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ゆとり雑談掲示板
16
:
駿河大納言と藤枝[]
:2014/04/08(火) 20:57:07
駿河大納言と藤枝[]
ほのぼのロマン 一之瀬の里
^竹の香りは 三つ池あたり すみれの花なら 葉梨川
そよぐ風を 聞きたけりゃ 一之瀬あたりの 山々よ
私は以前「ふじえだめぐり」という曲をレコード化しました。曲の中に
一之瀬の地名の出て来る所から藤枝の奥座敷に関心を抱き、山里に密かに伝わる
静岡のお殿様、駿河大納言こと徳川忠長についての色々の事績を調べてみました。
まず手始めに「藤枝市史」三三六頁を開くと「市内一之瀬に遠藤加賀守が居住し、
忠長はのがれてここに住し、天寿を完うしたという俗説がある。
遠藤加賀守道政は二十五石の家柄で、その家中の百姓も七十五戸ばかりあって、俗謡に、
^山家なれども一之瀬みやこ/二十五石の殿が住む/と謡われた豪家で、寛政二年十一月、幕府に
提出した図面によると、その住所は間口二十一間もあり、左方の桁行六間、梁間五間の大広間は
忠長の起居された座敷という。瀬戸川の東に、亜相忠長之廟と僅かに見える墓石が忠長の墓だという一説がある」との簡潔な記載があります。
徳川(松平)忠長卿は徳川三代将軍として名高い家光の弟君だけに、私は大変興味深いものを
覚えました。一之瀬には忠長の起居されたと伝えられる家屋敷は残っていませんが、
四百年近い風雪に耐え寛永十七年没と刻まれた忠長卿の遺徳を偲ぶ
大層立派な供養塔が、今もなお現存しています。
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