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架空戦記系ネタの書き込み その86

361yukikaze:2017/04/16(日) 21:59:40
これによって、零戦のように、無段階に変わるのではなく、手動二段(高低速)切り換え式であったことから
パイロットからは『ゼロ戦の方が絶妙な操作感を体感できた』と言われる一方、ゼロ戦が苦手としていた
高速ロールなども普通にでき(ゼロ戦の場合は面積の大きなエルロンと主翼自体の剛性不足が大きいが)
『低速での格闘戦以外ではゼロ戦に圧勝』という結果を残している。
なお、ゼロ戦でのトラウマなせいかトリムタブやバランスタブはつけていないが、補助翼面積を史実飛燕
レベルに抑えた事もあってか、『高速時での操舵力も軽かった』と言わしめている。

武装については、20mm4門を搭載することで、主敵である米軍重爆撃機はもとより、対戦闘機戦闘でも
終戦まで敵の一線級と戦っても撃ち負けない程の火力を誇っている。
1943年にはドイツから導入したR4Mロケット弾を10発内蔵した三式ロケット弾発射器を2基(後に4基)
搭載できるようにされ、連合国爆撃機部隊から『トージョーのバグパイプ』と、呼ばれ、恐怖の象徴に
なるなど、重爆撃機殺しとして名を上げる一方、前述したように、高い維持旋回率と高速度での連続機動
及び横転率、更には降下制限速度も850km近くあるなど、高速での格闘戦や一撃離脱戦といった、従来の
日本軍規では苦手としていた部分でも連合国の戦闘機と互角に戦えるようになっており、連合国では
『日本がFw190をライセンス生産した』という情報が出るまでになっていた。

最後に防弾であるが、これも『重火力のB-17』に対抗できるよう、主要部分には防弾鋼板が張られている。
例えば、座席後方に12mmないし5mmの防弾鋼板が装備され、キャノピーの防弾ガラスも50mm。
オイル系統も装甲された上で2重の冗長性を持ち、被弾時の生残性が高められていた。
これにより、自重が当初の2,550から最終的には2,700にまで増加し、海軍側から『防御を削れば速度と
上昇性能は向上するはず』と言われたりもしたが、前線からの『B-17の火力は凄まじいので、それに
対応できる機体を望む』という声によって立ち消えになっている。
もっとも、機体性能向上を望む声も強く、それは『土星』エンジンを積んだ雷電改で結実することになる。

上記のように、対重爆戦闘だけでなく対戦闘機戦闘にも充分使え(ただしゼロ戦や隼のような低速域での
格闘戦に慣れている面々には不評だったし、そのように使えば脆かった)、速度も600kmを超えるとともに
火力・防弾も十分で且つ稼働率も高い戦闘機の登場に、海軍だけでなく陸軍においても注目を浴び、
1942年に行われた陸海対抗空戦において、高速度領域において圧倒的なまでの強さを発揮した雷電を
陸海共用戦闘機として採用するということにまで発展している。
この決定に、中島と川崎は抗議するものの、如何せんキ61にしろ鍾馗にしろ稼働率が悪いわ、武装は低いわ
(これは陸軍のせいでもあるが)、空対空戦闘でも雷電に目の前でやられるわと、散々な状況を見せつけら
れれば、彼らの抗議もむなしいものであった。
せめてもの抵抗として『三菱で生産が賄えるのか?』という意見にも『では川崎と中島でライセンスさせよう』
という意見により、川崎が雷電のライセンスをさせられるという屈辱を味わうことになる。
(中島はゼロ戦と隼の生産があったため事なきを得た。)

同機体は、1942年のドーリットル急襲を皮切りに、1944年に主力戦闘機の座を疾風に譲っても尚、
1945年の終戦まで、日本の空だけでなく、大陸やフィリピン、南方の島々で、隼やゼロ戦とともに
激闘を繰り広げることになる。




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