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避難用作品投下スレ5

1管理人★:2009/05/28(木) 12:49:59 ID:???0
葉鍵ロワイアル3の作品投下スレッドです。

381終演憧憬(1):2009/10/19(月) 12:15:12 ID:EcYFC0rI0
「開かないのなら、開けるまでです」
「……」
「……まだ何か」
「もういい……ってこら、薙刀を振りかぶるなっ」
「だって、もういいんでしょ」
「いいわけあるかっ! お前らも見てないでこいつを止めろ!」

男の呼びかけた方に振り向いた、郁未の視界に映る影は二つ。
その全身を獣のものともつかぬ奇怪な白銀の体毛に包み、手には抜き身の一刀を提げた少女、川澄舞。
もう一人もまた、少なくともその外見においては少女である。
笑みとも嘲りともつかぬ、どこか掴みどころのない表情を浮かべたその名を水瀬名雪といった。
どちらもが、見知った顔である。
といっても直接に交わした言葉などほんの二、三に過ぎない。
つい先刻終結した、神塚山頂での長瀬源五郎との決戦において一時限りの共闘に及んだという、
それだけの間柄だった。

「……」
「……」
「無視されてるし」
「うるさいっ」

男の声にも、舞と名雪は指先一つ動かさない。
ただ思い思いの方を見つめたまま、何事かを思案しているようだった。

「お前らは少し協調性という言葉を理解しろ……」
「で、もういい?」
「だから得物を振りかぶるな! いいからそれを下ろせ!」

大袈裟な身振りで郁未に向けて腕を振ってみせた男が、険しい顔で振り返ると塔の方へと向き直る。
そのまま一歩、二歩、扉の前へと歩み寄ると、漆黒の鉄扉を見上げた。

「そもそも本当に開かないのか?」
「ずっと見てたでしょ」
「女の細腕で試しただけだろう」

小さく鼻を鳴らすと、男は見るからに重そうな円形の引き手を掴む。
僅かな間を置いて、思い切り引いた。

「細腕って、少なくともあんたよりは……って、……え?」



******

382終演憧憬(1):2009/10/19(月) 12:15:32 ID:EcYFC0rI0
******






ぎぃ、と。
錆び付いた音を立てて、扉が開く。

その奥には漆黒の闇だけが拡がっている。




******

383終演憧憬(1):2009/10/19(月) 12:16:03 ID:EcYFC0rI0
******

 
 
「……俺よりは、何だって?」

振り向いた、男の得意げな視線を郁未は見ていない。
その瞳は男の背後、漆黒の外壁と鉄扉との間に顔を覗かせた、細く深い闇へと吸い寄せられている。

「嘘っ!?」
「嘘も何もあるか。ごく普通に開いたぞ」

思わず目線を送れば、葉子もまた僅かに目を見開いている。
と、郁未の視線に気付いた葉子が、無言のままに頷く。
確かに先刻は開かなかったのだと、その瞳は語っていた。

「……」

原因は分からない。
何かの仕掛けがあるのか、男が見かけによらず並外れた膂力の持ち主だったのか。
それとも、ただの偶然か。

「……そりゃ、ないよねえ」

呟いた郁未が口の端を上げてみせる。
眼前に開いた闇からは今にも何かが零れ落ちてきそうだった。
どろどろとした、冷たくて粘つく薄気味の悪い何か。
この塔の中にはきっと、そういう何かが詰まっている。
その扉が、偶然などで開くものか。

384終演憧憬(1):2009/10/19(月) 12:16:24 ID:EcYFC0rI0
「面白いじゃない。……行こ、葉子さん」
「お、おい……!」

考えるのは、相方の役割だ。
そして自分の役割は、前に進むこと。
二人はそうしてできている。

「はい」

短い返事を確認。
手の薙刀をくるりと回すと、郁未は細く隙間を覗かせる扉を一気に引き開ける。
目に映るのは闇の一色。
恐れることもなく、踏み出した。

「―――」

背後から響く足音はひとつ。
耳に馴染んだ鹿沼葉子の歩調。
その向こうからは、場にそぐわぬ呑気な会話が聞こえてくる。

「そういえばお前、あの、アレ……どうした?」
「渡した」
「……」
「……」

僅かな沈黙。
会話が微かに遠くなる。

「……って、誰に渡したんだ」
「佐祐理」
「誰だそりゃ……」
「……」

再び、沈黙。
目に映る闇に融けるように、声が段々と聞こえづらくなっていく。

「お前、友達いないだろ……」
「いる。佐祐理」

三度の沈黙の後に聞こえたのは、深い溜息である。

「はあ……もう、いい……」


それを最後に、音が消えた。



******

385終演憧憬(1):2009/10/19(月) 12:17:02 ID:EcYFC0rI0
******



声が響く。
高く澄んだ、変声期を迎える前の少年の声だ。

「……開くわけがない、はずなんだけどね」

応えるように、もうひとつの声が響く。
まだ幼い、童女の声だった。

「けど、あいてるよ」

星のない月夜の下。
声だけが、天を仰ぐ白い花を揺らしている。

「はあ……汐、もしまた生まれたらお母さんに戸締りはきちんとするように言っておいて」
「なんで」

汐、と呼ばれた幼い声が尋ねるのに、少年の声が呆れたように響く。

「何でって、君のお母さんが作った入り口じゃないか」
「そうだっけ」
「そうだよ。中途半端なことしてさ、忘れてちゃ世話ないよ」
「ごめん、ごめん」

悪びれない謝罪。
小さく溜息を漏らした少年の声が、ふと何かに気付いたようにトーンを落とす。

「ん、いや待てよ……」
「……?」
「この場合は戸締りよりも……むしろ身持ちを固く、かな?」
「みもち……?」
「男に限ってあっさり開くんだから、困ったものさ」
「ねえ、何のはなし……?」

幼い声に、少年の声が笑みを含んで響く。

「だって、あれは臍の緒だろう。すっかり干からびてしまっているみたいだけれど」
「へそのお……?」
「うん、ならやっぱり、その先に口を開けているのは……」

そこまでを語って、少年の声が不意に途切れた。

「まあ、いいや。子供に聞かせる話じゃあない」
「……?」
「いいんだってば」

どこか照れたような少年の声が、こほん、と咳払いを一つ。

「ふうん。へんなの」

つまらなそうに呟いた幼い声が、やはりつまらなそうに続ける。

「でも、かんけいないでしょ。どうせ―――」
「まあ、そうだけどね」

少年の声が、幼い声の言葉を引き取る。

「―――どうせここまで、道は続いていないんだから」

風のない花畑に響いた、その声に。
一面に咲いた白い花が、ざわ、と揺れた。



******

386終演憧憬(1):2009/10/19(月) 12:17:39 ID:EcYFC0rI0
******





闇を抜けると、そこは海だった。

広い、広い海には、

波間に浮かぶ小さな島々のように、

白い羊が、浮かんでいる。



.

387終演憧憬(1):2009/10/19(月) 12:18:45 ID:EcYFC0rI0

【時間:2日目 3時過ぎ】
【場所:I−10 須弥山入口】

国崎往人
 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)】
 【状態:法力喪失】

川澄舞
 【所持品:村雨】
 【状態:健康、白髪、ムティカパ、エルクゥ】

水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】



【時間:すでに終わっている】
【場所:世界の終わりの花畑】

岡崎汐
【状態:――】

少年
【状態:――】



【時間:すでに終わっている】
【場所:???】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:重傷・不可視の力】

鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】

→692 1068 1071 1080 ルートD-5

388断ち切る:2009/10/21(水) 23:17:39 ID:9uSh9wRc0
 人殺しの目、とはどのようなものなのだろうか。
 姫百合瑠璃は、平静さを装いながらも笑い出してしまいそうになる体を抑えるのに必死だった。

 言ってしまえば流されるがままで、なにひとつとして明確な意思も持てずここまで来てしまった自分。
 拠り所を他者に求めるばかりで、自らのためにやれることはやれてもそれを別の方向に向けることもできない自分。
 抱える弱さが渾然一体となって押し寄せてきているからこそ、これほどまでに怯えているのかもしれなかった。

「……もう、分かってるかもしれませんけど」

 滅多に使わない丁寧語そのものが逃げの象徴のように思えて、瑠璃は息を詰まらせた。
 そんなことは許されないのにと分かっていても、誤魔化すことに慣れきってしまった体が反射的にさせたのかもしれなかった。
 目の前にいる、身じろぎもせずに胸の前で腕を抱えている藤林杏は何も言わない。
 眠っているのではないかとさえ思えるくらいに、彼女は整然としていた。

 そんな杏の姿を眺め、何を待っているのだろうと自問した瑠璃はいつもの自分になりかけていることに苛立った。
 冗談じゃない。ここまで来て怖気づいて、何がツケを支払う、だ。
 黙りこむのは簡単だが、そうして失ったものは絶対に取り戻せない。
 取り戻せるのだとしても、その時はいつだって自分が後悔する時だ。

 だから今ここにいるのではないか、と瑠璃は半ば呆れる思いで己を叱咤した。
 情けないという思いが込み上げてきたが、そんなことに拘れるほど人間ができていないのが姫百合瑠璃だった。

「あなたの妹の……椋さんは、ウチが殺しました」

 倒すでも、戦ったでもない。確かに殺意を持って椋に、名前も知らなかった少女にミサイルを撃ち込んだのだ。
 ぴくりと杏の指が動き、手が飛んでくるのではないかと予感したが結局何もされることはなかった。
 けれども「なんで、殺したの」と続けられた杏のひどく冷静な声が瑠璃の胸を締め付けた。

「椋さんが殺し合いに乗ってた正確な理由は、分かりません。でも、多分、杏さんのために殺してたのは……確かです」

389断ち切る:2009/10/21(水) 23:17:57 ID:9uSh9wRc0
 偽りの笑顔、偽りの優しさを向けられ会話していたときでさえ、椋が話題に挙げた姉のことに関しては心底事実だと思えた。
 格好良くて、面倒見のいい、自慢の姉。どこで歪んでしまったのかは分からなかったが、
 少なくとも姉に対する思いだけは死ぬ直前まで変わらなかったと確信させるだけのものが椋にはあったと思っていた。

「殺したの? 椋は、誰かを」
「……ウチの、姉を。それに友達を、仲間を、たくさん」

 珊瑚の姿を思い出した瞬間、やり直しだと告げた姿がフラッシュバックして瑠璃は目尻に涙を浮かべそうになった。
 服に滲む黒ずんだ血の色の中に何も出来なかった自分の姿が映った気がした。
 いけないという意思の力でどうにか抑えたものの、声を詰まらせたことは杏に伝わってしまったらしかった。
 杏はすぐには何も言わず、顔を俯けていた。瑠璃も耐え切れず、床に視線を落とした。
 互いが互いの家族を奪い合った現実の重さ。負債と言うには重過ぎる、過酷な事実が声をなくさせたのだった。

「ごめん、なさい」

 出し抜けに紡がれた声に、瑠璃は呆然として視線を杏に向けた。
 唐突に過ぎる謝罪の言葉に「どうして」と詰問の口調で言ってしまっていた。

「謝る必要があるのはウチだけです。だって、あのとき確かに……ウチは椋さんを憎んでた。
 死ねばいいって思ってた。許されなくって当然なんです」

 動転していたからなのかもしれない。瑠璃は率直に己の内面を伝えていた。
 今の自分には様々な感情が交錯し、絡み合っている。憎む気持ちは確かにあった。そのことに関しては弁解する余地もない。
 なのにこれでは、痛み分けを促し、自分が負債を踏み倒してしまったみたいじゃないか。
 だから自分が負債を少しでも請け負う――そんな気持ちで言い放った瑠璃の言葉を「違うの」と杏は返した。

「妹の代わりに謝ったんじゃない。あたしは……妹があなたのお姉さんを殺したのを聞いても、
 それでも生きてて欲しかった、って思ったの。そんな、自分がバカらしくて……」

390断ち切る:2009/10/21(水) 23:18:15 ID:9uSh9wRc0
 杏の返答に瑠璃は絶句した。身勝手ともとれる杏の考えに失望したのではなく、実直に過ぎる言葉に触れ、
 自分は本当に取り返しのつかないことをしてしまったという実感から絶句したのだった。
 姉妹の絆を引き裂いてしまった。家族のかけがえのなさを知っているのは自分もなのに。

「だから……ごめんなさい。自分だけが慰められればいいって考えてて、ごめんなさい」

 瑠璃はこれに返せるだけの言葉を持てなかった。そうしてしまえば自分が赦されたがっているような気がして、
 みじめになってゆくのが簡単に想像できたし、杏の人格を傷つけてしまうことが分かってしまったからだった。
 甘かった。このツケは人が一生をかけたところで払いきれるものではない。
 生きている限り罪を実感し続けてゆかなくてはならないものなのだ。
 瑠璃は代わりに「いいんです」と告げた。

「間違ってないって、思います。ウチも……杏さんの立場ならそう思っただろうから」

 他の関係を全て押し退けて、無条件に愛し、守ろうとできるのが家族。
 だからこそ何の遠慮もなく、瑠璃もそう言うことが出来た。
 そこには何のしがらみもなかった。強すぎる想いが引き起こした、一つの悲劇なのかもしれない。
 周りから見ればそれだけで片付けられるものではないと言及されそうだったが、瑠璃にはそうとしか思えなかった。
 椋の見せた表情を知っていれば。

「椋、笑ってた?」
「……はい。杏さんの話をしてるときは、ずっと」

 瑠璃の言葉を聞くと、杏は「あのバカ」と言って天井を仰いだ。
 死に目に会えなかった妹の表情を必死に手繰り寄せているのかもしれなかった。

「あたし、簡単に死ねなくなっちゃったわね」

 瑠璃に目を戻した杏は苦笑していた。寂しさと心苦しさ、自分には推し量れない何かを抱えた顔だった。

「軽率だったかな。瑠璃は、もうそんなのとっくに過ぎてるのにね」
「え……」

391断ち切る:2009/10/21(水) 23:18:34 ID:9uSh9wRc0
 そうなのだろうか、と自問する声がかかり、やはり明確な答えを出せずに瑠璃は沈黙した。
 流されるままで、他人には死んで欲しくないとは思えても自分のことになると頓着するものなど殆どなかったこと。
 償うことばかり考えていて、自分自身のことなんて思いつきもしなかった。

「だって、そうでしょう? 簡単に死ねないって分かってて、ずっと内側で黙り込んだままなんて出来ないもの。
 吐き出して、どっかで楽にならなければ人って生きられないから……それこそ、聖人君子でもなければ、ね」

 人の持つ芥を理解し、自分本位で動くことも是と受け止めた顔があった。
 緩やかに曲線を描いた口元は笑っているようでもあり、諦めているようにも思えた。

「多分あたしもあなたも、どっかで絶対許せないところがあるのよ。でもそれだけじゃ寂しいでしょう?
 だから少しでも本音を吐き出しておけば、あたし達なりにも理解することができるようになる。
 理解できないとね、思い込みで憎んだり疑ったり、軽蔑するだけになるから。……自分にも」

 杏は椋のことを忘れられないし、その生を奪われたことも許せない。
 瑠璃も珊瑚のことを忘れられないし、奪われたことを絶対に許せない。

 でもそれでいいのだ、と杏は言ってくれた。ちゃんと互いに吐き出して、自分なりの納得さえ得られれば。
 それはある意味では自分達の善意を信じての言葉だった。
 善くなっていけるだろうと信じられるからこそ、杏は許せなくてもいいと言ったのだろう。

「ありがとう……」

 だから瑠璃が言ったのは謝罪でもなく疑問を差し挟むことでもなく、自分達の在り様を肯定してくれたことに対しての感謝だった。
 無論これだって自分を保つための論理なのかもしれない。でもそれでもいい、と瑠璃は率直に思うことが出来た。
 手を出しだした瑠璃に、何の躊躇いもなく杏も手を握り返してきた。

「お互い、死ぬまで生きましょう」
「うん。絶対に」

 辛酸を自分で洗い流すことを覚えた女二人の手が離れる。
 毅然として歩く杏の後に続きながら、瑠璃は話していた空き教室の前で待っているであろう藤田浩之の姿を思い浮かべる。
 今晩は彼と話しつつ、一緒に過ごしてみよう、と思った。
 初めて自分のことだけを考えている自分を、自覚しながら。

392断ち切る:2009/10/21(水) 23:18:55 ID:9uSh9wRc0
【時間:3日目午前04時00分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】

『自由行動組』何を、誰とするかは自由。小中学校近辺まで移動可

姫百合瑠璃
【状態:死ぬまで生きる。浩之と絶対に離れない。珊瑚の血が服に付着している】

藤田浩之
【状態:瑠璃とずっと生きる】

藤林杏
【状態:軽症(ただし激しく運動すると傷口が開く可能性がある)。簡単には死ねないな】

→B-10

393終演憧憬(2):2009/10/23(金) 03:33:56 ID:IOL2TXto0
 
「―――ふうん。それじゃ、さっきの白いのがおまえの言ってた子だったんだ」

ずずぅ、と癇に障る音を立ててマグカップの茶を啜りながらしたり顔で頷く春原陽平を
ちらりと横目で見て、長岡志保は頬杖をついたまま口を開く。

「だから、おまえっていうのやめてよね。あたしには志保ちゃんって立派な名前があるんだから」
「……へいへい」

突き放すように言われた春原が、露骨に顔を顰めながら言い直そうとする。

「で、その志保ちゃんは―――」
「あんたに志保ちゃんとか呼ばれたくないんですけど。キモい」
「ムチャクチャ言いますねえっ!?」

口から唾と茶とを飛ばしながら抗議する春原に、心底面倒そうな表情を作って志保は視線を外す。
実際、心底から面倒くさかった。
甲高くて喧しい声は、どんよりと澱んだテンションにざくざくと突き刺さってひどく鬱陶しい。
今はただ、窓の外に広がる景色と静寂だけに身を委ねていたかった。
目をやれば、四角く切り取られた空は、青の一色からだいぶ趣を変えている。
傾きかけた陽射しの黄色みがかった色合いが、森と山と小さなリビングとを、薄いヴェールで覆うように
やわらかく染め上げていた。

394終演憧憬(2):2009/10/23(金) 03:34:15 ID:IOL2TXto0
「白い子……って、川澄さんのことですか?」

背後でなおも不満そうにぶつぶつと抗議の声を上げ続けている春原を見かねたか、
困ったような顔の渚が会話に入ってくる。
ここで目が覚めてからほんの数時間。
その間に、同じようなことが何度もあった。
場に険悪な空気が流れること自体が嫌なのだろう、と思う。
古河早苗がこの場にいれば、空気が悪くなるより僅かに手前で自然に軌道修正するような一言を放って、
一瞬にして和やかな雰囲気を取り戻していただろう。
それは一種の天賦の才で、しかし早苗は今キッチンに立っている。
だから渚は仕方なく、どこか必死さを滲ませながらぎこちなく、対立に介入しようとしているのだろう。
ともすればそれは優しさではなく、手前勝手な心情の押し付けだった。
しかし穏やかな口調と下がった目尻は、春原のそれと違ってささくれ立った志保の心を刺激しない。
それはどこまでも薄く、軽く、やわらかい身勝手だった。
仕方ないかと内心で苦笑した志保が、窓から視線を離すと渚の方へと向き直る。

「そ。あたしと美佐枝さんが何とかしようとした子」

本人には言えなかったけどね、と苦笑交じりに呟く。
あんた、何で生きてるのよ。
言えるわけがない。
長岡志保を知る誰もが理解しているように、流れに乗れば志保は誰に対しても、何についても口に出す。
出してしまう、或いは出せてしまう。
そうしてまた、これは誰もが誤解していたが、流れに乗ることができなければ、志保は怯えて動けない。
一線を踏み越えることのリスクを過剰に考えすぎてしまうのが、長岡志保という少女の一面である。
酔った勢い、という言葉がある。
流れに乗るというのはそれに近いのかもしれない、と志保は自己を分析していた。
但し酩酊するのはアルコールに対してではない。
長岡志保を酔わせるのは、空気と呼ばれるものだった。
場に流れるテンションの総量が、志保を大胆にする。
言わなくてもいいことや言えなかったはずのことや、しなくてもいいことやすべきでないことをさせる。
踏み出した足が一線を越えた、そのこと自体がテンションを押し上げて、志保自身を加速させていく。
それが好循環であるのか、それとも悪循環であるのかを志保は評価しない。
ただ自分自身がそういうものであると、それだけを理解していた。
温まらない場では動けない。
人見知りをしないくせに、一度でも苦手意識が芽生えた相手の前では口も出さない、笑えない。
それが長岡志保で、そして志保にとっての川澄舞は、明らかに苦手な相手だった。

395終演憧憬(2):2009/10/23(金) 03:34:38 ID:IOL2TXto0
「何とかしようとして、何ともならなかった子だろ」

ずぅ、と茶を啜りながら春原が言う。
返事をするのも面倒だった。
代わりに、春原が少しづつ啜っているマグカップの底を、思い切り指で押した。

「ぶあつぅーっ!?」
「ひゃ!? だ、大丈夫ですか春原さん! わ、わたしタオルとお水、持ってきます!」

椅子から転げ落ち、大きな腹を抱えたままごろごろと床をのたうつ春原を無視して、
志保は窓の上に据え付けられた壁掛け時計を見上げる。
短針は右真横、九十度。
時刻は間もなく三時になろうとしていた。

「……だから、もう少ししたら出よっかな。船が出るのは六時だっけ」

何が、だから、なのか。
口にした志保自身が、そのことを疑問に思う。
何とかしようとして、何もできなかったから、だからここを出て、船に乗って、本土へ帰るのか。
舞が蘇って、すべきことが何もなくなったから、だから悪夢の一日を生き延びたことに感謝して。
何かをしようと決意して、何ができたのかも分からないまま放り出されて、だから家路に着くのか。
夢と現の狭間で、何かを見出したつもりだった。
誰もが戦っていたあの山頂を見上げていたとき、心の中には確かに何かが存在していたはずだった。
ぐにゃりと歪んだ世界の中で、ずるずると纏わりつく無数の想念に貫かれながら膝を屈さずにいたとき、
志保の中の一番声の大きな何かは、必死で叫んでいたはずだった。
だがこうして、温かいお茶とうららかな陽射しと穏やかな景色とに包まれていると、そのすべてが
夢か幻であったように思えてくる。
掴んだはずのものが、するりと手の中から零れ落ちていくような感覚。
開いてみれば、手のひらの上には何も残っていない。
小さく、無力な手が傾きかけた陽に照らされて黄金色を帯びている。
転んだときの細かな傷の幾つかが血が滲んでかさぶたになっていて、そうして、それだけだった。
船に乗って家路について、日常に戻ればすぐに消えてしまうような、そんな傷。
それだけが志保に残されたもので、傷が消えてしまえば、この島の全部が消えてしまうような、
そんな錯覚が、ぼんやりと志保を包み込んでいく。

396終演憧憬(2):2009/10/23(金) 03:35:02 ID:IOL2TXto0
「はあ……」

深い溜息と共に、テーブルに突っ伏す。

「あたし、何やってたんだろうなあ……」

頬に当たる飾り板の冷たい感触と篭った溜息の生温さが、ほんの一呼吸、二呼吸の内に混じり合っていく。
腕で覆った瞼の内側は暗く、狭く、簡素で、心地いい。

「何にもできてない」

小さな壁の内側の空虚に甘えながら呟けば、愚痴じみた言葉はひどく自然に耳に馴染んで、
それはきっと本音なのだろうと思えた。

「ずっと誰かに助けられてて、なのに恩返しもできなくて。だけど……」

濁った声が溶けていく。
溶けて乾いて、残らない。
それでも、口にして、思う。
だけど、は優しい言葉だ。
曖昧で、緩やかで、言葉が続かなくても、許してくれる。
だけど、の後に何を言おうとしたのか、もう自分でも分からない。だけど。
だけど、仕方ない。
きっとそれは、仕方ないことだったのだ。
即席の闇の中、だけど、が大きくなっていく。
だから、を侵して、だけど、が言葉を濁らせる。
濁った言葉は吸い込んだ息と一緒に肺の中で血に混ざって、体中を這い回る。
這い回って、いつかの、思い出せないほど遠くの自分が傷だらけになりながら手を伸ばしていた理由や、
手段のない目的や、原因の見つからない衝動や、そういうものを砂糖菓子みたいに包み込んでくれる。
それは疲れきった身体に染み込んで、甘い。
それは弱りきった精神に沁み渡って、軽い。
それは長岡志保を満たし、覆い、溢れて、

「……だけど、なんだよ」

そういうものに包まれた自分は、ひどく言い訳じみていて。
醜く、くすんでいる。

397終演憧憬(2):2009/10/23(金) 03:35:31 ID:IOL2TXto0
「―――」

春原陽平の声が、冷水のように、或いは無遠慮に響く足音のように、志保を打つ。
打たれて剥がれた砂糖菓子のコーティングの下から、剥き出しの衝動が顔を覗かせていた。
それは疲れきり、弱りきって、しかし、だから何だと、叫んでいた。
ずっと誰かに助けられていて、なのに恩返しもできなくて。
だけど、ではないと。
それは、叫んでいた。
だから、だ。
だから、お前はどうするのだと、真っ直ぐに、心臓の裏側に爪を立てるような眼差しで、問いかけていた。

「……わよ」

ぎり、と噛み締めた歯の隙間から、声が漏れた。

「はあ? 何だって?」
「―――あんたには、分かんないわよ……!」

眼差しから視線を逸らし、傷口から漏れ出した問いを塞ぐように、必死に己を抑え込みながら、
志保が声を絞り出す。
理不尽だと分かっていた。
ただの八つ当たりだと、理解していた。
それでも、言わずにはいられなかった。
顔を上げて睨んだ先に、

「何、それ」

底冷えのするような目が、待っていた。

398終演憧憬(2):2009/10/23(金) 03:35:59 ID:IOL2TXto0
「……!」
「笑えるね。一人で悲劇のヒロインぶってさ」

いつの間にか立ち上がっていた春原が、すぐ傍に立っていた。
気圧されたように言葉に詰まった志保を見下ろして、春原が口の端を上げる。
にやにやと人を見透かしたような、嫌な笑い方だった。

「だけど、だけど。言ってれば? ずっと、そうやってさ」
「何が……言いたいのよ」
「べっつにぃ」

嘲るように、蔑むように。
笑みを浮かべた春原が、そこだけはぞっとするように冷たく光らせた眼を、すうと細めた。

「たださあ―――」

それが、たまらないほど疎ましく。
怖気が立つほど厭わしくて。

「―――楽だよなあ、って」

思考が、白く染まる。

「あんた……っ!」

どん、という手応えは、意外なほどに軽かった。
あまり肉付きの良くない肩の辺りを突き飛ばした腕に、どれほどの力を込めていただろう。
分からない。
衝動に任せた手は、にやにやと笑う春原の表情を、一瞬だけ驚愕の色に染め上げ。
そして、視界から消した。

399終演憧憬(2):2009/10/23(金) 03:36:21 ID:IOL2TXto0
ガタ、ゴン、と。
重い音が、後から響く。
よろけた春原が足を絡めて躓いた、木製の椅子が床に当たって立てた音。
そうして、すっかり大きくなった腹を抱えた春原が、受身も取れないまま、正面から床に倒れた音だった。

「え……?」

すぐに立ち上がると、思った。

「ちょ、ちょっと……」

立ち上がって、眼を剥いて、甲高い声で食って掛かってくると、そう思った。
しかし。

「じ、冗談やめなさいよ……」

春原陽平は、起き上がらない。
顔を上げようとも、しなかった。

「……どうしました!? 今、すごい音が……」

キッチンから顔を覗かせた渚が、立ち尽くす志保と、ほんの少し遅れて床に倒れた春原に気付く。

「春原さん? ……春原さん!?」
「あ、」

声が、出ない。
春原を突き飛ばした手が、伸ばされたまま、震えていた。

「……お母さん! お母さん!!」

恐ろしく切迫した渚の声が耳朶を打つのを感じながら、志保の瞳はどこか他人事のように
目の前の状況を映していた。
凍りついた脳が、情報を処理しきれずにいるようだった。
倒れ伏した春原の、腰に巻いたシーツがまるで何か、水に濡れたその上に掛けたようにじわりと滲み、
瞬く間にその色を変えていくのも、だから志保はぼんやりと、ひどく無機質に、眺めていた。



******

400終演憧憬(2):2009/10/23(金) 03:36:42 ID:IOL2TXto0
 
 
長岡志保は走っている。
息は荒く、全身は汗みずくで、目尻には涙を浮かべながら、しかし休むことなく、走っている。
取り返しのつかないことをしたと、それだけがぐるぐると志保の脳髄を廻っていた。

晴れ渡っていたはずの空にはいつの間にか薄く、しかしじっとりと重たげな灰色の雲が
黴のように涌き出して、傾いた陽を覆い隠そうと機を窺っていた。
そのせいで木漏れ日と影との境がひどく曖昧で、荒れた足元は更に不安定になっている。
張り出した木の根を飛び越えた、その先の地面が小さく窪んでいるのに気付いたのは、
着地のほんの僅かに寸前、かろうじて顔を出した陽光が地面を照らしたからだった。
足を取られ転びそうになって、それでもどうにか体勢を立て直し、志保は疾走を再開する。

危険な状態です、と早苗は言っていた。
真剣な表情だった。

動かせないと。
お産が始まると。
破水が、陣痛が、他にも色々と言っていて、そのどれもが志保には届かなかった。
ただ、医者が必要なのだと。
この場にはいない、それが必要なのだと。
それだけが、志保に理解できた唯一のことだった。

それで、志保は走っている。
指定された帰還者たちの集合場所へと、影の濃くなってきた林道を荒い息をつきながら走っている。
何も守れず、何も掴めず、そうして挙句に何かを失いかけた今になって。
だけど、だから、長岡志保は、走っている。

401終演憧憬(2):2009/10/23(金) 03:36:57 ID:IOL2TXto0
 
【時間:2日目 午後3時すぎ】
【場所:I-6 林道】

長岡志保
 【状態:健康】


【場所:I-7 沖木島診療所】

春原陽平
【状態:破水】

古河早苗
【所持品:日本酒(一升瓶)、ハリセン】
【状態:健康】

古河渚
【所持品:だんご大家族(100人)】
【状態:健康】

→1080 ルートD-5

402終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:22:43 ID:QqjtjFrU0
******



「素晴らしい。君は、この戦いの勝者だ」

「戦い抜いて、生き抜いて、とうとうハッピーエンドを勝ち取ったんだよ、おめでとう」


「さあ、だからもういいだろう?」

「物語を終わらせよう」


「だってもう、世界には―――」

「君しか、残っていないんだから」



******

403終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:23:11 ID:QqjtjFrU0
 
「うわっ、たたたっ……!」

闇を抜けると、そこは海だった。
扉を潜り、塔の中に入ったはずだった。
ほんの数歩で視界は黒の一色に染まり、次の数歩で闇が晴れ、そうして足元には水面が拡がっていた。
直径にして二十メートルほどの塔の中に、如何なる怪異を以て海原を再現してみせたものかは
天沢郁未にとって理解の範疇外である。
或いは逆に、郁未たちの身を一瞬にして何処とも知れぬ大海原の只中まで移動させたものかも知れなかったが、
いずれまやかしであれ超常の力であれ、理解よりも先に対処をせねばならない。
水面に落ち身が沈むよりも早く体勢を整え、とそこまでを思考したところで、背後から声がする。

「……沈みませんよ」

何が、と考えて、一瞬行動が遅れた。
しまったと己が迂闊を悔やむと同時、靴先が水面に触れる。

「……ですから」

ふよん。
冷めた声が背を打つのに、郁未は返事を返さない。
それよりも。
ふよん、ふよん。
足元から伝わる、奇妙な感覚に気を取られていた。
柔らかく、弾力のある何かが、今にも水面を踏み抜きそうだった足の下に、ある。
どうやら水の上に浮いているらしきその足場、見れば一面が白く長い毛に覆われている。
弾力を生み出しているのは、そのもこもことした毛の絨毯のようだった。

「っていうか……」

座り込んで毛足を撫でれば温かい。
よくよく見れば、その絨毯には顔がついている。
鼻があり、口があり、目があった。
大きなビーズのような、黒い瞳だった。
長い毛の中に紛れてくるりとカーブを描く小さな角も見えた。
ひどくメルヘンチックなデザインのそれを、もうひと撫でしてみる。

「……ひつじ?」

べぇーぇ。
と、絨毯が鳴いた。

404終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:24:03 ID:QqjtjFrU0
「こんな、絵本の挿絵みたいな羊はいませんよ」
「えー」

振り返れば、そこにはいつも通りの顔。
仏頂面に呆れを混ぜた、鹿沼葉子の姿がある。

「分かんないじゃない。世界は広いんだし」
「少なくとも海を泳いで渡る羊の群れなど聞いたことがありません」
「……群れ?」

言われて見渡せば、郁未たちの周囲には幾つもの小さな白い足場が浮いている。
小さく口笛を吹くと、そのすべてが計ったように口を開いて、べぇーぇ、と鳴いた。

「面白ーい」
「他の方々はいらっしゃらないようですね」
「無視された……」

冷ややかな視線で睨む葉子の言う通り、塔の外にいたはずの面々は見当たらない。
三百六十度の水平線には、ただ郁未と葉子と、白い羊たちだけが浮かんでいる。
空に太陽はない。
陽が沈んだ直後だろうか、或いは夜が明ける直前だろうか。
濃紺の天頂から群青色の水平線へと至るグラデーションが、夜空の静謐と
日輪の温もりとを併せ持った色合いで空一面を彩っていた。

405終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:24:27 ID:QqjtjFrU0
「……」
「……」

自然、言葉が失われる。
吐息が夜を運ぶような、或いは瞬きひとつが曙光を導くような、そんな錯覚。
遥か水平線の彼方と、波間に浮かぶ自分との距離が零になる。
圧倒的な断絶と不思議な一体感とがない交ぜになったような奇妙な陶酔感に揺蕩えば、
次第に思考と感情がくるくると渦を巻いて回りだす。
湧き出すのは、すぐ傍にいるはずの誰かが、次の瞬間にはもうそこにいないような不安。
叫びだしそうになる衝動を堪えて伸ばした手が、小さな温もりに触れた。
目をやるまでもない。
同じように伸ばされた、それは手だ。
縋るように、縋らせるように、握った手に、そっと力を込める。
ほんの少し、滲んだ涙が乾くほどの短い間、空を見上げながらそうして手を繋いでいた。

「あのー……もしもし」

声が聞こえても、そうしていた。

「そろそろ、いいかな……?」

気配が真後ろに迫っても、そうしていた。

「……もしかしてお邪魔かな、わたし」
「邪魔だねえ」
「邪魔ですね」

即答しながら、ずっと空を見上げていた。

406終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:24:51 ID:QqjtjFrU0
「うわ冷たっ! っていうかリアクションしてよ! 気付いてるなら!」
「……」
「……」
「お願いだからこっち向いてよお……」

涙声に、渋々ながら振り返る。
険しい表情の郁未の眼前、ほんの数十センチの距離を開けて、白い布地が翻っていた。
簡素なワンピース様に裁断された布地を纏うのは、幼い少女である。
まだ就学年齢にも達していないだろう少女が、ニコニコと笑いながら、郁未の前に、浮かんでいた。

「ばあ!」
「……何か用? つーか、誰」
「……」
「……」

心底から面倒くさそうな問いかけには、小さな舌打ちすら混ざっていた。

「あの、わたし浮いてるんだけど……」
「できるヤツもいるよそれくらい。探せば。たぶん。……それで用、済んだ?」
「ま、まだ本題にも入れてないかなあ」

目尻にほんの少し光るものが滲ませながら、それでも少女は笑みを崩さない。

「じゃ、手短にお願い」
「やりづらいなあ、もう! ……気を取り直して、こほん」

ふわふわと浮いた少女が、小さく咳払いをして一瞬神妙な表情を作ると、

「はぁーい、麦畑のうさぎさんはただいま別件で対応中でーす!
 代わりにえいえんの空のみずかちゃんがお相手いたしまーす!」

弾けるようなとびきりの笑顔で、言った。

407終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:25:15 ID:QqjtjFrU0
「ウザっ」

正直に、返した。

「……」
「……」
「……郁未さん、言葉が足りないと人を傷つけることもありますよ」

痛々しい沈黙を破ったのは、葉子のたしなめるような声だった。
笑顔のまま固まっていた少女が、我が意を得たりとばかりに郁未に食って掛かる。

「そうだよ、傷ついたよっ」
「そんなときはきちんとこう言うものです。……あなたはテンションが妙に高くて鬱陶しい、
 相手にするのも面倒ですので私たちの目の届かないところに消えてくださいお願いします、と」
「余計に傷つくよっ!」

少女の目尻に溜まる涙の粒がますます大きくなる。
もう少しで零れ落ちそうだった。

「で? その……何だっけ、みずかちゃんとやらがどうお相手してくれるんだって?」

軽い溜息をついて、郁未が話を進める。
どの道、いつまでも海の真ん中でメルヘンな羊に乗っているわけにもいかなかった。

「もう、話を聞きたいのか聞きたくないのか、どっちなんだよっ」
「そういうのいいから」
「むー……」

しばらく不満げな顔をしていた少女だったが、それでも話の続きを始める。

「久々登場、みずかちゃんの解説コーナーでーす」

妙にテンションが低い。
話の腰を折られたのがそんなに気に入らないか、と茶々を入れそうになったが、
背後から聞こえた小さな咳払いに郁未は慌てて口を閉ざす。
葉子に先手を打たれていた。
仕方なく、身振りで先を促す。

408終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:25:42 ID:QqjtjFrU0
「何が訊きたいですかー。世界の始まり? それとも終わり?
 黒幕、目的、歴史の裏側、何でも教えてあげちゃうよ」

どうだ、と言わんばかりに胸を張る少女を前に、郁未は肩越しに振り返って葉子と眼を見交わす。
肩をすくめる葉子に視線だけで頷いて、向き直る。

「あ、あれ?」
「……」
「……」
「リアクション薄いなあ。もっと驚こうよ!
 ホントに何でも答えちゃうよ? 出血大サービスだよ?
 お隣の国の軍事機密でも、ジョンベネちゃん事件の真相でも、何でもだよ?」
「いや、そういうの興味ないんで」

つーかジョンベネちゃんって誰だそれ、と口の中で呟いた郁未が、何かに気付いたように
ぽん、と手を打つ。

「あ、そうだ。一つだけあった」
「うんうん!」

ようやくか、と期待に満ちた瞳を向ける少女。

「出口どこ」
「あのさあ!」

宙に浮いたまま器用に転ぶ真似をしてみせた少女が、郁未に詰め寄る。

「何怒ってんの」
「ふつう怒るでしょ! マジメにやってよ!」
「真面目に訊いたんだけどなあ……」

溜息をついた郁未が、持った薙刀を手の中でくるりと回す。
長柄でとんとんと肩を叩いて、ゆっくりと口を開いた。

409終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:26:34 ID:QqjtjFrU0
「じゃ、ついでにもう一つ」
「……今度はちゃんと、ね」

すっかりへそを曲げた少女が半眼で睨むのに苦笑しながら、郁未が問いを口にする。

「―――あいつは、何処にいる?」
「……お」

僅かな間、虚を突かれたように少女が沈黙する。
凪いだ海原にちゃぷちゃぷと響く波の音が大きくなったように感じられた。
ややあって。

「いい質問だねえ」

少女が、笑う。

「そういうのを待ってたんだよ。けど……」

にたりと、能面を貼り付けたような笑み。
友好という観念からは程遠い、それは笑い方だった。

「それはまあ、タダでは教えてあげられないかなあ」
「……なら、力づくってことで」

即答した郁未の手に握られた薙刀には既に、不可視の力が乗っている。
無数の激戦を経て、数多の屍を造り出しながら刃毀れ一つさせない、
それは刃に無尽蔵の切れ味を与える恐るべき異能の力。
ぎらりと煌く刃を前に、ふわふわと浮いた少女が笑みを貼り付けたまま、口を開く。

「へえ。やれるもんならやってみ、」

軽口が、途切れた。
躊躇なく振るわれた刃が、にたにたと笑う少女の顔面を、横薙ぎに一閃していた。
ぱかり、と。
耳まで裂けた少女の口が、上下に分かれて、そのまま、

「―――」

霞のように、全身が消えた。
表情に緊張を走らせた郁未が、周囲に目線を配ったのは一瞬。

「……あのさあ、女の子の顔、狙う? 普通」

声は後ろから。
身を捻りざま、袈裟懸けに切り下ろす。
刃に遅れて振り返った郁未が視認した少女の姿は、しかし胴の辺りが真っ二つに裂けている。
鹿沼葉子の鉈が、郁未に先んじて少女に叩きつけられていた。
ひゅう、と口笛を吹いた郁未の眼前、しかし少女が再び、消える。

410終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:27:05 ID:QqjtjFrU0
「無駄だよ」

右手に現れた少女の肩口を、郁未の刃が突く。

「わたしはここにいないもの」

左で笑う少女の喉を、葉子の鉈が描き切った。

「ううん、わたしなんて、どこにもいない」

頭上に浮かぶ少女の足を、二人の刃が一本づつ断ち割って、

「いつか誰かがみた夢。ずっと昔に、とても大きな可能性だった誰かがみた夢」

しかし水面の下から響く少女の声は、止まらない。
ころころと笑う少女は無数の刃を浴びながら、しかし次に現れるときには意に介した様子もなく
平然とそこに浮かんでいる。

「幻覚の類……?」
「手応えは、ありますが……」

渋面の郁未が背を合わせた葉子に問えば、返答にも幾許かの困惑が混ざっている。

「あはは、違う、違う」

郁未の眼前に現れて、頭頂部から断ち割られておきながら消失し、次の瞬間には
再び寸分違わぬその場に姿をみせた少女が、手を振って郁未たちの問答を否定する。

411終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:27:39 ID:QqjtjFrU0
「わたしはここにいるよ。いるけど、いないだけ」
「謎掛けのつもり?」
「違うよ。単なる事実」

眉を寄せて口を尖らせた少女が、郁未の前でくるりと回る。
背を見せたその一瞬に薙刀が奔り小さな身体を両断しても、ふわりと消えてまた回る。

「わたしは『ここ』で」

両手を広げ。

「ここは、どこにもない」

濃紺の空を見上げて。

「だからわたしはどこにもいない。いないけど、あなたたちのいる『ここ』は今、
 あなたたちを包んで存在してるんだ。だからわたしも、今ここにいる」

謡うように口にする、少女の言葉を、

「……分かんないよ」

郁未は突き出す刃をもって拒絶する。

「もう、しょうがないなあ」

白いワンピースごと腹を割かれ、血も流さないまま桃色の肉を覗かせた少女が、消えて、戻る。

「ここは、えいえん。そう呼ばれる場所。そういうあり方のできる世界」

412終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:28:11 ID:QqjtjFrU0
薙がれた刃をふわりと躱して、宙に浮いたままゆっくりと下がっていく。
追いかけようと足を踏み出した郁未が、しかしその先に浮かぶ羊がいないことに気付いてたたらを踏んだ。

「とこしえに醒めないゆめ。どこにも続かない空。たどり着ける島のない……海」

刃の届かぬ中空で、群青色の空と水平線とを背景に、少女が両手を広げる。

「わたしは『ここ』。この空と海のようなもの。切っても突いても、死んだりしないよ。
 だって、最初から生きてなんていないんだから」

小さな手を、白い服に覆われた胸に当てる。

「わたしがひとのかたちをしているのは、誰かがそういう夢をみたから。
 それがとても深い夢だったから、わたしはまだ、こういう姿でここにある」

眼を閉じて語る、少女の表情には静謐と空虚とが混在している。

「これでもわたしは、えいえんにあり続けているんだよ」

声は、次第に囁くようなものになっていく。

「ここは―――えいえん。変わらない場所。変わらずにいられる場所。
 だからここに、出口はない」

代わりにちゃぷちゃぷと、波の音が少女の声を掻き消すように響き出した。

「もう、あなたたちは出られない。ずっと、ずぅっと、ここにいるんだ。
 変わらないまま。ただ海に揺蕩ったり、空を飛んだり、草原で風を感じたりしながら。
 ……でもね」

波の音が、段々と大きくなっていく。

「でも、ここに来られるのは、とても幸福なことなんだよ」

413終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:29:00 ID:QqjtjFrU0
波濤の砕ける音は、雑踏のざわめきに似ている。

「耐えられない悲しみに引き裂かれたり、平凡な毎日に腐っていく自分が赦せなかったり。
 そういうものは、いつだってここを夢想するんだから」

或いはそれは、消し忘れたテレビから聞こえてくる、不快なノイズのようでもあった。

「ここは、そういうものを認めてあげられる場所だから。
 そういうあり方を赦してあげられる場所だから。
 そういうものたちが望んで、望んで、ようやくたどり着ける、終わりの場所だから」

きんきんと、ざわざわと、がやがやと、頭の中に響く音が、大きくて。

「だからあなたたちは―――」

だから天沢郁未は、細く、細く息を吐いた。

「―――ああ」

ゆっくりと、眼を開ける。

「耐えられない悲しみや、許容できない自分や、求めても得られない苦しみや。
 ああ、ああ、」

重く、低く、薄く、昏く、呟く。

「そういうものに追い立てられて、終に至る、安息の地か。
 成る程、成る程、」

天を仰いで。

「―――成る程、私には、必要ないな」

肩越しに金色の髪の相方を見やった。

「……私たちには」

期待通りの言葉。
いつも通りの仏頂面。
知らず、笑みが漏れた。

「そうだね。私たちには、必要ない。そんなものは、もう」

414終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:29:32 ID:QqjtjFrU0
手を伸ばすことはない。
伸ばしても、重ねられる白い指はない。
伸ばせば触れると、わかっている。
その温もりを、知っている。
だから真っ直ぐに瞳を覗くことも、なかった。
深い、緑がかったその水面に映っているのは、天沢郁未だ。
そうして郁未の瞳には、鹿沼葉子が映っている。
それで、充分だった。

「夜は明ける」

あの赤い月の夜のように。

「私たちは、そう望む」

阻むすべてを、切り払い。

「そうしてそれは、叶うんだ」

永遠をすら、越えて。
重なる声が、谺する。
それは、世界に命じる声だ。
傲慢で貪欲で、身勝手な享楽に満ちた、変革の大号令だ。

そうあらねばならぬという確信と、
そうあらぬすべてを拒む断絶と、
そうあれかしと踏み出した靴音の、

それは、世界を革命する曙光だ。



***

415終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:29:51 ID:QqjtjFrU0
***




水平線の向こうから、黄金の光が、射した。
永遠の空に、陽が、昇る。




***

416終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:30:12 ID:QqjtjFrU0
***



「そんな、どうして……!?」

褪せていく群青色の空を見上げて、少女が悲鳴に近い叫びを上げる。

「あり得ない……! えいえんを、拒むの……!?」

黄金色の光が、少女を包んでいく。

「安らぎを、平穏を、変わらずにいられる幸福を、どうして望まないの……!?」

耐えかねて手を翳した、少女の言葉に郁未が応える。

「悪いね」

手にした刃の石突を、とん、と白い羊の背に委ね、郁未が穏やかに笑う。
べぇーぇ、と羊が鳴いた。
波の音は、もう聞こえない。

「私ら、その手の勧誘は一通り断ってきたんだ。大丈夫、間に合ってます……ってね」

誘惑も。過去も。快楽も。苦痛も。愉悦も。恐怖も。
あの暗い、剥き出しのコンクリートとリノリウムだけがどこまでも続く施設の中で。

「今はもう、私は私を悔やまない。きっと、ずっと」

横目で見た葉子の相変わらずの仏頂面の、ほんの僅かに緩んだ口元に、郁未はひとつ頷いて、
笑みを深める。

417終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:30:41 ID:QqjtjFrU0
「……そう」

そんな郁未たちを見返した、少女の表情はどこか無機質に感じられた。

「やっぱりね」

言って、眼を逸らす。
翳した手の隙間から漏れる陽光が、大きな黒い瞳にきらきらと反射して、
まるで涙に濡れているように、見えた。

「たくさんの人がここを求めているの。見上げた空や、冷たい壁や、ちかちか光るモニタの中や、
 そういうものが寂しくて、辛くて、煩わしくて、夢をみるの。
 たくさんの人が、自分を縛る何もかもを投げ出してしまえるような、そんな素敵な夢をみて、
 だけどほとんどは夢をみることにも疲れてしまって、だからここまでたどり着ける人はほんの少し。
 ほんの少しは、それでも、ここまでやって来られるんだよ」

淡々と呟く少女の声を聞きながら、郁未はゆらりと、視界が揺らぐのを感じていた。
否、揺らいでいるのは視界だけではない。
足場の羊も、寄せては返す波も、頬に感じる大気の流れも。
何もかもが、ゆらゆらと揺れている。
見渡せば、揺れる世界の中、少女と鹿沼葉子だけが背景から切り取られたように
しっかりとそこに立っている。
黄金の穂を揺らす麦畑のときと同じだった。
ここから離れる瞬間が近いのだ、と感じる。

「それなのに、せっかくたどり着いたほんの少しの人たちも、結局ここには留まらない。
 みんな、どこかへ帰っていくんだ。棄てたはずの場所へ。断ち切ったはずの何かに縋って。
 わたしはそれを、ずっと見送るだけなんだ。ずっと、ずっと、見送るだけなんだ。
 それが、えいえんということだから」

418終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:31:03 ID:QqjtjFrU0
世界は既に、空と海とが混ざり合って、その境目をなくしている。
子供が捏ねた粘土細工のような夜明けに浮かんで、少女は郁未たちを見下ろしていた。

「ねえ」

問いかけは、短く。

「……『そっち側』は、そんなに素敵?」

視線と言葉は、率直で。
だから郁未は一瞬だけ、葉子と顔を見合わせて。
それから、少女のほうを向いて、言う。

「―――来てみりゃ、わかるよ」

言葉に添えられたのが、笑顔だったかは分からない。
刹那、幾多の、本当に幾多の光景が脳裏を過ぎり、それは幸福だけでも、不幸だけでもなく、
天沢郁未の見てきた世界はただの一色ではなかったと、それだけは間違いなく、
だから笑顔を浮かべられたかどうか自信はなくて、

「そう」

そんな風に素っ気なく頷いた少女の、しかし浮かべたやわらかい笑みを見たのを最後に、
天沢郁未の意識は、ふつりと途切れた。



******

419終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:31:27 ID:QqjtjFrU0
 
 
ちゃぷちゃぷと、小さな音がする。
羊たちの群れが、波を掻き分ける音だ。
穏やかな曙光を浴びて黄金に輝く波間に、しかし平穏を蹴倒すような声が響く。

「―――ちょっと、それってどういうこと!?」

みずかと名乗った少女の声だった。
中空に浮かぶ少女は、怒声に近い声を上げて誰かに語りかけている。

「誰かが、解放したって……誰が!?」

しかし見渡す限りの海の只中、語りかける相手の姿はない。
独り言じみた様子もなく、少女はまるで見えない誰かがそこにいるかのように声を上げていた。

「来栖川……? あれは死んだ、って……。うん、だけど……それじゃ、バクダンは?
 そう、……わかった。うん、……うん。だけどさ……、はあ……だから、ごめんって。
 そりゃ、まかせっきりにしたわたしも悪いけどさあ……」

盛大な嘆息。

「なんで負けるかなあ、千鶴さん……そんなはず、ないんだけどなあ……。
 うん……だけど、どうするの? もう次はないんでしょ? 
 わたしはいいんだよ。そういうものだから。だけど、あなたは……、」

ほんの僅かの間。

「……そう。うん、わかった。なら、いいよ。もう言わない」

そう言った少女の声は、微かに沈んだ響きを帯びている。
それからまた、暫くの沈黙を置いて、少女がふと思い出したように、呟く。

「……あ、そうそう」

何気なく、日常に愛を囁くように。

「来てみれば、わかる……ってさ」

それだけを口にして、少女がふわりと、宙に舞う。
どうやら、話を終えたようだった。

「ふう」

風が、ふわりと少女の白い服を揺らす。
遥か遠い曙光が、夜の凪を振り払うように、波頭を震わせていた。

「……本当、みんな勝手だよね」

溜息と共に紡いだ声は、見えない誰かにも届かない。
肩をすくめて見つめた陽の眩しさに、少女が微睡むように、眼を閉じた。





【一層 開放】

420終焉憧憬(1):2009/10/30(金) 15:31:59 ID:QqjtjFrU0
 
【時間:すでに終わっている】
【場所:???】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:重傷・不可視の力】

鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】


【場所:えいえんの世界】

みずかと呼ばれていた少女
 【状態:???】


→805 1100 ルートD-5

422少女達の休日:2009/11/04(水) 21:31:12 ID:y6TU6bzk0
「よー、首尾はどうだったかい」

 ニヤニヤしながら尋ねる朝霧麻亜子の言葉を「別に」とそっけなく返して川澄舞は歩いてゆく。
 風呂上りの彼女は髪を下ろしていたせいか雰囲気を異にしていて、
 熱を逃がすためなのだろう、少し開けられた胸元とうなじが妙に艶かしく感じられた。
 風呂場で国崎往人と何があったのかは想像するのも野暮というものなので、
 ルーシー・マリア・ミソラはそれ以上考えるのをやめにした。

「参ったね、やっぱ無理矢理だったかな」

 頭を掻き、多少力なく笑う麻亜子には、流石にお節介過ぎただろうかという不安が滲んでいた。
 やることなすこと無茶苦茶な癖に、こういう繊細な部分も持ち合わせているのが彼女。
 或いはその繊細さを隠すために破天荒を装っていたのかもしれないとも思う。

 よく分からない。少なくとも自分には分かるまいとルーシーは半ば諦めていた。
 まだ『みんな』になりきれていない自分が、人の心を推し量れるはずもない。
 だから分かったようなことを口にすることは出来ないし、早すぎる。

「かもしれない。お前は無茶苦茶だ」
「うぐ」
「それに付き合う私も無茶苦茶だが」

 ニヤと笑ってみせると、呆気に取られた顔になったのも一瞬、
 へへへと誤魔化すように笑って麻亜子は「だよねー」と意味もなく頷いていた。

 こうすればいい。自分を晒せばいい。
 分かるためには、まず自分からカードを見せる必要があった。
 出会ったときから実践していたであろう、春原陽平のように。

「お風呂と聞いてやってきました」

423少女達の休日:2009/11/04(水) 21:31:33 ID:y6TU6bzk0
 そうして二人で笑っていると、いきなり目の前に現れた伊吹風子がこちらを見上げていた。
 脇にはタオルやら何やらを抱えている。シャンプーハットが見えるが、特に気にしないことにする。

「残念だがチビ助よ、先客がいるのだ。そして次はあちきらよ」
「そうなんですか? さっき川澄さんが出て行くのを見ましたけど。あとチビ助言わないでください」
「ぬふふ、一緒に入っていたのだよ」
「誰ですか? 少なくともまーりゃんさんではなさそうですが。ばっちいですし」

 さらりと女性に対してひどいことを言っている風子だが、特に麻亜子に対しては遠慮のない彼女なので何も言わないことにする。
 麻亜子自身も気にしてはいないようだった。本当によく分からない、とルーシーは内心で溜息をつく。

「聞いて驚くなかれ、実はだな」
「はい」
「ゆ・き・と・ち・ん」
「ええっ!?」
「まさかの混浴である」
「ままま待ってください! す、するとあれですか!?」
「いいや。そんなもんじゃないのさ。こう、もみもみしたりなでなでしたり果てにはフュージョンしてヘブン状態!」
「え、えっちです!」
「いやあ、漏れ聞こえる愛の営みを耳にするのは辛かったでごんす。チビ助が聞いたら蒸気噴き出して失神してたね」
「そんなに激しかったんですかっ! えろえろです! ギガ最悪ですっ!」
「思い出すだけで赤面しちゃうね。思わず風呂の前に張り紙張って、『愛の巣』って書き込んじゃおうかと思ったよあっはっは」
「あ、愛の巣ですかっ! 幸せ家族計画ですかっ! もうお前ら幸せになっちまえバーローですか!!!」
「そうそう。しかも聞く限り往人ちんのは超度級グランギニョルマグナムっぽかっ」
「おい」

 あることないこと吹き込む麻亜子の後ろで、この世をも震撼させるようなドスの利いた声が発した。
 多分、オーラというものがあるのだとしたら、間違いなく怒りで真っ赤に染め上がったオーラが見えることは間違いが無かった。
 にこりともしない往人が麻亜子の頭をがしっ、と掴む。「あ、えっちな国崎さんです」と言った風子の言葉が火に油を注ぐ。

424少女達の休日:2009/11/04(水) 21:31:53 ID:y6TU6bzk0
「あ、アノデスネ国崎往人さん? わたしなにもわるいことしてないアルよ?」
「なるほど、確かに俺と舞が一緒に風呂に入っていたのは事実だ」
「ですよねー!」
「だがな、お前の言うようなことは何一つやってない」
「え? そうなんですか?」
「こいつの言う事は五割が嘘だ」
「あははー酷いなぁ往人ちん、どーせまいまいにやらしーイタズラあいだだだだだだだだっ!」

 掴んだ頭に渾身の力を込めて握り潰そうとする往人に悲鳴を上げる麻亜子。
 何やら体も浮いているような気がする。自業自得だとはいえ、痛そうだなという感想と哀れみの感情が広がってゆく。
 無論、何もするつもりはなかった。

「ギブギブギブ! あたしプロレス技にゃー慣れてないのさー!」
「うるさい黙れ。そして死ね」
「あ゛ーーーーーーーーーっ!」

 タップも空しく痛めつけられる麻亜子。殆ど涙目になっている彼女を見ながら、やっぱりよく分からないとルーシーは思うのだった。
 結局、麻亜子が開放されたのはたっぷり数分が経過した後だった。

     *     *     *

 やることがなくなってしまうと、いつもひとり取り残されたような気分になる。
 教卓の近くに腰掛けて所在無く手遊びをして、どこともなく視線を彷徨わせているのは古河渚だった。
 それぞれ出かけていった皆に混じることもなく、渚はじっとしていた。

 一人でいたかったわけではない。ただ、自由にしていいと言われるとどうしていいのか分からなくなるのが渚だった。
 眠るという選択肢はない。どういうわけか目が冴えて、少し横になってみても眠気はない。
 この状況で遊ぶ気にもなれず、仕方なくぼーっとしているしかなかったのが今の渚の状況だ。

425少女達の休日:2009/11/04(水) 21:32:26 ID:y6TU6bzk0
 正確に言えば、渚一人ではない。壁に背中を預けじっと体育座りをしているほしのゆめみもいる。
 彼女の場合はただ単にロボットだから何もしなくてもいいという結論に落ち着き、次の指令があるまで待機しているというだけの話。
 何をしていいのか分からない自分とは違う。話しかけてみようかとも思ったが、どのように話題を切り出していいのか分からず、
 まごまごしている間に目を閉じてピクリとも動かなくなった。

 稼動待ち、パソコンで言えばスタンバイモードに入ったらしい彼女を起こす気は持てず、今まで通りぼーっとしているしかなかった。
 風呂にでも入りに行こうかとも考えた渚だったが、伊吹風子がタオルなどを持って出てゆく姿を目撃しているだけにその選択肢もなくなる。
 一緒に入ろうか、と言っておけば良かったと溜息をつく渚だったが、今さら追いかけてももう上がりかけている頃かもしれないと思ったので、
 結局そのままでいることに。思いつく限りのことをするには全て中途半端に過ぎる時間帯であり、
 しかもその原因は自分にあるとなれば、自らの不明を恥じるしかない。

 いつもの日常に戻ってしまえばこんなものなのだろうと渚は失笑した。
 やれと言われればそれなりのことは出来るけれども、こうして時間を与えられ、
 自由に使っていいと言われてしまうとどうすればいいのか分からず、ただただ途方に暮れているしかない。

 それではいけないとは思うのだが、やれることはといえばお喋りするくらいしかないし、
 そんなことをしていていいのかと思ってしまい、立ちすくんだ挙句に無為の時間を過ごす羽目になる。
 焦りすぎているのだろうか、と渚は思う。誰かの役に立つことをしなければという思いに囚われすぎていて、
 肩肘を張りすぎているだけなのではないのだろうか。

 ここに至るまで自分は誰かに助けてもらっているばかりで、自分の力だけで何かの役に立ったことはない。
 力不足、若造の粋がりといってしまえばそうなのだろうが、それだけで納得できるはずもない。
 さりとてこの有り余った力をどこに……と堂々巡りを繰り返していることに気付き、だから気張りすぎているのかと思ってしまう。
 一人でいるのがいけないのだろう。どうにもこうにも考えすぎてしまっているという自覚はあり、
 少し頭を冷やしてくるべきかと考えた渚は顔を洗ってくることにした。

 腰を上げて伸びをすると、それまで座りっぱなしだった体がポキポキと小気味のいい音を立て、僅かに体が軽くなったような気になる。
 それが気持ちよく、更にうんと体を伸ばす。筋肉が解れる心地良さに気を抜いた瞬間、バランスを崩してしまい床で滑ってしまう。
 派手に尻餅をついてしまい、いたた、と情けない気分になったところで、渚は見られていることに気付いた。

426少女達の休日:2009/11/04(水) 21:32:47 ID:y6TU6bzk0
「あ……」

 どうやら風呂から上がったと思しき川澄舞がしっかりと渚の無様を目撃していたようだった。
 思わぬ光景だったのだろう、目をしばたかせていた舞に、渚はいたたまれなくなり、恥ずかしさで顔が真っ赤になった。
 同時に何をやっているのだろうという冷めた感想が広がり、誤魔化し笑いを浮かべる気にもならず、ただ溜息だけを漏らした。

「大丈夫?」

 だが舞はそんなことを気にすることもなく、小さく笑って手を差し出してくれた。
 何の含みもない、たおやかで細い指先。髪を下ろし、ほんのりと染まった肌色と合わせて、
 ドキリとするくらいの美しさに僅かに戸惑ったものの、渚は頷いて舞の手を取った。
 ほんの少しだけ濡れた感触が心地良い。立ち上がったと同時に漂ってくる石鹸の香りは、
 飾らない舞の質実さを如実に表していて彼女らしいな、と渚は何の抵抗もなくそう思うことが出来た。

「どうされたんですか?」

 何か用事があるのだろうかと思って尋ねてみたが、舞はむ、と眉をひそめる。
 気分を害するようなことを言ってしまったのだろうかと思い、どうしようと思ったが、それより先に舞が口を開く。

「渚が皆で過ごそうって言ってたのに……」
「……あ」

 自分で言ったはずの言葉をすっかり忘れていた。荷物整理の作業に夢中になる余りに頭の外へと追いやっていたのだろうか。
 それとも、余裕をなくした頭がこんなことも忘れさせてしまっていたのか。
 どちらにしても自分の失態であることには違いなく、「ご、ごめんなさい、すっかり……」と精一杯の謝罪の気持ちを込めて頭を下げる。

「別にいいけど……私も、自分のこと優先してたし」
「いえ、約束を忘れていたわたしが……」
「今までゴタゴタしてたし、確認すればよかっただけ。渚に非はない」
「いえいえいえ、それでもやっぱりわたしが」
「何やってるのよ」

427少女達の休日:2009/11/04(水) 21:33:04 ID:y6TU6bzk0
 謝罪合戦になりかけていたところに呆れている声が割り込んできた。藤林杏のものだった。

「突っ立ってないで、座りなさいよ。あたしはよく知らないけどさ」

 用事があると言って藤田浩之、姫百合瑠璃と共に出て行った杏の顔はいつもと変わりない明るいものだった。
 どこかさっぱりした様子に、問題は解決したのだろうかと思ったが、聞くのも野暮だと思い、大人しく言う事に従う。
 ゆめみの動かない姿を見た杏は「寝るんだ」と物珍しそうに言って、しかしすぐに意識の対象をこちら側に戻す。

「他のみんなは?」
「どこかに出かけちゃったみたいです」
「伊吹とルーシー、まーりゃんと往人ならお風呂の近くで見た」
「で、あなたは入ってきたと。……ていうか、お風呂あるんだ」

 風呂上りの舞をしげしげと眺めながら、杏は羨ましそうに息を吐き出す。
 あたし、髪がぼさぼさでねと苦笑する杏の髪は、確かに以前とは比べ物にならないほどみすぼらしい有様だった。
 髪が長ければ長いほど手入れも大変だと聞くから、これだけ風呂に入っていないとなるとダメージも深刻なのだろう。
 だから舞はそちらを優先したのかもしれないという納得して、渚も自分の髪を触ってみた。

 手触りが悪い。土埃と汗で上手く梳けない。比較的短髪だから気付きもしなかったが、自分も中々ひどいものだった。
 そう認識するとこんな格好でいることが恥ずかしく思えてくるのだから、自分も女かと思う一方、鈍いのだなと思いもする。

「後であたし達も入ろっか」
「そうですね。って言っても、順番待ちだと思いますけど」

 でしょうね、と苦笑する杏を見ていると、もう何も聞く必要はないなと自然に思うことが出来た。
 今の皆はきっと、いい方向に向かっているのだろう。
 自分はその中に混ざれるのだろうか……安心すると同時にそんな不安が浮かんでくる。

428少女達の休日:2009/11/04(水) 21:33:20 ID:y6TU6bzk0
「そりゃここにいる大半が女の子だもんねー。今まではさ、何かやることがあったりそんなこと考えてる暇がなかったりしたけど、
 こうしてのんびりする時間を貰ったら、身なりも気になってくるか。……考えてみたらさ、こういう時間、なかったし」

 足を伸ばし、天井を見つめながら話す杏。その声色は与えられた時間を満喫しているというより、
 時間を潰すだけの余裕を与えられたことに対する戸惑いを含んでいるように思えた。

「実はね、戻ってきたのも、何しよっかなって迷っちゃって。ほら、これまでって誰かを探したり、生き残るために何かを探すとか、
 そういうのばっかりだったじゃない? ……ううん、前からそうだったのかも。
 学校に行くのも、勉強するのもそうする必要があるからってだけで、本当に考えてやったことじゃない。
 もっと自由な時間が欲しいとか思ってたけど、いざこうしてみると分かんなくなっちゃう」

 言葉を切った杏に、渚は何も言うことが出来なかった。同じ気持ちを、渚も抱いていたからだった。
 人は本当の意味で時間を与えられると何をしていいのかも分からず、途方に暮れることしか出来ない。
 だから人や物に目的を見出し、その場その場で理由を見つけてはやるべきことを為してゆくだけなのだろう。
 人はひとりでは生きられない。この言葉の意味は、一人では何も見つけられないという、それだけの意味なのかもしれない。
 そう考えると一人で悩んでいたことがバカらしく思えてきて、抱えていた重石がふっと軽くなったように感じられた。

「みんなそうだと思う」

 杏の言葉を受け取って、舞が続けた。

「理由が欲しいから、人は一緒にいようとする。でもそれでいいと思う。少なくとも、私はそう考えてる」
「……そうよね。まぁその、なんだ。あたしは暇を持て余してたから、お喋りしたかったのよ、うん」

 上手く説明できていないようだったが、なんとなく杏の言いたいことは渚にも伝わった。
 とりあえず何かしていたい。それだけなのだろう。
 なら、と渚は遠慮なく乗ることにした。意味のあるなしはもうどうでもよかった。暇なままでいたくない、理由はそれひとつで十分だった。

「じゃあ、しりとりでもしましょうか」
「……しりとり?」

429少女達の休日:2009/11/04(水) 21:33:35 ID:y6TU6bzk0
 怪訝な顔をする杏。話題として一番初めに思いついたのがこれだったので言ってみたが、まずかったのだろうか。
 さりとて代わりの話題も浮かばず、どうしようと思ったが「まあいいか」と納得した杏も話題が思いつかないという顔であった。
 何でもいいからやりたい気分なのだろうと解釈して、渚は先陣を切ることにする。

「それじゃ、しりとり、からで。りんご」
「ゴリラさん」
「……」
「……」
「……あ」

 『ん』がついたことに気付き、しょぼんとなった舞をフォローして、「そ、それじゃもう一度!」と明るい声を出して杏に続きを促す。

「あ、ああ。えーと……ゴボウ」
「ウリ」
「リスさん」
「……」
「……」
「……あ」

 再び肩を落とす舞。

 渚は気付いた。

 しりとりはやめておくべきだったのだ、と。

430少女達の休日:2009/11/04(水) 21:33:56 ID:y6TU6bzk0
【時間:3日目午前04時50分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】

川澄舞
【状態:往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている】

朝霧麻亜子
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。そんなことよりおふろはいりたい】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

国崎往人
【所持品:スペツナズナイフの柄】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で舞を笑わせてあげたいと考えている】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている】

古河渚
【状態:健康】
【目的:人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】

ルーシー・マリア・ミソラ
【状態:生き残ることを決意。髪飾りに美凪の制服の十字架をつけている】
【目的:まーりゃんはよく分からん】 

ほしのゆめみ
【状態:スリープモード。左腕が動くようになった。運動能力向上。パートナーの高槻に従って行動】

藤林杏
【状態:軽症(ただし激しく運動すると傷口が開く可能性がある)。簡単には死ねないな】

→B-10

431報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:50:05 ID:x/wIwU5o0
 報われぬ愛国者、フリッツ=ハーバーに捧ぐ。

 この一文から始まったテキストを食い入るように見つめている、自分を含め五人の男女がいる。
 始まりは高槻のこの一言だった。

「まずここにあるもんの確認からいこうぜ」

 高槻が持っていたのは小さなUSBメモリ。それは以前高槻が持っていた……正確には立田七海という少女の持ち物であったらしいのだが、
 その中には支給品の詳細が記されているのだという。
 中には用途不明のものもいくつかあったので、これからの戦いに備えて使い方を把握しておきたいものもあり、まずはそちらを確認することになった。

 会議室と称した職員室のテーブルには今のところ三台のノートパソコンがある。
 幸いなことに三台全てが使用可能であり、OSも同じウィンドウズ。
 中身を見てみたが、一台を除いてはインストールしたての新品同然のパソコンであった。
 もっともメモ帳として使えるから別に構わないのだが……問題は残す一台の方だった。

 何の意図があってか、そのPCには暗号解読用のソフトがインストールされていた。
 それもその手のプロが使うような高性能な代物であり、エージェントであるリサ=ヴィクセンは何らかの意図を感じずにいられなかったようだった。
 無論同業者である那須宗一にとっても暗号解読ソフトがあるのには不審の念を抱いたが、試しに起動してみても何もおかしな部分はない。
 他の構成ファイルなどを覗いてみても罠らしきものは何もなく、
 なぜこんなものが、と周囲に尋ねてみたところ、いくつか推測ではあるが答えが返ってきた。

 曰く、もうひとつのUSBメモリには以前パスワードが仕掛けられていたらしく、それを解除するために用意されたものではないかということ。
 曰く、高槻の方のUSBメモリにも暗号のかけられたファイルがあるのではないか、ということ。

 そこでまず高槻の方のUSBメモリを検閲することになった。

「そういえばもうひとつ何かあったような気がする」

 と言っていた高槻の言葉通り、もう一つファイルが見つかった。
 ただのテキストファイルだったが。
 題名は『エージェントの心得』。

432報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:50:23 ID:x/wIwU5o0
 今さらこんなものを見たところで、と宗一でさえも思ったが、中身がある以上確かめないわけにもいかず、普通に開いてみることにする。
 そして最初に戻る……というわけだ。

 報われぬ愛国者、フリッツ=ハーバーに捧ぐ。

 その冒頭から始まるテキストはエージェントの心得どころか何の意味もないテキストで、
 フリッツ・ハーバーという化学者の半生を振り返り、その締めくくりとして、
 『人の行いは何も意味を為さないのではないか』というありがたい諦めの言葉が添えられていた。

「なんだ、これ」

 と呆れた声を出したのは高槻だった。
 支給品に諦めろと言われればそうなるのも当然だな、と思いつつ宗一も軽い苛立ちを覚える。
 ここまで生き延びてきて、苦労して支給品をかき集めたと思えばいきなり出鼻をくじかれたのだ。
 一ノ瀬ことみも芳野祐介も声にこそ出さないが憤懣やるたない表情であったが、ただ一人、リサだけは違っていた。

「ねえ、何かおかしくないかしら」
「何がだよ。ただのクソつまらない文章じゃねえか。それともアナグラムでもあったか? それとも縦読みか?」

 高槻の言葉を聞いた瞬間、宗一はリサが持っている違和感の正体を察知した。
 ファイルが重たすぎる。たったこれだけのテキストを開くのにたっぷり数十秒がかかっていた。
 テキストファイルの容量自体も数メガをゆうに超えるサイズであり、とてもこれだけの内容とは考えられなかったのだ。
 ただ見た限りではただのテキストファイルであり、PCの性能も至って普通。

「となれば……」

 宗一は先程の暗号解読ソフトを起動させ、テキストファイルをそこにドラッグして持ってくる。
 と、その途端。

433報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:50:50 ID:x/wIwU5o0
「お、おおっ!?」
「ビンゴだな」

 先程とは比べ物にならない量のテキストがずらずらと並べられる。
 暗号自体はそれほど難しくもなかったようだが、隠すだけの内容があった。
 ここに本当の『エージェントの心得』とやらがあるのかもしれない。
 もっとも既にエージェントである自分達にはあまり得でもないことだろうが……
 そう思いながら、宗一は無言になった一同と一緒にテキストを読み進めることにした。

     ----------decording---------

434報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:51:03 ID:x/wIwU5o0
 私の名前は和田透と言う。
 このテキストが誰かの目に触れているのなら、それは私の最後の妨害が成功したということだろう。
 とは言っても、この程度の妨害しかできない私の不明は、いくら恥じても足りない。
 それでも私はやれるだけのことをやろうと思う。
 篁財閥で、バトル・ロワイアルと言う名の狂気のゲームに手を貸してきた私の、せめてもの贖罪として。
 近いうちにやってくるであろう、ある日本人の女の子への手助けとなることを願って。
 そして篁の手にかかって死んでいった、ロシア系アメリカ人夫妻への手向けとして……
 ここに私が知る限りの真相と、情報を提供したいと思う。
 無論、これらの情報を書き連ねていると知られれば、私はただでは済まないだろう。
 いや、彼らのやり方は私もよく知っている。
 我がクライアントは私の為した仕事について、常に厳格な評価を下し、相応の報酬を支払ってきたものだ。
 長い付き合いだ、今回の仕事について彼らがどう評価し、どのような報酬を与えるつもりなのか考えなくても分かる。
 だが私は逃げない。
 取り巻く世界がどのように変わろうと変わらない強さ。強い意志と信念の力。
 私はハーバー氏の生涯に同情したわけでも、自分を重ねていたわけでもなく、その強さにずっと惹かれていたのだろう。
 前口上はここまでにしておく。
 事の始まりはもう10数年も前、私が研究職から離れ、さる商社に務めていたころの話だ……

     ----------decording---------

435報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:51:18 ID:x/wIwU5o0
 『ハーバー・サンプル』というものについてご存知だろうか?
 我々科学者の間ではちょっとしたフォークロアだった。
 永久運動機関や常温核融合と同じ、誰もが忘れ果てた頃に、ひょっこりとその姿を垣間見せては、
 即座にその存在を否定されて消えていく、あやふやでいいかげんな噂話の一つに過ぎなかった。
 いわく、それは『ハーバーの遺産』とも称され、彼が密かに開発し、隠匿した何かで……
 空気から石油を生み出す技術であったり、錬金術を可能にする触媒だったり……
 新種の化学肥料だと言うものもいれば、超強力な毒ガスだと言うものまでいた。
 もっぱら化学系の研究者の間で囁かれる話なのだが、畑違いの私がそれを聞く立場にあったのは、専攻分野の特殊性によるものだった。
 当時、統合地球学という分野は、現在ほど確立しておらず、設備も人材も十分でない頃で……
 その名のとおり、地質学・治金学・化学・物理学を統合していたその内容上、他の学科の教授の協力を仰いだり、
 実験設備を共用するために、他分野の研究室に出入りするのは日常茶飯事だったのだ。
 その『ハーバー・サンプル』と称した寄せ木細工の小箱と共にとある『計画書』が送られてきた。
 詳しい内容は省くが、それは大規模な海洋探査プロジェクトだった。
 計画書の内容は私にとって実に魅力的であり、『ハーバー・サンプル』の魔力ともいえるものに惹かれ、私はそのプロジェクトに参加した。
 無論多少の経緯などは存在したものの、それを語るのは蛇足であろう。
 そのプロジェクトの名前が『ハーバー・サンプル』であり、海洋審査に用いられていた当時最先端の海洋掘削船の名を『メテオール号』と言う。
 世間では表沙汰にされておらず、現在は殆どの記録も抹消されている案件であるから、余程の情報通でなければこの名前は聞いたこともないだろう。
 とにかく、私はこのプロジェクトに参加し、計画を推し進める過程で、とある人達に出会ったのだ。

     ----------decording---------

436報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:51:33 ID:x/wIwU5o0
 プロジェクトの責任者に任命され、殆どの調査を実際に指揮することになっていたのは、ロシア系アメリカ人の地質学者夫妻だった。
 スタッフに対しては分け隔てなく、アメリカ人特有の陽気さで接して士気を鼓舞し、
 データ収集においては厳格なロシア人気質を発揮して、精確なデータを得るまでは決して諦めようとしなかった。
 まさに、このプロジェクトにうってつけの人材だった。
 彼らとは、月に一回程度連絡を取り合い、半年に一度は、プロジェクトの進行状況と今後の方針について協議するために、会合を持った。
 この過程で、私は彼らと、仕事だけではなく、個人的にも親しくなった。
 彼らは、かつてのソ連が生んだ奇妙な学説の一つ、石油無期限説――石油が生物の遺骸からではなく、
 地殻に含まれる深層ガスから精製されるという、当時でも異端視されていた学説だ――を研究していた、地質学者だった。
 また彼らを通じて、とある日本人夫妻とも親しくなった。
 彼らは物理学の、超ひも理論を専攻していた科学者で、私とは遠く離れた分野の研究者達だった。
 かいつまんで言えば、この世界にはもう一つの世界があり、いわゆる平行世界というものの研究をしていた。
 また夫妻の言葉によれば、もしももう一つの世界を発見し、
 行き来することができるようになれば新たな資源確保への道が開けるかもしれないという。
 SF紛いの話だと当初は思ったものだが、真摯に語っていた彼らの話を聞くうちにだんだんと私も彼らの情熱に共感するようになっていた。
 私と、ロシア系アメリカ人夫妻と、日本人夫妻。
 全く分野は違いながらも、内奥に持ちうるものが殆ど同じ種類の人間達だった。

     ----------decording---------

437報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:51:47 ID:x/wIwU5o0
 こうして、プロジェクト開始から、丁度2年が過ぎた。
 第一次探査計画(今回の調査の呼称だ。結果如何によっては第二次、第三次と続行されるはずだった)は、ほぼ終盤を迎えようとしていた。
 調査では、地下資源の探索においても、地下生命圏の解明においても目覚しい成果を挙げていた。
 ここで注釈を加えておく。
 プロジェクトの内容としては、大雑把に書き連ねて以下のようなものがあった。
 ・海洋地殻上層部の石油・天然ガス・鉱物と言った天然資源の精密な調査。環太平洋圏資源マップの完成。
 ・地殻深部に存在すると予想される、好熱・好圧性微生物にによる地下生命圏の探査。及びその生態系の解明。
 ・最深部、海底直下8000メートルを越える掘削による、マントルプレートへの到達とマントルコアの回収。
 このプロジェクトが成功すれば、人類の資源問題を殆ど解決することが出来た、と言っておこう。
 そして、我が友人達の指揮するメテオール号では、数十回に及ぶ慎重な試掘を完遂させて、
 ついにマントルプレート到達を目指す最後の掘削作業に突入していた。
 既に掘削が始まってから六ヶ月近くが経過しており、今回の探査で発見された最古の海底……
 二億八千年前の海洋地殻には、7000mにも及ぶ掘削孔がうがたれていた。
 まさにマントルプレート到達は目前だと思われたその時……
 あの事件が起こったのだ。

     ----------decording---------

438報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:52:02 ID:x/wIwU5o0
 メテオール号は消失した。
 突如として連絡を絶ち、文字通り跡形もなく消えたのだ。
 ちょうど、このプロジェクトの責任者である夫妻が、科学財団への定例報告のため、船から離れた折に起こった事件だった。
 だが、私は詳しい事情を彼らの口から聞くことはなかった。
 事件が起こった直後に、彼らもまた、財団のあったニューヨークで殺されていた。
 滞在先のホテルに、何者かが押し入り、銃を乱射したとの事だった。
 また例の日本人夫妻も、まるでタイミングを合わせたように事故死していた。
 旅客機の墜落事件。エンジントラブルにより墜落した飛行機に、丁度学会へ発表に行く途中だった夫妻が乗り合わせていたのだ。
 聞くところによると、例の研究の理論が一通り完成していて、論文も夫妻が持ち込んでいた。
 当然捜索も行われたが、論文はもとより夫妻の遺体も見つからず仕舞いという形となり、
 さらに論文はあのオリジナルしかなく、自宅には何も残っていなかったという。
 私にも急転する事態が訪れた。
 ニューヨークへ急行しようとしていた私も、あらぬ疑いをかけられ空港で拘束されることとなった。
 身に覚えのない、背任容疑だった。
 私は何十日も拘束され、ようやく拘置所から出たときには、まるで最初からなかったかのように綺麗さっぱりと事件の痕跡は消え失せていた。
 私も商社を解雇され、退職扱いとなり、銀行口座には退職金としては多額の……だが口止め料としては小額の金が振り込まれていた。
 明らかな犯罪であった。
 そう、手を下したのはこのプロジェクトのクライアントだろう。
 莫大な予算をかけられるだけのプロジェクトを強力に推し進めたその財力を、そのクライアントは持っていたのだ。
 そう――篁財閥という、世界をも支配すると言われるだけの財力を持つ、彼らが。
 篁財閥の力をもってすれば、船を一隻沈め、街中で人間を二人ばかり射殺し、事故死に見せかけて人間二人を殺害し、
 そして事件そのものをもみ消すことなど造作もないことだろう。
 何故こうなったのか?
 それはデータ専有の件で、研究者側と何か決定的な破局が生じたのだ。
 クライアントと研究者の間では、データを公表するか否かで対立が起こっていたのだ。
 公表はされていなかったが、環太平洋圏の地下資源マップは殆ど完成していたはずだ。
 例えば、大規模な油田や希少金属の鉱床が発見されていたとして……
 それが公海上だったら問題ないだろうが、もしもどこかの国の排他的経済水域上だったとしたら。
 その国が自社と対立していようが友好関係にあろうが、情報は徹底的に隠匿したいはずだ。
 相手国を利さないためにも、採掘権交渉を有利に進めるためにも、それは不可欠だろう。
 何か大きな発見を契機に、そのデータの公表を巡って研究者側と対立し、全員の口を塞ぐことになった……
 プロジェクトの全貌は、メテオール号で把握・管理されていたから、この船を乗員ごと葬り去ってしまえば、情報の隠匿は可能だった。
 当時の私はこれ以上関わるのも恐れ、堅く口を閉ざしていた。
 私はそれなりに賢明な男だと思われていたらしい。実際彼らの目論見通り、私は何もすることはなかった。
 海外から、あの手紙が届いたときも……

     ----------decording---------

439報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:52:18 ID:x/wIwU5o0
 その手紙が届いたのは、私が釈放されてから一ヶ月ほど経った頃のことだった。
 いや手紙と言うには分厚く、中にはいくつもの紙が入っていることは容易に想像できた。
 そして手紙の送り主が誰であるのかも……
 差出人は匿名であったが、それが経由したルートは尋常のものではなかったことが容易く想像できた理由だ。
 いくつもの国を渡ってきたのだろうと思わせる、見慣れない切手と通関印、異国の言葉の数々。
 複雑な転送サービスを用いたのであろう。そう、あのロシア系アメリカ人夫妻か、あの日本人夫妻のものに違いなかった。
 結論から言ってしまえば、私は中身は見たものの内容まで吟味することはなく、すぐに焼き捨ててしまったのだ。
 今にして思えば、どうしてそんなことをしてしまったのか……
 後悔は今でも私の内側にこびりついて剥がれない。
 拘留期間での苛烈な取調べの連続。それまであったものを一切合財奪われたことによる茫然自失感。
 言い訳をするなら言葉は尽きないが、実際のところは恐れていただけなのだろう。
 巨大すぎる敵に立ち向かうことへの恐ろしさに震えていただけの、情けない男だった。
 その時から既にやるべきことは分かっていたにも関わらず……
 私は、まったく賢明な男だった。

     ----------decording---------

440報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:52:32 ID:x/wIwU5o0
 その後、私はエージェントとなった。
 路頭に迷ったとは言え、まだ壮年と言える年齢で、十分に実績もあり、再就職も容易だった私が、
 あえてそうなる道を選んだのは……どうしてだったのだろうか?
 昔はあっさりと私を切り捨てた会社と、そして堅実な生き方しかしてこなかった自分自身への、復讐のつもりだとばかり思っていたが……
 どうやら、それだけではなかったと、今になって気付いた。
 そう、『それは必然だった』と、声を大にして言えるのが、今の私には喜ばしい。
 仕事内容は省くが、私は徐々にエージェントとしての名を上げ、やがてある多国籍企業の専属エージェントとして雇われることになった。
 私はその企業の元で様々な仕事を行ってきた。
 いわゆる経済方面における情報操作を行っていたのだが、白状させてもらえるならば、私はこのときから次の罪へと手を染めていた。
 情報操作を行うということは、即ち私の雇い主に利益をもたらすこと――そう、私が雇われていたのはあの篁財閥だった。
 だが私は篁財閥がメテオール号沈没事件の犯人だとは知らなかった。
 例のプロジェクトの間、私には一切クライアントの名は知らされていなかったからである。
 私がそれを知る事になったのは、ひとつの偶然からだった。
 ふとした切欠から、私はメテオール号の沈没した場所を調べ始めた。
 何故か、と問われると即答はできない。
 エージェントとして人を騙し続ける空虚な生活を慰めるべく、せめてかつての知人を弔ってやりたいとでも考えたのか……
 それとも家の隅に置いてあった『ハーバー・サンプル』の小箱に何か動かされるものでもあったのか。
 だがそのお陰で私は本当の真実に、遅まきながら辿り着くことができたのだ。

     ----------decording---------

441報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:52:45 ID:x/wIwU5o0
 私のエージェントとしての能力は成熟しており、沈没した地点を探すのに時間はかかりはしたが、それほど苦労はしなかった。
 そして、取り急ぎ向かったその地点で私はようやく答えを見つけたのだった。
 そこには……巨大な海洋掘削装置が建設され、フル操業していた。
 沈んでいる乗務員の墓標のようにそびえ立つその装置には、我がクライアントのシンボルが刻んであった。
 私が決して見逃されておらず、常に監視されていたことに震え上がるような恐怖を感じた。
 けれども矛盾するようだが、何もかもが終わってなかったことに……まだ間に合うことに、寧ろ安堵したのだった。
 私は戦う意志を固めた。
 あまりにも遅すぎた。
 それでも、目の前で傲岸さを隠しもせず、我が物顔で、
 あのプロジェクトに関わった人々を踏み躙ったあのシンボルマークに……私は我慢できなかったのだ。
 言い訳はしない。どんなに取り繕ったところで許してもらえるわけもない。
 私はただ、何も素人もせず罪を重ねてきたことに対する贖罪と、自分の心に巣食った弱さを精算したかったのだ。
 まず手始めに、あの装置を完膚なきまでに破壊した。メテオール号の隣に、きっちりと沈めてやった。
 ニュースでご覧になった方もおられるだろう。
 また私は叛旗を翻す過程で、篁財閥が推し進めている一つの計画を知ることになった。
 それは各地から一般人を拉致し、殺し合わせるという狂気の沙汰以外の何物でもない計画――通称、バトル・ロワイアル――だった。

     ----------decording---------

442報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:53:11 ID:x/wIwU5o0
 篁総帥自ら関わるこのプロジェクトの中身はある種荒唐無稽、だが何故あのロシア系アメリカ人夫妻を殺害したのか、
 そして日本人夫妻を事故死に見せかけて殺害したのか、全ての辻褄が合うものだった。
 舞台は人工島、沖木島。このプロジェクトのためだけに建造した施設らしい。
 表向きはレジャー施設と銘打って……
 その実態は軍事基地とも言うべき施設だ。島の内部には高天原というコントロール施設があり、
 そこには自社で開発したと思われる兵器の数々が、そして各国から買い付けたと思われる武器弾薬の数々が備蓄されている。
 中には核兵器、米軍から情報を盗み、独自に開発したと思われる新型自動砲撃戦車、
 対人戦闘用機甲兵器、更には戦闘用機械人形……まで取り揃えてあるらしい。
 エネルギーの確保は例の装置を通じて行う。この島単体であらゆる国家と戦争が行えるというわけだ。
 だが目的は軍事国家として独立することでもなければ、戦争を引き起こすことでもない。
 彼らは……平行世界に攻め込もうとしているのだ。
 俄かには信じられない話だろう。日本人夫妻が実際に研究していたとはいえ、
 まさかそちらに攻め込むなどと言い出すとは、どこの酔狂でもやるまい。だが篁総帥は本気だった。
 世界各地には様々な伝承がある。
 異世界からやってきたと言われる『翼人』の伝説。
 同じく異能の力を持って現れた『鬼』。
 『不可視の力』と称される超能力の存在。
 かつて日本陸軍・海軍が研究していたと言われる『仙命樹』。
 これらの力は平行世界からもたらされたものであるとし、そこに攻め込み、更なる力を手にする……
 その世界は『根の国』『えいえんのせかい』『幻想世界』などと呼ばれ、実際にその世界の片鱗が現れたこともあったらしい。
 例えば、二度と目覚めないはずの、重体であった少女が目を覚ました瞬間、この世のものとは思えない光が舞ったとか、
 植物状態であったはずの少女が突然目覚め、めざましい回復を遂げた事例などがある。
 篁総帥が語るところによれば、それは全て『人の願い』が生み出した力だという。
 真偽はともかくとして、実際に起こったことであるというのは確かなことだった。
 話を戻すと、一般人同士で殺し合いをさせたのにもここに理由がある。
 総帥が言うところの『人の願い』が極限状態の中で生まれる。それを元にして平行世界への扉を開く、というのがこのプロジェクトの目的だ。
 もっとも、仮に失敗したとしても機械人形の戦闘データ収集という副産物があるらしかったが、関係のない話だった。
 私はこのプロジェクトをやめさせるべく、必死に奔走した。
 だが所詮は篁の庇護も得られず、それどころか追われる身だ。
 真実など伝えられようはずもなく、精々が参加者に対してある程度の支援を行うくらいのことしか行えなかった。
 この文章もその一つだ。この言い訳染みたテキストが終わった後には、この首輪の設計図を示した図を載せておく。
 仕組みは実に単純だ。少々機械工学の知識さえあれば簡単に外せるだろう。
 首輪には盗聴機能があることは先刻承知だろう。気をつけて欲しい。
 監視機能は首輪にはないだろうから、上手くすれば脱出だってできるはずだ。
 このようなことしか出来ない私も、もうそろそろ年貢の納め時が来たようだ。
 思えば無茶をしたものだ。デスクワークしかしないと心に決めたはずなのに……
 最後に一つ、まだ生きていることを願って、日本人夫妻、いや一ノ瀬夫妻からのメッセージを残しておく。
 あの焼き捨てた日から今でも、手紙に染み付いた言葉は片時も忘れたことがない。
 私如きから伝えられるのは不本意ではあるだろうが、これだけは容赦してもらいたい。

443報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:53:29 ID:x/wIwU5o0
   ことみへ
   世界は美しい
   悲しみと涙に満ちてさえ
   瞳を開きなさい
   やりたい事をしなさい
   なりたい者になりなさい
   友達を見つけなさい
   焦らずにゆっくりと大人になりなさい

   おみやげもの屋さんで見つけたくまさんです
   たくさんたくさん探したけど、
   この子が一番大きかったの
   時間がなくて、空港からは送れなかったから
   かわいいことみ
   おたんじょうびおめでとう

 ……もうひとつだけ謝罪させてもらえるなら、人形は見つかる事がなかった。
 人形は今も世界を漂流しているのか、それとも海の底へ沈んでしまったのか……それは定かではない。
 人形の所在を調べられなかったことだけが……私の心残りだ。
 ただ、私は信じている。
 いつの日か人形の詰まったスーツケースが、夫妻の娘の元に届くことを……
 本当に申し訳がなかった。
 だからせめて、命が尽き果てる最期の瞬間まで

     ----------decording---------

444報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:53:47 ID:x/wIwU5o0
 そこから先は、首輪の図面が並ぶだけだった。
 皆、無言のままだった。

 嗚咽を漏らす、一ノ瀬ことみを除いては。
 よりにもよって、と宗一は思った。こんなタイミングで、こんなものを出されては……

 脱出『だけ』なんて出来ないじゃないか。

 100人以上の人間が集められ、殺し合いをさせられる。
 いや過去に遡ればそれ以上の数の、途方もない人間が既に犠牲となっている。
 企業の権益のために、一人の老人の欲望を満たすためだけに、数字の収集のためだけに。
 この島には血が染み付いている。海で今も悲鳴を上げ続けている人間達の魂が、宗一に語りかけている。

 頼む、この島を潰してくれ、と。
 悪意そのものであるこの場所を完膚なきまでに破壊してくれ、と。

「……俺は、しばらくこれを読むよ」

 他の四人は何も言わなかった。
 告げられた事実の大きさに打ちのめされているのではなかった。
 それに対して自分が何をできるか。それぞれが必死に考え、結論を出そうとしていたからこその無言だった。
 やがてリサが動き出し、それに高槻が続き、芳野が続き、最後にことみも動いた。

 宗一はPCの画面から目を外し、ちらりとことみの様子を窺った。
 全身どこもかしこも包帯だらけで、顔の半分も包帯に覆われている。
 けれどもそこに痛々しさは微塵も感じられなかった。

 片方の目から涙を流しつつも、決然とした意思を持って、その内奥に両親の魂を仕舞いこんで、遥かな遠くを見据えていた。
 そこに映るのは茫漠とした未来ではなく、本当にやりたいことを見つけ出したことみの新しい未来なのだろう。
 宗一は、再びPCの画面へと目を戻した。
 綺麗に表示された首輪の設計図の画面が、僅かに宗一の目を灼いた。

     *     *     *

445報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:54:05 ID:x/wIwU5o0
『目星は、大体ついてる』

 キーボードを叩きながら、リサは地図の数ヶ所を指差す。
 それは以前ことみと話し合った際に推測した主催者の本拠地……『高天原』へ通じる通路だった。

『首輪を外せる手段を確保した以上、後はいつ踏み込むかだけ』

 宗一が解析に手を取られている以上、こちらで算段を練っておく必要があった。
 横から高槻が書き込む。

『首輪はいつ外す?』
『今すぐ……ではないわ。主催者側はまだ殺し合いが続いていると思っている。突入するギリギリまで悟られるのは避けたい。
 まだ私達は何の対応策も持てずにオロオロしているだけの哀れな兎なのだから』
『では、しばらくこのままか』

 芳野の書き込みに、今度はことみが割り込む。

『とりあえず、私は爆弾作りに取り掛かるの。壁をぶっ壊して一気に中央突破なの』
『それが本命ね。後は多少撹乱する必要がある』
『遊撃隊というわけか』
『Yes.相手側にも備えがないわけはないでしょうし』
『チーム編成はどうなるよ?』
『今15人だったわね? 四組に分けるのがベストかしら。多分、組みなれた連中で組むことになるだろうけど』
『武器の配分は』
『ある程度均等にしたいところね……本隊が一番重装備になるか』
『しかしあのクソロボットが相手だからな……どれだけの数がいるやら』
『指揮系統を何とかできれば、多少こちらが有利になると思うの』

446報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:54:27 ID:x/wIwU5o0
 少し席を離れ、HDDの中身を見ていたらしいことみが戻ってくる。

『これ、コンピュータの中身を滅茶苦茶にするウィルスなんだって。姫百合珊瑚って人が作ってたって』

 姫百合……か。
 真実を伝えようとテキストを書き残した和田同様、姫百合瑠璃の双子の姉でもある珊瑚もまた、命を賭けてこちらに武器を渡してくれた。
 皆、命を賭けて何かを為そうとしている。

 実の父母もただ殺されただけではなく、最期まで足掻こうとした。
 和田が一度父母を見捨てた事実の是非を考えるつもりはなかった。
 和田も父母も、最後には戦おうとした。それが分かっただけで十分だった。

 人は、戦える。憎しみを身を任せることなく、自分以外の全てを恨まずとも、意志と信念で戦える。
 自分がこうしているのだって、絶対間違っているわけじゃない。
 寧ろ父母と同じ生き方が出来ると分かって、嬉しかった。
 あのテキストを見た瞬間、忘れかけていた父母の表情を思い出す事が出来たのだから……

 だから、これまでの生だって、これからの生だって、なにひとつ無駄じゃない。
 守れる力があることが、誇りに思えた。

『ネットワークが通じていたら……こいつを流し込めるかも』
『それならアテがあるかもしれん』

 芳野がことみの弄っていたPCを指す。

『あれにはロワちゃんねるとかいう掲示板システムがあるみたいでな。恐らく、主催者側の用意したシステムで、こちらからもアクセスできる』
『となりゃ、そこから侵入できるかもしれないってこった』

447報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:54:44 ID:x/wIwU5o0
 くくく、と悪役のような笑いを浮かべる高槻。
 マッドサイエンティスト、と表現していた芳野の言葉通りだった。

『任せろ。こういう仕事はちとやってたんでな……』
『先走らないでよ。やるなら首輪を外すタイミングで』
『分かってるさ』
『とにかく、計画の大まかな内容はこうよ。
 首輪を外すと同時にウィルスを流し込み、敵の情報を混乱させる。
 その隙を突いて私達は四組に分かれ、敵の本拠を占拠する。
 後は通信システムを使うなり、自分達で足を探すなりして、脱出する』
『出来るなら、島ごと破壊してやりたいところなの』
『そうできれば幸いね。こんなもの、あっちゃいけない』
『無理だと思うがね。核でも持ってこない限りは。あ、核兵器あるんだっけか?』
『それについてはおいおい考えればいいだろう。まずは爆弾の作成……だったな?』

 芳野が目で尋ねる。ことみは力強く頷き返した。

『そいじゃ、俺も俺で少し下調べしますかね』
『芳野さん、手伝ってくれる? あ、リサさんは武器の配分とか考えてて欲しいの。一番作戦立案とか得意そうだし』

 私も手伝う、と書き込もうとしたところにこの言葉だった。
 リサは肩をすくめてみせ、やれやれという風に笑ってみる。
 もうリーダーであることは確定してしまったらしい。
 宗一だって詳しいことには詳しいが、チームプレーの回数ならリサの方が断然多く、
 このような役割を任されるのも必然か、と納得することにしておいた。

 既に高槻も芳野もことみも無言で作業に取り掛かっていた。
 各員の奮戦に期待する――そんな言葉が飛び出てきそうな状況だった。
 夜明けまでは、それほど時間がない。
 とにかく最善の編成を考えよう、とリサはあらゆる状況の想定に入る。

 ……ああ、まず聞く事があったか。

 リサはいざ作業をしようとしていた高槻の肩を叩く。
 出鼻を挫かれた高槻は、あ? とでも言いたげな表情をこちらに寄越してきた。
 肩越しにキーボードを叩く。

『貴方の戦ったっていう、ロボットの性能を教えて』

448報われぬ愛国者:2009/11/08(日) 17:55:00 ID:x/wIwU5o0
【時間:3日目午前04時30分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】

那須宗一
【状態:怪我は回復】
【目的:渚を何が何でも守る。首輪分析中】 

課長高槻
【状況:怪我は回復。主催者を直々にブッ潰す。ハッキング出来ないか調べている】

芳野祐介
【状態:健康】
【目的:思うように生きてみる。ことみを手伝う】

一ノ瀬ことみ
【状態:左目を失明。左半身に怪我(簡易治療済み)】
【目的:生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない。爆弾の作成に取り掛かる】

リサ=ヴィクセン
【状態:どこまでも進み、どこまでも戦う。全身に爪傷(手当て済み)。対アハトノイン戦対策を講じている】

449終焉憧憬(2)/get the regret over:2009/11/09(月) 13:10:45 ID:jn1DuLG60
 
「シェルター? 六十億人が死んだってのに、自分たちだけで殻に閉じこもったような連中が、
 仲良く暮らして子孫を繁栄させました……なんて、本気で言ってるのかい?」

「彼らは殺しあったよ。不安、焦燥、権力争い……理由は様々だったけど。
 一つの例外もなく、殺しあったんだ。そして、人類は滅びた」

「一番長く保ったのは十二年」
「最後のシェルターで、とある男が閉鎖空間に耐え切れなくなった」
「目に映る人間を片っ端から血祭りにあげて、最後に残った四歳になる娘を犯した後で
 自分の頭を吹っ飛ばした」

「人類最後の子はどうなったと思う?」
「犯された傷から血を流しながら、その子は生きていた。
 でも…保存食の開封ができなくてね。四日後に死んだよ」
「何百年だって生き延びられるだけの食料に囲まれて、飢え死にしたんだ」
「最後に口にしたのはプラスチックのペットボトルだったかな」

「君も見届けてみるかい? そういうものを、人類の末路を、世界の最後を」

「わかるだろう。こうなってしまってはもう駄目なんだ」

「だからこの爆弾で、終わらせるんだよ」

「そうしてやり直そう。もう一度、初めから」





******

450終焉憧憬(2)/get the regret over:2009/11/09(月) 13:11:16 ID:jn1DuLG60
 
 
かしゃり、かしゃりと音がする。
小さく、細く、乾いた、それは錆の浮いた金網が擦れて立てる音だ。
と、まるでその音に合いの手を入れるように声が響く。

「……しーぃ、ごーぉ、ろーく、」

金網には寄り掛かるように座り込んだ、小さな影があった。
まだ幼さの残る年頃の少女である。
謡うように数を数える声は、その影のものだった。
ぼんやりと空を眺める少女が投げ出した足をぶらぶらと揺するたび、金網も乾いた音を鳴らす。

「しーち、はーち、きゅーう、」

声が、止まる。
九までを数えて、小さく息をつくと、少女はゆっくりと視線を下ろしていく。
見はるかす世界は地上も空も、夕暮れの茜色に染まっている。
眼下にあるのはありふれた街並みだった。
街路樹の伸びる目抜き通りを中心に、ファーストフード店や小さな総菜屋や、薄汚れた路地裏や
ベタベタと広告の貼られた公衆電話や路上駐車された車や、そういうものが並んでいる。

少女が座り込んでいるのは、その中でも一際高く頭を突き出したビルの、その屋上だった。
金網で仕切られた柵の、外側。
その縁に腰掛けてぶらぶらと足を揺らす姿はいかにも危ういが、少女は気にした風もなくぼんやりと、
沈みゆく陽に照らされた街並みを見下ろしている。

451終焉憧憬(2)/get the regret over:2009/11/09(月) 13:11:36 ID:jn1DuLG60
透き通る瞳に映るその街に、しかし喧騒はない。
否、音という音、動くものの影そのものが、その街には存在しなかった。
往来の人ごみも、店の中に立つ影も、行き交う自動車の排気音も、何もない。
黄昏の色が、誰もいない街を染め上げている。

凍りついたように動かない街並みは精巧な箱庭のように作り物じみて、ひどく寒々しい。
それはまるで、幼い子供に置き忘れられた玩具に、静かに埃が積もるのを見守るような、
どこか胸を締め付けられる光景だった。

細く、細く息を吐いた少女が、再び空を見上げる。
瞳に茜色を映して、

「……いーち、にーぃ、さーん、」

囁くように再開されたそれは、また一から数え直されている。
少女が何度それを繰り返したのかは、誰にも分からない。
見下ろす街並みにも、見上げた空にも、動く影はなかった。
だから、

「しーぃ、ごーぉ、ろーく」
「お、セーフか」

背後から響いたその声に、数を数え上げる声をようやく止められた少女が、
くしゃりと笑ったのも、誰も見届けてはいなかった。

452終焉憧憬(2)/get the regret over:2009/11/09(月) 13:12:02 ID:jn1DuLG60
「おそいっ」

肩越しに振り返ったときには、少女は既に表情を変えている。
眉を吊り上げて一言だけ吐き捨てると、不機嫌そうにそっぽを向いて視線を空に移してみせた。

「十より前には、間に合っただろう」

そんな少女の態度には慣れているのか、声の主は事も無げに呟く。
少女の背後に立っていたのは、一人の男である。
痩身に鋭い眼光を湛えた、まだ青年と呼べる年頃の男は、錆びた金網を挟んで
背を向けたままの少女に向かって一歩だけ踏み出すと、少女と同じように空を見上げる。

「帰るぞ」

それだけを口にして、動かない。
答えはしばらく返らなかった。
燃えるような朱色に染まった夕暮れ刻の雲がほんの少しだけ形を変えた頃、

「……どうして、こんなとこまで来たのさ」

ぽつりと、少女が呟く。
男が小さな溜息をついて口を開いた。

「お前が呼んだんだろうが」
「ホントに来るなんて思わなかった」

男の溜息が大きくなる。
今度は肩もすくめてみせた。

「行くだろ……呼ばれたんだから」
「ばかだね」
「なんだと」

少女の即答に、男が眉根を寄せる。
そのまま何かを言い返そうとして、

「うん、国崎往人は本当にばかだ」

少女の声に、言葉を詰まらせる。
それは、涙声だった。
夕陽の逆光に暗い少女の背が、ほんの微かに震えていた。

453終焉憧憬(2)/get the regret over:2009/11/09(月) 13:12:31 ID:jn1DuLG60
「美凪はもういない」
「……そうか」
「国崎往人は、もうひとりで帰っちゃえばよかったんだ」

そう言った少女が、男の返事を待つように言葉を切る。
男は何も答えない。
沈黙に堪えかねたように、少女が溜息交じりに続けた。

「……みちるだって、本当はもういない」

それは少女の歳に不相応な、ひどく疲れきった色合いの呟き。
諦観に磨り潰されて風化した感情の欠片が散りばめられた溜息だった。
その声を耳にして、男が一歩を踏み出す。
視線は正面。
少女の背の形に切り取られた夕陽の朱をその眼に映して、男が口を開く。

「みちる、お前はどこにいる?」

問い。
厳しく、冷たく、突き放すような声音。

「……え? だから……」
「もう一度聞く」

唐突で要領を得ぬ問いに戸惑う少女に、しかし叩きつけるように男の言葉が続く。

「もういないと言うお前は……本当のお前は、なら、どこにいる、みちる?」

454終焉憧憬(2)/get the regret over:2009/11/09(月) 13:12:54 ID:jn1DuLG60
曖昧な返答の一切を許さぬという、それは声音だった。
強く、強く、ただ真実のみを求める、問い。
振り向かぬまま、肩を震わせたまま、少女が僅かに顔を伏せ、応える。

「……遠いところ。ずっと……、ずっと、遠いところ」

おずおずと、怯えたような声で紡がれた少女の答えを、

「違う」

男が、一刀の下に切り伏せる。

「お前はここにいる」

言って歩を踏み出し、更にまた一歩を進んで。

「俺がいる、ここにだ」

がしゃりと、金網を鳴らす。
肩越しに振り返れば、男は金網を掴んだまま、座り込んだ少女を見下ろしている。

「手を伸ばせ」

真っ直ぐに、見下ろしていた。

「届く、かな……?」

困ったように眉根を寄せて笑った少女の瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が溜まっている。
それを見据えて、男は揺らぐことのない声で、

「手を伸ばせ、みちる」

それだけを、言った。

455終焉憧憬(2)/get the regret over:2009/11/09(月) 13:13:11 ID:jn1DuLG60
「……、」

一瞬、思わず何かを口にしようとした少女が、しかし唇を真一文字に引き結んで、
笑みを消し、男の瞳を睨むように見返して、それからぎゅっと眼を閉じて顔を伏せ、
そうして、叫んだ。

「―――きこえるか、国崎往人ぉーっ!」

返事を待たず、立ち上がる。
支えもない、屋上の縁。
茜色に染められて立つ少女が、

「手をのばせ、こんちくしょー!」

がしゃりと鳴らした金網の、その向こうには、温もりがある。
大きな手の、無骨な指が、そこにある。

「―――」

冷たい金網が、消えていく。
絡めた指の間で、溶けていく。
少女の背を向けたその眼下では、凍りついたような夕暮れの街も、その端から消えている。
繋いだ手の中に、道が開こうとしていた。

それは、一つの物語の終わり。
ありふれた日常へと続く、なだらかな道だ。
それは、一つの物語の始まり。
ありふれた日常から続く、穏やかな物語だ。

温かい、と。
最後にそれを、感じた。






【二層 開放】

456終焉憧憬(2)/get the regret over:2009/11/09(月) 13:13:28 ID:jn1DuLG60
 
【時間:すでに終わっている】
【場所:???】

国崎往人
 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)】
 【状態:生還】

みちる
 【状態:帰還】

 →1080 1100 ルートD-5

457対決:2009/11/11(水) 23:09:00 ID:jF1MbMpU0
 『高天原』には無数の監視カメラが設置されている。
 コントトールルームにいれば施設内にいる殆どの生物の動きが分かるくらいに配置されている。
 正確に言えば、監視カメラが設置されているのは地下構造になっている部分からで、
 そこに通じる通路及び大型エレベーターには入り口のセンサーを除いては何もないのだ。

 高天原の構造は地上に通じる複数の通路から、一つの大きな部屋へと通じる。
 作戦司令室とも呼ばれるそこには、ブリーフィングが可能な広さとモニターが用意され、隣には第一武器庫が存在している。
 今そこに、一匹の猪が侵入していた。

 ぷひぷひと鼻息荒くのし歩くかの畜生の名前はボタンである。
 無闇に広い場所には人間の足がひしめいていると錯覚するほどの椅子と机の脚が立ち並び、
 ボタンはその隙間をうろうろと縫うように歩かなければならなかった。
 猪という生き物は猪突猛進が得意というか、でっぷりと太った体に細くて短い手足であるため器用に動けないのである。

 避け損ねて椅子やら机やらにぶつかり、がたごとと揺れる。
 無論その様子がコントロールルームに繋がる監視カメラに映らないわけはなかった。
 奇々怪々に揺れる机と椅子を眺めるロボット達は、終始無言であった。

 何故ならそこには人間がいないからであった。
 不気味に動くだけの机や椅子ごときを上に報告する必要はなかった。
 ロボットは、不思議を不思議と捉えられない。現実を現実として処理するだけだった。
 とにもかくにも異常と判断されなかったボタンは物の荒波から抜け出し、次なる通路へと駆けて行く。

 この通路から先は様々なセクションへと通じる細い廊下が続いており、
 発電室、第二〜四武器庫、格納庫、食堂、兵員室、食料庫、シャワー室……他多数の場所へと続く。
 ボタンは腹が減っていた。腹が減っては戦はできぬ。獣故の勘か、それとも嗅覚か。

 ボタンは迷うこともなく正確に食料庫へと通じる廊下を真っ直ぐに進んでゆく。
 途中階段があったりして「ぷっひ、ぷっひ」と一段ずつ涙ぐましい努力で下ってゆく猪の姿は感動物であった。
 当たり前だが、その姿が例のモニターにバッチリと映っていた。
 まさに万事休す。ボタンの命も風前の灯かと思えば、果たして監視の役割を担うロボット達は終始無言であった。

458対決:2009/11/11(水) 23:09:18 ID:jF1MbMpU0
 ロボット――作業用に特化したアハトノイン――達は、無能ではない。居眠りをするわけもない。
 彼女達は、ただ仕事に忠実であった。
 主であるデイビッド・サリンジャーは今は別の部屋にて仮眠を取っていた。彼は人間、この時間であるから無理からぬことである。
 不眠不休で働けるロボット達が後を任されるのは当然至極の措置といって過言ではなかろう。

 だが、サリンジャーはロボット達に対する指令を少し間違えていた。
 彼が下した命令は『モニターに異常を発見したら報告しろ』であった。
 だがこの場合の『異常』とは『この施設に登録されていない人間』とロボット達は判断してしまったのである。
 誠に融通が利かぬボンクラの如き判断ではあったが、所詮はロボットである。
 言葉を額面どおりにしか判断できぬ設計にしたのは、他ならぬサリンジャーであった。
 彼はこう命令すべきだったのだ。

 『モニターに、自分とアハトノイン達以外に動くものがあったら報告しろ』と。

 かくしてボタンは当面の危機から脱した。
 そしてそんなことなど露知らぬボタンは動物の勘で食料庫まで辿り着き、ぽてぽてと侵入を果たしては目の前の光景に歓喜の鳴き声を上げた。

「ぷっひ、ぷっひ」

 文章では到底表現できない奇怪な踊りを繰り広げるボタン。もちろんポテトからの伝授である。
 ふとかの畜生の友人を思い出してほろりと感傷に浸るボタンであったが、それよりも食べ物だった。
 結局は彼も畜生なのである。手近な棚から食べ物を引っ張り出しては起用に牙と歯で封をこじ開け、
 もしゃもしゃと頬張るのであった。彼の表情は誠に至福であった。
 アハトノイン達は減ってゆく食べ物を見つめながら、やはり無言であった。

     *     *     *

459対決:2009/11/11(水) 23:09:37 ID:jF1MbMpU0
 高天原は奇妙な平和に包まれていた。時刻は既に午前五時にならんかとしていた。
 が、その平和はいともあっけなく破られた。平和とは往々にして簡単にひっくり返される。

「……なんだ、あれは」

 仮眠から目覚め、再びモニターの前に現れたサリンジャーは絶句していた。
 見れば、どう見ても畜生の類と思われる獣がもしゃもしゃと食料を頬張っているではないか。
 一体何故? どこから侵入した? そんな疑問がサリンジャーに駆け巡ったが、
 彼の目前で監視任務についているはずのアハトノインはただ無言を貫くのみであった。

「おい、異常は報告しろと言ったはずだが」

 苛立ちを隠しもせず、己の仕様を棚に上げて詰問するサリンジャーだったが、人間の気分を解しないアハトノインは冷静に告げた。

「はい。何も異常はありません」
「ではアレは何だっ!」

 制御盤を力任せに叩き、映る猪を指差すが、アハトノインの返答は相変わらずだった。

「『誰』も侵入してはおりません」

 ここで流石にサリンジャーも悟り、ばつが悪そうに表情を歪めて舌打ちし、
 何を言っても埒があかないとようやく判断して、改めて命令を下した。

「私達以外の存在があれば報告しろ」
「異常を感知しました。いかがされますか」

 ここまで切り替えが早いと、呆れるよりも逆に不便だという印象だけがサリンジャーに残った。
 もう少し融通を利かせる設計にすべきだと考えても後の祭りで、ここでプログラミングしている時間はない。
 頭を無理矢理冷やして、サリンジャーはしわがれた声で命令を下した。

460対決:2009/11/11(水) 23:09:55 ID:jF1MbMpU0
「捕まえろ。放り出せ」
「了解しました」

 応じたオペレーター型アハトノインがマイクに指令を吹き込む。対象は控え室に待機している予備の作業用アハトノイン達であった。
 流石にこのような事故に戦闘用アハトノインを使うわけにはいかなかった。
 何せ時間の関係で、戦闘用アハトノインは数体しかおらず、うち一体は整備中であった。
 予備の機能でもこの程度の任務は十分ではあったが。

 ぞろぞろと兵員室から一様に同じ服装、同じ髪型、同じ顔のロボット達が出かけてゆく。
 サリンジャーはそれを眺めながら、まるでコメディだ、と溜息を通り越して苛立つ。
 確認してみれば殺し合いは一向に進んでおらず、しかもあろうことか一堂に会し、動きはないが団結しているようにも見える。
 アハトノインを実戦に出しての戦闘データは取りやすい状況になったとはいえ、面白くないのは依然として変わらなかった。

「次の放送は、死者はゼロでしょうね……別に、何も変わるわけでもありませんが」

 椅子に腰掛け、サリンジャーはリモコンのスイッチを押して、現在の生存者が集まる学校の様子を見てみた。
 学校内部にカメラは仕掛けていないので、はっきり言って何が行われているかは分からない。
 以前はちょっとした殺し合いもあり、いささか面白い状況だったというのに。
 聞こえてくる声も和気藹々としたもので、これも面白くない。

 幸いにして何も対応策がなさそうなことから、ただの現実逃避に過ぎないだろうことは分かったが。
 待ってみるのもそれはそれで面白いかもしれない、とサリンジャーはほくそ笑んだ。
 逃避した先にどんな状況が待っているか。絶叫に変わるその様は楽しいこと請け合いだろう。
 そう考えると今の状況もここから始まる絶望のスパイスに感じられて、サリンジャーはとうとうくくっ、と哄笑を漏らした。
 ふと別のモニターを見ると、件の猪が迫るアハトノインに追い立てられ、情けない鳴き声を上げている。
 存外に素早かったが、まあ時間の問題だろう。ロボットにスタミナ切れはない。

「逃げろ逃げろ。どこまで逃げられ……ん?」

461対決:2009/11/11(水) 23:10:26 ID:jF1MbMpU0
 せまいダクトに侵入したらしい猪が追跡から逃れる。ぽかんと口を開け、唖然とするサリンジャー。
 ダクトの中にまで監視カメラはない。つまり、見失った。
 ダクトは無数に分岐しており、どこから出てくるか分かったものではない。

「申し訳ありません、見失いました」
「探せっ! しらみつぶしにだっ!」
「了解しました」

 このまま高天原を土足で踏み躙られてはたまったものではない。
 害はないとはいえ、プライドの高いサリンジャーには自分だけの高天原を汚されることが許せなかった。

「どいつもこいつも……捕まえたら、私が撃ち殺してやりましょうかね……」

 半ば本気でそう考えていることに、サリンジャーは失笑した。
 猪一匹に何をムキになっているのであろうか。
 待つのは性に合っていないのか、それとも来るべき宣戦布告の時期を前にして気が昂ぶっているのか。

 どちらでもいい、とサリンジャーは思った。
 今はただ、放送の内容だけでも考えるかと思考して、サリンジャーは猪が消えたモニターから目を外した。




【場所:高天原内部】
【時間:三日目:05:00】

デイビッド・サリンジャー
【状態:朝まで待機】

ボタン
【状態:主催者に怒りの鉄拳をぶつけ……たいけど逃走中】

→B-10

462さよならを教えて:2009/11/12(木) 23:39:41 ID:tq0nwEpg0
(瑠璃様、珊瑚様……っ)

そうイルファが祈るように歩き続け、既にかなりの時間が経っていた。
主である姫百合姉妹を探しに折原浩平と共に無学寺を出発したイルファだが、その成果が一向に出る気配はない。
地図を見ながら先導する浩平の背中を追う形で、イルファも前に進んでいる。
両腕に支障をきした彼女は、修理を行わないもはや指先で行う作業に携わることはできない。
何かを持つこともできないイルファの代わりにと、浩平は親身になってリードしてくれている。
ありがたいことだった。
転んだら最後自力で起き上がるのも難しいイルファのためにと足元の注意も逐一教えてくれる浩平の細かな気配りに、イルファはいくら感謝してもしきたりないくらいだった。

そんな浩平の協力のおかげで、確かに道中で問題が生まれることはなかった。
しかし姫百合姉妹に関する手がかりもいまだ皆無の状態で、イルファは自身の焦りを止められそうにないくらい追い詰められている。

(……瑠璃様ぁ)

大切な、誰よりも優先する主の名をイルファは何度も心の中で呼んでいた。
しかし一向に返ってくることのない答えが、イルファの余裕を蝕んでいく。
殺し合いに乗っているような人物に声が届いたら危ないと浩平に釘をさされ、その愛しい名を声に出し発することもできないストレスは、機械でできている彼女の演算さえをも狂わせそうになっている。

ただ、その無事が確認したかった。
逃げ延びたという現実が知りたかった。
イルファは証が、欲しかった。

「こっちの方に行くと、その争ったっていう神社なんだろ? そこに戻ってる可能性だってあるんだし、あんま思いつめない方がいいぜ」
「はい……」

浩平の声に俯いたままの顔を、イルファはあげることができなかった。
人間の彼にこんな心配までさせるとは、なんて駄目なロボットだろう……思うイルファだが、やはり今は彼女のことしか考えられないようだ。

463さよならを教えて:2009/11/12(木) 23:40:06 ID:tq0nwEpg0
(お願い、無事でいてください……瑠璃様、珊瑚様)

柏木千鶴を倒した鷹野神社、今イルファ達はそこに向かっていた。
歩みは決して速くない、イルファの状態を考えると下手に急ぎこれ以上の損傷を作ってしまうのは後に響くだろうという考えからだった。
姫百合姉妹の片割れ、姫百合珊瑚と再会できれば彼女の故障した両腕も直すこともできるかもしれない。
そう言ってイルファを励ましたのは、他でもない浩平だ。

しかし道具や機材が十分ではないこの場所で、それを当てにしすぎるのは厳しいだろう。
現実問題、万が一再会できなかったことも念頭において置く必要というのは絶対にある。
しかし、そんな現実的な意見を、浩平がイルファに対し向けることはない。
それは彼の優しさだ。
姫百合姉妹をどれだけ思っているかを、こうして歩きながらイルファの口から聞いた浩平は、彼女の心を傷つけるようなことを言葉にできなくなっている。
イルファがロボットだなんだという事実は、浩平には関係ない。
そもそもメイドロボという存在自体を身近に感じていない浩平だ、こうして生の彼女を見ても機械という実感が沸かないのだろう。
頭が外れるという人間ではあり得ない状態のイルファを見ておきながらも、浩平の調子はそんなものであった。

「そろそろじゃないか、ほら。あの先だろ、多分」

鬱蒼とした森に囲まれた歩道の先、少し開けた場所が目に入り、浩平はイルファに振り向きながらそこに向かって指をさした。
こじんまりとした境内は、イルファにとっても見覚えのある建築物である。
そこに、姫百合姉妹がいるかもしれないという期待が、イルファの回路を満たそうとしたその瞬間。
イルファは、視界の隅にとても見覚えがある物が映っていることを知覚した。

「ん、どうした?」

立ち止まり表情を強張らせるイルファの様子に気づいた浩平が、訝しげに眉を寄せる。
それでもイルファは、次の一歩を踏み出せなかった。

464さよならを教えて:2009/11/12(木) 23:40:35 ID:tq0nwEpg0
空は随分と明るさを取り戻していて、当に朝焼けも過ぎている頃だろう。
視界も大分良くなっているため、この光景が見間違いである可能性というのも少ない。
しっかりと映っているそれが何なのかを、イルファは確かめなければ行けない。
そこに確かな真実があるということを。イルファは、認識しなければいけない。

「お、おい! どこ行くんだよ!!」

いきなり明後日の方向へと進みだしたイルファの背中に、浩平の戸惑った声が降り注ぐ。
それでもイルファは止まらなかった。
まっすぐに、ただまっすぐに目的のモノがある場所へと向かっていく。

「一体何やって……、っ!」

足を止めたイルファの目の前、そこに在るものの正体に浩平も思わず絶句する。

「……」

イルファは黙って、足元の彼女達を見つめていた。
折り重なる二つの肢体には、朝の光がさんさんと降り注いでいる。
まぶしい。早朝の明るさもそうだが、倒れる少女の相貌の美しさからそれは天使の姿を髣髴させた。
ピンクが基調の可愛らしいデザインの制服には、イルファの知らない新たな色が加わっていた。
スカートの赤地よりももっと濃い、朱。紅。
時間の経過を表しているその色は、もはや黒のレベルにまで落ち濁っている。
その色の出所が、どこなのか。
分からないくらい、彼女達はしとどに濡れそぼっている。

「いやぁ……」

465さよならを教えて:2009/11/12(木) 23:40:57 ID:tq0nwEpg0
イルファの機械染みた声が震える、掠れる。
暫く口を開いていなかったイルファの音声は、優しい彼女の暖かさが全く感じられないくらいのひどいものだった。
最早雑音。
ぷすぷすといった異音も、彼女の口以外の場所から漏れている。
かたかたと震えるイルファの全身から、湯気が噴出す。

「いやああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

大気を引き裂くノイズを発しながら、オーバーヒートしたイルファはそのまま前のめりに倒れそうになった。
崩れていくロボットの体を、浩平が慌てて受け止めに行く。

「熱っ!!」

予想以上の温度を持ったイルファの機体に戸惑いながら、浩平もやっと理解した。
この美しい少女達が、彼女が命よりも大切にしていた存在だったということを。
彼女達のことだけを考え、奮闘していたイルファの姿を浩平は少ない時間ではあるが隣で見てきた。
そんなイルファにとって、この光景はあまりにも。
あまりにも、酷だった。





それから暫く経ち、午前六時。
流れた放送が、姫百合姉妹の絶命を告白する。
目視していた浩平からすれば、ただ裏付けが取れただけの現実だ。
また見知った仲間達の名前も次々と呼ばれたことで、浩平の心もどんどん暗く落ち込んでいっていく。

466さよならを教えて:2009/11/12(木) 23:41:14 ID:tq0nwEpg0
自分と世界を繋ぎとめた友人達とは、もう会えないということ。二度とだ。
消えた温もりに縋りたくとも、今や浩平は一人だった。
誰もいない。
動きを止めたロボットは、鷹野神社の境内にて安置されている。
再起動する気配はいまだなかったが、浩平はもう彼女が動くことはないと思い込んでいる。

呼ばれたのだ。彼女、イルファも。
ちょうど浩平が、こうして境内の入り口、見張りを兼ねたその場所にて頭の中を整理しようとした時である。
そのタイミングで流れた放送の中に、イルファの名前はひっそりと含まれていた。
あぁ、壊れたのだと。
浩平が納得するのに、時間はかからない。
主君を喪ったショックであろうと、簡単に予測をつけることは可能だった。

「これから、どうするかな……」

浩平の小さな囁きは大気に溶け、そのまま消え入る。
呆けながら周囲を眺めているだけでも、時間というものは刻々と過ぎていく。
ため息を一つ吐き、浩平はとりあえずそのままにしていた姫百合姉妹の遺体を葬ってやろうと、立ち上がった。


         



『起きて』

誰かの声。少女の囁き。
境内の中、こもった音が響き渡る。
横たわるイルファはまだ、回路が回復していない状態だった。

467さよならを教えて:2009/11/12(木) 23:42:00 ID:tq0nwEpg0
『起きて』

再び少女が呼びかける。
相も変わらず反応は返されなかったが、どうやら少女も簡単には諦める気がないのだろう。
それから幾度に渡って、少女はイルファに声をかけ続けた。

『むう』

目を覚まさないイルファに対し、少女が不満から膨れるような声を出した時だった。
微かな機械音が、鳴り始める。
その出所はイルファだった。
小さな呻きが漏れる。
その出所も、イルファの口元だ。
ゆっくりとイルファの瞳が開かれるが、情報を整理している途中なのかその眼はどこか空ろである。
そうしてイルファは、静かにゆっくりと起動した。






【時間:2日目午前6時半】
【場所:F−6・鷹野神社】

折原浩平
【所持品1:仕込み鉄扇、だんご大家族(だんご残り90人)、イルファの首輪、他支給品一式(地図紛失)(食料少し消費)】
【所持品2:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 4/5 +予備弾薬5発、他支給品一式×2】
【状態:姫百合姉妹を葬る、ゆめみ・七海の捜索】

イルファ
【所持品:無し】
【状態:首輪が外れている・右手の指、左腕が動かない・充電は途中まで・珊瑚瑠璃との合流を目指す】

(関連・905)(B−4ルート)

468終演憧憬(3):2009/11/13(金) 14:35:42 ID:lHAFtzZg0
 
「―――なんで! なんでよ!」

叫んだ長岡志保が、思い切り木製の机を叩く。
じんじんと痺れる手を握って、もう一度。
それでも飽き足らずに額を打ちつけて、その痛みがどこか頭と胸との中で暴れ回る棘の塊を
抑えつけてくれるような気がして、もう一度額を勢いよく振り上げて、

「長岡さん」

ひどく静かな声に、止められた。
苛立ちのままに振り返る、志保の顔はところどころが撥ねた泥に汚れている。

「……でも、早苗さん!」
「お気持ちは分かります」

沈痛な面持ちで頷く古河早苗の傍らに、古河渚の姿はない。
隣の診療室で寝台に寝かされている春原陽平の様子を見守っているはずだった。
早苗が、常になく真剣な眼差しで志保を見つめる。

「ですが、今できることを、しましょう」
「そんなこと言ったって! あたしたちだけじゃ……!」

乱暴に首を振った志保が、窓の外を見る。
次第に朱く染まりつつある空には、しかしいつの間にか薄い灰色の雲が湧き出して、
既に天球の半分を覆い隠していた。

469終演憧憬(3):2009/11/13(金) 14:36:01 ID:lHAFtzZg0
「嵐が近づいてる、船を出すのは待てないって……! お医者さんも来てくれないって……!」

絞り出すように呟いた、それが長岡志保が疾走の末に得た結果だった。
指定の集合場所まで走り、軍の担当官と押し問答を続けて、そして何も得られなかった。
帰還便の出航は二時間後の午後六時。
南からの熱帯性低気圧の接近に伴い二時間以内の降水確率は九十%。
風と波は次第に高くなると予想され出航の延期は認められない。
そもそも帰還便には出産行為に対応する医療設備は存在せず、回収人員の拠出自体は可能だが
出航時刻までの帰還は絶対条件であり、現地での長時間にわたる滞在は認可できない。
最大限の譲歩、と語頭に付された、それが最終的な回答だった。

「春原さんはもう、ここから動かせる状態ではありませんし……仕方ありません」
「なんでよ! なんで聖さんもいないのよ!」

早苗の言葉をかき消すように、志保が叫ぶ。
やつ当たりでしかないと、分かっていた。
分かっていて、止まらない。
つい今し方にもそれで取り返しのつかない事態を招いておきながら、
それを悔やんでおきながら、しかし、変われない。
省みるにも、学ぶにも、変わっていくにも、時間が必要だった。
今の長岡志保に与えられない沢山のものの、それは一つだった。

470終演憧憬(3):2009/11/13(金) 14:36:33 ID:lHAFtzZg0
「どうすればいいのよ……」

滲む涙は、逃避でしかない。
それで救えるものは、何もない。
理解していた。理解で止まるなら、苦労はなかった。
胸を割り裂いて掻き毟りたくなるような焦燥が、目には見えない傷に沁みていた。
傷の名を、甘えという。
それは、自己憐憫という種を言い訳という衣で包んだ砂糖菓子だ。
甘えていた。
長岡志保は、己に甘え、己以外の何もかもに、甘えようとしていた。
春原陽平のために走ったつもりだった。
少年を救うためにと。
それが自分にできる唯一のことだと。
言い訳に、過ぎなかった。
志保は単に、恐れていただけだった。
己が手に、何かを壊した罪の臭いが染みつくのが、怖かった。
拭い去る機会がほしくて、手近な行為に縋りついた。
血に飢えた殺人鬼も、狂気に駆られた参加者もいなくなった夕暮れの森を
せいぜい数キロ走った程度で、無様に転んで生傷を幾つか作ったくらいで、
何かが赦されると、思っていた。
愚かしい、勘違いだった。

必要とされていたのは行動ではなく、結果だった。
そしてそれは贖罪などではなく、義務だった。
己が衝動のままに悪化させた事態への応急処置でしかなかった。
それすら、満足にこなせなかった。
目尻に溜まった涙の滴が志保の頬を伝って一筋、零れ落ちた。
無力で、無価値で、醜い涙だった。

「―――お湯を沸かしてください」

涙が机の天板を叩く音に浸ろうとしていた志保が、驚いたように顔を上げる。
静かな、しかし有無を言わさぬ強さを持った古河早苗の、それは声だった。
戸惑い辺りを見回す志保を、早苗はじっと見据えている。

471終演憧憬(3):2009/11/13(金) 14:37:13 ID:lHAFtzZg0
「長岡さん」

響いた声は、叱咤ではない。
怒声でも、なかった。
ただ淀みなく指示を出すだけの、感情の篭らない声。
それが優しさなのか、厳しさなのか、それとも他の何かであったのか、志保には分からない。
それでも、縋りつくより他に、なかった。
後悔と自己憐憫の泥濘が、自らの足首までを捉えているのは、理解していた。
いずれ抜け出すこともできなくなると分かっていて、動けずにいた。
それでもいいと囁く、諦め混じりの声があった。
何もできない。何も為せない。何も掴めない。
そういう無力を、何もかもが長岡志保に強いるなら、抗うのはやめてしまおうと。
仕方がないのだと、時期が悪い、相手が悪い、状況が悪い、運が悪い、それは仕方がないことなのだと。
何が悪かったのか、誰が悪かったのか、後でゆっくりと、ゆっくりと噛み締めよう。
噛み締めて、悔やんで、涙して、諦めて、諦めきれずに、また涙して、そうして眠ってしまおう。
眼を閉じよう。歩みを止めよう。力を抜こう。横たわろう。
そうしてそのまま、朽ちていこう。
そんな風に囁く、穏やかな声があった。
温かく、やわらかく、安らかな声であるように、思えた。
何かが違うと、そういうものに成り果てたくはないという感じ方を容易く捻じ伏せるほどに、
その声は長岡志保の傷に染み渡ろうとしていた。

「あなたに言っています、長岡さん」

だからそれは、細い糸だった。
粘りつく泥に足を取られた志保の眼前に垂らされた、細く儚い、蜘蛛の糸。
こわごわと、手を伸ばす。
触れて、掴んで、握り締める。
これが、最後の機会だと、思った。
この手を放せば、何かが永遠に失われると、そうしてそれは二度と取り返せないのだと、
それだけを、感じた。

472終演憧憬(3):2009/11/13(金) 14:37:27 ID:lHAFtzZg0
「……」

こく、こく、と何度か小刻みに首を縦に振ってみせた志保に、早苗がひとつ頷き返す。

「はい。ではまず、キッチンと診療室から器になりそうなものをなるべく沢山集めてください」
「……」

返事をすれば涙声が漏れそうで、しゃくり上げそうになるのを堪えながら、言われるままに
のろのろと志保が立ち上がった、そのとき。

「―――ッっっ!」

ひぃ、という悲鳴と、ぐぅ、という呻きの入り混じった奇妙な声が、室内を満たした。
開け放った診療室との境の扉の向こうから、それは聞こえていた。
ほんの僅かな小康状態で眠っていた春原陽平の、目を覚ました合図の呻き声だった。
それが、幕開けだった。

「お母さん!」
「―――渚はタオルとガーゼ。長岡さんはお湯を。できるだけ早く」

矢継ぎ早に指示を出した早苗が、扉から顔を出した渚を追って診療室に駆け込んでいく。
その背を見送った志保が、一秒、二秒の間を置いて、弾かれたようにキッチンに走る。

ぽつり、と。
雨垂れの最初の一粒が窓を叩く微かな音には、誰も気がつかなかった。

473終演憧憬(3):2009/11/13(金) 14:37:49 ID:lHAFtzZg0
 
 
【時間:2日目 午後4時ごろ】
【場所:I-7 沖木島診療所】

長岡志保
【状態:健康】

古河早苗
【状態:健康】

古河渚
【状態:健康】

春原陽平
【状態:分娩移行期】

→1102 ルートD-5

474終焉憧憬(3)/Light colors:2009/11/21(土) 21:11:27 ID:AVTkPbzE0
 
「あるとき、一人の女性が勝ち残った」

「強かったね、彼女は。……ああ、そういう意味じゃない。
 いや、そういう意味でも強かったけどね」
「世界で最後の一人になってからも、随分と耐えてたんだよ。
 耐えて耐えて、考えて考えて、狂気に身を委ねることもなく」

「そうして彼女は、今も考え続けてる」
「その内、色んなことに気がついて、色んなことを滅茶苦茶にするんじゃないかな」

「いいんだ、それは」
「それで壊れるなら、だって、僕らにも諦めがつくじゃない」


「ああ、やっぱり、生まれなくていいんだ……って」




******

475終焉憧憬(3)/Light colors:2009/11/21(土) 21:11:53 ID:AVTkPbzE0
 
 
それは、きらきらと輝いている。
永遠にくすむことのない、黄金。

さわ、と。
吹き渡る風に揺れる麦穂が、涼やかな音を立てる。
まるで本当の水面のように波打つ、黄金の海原。
青い空の下、どこまでも広がる麦畑の中に、私は立っていた。

「―――」

黄金の海原。
それは、私の起こした奇跡。
蒼穹と麦畑。
それは、私のなくした過去。
約束の場所。
それは、私の思い描いた嘘。

今はもうない、私の護るべきすべて。
なくしたくないと駄々をこねる子供の、泣き疲れて眠る夢の中の楽園。
目の前にある煌きはそういうもので、そこにいるのは、だから―――私自身だった。
黄金色の波間に佇む、小さな影。

476終焉憧憬(3)/Light colors:2009/11/21(土) 21:12:14 ID:AVTkPbzE0
「みつけた」

私の望んだ嘘の中、私の願った夢の中。
それは、幼い頃の私の姿をしている。
語りかければそれは、こちらを見て、小さく微笑んだ。
微笑んで、しかしそれだけで、互いの距離は縮まらない。
一歩を踏み出して、麦穂を掻き分けて二歩、三歩を歩んで、しかし少女は、近づかない。
さわさわと揺れる黄金の海の中、少女の微笑は遠くにあって、いくら歩を進めても辿り着けない。
逃げ水のように、蜃気楼のように、それは手の届かぬ向こうから、ただ微笑んでいる。

そうだろう、と思う。
幼い少女は、私のついた嘘のかたちだ。
何も護れなかった私の、最後に縋りついた夢の残滓だ。
必要だから、それを切り捨て。
必要だから、それを忘れた。
必要だから、夢を見続けるために必要だから、私はそれを、棄てたのだ。
汚れた襤褸を、火にくべるように。

ほんの少しだけ勢いを増した火は私を温めて、私は温もりの中で微睡んでいた。
他愛のない、幸福な夢を貪っていた。
灰となり、塵となった嘘を、代償に。

だからそれは、私の手を取ろうとは、しない。
駆け寄らず、近寄らせることもせず、ただ微笑んでいる。
交わらぬ道を歩むように、やわらかく私を拒絶する。

477終焉憧憬(3)/Light colors:2009/11/21(土) 21:12:39 ID:AVTkPbzE0
足を止めず、思う。
私の棄てたものが、何であったのかと。
それは力。それは嘘。それは奇跡。
私の中に並ぶ答えは、どれもが近くて、どれもが違う。
それは夢。それはきざはし。それは飢え渇く者に施される、一杯の清水。
私の中に浮かぶ答えは、次第にぼやけて、ずれていく。

私は何を棄てたのか。
私は何を失って、それは私を、どう変えた。
考えて、答えはなく。
だから幼い影は、近づかない。
少女の浮かべるその微笑が、綺麗だと。
そんなことを、ぼんやりと思った。

綺麗。
そうだ。
それは、とても綺麗なものだ。
とても、とても綺麗で、眩しくて。

だから私は、それが嫌いだった。

478終焉憧憬(3)/Light colors:2009/11/21(土) 21:13:35 ID:AVTkPbzE0
ああ、そうだ。
記憶の淵の泥沼の、汚れた岸辺に打ち上げられた古い糸を手繰り寄せれば、
ずるずると引き揚げられるそれは、嫌悪の情だ。

きらきらと輝くそれは、がたがたと隙間風に揺れる罅の入った窓から見える景色と違いすぎて。
瞼を閉じてなお目映いそれは、言葉もなく貼りついたように薄い笑みだけを浮かべる、
私の護れなかったものの白く濁った眼差しからは、あまりにも遠すぎて。
手を伸ばせば温かいそれは、私を余計に苦しめて。

だから私は、それが嫌いだった。
許せなかったのだ。
そういうものが存在しているということ、そのものが。
許せないままにそれを棄てて、綺麗で眩しくて温かいものを棄てた私は、だから醜く澱んでいて。
弱く、弱く、在り続けた。

私の心臓を取り出して、薄い刃で傷をつければ滲み出してくるのは血だ。
黒く粘つく、溜まり澱んで腐った血だ。
たいせつなものと綺麗なものと、そういうものが欠け落ちた、それが私の心臓だ。

それを赦し、そんなものでいることを赦し、私は在った。
喪失を許容し、ただ事実や過去や、その程度に膝を屈して。
抗うことを、戦うことを、肯んじぬことを、忘れていた。

口を開けて待っていた。
救済を。奇跡を。誰かを。何かを。
怠惰に安眠を享受していた。
だから、私には、何も与えられなかった。
縋りついたはずの救いの糸は、幻想でしかなく。
幻想であることをすら、認めようとしなかった。
そんな私に齎されるものなど、何一つとしてありはしない。
腐敗。
それが、川澄舞への、抗うことを忘れた者への、罰だった。

479終焉憧憬(3)/Light colors:2009/11/21(土) 21:13:52 ID:AVTkPbzE0
 
 (―――君は、生きたいか?)


だから、死は贖いで。
そしてまた、川澄舞が川澄舞に戻れる、ただ一度の機会でもあった。
この薄汚れた心臓を切り裂いて、澱み濁った血を流しきって。
そうして私はようやく、弱く在ることを、やめた。
やめることが、できた。
たいせつなものと。
綺麗なものと。
醜いものと。
弱いものとを、棄て去って。
ただ、始まりの私に、戻れた。

空っぽの川澄舞は、だからひとつづつ、取り戻す。
取り戻すために、ここにいる。
死や、流れゆく時や、取るに足らぬ何もかもを組み伏せ。
棄て去ったすべてを、奪い返し。
あるべき姿にないありとあらゆるものを赦さず。
久遠を、抗おう。

そうして私は、護れなかったものを、護りたかったものを、喪ったものを、喪いたくなかったものを、
この胸に、抱き締めるのだ。


***

480終焉憧憬(3)/Light colors:2009/11/21(土) 21:14:06 ID:AVTkPbzE0
 
見渡す。
黄金の海原は静かに揺れている。
嘘と断じる。
こんなものは、存在しない。

麦穂が、消えた。
風が途絶え、空が割れ、地面が音もなく失われた。
色が薄れ、灰色の世界が塵になってさらさらと崩れていく。


瞳を閉じる。
在る、と断じた。
川澄舞は喪失を赦さない。
ならば、喪われたものが、喪われたという程度のことで、喪われることなど、あり得ない。

眼を開ければ、そこには風が吹いている。
きらきらと輝く黄金色の麦穂は、風に揺れて波打っている。
金の海原はどこまでも続いて地平線で空の青と融けあい、そのすべてが一点の曇りもなく煌いて、
朗々と久遠を謳い上げていた。


これは嘘だ。
偽りで、幻で、どこにも存在しない、だが、それだけだ。
幻想で、夢想で、だが私が、ここに在ると決めた。
妄想で、空想で、だが私は、それを認め、蹂躙する。

川澄舞は、事実の如きを踏み躙る。
踏み躙って君臨し、この手のすべてを、離さない。

この手に掴む、この手を掴む、すべてを。


***


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