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新九郎奔る!-歴史系漫画雑談、漫画ネタと豆知識

1紋章官:2019/03/03(日) 10:35:16
ゆうきまさみ先生の「新九郎奔る」ようやく読めました。あまりに漫画本も多いので、新刊売り場で探すのも販売を知らないと
時期を失するし、題名がわからないとネットの試し読みも探せないし、雑誌の立ち読みでこんなマンガがあるんだ、と
見つけるのは手軽な方法なんですが、いまはコンビニも何もみんな紐縛りや包装でよめない。まあ、商品なので当然とは思いますが
中が分からなくて、そうそう買うわけにもいかないわけで、それこそどうでしょう?アニソンラジオ番組と同様、連載漫画紹介
番組があってもいいのでは?と思いますところです。代用はさしあたりbook-offで立ち読み。

というところで第1巻を読みました。いやあ、あのややこしい時代背景を説明がいるので、セリフが多いのも解説ページが必要に
なるのは当然です。少年、伊勢新九郎が応仁の乱の中で何を見て、体験するか見物。伊勢新九郎、のちの北条早雲。
伊勢家という幕府中枢に席をもつ一門の本家の近親者であった彼であれば、どれほどのものを見聞きしたか想像が膨らみます。
すでに細川勝元、山名宗全と大物が出て、この先、足利義政が出てきたとき、どんな人物に描かれますか、興味津々なところ。
なお伊勢家は足利将軍家家政執政として、儀礼にも明るく、江戸時代は礼儀作法と鞍の鑑定などで食べていきます。
伊勢家は馬具、鞍つくりの名手の家とされ、伊勢家の作は刀剣同様、名物名品になり江戸時代、大名家がこぞって所蔵しました。
このため室町時代の古風な鞍を蒔絵を施し、大名道具として正月飾り、儀礼道具、大名行列での馬飾などに使用しています。
そのため外見上、蒔絵や螺鈿で豪華で新しく見えても、本体は室町期のものも多いです。
もちろん、古体を残し、朱書きして保管されたものもあり、今でも見ることがあります。その場合、黒漆塗りで木材の様子もみて
とれます。案外安いですよ、鞍は。戦国、室町期のものホンが無造作に置いてあるものです。昨日も甲冑専門店で見てきました。
さて、伊勢新九郎こと北条早雲も鞍を作ったのかな?彼の末息子北条幻庵長綱は鞍つくりの名手と伝えられていますので、
早雲も制作してもおかしくありません。それこそ、考え事か気晴らしに、鞍作りにいそしむ姿があってもいいような気が
します。ゆうき先生のノリなら、「あー腹が立つ、腹が立つ!」とやけになって鞍の木材を削っている早雲の背中に、
幼い幻庵が「父上、なにをやけにやっているんですか?」と声をかける場面とかあってもいいような。
あ、そうか、鞍の木材選びで木こり、そま工と接触をもつのなら、民衆への親近感をもつ。山は国境を越えるので、木こり経由で
さまざまな情報を得られる。ひとつの見方ができますね。それでは。

ファンレターで送ってみようかしら?それでは〜

2紋章官:2019/03/08(金) 22:54:44
新九郎奔る!で期待していますのは刀装具金工の後藤家が出てくること。伊勢家は足利将軍家家政をとりしきるのと同時
に馬具作り、ことに鞍や鐙つくりで名を成しましたが、これも武家政権の儀礼による威儀道具としての装飾品
の需要に応じたものです。このことに貢献した家が他に3つあります。一つは刀目利きの本阿弥家、もう一つは絵画で
家を成す狩野家、そして刀装具で家をたてる後藤家。
池坊家もこのころに本格化、有名な庭師善阿弥の家系は孫までは名前が残りますが、その後は途絶える。このうち
刀目利きの本阿弥家は先行するも、狩野、後藤家は足利義政の下で名をなし、戦国動乱を潜り抜け、その家業で江戸時代
を生きます。そのため伊勢新九郎が足利将軍家の身の回りにいれば、これらの家の人々と接触をもつのは自然なことです。
後藤家の古い作品には結構、馬具を題材にしたものが多いので、伊勢家に馬具を見に来たかもしれません。それでは

3紋章官:2019/03/16(土) 16:49:25
新九郎奔る!で武家が生業を持つ話が出てくるのでしょうか?先に書きましたように伊勢家は礼儀作法と馬具作り、後藤家は彫金、
狩野家は画業と「芸」を身につけ、その家業とします。まさに「芸」は身を助ける。
狩野家は画業で将軍家や大名家に召抱えられ、伊勢家も遅れて同様、そして礼儀作法の家元で稼ぐ。面白いのは後藤家。
彫金で貴金属の扱いに長けていたことを評価されてか、織田信長と豊臣秀吉に召抱えられた後、新しい仕事を担います。
それが造幣官僚の顔。安土城天守や石垣山城の金具作りにかかわったことが記録されていますが、同時に大判と分銅(度量衡)役を
まかされます。そのことで大判や分銅金、また全国の度量衡の基準になる分銅の製作と持ち込まれた大判の鑑定や分銅の計量確認を
行って、その手数料も重要な収入源としました。
江戸時代、後藤家は先祖の作品の鑑定「極め」折り紙を評価額を記載して発行しましたが、後藤家の経済官僚の役目から現在の手形と
同じ機能をはたして流通したことがしられます。そのため後藤家の折り紙に、後代のものに問題があるのは知られるところ。
まあ、専門愛好家の問題なので、この際はおいておきます。あれ、結局、後藤家の話になってしまうのは刀装具愛好家のさがか・・・
それでは

4紋章官:2019/03/22(金) 21:03:53
祝!後藤家文書、重要文化財指定!
いやあ、日の当らない刀装具マニアとしましては、刀装具の名門後藤家の文書類が彫金資料として一括で重要文化財に
指定されたのは、喜ばしいばかり。少しは評価されて、知名度があがってくれないか?と同時に東京芸大にある資料の
指定記念特別展をやってくれいないか、というところ。明日は東京都支部の鑑賞会で後藤家の最後を飾る名人後藤一乗
の作品展示があるんですが、都合で行けない・・・ついでに一緒に行う御刀のほうは、「京のかたな展」の出展品を
中心にーという御題・・・何を並べるんだろう。個人コレクターの蔵刀情報を握っているのは刀剣商。出てくるんだろう
なあ、展示品がいくつか、生で見れるんだろうなあ〜刀にうとい身でも、これは見に行きたいところです。それでは〜

5紋章官:2019/04/12(金) 21:27:08
コミティア落選通知に気力を失っています紋章官です。いや、本当に仕事のうさを忘れるのも、本を読むのもコミケ
、コミティアに出る楽しみがあればこそで、コミケは落ちるときがあるので、精神的ダメージはありますが、まあ、
そういうものさで乗り越えるのですが、5月のコミティア落ちは慣れてないだけに、きつい。

さて新九郎奔る!偶然なのか、意識的なのか、戦国武将漫画の先達「センゴク」がちょうど小田原征伐の時期に到達、
それで小田原北条氏の話で伊勢新九郎編が開帳!またえら〜くごつい伊勢新九郎で、豪傑の風体。
知られるところの早雲画像は僧体で細身、好対照の伊勢新九郎がどのように活躍が描かれるか、興味深いところです。
しかし、平成という年代は歴史知識でも大変動の時代でもありました。教科書の内容が全く変わっているし、
次々と新しい発見が積み重なり、修正が図られる。伊勢新九郎も変化した代表格。昭和までの一介の浪人から、今では
大名北条家の家伝通り、足利将軍家執事伊勢家の一門、それも伊勢本家とごく近い立場で都で将軍家に出仕、年齢も
ずいぶん若くなったところ。本当、変わりましたねえ。しかし、そのことで彼の姉が守護今川家の正室でおかしくなく、
姉と甥の保護を兼ねて幕府から派遣され、今川家の内紛を調停できたのも、当然といえ、さらに伊豆討ち入りも
幕府の意向だったことが確実視されるようになりました。いやあ、昔の伝記漫画とは内容が大違い。そうなると
相模進出や両上杉氏との対決をどのように解釈するか、なかなか興味深いですねえ。令和の年代に、どのように
研究がすすみますか。それでは

6紋章官:2019/04/21(日) 18:06:48
原稿を進める気がおきません。どうしたものかな〜

さて新九郎奔る!5月は小田原北条まつり!まんがにちなみ、ゆうきまさみさんが招かれたりするのでしょうか?
それこそ漫画初の大河ドラマの原作目標もどうでしょうか?丹念に描かれていますので、時間がかかりそうですが、
最新の伊勢新九郎にもなりますし、彼の今川氏との係り合いで今川氏親と正室中御門殿寿桂尼の婚儀まで描かれれば
そのまま戦国時代も完全に範疇にはいる!。それに伊勢新九郎は備前の領地で所領管理も行ったようなので、活動
範囲は岡山、京都、静岡、神奈川と分散。大河ドラマの条件の一つに、行動範囲が広い事が好ましい、というものが
あると昔から言われています。なにしろドラマ映りが悪いと知事が文句をつけるものなので、地域観光に与える影響
から、あちこち出てくるのほうがいい、とされているのです。こういってはなんですが、もう、これ以上、京都観光を
推進しなくてもよさそうですし・・・・どうでしょうか?それでは

7紋章官:2019/07/28(日) 12:38:05
コミケカタログをチェックしています。昔から歴史部仲間と並びになる事がなく孤立気味、それが今回、サークルカットの次がkodaiさんがだったので、
珍しくお隣!と思いきや、配置図を見たら、kodaiさんは次の列の先頭・・・かつては本当に島流し(なにしろコミケカタログのサークルカットで最後
から3番目、という事がありました)もありましたが、どうしてなんでしょうかねえ〜

さて新九郎奔る!2巻を手に取ると、今川義忠が登場、北川殿との婚礼へ進んでいます。いかにもゆうきまさみキャラの明るいユーモアの
ある名門出の好人物に描かれています。北川殿との婚礼も遠江守護職回復への布石との解釈も面白いところ。今川家は足利一族ですが
なかなか微妙な立場、家系継承権があるように言われるのは、後世の解釈的なところがあります。あくまで関東公方での話と思うほうが
いいですが、それでも何かと独立志向のある関東公方への備えに要地である駿河を任されていたのですから、そこそこに評価したといえます。
とはいえ、他の家系に比べ守護職を維持できたのは駿河1国状態。
元来、今川家には足利義満時代前半に活躍した九州探題今川了俊という大物がおり、一時は九州探題および九州7カ国守護兼任で全権委任
され、九州の南朝勢や反足利の勢力掃討を達成。(これに抵抗できたのは薩摩島津氏のみ)ころが、このあまりの活躍に義満が危険視、
駿河・遠江守護(左遷)に転任させました。本来、彼の活躍を見れば、筑前や肥後守護として今川家が九州で継続、もしくは山名氏や大内氏
のように九州で蜂起してもおかしくないところではありましたが、命令に従う事を選んだ今川了俊により、駿河守護職今川氏が始まる事
となります。その後、この今川了俊は隠棲、一種の回想録ともいえる今川大草子などを書き、戦場での武将のたしなみなどを伝えてくれます。
このあたり、当時の武将でも文芸の心得が広がっていたのがわかります。それでは。


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