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「お薦め −本」

65FK:2008/12/17(水) 19:50:54

『楽天旅日記』(山本周五郎 新潮社 1990年 \400)

 大した作品だと(偉そうに言うようだが)思う。ラストも一般に予想されるような目出度し目出度しではなく、現実的な有り様が紹介されている。現実というのはそのようなものだろう、と思わせられるのだ。
 なかなか良い作品だと思う。このような作品を残しているというのは、やはり大した人であったのだと知らされる。



 ―― 一般人民というものは元来が強権崇拝者である、口ではいろいろ云うけれども、権力に対して実際には服従することを喜ぶ、権力が強く仮借なく行使されればされるほど、これを崇拝し、服従の喜びに酔うものである。(P.127)

【厳しい指摘だ。その通りだろう。悲しいことではあるが。】


 領民があってはじめて政治がある、領主や代官は領民のために政治を行うものだろう、その領民に対して非道な政治が行われるとき、法が領民を守らないで政治の味方をするというのはおかしい(P.180)

【きわめて真っ当なこと、なのだが......】


「人間には進歩というものがあります」
「それは、多数の者を苦しめ犠牲にするほど、ねうちのあるものか、……お互いが助けあい、仕合わせになりながらでは出来ないことか」(P.244)

【進歩というものを無前提に良いものと、私たちは思い込まされているようだ。
それがどれだけ人々を不幸に追いやってきたことか!】


 尤(もっと)もらしいおためごかしな理屈で、自分たちの強権を正当化してみせる現代の支配者諸君よりも、理屈なしに堂々とぶったくりをやった封建君主諸氏のほうが偽善のないだけさっぱりしているかもしれない。(P.250)

【強烈な批判である。もちろんだからといって封建君主に味方するわけではないが。】


 人間の歴史は徒労の歴史だ、生れて来て、なにかをして、死んでゆく、……なにかこのことに意味があるか(P.253)

【ふっとそんな虚無的な気持ちになることがある。そんなことを思う時間を持つことは、人生を生きていく上で必要なことだと思う。】


 およそ世の中に、本気で正義などを唱える人間ほど弱いものはない、かれらは頭でっかちで臆病で、いくらか才能は有っても実行力というものを持たない(P.297)

【悪玉の主人公に言わせるセリフの一節である。耳の痛いところだ。】

 手元にありますので、お貸しできます。

66FK:2008/12/18(木) 20:20:51

『ながい坂 上』(山本周五郎 新潮社 2000年 \629)

 本当に人生というのは「ながい坂」なのだろう。



「おまえがそんなことを気にしてなんになる」と和尚はむぞうさに答えた、「まわりでどんなに手を尽くしても、うまくゆく者もありうまくゆかない者もある、帰りに庭の朝顔を見てごらん、種子も選び、同じように手をかけてやっても、逞しく伸びるやつもあれば、ひねこびてもう枯れかかっているやつもある、人間だって同じことさ、気にするな」(P.140)

【この一節は私自身のための気休めになる。そのように読んではいけないのかもしれないが。そこまでいくには、もちろん、とことんやることはやる。やれることはやる。しかしそのあとは、それぞれにまかせるしかないのだ。そういうある種の諦めが必要だということだ。ちょっぴり悲しくはあるが。】



『ながい坂 下』(山本周五郎 新潮社 1984年 \440)

 ようやく読了。やはり長かった。そして下巻は重かった。上巻が比較的すいすいと読めたのに比べて。その理由は解説者も書いているとおりだろう。

 後半は余りに主水正が出来過ぎて、八方美人的なめでたしめでたしの物語になっている。(P.427 奥野健男)


 いちばん大切なのは、そのときばったりとみえることのなかで、人間がどれほど心をうちこみ、本気でなにかをしようとしたかしないか、ということじゃあないか(P.152)

【その時その時、精一杯、誠意をもってやること、それしかないだろう。そうでなければ悔いが残る。】

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 およそ人間は自分のすることを善だと信じ、他人のすることには批判的になるものだ(P.163)

【自戒せねば。】

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 人間が世間でくらしてゆくには、自分の望みどおりの生きかたができるとは限らない。自分では好まない、嫌いなことでもやらなければならないことがあるだろう。それが人間の生きるということだ(P.344)

【どうってことない、普通のことの言い回しなのだが、なんとなく心にぐっとくる。】

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 これまでどれほど多く、人や大事なものごとに気づかず、みすごしてきたかもしれないし、これからも気づかずに聞きのがしたり、見のがしたりすることがいかに多いかもわからない(P.419)

【これも、自戒せねば。あまり深刻に考えすぎると怖くなって何もできなくなるだろう。そのあたりのアヤチが難しい。】

 手元にありますので、お貸しできます。

67FK:2008/12/19(金) 20:35:14

『水木サンの幸福論』(水木しげる 日本経済新聞社 2004年 \1260)

 構成はメインが日経新聞連載の「私の履歴書」で、あと兄弟三人の鼎談とマンガ「鬼太郎の誕生」。第一部はこの書名にもなっている小論。そこで氏の言う「幸福の七カ条」とは以下の通り。



第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし。

第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。



 補足として「第六条 怠け者になりなさい」では、
「努力しても結果はなかなか思い通りにはならない。だからたまには怠けないとやっていけないのが人間です。ただし、若いときは怠けてはだめなのです!
 何度も言いますが、好きな道なのですから。でも、中年を過ぎたら、愉快に怠けるクセをつけるべきです。」

 「第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。」など、そうだろうなと思う。
 前段は私などもその口で、この教師という職業に「才能」はなくても、なんとか「収入」にはなっている。
 そして意外なような気もするが「努力は人を裏切る」ものだろう、とも。「努力信仰」(?)が強い風土だけに厳しいものがある。まさしく「裏切られる」のだ。自らも苦しめることになる。困ったものだ。

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 あと私など、「第二条 しないではいられないことをし続け」ている方なので、これは幸せなことだ。第三条も、そうだ。
 第七条は、精神世界のことや、自らの人間としての謙虚さのことやら、いろいろあるだろう。

 今どき大上段に振りかぶって「幸福論」など冗談でしょ、というご時世ではある。しかし氏にかかれば、まさしく「ゲゲゲの鬼太郎」の如く飄々としてサラリと言ってのけられるようだ。そして納得してしま

 手元にありますので、お貸しできます。

68FK:2008/12/21(日) 14:25:14

『山彦乙女』(山本周五郎 新潮社 2003年 \438)

 怪奇か伝奇小説とでもいうのか。江戸時代、五代将軍の頃の話。今は滅びた武田家再興の目論見が、側用人柳沢とからみ、そして自然の中へ帰っていく主人公がいる。


 創意やくふうのない仕事、進歩のない事務ほど、人を疲らせ、飽きさせるものはない。そのとしごろの青年たちが、一般にそうであるように、彼も自分の将来に夢をもっていた。はっきりしたかたちではないが、それは充実した、輝かしい、血をわき立たせるようなものであった。
 ――生まれてきたこと、生きていることを、祝福したくなるようなもの。
 ――そして、彼でなければ、それは為し得ないし、彼のためにだけ、存在するようなもの。
 そういうなにかが、有る筈であった。(P.42)

【今となっては、とても懐かしい感覚だ。私もかつてそのように感じ、そのように思いして生きていたはずなのだ。(それが今はどうだろう、と愚痴る体たらくだ。)】

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 ――人間はいかに多くの経験を積みあげても、それで自分を肯定したり、満足することはできない。
 ――現在ある状態のなかで、自分の望ましい生きかたをし、そのなかに意義をみいだしてゆく、というほかに生きかたはない。(P.252)

【厄介なものだ。自分を肯定するということの難しさ。
 ややもすれば思いくずほれる毎日にあって、自分のその生き方に意義を見いだしていくしか、生きるすべはないということだ。これ以上を求めても、もはや詮方なしと思い知るべきだろう。それは決して諦観からくるものではなく、冷静な理性による観点からだ。】

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 彼は云いたかったのだ。過去も現在も、未来も、人間は生きてきて、悩んだり苦しんだり、愛したり憎んだりしながら、やがて死んでゆき、忘れられてしまう。(中略)人間の為したこと、為しつつあること、これから為すであろうことは、すべて時間の経過のなかに、かき消されてしまう。
 ――慥かなのは、自分がいま生きている、ということだ、生きていて、ものを考えたり、悩んだり、苦しんだり、愛しあったりすることができる、ということだ。(P.260)

【これが歴史だろう。ちっぽけな人間の哀しさを感じるところでもある。それでも後段にあるように、生きることはできるはずだ。いや、そのはずであった。今や人生の半ばを過ぎ越し、だんだんと「ものを考えたり」……しなくなってきているようだ。これが人生なのだろう。】

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69FK:2008/12/23(火) 17:18:04

『メルヘンの知恵』(宮田光雄 岩波書店 2004年 \735)

 私たちは、心の底では、自分がはるかに傷つきやすく、自信がなく、つねに他者からの愛と賞賛とを必要とする人間であることを感じているのです。
 私たちは、この傷つきやすさ、自信のなさを克服していかなければならない。にもかかわらず、日常生活においては、あたかも自分には、そうした問題が何ひとつ存在しないかのように自信ありげに振舞わなければならない。まさにこの《二つのこころ》の矛盾したありようこそが私たちの深刻な現実なのであり、私たちの悲劇的な状況を特徴づけるジレンマなのです。(P.5)

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 私たちの外側の姿かたちは、たしかに、年齢とともに変わっていくものです。私たちは知識や経験を身につけながら、年齢を重ねていきます。しかし、人格の内奥においては、私たちは、いつまでも子どものように感ずる、みずみずしいこころをもっているべきではないでしょうか。(P.38)

【たいへん難しいことのようだ。ついつい、「子ども」の心を見失ってしまっている。「みずみずしい」とは何と素晴らしい言葉であることか。】

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 私たちは、人びとから拒否されること、低評価されることを恐れがちです。(中略)つまるところ、自分が《ただの人》=普通の人間であることを認めるのを恐れていることからくるのではないでしょうか。(P.44)

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 身分や財産、学歴や美醜など、私たちは、日頃、多くのものにこだわっています。そうしたすべての違いを、死は、平準化していく役割を果たす(P.154)

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 成功の重圧のもとに立ちつづけることほど人間を疲れ果てさせるものはありません。(P.164)

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 人間は、一人の人のため真剣に打ち込むようになると、いつのときか確実に死神の敵対者となるのです。地上の生に制限をおく自然の法則を受け入れようとはしたくなくなるのです。(P.170)

【これが生への執着。自分のためでもあるが、その人のためにも生き続けたいと願うのだ。】

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 もしも人間に無限の時間があたえられているとしたら、どうなるでしょうか。
 そのとき、私たちは、いま、この時に特定の行為をするという意味を失ってしまうのです。(P.182)

【永遠の命に憧れる、というのはお話だからいいのであって、もしそれが実現したら不幸なことだろう。】

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 私たちは、いま、この場所で、自分に提供されているものとは違う可能性をもっているかのごとく夢想しがちです。(中略)いま自分を求めている事柄にたいして、真剣に自分のすべての力をささげる、それに熱心に集中する。
 一回限りの時は過ぎゆくものであるゆえに、私たちから真剣な責任ある応答と関与とを求めてくるものです。(P.184)

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70FK:2008/12/24(水) 21:16:16

『日本人の歴史意識 −「世間」という視角から−』(阿部謹也 岩波書店 2004年 \700)

 「世間」は日本人一人一人の行動を拘束するものであり、日本人は自分の振舞いの結果「世間」から排除されることを最も恐れて暮らしている。(P.6)

【昔、『甘えの構造』という本に出会ったとき、なるほどそうだったのかと思ったものだ。今、この「世間」という言葉をキーワードにすると、この日本社会のことがいろいろと見えてくる。どちらかと言えば悲観的なことでではあるが。】


 「世間」の中に生きる人々の行動の原理は三つの原則によっている。贈与・互酬の原則と長幼の序、共通の時間意識である。(P.7)


 「世間」の中の日常生活には普段は歴史はほとんど影を投げかけてはいない。私たちは歴史とほとんど無縁な形で日々の生活を送ることができるのである。(中略)これらの人々にとって歴史とは自分の近くを流れている大きな時の流れであって、それを眺めることは一つのドラマを眺めることに等しい。(中略)歴史好きの人々の場合も歴史を自分自身が参加しているドラマだとは思っていないのである。昨日から今日への時の流れのなかにある自分の一生がそれ自体歴史であるということはみな解っている。しかしそれは理屈の上では解っているということにすぎず、感覚的に解っているわけではない。歴史といえばまず自分の外を流れている時の流れのことであり、(中略)日本の多くの人が好む歴史は観客として眺める歴史なのであり(以下略)(P.190)

【歴史の授業をしていても、このように痛感させられる。そしてこの延長上に日本社会のマジョリティが存するわけだ。教育の無力さを感じさせられるところだ。
 対岸の火事である限り、私たちは歴史をエンタテーメントとして安心して見ていられるのだ。まるでテレビを見るように。そして知らぬ間に、歴史の当事者としての役割を奪い去られてしまっているのだ。】


 西欧の個人は人間を世界の覇者として位置づけ、他の動植物を人間に奉仕するものと見なしてきた。このようなキリスト教的な人間理解を私たちは共有できない。私たちにはそれと違った「世間」の歴史があるからである。(中略)
 人間はこの世界の覇者ではない。むしろこの世界の破壊者である。(P.200)

【ここまで言っても大丈夫かな、と思った。この日本にも少なくないキリスト者が存在するのに。もっとも私自身は、氏の考えに共感するが。】


 「世間」は個人が突出することを好まない。全体として「ことなかれの体質」をもっている。その中で自分の資質を伸ばし、自分の主張を貫いてゆくためには闘わなければならないのである。「世間」と闘うことによって私たちは歴史への展望を開くことができる。(P.201)

【世間とぶつかったとき、初めて私たちは歴史の当事者であることに気付かされるのだ。あるいは思い出すのだ。しかし、まずもってぶつかることは避ける・逃げる。世間の無言の圧力の前に。】


 日常生活の中で「世間」の人間関係にかまけている人は歴史と直接向き合う機会が少ない。(中略)「世間」とうまく適応している人は「世間」を知ることができず、その本質を理解することができない。(中略)そのような意味で歴史はまず「世間」とうまく折り合えない人が発見してゆくものである。(P.203)

【自慢しても仕方がないが、私は世間とうまく折り合えない人間の一人だということだ。これまでも、そしてこれからも。】


 「世間」と無自覚のうちに一体化している現在の自分を「世間」から解き放たなければならない。(P.204)

71FK:2008/12/26(金) 17:57:14

『「健康」という病』(米山公啓 集英社 2000年 \660)

   目次
第一章 半健康ではいけないか
第二章 危険因子はほんとうに危ないか
第三章 ダイエットにおける幻想
第四章 スポーツはからだにいいか
第五章 人間ドックは役にたっているか
第六章 薬は効いているか
第七章 ストレスはからだに悪いか
第八章 健康という欲望


 鍛えると強くなるという幻想が強い。(中略)鍛えるという行為は、からだをある意味では改造していくことになる。(中略)人間のからだを異常な状況にさらすことであり、肉体を異常に改造してしまう危険がある。(P.116 第四章 スポーツはからだにいいか)

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 いまは、どこまで生活を犠牲にして、薬を飲むべきかも考えていく時代になっている。(P.186 第六章 薬は効いているか)

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 日常生活がそれほど苦もなく過ごせることに、むしろ満足し、その肉体に感謝できなければ、健康など存在しようもない。(P.214 第八章 健康という欲望)

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「健康」という現代の病気は、多くの人に入りこんでいる。もう一度私たちは、人間は不健康であることが普通であるという、その自覚の上でからだを見つめていかねばならない。(P.217 同)

【良いのが当たり前という考えが、私たちを苦しめているのだ。】

72FK:2008/12/27(土) 20:22:37

『あとのない仮名』(山本周五郎 新潮社 2003年 \590)

 「桑の木物語」を読む。涙が出そうなほど感動させられてしまう。実にうまいものだ。
 解説にあったのだが、氏は時代物に仮託してはいるが、実は現代の人間を描いているということ、それに気付かされるのだ。たしかにそのような「お殿様」も存在したかもしれないが、無理してそう思う必要はない。

 「しづやしづ」は男にとっては永遠に不可解な女性の心理、とでも言おうか。
そんなにまでも、あれほどまでも気が合い、気持ちがよりそいあいしていた二人なのに、どうして別れなければならないのか。愛する男を捨てて行かねばならないのか。
 分からない。どうして、と永遠に男は心の中で問いかけるしかないのか。哀切かつ痛切な、身にしむ話だ。



 どの作品をとってもうならされるような良い作品群。時代背景は現代ではないが、中身は極めて現代的。山本氏自身が文庫本解説の木村氏に「わたしの作品は、頭に丁髷こそ乗せてはいるが、全部、現代小説のつもりなんだよ」と語ったということだが、その通りだと思った。

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73FK:2008/12/30(火) 14:51:08

『信仰への旅立ち 読書のすすめ』(宮田光雄 新教出版社 1999年 \650)

 主としてキリスト者への読書のすすめであるが、私たちにも参考になる。まず以下は遠藤周作の『沈黙』についての文章から。



 いわゆる日本《泥沼》論には、二つの側面があることを区別しなければならない。一つは、母性的原理に支えられた日本社会の民衆心理の側面である。いま一つは、そうした精神風土を力ずくで再生産しつづけようとする、権力的=体制的な側面である。(中略)こうした風土を変革する新しい思想や宗教が入ってくることを権力によって弾圧する政治の動きがある。キリシタン迫害をはじめ、近くは太平洋戦争下における労働運動や宗教弾圧の歴史が示すとおりである。(P.89)

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 母性的原理の社会は、けっしていわれるように寛容なのではない。いっさいを包摂し、すべてのものが一体化することを理想とする共同体は、原理的に異質なものをどこまでも排除する社会である。しかも、個人の尊厳性を知らない精神風土では、人格の内面性まで何のためらいもなく踏み込んで踏みにじることを恐れない。ここにこそ《泥沼》のもっとも醜悪な特質があるといえよう。
(P.90)



 困った社会・日本の分析である。こんな中で生きていかなければならない大変さ!
 『沈黙』は小説を読み、ついで映画でも観た。簡単に言うのははばかられもするが、キリスト教というやはり「宗教」であることからくる問題性を感じ、そしてそれらを表現する作品に感動した。若い頃のことではあるが。

 「すすめ」の中で、すでに読んでいた本は、『星の王子さま』、『愛するということ』(フロム)。
 付録の「一〇〇選」では『ナルニア国ものがたり』、『ゲド戦記』、『生きることの意味』(高史明)、『夜と霧』、『ペスト』(カミユ)、『変身』(カフカ)、『日本の思想』(丸山真男)を読んでいた。
 読んでない本では『生きがいについて』(神谷美恵子)、『罪と罰』・『カラマーゾフの兄弟』、『美しい女』(椎名鱗三)、『薔薇の名前』(エーコ)等々。

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74FK:2009/01/02(金) 22:18:27

『教育とはなんだ』(重松 清 筑摩書房 2004年 \1600)

 教育といっても普段は自分のことしか眼中にないわけで、もっと広くて様々な世界や物事があったことに改めて気づかされた。



「わかる」ことは、「すぐわかる」から来たときは浅い。「わからない」から「腹が立つ」、だから「考える」、そして「わかった!」となったほうが深い。
(P.51 新井紀子氏に聞く「数学」)

【どうも今はみんなせっかちで、すぐに正解を欲しがる。こちらもつい、安直にしゃべってしまう。困ったことだ。
 すぐにはわからせない、とするには、勇気と忍耐が必要なのだ。】

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「『人はその能力に応じて適切な教育が与えられるべきである』というところが、いまはいちばん欠けていると思います。」(P.187 新井紀子氏に聞く「遠隔教育」)

【人間には見栄も外聞もあるし、なかなかそのようにはいかないものだ。しかし、なおこうでなくては、と思う。名よりも実を取るべきなのだ。しかし、難しい。】

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 先生方の悩みには大きく三つあります。対子ども、対困った親、そして対同僚や管理職。前の二つの問題だけでは、じつは休職や退職につながるケースは少ないんです。(P.273 諸富祥彦氏に聞く「職員室」)

【これを読んでなるほど、そうだなと思った次第。まず「対子ども」。授業にせよ、学級担任しているクラスの子どもにせよ、まずは「対子ども」。
 次に厄介なのが口出しをしてくる親。私など特にまず「対子ども」を重視する者には、口をはさんでくる親は困る。もっともその数が少ないので、もってはいるが。
 最後の「対……」については、何も言う気がしない。】

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 教師の質は昔に比べてそんなに変わってはいないと思います。こちらが見ていても頭が下がるような優れた先生が二割、七割がふつうのレベル、残り一割がほんとうにだめな先生。で、だめな先生のうち三分の一は、教師を辞めたいと思っていても給料のために辞めない先生、ですね。これは時代にかかわらず変わっていない。(P.275 諸富祥彦氏に聞く「職員室」)

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 フリーターがどこから生まれているかというと、職業高校よりだんぜん普通高校のほうが多いんですね。「普通」というものが持っている怖さ、「普通」という場所に位置付けられてるひとたちが持っている曖昧さ(P.296 玄田有史氏に聞く「就職」)

【「普通」だとか「世間」だとかが、世の中を悪くしている元凶の一つだ。長い物には巻かれろ、ということだ。そんな人生、面白いはずがないのだが、なおそれでも良いという人が世の中のマジョリティなのだ。
 ではそれに異を唱えるマイノリティのことは、ほっておいてくれればいいのに余計なお節介をしてくるのだ。】

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 いったい、この国はいつから「わかりやすさ」という価値観を金科玉条のものにしてしまったのだろう。「わかりやすさ」は大事なことだけど、それがすべてではないんだという常識にどうやったら戻るのか。(P.297 玄田有史氏に聞く「就職」)

【歯ごたえのない食べ物ばかりを食しているせいだろう。とうとう胃だけではなく、頭まで柔らかい・わかりやすいものでないと受け付けなくなってしまっているのだ。
 そんなご時世で授業をやらねばならないので、苦労するわけ。ま、いつの時代も実はそんなものなのだろう。】



   目次
1.教育論とはなんだ......教育論
2.授業とはなんだ......英語・数学・国語・理科・倫理・家庭科
3.学校とはなんだ......学校改革・民間人校長・校舎・遠隔教育
4.教育の隙間とはなんだ......保健室・給食・課外授業・学童保育
5.教師とはなんだ......教員免許・職員室
6.卒業後に待つものとはなんだ......就職

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75FK:2009/01/03(土) 10:56:39

2009年 1月 3日 (土曜) 岩波新書!

 元日の新聞での広告量はすごいものだが、私などにはどうしても出版社の(全面)広告がまず目に入る。そんな中で、岩波書店は「岩波新書創刊70年」と題して1938年から2008年まで、ほぼ一年ごとに一冊ずつ名前があげられている。(そのうち私がまちがいなく読んだ記憶のあるものはわずかに15冊であった。)
 私の高校時代の思い出の一つは、この学校の図書室から岩波新書をどんどん借りて読んだことだ。生涯でもっとも多くの岩波新書を読んだのはこの時期だと思う。
 その後、「新書」と名付けられた書物がたくさん出版され、私もそちらに目移りしていき、岩波新書からはだんだん遠ざかるようになった。しかし今も、岩波新書の広告は一通り見ている。ただ私の興味をひくようなものがだんだんなくなってきているのだ。これは私の知的好奇心というやつが、なくなってきているせいなのだろう。また、いつか、何かをしなければという、ねばならない時期が過ぎたら高校時代に回帰してみたいと思ってる。

(昔話だが、まだ他の出版社からの新書があまりなかった頃、毎月出される4冊前後の岩波新書をすべて買って読むという猛者もいたようだ。私は少しうらやましく思ったが、真似することはなかった。)

76FK:2009/01/05(月) 20:15:05

『喫茶店で2時間もたない男とはつきあうな』(斎藤 孝 集英社 2004年 \1050)

 お互いの間で話が弾むということは、それだけ二人は人間的につながっていける部分が多いということでもあると思うのです。会話を積み重ねることで暗黙のうちに了解している部分が増えていくと、ひと言言うだけで、いろいろなことが瞬時にお互い理解できたりもします。それは本来大きな快感になるはずです。(P.153)
【話が弾むことによる快感は、なかなか他のものでは代え難いものである。それだけに相手を選ぶので難しいということ。】

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 人生の時間は限られているから(中略)無理せずにほんとうに合うと思える人と楽しく過ごしたいと素直に思うようになるんですね。(P.167)
【歳をとってくると切にそう思う。そういう意味では仕事なども、そろそろ終止符を打つべきだろう。「無理」を強いられる最たるものなのだから。】

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 話し方で成功するための5箇条(P.190)
 1.目を合わせる
 2.微笑む
 3.ときどきうなずく
 4.相づちを打つ
 5.具体的にコメントをする
【本当は常識であり、マナーなのであるが、これができないのだ。】

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 もし2時間、飽きずに、途切れることなく、不快にならずに話が続くようなら、それは相性という点でかなりのレベルだと考えていい。逆に相性の悪い人と喫茶店で向かい合って2時間過ごすのは、相当苦痛だと思います。(中略)だから、いきなりデートするよりも、まずは喫茶店チェック。これをおすすめしたい。(P.193)
【要するに面と向かい合わなくてすむようなデート(映画とか遊園地とか)では、ごまかせるので勘違いしてしまう恐れがあるのだ。その点純粋に(?)向かい合って話をするしかない喫茶店というシチュエーションは最高だというわけ。
 二十歳のころ、喧噪の喫茶店で二時間かそれ以上、向かい合っておしゃべりをしてたことを懐かしく思い出す。それは相性の問題もあるが、若さの問題でもあったいうことか。】



 一つすぐに利用できそうなアイデアがあった。「偏愛マップ」(P.130 あなたの偏愛マップを作ってみよう)と氏がネーミングしているもの。

 ――このリストを持って、二人一組で互いに交換して見せあいながら5分ずつ話をしていく、というもの。

 用紙はA4かB4の白紙で、真ん中に名前を書き、そのまわりの好きなところに好きな大きさで箇条書き的にどんどんメモしていく。好きな音楽・映画・本などといったジャンル別にまとめてみるのもいい。ともかく連想して思いついたものを用紙いっぱいに書いていく。――

 話の取っ掛かりになるし、相手の趣味や感性がうかがわれるので、時間の短さや会話の稚拙さを補って相互理解に役立つと思う。

 手元にありますので、お貸しできます。

77FK:2009/01/05(月) 23:36:03

2009年 1月 5日 (月曜) 『町奉行日記』−−[どら平太]原作

 山本周五郎の『町奉行日記』を読む。やはりというべきか、映画とは違っていた。映画はやはり映画的な面白さを追及するものなのだろう。それに比し、小説は淡々としたものだ。
 いくつかあげれば、まず「仙波」と言われていた大目付の名前は小説では「堀」であった。そして最後の切腹はどら平太の目の前ではなく、後日、自宅でであった。「こせい」さんはお終いに出てくるだけだった(映画では、かなり出番が多く、スリリングなシーンが付け加えられていた)。「濠外」(ほりそと)を牛耳る三人の親分とのやり取りも、はでな立ち回りが映画ではあったが、小説ではそこまではなく、淡々と腹を割った話し合いで解決していっていた。等々。
 映画は視覚的な見せ場を作らなくてはならない、ということなのだろう。やや無理な設定、たとえばこせいさんが危ない、というときに不自然にもさっとどら平太が登場したり、彼一人で多くの敵と戦わせ勝ってしまう、とかだ。(ただテレビ放映版はカットされているシーンがあるので、一概にはその非を論うわけにはいかないのではあるが。)

 手元にありますので、お貸しできます。


78FK:2009/01/09(金) 20:41:32

『不良のための読書術』(永江 朗 ちくま文庫 2003年 \620)

 本・書店・出版などをめぐる本。1997年刊行の文庫版。
 読書日記は読書感想文同様にやめておくべし、と。ただ読んだ本の記録はとっているとのこと。

 刺激的な文句を紹介すると。

「本を最後まで読むのはアホである」
「本はとってもいかがわしい」
「本こそタッチ・アンド・バイ」
「文庫は本の墓場である」
「いい本は見てくれでわかる」
「本は少ないほど気持ちいい」
「持たない、増やさない」

 手元にありますので、お貸しできます。

79FK:2009/01/12(月) 20:59:22

『読書術』(加藤周一 岩波書店 1993年 \850)

 仕事上でもその中心を占めるのが「読書」であり、「読書術」をマスターしておくことは必須のことでもある。
 かつてカッパブックスでベストセラーになったかれこれ40年前の書であるが、いまもって十分に役立つものであった。



 古典とはゆっくり読むための本なのです。(P.52)

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 「本をおそく読む法」は「本をはやく読む法」と切り離すことはできません。
ある種類の本をおそく読むことが、ほかの種類の本をはやく読むための条件になります。また場合によっては、たくさんの本をはやく読むことが、おそく読まなければならない本を見つけだすために役立つこともあるでしょう。(P.6
2)

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 読み通すことのむずかしい本であればあるほど、一日に少しずつ読む工夫をたてる必要があります。(中略)そして、それとは別に、もう少しはやく片づけることのできる本を、何冊か平行して読んでゆくということになります。
(P.86)

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 私にとってむずかしい本は、私にとって必要でなく、私にとって必要な本は、私にとってかならずやさしい、とさえいえるでしょう。(P.203)

 手元にありますので、お貸しできます。

80FK:2009/01/14(水) 20:02:05

『失われた志』(城山三郎 文藝春秋 1997年 \1238)

 対談集(藤沢周平・内橋克人・吉村昭・河盛好蔵ほか)。

 若い頃、氏の小説をまとめて読んだものだ。
 最近読まなくなったのは、経済界の有名人たちを中心にした経済小説がメインになっていたから。どうも経済人やら名士とは肌が合わないので。



 河盛好蔵 (フランスは)文化的な野蛮国です。文化の盛んな野蛮国ですよ。
とにかく、インテリが威張っています。(P.163)


 河盛 フランスというのは、お金がひどく幅の利くところですよ。あらゆる場所で、チップをやったほうがいいです。それに、フランス人というのは、非常にケチですよ。「守銭奴」というモリエールの芝居がございますけれど、守銭奴というのはフランス人というのと同じ意味だと辰野隆先生が言われましたがね。それほどみなケチですね。(P.168)

【さもありなん、である。「文化的な野蛮国」とは言い得て妙である。】

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 城山 手当しなければ友情というものは消えてしまうと言っているね(注『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』)。たとえば、月に一回ぐらいは食事を一緒にするとかね。(P.219)

【どうもこの忙しいご時世では難しいだろう。友情とは無縁に生きてきたような気がする。】



 おしまいの吉村昭との対談では、お互いに徒党を組むのが嫌い、と。組織に属するのはもうこりごり、と。軍隊経験からくるもの。命令されたり指示されたりはご免というわけ。権威も権力も同様。

81FK:2009/01/18(日) 20:56:00

『日本史の快楽』(上横手雅敬 講談社 1996年 \1500)

 学者がその専門的な知識の一端を週刊誌に連載したもの。しかし新知見がたくさんあり勉強になった。



 壇ノ浦の合戦でなぜ二位尼は安徳天皇を抱いて入水したのか?(P.45)

【疑問は残るのだが、一つすぐさま思ったのは捕まえられたら殺されるから。現代に生きる私はこのように思ったのであった。
 ところが、「女は殺さぬ習ひ」であり、公家も殺されないとのこと。平時忠もそこでは殺されてない。なのに二位尼は海へ、しかも安徳天皇を道連れにしたのか?
 大いに疑問とするところ。その答は書かれてなかったのが残念。】

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「34 父に裏切られた護良親王の悲劇」(P.114)

【そうだったのか、と合点。恒良親王が可愛くて、護良親王を捨てた(尊氏に殺させた)ということのようだ。
 これもなぜあの強かった(戦いが上手かった)と思われる護良親王が、そんな簡単にやられてしまったのか、と。
 父親の子どもに対する愛情は公平でなければならない、と私などは思うのだが。
 兄弟といっても母親が違うわけで、その「母親」に対する愛情の深浅によってのことのようだ。
 歴史上の人物にいちいち人間性がどうのこうのと言ってもはじまらないか。】

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「46 「七生報国」を広めたのはだれか」(P.153)

【この言葉は楠木正成のものとされているようが、どうやら違うそうだ。ではいつか?
 昭和のはじめの頃ではないか、と氏は言う。国家の戦争遂行のために創作されたものだろう。もっともまだ完全には証明できないとのこと。】

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「47 「武士=ヤクザ」説は正しいか」(P.156)

【「私も武士を組織暴力団だと考えている。】

 社会の中で、私的な従者(子分)を多数かかえ、武力(暴力)を行使する集団は暴力団と言わざるを得ないが、武士団はこの条件に当てはまる。ただ国家がこの種の暴力集団を手厚く処遇し、時にはその首脳に征夷大将軍などの官職を与えて軍事貴族に取り立て、またそれらの集団がイデオロギーを操作して、自己を巧みに扮飾したため、とても暴力団には見えないだけなのである。(中略)
 現在のように国家が軍事・警察権を独占的に掌握している時代の常識では理解しにくいが、国家がそれらの権限の一部を私的な暴力集団に委ねるのも、歴史上は珍しくはなかった。」(P.157)

【穏やかな書き方をしているが、現に目の前の歴史もそうなのだ。なかなか言いにくいが。
 これまで私が日本史を勉強していて理解し、授業でも生徒たちにそのように説明してきたことの傍証を得た思いだ。】

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「57 歴史は教科書のようには発展しない」(P.186)
「日本歴史の流れは、各時代の中心的な動きだけをつなぎ合わせて構成されているが、それに洩れた重要な要素を組み合わせると、従来とはかなり違った日本史の流れを作ることができるのでないだろうか。教科書に書かれた通りに歴史が発展する土地など、どこにもないのだ。」(P.187)

【その通りなのだが、教科書を見ているととてもそうとは思えないわけだ。厄介なことだ。どんなに注意深く授業をしてみても、そのあたりではずいぶん間違った日本史像を生徒たちにインプットしている。難しいところだ。】

82FK:2009/01/19(月) 20:15:41

『にっぽんロビンソン』(三田村信行 作、田中槙子 絵 ポプラ社 1998年)

 土佐から八丈島の向こうにある鳥島に流された水主たちの話。ロビンソン同様に長平ひとりが最終的に生き残り故郷へ帰ってくる。

 アホウドリを食べ海草や貝を食べ13年間に渡り鳥島で生き抜いたということ。その後漂着した人々と協力して船をつくり八丈島までたどり着き、あとは御用船で江戸へ。そしてそれぞれの故郷へ、ということに。感動ものである。

 なおこの実在の野村長平の話は、吉村昭も『漂流』という小説で書いているそうだ。次に読んでみよう。大人向けのそれと、三田村氏の物語の相違を。

83FK:2009/01/21(水) 20:08:27

『茶色の朝』(フランク・パブロフ 大月書店 2003年 \1000)

 茶色はどうもナチスの色のようだ。50ページに満たない小冊子。不気味な寓話。しかし気づかないうちに身近なところにまで迫っている危険を指摘している。
 高橋哲哉氏が解説というか、「メッセージ」を書いている。

 手元にありますので、お貸しできます。

84FK:2009/01/22(木) 20:45:27

『青い空』(海老沢泰久 文芸春秋 2004年 \2857)

 これは佐野洋のお勧め本。大部でこの本を見たとき(見ず転)ぎょっとした。値段もさることながら。
 しかし内容は良かった。神道・キリスト教・仏教・儒教が出てきて、それぞれの思想性の高低が見事にわかった。
 しかし何もかも政治に関わる者は、私の感覚ではとても是とは出来ないことを平然とやるもののようだ。

 手元にありますので、お貸しできます。

85FK:2009/01/24(土) 12:01:08

『深層』(朔 立木 光文社 2002年 \1600)

 『死亡推定時刻』が良かったので早速求めて読んだ。
 なんともすごい内容だった。それは事件の「深層」なのか、当事者の心の「深層」なのか。
 こういう見方があり得、現に存在したのかもしれないと説得させられる。身につまされる思いもする。

 扱っている事件は、
「針」......大学病院薬物過剰投与事件
「スターバート・マーテル」......大阪池田小児童殺傷事件「鏡」......女子中学生手錠轢死事件
「ディアローグ」......有名作家の子息自死事件

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 上記「スターバート・マーテル」(大阪池田小児童殺傷事件)の死刑囚が2004年 9月14日 火曜に死刑となった。

 その直前の日曜の書評欄に『死亡推定時刻』が掲載されていたが、この覆面著者は、実は女性だったということが判明した。
 細やかな心理の分析は説得力があり大したもので、男性でもこんなふうにできるのだなと思っていた。ただどうしても第一作の『お眠り私の魂』という題名は、男性のものとしたらやや違和感を感じるなと思っていたのだった。
 ということで氷解。そうだったのか、と。

 あと『お眠り私の魂』と計三冊、手元にありますので、お貸しできます。

86FK:2009/01/25(日) 18:35:37

『正義の味方』

 志田未来といえば彼女が出ていたドラマ『正義の味方』の原作漫画全6巻を入手しました。(またまた、大人買い、でしょうか?)読みたい人はどうぞ。なおテレビドラマの方は全10話中1話だけビデオを保存してあります。DVDも出ているのですが、これは買うかどうか迷ってます。

87FK:2009/01/28(水) 11:36:18

2009年 1月28日 水曜 『怪人二十面相・伝』(北村想 新潮社 1989年 \1200)

 さて先日観てきた映画の原作と思って借り出して読んだのだが、実はこれは映画からすればその前の部分であり、時代的にこの小説の終わったところから以後(戦後)のお話ということになる。その内容についてはネタバレになり、映画を観る楽しみが失せてしまうので言うわけにはいかないが。ということでこの小説の最後の章は「終章あるいは新しい序章」となっている。
 登場人物はまさに怪人二十面相である男性・丈吉とその弟子になる平吉が登場し、彼らの人生模様が描かれている。もちろん明智小五郎も小林少年も関わってくる。


「曲芸をしていて一番恐いのは、客席の中に醒めた視線を見ることなそうな。そういう客と眼があった日にゃ、プツンと演技ごころというやつが切れてしもうて、素にもどるんじゃそうな。そうすると、後はもうてんで曲芸にならんそうな」(P.166)

「いい芸は客が半分つくるといっても過言ではない。しかし、自分の芸の出来映えをいちいち客に問うことは馬鹿げたことだ。客もまた千差万別、十人十色だからな。よい客もいれば、つまらん客もいる。つまらん客の意見は拝聴してもつまらん。とすれば、どうすればよいかというと、この自分が、自分自身がもっとも厳しい客になることだ。厳しい客の顔を持つことだ。客になったつもりで自分を観る。これを客観という。」(P.172)

88FK:2009/01/29(木) 20:19:04

『工作少年の日々』(森 博嗣 集英社 2004年 \1500)

 プロットやキャラクタやシーンや、とにかくそういったものを、さきにきっちり考えてから執筆に取りかかる(中略)そういった小説の書き方は、はっきりいってつまらない(中略)出来上がった作品もつまらなかったし、書いている途中も面白くなかった。(P.122)


 好き放題のエッセイ(エッセイだから当たり前だが)。
 なるほど、まーこんな人なのだろうと思わせられる軽さ、あるいは軽妙なタッチ。
 それにしても佐野洋が言っていたように、いとも簡単にやすやすと小説を量産しているようだ。なんとも恵まれたことよ!
 また工作少年というのはとことんこういうことが好きなのだと、あらためて知った次第。機関車を走らせるというホビーも。

 第10章は「僕の小説の書き方」。
 ここでは工作のやり方同様、あれこれと「行き当たりばったりの創作を続けている」というやり方が氏の創作論、ということになるか。私などの授業でも大体の流れは決めていても、細部はその時その時の興(?)に任せて進める、ことが多い。共感するところだ。

 要するにあらかじめ完成された形が見えているもの作るというのは面白くないということ。まるで仕事のようで。それは創作では製作だからか。
 なるほどなと思いながら読んだ次第。

 あと面白かったものに、章の名前では「散らかしの法則」、「忙しさとは」
「時間の使い方」など。

89FK:2009/01/30(金) 22:42:08

『日本国憲法前文と九条の歌』(きたがわてつ あけび書房 2004年 \1400)

 一体どんなふうなメロディラインなのかと思いつつ購入。
 一読ならぬ一回聴いて、なるほどとうならされた。こんなこともできるのだな、と。
 親しみが持てるようになった。やはり音楽の力は大きいものだと再認識。マイナスの場合としての軍歌を思い出せば、より納得できる。平和の歌はなかなか難しいものだ。

 手元にありますので、お貸しできます。

90FK:2009/02/01(日) 19:23:51

『教育と国家』(高橋哲哉 講談社 2004年 \720)

目次

第一章 戦後教育悪玉論――教育基本法をめぐって
第二章 愛国心教育――私が何を愛するかは私が決める
第三章 伝統文化の尊重――それは「お国のため」にあるのではない
第四章 道徳心と宗教的情操の涵養――「不遜な言動」を慎めという新「修身」教育
第五章 日の丸・君が代の強制――そもそもなぜ儀式でなければならないのか
第六章 戦後教育のアポリア――権力なき教育はありうるか



 孫引きだが「できん者はできんままで結構。(中略)それが”ゆとり”教育の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」(斉藤貴男『機会不平等』文春文庫)とは三浦朱門氏の発言。(P.38)

【それならそうと、はっきり言ってくれてたら「誤解」しなかったのに。そうなのかゆとり教育とはエリート教育の「別称」(?)だったのか!】

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 愛国心を持つことと、愛国心を持つように教育することはまったく別のことです。(P.47)

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 社会科という教科は、公共的な事柄への関心を喚起するために重要な役割を果たしうるはずです。(中略)政治的教養を教えるということをもっと積極的に考えるべきではないでしょうか。(P.77)

【このようにもし社会科がきちんと仕事をしていたら、この教科は実に危険な教科ということになっていただろう。すでに「社会科」の名称が高校では廃されて久しい。】

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 権力が必要とする権威を供給してくれる最大の源が天皇ということになる(P.99)

【歴史的にずっとこの状態が続いてきたかのように偽装して、現在もそうなのだ。】

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 国が道徳を教え、将来の市民である子どもたちの「心」を作り上げようとすることの問題性がなかなか意識されないところに、現状の深刻さがあります。
(中略)
 道徳教育について、私が唯一可能だと思うのは、倫理思想について教えることです。(中略)何が正しい道徳であるかは、生徒自身が考えるようにしていくべき(P.118)

【たしかに人の心を操作することの恐ろしさに私たちは気づいていない。もっと警戒すべきことなのに。】

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 国旗・国歌がなくてすめば、さらにベターだというのが私の考えです。(P.164)

【同感。これらがある限り、どこまでいってもその危険性がつきまとうのだ。】

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 学校という場所をつくれば、権力作用なしに学校を運営するのは困難でしょう。
 民主主義と権力作用とは、実は決して相反するものではなくて、民主主義を機能させるためにも権力作用が必要です。少数派は尊重されなければなりませんが、多数決で決まったことを実行するということのなかには、常に権力作用があります。そもそも「民主主義」自体、デモクラシーの「クラシー」とは権力のことですから、デモスの権力、人々(ピープル)の権力、これが民主主義なのです。(中略)
 教育の自由といっても、教員と子どもたちの間には、権力作用という側面が生じるでしょう。(P.195)

【学校にあっては、権力的な関係を否定したいとは思う。しかし現実にはそうはいかない。どこまでいってもやむを得ない側面が残るということ。それが実に「民主主義」というものでもあった。いまだ未熟な民主主義しか持ち得なかったこの日本で、その民主主義が窒息していっている。】

91FK:2009/02/04(水) 20:07:56

『「正しい戦争」は本当にあるのか』(藤原帰一 ロッキング・オン 2004年 \1600)

 対談。というかインタビュー。現実的な学問である政治学の学者としての発言。いろいろと教えられるところがあった。戦後の冷戦構造とその崩壊あたりの解説、等々。



目次

1 「正しい戦争」は本当にあるのか
2 日本は核を持てば本当に安全になるのか
3 デモクラシーは押しつけができるのか
4 冷戦はどうやって終わったのか
5 日本の平和主義は時代遅れなのか
6 アジア冷戦を終わらせるには
あとがき



 日本では親米リベラルっていう政治的な立場はごく少なくて、反米リベラルと親米保守ばっかり。(P.123)

 もともと日本外交のなかには日米安保を中心とするセキュリティ、安全保障のグループと、それから経済援助を中心としている経済外交のグループと両方あって、力関係でいえは安保の方が強い。(P.285)

92FK:2009/02/07(土) 21:59:26

『二十四時間』(乃南アサ 新潮社 2004年 \1400)

 なんとも見事なアイデアだ。一日は24時間あり、その24の正時ごとにエピソードを書き連ねてある。ちなみに最初は「二十三時」、最後は「四時」。
 私にとって涙が出るほど懐かしい「ジェットストリーム」についても書かれてある。

 手元にありますので、お貸しできます。

93FK:2009/02/14(土) 21:37:26

『気をつけ、礼』(重松清 新潮社 2008年 \1400)

 相変わらず泣かせるお話の数々。先生と生徒・教え子。
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「白髪のニール」−−ニール・ヤング、ギター。17歳から45歳へ。


「ドロップスは神さまの涙」−−いじめ・意地悪、保健室登校。五年生の女の子。


「マティスのビンタ」−−中学の美術の先生・つぶされた才能。30年ぶりに入院中の先生を訪れる。

 先生がずっと描きつづけてきたものが、やっとわかった。それは、私もいま――誰だってずっと、目に見えないキャンパスに描きつづけているものでもあった。(P.118)


「にんじん」−−小学校教師・20年ぶりの同窓会での再会。嫌いだった生徒へのこだわり、自らの未熟さ。同窓会での厳しい言葉、しかし救われる思い。

「教師は完璧な人間しかなれないわけじゃないって、先生に教わりましたから」「恨んでませんよ」「もう、昔の話ですから」(P.162)


「泣くな赤鬼」−−高校野球部の鬼監督・クラス担任と退部・中退していった生徒・ゴルゴ。約10年後の再会・ガンで死期が近いことを知らされ、その死まで何度か出会い話すことに。

 走り去った彼らは、ずっと学校に背中を向けたままだったのだろうか。息が切れるまで全力疾走をして、うんと遠ざかってから走るのをやめ、ふと学校のほうを振り返る――そんなことが、ほんとうに、ただの一度もなかったのだろうか。(P.198)

 悔しいけどな、惜しかったけどな、でも、おまえはせいいっぱいやったよ、と手を包む。(P.208)


「気をつけ、礼」−−吃音の男子。中学3年生時のクラス担任。ギャンブルと寸借詐欺。別れ。20年後、少年は小説家に。

94FK:2009/02/15(日) 22:37:21

『どこかで誰かが見ていてくれる 日本一の斬られ役・福本清三』(聞き書き/小田豊二 創美社/集英社 2001年)

 300ページ程もあり、読みやすいのだが時間がかかって年を越してしまった。
 福本氏が兵庫県の人ということもあり、その話し言葉が関西弁というか京都弁も混じっているのだろうが、ふんわりとした柔らかいもので読みやすい。これはひとえに小田氏の功績であろう。(そういう意味からすると小田氏の「あとがきにかえて――」は蛇足かもしれない。なかった方がよかったと思ってしまう。)
 それにしても私自身はこの福本氏のでていた映画を観ているのだろうか。もちろん分かるはずがないのだが。特に時代劇だし......

 それにしてもそれなりに見事な生き方だろう。その点において共感が得られるということでテレビ『にんげんドキュメント』にもなり(実は私はこれを観て氏を知った)、こうして本にもなったということだろう。ただ、これを一種の成功伝としてのみ見たのでは単なる教訓書・道徳書になってしまう。(もっとも氏は酒は飲まないが、タバコは吸っている。)



 ピラニア軍団言うたかて、何もありまへんわ。ただの飲み会ですわ。いえ、私は酒飲みませんから、入ってません。いや、仲よかったですよ、皆とは。でも、なんや昔から、人とつるむのが嫌いなんですわ。(P.245)

【氏のこの生き方は一般化できるものではないかもしれないが、私も「つるむ」云々に関しては同感だ。徒党を組まないというのが、私の信条。もちろんそのために損をしていることもあるのだろうが、本人が気づかないので問題はない。】


 生意気言うようですけど、映画はもちろんスターさんの存在あってのことかもしれ(ま)せんが、基本的には台本でしょう。
 脚本がしっかりしていたら、誰が出ても、どの監督が撮ってもなんとかいきますわ。(中略)もっと悪いことには、その大事な台本を書いてくれる人たちが食っていけんのですわ。食っていけないような商売に、優秀な人材は集まりませんもの。(P.295)


 「大部屋」の仕事のステータスについては次のようにシビアに分析している。
 私が長いこの大部屋生活で感じたことは、スターさんになるには、生まれつき持っている何かがあるんですよ。(中略)私らはこれ以上、落ちるところがありまへんから、楽チンですわ。
 いや、演技なんていうものは、関係あらしまへん。芝居の上手な人はようけおりますけど、芝居がうまいからってスターさんになった人はおりませんもの。脇役にはたくさんそういう人がおりますけど、主役にはなれませんから。いわゆるスターさんが、「芸達者で脇を固める」って言われる、芸達者の方に含まれてしまいますから。
 私ら大部屋は、この芸達者にもなれません。(P.298)




 あと面白いのは、〈大部屋俳優の知恵〉と銘打たれているその体験からくる教訓(?)。
 
 〈大部屋俳優の知恵・其の一〉どっちにしても、しょうもない役なんだから、欲はかくな。(P.25)
 〈大部屋俳優の知恵・其の二〉極端に目立ってはいけないが、少しだけ目立て。(P.27)
 〈大部屋俳優の知恵・其の三〉どんな仕事でもいい。いい思い出を作れ。(P.37)
 〈大部屋俳優の知恵・其の四〉自分の名前を売り込もうとしない。相手から名前を聞かれるようになれ。(P.43)
 〈大部屋俳優の知恵・其の五〉知ったかぶりをしないこと。そうすると、必ず親切な人が現れる。(P.90)

 手元にありますので、お貸しできます。

95FK:2009/02/21(土) 22:14:30

2009/2/21(土)『廃墟建築士』(三崎亜記 集英社 2008年 \1300)

 氏の著作も5冊目となる。相変わらず、異な世界が展開される。表題作ほか「七階闘争」「図書館」「蔵守」の4編。それぞれを紹介することが即、ネタバレになってしまい、これから読もうという人にはよくないので何も言わないことに。ともかく、やはりというべきか、意想外の中味が展開していて面白い。興趣深い。


 決して追いつけぬ、決して寄り添えぬ存在に惹かれて生きることは、虹を追い求めるのにも似て滑稽で、時に惨めだ。(P.159 図書館)

【それでも私たちはその虹を追い求めてしまうものなのだ。悲しい性ではある。いや愛おしい人生であると言うべきか。】

 手元にありますので、お貸しできます。

96FK:2009/02/23(月) 21:42:48

『しろねこくん』(べつやくれい 小学館 2003年 \900)

 月刊誌「デイズジャパン」連載のマンガをまとめたもの。しろねこが主人公。おもしろい。

 手元にありますので、お貸しできます。

97FK:2009/03/06(金) 10:29:02

『ブラザー・サン シスター・ムーン』(恩田 陸 河出書房新社 2009年 \1400)

 短い人生で、そうそう何人も愛せる人が現れるとは思えない。(P.31)

【そうだとも言えるし、そうではないとも言える。難しい。しかし、私はそうだと思うわけなのだが。そう、数人がいいところではないか、その人生で。】


 大学生というのはもっと大人だと思っていたけれど、高校生をもっと大人だと思っていたのと同じくらい大人じゃなかった。本や映画で観た十七歳が、実際自分でなってみたらたいへんショボかったのと同じように、本や映画で観た二十歳は、更に輪をかけてたいしたことがなかった。(P.31)

【そんなものだろう。いつも、つねに違和感がある。そうじゃない・そんなはずがない、なんて。】

 手元にありますので、お貸しできます。

98渦森六郎:2009/03/06(金) 21:05:29
『さくらんぼ爆弾』(柴門ふみ 白泉社 1986年 ¥680)

家の本棚に、ホコリをかぶって、あった。父が昔買ったマンガ。
社内恋愛とか不倫とか、そういう話なのだけれど、ドロドロとはしていなくて、読後感はむしろ爽やかですらある。柴門さん上手い、と思った。意外とこういうのが好きなんだな。父は。

少々汚れていますが、お貸しできます。

99FK:2009/03/06(金) 22:14:12

『戦争の世紀を超えて』(森 達也・姜 尚中 講談社 2004年 \1800)

 ナチスのような悲惨な事態ではなくても、業務として人を殺せるんじゃないか(P.79 姜)

【アウシュビッツをはじめとして、なぜ、かくも多くの人々を淡々と、まるで工場の作業のように殺すことができたのか。その答えは簡単には出てこないだろう。ごくごく普通の家庭生活を送る人たちが、いったん殺人工場に入るや、「業務」あるいは仕事として遂行するのだ。】

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 残虐や極悪非道だから虐殺が起きるのでは決してなく、むしろ全く逆で、潔癖で純真でイノセンスだからこそ、人を大量に殺してしまうんです。(P.255 森)

【私たちの思いこみとしては、殺人者は残虐非道な人たちが実行するもの。たしかに少数を殺す場合はそのようなことだろう。しかし大量殺人はその逆と知るべきなのだ。思想を純真に信じ、実行していくものほど怖いものはない。】

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 (アメリカは)本音では国家としての統合に対して自信がないんです。だから国旗とか国歌とか、そういった偽装された象徴に必死にすがろうとする。
 マイケル・ムーアが「ボウリング・フォー・コロンバイン」で、アメリカ人が銃を手放せない理由を、過剰なセキュリティ意識で説明しています。(P.266 森)

【心理学から分析すれば当然の結論だろう。自信がないから強要するのだ。アメリカ全土に翻った星条旗とあの国歌の大合唱。それらは実に自信のなさから来る強制なのだ。
 WASPたちが加害者として迫害し続けてきたアメリカの歴史をみれば、彼らの怯えが銃を手に取らせ、過剰な反応をもたらし続けてきたことが理解されるということ。】

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 デモクラシーというのは決して非暴力的な社会をもたらすわけではなくて、常に暴力と隣り合わせで反転する構造にある(P.267 姜)

【民主主義というのは良い言葉だ。つい、うっかり良い面ばかりを強調してしまうために、この危険性を忘れてしまっている。もちろん、民主主義的に政治が行われているからといって、その内容までがまともであるという保証はないのだが。】

100渦森六郎:2009/03/07(土) 00:49:59
「もちろん、民主主義的に政治が行われているからといって、その内容までがまともであるという保証はないのだが。」

たしかに、そうは思います。衆愚政治、という言葉もありますしね。
先ほど『坂の上の雲 二』をぱらぱらと読んでいると、ウィッテというロシア帝国の大臣の言葉に、こういうものがありました。
「ロシアは全国民の三五パーセントも異民族をかかえている。ロシアの今日までの最善の政体は絶対君主制だと確信している」(p344)
また、こういう記述もありました。
「ウィッテは、独裁君主においてはなによりも、つよい意志と高潔な思想、感情を第一条件とする。」(p346)
これはまあ、帝政ロシアの場合なのでしょうが、しかしウィッテの言うような理想的な君主がいたとするならば、その君主が腕を振るえる政治体制、つまり独裁政治のほうがむしろ下手な民主政治よりずっと上手くいくのでは、と思ったりもします。民主政治=善、独裁政治=悪、ではないのではないかと思うのです。
にわか勉強で少し書いてみました。

101FK:2009/03/07(土) 20:45:01

2009/3/ 7(土)『穴』(山本亜紀子 四谷ラウンド 2001年 \1619)

 人は誰も見えているものがすべてだと思って生きているが、実際には目に見えない世界が存在しているのかもしれない。
 もしかすると、見えていない世界こそが現実であり、私たちが見て生きているこの世界は幻なのかもしれない。
 なぜなら私たちの命は、幻のように刹那的で、儚いものだから。(P.261)

 手元にありますので、お貸しできます。

102FK:2009/03/10(火) 21:59:10

2009年 3月10日 (火曜) 『ミヨリの森の四季』『続 ミヨリの森の四季』/『Dr.コトー診療所』

 『ミヨリの森』に続く三部作を読了。森と精霊と、男の子ではなく女の子のミヨリ。その織り成す風景が良い。あたまからバカにしてしまうのは勿体ない。こんな世界にこころを遊ばせられることは、とても幸せなことなのだ。そのおこぼれというか、ほんの少しでも一緒に味わえるように、そんな手助けをしてくれるのがこのような作品なのだ。
 アニメ映画の方は途中までだったが、この『四季』のほうではさらに登場人物が増え、面白い展開がある。最終的にイヌワシが登場するのではあるが。

「みんながそれぞれそれなりに元気でいてくれれば私はそれでいい」(P.181 『続 ミヨリの森の四季』)

 これはミヨリのまわりに集まってきていた・出会った人たちが、またそれぞれの場所に帰っていくときの寂しさを感じ、悲しく思っていたシーンがまずあり、そしてそのあと、ようやくこういう心境になることができるのだった。その時のひとりごと。

 あと『Dr.コトー診療所』の第1巻も、先ほど読了。ただちに、いま発売されているところまでの全巻を愛蔵版の方で大人買い。といっても中古だが。ということで、こちらもなかなか良さそうだ。読み進めてみることに。なお蒼井優が出ているというのが、この作品(漫画)を知った切っ掛けなのだが。やっぱり蒼井優か、と言われそう(笑)

103FK:2009/03/12(木) 20:42:47

2009年 3月12日 (木曜) 『フライ,ダディ,フライ』(金城一紀 講談社 2003年 \1180)

 ワォー、と読後、叫びたくなるくらい感動的なお話し。渋い・憎いキャラクターの高校生たち! ムムムとその立派さ(?!)にうならされる。いい話だ。
 本来バイオレンスはイヤで嫌いなのだが、ついつい引き込まれて読んでしまった。いいお話しは主役もさることながら、脇役・バイプレーヤーの素晴らしさで決まるものだ。いい連中ではないか。こんな連中に会ってみたいもの。残念だが、彼らが持っているようなものは私にはかけらもないのだ。イイナー、と嘆息するのみ。

 この本は借り物ですが、上下二巻の漫画は手元にありますので、お貸しできます。
 DVDもあるとか。これも観たいものですね。いま一人捜してみると言ってくれてますが。

104FK:2009/03/13(金) 20:07:08

2009年 3月13日 (金曜) 『Dr.コトー診療所』

 『Dr.コトー診療所』愛蔵版第一部全六巻手に入りました。お貸しできます。
 ベタだけどいいなーと思わせられるお話し。まだ第一巻を読み終えたばかりだが。

105FK:2009/03/16(月) 12:57:30

2009/3/16(月)『おくりびと』(百瀬しのぶ 小学館 2008年 \438)

 映画の脚本をノベライズしたもの。なかなか読みやすく、また内容も良い。あえていえば文庫で180頁ほどという分量も手頃だ。
 予約していたDVDが発送されたとのことなので、楽しみだ。
 以下に上司の佐々木と、火葬場職員の平田の言葉を。


「人間に限らず、たいていの生き物は自分の命を保つために他の命を犠牲にする。そういう死にはみんな目をつぶるんだよ」(P.152 佐々木)


「長いこと、ここにおるとつくづく思います。死は門だな、と」
「死ぬということは終わりじゃない。そこをくぐりぬけて次に向かう。まさに門です」
「私は門番として、ここでたくさんの人をおくってきた。いってらっしゃい、また会おうねって言いながら」(P.171 平田)

【「また会おうね」というのは良い言葉だ。そう死は悲しいことだけど、またいつかどこかで会えるのだと思い、「また会おうね」と言葉を掛け合うというのはとてもいいではないか。】

 手元にありますので、お貸しできます。

106FK:2009/03/20(金) 11:41:24

『スロー快楽主義宣言!』(辻 信一 集英社 2004年 \1800)

 なかなか実践できるものではないが、この人の本はこれで3冊目。

 ぼくたちが普段食べている肉は、自分固有の時間や空間の中で、ゆっくりと生きて愛し合う自由を奪われた不健康で不幸な動物たちの肉だ。そんなハッピーでない動物たちの肉は、それを食べるぼくたちをハッピーにするだろうか。
 野菜についても同じことが言えるかもしれない。現代に生きる人間の不幸は、その周囲に生きる動植物の不幸とつながっている。(P.64)

【なるほど、そういうことなのかもしれない。生きていくためには他の生命を犠牲にしなければならない。だとしても、いや、それだからこそ他の生命の尊厳を尊重しなければならないのだ。】


 そもそも近代社会とは何よりも、合理的な時間秩序を基礎につくられたシステムだと言える。(中略)
 フォード社の「ベルトコンベアによる大量生産方式」が、いかに職人的な「ゆらぐ時間」を解体することで、二〇世紀的な工場づくりを実現していったか(P.78)

【エンデの『モモ』を持ち出すまでもない。私たちがいかに時間によって支配されているか。「ゆらぐ時間」を回復させたいものだ。特に私など仕事柄、痛切にその必要性が感じられる。】

107FK:2009/03/21(土) 13:28:32

2009/3/20(金)『フライ,ダディ,フライ 上下』(秋重学 小学館 2005年 各\505)

 小説『フライ,ダディ,フライ』(金城一紀 講談社 2003年 \1180)の漫画化。小説の通りといえば、その通り。人物が具象化(漫画化)されているのが、先に小説を読んでいたせいで面白い。手元にありますので、お貸しできます。

 なお最後に残された(?)映画もそのDVDを中古ですが注文しました。まもなく。

108FK:2009/03/22(日) 21:36:36

2009/3/22(日) 『ちょいな人々』(荻原浩 文藝春秋 2008年 \1524)

 2006年から2007年にかけての作品7編。まず表題作、「ガーデンウォーズ」「占い師の悪運」「いじめ電話相談室」「犬猫語完全翻訳機」「正直メール」「くたばれ、タイガース」。いずれも面白い。ユーモア小説と言えるのかな。

 「ちょいな人々」は中年サラリーマンの哀感、といったところか。

 「ガーデンウォーズ」は庭先の争い。隣家同士のそれから、共通の敵へ共同戦線。

 「占い師の悪運」の何をやっても真面目でどうしようもない人間にとっては、今は生きづらい社会である。いや、いつの世でもそうか。

 「いじめ電話相談室」は切実。最後に自分で‘いじめバスターズ’を作ってしまうところがすごい。

 「犬猫語完全翻訳機」、あったらいいな、飼ってるペットたちと話ができて、などと思ってたら大間違い。それは想像力の欠如以外の何ものでもないことを思い知るだろう。

 「正直メール」、ケータイメールは苦手。だからそれをヴォイスでやってしまおうというわけ。そこから悲喜劇が。しかし考えてみたらそもそもケータイってのは電話なのだ!

 「くたばれ、タイガース」、若い男性と女性が恋に落ちて、いよいよプロポーズ。そして親にご対面。そこで巨人ファン対阪神ファンのやりとりに。



 コツのひとつは、客を気分良く帰すこと。何も難しいことじゃない。彼女あるいは彼の迷いや悩みを、すべてここで吐き出させ、徹底的にポジティブに励ませばいいだけだ。(P.110 「占い師の悪運」)


「占いなんかに左右されるな。未来は自分で決めろ。大切なことは、つらくたって自分で考えて、悩んで、選ばなくちゃだめなんだ。」(P.117 「占い師の悪運」 【この言葉を吐くことにより彼は失職していくわけだが。】)


 猫の皆さまの声 「おい、お前ら勝手なことばっかりするな。いい加減にしないと、怒るよ、もう」(P.193 「犬猫語完全翻訳機」)


 女の子は自分の父親に似た男と結婚したがる、なんてしたり顔で言う人がよくいる。(中略)「女は自分の父親と似ている男となんか結婚したくはないが、似ている部分のある男と結婚してしまう可能性があることは否定できなくもない」ぐらいには認めてもいい。(P.263 「くたばれ、タイガース」 【私も娘からそんなようなことを言われたことがある。】)

 手元にありますので、お貸しできます。

109FK:2009/03/23(月) 21:47:54

『ドリームバスター 1〜4』(宮部みゆき 徳間書店)

 「2」は一日で読み上げた。なかなか良い。立派なカウンセリングでもある。

 人はその犯した罪、ここでは殺人だが、それを脳あるいは心は、ずっと生涯それを自覚的に抱え続けているのだろうか。ドリームバスターたちはその対象の夢の中に入ってそれを見、知ることになるのだが。

 このお話の時代は未来社会のような内容なのだが、そこには一級市民とか三級市民とかの差別があるようなのだ。なんとも暗い話ではある。もちろん今だって見ようによっては、現実的にそのような差別はあるのだが。
 そんなところをグイッと描き出すのが、凄いところでもある。

 お貸しできます。

110FK:2009/03/26(木) 21:33:25

『英語下手のすすめ』(津田幸雄 KKベストセラーズ 2000年 \648)

 題にひかれて購入。これもブックオフの105円の棚から。しかし内容は大切なことを主張している。同感するところ大。目次を見れば大体の主張が分かる。

目次

序章 英語と私(なぜ英語支配を批判するのか?)

第1章 日本病としての英語信仰(英語を使いたがる日本人)
第2章 「役に立つ英語」のイデオロギー(教養英語から実用英語へ・英会話学校の役割と責任・小学校の英会話教育の問題点・「役に立つ英語」の支配)
第3章 日本女性の英語信仰
第4章 知識人の英語信仰
第5章 英語が国際共通語でいいのか?(英語を使うのは自然?)
第6章 英語信仰からの脱出(日本人が英語下手な本当の理由・日本人は本当は英語が嫌いだ!・大学の英語教育を廃止せよ・外国人とのコミュニケーションを日本語で・英語に使われるな!)
終章 ことばのエコロジーに向けて


 英語を崇拝し、日本語を卑下するといった典型的な「英語信仰」は、精神の奴隷化、自己植民地化以外の何ものでもない(中略)「英語信仰」は人種差別的でもある。白人を賛美し、非白人を軽視する態度が根本にあり、さらにそういった態度を助長・強化する作用もある。(P.34)

111FK:2009/03/29(日) 20:32:39

『本当の戦争』(クリス・ヘッジズ 集英社 2004年 \1800)

 戦争の実態についての437のQ&A。

 戦争はしてはいけないものであり、その準備としての軍隊も持つべきではないことがよく理解される。
 国家は非情なものであり、人々を騙して(言葉の本当の意味で騙して、だ。愛国心とかで)軍隊に志願させ、戦争という名の殺人を犯させる。彼らは自らの命を失うばかりでなく、かりに無事生きて帰ったとしても、精神的な後遺症は生涯残ることになるのだ。まさにその人生を破壊してしまう。そういったことを悟られないように、国家による巧妙な「教育」が学校をはじめとしてあらゆる機会を通してなされるのだ。うかうかと国家に与しては命がいくつあっても足りないのだ。そんなことを教えてくれる本である。

 手元にありますので、お貸しできます。

112FK:2009/03/30(月) 20:02:27

『カリスマ菅野の合格日本史ここが知りたい』(菅野祐孝 文英堂 2003年 \950)

 予備校に比し、特に公立高校の駄目さ加減を指摘されている。その通りなのだが。

 世はもはや公の学校教育に委ねている場合ではないとして、熟通いが今や当たり前の風潮にさえなっています。これは公教育のあり方と学校教師への警鐘というより、ズバリ学校現場の敗北を意味しているのです。(P.54)

【ぐうの音も出ない、と言わざるをえない!】

 手元にありますので、お貸しできます。

113FK:2009/04/05(日) 20:25:53

『有効期限の過ぎた亭主・賞味期限の切れた女房』(綾小路きみまろ PHP研究所 2002年 \438)

 「爆笑ライブ」が4本と自伝からなる。

 ツアー旅行の送迎バスの中で初めて聞かされたのがきっかけ。その後どんどん人気が上がりテレビにも登場し、このように文庫本を私が買うに至った次第。
 細かいこと言えばいろいろ難はあるが、それでも何度聞いても笑ってしまう。けっして上品とはいえない漫談なのだが。

 それと共感してしまう理由の一つは、氏が私と同年の生まれだということもある。

 ちょっとやそっとのことでは動じない。お客さんに受けようが受けまいが、それこそ職人じゃないけど、驚かないんです。(P.151)

【こうまでなるには大変だったろうが、学ぶべき点ではある。】

 手元にありますので、お貸しできます。

114FK:2009/04/07(火) 19:19:07

2009/4/ 7(火)『SPEED』(金城一紀 角川書店 2005年 \1100)

 『フライ,ダディ,フライ』とともに「ゾンビーズ・シリーズ」というらしい。あと『レヴォリューションNo.3』が未読。
 あの高校生たちがまたまたすごいことをやるわけだ。今度の舞台は大学。そしてメインイベントは大学祭。

「車も人もいないのに、どうして停まってなきゃならないんだよ」
「だって――」
「ルールだから?」
「うん」
「もしあの信号が誰かに操作されていたとしたら? 俺たちが前に進めないようにって」(P.192 マギー)

【交通管制であるいは、警察もののドラマや映画でも次々に赤信号にしていって....というのがある。信号は一つの例で、現実の社会の実態を鋭く突いている。】


「これから岡本さんが広い場所に出ていけばいくほど、最低な場所がどんどんと更新されていくよ、きっと」
「落ち込むようなこと、言わないでよ」
「なんで落ち込むの?」南方は不思議そうな声を出した。「最低な場所に出くわしても、岡本さんがそこに馴染まなきゃいいだけの話だろ。それにその場所を変えちまってもいいし、それか――」
「それか?」
「そこから逃げてもいいし」(P.203 南方)

【生きているかぎり最低な場所、に遭遇し、そこで生きていかねばならないことも少なくない。それにしても彼らは強い。でも考えてみれば、至極真っ当な考えであり、行動なのだ。私たちの常識がおかしいのだ。それにしても「逃げる」というのなかなかいい。「負けるが勝ち」というのもあるし。「逃げる」のは必ずしも負けではないのだし!】


「堅苦しいこと言わないでくれよ。出来レースなんて、社会の最低限のお約束事じゃないか。力のある人間が破綻なくちゃんとした地位につけるようにサポートすることのどこがいけないんだい?」(P.237 中川)

【もう身も蓋もない、に尽きる。ふだんすっかりそんなことを忘れて生きているが、毎日の現実は実にその通りではないか。「力のある人間」であれば、まだしも、そうでないのが跋扈している! もちろん「力のある人間」だからといって優遇されるのでは困るが。民主主義は少々の無駄や回り道が、むしろ安全装置として働くことになるのだ。】

115FK:2009/04/09(木) 21:09:15

『Dr.コトー診療所 第一部・豪華愛蔵版』(山田貴敏 小学館 2008年 各\1143)

 新書サイズだと22巻にもなる。長い。しかし、なかなかいい話だ。この先も読み続けたい。その際一つだけ要望を言うなら、1編の終わりごとに(はじまりもそうだが)看護師の星野嬢のコメントから入るのだが、これが(こんな言葉はあまり使いたくないのだが)ややクサイのだ。そんなご大層な触れ込みを次週も期待して読んでもらうために、と書かなくてももう本体で十分魅力があるのだ。不必要だろう。あるとかえって感興を殺ぐというところだ。
 しかし、この先も読んでみたいと思っている。

 手元にありますので、お貸しできます。

116FK:2009/04/10(金) 19:38:30

◆◆◆ 2009年 本屋大賞 ◆◆◆

『告白』湊 かなえ著 (双葉社)
2位 『のぼうの城』 和田 竜著 (小学館)
3位 『ジョーカー・ゲーム』 柳 広司著 (角川書店)
4位 『テンペスト』 池上 永一著 (角川書店)
5位 『ボックス!』 百田 尚樹著 (太田出版)
6位 『新世界より』 貴志 祐介著 (講談社)
7位 『出星前夜』 飯嶋 和一著 (小学館)
8位 『悼む人』 天童 荒太著 (文藝春秋)
9位 『流星の絆』 東野 圭吾著 (講談社)
10位 『モダンタイムス』 伊坂 幸太郎著 (講談社)

 私は『のぼうの城』しか読んでません。『悼む人』は入手したのでこれから読むつもり。最初のページだけ目を通しましたが、なかなか良い感じです。
 『告白』はどうなんでしょう。

117FK:2009/04/12(日) 21:00:11

『聖母(マドンナ)の深き淵』(柴田よしき 角川書店 2003年 \762)

 だんだんとその魅力が分かってきたような気がする。やはり女性(柴田よしき氏は女性)の立場からのハードボイルドであり、女性性からの主張・訴えだ。男中心のものの見方・
考え方を厳しく指弾する革命的なものと言えるかもしれない。

 残酷なシーンは少なくない。しかし、一体何をもって残酷と言い、非道と言えるだろうか。表面的な暴力に目を背けてしまうが、実はもっと巨大で邪な気がつきにくい・目に見えにくい暴力があるわけだ。

 歴史が教えるとおり、いつの時代であってもその支配の基調には暴力があった。そして今もあり続けている。今を生きる私たちはつい、それを忘れてしまっている。それに対し覚醒させ、現実はこうなんだ。今も昔も変わらないのだと教えてくれるのが、この手のハードボイルド小説なのだ。

 いまにしてようやくこの「ハードボイルド小説」の存在意義が私に理解できてきたようだ。これはある意味、現代社会の教科書なのだ。目を背けることなく、つまり直視するためにも私たちは、これらの小説を読み続けていかねばならないのだ。

118FK:2009/04/16(木) 21:09:31

2009/4/16(木)『レヴォリューションNo.3』(金城一紀 講談社 2001年 \1180)

 不良(?)高校生グループのザ・ゾンビーズの繰り広げる活劇(?)の第一作。彼らのキャラがこれでわかる。結果的に最新版から逆順で読んだのだが。
 ともかく面白くワクワクしながら読んでしまう。そして百%肯定するわけではないが、暴力シーンもある。
 この本ではあと二編。「ラン、ボーイズ、ラン」、「異教徒たちの踊り」。時系列的には順序が違ってはいる。シリーズとして三冊なのだが、時系列にこだわらずにこの手のシリーズは読みたいものだ。なお、このあとマンガ版を読む予定。

「勉強の得意な奴らと同じ土俵で戦い続けても、絶対に勝てないぞ。それに、苦手なものを無理して続ける必要もない」(P.23 「レヴォリューションNo.3」 ドクター・モロー)

【相手の得意な土俵にわざわざ入り込んで戦うほど愚かなことはない。最初からそれは負けるに決まっているのだから。そんなことに私たちは意外と気付いてないようだ。それがフェアな戦い方だと錯誤している嫌いがある。フェアプレーはもう一方からすればアンフェアプレー(?)なのだ。】

119FK:2009/04/17(金) 21:36:48

『さまよう刃』(東野圭吾 朝日新聞社 2004年 \1700)

 女性が男性(ここでは未成年者)の集団の暴力にさらされるという、つらいストーリーだ。目をそむけたくなるような叙述はさっと飛ばして、中心となるストーリーを追って一気に読み上げた。

 加害者は法律に守られ、被害者はその命を奪われ家族も生涯にわたって苦しまなければならない。この現実! この矛盾!
 これに対し個人的な「復讐」ということが許されるのか、との問いがなされる。近代以前の社会では、そんなことは当たり前であり、なまじ現代日本社会という人権尊重を建前とする社会ゆえの問題なのかもしれない。

 「警察というのは何だろうな」久塚が口を開いた。
「正義の味方か。違うな。法律を犯した人間を捕まえているだけだ。警察は市民を守っているわけじゃない。警察が守ろうとするのは法律のほうだ。法律が傷つけられるのを防ぐために、必死になってかけずりまわっている。ではその法律は絶対に正しいものなのか。(以下略)」(P.359)

 私たちの教え方が悪いのだろう。法律が誰のため、何のためにあるのか。あるいは警察や軍隊が誰のため、何のためにあるのか。そもそも国家は......。
 そんなことを超越した(?)授業ばかりをしているからだろう。

 戦後60年。60年という年月は、何もかも忘れさせてしまうものなのか。
 民主性のない閉塞した社会が、日本国中を占拠している。実に息苦しい社会を戦後60年、営々と築いてきたものだ。

120FK:2009/04/23(木) 21:02:37

2009年 4月23日 (木曜) 『ぼくと1ルピーの神様』(ヴィカス・スワラップ ランダムハウス講談社 2006年 \1995)(映画[スラムドッグ$ミリオネア]の原作)

 僕は逮捕された。クイズ番組で史上最高額の賞金を勝ちとったのが、その理由だ。(P.9 プロローグ)

 という魅力的な書き出しから始まる。ページを繰ると。

 頭というのは、僕たちが使用を許可された器官ではない。僕たちが使ってもよいとされているのは、両手と両足だけなのだ。(P.10)

 と、ワクワクドキドキするような記述が続いて出てくる。ほんの数頁を読み進めるだけで、この本は間違いなく面白いと思わせてくれる。私はまだ十数頁しか読んでないが、今からが楽しみで、そしてもうこの時点で、「お薦め」するのだ。
 今、私が手にしている本は娘のもの。彼女は未読なのだが、先に回してくれた。2006年の出版なのでずっと読んでこなかったのか、最近手に入れたばかりなのかは聞いてない。とまれ、読みたい人は西宮図書館で借り出せます。4冊在庫で現在の予約件数は3件。

121FK:2009/04/24(金) 19:55:03

『ニッポン泥棒』(大沢在昌 文藝春秋 2005年 \1905)

 大部。あまりなじみのなかった著者なのだが、今回は佐野洋の推薦で見ず転。
 しかしなかなか読み応えがあった。
 もちろん、どうかなと思うところはあるにはあったが、かなりの部分については同感。(太平洋戦争の評価については、異論。もちろん、それをしゃべっているのは現在64歳の戦中派、敗戦時6歳の男性なので致し方ないとも言えるが。)

 「ヒミコ」なるソフトウェアについても、はじめはなかなか理解できなかったが、だんだんと説明されるにしたがい、迫力が出てきた。要するにコンピュータのシミュレーションソフト。(歴史を勉強して考えたら、ソフトがなくても可能なことであり、普段私たちはそれをして生きているとも言えるのだが。)


 「富というのは、自分より裕福な相手から得た財産では決して形成されない。より貧困な人間から収奪してこそ作られるものなんだ。(中略)貧乏人のなけなしの銭を吸いあげる。それが金持になる秘訣だ。」(P.154)
【実に実にその通りだ。本当にひどいものだ。酷いものだ。】


 「どのような仕事でも、ことの大小はあれ、歴史なり、形となって残るものにかかわれるなら、やり甲斐はあるものだ。自分の働きが、あとに何も残さないということになれば、それはひどく虚しく感じるだろう」(P.444)
【何か、欠片でも残したい。それが人間というものだろう。平凡に生きることの難しさよ!】

122渦森六郎:2009/05/04(月) 23:19:22
『新・自虐の詩 ロボット小雪』(業田良家 竹書房 2008年 ¥1000)

すごいものを読んでしまった。
業田さんの「自虐の詩」は名作だったので、図書館で「ロボット小雪」をたまたま見つけて、間違いないだろうと思って借りた。
舞台は、おそらく近未来の日本。そこに暮らす高校生の拓郎の世話をするロボット、小雪が主人公である。さえない拓郎と、真面目だがどこか抜けている小雪の日常が四コマで描かれている。しかし次第に二人の暮らす街の対岸にある謎の街の存在に焦点があてられてゆく…。
最初は「ドラえもん」のような、ほのぼのとした近未来SFギャグといった調子で始まるのだけれども、徐々に現代社会の不平等に対する鋭い批判マンガとなってゆく。ロボットの主人公を通して、人間にバッサリと切り込みを入れてくる。
ただ、結局業田さんのマンガが本当にすごいのは、批判に終わらない所だと思う。鋭く批判はすれども、最終的には優しいのである。人間に対して、完全には望みを捨てていないのである。この「ロボット小雪」も、かすかな希望をのぞかせた終わり方をする。稀有なマンガ。業田良家、すごい。

123FK:2009/05/06(水) 20:08:00

『軍師の門 上』『軍師の門 下』(火坂雅志 角川学芸出版 2008年 各\2000)

 今やってる大河ドラマ「天地人」の原作者の小説。こちらも人気があって図書館で借り出せるまでに時間がかかった。
 竹中半兵衛と黒田官兵衛のサクセスストーリー? 上巻が前者、下巻が後者。
 これまでこの手のは読んできてないので新鮮。

 明(ミン)までをもその掌中に、というのは織田信長の考えであり、秀吉はそれを踏襲したものということらしい。所詮、秀吉は信長のコピーという感じもする。独自の理念・理想はないということか。

 事を成し遂げるには悪にならなければならない。非情であらねばならない。――今の時点から当時のことをどうのこうのいっても始まらないが、酷な時代ではある。作中、秀吉も官兵衛から離反してゆき、もともとの俗物性に戻っていくところなど、残された史実通り(?)になっているのかもしれない。

 結局のところ、信長・秀吉の実像はわからない。作家の想像力に委ねてみるのは面白いことだ。いまさら断罪しても始まらないことなのだから。ただ会社経営者などからいまだに崇拝されているところは、どんなものかと思う。会社員はたまったものではないだろう。

124FK:2009/05/07(木) 18:56:55

2009/5/ 6(水)『日本記念絵葉書総図鑑』(島田建造 日本郵趣出版 2009年 \3800)

 カラー復刻版とあるように原著は1985年のもの。西宮図書館から借り出しました。それにしても切手のそれ同様、絵葉書版があったとは知らなかった。現在も価格がついて流通しているとのこと。近くでは梅田の阪急古書街にある「りーちあーと」で扱っている由。

 何より驚かされたのはその政治性、というべきか。現在、絵葉書といえば観光のそれであって、私もこれまでの旅行で購入してきたものだ。
 なるほど各地の景色や風物も紹介されているが、政治家や軍人の肖像写真などが巧みに組み込まれていて極めて政治宣伝色の強いものという印象を持った。

 目次の大分類は四つ。「内地」、「外地・占領地」、そして「恤兵(じゅっぺい)・慰問」。
 さらに内地のものでは逓信省発行のものに日露戦争のものが、その他の団体発行のものでは「明治35年陸軍大演習」のものなどがある。
 外地・占領地では「台湾総督府」、「樺太庁」、「朝鮮総督府」、「関東州・関東総督府」、「南洋庁」、「満州国」、「蒙彊地区」、「華中地区」、「青島軍政署」、「香港占領地総督部」、「ビルマ国政府」。
 恤兵(じゅっぺい)・慰問絵葉書では、逓信省・陸軍省恤兵部・朝鮮総督府からの発行のものが見られる。

125FK:2009/05/08(金) 20:15:29

2009年 5月 7日 (木曜) 『人を殺すとはどういうことか 長期LB級刑務所・殺人犯の告白』(美達大和 新潮社 2009年 \1400)

 なんとも特異な本である。匿名の著者のものであり、出版社が出版社なので、つい眉に唾をつけたくなる(先頃、朝日新聞西宮支局での殺人犯の手記という誤報をしたばかり)。
 しかし、それにしてもすごい内容なのだ。人が殺されることなので、読んでいて辛いところもあるが、是非一読を勧める。

 泣く人と泣かない人との違い(中略)他者に対して共感性のない人(P.92)


 受刑者の大半は、服役が償いになっているのだから、その後は何も考えなくてもいいし、することもないという姿勢でした。(P.102)

【刑務所暮らしそのものが償いになっているのだと、私も思っていたのだが。なるほど、氏の言うとおりでそこから先がないから、社会に出てからまた繰り返すことになるのだろう。】


 自分は人の人生を奪っておいて、社会で人生をというのは不公平で、私の信奉する「対称性」にかなっていません。(P.103)

【「対称性」とは、自分が相手を殺す・殺そうとすれば、自分も相手から殺され・殺されそうになるということだ。一方的なのではない。相手にしようとしたことは、自分もされるのだ。それが「対称性」で、自分だけが特権の中に守られるのはおかしいことであり、「対称性」にかなっていないのだ。】


 結晶性知能なら学習した人は向上します。勉強ができた、有名大学に入ったイコール頭が良いと考えられていますが、そういう人は概ね結晶性知能は低くないと思います。しかし、本来の人の頭の良さ、切れるということには、むしろ流動性知能の方が重要です。未知の事柄に対しての対応の仕方である程度は推測できます(P.168)

【このような言葉は初めて聞いた。ま、私もこれで慰められかも。】

126FK:2009/05/11(月) 17:58:27

『越境者的ニッポン』(森巣 博 講談社現代新書 2009年 \720)

 著者は自称ギャンブラー。主にオーストラリア在住。

 常識は「多数者の持つ偏見」(P.31)

【普通とか常識とかという言葉に私たちは弱い。私だけかもしれないが。しかし考えてみたらいずれも「多数者の持つ偏見」、そう所詮は「偏見」なのだ。あとはただそれに与するか、しないかだけの問題だ。】


 (日本人が英語ができないのは)もしかすると意図的な「国の政策」ではなかろうか、と疑い始めた。日本国民を実質的な孤立状態にしておくための、国家的陰謀である。半分ほど本気で、そう疑っている。
 (中略)それでも越境して入ってくるニュースは、いったん日本というシステムに無批判なメディアのフィルターを通したものとする。
 簡単に言えば、江戸時代の鎖国方式での統治が、形を変えながらもまだ継続しているのじゃなかろうか。(中略)セレクティブ・オープニングが徳川幕府の政策だった。(P.35)

【これまたなるほどと思わせられことだ。やはり国家の陰謀なのだ(笑)】

127FK:2009/05/15(金) 21:22:16

『仕組まれた9.11 アメリカは戦争を欲していた』(田中 宇 PHP研究所 2002年 \1400)

 だいたい予想はしていたが、このように検証されていくと、何とも言いようのない感動(?)を覚える。つまりそこまでしても儲けたいのか、あるいはアメリカの国益という名の一部の者たちの利益を計りたいのか。それがアメリカという国家の宿命なのかとも。
 現状認識として今のアメリカは完全に「帝国主義」なのだ。そのように私たちは認識をしなければならないということ。それをあらためて知った思いである。

 たしかに9.11事件の犯人としてサウジ人たちが、いち早くマスコミに流れたのも、不思議と言えば不思議だ。この一事をとってもやはり仕組まれたものと考えるのが妥当か。しかも写真付きで紹介された彼らは、所詮、下っ端。真の実行犯と黒幕は、その煙幕の中で逃げおおせたわけである。
 ジャンボ機の操縦が、一年やそこいらで簡単にできるものかどうか。これも怪しいことではあった。
 炭疽菌についてはまず間違いなく米軍のものらしい。あまりに純度が高すぎて一般では作れないとのこと。その他さまざまの怪しい事実が紹介されている。


 (アメリカの)政府や財界を信じて株式に財産を託していた人々は、生活資金を失っただけでなく、株を買うことは愛国的な行為などではなく、政府と企業にカモにされることなのだと考えるようになっている。(P.179)【今の日本も政府の宣伝に乗れば、いずれこのような憂き目にあうことだろう。】

128FK:2009/05/18(月) 19:55:23

『BG、あるいは死せるカイニス』(石持浅海 東京創元社 2004年 \1600)

 佐野洋の推薦。柴田よしきとも通じるものがある。つまり今の世界が男社会であるということ。それを逆手にとるというか、前提を正反対にしてしまってミステリーを展開している。
 当たり前のように思っている「男中心社会」に対して、疑問を投げかけ、気づかせることができるのかも知れない。


 「男が偉い。そういう『常識』を作って、男を祭りあげる。そして社会の重要な仕事から外し、子作りに専念させる。そういうシステムを作りあげたんだ。男は生物として優秀。(中略)世の中の大多数は女なんだ。多数決で勝てるはずがない」(P.213)

129FK:2009/05/19(火) 21:17:42

『淑女の休日』(柴田よしき 実業之日本社 2001年 \1800)

 上手いなあ、と思わせられる作品。
 シティホテルが舞台。そこへ女性探偵の登場。調査内容はホテルの「幽霊」。
 もちろん幽霊などいるはずがないので、人間の仕業。

 しかしホテルというのは、単に泊まるためのものではないということ。そういうことだったのか、と。
 私たちは日常生活の中で、周囲の人たちから決して丁重に遇されているわけではない。むしろその逆のことが多い。そんな中で、どんな時でもそこにいる限り徹底的に丁重に扱ってもらえる(?)場所がある。それがホテルだというわけだ。

 普段、自尊心を無茶苦茶にされる機会は山とあるが、その反対は皆無に近い。そんな時、是非ともホテルへ! ホテルは私たちに無限にサービスを提供してくれる。お金の続く限り何でも!
 ただそれでも、話し相手だけは提供してくれなさそうではあるが。

130FK:2009/05/23(土) 21:08:02

『やがて消えゆく我が身なら』(池田清彦 角川書店 2005年 \1300)

 めげているときに励まされる内容である。手元にありますので、お貸しできます。


 未来がわかって意味があるのは、対処する方法がある時だけだ。分かってもどうにもならない未来は、わからない方がよいこともあるのだ。(P.49)
【その端的な例が「地震」かもしれない。ただ地震の場合、対処の方法はあるのだが、国家というのはその対策を取りたくないようなのだ。】


 もう少し体の調子が良くなったら、もう少しお金ができたら、もう少し暇になったら。多くの人はそう思って、自分にとって最も大事なこともやらないで、時間だけはどんどん過ぎてゆくのである。(P.85)
【まさしく。このような言葉を励みにして、やってみようと思うのだが、なかなかなのだ。】


 農耕、労働、戦争、奴隷。これらの起源はみな一緒なのだ。(中略)人間にとって働くことは美徳だ、との倫理は農耕の発明以後に、誰かがでっちあげたものに違いない。(中略)一所懸命に働くということは、人類史の大半において、正しい生き方でなかったことは確かなのである。(P.91)
【これまた一般には、理解しにくい理屈なのかもしれない。しかし、縄文の昔にかえって考えてみれば分かりそうなものだ。毎日8時間もそれ以上も彼らが働いていたわけがない。それでいて決して貧しい生活を送っていたわけでもないのだ。誰かの陰謀ではないか!】


 学校は基本的に知識を教えるために存在しており、犯罪の予防のための装置ではない(P.223)
【小学校で女の子が同級生からカッターナイフで殺された事件があった。それについての文章である。あらためて学校の役割を認識させられる。というか、今は知識伝達という本来業務以外のことをいっぱい押しつけられているということだ。あげくが、この防犯のこと。それ以外にもしつけやマナーも学校で教えろという。学校を何だと考えているんだ、ということなのだが、何故かそのような声に弱いのだ。納税者(?)の声に。】


 たてまえだけの学校には、生徒・児童たちの暴力衝動を上手に解放する装置はない。
 たてまえを子供たちに信じ込ませるためには、強い情報統制が必要である。
(中略)何も考えずに、命令通りに動く国民を作るのは為政者の夢かもしれない。しかし同時にそれは亡国への道でもある。「よい子」たちの起こす叛乱は、文科省御用達の愚民化政策の破綻を示す何よりの証拠のように私には思われる。(P.227)
【少年犯罪が増加しているように見える。データ的には昔とそう変わらないそうなのだが。
 そしてその原因である。いろんなことが言えるが、最終責任を「政治」がとらなくて誰が責任をとれるというのか。今は政治が無責任なため、官僚が頑張っているということなのだろう。】


 個性や多様性が叫ばれて久しいが、清く正しく美しくの中だけの多様性じゃしょうがない。何といったって現実は、狡く醜くいかがわしいんだから。たてまえで塗り固めたシステムは一枚岩のように見えるが、実は脆弱なのだ。(P.230)
【現実の汚さを学校というのは隠蔽しようとしているようだ。どうせすぐばれてしまうのに。そんな姑息なことに加担してる私たちの仕事というのは、やはり卑職というべきか。悲しくなる。】


 はっきり言って私は、人間の命が大切だなどと思ったことは一度もない。こういうことを公言すると、この国では恐らくそれだけで人非人だ。ではあなたに聞くが、他人の財産を大切だと思ったことはあるか。私を含め多くの人は他人の財産が増加しようが減少しようが別にどうでもよいと思っているに違いない。しかし、そのことは、他人の財産を勝手に奪ってよいという話とは全く違う。同様に我々はいかなる人の命といえども勝手に奪ってはいけないが、それは人間の命が大切だからではなく、そうしなければ、自由と平等が守られないからだ。(P.235)
【なかなか一般には受け入れられない考え方かもしれない。特に学校では何か事件があったら「命の大切さ」を強調する。生徒たちには単なる建前としかうつらないのではないか。実感はわかない。そのような道徳観・倫理観を持つことは難しい。にもかかわらず愛国心をはじめとして、それを私たちに植え付けようとするのだ。誰のため、何のためかを常に念頭に置かなければならない。】

131FK:2009/05/30(土) 22:51:30

『巴御前』(鈴木輝一郎 角川書店 2004年 \1800)

 相変わらず難しい聞いたこともない言葉を用いる。これはどうしようもないだろう。そのおかげで新しい(?)言葉を知ることもできるのだから。

 さてこの本は、佐野洋が推薦していたもの。木曽義仲が何とその愛馬と語り合い、また巴とも言葉を発することなく対話するというもの。歴史小説のはずがSFっぽい様相を呈するわけだ。

 あと義経が戦いは上手いが、人間的にはどうしようもない人物として描かれているのが面白い。時、折しも天下のNHKが大河ドラマとして「義経」を放映しているのである(注 本書出版時)。

 京都に入った義仲軍が乱暴狼藉略奪をしたということで非難されている。小説ではその背景が紹介されており、納得させられるものがあった。つまり昭和の軍隊も義仲当時の軍隊にも共通するのは、その食料調達方法である。つまり現地調達という名の略奪であった。
 戦いに勝てば女性を襲い、物資を略奪するのはいわば勝者の当然の権利だというわけだ。
 食うや食わずでやってきた軍隊の恐ろしさは想像に絶するものがあっただろう。

132FK:2009/05/31(日) 21:07:42

『ゆび』(柴田よしき 祥伝社 1999年 \619)

 テレビゲームと現実での復讐愛憎のドラマが混線しているようなホラー小説(かな?)。「ゆび」とは人差し指のことである。
 着眼点がいい。人間にとって人差し指は働き者である。良いこともすれば悪いことにも使われる。本体の人間を離れた人差し指が、生きていたときの思いを分離した今、果たしていくのだ。
 もし本当にこんなことがあれば、非常にやっかいなことだ。それほどまでに「人差し指」というのは有用な指なのであった。
 小説のラストは、これで終わるわけではないということを示唆している。

133FK:2009/06/24(水) 18:53:31

『ナラタージュ』(島本理生 角川書店 2005年 \1400)

 主人公は高校の世界史教師。世界史には意味はないのかも知れない。何か寓意があるのだろうか。いかにも教師! という感じでいやなところがある。人の心の中にすっと入っていくところとか。それはしてはいけない、と思うことを平気で、それも生徒あるいはその人間のために(!)ということでやってしまうところ。

 顧問をする演劇部の女子が自殺した際には、「僕は悔しいんだ。なにかほかに方法があったはずなんだ。それを見つけて与えることができなかった」(P.314)と。これを優しさととるか、傲慢ととるか。

 人間の愛情関係というのは何人にもどうしようもないものであり、あるがままなすがままに見守るしかない、との考え方があり、この小説ではそれを肯定的に見る。愛情至上主義という感じ。

 しかし現実に生きる人間はそうはいかず、そんな風に生きられてはまわりが迷惑することにもなる。やはり一線を画すべき時も、状況もあるのだ。それを超越させてしまうのは社会性を欠如させた児戯に等しい行為である。大人は、あるいは教師は生徒や未成年に対して、そのようなことはしてはいけないだろう。

 柚子(ゆずこ)の自殺の必然性はこの小説にとってあったのかどうか。この一事を含め、すべてのエピソードは主人公の女性・泉と葉山先生のために仕組まれた(?)それであり、いくらお話とはいえ、やや無理を感じるところではある。

 概して男性の身勝手さや精神の未熟さを感じさせられた。
 若い頃なら読めたかも知れないが、今となってはこの手の作品はもう無理。
 題材も古くからあるもの。現代の装いはしているが。

 そんなことを思うのは、今の私が同じ「世界史教師」で、羨ましいから、かも(笑)

134FK:2009/06/25(木) 21:49:46

『メリーゴーランド』(荻原 浩 新潮社 2004年 \1700)

 公務員が主人公。経営状態の良くないテーマパークの建て直しに奮闘する。
 役所仕事、さらに輪をかけたように非効率でどうしようもない組織である第三セクター。そんな中でいじらしく(?)頑張る主人公。

 面白いことはこれまでの作品同様なのだが、それを凌駕するどうしようもなさ! 日本社会のシステムはもう、どこでもこんなものなのだろうか、と憤慨することしきり。

 私の身にあてはめても、これがまだ30歳代なら別だが、まもなく50代後半の今日、もはやそんな意気はない。元気はない。どうしようもない。それでも、なんとか毎日、学校は動いていく。私が居ようが居まいが、何をしようとするまいと。それが組織だから。

 自分の思い通りに、理想通りにしたければ、自己資本でシステムを作ってやるしかないということだ。宮仕えでは、どこまでいってもダメということ。学校もそう。自分で作るしかないのだ。ただあいにくとこの日本は、学校を作りにくいところなのだ。

 とか何とか、結局、あまり元気は出ないのだが、これが現実なのだから仕方がないか。いくら小説でも、ハッピーエンドにはできなかったということ。

135FK:2009/06/27(土) 21:25:45

『母恋旅烏』(荻原 浩 小学館 2002年 \714)

 またまた最後に泣かされた。ホロリとさせられる。上手いものだ。
 それと今頃気がついてももはや手遅れなのだが、教師やるには旅芸人の芸、大衆芸能のプロのテクニックを学習しておくべきだった。「つかみ」からスタートし、中だるみになったら「客いじり」。なるほどなー。
 そんな工夫をすれば、も少しいい授業ができたかもしれない。しかし手遅れ。昔は落語とか勉強すればいいのかなとも思ったものだが、今や「大衆芸能!」。

136FK:2009/07/04(土) 21:03:21

『夏と花火と私の死体』(乙一 集英社 2003年 \419)

 こういうやり方もあるのか、と驚かされた。小説の書き方としてこんな「視点」(?)からも書けるのだ、と。上手いものだ。
 そしてさらに驚かされたのは、この作品は氏の16歳時のものと解説で読んで。年齢は関係ないということではあるが。
 この変わったペンネーム(?)の著者の作品を読むのは初めて。子どもから勧められたことがあったが、その時は縁がなく(『ZOO』だったと思う)、今回生徒に勧められて。やはり生徒には弱い(笑)
 もう一作の「優子」はどんでん返しというとオーバーだが、これも視点の違いで最後にひっくり返してしまう話。私には十分理解できていないのだが。最近思うのは実にこの私の読解力のなさであるが、この作品についても漫然と読んでいたのでついに分からなかったという情けない次第。

137FK:2009/07/07(火) 20:40:45

2009/7/ 6(月)『西郷盗撮』(風野真知雄 新人物往来社 1997年 \1800)

 西郷隆盛の肖像写真は現在一枚もないことになっている。しかし実は何枚かあって、そのうちの一枚を撮った写真師が本作の主人公。
 人口に膾炙したキヨソネによる西郷の肖像画はどうやら違うらしい。別人の顔の部分から作り上げたものとか。上野公園の像もその亡妻によると「違う」というわけである。永遠の謎の一つであるようだ。
 なお、細かいところでは西郷の指示による江戸での火付けや押し込み強盗の張本人たち(密偵)のうち、ふたりの名前が紹介されている。そこまで調べてあるのか、というのと、そこまで名前が残されているのか、との感懐を覚える。(P.165)
 比較的スムーズに読むことのできた明治ものであった。最後は、西郷の死と、その後の主人公と、一枚きり彼が撮った西郷の写真の行く末で終わっている。

138渦森六郎:2009/07/07(火) 21:24:53
「西郷盗撮」。面白そうですね。ちなみにキヨソネによる西郷の肖像画は、隆盛の弟である従道(海軍大将)と従兄弟である大山巌(陸軍大将)の顔を合わせて描いたものらしいですよ。

139FK:2009/07/08(水) 21:48:41

2009/7/ 8(水)『水の城 いまだ落城せず』(風野真知雄 祥伝社 2008年 \638)

 『のぼうの城』と同じ武州忍城(ぶしゅう・おしじょう)とその城代・成田長親を主人公にした小説。1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの際のお話しである。2000年に単行本で刊行されたものの文庫化。(この二冊を読み比べてみるのも面白い。)
 やはり指導者のあり方はかくあるべし、といった読み方をしてしまう。やはりリーダーが重要だ。その器量のある人間があまりに少ないということか。

140FK:2009/07/20(月) 10:13:23

『だからアメリカは嫌われる』(マーク・ハーツガード 草思社 2002年 \1600)

 内容は凄くて良いのであるが、中身のしんどさでなかなか読了できなかった本。手元にありますので、お貸しできます。



 政治上、われわれは民主主義の国に暮らしているが、実体はほとんどその名に値しない。アメリカ政府は、他国の政府に選挙の運営のしかたを説くけれども、アメリカ国民の大半は投票しない。この基本的な市民の義務を放棄するすることは、物質的な豊かさから生まれる充足感にも原因があるのかもしれないが、もうひとつの原因は確実に、政治制度からの疎外を、多くの国民が実感していることだ。彼らは、政治制度が裕福な有力者の道具となっていることを正しく見抜いている。(P.29)
【これは日本のことではなく、アメリカのこと。でもまったく日本も同じようになっているか。】



 第二次大戦後、自動車がアメリカの輸送網にたいする支配力を強めたのは、企業の極悪行為(ゼネラル・モーターズ、スタンダード・オイル、ファイアストーン・タイヤ&ラバーその他の共同体が、秘密裏に国じゅうのバスと路面電車の路線網を買収、その後閉鎖して、自動車の競争相手をつぶした)と、政府の支援(中略 国土にスーパーハイウェイをはりめぐらした)、そして便利で刺激的な移動手段という自動車そのものの魅力が結びついたおかげだった。
(P.42)
【この「極悪行為」は以前にも何かで読んで知っていた。見事なこの図式は、日本でも同じことが言えるだろう。国鉄民営化をはじめとして。】



 じつは厄介なことに、アメリカ人の大半は外の世界のことをほとんど知らず、とりわけ、政府がアメリカ人の名を借りて何をしているかという情報に不足しているのである。(P.84)
【そこまでメディアによる情報管理がなされていると言うことか。またはそもそもアメリカ人は外のことは何も知りたくないのではないか、との仮説も成り立つだろう。】



 理解していただきたい。アメリカでは「リベラル」といえば「左翼」のことであり、反政府、反企業、反体制の含みを持つ。(P.108)
【やはりそうか、といったところ。言葉の定義があまりにも政治的に規定されている。不幸なことだ。】



 幸いにも、アメリカには国営の、あるいは国に統制された報道機関がない。
あるのは、国に都合のいい報道機関である。(P.109)
【誰にとって幸いなのかは、自明であろう。】



 アメリカ人の多くが仕事中毒であるのは、ひとつに、長時間働くことによって、自分がよい人間であることを自分自身に、そしてほかの人びとに納得させることができるからである。そう考えてみると、貧者にたいするアメリカ人の態度が、同情や寛容より恐怖や軽蔑にかたむきがちであることも説明がつけやすい。貧しいことは、多くのアメリカ人の目には、貧者その人の落ち度だと映るのである。(P.153)
【見事な分析だと思う。そして日本人もそうだ。ただ日本人の場合、後半の貧者に対する考え方まではいってないと思うのだが、それもだんだん怪しくなってきている。】

141FK:2009/07/22(水) 21:22:16

『グフグフグフフ』(上野 瞭 あかね書房 1995年 \1200)

 10年前に図書館で借りて読んだものを入手でき、再読。
 あらためて大したものだと思う。いまだ全集も出ず、ほとんど絶版になっているのだが。

 児童文学であり、子どもたちが読んでその暗喩・隠喩に気がつくという趣向の短編集。まず犬の長太郎が主人公の表題作。人間にこのことがばれると大変だろう。つまり人語が解せ、話せるということ。

 二つめの「つまり、そういうこと」では猫が電話に出て話をしてくる。ラストはふんわりしたいい話。

 三つ目は「ぼくらのラブ・コール」。これは非常に怖い話。戦前の日本社会であり、ナチ支配下のドイツの状況である。愛する、という言葉が脅迫になっている。

 最後に「きみ知るやクサヤノヒモノ」。自らの選択できない出生や両親の離婚などが10歳くらいの少年を取り巻いて出てくる。副主人公は「カセイジン」。
生きていくためには誰かに応援してもらわないと難しいということ。

 手元にありますので、お貸しできます。

142FK:2009/07/23(木) 19:20:24

『ジェニーの肖像』(ロバート・ネイサン 訳・山室静 偕成社 1985年 \500)

 恩田陸の紹介からこの本を知る。やや黄ばんだ20年前の本を図書館の書庫から。内容はなかなか興味深いものがある。1939年の作品。
 ただ訳はいまひとつすっきりしない。偉そうな言い方だが、原書を読んでみたくなる。



 だが――もしもおわりがないとすれば? あるいは、もしも終点でわれわれはもう一度はじめにもどるのだとしたら?......(P.119)

【これは仏教の「無始無終」の考え方のようで興味深い。】



「わたし、科学だとか、数学のようなものが好きなの。でも、歴史はきらいよ。
歴史は、あんまり悲しい気持ちをおこさせるんですもの。」(P.127)

【たしかに歴史はそういうことだろう。きちんと勉強すればするほど、そう実感する。】



「この世界がどんなに美しいか、それを考えていたのよ、イーベン。しかも、わたしたちがどうなろうと、世界はいつまでも美しいのだということをね。
(中略)――わたしたちがいま生きていようと、とおいむかしに生きていようと。」(P.164)

【自然を征服するという欧米の人たちの考えからすると違和感がある。人間が居ようと居まいと自然は厳として存在するのだ。それを「美しい」ととらえるのは人間の考え方。
 それと後段のいまであろうと、とおいむかしであろうと、というのはなかなか考えさせられる。生命の輪廻とかを。】

 訳者は違う文庫本がありますので、お貸しできます。

143FK:2009/07/24(金) 17:56:46

『夜のピクニック』(恩田 陸 新潮社 2004年 \1600)

 本屋大賞作品。内容的には既に『光の帝国 常野物語』に短編であったと思う。
 ともかく氏の一連の高校生もの(?)。しかし私のようにまもなく定年になる人間には、もはや無理なものか、と嘆息。そんな高校時代がかりに私にあったとしても、もはや忘却の彼方である。

 しかし80キロを歩き通すというイベント(歩行祭)って、本当に氏の高校でやってるのだろうか。まるで学校登山のような感じ。
 それと何年か前に、仙台育英高校だったかの生徒の列に車が突入して何人かが亡くなった事故があったことを思い出す。
 とまれ青春の哀感が漂う作品、といったところか。


 当たり前のようにやっていたことが、ある日を境に当たり前でなくなる。こんなふうにして、二度としない行為や二度と足を踏み入れない場所が、いつのまにか自分の後ろに積み重なっていくのだ。(P.16)

【こんなふうに言葉で表現してくれるところに、本を読む利益があるということ。実に実にそうなんだなーと思うのだ。】



「他人に対する優しさが、大人の優しさなんだよねえ。引き算の優しさ、というか(中略)何もしないでくれる優しさなんだよな。それって、大人だと思うんだ」(P.183)

【たいがいの優しさというのはプラスαの優しさだというわけだ。それに対してこのようなセリフを言わせている。】

 DVD、お貸しできます。本もあったと思うが未確認(笑)

144FK:2009/07/26(日) 16:51:56

『押入れのちよ』(荻原 浩 新潮社 2006年 \1500)

 結構、政治的な歴史的なことも扱おうとしているのだなと思った。
 まず最初の「お母さまのロシアのスープ」は731部隊のこと。3つ目の「押入れのちよ」ではからゆきさんを。さりげくなくだが、なかなかいい感じだ。

 2つ目の「コール」は荻原版に換骨奪胎した幽霊もの。大学時代の男二人と女一人のその後の少しペーソスのあるお話。恩田陸だったらもっとねばっこくこれだけで一冊の長編に仕立て上げるところかも知れない。

 4つ目の「老猫」はある種ホラーか。じわじわと恐怖を感じさせる。猫好きの人には嫌われる作品かも知れない。

 5つ目「殺意のレシピ」は喜劇。もちろん最大の悲劇は喜劇だという意味で。
うまいものだ。こんなのを読んでしまうと今夜の食事がすっとのどを通るかどうか?!

 6つ目「介護の鬼」。
 この題から何を連想するか。その楽しみを奪うわけにはいかない!
 現代日本社会の抱える問題で、対策がなされてない介護の問題について独特の視点から刃を突きつけたものと感じた。個人だけが悪いのではない。(もちろん政治的に参政権を行使せずに、といった問題はあるが。)

 7つ目「予期せぬ訪問者」。
 口の端をゆがませて笑うしかないような作品。有り得そうでいて、あり得るはずのないエピソード。あるいは、あり得るはずがないけど、あったら面白い話、か。もっとも殺される女性には気の毒だが。

 8つ目「木下闇」(このしたやみ)。これもそうそうはあるはずがないが、あっても不思議でない子どもの頃の事件。ほとんど喜劇的要素のない悲劇である。

 9つ目、最後は「しんちゃんの自転車」。「木下闇」はその時とその15年後の話。そしてこちらは30年後の話で回想である。
 これまた子どもたちの子どもの頃に起こりがちな事故を描いて、ほんの少しだが人間の生死の問題に触れる。
 とまれ人は様々な過去の思いでの中に現在を生きているものだ。

 以上いずれも短編だが、それぞれにいろいろな趣向が凝らされた作品で、それらを楽しむことができた。

145FK:2009/08/27(木) 20:06:30

2009/8/23(日)『欲情の作法』(渡辺淳一 幻冬舎 2009年 \1100)

 表題の凄さに、書店で手にするのに気が引けるような、そんな本である。と言いつつも、図書館で借りだしたのだが。
 ところがどうだろう読んでみたら、『恋愛の作法』とか『恋愛のすすめ』とか『恋愛成功法』といった内容だったのだ。どうもこれは男性本位の、いやもとい男性に買ってもらうため・読んでもらうためのネーミングのようだった。
 須く世の男性は、この書を読むべし、である!?

 恋愛巧者になる第一歩は、まず沢山の女性を知り、女性にものおじせず、優しく接することができるようになることである(P.36)

 よき恋愛をするためには、いつも恋する気持ちを抱いていなければなりませせん。そしてチャンスとみたら自ら実行することです。(P.47)

 女性も男性も美しくて自信あり気な人はみな、褒められることによって培われてきたのです。(P.60)

 目次から。
 男は振られる生きものである/二兎しか追わぬものは一兎も得ず/考えるよりまず行動を/巧言令色ときめく愛/焦らず明るく正直に

146FK:2009/09/01(火) 20:21:45


『鹿鳴館盗撮』(風野真知雄 新人物往来社 1999年 \1900)

 「盗撮」シリーズの第2作、『西郷盗撮』に続くもの。シリーズといってもその後は出てないようだが。
 今度は鹿鳴館と日本外交にまつわるミステリアスなお話。出だしは、ややエロチックな内容もあり、読み進めづらかった。主な有名登場人物は井上馨・伊藤博文の二人。主人公の写真師が彼らとも会話をすることになる。
 なぜあのような屈辱的といわれた鹿鳴館外交、つまり連夜の西洋風宴会をしたのか。これまで私は深くは考えてこなかったが、著者はそれを伊藤の口を借りて述べており、私もあらためてそのような考え方というか、深慮遠謀があったのかもしれないと思わせられた。日本が列強から侵略はされないまでも、要注意国としてチェックされることを回避するために、野蛮国を装い、有名なビゴーの漫画で揶揄されたような、お猿の貴婦人が着飾ってダンスをするという、そんな風景をあえて演じて見せたのかもしれないのだ。
 だとしたら、伊藤たちの慧眼に敬服するしかないのだが。そのあたりはいま少し、勉強をしてみないとわからないところではある。

147FK:2009/09/02(水) 20:52:05

『「欠陥」住宅はなぜつくられるのか』(河合敏男 岩波書店 2006年 \480)

 一連の耐震偽装問題からのブックレット。

 基本的には甘い法制に原因がある。そしてそれは業界からの圧力による骨抜きのザル法のせいである。やはり国民だけがぼられる対象だ。

 まだ彼のアメリカ合衆国の方が、検査態勢がマシだというのだから悲しくなる。つまり日本はあのアメリカよりはるかに劣っているのである。自明のことであったかも知れないが。



 建物は、消費者の無知につけこんで不当に高い値段で買わされる危険の大きい商品なのです。(P.28)

【たいていの商品は、そのような可能性があるが、ただ大半はただちに検証することができるのと、金額的にも莫大ではないので何とかすませているわけだ。
ところが住宅ばかりはそうはいかない。まさに一生の不覚になってしまうのだから。となると、余程のことがない限りそのような商品には手を出さないのが賢明ということか、庶民には。】



 現代の建築現場は、基本的に性悪説に立って、監視を怠れば必然的に欠陥はつくり続けられると考えなければなりません。そうだとすると、欠陥建築の予防は、公的な検査によって実現すべき問題だという結論になります。(P.51)

【これまたどのような場面でも言えることだろう。被害の大きさからすればより切実であることは間違いない。おなかをこわす程度ではすまないのだから。】

148FK:2009/09/03(木) 20:26:53

2009/9/ 3(木)『われ、謙信なりせば 上杉景勝と直江兼続』(風野真知雄 祥伝社 2008年 \657)

 今年の大河ドラマですっかり有名になった「直江兼続」が主人公の話。著者はすでに1998年にこれを刊行している。ただ、『天地人』の方は有名になったが、こちらは知られないままのようだ。
 補佐役として生きる人間の、その人生を描いたようなものか。なかなか格好良く描かれているのだが、それは今の大河ドラマと同断だろう。たしかになかなか魅力的な人物であったようだ。ただ子どもたちには恵まれず、三人とも自分より先に死んでいっている。仕事では満足できても、家庭では悩みがあったということようだ。むずかしいものだ。
 今夏、そんな直江兼続のことも知らずに、彼が晩年を送った米沢に行ってた次第。ある意味、米沢が一番関係の深い場所であったのかもしれない。もとは越後とはいえ。

149FK:2009/09/05(土) 21:43:13

2009/9/ 5(土)『希望ヶ丘の人びと』(重松清 小学館 2009年 \1700)

 この手のホロッとさせる作品がうまい著者なのだとつくづく思う。『その日のまえに』・『きみの友だち』同様。ただこれは長編。二段組み510頁。
 今作品では『その日のまえに』とやや似ているところもある。そこでは妻であり、母である女性が亡くなる前から、亡くなるところまでが描かれていた。それに対してこの『希望ヶ丘の人びと』はすでに妻であり、母である女性が亡くなって二年が経つ。そこからのスタートだ。
 しかもこの地名であり、場所はその亡くなった妻・母親の育ったところ。したがって昔なじみが健在であり、自ずから様々な思い出がいっぱい詰まったところであるわけだ。わざとその場所を選んで引っ越してきた訳なのだが、はたしてそれがいいことなのかどうか。ともかくそれゆえに様々な問題・事件が生じ、小説は展開していくのだが。
 またあらためてこの地名「希望」というネーミングに、強烈な皮肉を感じさせられもする。希望があるうちは、明るく輝いた言葉であるが、一旦、希望を失った際にはとてつもなく絶望的な気分にさせられるネーミングなのだ。希望という言葉を恥ずかしげもなく使えるのは若いうちだけなのだろう。この言葉を私が口にできなくなってから、もうずいぶんの年月が経つ。


「おとなが考える『もしも』っていうのは、残酷なものだと思わないか?」
「おとなと子どもで違うんですか?」
「子どもの『もしも』は未来に向いてる。可能性だ。もしもボクに翼があったら、もしもタイムマシンがあれば、もしもJリーガーになれたら......ってな。でも、おとなの『もしも』過去にしか向かわない。後悔や愚痴だ。もしもあのとき、ああしてれば、もしもあのとき、ああしてなければ......ってことだろ?」(P.340)

【痛切だ。言われるとおり、おとなのそれは過去にしか向かわず、子どものそれはほとんどが未来に向けてのもの。】


「わたし、悪いけど、ニッポンのこと、やっぱり好きになれない。(中略)徹底的に嫌いになっちゃう前に、お別れしたいの、この国と」
 ニッポンは「みんな同じ」が大前提だから――。
 強くても弱くても、「同じじゃない」ひとは、いつもはじかれてしまうから――。(P.420)

【日系のマリア16歳はこのように言って、母の国アメリカへ帰って行く。そんな国・場所なのである。日本は。】

150FK:2009/09/08(火) 20:50:27

2009/9/ 8(火)『自然はそんなにヤワじゃない』(花里孝幸 新潮社 2009年 \1000)

 題の通りだと思うので、それを確認するために読んだような本。

 第1章 生物を差別する人間
 害虫や雑草という言葉に表れているか。そして「クジラだけがなぜ贔屓される」! そして「誰もが満足する環境はありえない」ということに。

 第2章 生物多様性への誤解
 「汚れた湖の方が生物多様性は高い」。また私たちに「見えない」からといって「いない」ということではないということとか、洪水の効用とかをあらためて考えさせられる。
 
 第3章 人間によってつくられる生態系
 それでいいではないか、いや「それでもいいではないか」とも言えるか。所詮、人間もこの地球上で生きていくしかないのだから。他の生物のことばかり言ってられるか、といったところか。
 
 第4章 生態系は誰のためにあるのか
 「少子化社会の維持を」というのがあるように、やはり少子化は悪いことばかりではない。

151FK:2009/10/02(金) 21:50:54

2009年10月 2日 (金曜) 『徒然草 in USA 自滅するアメリカ 堕落する日本』(島田雅彦 新潮社 2009年 \680)

 小説家による時評・社会分析には鋭いものがあるということだ。いろいろと勉強になった次第。

 資本主義は貧しい者をより貧しくし、戦争と恐慌をもたらし、ひいては人を死に導く。この法則は、歴史が証明している。拝金主義者の人口は圧倒的に多いので、資本主義はもっとも多くの信者を抱える世界宗教のようなものにも見えるが、善悪の区別や内省、理性、あるいは倫理といったものがすっぽり抜け落ちているので、宗教とは程遠いものでもある。
 貨幣は信用の対象だが、いい換えれば、信仰の対象にもなり得る。元々、貨幣は教会や寺院がその価値を保証していた歴史があり、それ自体が宗教的な意味合いを帯びてもいた。(P.45)

【その通りだろう。後段については知らなかった。】


 資本家に倫理を求めるのは、政治家に品性を期待するのと同様難しい。(P.105)

【にもかかわらず、資本家たちは倫理を私たちに説くのだ! 笑止千万!】


 日本が誇る知性や技術はいい教師といい生徒との出会いから生まれるもので、別に愛国心の産物ではない。知性とは自分の頭で考えられるということだ。自分の頭で考える生徒を作るには、自分の頭で考えられる教師を育てる必要がある(P.144)

【何も付け足す言葉は、ない。】


 大衆社会では理性的な個人も衆愚に組み込まれる。権威主義は民衆の無知によって支えられる。わかりやすさの追及は思考能力の低下を招いた。(P.144)

【思い出すのは、分かりやすい授業、というやつだ。これがいかに害毒を撒き散らかしたことか。】


 おのが欲求不満を吐き出すためにも、本能や感情を爆発させるためにも教養が要る。なぜ自分は怒っているのか、何に憤りを覚えるのか、それを伝える言葉を持たない人間は惨めである。(P.145)

【知識や教養を軽んじるなかれ、ということだ。】

152FK:2009/10/10(土) 21:35:16

2009年10月10日 (土曜) 『青き剣舞(けんばい)』(花家圭太郎 中央公論新社 2003年 \1800)

 時代物の単行本は、とっかかりが難しい。少なくない数の人名・地名・官職名・人間関係などが錯綜するからだ。この本もそうで最初はなかなかはかどらなかった。言うまでもなく途中からは、ぐいぐい引きこまれて読み進められたのだが。
 時は赤穂浪士の討ち入りがあった前後の数年間、青春のまっただ中にいながらも、それぞれ各武家の二、三男という不遇の中でそれぞれもがき苦しみながら生きている仲の良い三人の間にまもなく波風が立って、それぞれの思わぬ人生が展開されていくことになる。中でも主人公である玄二郎はなかなか魅力ある好人物として造形されており、このことだけですでにこの小説が読むに値するものとしている(誉めすぎかも)。
 江戸に出て、実際に赤穂浪士の討ち入りに際会するのだが、その前後でそれをめぐっての江戸庶民の賭けが行われていたことについての記述があった。それが史実かどうかは今の私には分からないのだが、さもありなんと思わせられるエピソードである。最後の最後までヒヤヒヤしながら読むこととなる。好著である。

153FK:2009/10/14(水) 22:00:06

2009年10月14日 (水曜) 『群青遙かなり』(花家圭太郎 徳間書店 2005年 \1800)

 折しも世界史の授業を担当しているので、この本のテーマにもついていけた。
 日本の方の主人公は豊後の国の大友宗麟・キリシタン大名とその食客・乾主水(いぬいもんど)、それに対しポルトガルの方はカルロス。いずれも架空の人物、造形されたものとは思うが、彼らがインドのゴアで出会い、さらにその両者のともどもの死の時までを描く。イエズス会の宣教師や豊臣秀吉・島津氏も出てくる。
 海を舞台にしたなかなか気宇壮大な小説であった。場所は違えども同じような歴史、小国が大国に飲み込まれていく様が描かれていて、歴史の勉強にもなる。なかなか魅力的な作品であった。

154FK:2009/10/29(木) 23:14:28

2009年10月29日 (木曜) 『花の小十郎京はぐれ 乱舞』(花家圭太郎 集英社 2002年 \2200)

 460頁の長編。『暴れ影法師』『花の小十郎始末 荒舞』に続く第三作目。
 やや読むのに苦労した。それと「京」が出てくるということは、やはり天皇や公家が出てくるわけで、そうなると破天荒な主人公の本来のありようがかなり鈍ってしまってるように感じる。既存の作品では隆慶一郎のそれがあるが、突拍子もない面白さが天皇たちが登場することによって一挙にトーンダウンしてしまうのだ。それはタブー視しているからか、はたまた尊敬・畏敬の念が強すぎて小説として書くのにブレーキがかかるからなのか。いずれにせよ、いまいちの感をいだかせる結果となっている。


「政事(まつりごと)は世の流れのなかで定まる小局。その前に、この国の在りよう......すなわち、大局があろうかと存じ奉りまする」(P.444)
【歴史上、その時々に権力を握った者たちも、歴史の大きな流れ、あるいはもっと大きな普遍的な存在からすれば、所詮、小局にすぎない。ただ「大局」を何と定義するかで、本来、小局の一つである天皇・朝廷の存在、あるいは神というものをそれだと誤認・誤解する人たちがいるのだ。私の思うには、それは人間も含めたすべての生命体と自然の景観・風土のトータルのもの、といったところか。大局とは何か、と感得するのは困難なことだろう。】

155FK:2009/11/01(日) 20:16:01

2009年11月 1日 (日曜) 『花の小十郎はぐれ剣 鬼しぐれ』(花家圭太郎 集英社 2007年 \2200)

 今作(シリーズ第四作)では、二代将軍・大御所の秀忠が亡くなり、そのあと三代将軍家光がいよいよ専権を揮おうというところでのお話し。主人公はこの家光から憎まれ、命を狙われているという設定。それをどのようにやりこめていくかという面白さがある。失うもののない者は強いということ。それに理もあるわけで。

「わしは指示をせぬのではない。指示を我慢しておるのじゃ」(P.170)
【相変わらず、いろいろと聞くべき言葉が散りばめられている。現代風に言うとカウンセリングでもあり、人の指導にあたっての心構えでもある。ついつい指示したくなるのが、人間だ。】

「賢愚洩らさずその筋々に用ゆべし」(P.172)
【これも同様で、適材適所とか、それぞれの個性を十分に活かすということで、不易の真理であろう。ただ哀しいかな、「賢」は用いても「愚」は排除する場合が多いことだ。どちらも必要なのだが、なかなか難しいようだ。】

156FK:2009/11/03(火) 20:36:13

2009年11月 3日 (火曜) 『いつまでも、いつまでもお元気で 特攻隊員たちが遺した最後の言葉』(知覧特攻平和会館編 草思社 2007年 \1000)

 男子生徒が貸してくれた本。知覧へはそしてその知覧特攻平和会館へも修学旅行で一度行ったことがある。その生徒はまだ行ってないとのこと。
 この手の本は、若い頃「太平洋戦争」についていろいろと勉強をしていた頃にいくつか目にした。これもその頃に一読しているのではないかと思う。
 これ一つ読むだけで、戦争をしてはいけないこと・国家主義教育はしてはいけないことを痛切に理解させられるのではないか。

157FK:2009/11/05(木) 19:53:08

『大脱走』(鈴木英治 中央公論新社 2009年 \1600)

 ソフトカバーの書き下ろし。穴山信君の妻・千鶴のちの見性院が主人公と言っていいか。穴山がいよいよ武田勝頼を裏切り、その妻子を甲府から脱出させるお話しがメインである。まさに、大脱走。それを阻止せんとする勝頼の部下前島平蔵(おそらく架空の人物と思う)を狂言回し(深刻な役割だが)として。
 一気に読んだ。しかし、無用の殺生が愚かな(?)領主によって恣意的になされていくさまは、あまり気持ちのいいものではない。歴史はそのような過程を経ざるをえないとはいえ、哀しいことだ。

158FK:2009/11/07(土) 21:04:04

2009年11月 7日 (土曜) 『イキガミ 7』 (間瀬元朗 小学館 2009年 \540)

 最新刊。二つのエピソード。どちらも道半ばにしてその生命を奪われる無念さに同情し涙を誘われる。間違った思想による合法的な死を与えられる、という残酷さ・酷薄さを実感できる。これまでのと同様、相変わらず良い内容だ。

 DVD、本(全7巻)ともに手元にありますので、お貸しできます。

159FK:2009/11/08(日) 20:24:32

2009年11月 7日 (土曜) 『国芳一門浮世絵草紙 侠客むすめ』(河治和香 小学館 2007年 \533)

 シリーズ第1作。面白い! まず本家本元の国芳が破天荒な、しかも器用で上手い絵師として紹介されている。弟子たちがよってたかっても勝てないくらいの才。次にその娘・登鯉(とり)がいい。狂言回しとして話を進めていく役割と、自身の恋をまじえて成長していく姿がいい。天保の改革の頃の話で、当時の社会に対する批判は、今のご時世にも十分通用する内容がある。大したものだ。
 現在第三作まで出ているようであるが、次が楽しみだ。なお、高校生向きというよりは、やはり大人向きの作品だろう。


「浮世絵ってぇのは、この浮世をそっくり絵にしたものさ。だからじっくり浮世の苦労をした者じゃねぇと、いい絵は描けっこねぇんだ。ただ筆ばかり握っていたってダメってことよ」(P.108)


「だがよ......みっともねえ真似もせず、何にもつまずかねぇで生きてきた奴は......人を許す、ってことを知らねぇよ」(P.110)

【いずれも十分、通用する話だ。】

160FK:2009/11/09(月) 19:26:36

2009年11月 9日 (月曜) 『国芳一門浮世絵草紙2 あだ惚れ』(河治和香 小学館 2007年 \533)

 シリーズ第2作。いい。女性の心理のあやもよく描かれているような気がする。若い登鯉のいくつかの恋もあれば、大人の恋も。その父・国芳の生き方は相変わらず気持ちがいい。それこそ私とは対極にあるような生き方だ。あとうらやましく思うことに、その家はよほど居心地がいいのだろう、みんながなんだかんだとやって来るというところ。目には「物理的な場所」しか見えないのだが、もちろんそれだけで人が集まってくるわけではない。


「女ひとり老いさらばえてゆくのは、世間の人が思うほど寂しくはないけどね」
 でも、人は、自分のためだけに生きていくのは案外むずかしいよ、とお栄は言うのだった。
「......自分のことばっかり考えて生きていくのは、気楽なようで、結構めんどうなものサ」(P.148)

【この真理に、人はなかなか気付けないような気がする。気がついたときには、まわりにはもう誰もいない、ということに!】

161FK:2009/11/10(火) 19:22:55

2009年11月 9日 (月曜) 『国芳一門浮世絵草紙3 鬼振袖』(河治和香 小学館 2009年 \533)

 一年半ぶりの最新刊。シリーズ第3作。間が空いたのは著者の家人が亡くなられたためのようだ。
 さて久しぶりとなったせいか、出足はややなじみにくかったが、徐々にこれまで同様のペースに。やはり、なかなかいい。

 本人の姿が<ない>ことより、こうして遺されたものが<ある>ことに、悲しみはよりいっそうつのるようだ。死んでしまったという実感は、こんなふうに刻まれてゆくものなのだろうか。
 近しい人の死は、こうして折に触れ心に再来し、キリリと痛みを残し、また何もなかったように去って、残された人々を日常の中に置き去りにしてゆくのだろう。(P.59)

【なんと言うことなく、しかし、ぐっとくるこの表現を心に留めて読了。そのおしまいの解説にあたるところで、上記のご不幸を知ったわけで、その伴侶を失った著者の悲しさに思いをはせた次第。
 そうなのだ。残された者は、死ぬまで置き去りにされたままなのだ。ほとんどの日常は、その悲しみを忘れて時を過ごしていくのだが、ときに喪失の悲しみをあらためて悲しまされることとなるのだ。】

162FK:2009/11/11(水) 18:14:12

2009年11月 9日 (月曜) 『秋の金魚』(河治和香 小学館 2003年 \1600)

 重い長編。時代は幕末から明治20年頃まで。登場人物は主人公の女性・留喜(るき)をめぐって、史上、有名な人物があるいは初見の人物が。例えば咸臨丸のアメリカへの航海での乗組員など、私には知る由もない。
 江戸幕府の滅亡から明治維新にかけての歴史の中で、徳川慶喜のような雲の上の人間は別として、仕えていた武士たちのその後はなかなかに凄絶である。
 歴史の表舞台にはけっして出てこないような人々のことが描かれていて、そのような視点もあるのだとあらためて知らされる。いくら勉強しても、まだまだ終わりはない。正史だけではなく歴史小説もその視野に入れておかねば、と思い知らされる。

163FK:2009/11/14(土) 11:39:35

2009年11月14日 (土曜) 『笹色の紅―幕末おんな鍼師恋がたり』(河治和香 小学館 2006年 \1700)

 最後のページを読み終わって、からだがブルッとふるえるような作品だった。良い。実に、良い。こんな本にめぐり会えてよかった、としみじみ思う。
 人の一生、その人生には、重いものがある。もちろん誰の人生にも、何もないはずはない。どう思おうと・思われようと、気付かれようと・気付かれまいと、そこにはいっぱい、言うに言われぬ本人だけの思いや事々があるものだ。
 そんな人の生を垣間見させてくれるのが、小説なのだと思う。

 おしゃあは庄八と出会って、はじめて甘えるということの喜びを知ったように思う。人は甘えることを覚えて初めて他人に優しくなれるのかもしれない。(P.93)
【おんな鍼師・おしゃあの一生を描いた作品だが、その話の中心は、彼女が二十歳の頃に出会った生涯の男性、漁師であった庄八とのこと。愛とか愛情という言葉では言い尽くせないものを、この「甘える」という言葉は含んでいる。このような、甘えられる人を得られることは、人生最大の幸福であろう。】

164FK:2009/12/09(水) 22:21:29

2009年12月 9日 (水曜) 『般若同心と変化小僧 陰謀』(小杉健治 KKベストセラーズ 2009年 \686)

 シリーズ第3作。これも悪役(?)鳥居耀蔵が登場する。この小説の設定では、犯人捜しのミステリーという部分は、ある意味、最初から望むべくもない。つまり変化小僧たちにとっての敵が下手人であり、陰謀を画策しているわけなのだから。
 そうなるとこの小説を読む楽しみというのは、いかに彼ら悪人を追い詰め、天罰(?)を下していくか、という点に集約されるわけだ。誅殺されるのは小悪だけであり、巨悪は生き残っていく。フラストレーションの残る所だ。また、派手なアクションもあまり期待できないし(相手は権力であり手強すぎるので)、明るい笑い声が出るわけでもなく、なかなかストレスの溜まる小説であるといえよう。こんなことで、この小説は売れているのだろうか?!


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