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ネタの書きこみ103

9ham ◆sneo5SWWRw:2017/06/15(木) 22:50:52

「朝香と竹田の子女たちは、まだ5歳以下だったから、イギリス側の適齢は男子しかいないぞ」
「となると、向こうに嫁ぐことになるか・・・」

現時点のイギリス王室の女児たちは最低でも9歳以上であり、年上女房を避けることを考慮すると、どうしても日本側から輿入れする形しか選択が無かった。

「向こうから輿入れすると色々と苦労するだろうから、あちらさんは良いかもしれんが・・・」

同じく国外皇族を迎えている篤仁王はそう言った。
日英関係が冷え切っている中で日本に輿入れすることは、周囲からの目を考えると様々な苦労が容易に想像できる。
それを考えれば、逆にイギリスに輿入れする方が気が楽であろうという考えだった。
最も、それはそれで別の苦労が有るだろうが。

「一応、他にも考えておくか?」

博恭王の意見により、他の宮家の皇族も検討しだした。
選択肢が多い事は、良い事なのだから。

「梨本と東伏見は無理だ。後継は望めず、断絶が必至だ」

多くの伏見宮系皇族が博恭王の祖父、邦家親王の男児からである中、
唯一、博恭王の曽祖父、貞敬親王第9王子、守脩親王により創設された梨本宮家は、守正王とその妃、伊都子の夫妻は既に60歳以上で、世継ぎも居ないため、断絶は必至であった。
邦家親王の第17王子、依仁親王が興した東伏見宮家も、依仁親王が子女を創らずに薨去されたことにより、依仁親王妃周子が薨去となり次第、断絶が決まっていた。

「ウチ(久邇宮家)は止めてくれ。博恭王のところ(伏見宮家)に次いで分家の多い宮家だから家長としての体面が有る」

そう言ったのは朝融王だった。
朝融王の久邇宮家は、伏見宮家からの分家であるが、そこからさらに東久邇宮家、朝香宮家、賀陽宮家の3宮家が分家として誕生していた。
加えて、昭和天皇の皇后、香淳皇后も久邇宮家の出身であり、伏見宮系皇族の中でも特に抜きんでている宮家であった。
故に、久邇宮系皇族の家長としての体面からして、イギリス王室の血筋を入れるのは避けたかった。

「山階は・・・」
「駄目だ。将来空軍を作る上で、空軍に皇族を入れる関係だと、あそこほど最適な宮家は無い」

山階宮家の現当主、武彦王は海軍航空隊に属し、パイロットを務めた縁から、航空発展に寄与したため、「空の宮様」と呼ばれていた。
史実では関東大震災で佐紀子女王の死により、武彦王は精神を病み、屋敷の一室に引き籠ったが、
憂鬱世界では、防災訓練による事前対策の影響から、佐紀子女王が無事であったため、子宝に恵まれつつ、航空関係にも精力的に活動していた。
故に、将来的に空軍を創る関係上、博恭王のように軍上層部に属する皇族の有力候補と目されていた。
そんな有力候補の宮家に、トラブル要素であるイギリス王室の血筋が入るのは避けたかった。

「あとは・・・あそこか?」

伏見宮系の各宮家は全てで11家。
ここまで出てきた宮家は10家であるため、彼らが話しているのは最後の候補の宮家になる。

「一応、後継のあいつは転生者だし、男子も多い。
 おまけに血が薄いから、問題も少なめ・・・か」
「しかも男子は全員独身と来たもんだ。あいつも23だしな。俺達で相手を決めちゃうか」
「だな」




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