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日本大学の人気を回復させるには Part20

49名無しさん:2009/09/08(火) 21:04:00
日大についてもう少し歴史を通じてお話しする必要がありますね。
全学部を説明するのは大変ですので割愛させて頂きますが、今回は日大理工学部(お茶の水)についてお話したいと思います。

江戸時代初期、ここに一つの大きな丘陵地(駿河台地→駿河台)がございました。
現在の神田川もまだなかった時代であります。
5代将軍綱吉が、この丘陵地に湯島聖堂(孔子廟)を創建しましたのであります。
湯島聖堂とは「日本の学校教育発祥の地」でありまして、現在は「受験生の神様」と言われる神社でございます。
この聖堂は当時江戸城(現在の皇居)を直接望める風光明媚な場所にありました。
しかし、上流(水道橋付近)の神田川が氾濫するために、この駿河台丘陵地を分断し
湯島聖堂前に神田川が横断するようにしたのでございます。

そして時代は下り、1891年(明治24年)湯島聖堂前の神田川を挟んで反対側に
立派なピザンティン様式の正教会(別名ニコライ堂…キリスト教)が創建されたのでございます。
ちょうど、日本における欧米文化(文明開化)が花開いた時期と重なります。
つい最近では、川村かおり氏の葬儀があったことでも知られております。

そして時代はさらに下り、
1920年には、この正教会南隣(皇居と湯島との延長線上)に日大理工学部(近くの日大法は1889年)が、
1927年には湯島聖堂と政教会を結ぶ橋「聖橋」が、
1940年には正教会北隣に、スポーツ発祥の岸記念体育館(現在は代々木体育館に移設)が
それぞれ完成したのでございます。 (現在は、岸記念館→日立本社→森ビル)

つまり、中国文化、欧米文化、日本文化、スポーツ文化が発祥した土地、それが”お茶の水”なのであります。
(古本屋街もその延長)

なぜ、湯島、政教会、皇居の直線上に日大理工学部(昔は中央法科も)が創建を許されたのか?
なぜ、「日本」という国名を大学名にして使用を許されたのか?

ここで学べば、そのあらゆる謎が徐々に集束され、将来は立派な御仁になるべく
相応しい人物になっているかもしれませんね。




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