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日本大陸を考察・ネタスレ その152

781ホワイトベアー:2019/07/25(木) 21:53:28 HOST:157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp
日米枢軸ルート 第28話

1916年、ドイツ帝国陸軍参謀総長であるファルケンハインは、世界大戦のこれまでの戦いを士気旺盛、武装良好でかつ数量が同等な敵に対する突破の企図は成功の見込みが少ない。攻者は徒歩で前進するのに対し、防者は鉄道を利用することができ、多くの場合突入された戦線を閉鎖できる。また、被攻撃正面部隊に退却の判断を任せたなら突破口の閉鎖は簡単であり、これを妨げることはほとんど不可能であると考察し、この考察に基づいて突破ができないのであれば敵を消耗させて屈伏させるほかないと考えていた。

その上で彼は、東欧で相対しているロシアは人的資源が豊富であり、国土もシベリアなど極東まで広大で攻めれば攻めるほど補給に負担がかかる事から、相手が消耗する以上に自軍が消耗してしまうとして屈服させる候補から削除。同じくイギリスも、イギリス海軍があるかぎりイギリス本土は無事であり、戦意を削ぐことは難しいとして候補から削除した。そして、そうなれば自ずと攻撃対象が決まる。そう、フランスである。この時のフランスは連合国の西部戦線の中核であり、開戦以降、もっとも多くの損害を出していた国家でもあった。それゆえに、フランスを消耗戦に追い込めば戦局に大きな影響を及ぼせると考えたファルケンハインはフランスを相手に攻勢をかけることを計画、そして攻撃地点としてフランス軍が固守しそうな場所が選定した。つまりヴェルダンである。

ヴェルダンは古くからフランスとドイツを結ぶ街道上にある交通の要衝であり、ドイツからパリを守る城門として機能していた。それゆえに今次大戦の前から堡塁や砲台によって厳重に防衛が固められおり、第一次世界大戦直前にはヴェルダンを中心にドォオモン堡塁やヴォー堡塁など多くの堡塁が建設され、それらを有機的に配置した要塞帯となってるほどフランスにとってはこの地は重要であったのだ。

また、ヴェルダンはこの時、ドイツ軍の支配下にあった主要鉄道から20kmしか離れておらず、その反面、協商側にとってはフランスの鉄道網かた孤立しており、パリとヴェルダンをつなぐ鐵道一本しかないという地形的な理由もこの地を攻撃の目的としてドイツ軍が選んだ理由のひとつであった。

ドイツ軍はこの地に攻撃を仕掛け、フランスの反抗を誘発し、大量の犠牲者をフランスに生ませることでフランスの人的資源を失わせ、それらを持ってフランスの戦意をへし折る事を目的とした作戦を皇帝ヴィルヘルム二世に上奏。許可を得ると参謀本部は攻撃を担当するドイツ皇太子ヴィルヘルム中将指揮下の第5軍に攻撃を命令した。

この時の第5軍は11個師団から編成されていたが、その内の6個師団がこの攻撃の為に抽出されて、第一線に配備されていた。

そして2月21日、ドイツ軍は重砲808門、野砲300門をもって猛烈な砲撃を開始、ヴェルダンの戦いの幕は揚がった。




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