したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

雑談スレ

737名無しさん:2011/02/12(土) 14:49:03
1940年6月 イギリス・フランス  イタリアが英仏に宣戦布告する。単にヒトラーの戦果に嫉妬して無計画に参戦したため、戦争に必要な物資の
備蓄もほとんどなく、イタリア船籍の船舶も世界中に散らばっており、戦争開始間もないうちにほとんどが
拿捕されてしまう。
また何の作戦計画も考えていなかったので、自分から宣戦したにもかかわらず、10日間ほどは何の軍事行動も
取れなかった。
奇襲的に攻め込んだにも関わらず、たったの2個師団相手に追い返されたという
1940年6月 フランス  ドイツ軍に蹂躙され降伏寸前のフランスに侵攻するも、フランス軍の反撃を受け崩壊寸前、フランスの降伏が
もう少し遅ければ、イタリア領内に侵攻されるところだった。
1940年10月 ギリシア  イタリア軍21個師団はギリシアに侵攻するが、ギリシア軍13個師団に反撃されアルバニアに押し戻され崩壊寸前。
ギリシアは親独的中立を保っていたが、これで連合国側に立つことになる。
1940年12月 エジプト  エジプトに侵攻したイタリア軍7個師団は、イギリス軍2個師団の反撃を受け敗走。13万人が捕虜となり、キレナイカを
失う。
イタリアのバルカンと北アフリカの失態を救援するため、ドイツはバルカンを制圧しアフリカ軍団を派遣する。
バルカン制圧のためにバルバロッサ作戦が1ヶ月遅れ、北アフリカ作戦のため7000台のトラックが派遣された
(東部戦線全体でも1万4000台しかなかった)。このことが東部戦線に大きく影響することになる。
1940年10月 イギリス  イギリス海軍の旧式複葉機ソードフィッシュ21機は、タラント湾のイタリア艦隊を攻撃。
戦艦コンテ・ディ・カブールは大破着底、戦艦リットリオ、カイオ・デュリオ中破。イギリスの損害は2機のみ。
1941年3月  イギリス マタパン岬沖でイタリア・イギリス艦隊が戦闘。イタリアは重巡3隻を失うが、イギリスの損害は皆無。
1942年  イギリス 25万の兵力で英国軍3万5千と戦闘、チュニジアで降伏した。
1942年12月  ソ連 ドン河畔でイタリア第8軍がソ連軍の攻撃をうけ、即座にすべての兵器を放棄して遁走する。
11月に同じように攻撃を受けた装備劣悪なルーマニア軍は、数日間は善戦して持ち堪えた。また、10月にソ連軍が
終結しているのを見てこちらから先制攻撃をかけることを提案したが補給上の問題でドイツ軍から拒否されている。
イタリア軍からそのような建設的な意見が出されることはなかった。

引用先 イタリア軍弱さの秘密


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板