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日本大陸を考察・ネタスレ その152

784ホワイトベアー:2019/07/25(木) 21:55:21 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
これを受けた日米政府はただちに平文に訳した電報をマスコミに公開する。しかし、この電報は内容が内容な為、日米政府が考えたように当初はこの内容の電報は協商側の偽電であると両国の大半の国民は考えており、メキシコ政府、南京政府、ドイツ大使もそう発表していたため、協商側の参戦工作の一環として終わるはずだったが、何を考えたのかドイツ本国がこの電報は本物と公表してしまい、日米両国の国民の反ドイツ感情はそれまでのドイツの行い(無制限通商破壊)もあって一気に爆発、両国の国内の世論はドイツ討つべしの大合唱となる。これは協商の敗北を望まない財界や政界の意見とも一致し、1917年2月3日に大日本帝国総理大臣 斎藤 弥三郎とアメリカ合衆国大統領ウィリアム・タフト(1916年の大統領選で三選を果たした)が羽合自治区の真珠湾海軍基地で会談を実施、4日後の2月7日にドイツ帝国に宣戦を布告する。また、それと同時にこれまでの無制限通商破壊による損害の報復としてアイスランドのケプラヴィーク航空基地に待機させていた一四式戦略爆撃機100機をドイツ帝国に向けて出撃させる。

これによってこの戦争はついに列強の全てを巻き込んだ本当の意味での世界大戦へとなっていく。


(※1)
1916年11月から開始されたロシア軍の大規模攻勢であり、騎兵師団10個と歩兵師団54個が動員され、東部戦線のドイツ軍に大きな損害を与える事に成功している。しかし、攻勢途中であった4月に本国で革命が発生。以降、攻勢は止まり相互に塹壕を掘ってにらみ合いが続くことになる。

(※2)
この時のメキシコは革命によって政府軍と革命軍の間で内戦がおきており、中華民国でも南京の中央政府の力が弱く軍閥が闊歩している状態であり両国共に外に目を向ける余裕がないことは周知の事実であった。




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