう)だったとは
209
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/04/08(火) 16:30:46
他校関係者は、辟易(へきえき)するかもだが、
山田顕義公は、司法省通じて特別予算通した、
和仏、法学院、大阪兵学寮、司法省法学校等、
第三高等学校もあり、わずかな関係ならば、
工部省工部大学校、札幌農学校にもある、
山田先生は軍人から教育界での巨人へと変貌
210
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/04/11(金) 15:53:11
>>207
国典の中に国法あり
国典 →国家儀式、国の法典、国法
国体+国学 國學院
国体+国法 日本法律
皇「典」講究所なので、両校とも「典」が入ってる
211
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/04/18(金) 21:27:19
大学本校(1869)→廃校→皇典講究(1882)
国史+国文→國學院
国法+法律→日本法律
似て非なるもの、例えると
刀を作るのが鍛冶師で国法
刀を使って治めるのが法律
213
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/05/01(木) 17:43:24
学祖 山田顕義 展 2025年 4/14〜8/30 三崎町・法学部図書館1F展示ギャラリー
https://www.law.nihon-u.ac.jp/library/exhibition/12433
入場料無料なので、お暇ならお越しください(10〜18時/日曜17時まで)
214
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/05/05(月) 06:17:57
長州藩閥=山縣閥=陸軍閥
山縣から陸軍を追放された山田顕義先生、
長州藩だが、長州藩閥でない特異な人物、
その後、絶縁ということもなく山縣氏は、
自身が弱ると司法大臣留任させたり依存、
日本法律学校設立へは逸早く賛意し出席、
調子いいというか、いじめっ子は自分のしたことを忘れるというか・・
215
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/05/05(月) 06:31:37
長州藩閥でない山田先生は、よそからの信頼が厚かった模様、
陸軍創設は大村氏と山田顕義公。大阪兵学寮(陸軍士官学校)、
大砲製造所を構築。だが、陸軍創設は山縣有朋の功績となり、
山田先生は陸軍中枢を去り、武官から文官(司法大輔)へ転身、
217
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/05/05(月) 06:53:37
皇典講究所は戦後1946年にGHQの圧力で解散、
山田顕義公はこの事態を既に予見してたと思う、
皇典講究所の神職養成機関を國學院に託し、
国に貢献する人材養成を日本法律へ託した、
私の憶測と推測ですが開校式の御言葉を調べて、そう感じました
218
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/05/05(月) 07:52:56
皇典講究所は国内問題でなく、外圧で無くなろうとは
219
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/05/05(月) 22:00:13
本当にGHQかねえ。敗戦革命主導した、どっかの大学さんじゃないのー?
その証拠に日大も解体された、あれも表向きはGHQの財閥解体
220
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/05/11(日) 15:25:15
帝国大学令(1886年)
この年、明治天皇が帝大視察へ。理系諸科や法科進捗を褒める一方、
「日本とする処の修身学科」の欠落を指摘。大学本校(国学等)が無い、
「頭脳優れも、道徳欠ける人材では」と国体本義の揺らぎを懸念、
221
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/05/11(日) 15:43:11
皇典講究所(1882→1946に解散)
大学本校(国学)が廃校。明治天皇は代替機関を要望し、最も信頼を寄せた、
有栖川宮幟仁親王(ありすがわのみや たかひと しんのう)を総裁任命し、
皇典講究所設立。更に山田氏は大学本校の轍を踏まないべく私学校を新設、
222
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/05/11(日) 16:12:54
山田顕義司法大臣 大学本校→皇典講究所(1882)→國學院、日本法律
国学(大学本校)とは、国体本義の根幹をなす日本道徳学の中核である、
故に皇家に取って代わろうとする内部、外敵勢力から圧をかけられる、
憶測だが、山田司法大臣は皇典講究と別の私学校を作ることによって、
道統を絶やさないよう、國學院と日本法律で手を打ったのではないか、
223
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/05/17(土) 02:53:49
山縣有朋が徴兵制にする際、山田先生は反対した、
山田氏はその後に武官から文官、司法省へ移った、
224
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/07/17(木) 01:13:55
木村秀政氏(ヒデマサ) 日本航空界の重鎮 一高→帝大航空科→航空研
ライト兄弟が初の有人飛行成功(二宮氏説あり)、四か月後に木村氏誕生、
6歳ごろに初めてヒコーキを見て感激し、異常な関心を持ったことから、
高校時代のあだ名も「ヒコーキ」となっていた
225
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/07/17(木) 01:25:09
木村秀政氏(ヒデマサ) 日本航空界の重鎮 一高→帝大航空科→航空研
木村氏率いる、東大航空研の評価は概ね決まってた、
「大学人に飛行機を作って、飛ばすなんて不可能だ」
「航研の先生たちの作った飛行機が、地面から離れたら銀座通りを逆立ちして歩くよ」
軍人、飛行機メーカーの声です。辛辣ですが試作機は実際に故障だらけだがめげず改良を重ね続け1938年、
関東平野を25周して1万1,650㎞飛行で世界記録更新して、天皇陛下の拝謁(はいえつ)を賜った快挙を達成、
226
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/07/17(木) 01:36:21
木村秀政氏(ヒデマサ) 日本航空界の重鎮 航空宇宙科の父
敗戦後、航空活動禁止となり、東大航空研は廃止となった、
木村氏は日大工の機械工学科教授(1947)へ迎え入れられた、
SF講和条約発効後、軽飛行機N52を皮切りにN58,N62,N70と、
次々に制作。一つの大学研究所が飛行機を作るのは珍しい、
世界権威「ジェーン年鑑」に記述されるほどの快挙でした、
227
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/07/17(木) 01:51:32
木村秀政氏(ヒデマサ) 日本航空界の重鎮 理工・航空宇宙科の父(1957)
木村氏は日本が主権回復後、日本初の国産旅客機「YS-11」の開発Pにも深く関わる、
木村先生の情熱が学生に伝播し、今では人力飛行機の航続飛距離の日本記録を持ち、
ヒコーキに留まらず人工衛星、ロケット研究、宇宙科学まで多岐に渡るようになり、
“航空宇宙と言えば日大理工”と評されるまでに成長した、
228
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/07/17(木) 02:18:12
N52は日大の「N」で1952年。木村先生いいなあ(笑
229
:
名無しさん
:2025/07/27(日) 16:49:25
>>227
船橋キャンパスのままでも問題ないと言えるね
230
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/08/14(木) 22:48:24
日本法律学校の初代校長、金子堅太郎先生、
彼を指名したのは山田先生でなく山縣有朋、
日本法律学校を帝大のようにしたかったか、
今となっては分からんが積極的な人物像だ、
231
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/08/17(日) 02:47:53
>>186
山田先生が皇典(コウテン)講究所で国学、国法創立、
國學院と、日本法律を自立させて私学校としたのは、
政変や政治に惑わされず、残せるようにしたのでは、
232
:
130年の輝きと共に、未来を創る
:2025/08/17(日) 03:41:05
“国体(こくたい)は お前達に任せるぞ”
山田先生は皇典講究所が、反体制派や外部勢力に廃止され、
日本の国体を潰そうとする勢力が出てくる事を想定してた、
大学本校が内紛で、事実上の廃校(休校)になったように、
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