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関関同立とくくることが間違っている点

51Kwansei Gakuin University:2018/06/30(土) 20:44:34
“関関同立”の命名は夕陽丘予備校の創設者 白山桂三氏

 創設者の白山桂三という人は、とても魅力のある人物だったらしい(故人なのでここから敬称略)。 旧制大阪高等学校から東京帝国大学に進み、高校教師になる。昭和27(1952)年、大学に受からなかった生徒たちを、難波でトタン屋根の校舎を建てて教えだしたのが、夕陽丘予備校のルーツだ(当時は浪速予備校という名称。のちに夕陽ケ丘の地に移転してから現名称に)。

 その後も白山は「青年は宝だ」「若者を育てないと日本の未来はない」という信念の下、受験勉強だけでなく人間教育にも力を入れた。その結果、夕陽丘予備校は普通の予備校とは違うユニークな存在になっていく。普通、予備校は、大学に入学してしまえば、寄りつくような場所ではないが、夕陽丘予備校は、大学生になっても社会人になっても白山桂三を慕って卒業生が学校に集まってきたという。

 現校長の窪津氏もそんな白山桂三門下生のひとりだ。高校生時代、家が経済的に苦しかった窪津氏は、夕陽丘予備校でバイトしながら国立大学を受験したが失敗。私立大学には行けるような経済状況ではなかった。 すると白山は窪津氏にこう言ったという。

「大学行くだけが人生ちゃうぞ。うちに就職せぇ。大学の4年で学ぶようなことは全部俺が教えてやる」

 この言葉に窪津氏の心は動き、大学に行かずにそのまま夕陽丘予備校に就職した。そして白山の秘書的な役割から始まって夕陽丘一筋四十年以上、現在の校長に至るという。

 予備校の先生が「大学行くだけが人生ちゃう」というのが痺れる。 ええ話や。しかし、私は夕陽丘予備校の「ええ話」の取材をしにきたわけではない。 そう“関関同立”のルーツを聞かなければ。


夕陽丘予備校校長の窪津典明氏
“関関同立”の初登場は昭和46(1971)年

 まず窪津校長が私に見せてくれたのは「創立三十年夕陽丘予備校史」(1981年発行)という本だ。その中に、当時大阪新聞記者だった宮本守正氏が寄稿した「『大学へアタック』を始めた頃」という文章の中に、“関関同立”というフレーズが誕生したきっかけが書かれているという。早速、読ませていただいた。


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