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日本大陸を考察・ネタスレ その152

783ホワイトベアー:2019/07/25(木) 21:54:47 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
ミューズ河両岸においては仏独両軍の執拗な消耗戦が生じ、特にヴォー堡塁およびキュミエール=ル=モールトムでは惨烈極まりない戦いが展開された。3月末、攻撃開始から約一ヶ月がたった頃になるとファルケンハインは自軍の損害の多さから作戦の中止を考え始めるが、皇太子の説得もあって攻撃続行を決意する。ドイツ軍は目標をル・モルトンム丘に転換し、5月に占領に成功した。5月初旬、ペタン将軍の防御重視の姿勢に不満を抱いていたジョフル将軍は彼をヴェルダンから放し、自らの子飼いにヴェルダンでの指揮を取らせるべくラングル・ド・カリー将軍の後を継がせフランス中央軍集団司令官に転出させた。ペタン将軍の後任としてヴェルダン防衛軍司令官はニヴェル将軍に任される。6月7日、ドイツ軍はやっとのことでヴォー堡塁を占領した。これはフランス軍首脳部の大きな動揺をいざない、フランス軍総司令官であるフォッシュ将軍は撤退を考え始めた。その後、協商側がソンムにて攻勢にでた結果ドイツ軍の攻勢は当初より勢いが弱まるものの、東部戦線では史実で同盟国陣営の疫病神であったオーストリア・ハンガリー帝国が実質的に参戦していないことから史実でおきたブルシーロフ攻勢が不発に終わり、ドイツ軍の攻勢は継続、1917年1月29日にはついにフランス軍はヴェルダンからの撤退を開始。ヴェルダンはドイツ軍の支配下に入る。この一連の戦いによってフランス軍は782,300名近くの損害を出しながらドイツ軍に敗北、それまでもこれといった勝利がないことから、ついに一部を除いてフランスの戦意は折れかけてしまう(戦意が折れなかった一部の筆頭はフランス軍総司令官ジョゼル・ジョフルとフランス大統領レモン・ポワンカレ)。

フランス政府では大統領の大反発がおきていたものの、それでも戦意の折れかけているフランス国民の世論を受けてドイツとの和平をも考え始めていく。この情報は即座にイギリスやロシアといった協商国はもちろん、日本やアメリカと言った連合国の債務を持っていた国家にも伝わり、それらの国々大きな動揺を与えることになる。

イギリスやロシアは何とかフランスの戦争からの脱落と言う最悪の未来を避けるべくフランスの有力者と接触。彼らに戦争継続を説いていくが対ドイツ強硬派であったジョフル将軍が更迭されるなど、その効果はあまり期待できていなかった。

一方、ドイツ軍はこの戦いでヴェルダンこそ手に入れたモノの、この戦いで546,800と当初の予定を大きく上回る損害を出してしまい、さらに、東部戦線では日本製の装備を有したロシア軍によるブルシーロフ攻勢(※1)によって、ドイツ東部方面軍が大損害を被ってしまい、ドイツ軍は西部戦線から戦力を東部戦線に送らなければならない羽目になった。

こうした理由によりドイツ軍はヴェルダンの戦いに勝利した後、進軍を中断。ヴェルダンの防御を固めていく。

ヴェルダンの戦いが開始されたのと前後してドイツは協商に物資を届けさせない為に無制限通商破壊を再開。日米とドイツの関係は急速に悪化していく。そして4月12日、アメリカからイギリスに向かっていた客船『コロンビア』が、6月18日には客船『モーリタニア』が、12月21日には輸送船『かいてん丸』が沈められ、1916年12月28日にアメリカ合衆国および大日本帝国はドイツとの国交を断然、国内にあるドイツ財産を全て凍結する。

これに焦ったドイツは外務大臣アルトゥール・ツィンメルマンの名の下にメキシコ政府と中華民国政府に同盟の締結と日米への先制攻撃の提案とそれを支援すると言う内容が書かれた電報を"日米の通信網"を利用して両国に送りこむ。

当然、この電報は日米のインテリジェンス組織も完全の内容を把握しており、これを受けた両国政府はただちにこの電報を公表しようと考えたが、このような非現実的内容(※2)を公表しても国民の賛同は得られないと悩んでいたところ、アメリカや日本の通信を日頃から傍受していたイギリスが、この内容の電文を傍受。メキシコシティの公共電信局と南京の公共電信曲より盗み出した電報のコピーと言う形で日米政府に提供する。




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