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【1999年】煌月の鎮魂歌【ユリウス×アルカード】

248 煌月の鎮魂歌10 39/43 :2017/08/12(土) 23:07:08
『あなた様の人の血が御心をまどわせているのであれば、まどいの元を取り除いてさし上
げるのがわたくしどもの務めです。ああ、愛しきお方、わたくしどもがどれほど愛し申し
上げているか、お見せできたら! でもきっと、人の血のまじった今のままでは、わかっ
てはいただけないのでしょうね』悩ましげに女妖は胸を抱いて悶えた。
『お願いですわ、剣をおろして、わたくしに身をお委ねになって。そのあとであれば、わ
たくしはお手ずから五体を引き裂かれて血の霧となってかまいません、いいえ、きっとそ
れは、この上ない愛の贈り物となりますわ。闇の愛の深さを歌いながら、あなた様の手で
死ぬのです。闇に還られたあなた様の前では、わたくしなどほんの蚊とんぼの一匹、わた
くしの愛など砂粒のひとつにも満たない。それでもわたくしは心から満たされて灰とな
り、あなた様が領される新しい闇の宮廷で咲く一輪の花となりましょう。永劫ののちにあ
なた様はわたくしをもう一度見いだし、踊っていただけることでしょう。妹のムタルマと
二人、わたくしどもは、果てなき闇の領主たるあなた様のもとで、人にはかなわぬ暗黒の
愛のとりことなるのですわ──』
 情熱をこめて語っていた女侯爵の言葉がふいに途切れた。
 妖女は両手をかかげ、胸の真ん中を突き通したアルカードの剣をつかんだ。ゆがんだ口
からどっと血があふれ、乳房と胸をまだらに染めた。
「愛なら知っている。人の愛も。暗黒の愛も」
 アルカードは呟いた。
 身を絡め取っていた妖女の触手めいた腕はまばたきの間に切り払われ、わずかな砂とな
ってこぼれた。両手で構えた長剣がまっすぐ突き出され、妖女の胸の真ん中の老女の顔を
貫いていた。
「私はかつて愛し、裏切った。そしてまた裏切ろうとしている。暗黒の愛が裏切ることの
ないものなら、愛を裏切る私は、おそらく闇のものではないのだろうな」

249 煌月の鎮魂歌10 40/43 :2017/08/12(土) 23:07:52
『お、お、若君──』ベスティア女侯爵はもがいた。胸を貫かれたとき、魔物としてのな
にか致命的な部分も砕かれたようだった。アルカードの長剣の切っ先は背中まで突き通
り、脂のような血を垂らしていた。心臓めいたどす黒い肉界が身体の外に飛び出して、狂
ったように拍動していた。彼女は答申を握りしめてあえいだ。両手が切れて、薔薇を思わ
せる鮮やかな赤の血がちらちらとこぼれ落ちた。
『なぜ拒まれるのです──どうして、そこまで──人の子などくだらぬと、だれよりご存
じのはずのあなた様が──ああ』
 必死に首をねじ向けて、妖女はかっと目をむいた。唇がめくれ上がり、美女の偽装がは
がれ落ちた顔は、銅色の毛に覆われたおぞましい獣の顔貌をむきだしにした。
『そんな! なぜ、あの男が? ベルモンドの私生児! いまいましいあの男! わたく
しの与えたあの鞭が、打倒されることなどありえない──』
「彼はユリウス・ベルモンド。ベルモンドの裔にして、聖鞭の所持者」
 アルカードはささやき、剣の柄をひねった。
「──闇を払う〈吸血鬼殺し〉の、使い手だ」
 一息に引き抜く。
 空気の抜けるような音がして、妖女は身を折った。かぼそい悲鳴がひびき、彼女はそれ
でも、なお愛する公子に両腕をさしのべようとしたが、かなわなかった。銅色の毛があせ
てゆき、硫黄のにおいがたちこめた。急速にしぼんでいくベスティア女侯爵の身体は、数
瞬のうちに腐った藁屑めいたものになり、虚空に溶けて見えなくなった。

250 煌月の鎮魂歌10 41/43 :2017/08/12(土) 23:08:28


「ユリウス」
 背後から近づいてきたアルカードに、ユリウスは意識を引き戻された。
 視界の端で金色の結界の光が消え、腕にイリーナを抱えた崇光が姿を現した。イリーナ
はぐったりとして意識がない。あまりの心理的負担が限界を超えたのか、それとも、これ
から起こることを少女には見せたくなかった崇光が眠らせたのかはわからない。
 ユリウスはちらりとアルカードを振り返り、また視線を落とした。戦いの高揚は消え失
せ、重い倦怠と悲哀が全身に覆いかぶさっていた。
 高揚も俺のものではない、とユリウスは苦く思った。この戦いに喜びはなく、ユリウス
の使い手としての初陣は、血を分けた兄弟を敵手とするものだった。鞭は自らの闇の鏡像
を打ち破ったが、ユリウスがいま眼前にしているのは、一度もわかり合う機会がなく、い
までは永遠にその可能性も失われようとしている、幼い異腹の弟だった。
「……アルカード?」
 ラファエルがぼんやりと目を開いた。瞳は白く濁り、もはや何も見えてはいないようだ
った。だらりと投げ出された手はまだなにかを握りしめるように曲げられている。ラファ
エルは頭を動かし、手探りするように指をひくつかせた。
「アルカード。どこにいるの」呟いて、ラファエルは左右にわずかに首を動かした。
「よく見えないや。僕、どうしたの? なにがあったの? せっかく動けるようになった
のに、どうしてだか、あなたが見えないや──」
 横たわる上半身に傷はなかったが、闇の力に浸された下半身は、ベスティア女侯爵が消
滅するのと同時に、黒い液体になって流れ去っていた。あとには萎えて骨と皮にしぼんだ
下肢が遺された。
 あおむいたラファエルの顔に、苦痛はなかった。少年は幼げな顔で、見えない目をふし
ぎそうに瞬き、しきりにあたりを見回してアルカードを探した。

251 煌月の鎮魂歌10 42/43 :2017/08/12(土) 23:09:07
「ねえ、アルカード、どこ……? 僕、強くなったでしょう? 立派なベルモンドの男で
しょう? これで、あなたのそばに立てるよね? 僕、あなたといっしょに、魔王を封印
する戦いに出るんだ、そうだよね?」
 かすかな鞘鳴りがした。アルカードが剣を抜いていた。
「俺がやる」
 剣を手にしたアルカードが前に進もうとするのを見て、ユリウスは語気荒く言った。
「こいつは俺の弟だ。始末をつけるのは、兄貴である俺の役目だ」
「さがれ」
「アルカード──」
「さがれと言っている」
「アルカード!」
「血族同士が殺し合うのはもうたくさんだ!」
 絞り出すようにアルカードは叫んだ。
 それからはっとしたように口を覆い、うつむいた。衝撃のあまり、ユリウスは動けなか
った。アルカードがここまで感情を迸らせるのもはじめてだったが、その時彼の顔を走っ
た、狂気に近い絶望の色がユリウスの胸を深くえぐった。
「ユリウス。こちらへ」
 崇光が腕に手をそえてユリウスを下がらせた。彼の顔も青白くこわばり、せねばならぬ
ことへの嫌悪と悲しみに凍りついていたが、口調に揺らぎはなかった。
 ユリウスは声もなくあとずさった。入れ替わるようにアルカードが前に出る。彼は剣を
構えて、ラファエルのそばに跪いた。白く光る切っ先が少年ののど元にさしつけられる。
「アルカード?」夢見るように少年は呟いた。
「アルカード、僕、鞭を使えるようになったよ。僕きっと強くなる、アルカード。あなた
に似合うくらい強くなるよ。父上よりも、先祖のだれよりも強くなるよ。僕を見て、笑っ
てよ、ねえ、アルカード。アルカード」

252 煌月の鎮魂歌10 43/43 :2017/08/12(土) 23:09:56
 切っ先が震えた。アルカードは長い息をつき、肩をふるわせて頭を垂れた。長い銀髪が
垂れ下がって顔を隠した。ユリウスは彼が泣いているのではないかと思った。だが、ふた
たび顔を上げたアルカードの目は乾いていた。
 その唇が小さく動いた。なんと言ったのか、ついにユリウスにはわからなかった。その
まま一息に刃が降りた。少年の声が断ち切られたように消えた。黒い塵がさらりと舞い、
そして、何も残らなくなった。
 なにもなくなった地面に、アルカードは膝をついた姿勢でしばらく動かなかった。剣は
切っ先を地面に突き立てたまま、白く輝いている。
「アルカード」
 呼吸すらしていないかに見えるアルカードに、崇光がそっと声をかけた。丸めた背に触
れようとした手から逃れるように、アルカードはすらりと立ち上がった。
「アルカード、彼は──」
「大丈夫だ」
 アルカードは言った。まるで機械に言わされてでもいるかのような、感情の窺えない声
だった。彼はマントを払い、平静な仕草で剣を鞘に収めた。唇がかすかに震えていたが、
ユリウスがそれを目にするより早く、強くかみしめられて見えなくなった。
「私は、大丈夫だ」
 アルカードは言った。崇光を避け、ユリウスをそっと押しのけて、廊下へ出ていく。
「大丈夫だ……」
 その動きのあまりのなめらかさに、ユリウスはほとんど狂い出しそうになった。駆け寄
って胸ぐらをつかむか、殴りつけるかなにか、どんなことでもいいから、彼が泣くような
ことをしてやりたかった。だが、血まみれの廊下に立つ彼の背中は、月よりも、星よりも
遠く、小さく、近づきがたかった。
 ──遠くの方から今さらのように、人の騒ぐ声と、あわただしい足音が入り乱れて近づ
いてきた。


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