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ネタの書きこみ121

676635:2018/12/03(月) 20:12:33 HOST:p1898232-ipbf412souka.saitama.ocn.ne.jp
このネタを書いてる時に調べたものの抜粋ですが当時どんな風に軍艦が見られたか想像出来ると思います。

昭和八年三月三日 津浪ノ記録 飯坂哲より

第一海軍区に於かれては直ちに非常急救手段を構ぜられ三日の夜には横須賀鎭守府より軍艦数隻に
多大の被服糧食を満載して急航せしむ本村罹災者も飢えと寒さに生き残りし者も餓死する許りの所へ
四日の午前十時頃軍艦稲妻は黒煙濛々と入港し偉大なる船体を唐丹湾内に横たへたり。

此れより軍艦のモーターボートは下され陸戦隊の白脚絆の水兵達は勇壮なる扮装で毛布五百八十枚、
醤油二十樽、米麦二百袋、菓子七十箱、缶詰七十箱を小白濱埋立に陸揚げし推く積み上げたり、
此を見た罹災民は、感泣するのみなりき


昭和8年3月5日 岩手日報

四日朝になって救援のために三日朝横須賀を出動した駆逐艦一艘を沖合に見出した時は全町民地獄で
仏様に会った様な気持になり目に涙を光らして感謝の意に満たされた。湾内に投錨水兵上陸、
救いの神様が来たというので皆元気が出て約三十名の水兵の人達の加勢で倒壊家屋の後片付をするもの
駆逐艦がもって来た毛布の分配に寒さを凌ぐもの食料品の配給を受けるもの等で漸く死の町からよみがえった様な気持でいる。


昭和8年3月7日 岩手日報

横須賀鎮守府駆逐艦第一隊野風、神風、沼風、第四隊太刀風、秋風、帆風、第六隊雷電の各隊も四日以来
本県回航釜石港を中心として救護に活躍して居るが陸上救護隊が交通不便で活動が思う様でないのに対し
海洋は好条件に恵まれ活動は活発で陸上救護団の手の届かぬ山間僻地にまで救護が行き届き罹災者から
非常に感謝されて居る五日迄に第一回の配給を終わり六日霧島が第二回の配給品を満載して釜石港に入港各所に分配し
同日午後大一隊は釜石に第四隊は宮古、第六隊は盛の各署下罹災地に急行した

中略

尚各駆逐艦は悲惨なる罹災者の窮状を見るに忍びず綾里、越喜来では各艦乗組員が減食して食料を配給した
右について大一隊司令いなづま艦長川瀬大佐は次の如く語っていた。
 災害の報告を聞いて四日二十四節のフールスピードで飛んで来たが余りにも悲惨な罹災地の状態に驚いた
第一回第二回の配給で十日までの食糧には充分間に合うと思う今後の方針は県当局と協議の上引揚げるとも
どうとも決定する被害状況は岩手が最も甚だしく従って配給も岩手三十五、宮城八、青森一の割合である。




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