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ゆとり雑談掲示板

247武器は思考力:2015/03/31(火) 08:42:59
広島・黒田、武器は思考力 名将望月さん(焼津市在住)述懐

専大野球部元監督の望月教治さん=焼津市 専大野球部元監督の望月教治さん=焼津市
29日のヤクルト戦で、8年ぶりに日本球界での白星を手にした広島の黒田=マツダ 29日のヤクルト戦で、
8年ぶりに日本球界での白星を手にした広島の黒田=マツダ

 米大リーグのヤンキースから広島に復帰した黒田博樹投手が29日、
ヤクルト戦に先発し8年ぶりに日本球界で白星を挙げた。
大阪・上宮高では控えの選手だった。決してエリートコースを歩んだわけではない。
なぜ成功できたのか。答えの一つは、相手や自身の状態、環境によって投球スタイルを
変えられる柔軟性や思考力だろう。大器の片りんを見せ始めたのは専大に進んでからだった。

 当時、専大を率いていたのは望月教治さん(79)=焼津市在住=。静岡商高、興誠高(現浜松学院高)を甲子園に導き、
社会人でもヤマハ発動機に日本選手権優勝をもたらした名将。望月さんは、
大学の入部セレクションで黒田投手の球を見た瞬間「一目ぼれというとおかしいけど、これは絶対にいける」と確信した。
高校での実績がないだけに「(大学に)入れる時は本当に苦労した」と苦笑いを浮かべる。
その一方で入学後は「手がかからなかった。叱った覚えもない」とも話した。

 ランニングを「よくやっていた」と言い、投球フォームを大きくいじるところはなかった。
「素直な、いい投げ方をしていた。今も昔もほとんど変わらない気がする」。
39歳だった昨季、ヤンキースで先発ローテーションをただ一人守った
。体の強さは無駄のないフォームとも無関係ではないはずだ。

 大学では1年でベンチ入りした。3年時に柱の一人となり、4年生で初めて東都大学リーグ1部に昇格した。
そして、プロの世界へ。望月さんは「プロでは個性的というより、そのチーム、野球に対応できる頭の持ち主にならないと。
黒田は大学のころから頭が良かった」と述懐した。

 望月さんの下でコーチを務めた堀田一彦さん(58)も「考える力」を認める。部員にダッシュ30本を課した時、
高学年だった黒田投手は20本しか走らなかった。だが堀田さんは怒らなかった。
「(3、4年生は)20本でいいところを、わざと30本と言っていた。
(自分にとって必要な本数を)考える能力ですね」と理由を明かした。


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