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架空戦記系ネタの書き込み その86

684ひゅうが:2017/04/28(金) 08:47:25

戦後夢幻会ネタSS――IF?「Need not to Know」



「私が、忘れかけていた記憶にある通り、すなわちミュンヘンのあの住所に足を運んだのは、ヘスが英国へいったと聞いたその日からあまり日をおかずに、であった。
おそらく読者たる君には周知の事実だろうが、私は西部戦線で毒ガス攻撃を受けて失明寸前にまで陥ったことがあった。
そのために前線を離れてしばらくは療養生活に入ったのであるが…
今も速記者を殴りそうになってしまった。
まことに彼には苦労をかけている。
前の前の著書では監獄での口述筆記であったためにしばしば支離滅裂な言葉の羅列となってしまったが、これをあえて面に出した。
今度もその方式にならおうと思う。
どうにも私はウィーンっ子の癖が抜けないようで、オペレッタ風の動きをしてしまうのだ。
重ねて君には謝っておこう。
すまない。
さて、そうして…ええい精神病棟へ送り込まれたのは正直なところ極めて苦痛に満ちた思い出だ。
何より苦痛なのは、断片的なイメージが湧いては消え、そしてめちゃくちゃに差し替えられて蘇るのだが詳細を思い出すことができないことだ。
恐ろしいことに、その感覚は完ぺきに練習した演説を聴衆の前で披露しているときのあの感覚と極めて近い――

ユング的な集合無意識論などというのであれば私は幸運だ。
だが、私が感じている本質的な不安は、自らの人生を、そして背負うこととなったライヒの命運を自らだけの意思によって決定できていないのではないかという不安である。
もちろん家族や友人によって影響を受けること自体は歓迎すべきことだ。
私には友人と呼べる人間は(悲しいことに)少なく、彼ら数少ない人々との交歓は私の大切な思い出として温かみをもって目の前に描き出すことができる。
だが、明らかにそれ以外の、何か得体のしれないものによって私の人生は大きく変わってしまった、としか考え難いことが存在するのもまた事実なのである。

論理的でも脈絡立ってもいないが、ともかくその日私がその場所を訪れたのは、こうした漠然とした不安と奇妙なまでに鮮明な記憶の二つの車輪によってである。
運命と、少し抒情的な表現をしてもいいかもしれない。

そこは地下室で、そこにいたのはアジア人だった。
ハウスホーファーは…ああ私と共に来たのはカール・ハウスホーファーだった。
おお予言を受ける者は心しなければならない。
未だ起こり得ていないことについて占うことは網で魚をたぐりよせるがごとく望まぬものを招いてしまうこともあり、また自らの乗る船の進む道すらゆがめてしまうのだ…

要約しよう。
私がそこで得たのは、二つの物語。
勝利と敗北、端的にはその結末だった。
おそらくは彼らは、この世を支配する力もその勢力も持っていないだろう。
アナトリアの暗殺教団を作り出した技がどこを源とするのかはわからない。
あるいはチベットやパミールのような天空の大地で…ここまで考えを進めたがいまもって謎は深いのだ。
わが親衛隊にあの地方出身者を集めたがいまだにその理由については手がかりすらつかめていない。
オカルトといわれるものにすら手を出し南極をもあさったが結果はまったく手がかりなし。
告白しよう。
私はあそこに何度かいっている。
その最後に告げられた言葉に私の心は狂乱したのだ。




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