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ゆとり雑談掲示板

131名も無き中央生:2014/09/18(木) 19:06:48
「百済人が日本を支配していた」 「朝鮮から罪人を丸太で流し土着したのが今の日本」 信じる韓国人達
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1411004965/


「新羅初・日本初の仏教寺院は百済式の瓦で作られた」

「百済の熊津時代(475−538年)を代表する大通寺で創案された瓦の製作技法が新羅と日本に伝わり、
この技法によって新羅と日本で初の仏教寺院が作られた」

 国立中央博物館のイ・ビョンホ学芸研究官(百済歴史考古学)は、最近出版された
『百済仏教寺院の創立と展開』(社会評論社)で、このような主張を繰り広げた。イ研究官は
「大通寺は527年に中国の南朝・梁(502−557)の影響を受けて建立され、百済式に変形させた瓦の製造技術が、
新羅初の仏教寺院・興輪寺と、日本初の仏教寺院・飛鳥寺にそのまま伝えられた」と語る。
この主張は、関野貞(1867−1935)ら日本の研究者が「南朝→百済→飛鳥と伝播する過程で、
南朝の文化が百済を単純経由して直ちに日本へ伝えられた」と主張しているのとは異なり、百済の主導的役割を
浮き彫りにするものだ。

■大通寺式の瓦当が新羅・日本にそのまま伝来
 植民地時代に大通寺跡から出土した蓮花紋の軒瓦は、それ以前のものと比べ、文様や製作技法が明らかに
異なっている。
(1)文様は、蓮花の中に別の装飾がなく、端の部分が軽く突き出ており、律動感がある
(2)鋳型に粘土を詰めてろくろで整形する際、回転させて仕上げた痕跡が瓦の裏側に残っている
(3)軒瓦と牡瓦を接合する際、牡瓦の端を竹べらで2カ所削って組み合わせている−というのが特徴。
イ研究官は「(1)と(2)は南朝のものと似ているが、(3)は百済だけの固有の特徴」と語った。

http://www.chosunonline.com/site/data/img_dir/2014/09/13/2014091300837_0.jpg


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