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ワイの遊び場

291名も無き@冒険者:2016/10/08(土) 19:12:57 ID:NSjxJcgk0
光圀「わしは一念発起した。応仁の乱を分かりやすく理解したい」
   「不偏不党にして一点の曇りなき真実を知識として得たいと」
澹泊「まことに麗しき御志」
光圀「まずは介三郎に尋ねる」
宗淳「ハッ」
光圀「応仁の乱の発端とも言うべき出来事は何か」
宗淳「申し上げるまでもなく、足利尊氏公より数えて八代の三春義政公の後継問題にございまする」
光圀「そうじゃ。寛正五年、幕府の棟梁の座に飽いた義政が29歳という若さで隠居をお決めあそばした」
   「覚兵衛、義政は誰を後継者に選んだ?」
澹泊「恐れながら、御舎弟の義視殿にございまする」
光圀「ではなぜ弟を次代の征夷大将軍として選んだ?」
澹泊「義政公は当時、嫡男をお上げなさらず。やむなく御舎弟君を還俗させ、養子とした仕儀にございます」
光圀「いかにも。嫡男が無ければ、弟が将軍職を継ぐというのは珍しくない」
宗淳「あー、徳川家においては、四代家綱公の後継(五代)には実弟の綱吉公が」
澹泊「しかし徳川幕府はペルリの浦賀来航まで目立った大戦はございませんが」
光圀「家綱公や綱吉公と違い、この頃の義政は途方もない怠け者であった。
   「まだ若いのに将軍職を弟に譲ったのも過ちであった」
澹泊「確かに家綱公、綱吉公もともに嫡男はありませなんだが、終生その職務を全うなさいました」
光圀「まあ義政の隠居は結構なるが、ちと弥縫策過ぎた」
   「弟を九代征夷大将軍候補として養子に迎えた翌年、すなわち寛正六年に義政公に嫡男が誕生する」
宗淳「義尚公にございまするな」
光圀「うむ。だがここで、義尚の生母・日野富子に野心が芽生えた」
澹泊「と申しますると」
光圀「義尚を九代征夷大将軍にしたい! 幕府の棟梁にしたい! さすれば富子は征夷大将軍の生母になれる」
宗淳「余計なことを…」
澹泊「悪女にございまするな」


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