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日本大学の人気を回復させるには Part20

7フジヤマのトビウオ死去:2009/08/02(日) 22:01:10
 1928年、静岡県浜名郡雄踏町(現・浜松市)生まれ。12歳で100メートル、
200メートル自由形の学童日本新を記録するなど、
幼いころから水泳が得意だった。
旧制中学時代は戦争のため水泳から離れたが、
45年に日大へ進学して終戦を迎えてから一気に開花した。

 47年、未公認ながら400メートル自由形で世界新をマーク。
48年には400メートル、1500メートルでその年のロンドン五輪金メダル記録を
はるかにしのぐ世界新をうち立てた。49年全米選手権でも1500メートルで世界新を更新し、
米国マスコミから「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた。
特にこの米国での称賛は、戦後混乱期の不安に包まれていた日本の国民を強く勇気づけた。

 競技の第一線を離れてからは後進の指導に尽力。51年に就職した大同毛織(現ダイドーリミテッド)から、
66年に日大文理学部体育学科の教員に転身し、
75年から教授を務めた。日本水泳連盟では85年に会長となり、JOCでは90年から会長を5期9年間務め、
水泳に限らずアマチュアスポーツの発展に力を注いだ。
昨年、スポーツ選手出身者としては初めて文化勲章を受章した。

 ローマでは、屋外プールで行われている世界選手権会場にも足を運び、
強い日差しの中で競技の様子を見守った。亡くなる前夜には日本水連の役員と
食事をするなど元気だったという。
            訂正・ソースは静岡新聞ではなく朝日新聞でした。




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